とても怖いし、不安だけど
「じゃあ、もう学校に来るんだね?」
「ああ。松葉杖ついてでも、ちゃんと学生をやってみせるさ」
両腕に杖を抱えた恭介が病室内を歩いている。
リハビリの時間は設けられているが、それだけでは全然足りないということだろう。とはいえ、看護師さんに無断でやるというのもどうかとは思うんだけど。
今の彼は、それだけやる気に満ちているということだ。
「左手は絶望的といってもさ。逆に考えてみれば、別に利き手じゃないんだぜ。まあ、確かに楽器は難しいかもしれないよ。でも、他の事ならいくらでも出来るはずだよね」
彼は良い顔をするようになった。
無茶をしているわけでもない。強がりではない。
病室の隅に積まれている学校用の道具が、恭介の前向きな気持ちを表していた。長い時間をかけて、彼なりの道筋を立てたのだろう。
ようやく立ち直ってくれた。遅いよバカと背中を叩いてやりたいけど、まぁ、そこらへんの激励は身体が完全に治ってからにしてやりましょうかね。
「学校の勉強も、ちゃんとやらないといけないね。サボりすぎだよ、恭介」
「ああ。さすがにこれから取り返していかないと大変だよ……」
「へへ、さやかちゃんが懇切丁寧に教えてしんぜようか」
「いやいや、そこまで困ってるわけじゃないさ……けど受験の時は、少し頼むかも」
「うむ、どんどん頼りたまえ」
テーブルの上には、見慣れない管楽器関係の本がいくつか置かれている。
もしかすると恭介は、あの本の中から新たな道を見つけたのかもしれない。
未来からやってきたほむら。だからこそほむらは、恭介を知っていた。
転校してきてすぐに彼の病院を訪れたのには、そんな裏があったってわけだ。
繰り返す時間の中で、私が深く関わっていた人物。それが恭介だ。なるほど、病室を知っていてもおかしくはない。
未来から来た。
それだけで、随分と色々な疑問が解決した気がするよ。
もちろん本人は全てを語ったわけじゃない。
長い間繰り返してきたのだ。その全てを事細かに言えるはずもないだろう。言いたくないことだってあったはずだ。
私の中でまだ腑に落ちない点もいくらか残ってはいるが、そこはミステリアスなほむらの謎ということで、保留のままにしておこうと思っている。
「あれ? もう良いの?」
病室を出て待合室まで戻ると、まどかが幾分拍子抜けした顔で迎えてくれた。
「うん、すっげー元気そうだったよ。そろそろ復学するんだってさ」
「本当? 良かったねぇ」
今日は日曜日ということで、まどかと一緒にお出かけしている最中だ。
恭介の見舞いに付き合ってもらい、これからマミさんと合流する所である。
既にほむらから決闘の話は通っているらしく、数日ぶりの再会では涙目でお叱りを受けて参ったものだ。
杏子との決闘で大怪我をしたこともしっかり伝わっているらしい。
「さやかちゃんも怪我には気をつけないとダメだからね」
「あ、あはは……けどあれは、杏子の容赦がなさすぎたってだけだし……本気で殺す気でこられちゃさぁ」
「さやかちゃん」
「ごめんなさい」
まどかでこれだと、マミさんはどういう反応で迎えてくれるのだろうか。
私、ちょっぴり怖いです。
「ねえ、さやかちゃん」
「ん、なに?」
「杏子ちゃんのこと、そんなに嫌いじゃないんでしょ」
「……」
なーんでわかっちゃうかな、まどかには。
「最近のさやかちゃん、すっごく気分良さそうだもん」
「へへ、顔に出てた?」
「さやかちゃん、人の顔色を読むのは上手だけど、自分の顔色を隠すのは得意じゃないもんね」
「む、むむ……」
言われてから、携帯のブラックモニターにむっつり真顔を映してみる。
わ、わからん。そんなに出るのかな?
「杏子ちゃんと喧嘩して大変なことになったって、ほむらちゃんは言ってたけど……そんなにひどい喧嘩じゃなかったんだね」
「ははは、まぁ、ひどいっちゃひどいんだけどねー……」
後腐れが一切無いっていう意味では、そうだけどね。
私が杏子とバカしてた間、マミさんはまどかを連れて魔女退治を続けていたらしい。
ほむらも居ないのに、一対一でのレクチャーとは。
魔法の新技を身につけてから得た自信は、かなり大きいようだ。
私もその気持ちはよくわかる。
強くなったんだから油断してるってわけではないんだけどね。ま、浮かれちゃってますね、ってところかな。
橋の下では、マミさんが黄色いバランスボールのようなものに腰かけて待っていた。
なにそれ? って聞きたいけど最初に言うべきはそれじゃない。大事なのはファーストコンタクトだ。
「こんちわっす」
まずはいつも通りの挨拶。可能な限り愛想良くして空気を和らげる作戦だ。
「美樹さん」
あっ、これダメなパターンだ。
マミさんはボールから立ち上がると私たちに手を振って、しかしすぐに頬を膨らませ、むくれた。
「また無茶をしてっ。佐倉さんと戦ったんですって?」
「面目次第も反省もございません」
「えー」
「開き直らないのっ」
「いやいや、でもマミさん。杏子との戦いで、私も成長したっていうか」
「良い訳無用っ! 勝手に危険なことをして、万が一があったらどうするの!」
「はい……」
「そうだよ、すごく心配したんだからね?」
バランスボールが帯状に解け、一条の長いリボンとなって地面に落ちる。
「あ……それ」
「ああ、これはちょっとね。自分の魔法、やっぱり色々と試しているのよ」
「はぁ……」
「……けど、これはこれ。自分の力を試してみたい気持ちはわかるわ。でも、死んでしまうような無茶はいけないわ。私たちは友達で、仲間なんだもの」
正論すぎる……。
「すみません……」
「わかればいーんです」
優しいお説教を終えると、話の流れは手作りお菓子や、手作り紅茶の方面へと変わっていった。
数日振りの世間話にほっこりし、またマミさんとも、ほむらから送られてきたメールについての話で盛り上がりもした。
とにかくほむらがやってくるまでは、そんなとりとめもない、しかし掛け替えのない日常を過ごしていたわけだ。
「それでですね、ユウカちゃんたら自分から……」
「あらまあ、そうなの?」
「もうみんな大爆笑ですよー。だって顔真っ赤にして、本当にふやけるまで舐めるもんだから……」
「遅れてごめんなさい」
鉄橋に声が反射し、響いた。
土手の上を見上げれば、そこにはほむらの姿が認められた。
「こら、遅いぞー」
「色々と準備のために動いていたのよ。でもごめんなさい」
準備とは例のワルプルギスの夜関係であろう。
きっと、現代兵器か何かの準備に違いない。法律、何個くらい抵触してるのかしらね。
「ううん、気にしてないわ」
「やっほー、ほむらちゃん」
「……や、やっほ」
四人が揃い、ほむらの用意した折りたたみのキャンプ用チェアに腰を下ろした。
焚き火を囲うわけではなく、あくまで長話をするためのものだ。
「メールで、話があると聞いたけど……」
「私も聞いてていいのかな……?」
「ええ。決心がついたから、みんなに聞いてもらうつもり。もちろん、まどか……貴女にも聞いてほしいことよ」
それは、今までひたすら隠してきた真実を曝け出す決心だ。
一気に関係が崩れるかもしれない。そんな突飛な、しかし紛れも無い事実を打ち明けるのだ。
今の、それを傍で見守る立場になってようやく解ったことだけど、話し始めるほむらの恐れや不安は、並のものではないだろう。
「これから、みんなとはより一層、深い付き合いになってゆかなければならないから……その上で聞いて欲しいの」
ほむらは言葉のひとつひとつを選んで、ゆっくりと話し始めた。
まずはワルプルギスの夜についての事から、それを倒すための準備を整えていること、それは至上の目的であるということ。
そして、自分の過去の話へ推移していった。
もちろん、その中では魔法少女の仕様についても触れなければならない。
その時のほむらは、より一層身体を強張らせていたように見える。
マミさんは黙って、時々小さく頷きながら聞いていた。
ほむらの話す様子をじっと、見守るように眺め、時々も言葉は挟まない。
まどかは両手を膝の上で結び、小さな震えを閉じ込めながら、ほむらの告白に耳を傾けていた。
彼女には珍しいことだけど、その間、一度も地面を見なかった。
「私はずっと繰り返し続けてきた……」
未来からやってきたほむらの告白は、きっと二人に受け入れられている。
短い数日間の付き合いだけれど、それでもほむらが今になって酔狂な御伽噺をするとは、誰も思っていないだろう。
「……」
いつの間にかほむらの後ろに現れた白猫も、それを疑ってはいないはずだ。
逆にキュゥべえの存在は、話を裏付ける良い役目になってくれるかもしれない。
川の流れだけを背景音に、話は続き、そして終わった。
終始誰も声を荒げず、思いのほかスムーズに。だからこそそれに戸惑うように、ほむらは告白を終え、大きく息をついた。
「お疲れ」
「……ええ」
「……鹿目さんにそんな力が隠されていたなんて、驚きだわ」
マミさんは落ち着き払っていた。
ほむらはマミさんの反応を最も不安に思っていたようだったけど、予想に反して穏やかに見える。それはきっと表面的なものでもない。
「魔法少女が魔女に。それが本当なら、鹿目さんの契約を阻止する今までの行動には、納得できるわね」
「信じて欲しい」
「どうなの? キュゥべえ」
目を見開いたほむらの後ろで、キュゥべえが尻尾を振る。
「いやはや、驚いたよ。僕は仮説程度にしか考えていなかったけど、まさか本当に暁美ほむら。君が時間遡行者だったとはね」
「いつから」
「最初から聞いていたよ」
「……」
鋭い目が忌々しげに白猫を睨む。
この時、なるほど。キュゥべえを忌む理由になんとなく共感できた。
「ほむらちゃん……ずっと、私なんかのために頑張ってきたんだね」
「……自分を卑下しないで、まどか」
「……ごめん、そうだね。そういうのも、いけないんだよね。大丈夫……うん。わかったよ、ほむらちゃん」
「まどか?」
「安心して。私、大丈夫だから。もう、絶対に契約しないから」
「……」
普段は弱気なまどかも、今は決意を込めた目で、ほむらにそう言ってみせた。
ほむらはただ頷いた。
「ねえキュゥべえ、どうしてそんなことを隠してたの? ソウルジェムが、グリーフシードになるだなんて」
先ほどまでは穏やかだったけど、今のマミさんは少し悲しそうだった。
長年キュゥべえと一緒にいたものだから、今の話によるギャップは大きかったのだろう。
「聞かれなかったから言わなかっただけだよ」
「聞かれなきゃ言わないなんて、聞きようがないじゃないの。それって詐欺よ」
「あっはは、確かに」
「……」
「すみません」
皆がキュゥべえを囲んでの、剣呑な雰囲気にあった。
気まずい。実に気まずい。
まぁ、ほむらの話を聞いたらそれも無理はないんだろうな。
「……ねえ、キュゥべえの目的って、その、本当に、私達を魔女にすることなの?」
「希望と絶望の相転移。それによるエネルギーの回収が目的だよ。だけど、僕らは別に人間を憎んだりしているわけじゃない。それは誤解しないでほしいな」
「あくまで魔法少女の精神“ケア”は怠らないってことでしょ?」
「もちろんだよ」
とは言うけどね。
「悪い方向にも、良い方向にも動かせるわけだ。その時の状況や収支。必要に応じて、魔法少女への接し方も変えるってことね」
キュゥべえが私の方へ顔を向けた。
意識せざるを得なくなった、という反応だ。
顔をずっと向ける、目を逸らせない。それがどういう意味を持ち、人にどう映るのか。心を持たないキュゥべえにはわからないだろう。
「まぁでも、私はキュゥべえの言葉に心動かされることはないだろうし、魔法の力をくれたことには感謝してるから、良いんだけどね」
「さやか、僕が言うのも何だけど」
「ん?」
「君は変わっているね」
「ほんと、何だね」
私とのやりとりで、河原のこの場の空気が少しだけ暖かくなった気がした。
「……お茶菓子はつまみ食いするし、飲み物の器はよくひっくり返すし。キュゥべえは本当に嫌な子ね」
「嫌な子って」
「駆除すべき害獣よ、嫌なんてものじゃない」
「害獣って」
「え? キュゥべえって獣なんでしょ?」
「どうせなら宇宙知性体とでも呼んでもらいたいな」
白猫を指すには、ちょっとばかし仰々しい呼び方すぎやしないかな。
テクノロジーは遥かに上の存在なんだろうけどさ。
「はあ、全くもう……でも、今までキュゥべえのおかげで私が魔法少女を続けてこれたっていうのも、変わらない事実だわ」
「……巴さん。あなた」
「だから、キュゥべえ。あなたはもう当分の間、おやつ抜きよ」
「そんなー」
ざまあ! マミさんのお菓子を食べられないなんて、可哀想に。
せいぜいしばらくの間、美味しそうに食べる私たちの姿を見てハンカチを噛んでいるがいいさ。
「おっほん」
……さて。話を転換する咳払いをひとつ。
「あー、そういえばほむらの話だと、キュゥべえは嘘をつかないんだよね?」
「僕らはそういう生き物ではないからね」
「なら安心だね……じゃあワルプルギス対策のために、さてと」
「え?」
ひょい、と白猫を持ち上げる。
顔を両手でしっかりとホールドし、私の目の前に。
「んっふっふ……逃がさぬぞよー……」
「……」
「さやかちゃん、怖い」
というわけで。
キュゥべえへの尋問タイム、始まります。