全てを守れるほど強くなりたい   作:ジェームズ・リッチマン

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そこで私が望んでしまったから

 † ──月──日

 

 

 暁美ほむらは小さな足音に筆記の手を止めた。

 肉球が床を叩くその音は、歓迎しない来客の証だった。

 

「暁美ほむら。君が時間遡行者であることはわかっている」

 

 インキュベーター。彼が目ざとく暁美ほむらの能力を見破るようになってから、そこそこの時間が経っている。

 

「そして“無駄な足掻きはやめたらどうかな”とでも言うのでしょう。百回以上は聞いた言葉だわ」

「……やはりね」

「さっさと出て行って頂戴、インキュベーター。あなたの言葉にはもう、煩わしさしかないの」

 

 インキュベーターは暁美ほむらにとっての天敵だ。それは今でも変わらない。

 しかし、強い殺意も今となってはほとんどがルーチンワークに組み込まれ、嫌悪感とは結びつけ難くなっていた。

 

「出口はあっちよ。さようなら」

「そういうわけにはいかない。僕は交渉に来たんだよ、ほむら」

「……」

 

 交渉。それは聞きなれない言葉だった。

 つい興味本位で顔を上げてしまう。とはいえ、そこに佇む白猫を模した宇宙人に、変わった所などはないようだが。

 

「この交渉を成功させなければ、僕の個は本幹領域に同期できなくなってしまった」

 

 話す言葉はこれまでにないほど異質だ。

 

「……どういうことかしら」

「聞いてくれるのかい? ありがとう。これから話すことは、君にとってデメリットを減らすものとなるだろう。だから、よく聞いてほしい」

「……」

 

 悪魔の提案。気乗りはしないが、閉塞的な現状に新しい風が吹くならば聞くだけの価値はあるか。

 ほむらは肯定的に沈黙した。

 

「君の願いは時間遡行だね? それは僕も気付いている。けど暁美ほむら。その魔法が、鹿目まどかという一人の少女の因果を高めていることには、気付いているかな?」

「随分と前に聞いたわ」

「それを聞いてもなお、幾度となく遡行を続けているわけだ。まぁ、それはいいよ」

 

 引っかかる物言いだったが、キュゥべえは後ろ足で耳を掻くだけに留めた。

 

「率直に問題を言おう。暁美ほむら、これ以上の時間遡行はやめてもらいたい」

「断るわ」

「これは知性集合体からの要請でもある。僕というインキュベーター個人よりも高度な場所からの頼みだと考えてくれれば良い」

 

 受け入れ難い要請。そして初耳の単語。

 インキュベーター個人よりも高度な場所からの頼み。

 

「穏やかでは、ないみたいね」

「全くその通りだよ。さて経緯を説明しようか」

 

 インキュベーターは積み重なるファイルの上に腰を下ろした。

 

「君の宇宙結束によって、平行世界の特定値は上昇し続けていた。これは何十回程度の結束であれば問題ないレベルの偶然として片付けることができるのだが……さすがに数千を越えるのはやりすぎだね。鹿目まどかの因果量、そして魔力係数は臨界を迎えつつある」

 

 暁美ほむら。彼女は既に、何千回もの時間遡行を繰り返していた。

 ワルプルギスの夜を破壊するためにありとあらゆるものを用いて戦ってきた彼女だったが、未だに確定的な勝機は掴めていない。

 諦めはしないが、現状は頭打ちに近かった。

 

「仮に知性集合体を、そうだね。スペースと呼ぶけれど。スペースはついに、鹿目まどかという個体に対して第二種の警戒令を発動した。けれど僕たちが鹿目まどかの因果異常を観測し認識できるのは、君たちの日付で言うところの十六日のその日からだ」

 

 数千繰り返されてきた時間と、まとめられ続けた因果。

 それはほむらが時間遡行を発動した始点より唐突に発現する。

 予兆なく生まれる莫大なエネルギーは、上位者を騒然とさせるに足るものだった。

 

「こんな辺境の星に、しかも一ヶ月以内に対応者を派遣する方法はない。対処できるのは、駐在しているインキュベーターの僕だけだ。しかも、干渉は現地生物への要請という遠まわしな形限定。端的に、僕たちはとても困っているんだ」

「要請とは」

「君にこれ以上の時間遡行をやめてもらいたいのと……暁美ほむら、君に宇宙結束の解除をしてもらいたい」

 

 交渉らしくはなってきた。しかし。

 

「……やめたくはないし、解除の仕方なんていうのも知らない」

 

 彼女の目的はまどかの救済だ。それをやめるわけにはいかない。

 知らないことを実行することもできない。交渉は成立していなかった。

 

「そうか。では最初に、理由を説明しなくてはならないね。……まず、これ以上の時間遡行はNGだ。契約上強制はできないのだが、やめてもらわなくては全宇宙の生命が死滅するかもしれない」

「……」

「君なら僕が嘘をつかないことは理解しているんじゃないかな? 本当のことだよ。鹿目まどかの因果量・魔力量は、もう容量限界に達しつつある。臨界を迎えようとしているんだ」

 

 それは暁美ほむらにも心当たりがある。

 ここ数百回近くの時間遡行において、魔女と化した鹿目まどかは途方も無い力を発揮するようになっていた。

 地球上の光が消え、太陽の輝きが著しく減ずる。理由はわからないが、それを調べようにも世界はほむら自身でさえ数分も耐えられない環境へと変わってしまう。魔女化が確定した時点で時間遡行を行うのが最近の最善手だった。

 

「因果の臨界によって、鹿目まどかはその姿を保てなくなり、宇宙ごと歪ませてその存在を消滅させるだろう。ブラックホールなようなものをイメージすれば、君たちにとってはわかりやすいのだろうか。もちろん、そんなに生易しいものではないけれど」

「……嘘、ではないのね」

「こんな嘘を今更つくと思うかい? 暁美ほむら、君の時間遡行は無限ではないことを知っておいてほしい。これから先の遡行は、0.01%以上の確率で宇宙の死が待っていると思ってくれ」

 

 小数点以下の確率による不幸。しかし代償は宇宙の死だ。それは決してありえない可能性ではなかった。

 

「けど本題、要請の本懐はこっちにある。暁美ほむら、君による宇宙結束の解除作業をやってもらいたいという件だね」

「……それは何なの」

「簡単に言えば宇宙の治療行為だよ。君が鹿目まどかを軸に束ねた、一ヶ月間の宇宙たちを平行状に解き、元の状態に修復してほしい」

「……そうすれば、まどかの因果が消える?」

「完全消滅はしないけどね。おそらく、君が初めて出会った頃のまどかに戻るはずだ。魔法少女としての才能が消えることはないよ」

 

 それすら消えれば何よりだったのだが、そう上手くいかないらしい。

 

「宇宙結束の解除が行われれば、一点に集中した因果も無害な形で拡散する。宇宙は救われるわけだ。君にとってもデメリットはないはずだよ。その状態に戻せば、君は再び時間遡行を行うことができるのだからね」

「……甘言ね。どうせ何か裏があるのでしょう」

「僕たちにとっては、宇宙が無事であることは最優先事項だ。まどかの感情エネルギーなどはあくまでも二の次、生産品に過ぎないからね」

 

 いつも以上に明け透けに語るあたり、インキュベーターも懐を開いているのかもしれない。

 

「また時間を巻き戻し続けて、同じことになるかもしれないわよ」

「その間に君が事故死してくれることを願うばかりだよ、暁美ほむら」

「ふ、ついに包み隠さずに言ってくれたわね」

「こんなトラブルは何度も起こってほしくないからね」

 

 やれやれとでも言いたげに、キュゥべえは首を振る。

 

「要請を受け入れてくれるならば、君の遡行魔法に因果の修繕能力を付与しよう」

「そんなこともできるのね」

「魔力による発動形式は君独自の言語で構成されているために直接の干渉はできないが、君が僕らの協力を受け入れるならば話は別だ。魔法少女契約の上書き、というイメージが近いかな」

「遡行魔法と同時に、まどかの因果が修復されるのね」

「そういうことになる。一ヶ月間を未来から過去へと、因果の糸を解していくようにね」

 

 現状、キュゥべえからの提案は魅力的に思えた。

 ほむらは珍しく乗り気だったが、浮かれてはいない。

 

「その際のリスクはないのかしら」

「ある」

「……」

 

 断言だった。

 

「力を付与するのは僕らだけど、修復するのは君自身の魔法だ。誤作動が起こらない保障は、残念だが全くできない。全ては君の気の持ちようというわけだ」

「途中で私が死ぬことも、ありえるということかしら」

「時間遡行の失敗。何が起こるかは、僕にもわからないよ」

 

 魔法という力を与える割りに、その扱いについては無知な部分が多い。それがインキュベーターの歪なところであった。

 

「けれどそれまでの遡行距離に応じた因果の結束が解消されることは間違いないんだ。少しでも良い。君がまどかに集中した因果を解してくれるならば、宇宙の破滅は回避できる。そしてあわよくば、途中で君が死ぬかもしれない。これ以上ないイレギュラーが消滅してくれるなら、正直に言ってありがたいよ」

「……」

「気を悪くしたかな。でも、このままではまどかを中心にした破滅が待っている、それは間違いないんだ。けどこの要請に応じれば、デメリットは軽減されるだろう。君の取り分が多くなるかどうかは、君が自身の魔法を御すことが出来るかどうかにかかっている」

 

 平等とは言い難い交渉だ。

 しかし、断る余地も無いだけの理由も理解できる。

 

 このまま無策に遡行を続け、破滅を呼び込むくらいならば。

 そう思ったほむらは、素直に頷く他なかった。

 

 

 

「……」

「河原。ここで良いんだね?」

「ええ、広くて人が少ない。見滝原の中では、時間の流れとは無縁な場所でもあるわ。何かが起こるにしても、安全な場所がいい」

「なるほど、不測の事態に備えてのここでもあるわけだ」

 

 ほむらとキュゥべえは河原にやってきた。

 周りには誰もいない。遠くて車の走る音が聞こえるくらいだ。

 

「……それにここは、かつて私がまどかと一緒に研鑽を重ねた場所でもある。ここで魔法を使うのが、一番リラックスできる。そんな気がしたの」

「なるほどね」

 

 感情のないキュゥべえは知った風な声色で相槌を打った。

 今更、ほむらもそれに目くじらをたてることはない。

 

「さて、暁美ほむら。これは新たな契約だ。これより君には、宇宙結束の解除を行ってもらう。それに際し、一度の時間遡行に限定した、結束宇宙を修繕する能力を付与する」

「ええ」

「……どういった形で君に魔法が発現するかは、僕にもわからない。それでも受け入れるかい?」

「今のままでは必ずまどかが死ぬのであれば、是非もない」

「良いだろう」

 

 ほむらの手にしたソウルジェムが、強く輝きを放つ。

 

「──受け取るが良い。スペースが君へ貸与する、救世の運命だ」

 

 

 

 ──……

 

 

 

「……」

「これで能力付与は完了した。どうかな、様子は」

 

 ほむらは暫しソウルジェムを握って、流入した感覚を咀嚼しているやうだった。

 

「……新たな能力の使い方を、理解した」

「それは良かった。作業に入れるかい?」

「ええ、問題なくいける。これなら、この能力があれば」

「よし」

 

 新たな力。他者の因果に介入する能力。

 それは大きな可能性を秘めているに違いない。

 

「……さて。これで君ともお別れになるわけだ」

「ええ、そうね。私にとってはしばらくだけど」

「それはわからない。修復中に君が次元の狭間にでも消えてくれれば、僕にとっては一番ありがたい結果だ」

「意地でも、また邂逅してみせるわ」

 

 ほむらはキュゥべえを睨みつけた。

 

「やれやれ。まあ、後のことは良いさ。好きにすることだね」

「……でも、言わせてもらうわ」

「何かな」

「さようなら、インキュベーター」

「ああ、さようなら、暁美ほむら」

 

 

 それから、ほむらはすぐに旅立った。

 

 

 

 ……──……―……

 

 

 

「さて、世界の修正が始まる」

 

 残されたキュゥべえは河原にて、一人世界の改変を待っている。

 因果の修復はこれまでの束ねられた世界を矯正するものだ。当然、今のキュゥべえも修正されるだろう。

 

「どうせなら僕のこの意識も一緒に、遡行してもらいたかったな。……この考え方を“寂しい”とでもいうのだろうか?」

 

 自己の消失。それに際した考え方が感情なのか、それを模倣したものなのかはインキュベーターには判別がつかない。

 

「まあ、どうでも良い事だ」

 

 こうして、世界はリセットされた。

 

 

 

 

 

 

 ……数多の世界線が、トンネルのように輪を成している。

 

 これがいくつもの世界。私が渡ってきた世界の因果。

 これが全て、まどかの因果になっていただなんて。……私は知らないうちに、これほどの……。

 

 ……左手の時計は、過ぎ去った景色を糸状に解して、内部へと巻き込んでいる。これがきっと“解す”ということなのだろう。

 時計の中に、今までまどかが溜め込んでいた因果が収束されているのがわかる……。

 

 これがまどかの抱えていた魔力……今考えてみると、空恐ろしいものだわ。

 

 ……出口を目指そう。

 一ヶ月前のあの日へ戻る。そして、また一から、今度こそ本当に、まどかを守ってみせる。

 

 強大な素質を持たないまどかであれば、インキュベーターの動きも激しくはならないはず。そうすれば動きやすさは格段に変わる。

 これはチャンスよ。ワルプルギスの夜を倒すための、またとないチャンス。

 

 ……待っていてまどか。今、もう一度会いに行くからね。

 

 

2011/15/68

 

 

 ……ああ、でも。

 今、時計が集めている因果……この魔力さえあれば。

 

 この特殊な時間遡行の魔法……他者の因果さえ操るこの力さえあれば。

 より綿密に、確実に、ワルプルギスの夜と戦うための準備ができる……そんな時間にまで、戻れそうな気もするけど……。

 

 

2010/333/333

 

 

 ──!?

 

 と、時計が!?

 嘘、どんどん周囲の時間を飲み込んでいく!?

 

「能力が……ぼ、暴走している……!」

 

 

2008/333433/322133

 

 

 とてつもない速さで遡行を始めている……! 

 だめよ、一ヶ月前! それ以上は戻らない! 

 

 止まって! お願い、私はそんなこと祈っていないの! 

 

 これ以上、戻ったら──

 

 

2006/08/03

 

 

 ──パキッ

 

 

 

 時計が内側から破裂した音を聞いて、私は自身の過ちを悟った。

 

 一ヶ月前以上の、明らかにオーバーしすぎた時間遡行。それによって、時計に付与された因果回収能力が限界を迎えたのだ。

 巻き込んでいた因果、その魔力は爆発し、私の最大の武器を破壊してしまった。

 

 

 ──終わった。私は直感した。

 

 

 今さっきまで通っていた、散歩道のような時間の狭間が、急に恐ろしげな空間に変貌したような気持ちさえした。

 

 時計のない私に、時間を歩く資格はない。

 狭間でさまよう資格すらも持ってはいない。

 

 結果として、時計の破壊と同時に、私の体はすぐ近くにあった時空壁へと吸い寄せられてしまった。

 

 

 どこかもわからない世界へと投げ出されたことを自覚すると共に、激しい眩暈を覚える。

 

 そして理解した。失敗したと。

 

 

 過去へときてしまった。

 

 そして、時計が壊れた。

 

 絶望的な未来が待ち構えている世界へやってきてしまったのだ。

 

 

 

「……ぐぁっ!」

 

 現実感のある砂利の上に叩きつけられるが、それは些細なことだった。

 自分の魔法を完璧に失ってしまったことに比べれば、本当に些細だ。

 

「ああ……私はなんてことを……!」

 

 破壊した時計からこぼれた因果の砂は、砂利の上に散っている。

 目に付くそれらの力を利用しても、未来へと遡行することは叶わないだろう。時空の中で失った力は、あまりにも大きかった。

 

 ……インキュベーターも思惑通りに事が進んでしまったというわけだ。

 

 因果は解消され、私はどこかもわからない、しかも過去の世界線へと飛ばされる。

 魔法は使えず、あとは魔女に殺されるのみ。

 

 

 

 私は。

 

 ……私は!

 

 

 

 

 

 † それはいつの出来事でもない

 

 † 誰も知らない出来事だった

 

 

 


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