長いトタン板が、サーベルの峰を走る。
ほとばしる火花を残してトタンは去って行ったが、そのかわりにと、次はモルタルの巨大な壁面が飛んできた。
迫る廃材の壁を踏みしめ、いざワルプルギスの懐へと跳躍する。
「くっそ、もう限界!?」
強風が吹き荒れている。ワルプルギスの攻めの手が強くなってきたのだ。
飛んでくる物の中には軽乗用車など、当たればシャレにならないものも混ざっている。
戦いに慣れるというフェーズに、そろそろ終わりがやってきたのだろう。
それでもまだ、私は退きたくなかった。
あと一発だけでいいから、懐へ潜り込んでぶちかましてやりたい。
そう思いつつも、体は廃材と廃品の嵐に翻弄され、なかなか近づけないでいるのだった。
『美樹さん、気を付けて!』
『そろそろ危険よ!』
二人のテレパシーが強く警戒を促す。
確かにそろそろまずいかもしれない。こんな出だしで再起不能となれば、私たちの勝利は絶望的だ。
「でも、ここで……!」
踏ん張れないようじゃ、さらなる暴風に再び突っ込むなんて無理に決まっている。
「!」
乗用車が腕を振りかざすようにドアを開け放ったまま、こちらへ飛んでくる。
「妥協しちゃいけない……!」
サーベルでドアの根元を切り離し、車をやり過ごして、前へと加速。
しかし今まで視界にも入っていなかった金属コンテナが突如として目の前に現れ、巨躯を乱回転させながら向かってくる。
これにぶつかれば、そのまま吹っ飛ばされるのは間違いない。
「相手が何をしてこようと、攻めてやる!」
コンテナが暗い中身をこちらへ向けた一瞬をつき、バリアを蹴って内側へ飛び込む。
魔法少女の強力なキックはコンテナの奥底に叩きつけられ、金属の箱はワルプルギスの夜めがけて吹き飛んだ。
『ヒャ──』
大きな顔面をコンテナが直撃し、箱はひしゃげ、魔女の体がわずかに後退した。
『……やったわね』
『すごい……あの中で、攻撃をいなすなんて』
「っへへ、どーんなもんよ……! って、うわ!?」
その時、風ではない何か強烈な力によって、私の体が大きく跳ね上がる。
不意打ちの衝撃で、大剣アンデルセンは手を離れて宙に舞った。
「うぶっ……!?」
『さやか!』
ワルプルギスの周囲を囲むように、衛星軌道のように、私の体は見えざる力に操られていた。
それは風などというわかりやすいものではないが、振る舞いは竜巻そのもの。
そう……押し出す風ではなく、逆の。何もない真空空間に引き寄せられるような、手を掻いても抵抗力を掴めないような力なのだ。
身体が無重力に揉まれ、思うような体勢を作れない。
もし今、死角から何かが飛んで来れば……防げない!
『掴まって!』
リボンが鋭く伸びる音がした。だけど、私の視界には灰色の嵐しか映っていない。
私の近くに伸びているのだとしても、掴まりようがなかった。平衡感覚もない。
『さやか! 手を伸ばして、両腕を広げて!』
『そ、んなこといったって!』
『いいから!』
『解った! とりあえず広げる!』
鉄骨にでも当たれば即死だなと思いながら、私は体をいっぱいに広げた。
雨粒だか砂だか、とにかく冷たい粒が全身にぶつかり、痛い。
それでも腕を広げ、風の中に体を晒す。
すると“がん”と、腕に強烈な衝撃が走り、自分の体勢がそちらへと引っ張られた。
一瞬“何かにぶつかったか”と思ったけど、そうではなかった。
「もう、無茶して……」
「ほむら!」
ほむらの手が、私の腕をしっかりとつかんでいた。
彼女の位置はもっと後方のはずだったが、私を助けるためだけに最前線へやってきたのだ。
「一旦距離を置いて、ワルプルギスの特殊な重力場から抜け出すわ」
「ごめん、手間かけさせちゃったね」
「ほんとよ」
時間が停止して、宙を舞う瓦礫がぴたりと止まる。
動体視力を振り切っていた障害物の流星も、平凡な日常に見られる各々の正体を明した。
それらを足場に、私とほむらは手をつないで退却した。
……最後に為すすべも無かったのはちょっと悔しいが、一発かませてスッキリはした。
「ふう」
攻撃の無い停止した時間の中で、堂々と着地する。
工業地帯では比較的大きめな螺子工場の屋上だ。
『キャハハハ……』
「わお」
遠くから眺めて見て初めてわかる、魔女の強大さ。
車も屋根も、全てがおもちゃのように宙に浮かび、ワルプルギスを軸にゆっくりと回っている。
いや、ゆっくりと見えるのはその軌道があまりに大きすぎるためで、実際に接近してみると、とんでもなく速いんだけど。
『美樹さん!』
『あ、マミさん、無事です! ほむらに助けてもらいました』
『ああ、良かった……一時はどうなるものかと……立て直せる?』
『すぐにでも。ほむら、どうする?』
『まだワルプルギスは本気じゃない。奴が怒るギリギリまでは、押し戻しながらダメージを与え続けるわ』
『了解!』
『でも、これからは美樹さん、辛くなるわね』
『大丈夫っすよ』
サーベルを握り、篭手を構える。
遠くに見据えられるワルプルギスは難敵であれ、今日まで奴を仮想敵とした特訓を続けてきた。
正しい努力は自分を裏切らない。なら、それなりの結果も出るはず。
『さっきはちょっとパニクっただけです、今度はいけます!』
私はバリアーを踏み、再び空へと跳躍した。
ワルプルギスの夜に接近して、謎の浮遊感に襲われて気づいたことがある。
多分だけど、あの魔女は自分の周囲の重力を弱くしているのだ。
重力を弱め……無重力にほど近いのかもしれない。かつ、それを振り回すことができる。
さながら、太陽と地球といったところか。
その能力がワルプルギスの夜の技なのか、それとも無意識に発生している“余波”なのかは、わからない。
方向感覚の掴めないフィールドはちょっとした脅威ではあるけど、私の作るバリアの反動をかき消すほど強力ではないはずだ。
相手の力場に進入しても、バリアを蹴っての移動はできる。障害物を足場にするのは控えて、自分の力を信じてやってみよう。
「いくぞワルプルギス……二本目だ!」
迫るブリキの屋根を引き裂いて、バリアを踏み抜き高度を上げる。
「……とはいえ、シャレにならなくなってきたな」
ワルプルギスの夜よりも少しだけ上から望む嵐の中には、細長い棒がいくつも見えた。
針金でも鉄パイプでもない。あれは建築用の鉄骨である。まともに食らえば、魔法少女でも耐えられるかはわからない。
「それでも……当たらなきゃ同じっしょ!」
ということにして、覚悟を決める。
引き返せないし、相手のデカさだ。被弾は死と覚悟しよう。
それでも気になる鉄骨に突撃していると、黄色いリボンが私の左右に広がった。
『邪魔な障害物は消すわ! その間に突っ込んで!』
『ありがとう! マミさん!』
リボンの花火が建材や車を貫き、一時的にではあるが空間に固定される。
私はその花火を避けるようにして宙を舞い、バリアを展開しては強く踏んで、忍者のように近づいてゆく。
『アハハハハハハ!』
「うおおおぉおおおぉ!」
二本のサーベルをアンデルセンにまとめあげ、最後の一蹴りの勢いに身体を託し、ワルプルギスの首元へ。
「げっ」
一瞬で間合いを詰めた私に、それでもここは通さぬと、寸前で横向きの鉄骨が立ち塞がった。
直進すれば鉄の塊に激突するだろう。勢いは削がれ、ワルプルギスの流れに巻き込まれてしまう。
いや、いけるに決まってる、たかが鉄くらい──
ここで剣を振るわけにはいかない。ワルプルギスとの距離が近すぎるのだ。そのモーションは致命的な隙となる。
かといってもう、バリアを出すことはできない。両手は柄を強く握り、振るう構えに移行している。
剣は振るしかない。この鉄骨を裂くために?
いいや、あくまで一撃は、ワルプルギスにくれてやるものだ。
こんな無機質で、どうでもいい、割り込んできただけの野次馬にくれてやるものではない。
──剣に、魔力を注ぐんだ。フェルマータの時のように。
魔法の斬撃を放射するための機構に、私の魔力が充填される。
力は大剣の内に収束し、エネルギーの塊となる。
──溜めて放つのは、私の得意分野じゃない
──私の特性魔法は防御系統のはずなんだ
だから、このフェルマータの一撃は大雑把で、シンプルなものであるはず。
シンプルなものほど、やり方次第で応用が利くはずだ。
下段の構え。剣先を下方正面へ突き出す。
一瞬の狭間で、剣が鉄骨の下へとわずかに潜り込んだ瞬間、腕に力を込める。
より正確に、より力強く。剣を上段へと持ち上げる。
「ふッ!」
青白く輝く大剣は白い火花を散らしながら、鉄骨を焼くように切り裂いた。
そこに物理的な勢いなどはない。はち切れんばかりに充填された私の魔力がやってみせた破壊。
「さあ、最後の邪魔者も消えた……」
ワルプルギスの夜が生み出す特殊な重力を突破するだけの勢いを保ちつつ、私の剣は頭上に掲げられた。
ジャックポットだ。
「……“フェル・マータ”!」
魔力のビームがワルプルギスの無重力場を打ち消し、引き裂く。
両断されてもなお浮遊力に囚われていた鉄骨も、フェルマータの青白いエネルギー波に押され、ワルプルギスへと押し込まれてゆく。
『キャ──』
モーション過多の強大な一撃は、ワルプルギスの夜の胸元に直撃した。
当たりの瓦礫も力の激流に飲み込まれ、荒っぽい弾丸となってワルプルギスの巨体へと立ち向かってゆく。
「ぉおお……!」
剣を前方へ向け、まだ尚も力を注ぎ続ける。
砂時計以上に目に見える速さで、私のソウルジェムは黒ずんでいってるに違いない。それだけ、フェルマータは燃費の悪い技だ。
ただし当たれば、リターンは大きい。
力を解き放てば解き放つほど、威力となって相手を襲うからだ。
「ぐぅ……!」
ドドドド、と、濁流のようなエネルギーが射出され続けているが、それも限界だ。
これ以上は私の身が危ない。
『ほむらぁ! 今だ!』
だからこの先は、ほむらに任せる。
私はもう十分に、ワルプルギスに“穴”をあけた。
フェルマータの流れも残っている。今がチャンスだ。
『無事を祈るわ! 発射!』
嵐の中でも、その遠方からでもわかる。戦争が始まったかのような、連続的射出音。
「精神集中……! ミスったら死ぬ! 大丈夫できる! あたしならできる……!」
フェルマータの濁流が依然としてワルプルギスの胸に大穴を開け、マミさんのリボンの弾は、その巨躯を空中に磔にする。
そして今、私の背後からは。
数多のミサイルが白煙を吹きながら、こちらへ飛んできていた。
一発当たれば誘爆する
「ふっ……!」
大剣アンデルセンから手を離し、上体を大きくのけぞらせる。
私の目には、想像通りのミサイルの群れが、その無機質な先端をこちらに向けて疾走していた。
魔法少女の体なら、一発くらいは大丈夫……かもしれない。
けどこの数は死ぬ、絶対に死ぬ。
それに極限状態における人間の加速した脳内時間という魅力的な力にも、限度はある。
ミサイルが遅いはずはない。私の思考よりも確実に速く、危険な弾頭はこちらへ迫っていた。
……私は体がやわらかい、ツイスターも得意、余計な話バク宙だってできる。
信じろ私。空中で物を避ける練習は、今まで魔女の結界で沢山やってきたじゃないか。
ほむらと、マミさんと。私たちは魔女の結界で、空中戦での連携を磨いてきた。
バリアを蹴って空を飛び、空中で剣を振り、姿勢を、位置をコントロールする。
人間だった頃では考えもしなかった動き方を学び、実践してきた。
今の私なら、空を飛ぶ魔女にだって、白兵戦を仕掛けて勝つ自信はある。
──だからいける!
魔力を使った空中での移動の応用。
四肢に微量の魔力を含ませれば、水中にいるときのように、体をわずかに動かすことができる。
──大きく反った体をねじると、腰の裏を一発のミサイルが通り過ぎた。
それを待たずに、今度は頭部めがけてもう一発がやってくる。
──首も大きく傾けて、紙一重で避ける。
腿を狙った一発を、脚をあげてやりすごし、遅れて胴体の真ん中めがけてやってきたミサイルは、今度は背を丸めることで、腹から向こうへと通す。
──これで大体のミサイルを避けたはずだ。残り三発!
「……!」
しかし最後の三発のミサイルは、胴、胸、脚に目がけて飛んできた。
わずかな思考時間に考え付いた回避姿勢は、無し。
人体ではどうしようもなく避けることのできない位置に、よりにもよって最後のミサイルたちは、あったのだ。
「しッ……死んでたまるかァ!」
密集する三本のミサイル。
それぞれを避けることはできない。ならばどうするか?
三本でなければいいのだ。
もちろんそれは賭けになる。
「うあぁああ!」
両手を広げ、ミサイルの先端を狙って強く腕を抱え、閉じる。
抱きかかえられるようにされた二本のミサイルは、強制的にもう残りの一本に接触する。
三本の矢。不器用ながらも、ミサイルは一つにまとめられた。
無茶な体勢ではある。けど、ひとつを避けるだけなら容易いはずだ。
「いっ……けぇッ!」
空中ジャーマンスープレックス。相手はミサイル。
体を大きくのけぞらせ、噴煙と炎を吐き出す弾頭を、そのまま魔女の傷口へと放り込んだ。
ミサイルの回避。そしてミサイルの投擲。精神が圧縮されていた私には、それらにどのくらいの時間がかかったのかは、わからない。
ただ、これを他者が見ていたとしたら、神業にでも見えていたのだろう。それだけのことはしてのけたはずだ。
「“セルバンテス”ッ!」
そして私は最後の仕上げとばかりに、ワルプルギスの胸元を左腕で殴りつける。
展開されるバリアは、ワルプルギスの夜の傷口を覆い尽くした。
私が回避したミサイルを取り込み、蓋をする形でね。
『そんなに溜め込むのが好きなら……残さず腹に収めてみせろ!』
『──!』
内側からの強大な爆発。
ワルプルギスの夜に亀裂が走る。
マミさんのティロ・スピラーレが本体を空中に繋ぎ止め。
私のフェル・マータがワルプルギスに穴を穿ち。
ほむらの放ったミサイルがそこへ突入した。
内側からの爆発によって、ワルプルギスの全身は干ばつが起きた大地のようにひび割れた。
無数の割れ目から漏れる赤い光は、これからコンマ数秒後に起こる破裂を予感させるには十分なものだった。
「うおおおおお……!」
ワルプルギスが炸裂した。
バリアの端から漏れてくる熱風に、現代兵器の底知れない威力を思い知る。
こんなものを生身の人間に使うなんて、正気の沙汰じゃあない。けど今はそれがとてつもなく頼もしい。
『ギァァアアアア──』
爆炎越しに、魔女の本体が砕け散る様が見えている。
魔女は文字通り、木っ端みじんになっているのだ。完璧に砕け散るまで、奴の再生は間に合わない。
完全に破壊した後にも余波は残り、それは数秒の間、ワルプルギスの夜の存在をここから消滅させ続けるだろう。
ワルプルギスはしばらくの間、完全なグリーフシードの状態に戻るのだ。
そしてその時こそが、結界突入のチャンス。
バリアを突き出す左手とは対極に、右手を差し伸べていた。
その右手に、ひんやりとしたなめらかな感触が触れる。
「時間停止」
ほむら。そして、マミさんだ。
「さやか、冷や汗をかいたわ」
「私もだよ、まるで生きた心地がしない……」
「けど頑張ったわ。ありがとう、美樹さん」
「いえいえ、はは」
ま、どんなに褒められたって、あんなのはできればもう、二度とやりたくないけどね……。