全てを守れるほど強くなりたい   作:ジェームズ・リッチマン

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自分にも作用する……なるほど、そういう使い方も……

 

「よっ」

 

 扉を開け、広い暗闇の空間へと飛び出す。

 数メートルの湿っぽい浮遊感。しばらくして、私は金網へと着地した。

 

「……下水っぽい雰囲気」

 

 ここが魔女の結界の最深部。

 その広さは、暗さも相まって計り知れない。落下時の印象からして高さもある。

 足元に広がっている金網の足場以外には、内装らしいものが一切ない空間だ。

 

「……ッ、ッ、ッ、──」

 

 指笛を鳴らし、舌を使ってクリック音を放ち、とにかく様々な音を辺りへ振りまいてみた。

 高音が広い室内に反響する。

 

 天井はある。高さは数十メートルはあるだろう。

 足元の金網、その下は不明だ。奈落の底かもしれない。

 横の広さは不明だ。ひょっとしたら、どこまでも広がっているかもしれない。

 

 けどとりあえず、天井があることはわかって良かった。

 そこに潜んでいた存在もね。

 

「さあ、掛かってこい!」

『……ブシュゥゥウ』

 

 均一な結界内で唯一、はっきりと濁った音を響かせた天井へとサーベルを向ける。

 注視して初めて姿を認めることができた魔女は、天井に張り付く大きなカニの姿だった。

 

 

 

Agnieszka

奉仕の魔女アグニェシュカ

 

 

 

『ブシュッ、ブシュッ……』

 

 天井に鉤脚を突き立てて歩く音が聞こえてくる。

 魔女が私の頭上へ移動しているのだ。

 

「!」

 

 空を切る音に、咄嗟に飛び退く。

 私が立っていた場所から、粘っこい水がは弾ける音がした。

 

「……なるほど、そういう攻撃か」

『ブシュ、ブシュ』

 

 びたん。びたん。

 魔女は天井を移動しながら、私がいる場所へとヘドロらしきものを落としている。

 空間内が薄暗いために、水の正体はわからないが……直撃だけは避けなくてはならないものだろう。

 ただのドロ水ではないことだけは確かだ。

 

 位置調整するように追いかけながら、遥か上から攻撃してくる魔女。

 本気の跳躍でなら、この空間の天井まで跳べないこともない。

 しかし跳ぶという行為はそのものが、隙を伴うリスクだ。

 

 相手が何をしてくるかもわからないし、勢い余って、あの泥だらけの体に激突したら……。タダで済むかはわからない。

 

「でも、今の私には盾がある!」

『ブシュッ……』

 

 真上からのヘドロ爆撃に、左腕をかざす。

 ボン、と弾ける音と共に、汚泥の玉は青い障壁に阻まれ、弾けて消えた。

 

『……?』

 

 攻撃は直撃したはずだ。カニはそう困惑しているのだろう。

 

『ブシュシュシュ……』

 

 私がまだ無傷であることに気付くと、再び口の中から泥を絞り始める。

 もろもろと溢れてくるヘドロが、真下の私目掛け、滝のように降り注ぐが……。

 

「へっ」

 

 接触する度に弾けて振動するバリアーは、粘着質の液体であろうとも構わず外へ散らしてしまう。

 ヘドロは私に掠ることもなく、遠く離れた金網の下へ落とされていった。

 

「……ん」

 

 今も尚、開きっ放しの蛇口のように泥を落とし続けるカニの魔女。

 けどおかしい。吐き出す量が、あまりに尋常じゃない。

 

 この量の泥、まるで……自分の身体まで、全て吐ききってしまうような……。

 

『──ブシャッ!』

「!」

 

 足元の金網が、巨大なハサミに引き裂かれた。

 

「下……う、わっ!?」

 

 足元の金網から姿を見せたのは、カニだ。

 天井に居た魔女と同じ、カニの魔女。

 魔女が複数いる。そんなはずはない。

 

 いや……自分を泥状に落として、足元の金網で再生したのか! 

 

「あっぶな!」

『ブシュ』

 

 ハサミの二裁ち目で足場を無くされる前に、飛びつくようにその場から離れる。

 金網の上を転がりながらも、なんとか奈落への落下を防ぐことはできた。

 

『ブシュ……』

 

 網に空いた大穴から、ヘドロ色の巨大蟹が姿を現した。

 濁った色も溶けかけた姿も汚らしいが、口元でぶくぶくと音を立てる気泡が一番不快だ。

 

「顔を潰す」

 

 だから狙いはそこ。

 篭手の左腕とサーベルの右腕を両方前に出し、魔女へゆっくり歩み寄る。

 私には最強の盾がある。いくら相手に近付いても、その鋭利なハサミでやられることは有り得ない。

 隙を見せた瞬間に、サーベルで一突き。それでゲームセットだ。上手くいけばね。

 

『ブクブクゥ……』

「──」

 

 

 ──なんてことは相手も解っているはず

 

 ──じゃあ何故こいつはその場から動かないのか

 

 

「さやか!」

 

 ほむらの声に反応するより先に、私はバリアーを展開した。

 

 魔女の攻撃がコマ送りのようにスローになる。

 死ぬ直前の冴える頭でないことを祈りたいが、目の前の光景はちょっと切羽詰っていた。

 

『──ブワッ』

 

 魔女の口に溜まっていた泡が大きく弾け、広い範囲に飛び散ろうとしている。

 目の前から来る泥飛沫だけならまだなんとかなるだろう。

 が、飛び散り、上から降りかかってくる泥までは防ぎきれない。

 

 後ろへ下がるだとか、上からのをマントで防ぐだとか、目の前の飛沫をバリアして急いで上からのもバリアだとか、そんなことは出来っこない。

 それはコンマ秒ほどの出来事でしかないのだから。

 

 この、ちょいと体を動かすだけしかできないような時間の中で、私が足掻けることは何か。

 

 ──あ

 

 

 あった。

 考えている暇はない。出来ると信じよう。

 

「うお、りゃぁっ!」

 

 私は右足で、正面に展開したバリアを蹴り付けた。

 相手の泡爆弾が炸裂したのと、バリアに蹴りが入ったのは、全くの同時だ。

 

 ああ、こんな無茶苦茶な蹴り方、小学一年の男子に混じってやったサッカー以来かもしれない。

 ただ力強く脚を前方に振り払うだけのキック。

 

「ぐっ!?」

 

 つま先だか足の甲だかがバリアに衝突すると共に、私の体を強烈な衝撃が襲った。それがバリアの“反動”であることは、すぐにわかった。

 

「うわ、っぐぁ!」

 

 金網の上を二、三回バウンドし、ようやく止まる。

 目算八メートル。私がバリアと接触することで弾かれた距離だ。

 

『ブシュシュ……』

 

 だけどそのおかげで、泡の散弾攻撃を避けることには成功した。

 その場でバリアを広げているだけでは、魔女の泥を少なからず浴びていたことだろう。

 

「……」

 

 魔女の攻撃は多彩だ。

 泥を垂らすことも、塊にして投げることも、弾けさせて散らすこともできる。

 魔女の全身が泥なのだから、接近武器を持つ私にとっては確かに、苦手な相手と言えるだろう。

 

 けどもう大丈夫。

 今ので私は、私が思いつく限りでは最高の戦術を閃いた。

 

『ブシュゥウウッ!』

「よぉーし! そろそろ本気でいっちゃうぞっ!」

 

 魔女が口元で泡を溜め込み始める。

 同時に、私は姿勢を低く、その場でジャンプした。

 銀の左手を、足元へと向けて。

 

「せいっ」

 

 自分で展開したバリアーを自分で踏みつける。

 

「──うわっ」

 

 同時に高層ビルを一気に昇るエレベーターのような強い重力が全身にかかる。

 

「っわ、これ、予想以上っ……!」

 

 そんな感覚に意識を手放していたわけではない。

 ほんの少しだけ驚いて、注意がそれていただけなのだ。

 

 それでも私の体は確かに、結界の天井近くにまで打ち上げられていた。

 

「飛んだ……!」

 

 私は理解した。私自身が生み出した願いの形を。

 

 全てを守れるほど強くなりたい。

 守るためのこの手を、より遠くまで伸ばしたい。

 そのワガママな願いは、より克明に魔法の中へ取り込まれていたのである。

 理屈っぽい頭ではなかなかそれを自覚できていなかっただけで。

 

「これなら──勝てる!」

 

 虚空に左手をかざし、バリアーを蹴り付ける。

 バリアーの反動が推進力を生み、体は目にも留まらぬ速さで空中を駆けてゆく。

 

 

 ──すごい

 

 

 縦横無尽に魔女の周囲を飛び回る。

 

 

 ──翼でも生えたみたい

 

 

 しばらくの間めまぐるしく跳び回り、ついに無防備な魔女の背後へやってきた。

 カニはもう、私の姿を見失っている。

 

「……さやかちゃん流──ぶっ飛びパンチ!」

 

 至近距離からのバリアパンチ。

 バリアが持つ反動の衝撃は強く、泥で塗り固められた魔女の体積のほとんどを爆発させてしまった。

 泥飛沫は全てバリアに阻まれ、こちら側へは跳んでこない。

 

『──ブシュゥ……』

 

 そして魔女の体の中心部分に、小さな紅いビー玉のような本体を発見した。

 異質な物体だ。あからさまに弱点だって見た目してる。

 

「六甲の閂」

 

 静かなサーベルの横一線がビー玉を断つ。

 するとヘドロの魔女はその場で崩れ、金網の下にすり抜けて見えなくなった。

 

 試合終了。私の勝ちだ。

 

「……お見事。本当に、お見事よ」

「……へっへ」

 

 入り口からの控えめな拍手に祝福されながら、結界は形を失ってゆく。

 

 

 

 落ちてきたグリーフシードを掴み取り、ほむらへと投げ渡す。

 突然の送球に二、三度お手玉しながらも、彼女はしっかりとキャッチした。

 

「……バリア。それを利用した空中での高速移動。ワルプルギスの夜と戦うには十分に使える魔法ね」

「相性良いってこと?」

「剣が届く、それだけで心強いわ」

 

 確かに、上空何百メートルの相手に攻撃を当てるには、この能力はうってつけだ。

 フェルマータを連続発射するわけにもいくまい。弱いわけじゃないけど、あれは燃費が悪いからね。

 

「……できれば、杏子とも協力関係を結びたいのだけど」

「んー」

「けど……それよりも先に、巴さんとも対ワルプルギスの話をしなければならないわね」

「マミさんなら絶対に協力してくれると思うよ。ほむらの話は信じてくれるとも思う」

「……さあ、そう上手くいくかしら」

「大丈夫だって、私もいるしさ」

 

 苦い表情の詳しい訳は知らないけど、マミさんならワルプルギスの夜とも共闘関係を継続してくれるはずだ。

 

 

 

 さて。

 杏子と大暴れしてから何日も戻らなかったことなどについては、両親からの激しいお咎めを受けました。

 仕方ないです。ごめんなさい。

 けどさやかちゃんは今日から一週間、悪い子になります。

 

 まぁ仕方のないことだ。対ワルプルギスの夜作戦会議、その準備、きっと色々あるだろうからね。

 ひょっとしたら、私の人生の中で一番忙しい一週間になるかもしれない。

 力及ばずで、後悔はしたくないから。

 

「……」

 

 ベッドの上でソウルジェムを眺める。

 澄んだ青の輝きに、改めて自分のあり方を夢想するのだ。

 

 小さい頃から願い続けてきた強い自分。

 全てを守ることができる自分。

 大海の青の深みの中に、私の願いは込められている。

 

 この海を、迫り来る敵にぶちまける時が近付いている。

 

 心躍るといったら、ほむらに対しての配慮がないかもしれない。

 けどやっぱり、心躍ってしまうんだ。

 

 だって、なかなかいないと思うよ? 

 この世界には、大切な何かを守りたくても守れない、そんな人はいくらでもいるのだから。

 

 守る力を手に出来た幸運に感謝をしながら、私は目を閉じた。

 

 明日はまどかやマミさんと話ができたら、いいなぁ。

 

 

 

 


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