全てを守れるほど強くなりたい   作:ジェームズ・リッチマン

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……来る

 早朝前から、街は慌ただしくなったのだと思う。

 窓は揺れてガタガタ騒ぐ。植木は割れる。自転車は倒れる。ビニール袋は空を飛ぶ。

 いつもと違う空模様であることは明白で、気象庁からの事前発表もなかったので予兆も何もない恐怖が、眠りからさめたばかりの町中に広まっていた。

 

 総じて、住民たちの目覚めは早い。テレビをつけなくても最寄りのスピーカーが「避難しましょう」と叫んでいるので、危機感を煽られての避難率は高いはずだ。

 うちの家族も、多分。熟睡している頃合いだとしても、起きたはずだ。

 私は事前に他の子のうちに泊まることを伝えてあるから、両親に心配をかける事は無いだろう。

 

 

 :今あっちの避難所にいるんだ。すっごい広くて快適だよー

 

 

「……よし」

 

 嘘をついた。

 けど、この嘘が誰かを安心させるのなら、私にとってはそれが正義だ。人さえ守れれば悪い子だろうが不良少女だろうがどうだっていい。

 無駄に時間をかけて打った文面を家族宛てに送信し、私の携帯は本日の業務を終えた。

 

「うん。じゃあ、行きましょうか」

「はい」

 

 そんな私の一連の姿は、マミさんに見守られていたらしい。

 ……ちょっと恥ずかしいな。

 

「二人とも早く、置いてくわよ」

 

 ほむらの後を追い、所定の位置を目指す。

 

 見滝原に、ワルプルギスの夜がやってくる。

 

 

 

 避難警報は人気のない工場地帯でおっとりした声を上げ続けている。

 私たちはそれぞれ予定通りのポイントへ到着し、ギリギリにテレパシーが届く間隔を開けて、曇天を見上げていた。

 

『……胸騒ぎが、どんどん強くなっていくわ』

 

 マミさんの声は強張っている。

 

『たしかに。魔王でも降りてきそうな空だなぁ』

 

 遠くで渦巻く黒い雲は、目に見える速さでこちらへ向かっている。

 その雲がワルプルギスの夜なのか、その余波にすぎないのか、それはまだわからない。

 ただ、自然災害級の強大な力がこちらへ悪意を向けている事だけは、強く実感できた。

 

『予定通りの動きで、ワルプルギスの夜を攻撃するわ。周りに現れる魔女や使い魔には注意して』

『了解』

『おっけー。兵器のタイミングはほむらに任せるよ』

『ええ。けど私から指示があったら』

『私たちが手動で発動させるのもアリ、ということね』

『慣れてないけど、教わった通りにはやってみるよ。……覚えてればね』

『ええ、十分。贅沢すぎるくらい、万全よ』

 

 やれやれ。結構付け焼き刃なんだけどな。

 ……それでもほむらはずっと、今よりもっと不安定な状況で戦ってきたわけだ。

 

「しゃーない、勝たせてやりますか」

 

 誰にも聞こえないように軽口を叩き、私は首を鳴らした。

 

 

 

 霧が立ち込める。

 

 どこからともなく、足音がやってくる。

 川の向こう、すぐそこからだ。

 

「……」

 

 小さな使い魔が足元を通り過ぎ、去って行った。

 それを皮切りに、次々に使い魔らしき生物が姿を現してくる。

 

 巨大な象が。犬が。ライオンが。白馬が。

 見たこともない柄の万国旗を引きながら、祭りの開幕を祝うかのように、練り歩いてくる。

 

 伸びる万国旗の終端に目線は移った。

 

 

『アハハハハ! アハハハ、アハハハハ!』

 

 

 姿の霞みようから、それはかなり遠くにいるはずの魔女だ。

 なのに、その姿は巨大に見える。

 

 デカい。それだけで、凄まじい威圧感。

 ついにワルプルギスの夜が現れたのだ。

 

「聞いてたまんま、ってだけに……ちょっとビビったよ、ちくしょう」

 

 思わず手が震える。それでも足は震えさせない。

 

 話通りの巨大な姿。

 今日はこいつを何十回、何百回分も倒さなくちゃいけないわけなんだけど。

 

「お昼ご飯に間に合いますかねぇ……!?」

 

 変身する。

 さあて……一世一代の戦いの始まりだ。

 

「行くよ、デカ魔女」

 

 ワルプルギスが姿を現したら、まずどう動くのか。打ち合わせは既に終えてある。

 

 まず、私とマミさんで攻撃する。

 序盤からワルプルギスの夜への総攻撃だ。

 街の中心部から離れている今だからこそ、容赦なく思いっきり叩くチャンスなのだ。

 

「街は絶対に守ってやる……“セルバンテス”!」

 

 左腕が銀の輝きに包まれる。

 装着されたガントレットに重さは感じられない。力が増した全能感だけが、皮膚の上に一枚、力強く張り付いている感覚だ。

 これさえあれば、私はなんだってできる。そんな気さえする。

 

『接近、開始するよ!』

『了解、無茶はしないで』

『私も行くわ!』

 

 河へと走り、軽く跳躍する。

 水面へ放り投げた体は、落ちればすぐに沈んでしまうだろう。

 けど今の私にはセルバンテスがある。

 

「はぁ!」

 

 左腕の籠手がバリアを出現させ、着地可能な足場となる。

 

「やあッ!」

 

 バリアは反発するバネとなって、私の体を空へと押しやった。

 

 まだまだワルプルギスの夜は高いし、遠い。もっと高く、もっと近づいてやろう。

 

 

 

『アハハハハ! アハハハハハハ!』

 

 

Walpurgisnacht

舞台装置の魔女・ワルプルギスの夜

 

 足を踏み出すごとに、バリアを展開。

 バリアの足場は反発する力によって私を押し出し、さながらリニアのように、身体は空を打ち抜いてゆく。

 

「ヒヒィン」

「パォオオ」

 

 いつの間にやら動物をかたどった使い魔たちは空に浮かび、統率性もなく無造作に走り回っていた。

 使い魔たちはワルプルギスの夜へ近づくにつれ、その数を増してゆく。

 

 けどワルプルギスの巨体を覆い隠せるほどの数がいるわけでもない。

 私は使い魔を合間合間を器用にすり抜けながら、着実にワルプルギスの夜へ接近する。

 

『よおし……正面っ!』

「キャハハハハ!」

 

 ワルプルギスの夜、前方100m。

 

『目標目の前! 交戦開始!』

 

 空中で二本のサーベルを生み出し、纏めてつかんで大剣アンデルセンに。

 左腕のセルバンテスと、右腕のアンデルセン。

 

「……ほんと、ゴジラ相手にしてるようなもんだね!」

 

 視界いっぱいに広がるこいつを相手に、右手の剣が通用するかはわからない。

 いいや、絶対に通用する。ただ、この戦いでは、それが目に見えないだけだ。

 

 弱気になるな、姿に気圧されるな。剣を握ったら戦闘開始だ。

 全てを賭しても勝てるかどうかの戦いだって、勝つ気で臨んで、そこではじめて全力が出せる。

 

「ぼっこぼこにしてやる!」

 

 素早く足場を展開し、百メートルの距離を一気に縮める。

 正面からの強風の壁が、私を拒むように吹いているが、まだまだその程度では、私の電光石火を止められはしない。

 

『アハハハ!』

「ヘラヘラうっさい!」

 

 目の前に、ワルプルギスの巨大な頭部。

 それ目がけ、私はアンデルセンを振り上げた。

 

 この仰々しい大剣も、ついにその丈に合った出番が来たというわけだ。

 

「っせいやァ!」

『ハ――』

 

 ワルプルギスの夜の顔面を、ななめにぶった切る。

 さすがに切り落とすほどの刃渡りはないが、深く傷つけることには成功した。

 

 もうちょっと硬い手ごたえがあるかと思いきや、そうでもない。硬さは普通の魔女と同じくらいだ。

 

『アハハハハ! アハハ!』

「~……!」

 

 しかし、決定的な違いがある。

 傷が、瞬時に修復されてしまったということだ。

 

 ワルプルギスの夜に与えたダメージは、瞬時に回復する。結界内に貯蔵しているエネルギーがそうさせるのだ。

 トータルで見れば、私が与えた傷はしっかりとワルプルギスの寿命を縮めている……はずだ。

 

『アハハハハハ! キャハハハハハ!』

「うぐぉっ……!」

 

 強風に煽られた歯科医院の看板が、私の頭上ギリギリのところを掠めて飛んで行った。

 ……ダメージは与えている。けど、相手の動きは鈍らない。

 

 ……怯まない、弱らない相手と戦うっていうのは、かなり難しいな。

 

「でも、退くことはできない!」

 

 背中には町がある。安全運転で乗り切れる道ではないのだ。

 相手が無敵の魔女だとしても、無理を押して戦い続けてやる。

 

「“ハイド・スティンガー”」

『キャハ?』

 

 連日の特訓によって生み出した移動技。

 一定の位置、一定の角度で配置したバリアを高速で踏み抜き、相手の背後へと一瞬で迂回する。

 あとは、このアンデルセンが猛威を振るうだけだ。

 

「“五芒の斬”!」

 

 星形を描く大振りが、魔女の背中を素早く切り刻む。

 体から切り離された組織が。煙となって風に消え、しかし瞬時に元に戻る。

 普通の魔女なら二、三回は死んでいてもおかしくない、オーバーな攻撃だ。

 

 この魔女に普通の戦いは通用しない。大味な技で、削り続けるんだ。

 

『キャハハハ!』

「!」

 

 魔女の周囲の空間が暗くなり、かげろうのようにゆがんだ。

 

 振り上げた大剣の軌道を強引に逸らし、後ろへ戻す。

 左手のバリアを素早く展開し、踏み抜いて一気に距離を取った。

 

『ヒィイィイイン!』

「うわ」

 

 メリーゴーランドのポールが突き刺さった白い馬が宙を駆け、私の目の前を踏みつけながら過ぎ去っていった。

 たった今、ワルプルギスが召喚した使い魔だろう。

 

 ……重力を無視しながら宙を走る使い魔。これは少し、厄介だ。

 

『ヒヒィィイイ』

「“ティロ・スピラーレ”!」

 

 厄介だと眺めていた使い魔が、黄色いリボンの花火に巻き込まれ串刺しになった。

 陶器のような身体を放射状のリボンが貫き、砕かれ風にまかれて、跡形もなく消えてゆく。

 

『マミさん! 助かります!』

『ふふ、将を射るにはまずは馬からね、任せて』

 

 ここからは離れた場所にある鉄塔から、援護射撃が始まったようだ。

 巻き上がる砂埃越しにでも、黄色いフラッシュは辛うじて見て取れた。

 

 頼り甲斐のある先輩の遠距離射撃は、私のそばを掠めてゆこうとも、どこか安心できる軌道で、全ては魔女へと命中する。

 着弾する弾が広がり、ワルプルギスのスカートを貫いて肌をも刺す。

 

『ハイペースにはしないわ。ゆっくり慣らしていきましょう?』

『はい。まずはワルプルギスの夜との戦闘感覚を掴みたいですからね』

『本気を出し始めたあいつは、考えられないほど鋭敏な動きで攻撃を仕掛けてくる。大したダメージを与えていない、今だけが“練習”の時間よ』

『ほいさ!』

 

 マジギレしたワルプルギスの猛威を一番に食らうのは、間違いなくこの私だろう。

 だから私は本気で練習しないといけない。距離感、手ごたえ、感覚として養えるものは、可能な限り全て体験しなくてはならない。

 でないとこの長期戦における大部分であろう、本気のワルプルギスの夜との戦闘で身体が持たないから。

 

「おりゃ!」

 

 迫りくる金属片を左こぶしで殴り、ワルプルギスの夜へと吹き飛ばす。

 勢いよく飛んだ破片は顔に命中したが、それがちぎった消しゴムのカスであるかのように、あっけなくハラリと落ちて行ってしまった。

 

「まあ、私にぶつかってくる物を利用できるだけましか……うおっ」

 

 背後から飛んできた古びた車のスカートを、持ち前の柔軟な体で根性で避ける。

 ……辺りが段々と、気を抜けない風速になってきた。

 

 


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