改装中のフロアはお化け屋敷のような殺風景さだったが、今はそれすらもまだマシだと思える悪趣味な空間へと変貌していた。
ダークな色合いの絵本でコラージュでも作れば、ちょうどこのような光景になるのかもしれない。
意図不明のオブジェが立ち並び、遠くの方では奇妙なお髭の綿飴らしき生き物がうろついている。
不思議。ただ、それだけでは言い尽くせるものではない。
どこか危険な臭いもするメルヘン。
推察するまでもない。ここは危険だ。
……一刻も早く、抜け出さないと!
「ていうかまどかっ、その、生き物!? そいつのせいじゃないの、これ!」
「わ、わかんない、わかんないけど……この子、助けなきゃ……!」
まどかと並走する。走って抜けられる世界なのかどうかはわからないが、それに賭ける他ないシチュエーションでもあった。
さっきから遠くにいるもじゃもじゃの変なやつが、こっちに近づいて来ようとしてるしねうう!
「助けてとは言われてたけどさっ、私達にどーにかレベルじゃないと思うよこれっ!」
「け、けどっ」
「まぁなんにもわからないし、見捨てたりはしないけどさぁ……ッ!」
目の前に広がるソレを見て、思わず立ち止まった。
「きゃっ……」
勢いづいたまどかの肩を掴んで、私の傍に引き寄せる。
すぐ目の前を、禍々しい有刺鉄線の束が通過していった。
今のまま走っていたら、鋭いトゲに巻き込まれていたかもしれない。
「あ、ありがと……」
「……ここ、どんどん道が変わっていく」
一歩退く。
さらに二歩退く。
……物理法則、仕事しろよ。どうしてあんな無機物みたいなものが勝手に動くんだ。
左右を確認する。
今目の前を掠めて行った有刺鉄線らしきものは、既に私達の周囲を広く囲んでいた。
「……これって、もしかしてまずいんじゃない」
悪夢のようなこの異世界について、私はほとんど知らないけれど。
たった今、悪意ある“何か”に捕まったという事実は、私にも理解できた。
『Das sind mir unbekannte Blumen!』
『Ja, sie sind mir auch unbekannt!』
『Schneiden wir sie ab!』
不思議な歌と共に近づいてくる綿毛の生き物。
まどかの抱える猫とは全く別次元の、恐ろしげな姿。
手元にある大きなハサミからは、私達への害意しか感じられない。
少なくとも、お友達になってほしいようには見えなかった。
「どうしよう……!」
「……落ち着いてまどか、大丈夫、今考えてるから……!」
有刺鉄線の内側に入り、のろのろ近づく奇妙な綿毛達。
どんどん中央へと追い込まれていくけれど、どうしようもない。万事休す。
けど、考えろ。私にしかできないんだ。考えろ。
この状況を乗り切るにはどうすればいい。
――どれか一体を無理やりに蹴散らす?
――根性で有刺鉄線を乗り越えるか……
――切れ味次第だけど、ハサミを無理やりこじ開けられる?
――投げられそうなものは無い?
――こんな時に木刀でもあれば
思考は巡る。けど答えは出ない。最善策と呼べるものが浮かばない。
駄目だ。甘えるな。私とまどかの両方が助かる道を探すんだ。
ああけど、それでも無理なら。次善策が取れるとするならば。
――そうね、私はどうかしら
――家族や友達は、とても大切よ
――けれどそれを守るためなら、天秤にかける自分は遥かに軽い
――そのくらいにはね
あの時のほむらの言葉を、ふと思い出した。
答えを聞いた時はいきなりだったし、“ほああ”とか、“変な子”くらいにしか思わなかったけれど。
ああ。心の奥底ではほむらと同意見だったんだな。
ふっと微笑む。
次善策。良いじゃないの。
まどかを有刺鉄線の向こう側に逃がす。それならどうにかできるかもしれない。
「ねえまどか」
「う、うんっ……!」
彼女の肩を掴み、目を見る。
優しい目。言えばきっと反対するだろう。
けれど、時間がない。周囲には謎のモンスターが迫っている。
無理やり説得してやらなくては。
「まどか、落ち着いて聞いて、ここから抜け出す――」
決意を込めた作戦を伝えようとした時、私達の周囲は山吹色の閃光に包まれた。
「うっ……あれ?」
「これは……?」
眩しさのあまり、目をほとんど瞑っていたので全てはわからなかったけれど……一部だけは垣間見ることが出来た。
金色の光が飛び交って、綿毛のお化けを蹴散らし、有刺鉄線を砕いていくその様を。
「危なかったわね。でももう大丈夫」
落ち着いた雰囲気の声の主は、階段を降りてやってきた。
それは、ちょっと不可思議な格好はしているけれど……とても綺麗な女の子だった。
それはまるで、ほむらと同じような……。
「あら、キュゥべえを助けてくれたのね、ありがとう」
九兵衛?
「その子は私の大切な友達なの」
「友達……」
「……」
白い猫を見て彼女は言った。
名前か。なるほど、白い猫はきゅうべえというらしい。
「あ、あの。私、呼ばれたんです、頭の中に直接この子の声が……」
「ふぅん……なるほどね」
「私も聞こえました」
「あなたもね? まあ当然か」
垂れ目が私達の姿を流し見た。
上から下まで。服を見ている? いや、制服の学年を観察しているのか。
「その制服、あなたたちも見滝原の生徒みたいね。二年生?」
「あなたは?」
「そうそう、自己紹介しないとね……でも、その前に……ちょっと一仕事、片付けちゃっていいかしら」
ああ。今日は驚くことの連続だ。
白い銃が宙に舞い、列を成し、宙に固定される。
「うわー……」
終始、口を開きっぱなしだったと思う。
大量の銃から撃ち出される光弾。降り注ぐ衝撃。倒れていくモンスターたち。
それは、大玉の花火を目の前で何発撃たれても足りない衝撃だった。
今なら、材質不明の砂埃が肺に入っても気付けないだろう。
目の前で繰り広げられた巻き毛少女の射撃ショーは、私の人生で遭遇したことのないような、綺羅びやかでいて鮮烈な見世物だった。
「す、すごい……」
「……空間が戻っていく」
辺りを光弾が一掃したところで、風景はもとの寂れたフロアに戻っていった。
そして私は、灯りの無い部屋が端まで見渡せないことを思い出す。
フロアの奥から、慎ましい足音が聞こえてきた。
「魔女は逃げたわ。仕留めたいならすぐに追いかけなさい」
巻き毛の人が闇へ話しかけると、言葉に応えるように人影が現れた。
仏頂面の転校生、暁美ほむらだ。
「今回はあなたに譲ってあげる」
「私が用があるのは……」
「飲み込みが悪いのね、見逃してあげるって言ってるの」
言いかけたほむらの言葉を遮るように、女性は強い口調で畳み掛ける。
……“見逃してあげる”。荒っぽい表現だ。
二人の関係がなんとなく浮かび上がってきた。
「お互い、余計なトラブルとは無縁でいたいと思わない?」
「……」
けれどほむらの顔には、何か別の感情があるように見える。
どうしても引き下がりたくない。
もどかしさ……それに似た感情。
逡巡があったものの、ほむらの姿は闇の中へ翻っていった。
「……ふぅ」
まどかは事態の騒乱に収集がついたことへの安堵で。
「はあ」
私は正体不明のやりきれない気持ちを吐き出すために、ためいきをついた。
「ありがとうマミ、助かったよ」
「お礼はこの子たちに、私は通りかかっただけだから」
今更かもしれない。けど私は改めて、顔を硬直させて驚いた。
猫が喋った! と。……本当に今更なんだけどね。
「どうもありがとう。僕の名前はキュゥべえ!」
「あなたが、わたしを呼んだの?」
まどかの順応性は、私にはよくわかりません。怖くはないのかな……。
「そうだよ、鹿目まどか。それと美樹さやか」
「……え……何で、私たちの名前を? 怖……」
「僕、君たちにお願いがあって来たんだ」
「お……おねがい?」
助けて、とはまた別に?
……いや、普通に怖いんだけど……。
「僕と契約して、魔法少女になって欲しいんだ」
……ああ、そういう……。
ほむらの姿や、マミと呼ばれた女の子の姿を見て、そんな連想はしていたけれど。
まさか本当に魔法少女なんて単語が飛び出てくるとは思わなかったよ……。