全てを守れるほど強くなりたい   作:ジェームズ・リッチマン

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また、戦わなければいけないのね

 

「……ッ」

 

 轟音の嵐の中で、杏子の含むような舌打ちはよく響いた。

 少なくとも巴マミは、その幽かな音が聞こえたらしい。

 

『……マミ、魔女は殺っただろ。腕をさっさと、ほむらに返してやれ』

『う、うん!』

 

 巴マミと反旗の魔女との決着はついていた。

 堅実な射撃とリボンの拘束の合わせ技によって、難無くとはいかないまでも、堅実に倒すことができたのだ。

 反旗の魔女が抱えていた左腕をリボンで絡め取ると、巴マミは辺りの瓦礫をリズムよく蹴り飛ばしながら、暁美ほむらのもとへ跳んでいった。

 

「だから弱い奴は嫌なんだよ」

 

 全身を鎖に包んだ魔女に対峙しながら、杏子はそう漏らした。

 いつもの彼女とは違う、いつかのような涙ぐんだ声だった。

 

「強い奴に立ち向かって、勝手に死にやがる。正しいことをしてるのに潰されちまう」

 

 

 正義は必ず勝つ。

 

 ――いつ?

 

 

 悪が栄えたことはない。

 

 ――どれくらい?

 

 

 この世には確かに不条理が存在している。それを覆すために、正義を貫き通すために佐倉杏子は力を願った。

 しかしそれでも自分の手の届かない場所で、悪は成ってしまう。

 

「……なあ、さやか。どうしてアンタが死ななきゃならなかったんだ。あんた、とびっきりの良い奴だろうがよ」

 

 善が挫かれる。

 

「なぜ死んだ」

 

 ブンタツの鋭い双頭が魔女の鎖を引きちぎる。

 力任せに暴れる両剣の軌道が、無限に紡がれ増殖してゆく鎖の防御を急速に引き裂いてゆく。

 

「何故……殺したァ!」

 

 ついにブンタツの刃は、鎖に覆われた身投げの魔女の本体に届いた。

 華奢な幼児体の腹を真横に薙ぎ払って、トドメの縦振りは頭頂部から股間まで両断せしめる。

 十字に開いた魔女の切断面から覗く向こう側の二体の魔女は、既に杏子へと標的を移していた。

 

「絶対に許さない……神が許そうが、悪魔が受け入れようが……! てめえらという存在を、塵一つ残さずこの世から消して……!」

『キャハハハハハ! キャハハハハキャハハハハ!』

 

 ワルプルギスの夜の高笑いがすぐそこで響く。

 

 さやかはひとつだけ計算を間違えていた。

 本来なら無視してはいけない一番大きな問題を、勘定に入れ忘れていたのだ。

 奴が黙って見ているわけもないというのに。

 

 

 

 黒い靄が闇夜のように辺りを包み、しかし一瞬で嵐に吹かれて、晴れる。

 

「チッ」

 

 取り払われた暗闇の中には、最初からそこにいたかのように、使い魔の大群が林立していた。

 嵐の中一帯を埋め尽くすほどの、大量の使い魔達。

 遠距離攻撃の手段に乏しい杏子にとっては、数体の魔女が現れるよりも厳しい増員だろう。

 

「ザコに構ってる暇はないんだよ!」

 

 トランプの兵隊。小さなぬいぐるみ。使い魔の濁流。

 その中でも真っ先に、白馬の群れが杏子に押しかけた。

 

「くっそ……どけ!」

 

 炎の龍が噴き上がり、杏子を囲む使い魔を焼き払う。ブンタツは縦横無尽に暴れ回り、一掻きするだけで数体の使い魔を切り裂いた。

 その光景は、角砂糖に群がる大量のアリを思わせる。それでも杏子がやられる気配はなかった。

 周りを使い魔が埋め尽くしても、危なげもなくそれらを断ち切って、杏子は濁流を進んでゆく。

 

 陶器製の馬体のうちのひとつが、嵐の中を真っ直ぐに突き進み、杏子の腹を蹴ろうとしても、ブンタツは決して間合いに入れさせない。

 背後から襲おうとするトランプ兵も、か細いレイピアごと炎の竜に飲み込まれて消滅する。

 

「どこだてめえら! 出てこい! 二体同時でかかってきやがれ!」

 

 怒りも力も最高潮だ。髪留めの炎は消えることはなく猛り、ブンタツの切れ味は冴えたまま。

 強化された肉体は少しの疲労も感じてはいない。今の杏子は、何者と対峙しても負ける要因はなかった。

 

『……』

 

 だがそれは対峙した場合に限った話であり、見えない位置からの一方的な奇襲を受けてしまえば。

 その結果はわからない。

 

 杏子の勘は冴える。

 彼女は計算高いタイプではなく、経験や直感を頼りに動く人間だ。

 理由を上手く説明できない嫌な予感には特に敏感で、それを回避する術に長けている。

 

「!」

 

 しかしいくら彼女でも、光の早さで迫るものが、いつどこから来るのかもわからなければ、回避のしようはない。

 

「――」

 

 使い魔の渦に向けて投げ放たれた光線の針が、杏子の頭部を消し飛ばす。

 

「――?」

 

 光の針は使い魔の濁流ごと、杏子の頭部を一直線に貫いてしまった。

 銀白の光線は杏子の首から上を綺麗にえぐり、消失させた。

 

 さやかのバリアさえ貫通する攻撃だ。身体が強化されているとしても、磔刑の魔女の攻撃を打ち消すには到底至らない。

 

『目も、耳も、鼻も、口も……ああ、畜生、そうか、頭をやられたか』

 

 首のない杏子の身体が力なく、宙から落ちてゆく。

 胸元のソウルジェムは無事だった。が、自分の失われた頭部を修復できる魔法少女はいない。

 体の支配はできず、ただ魂にのみ意識のある死体として、杏子の死は確定した。

 

『畜生……ふざけやがって……』

 

 華奢な身体が嵐の中で、真っ逆さまに落ちてゆく。

 奇跡的に光線の直撃を避けた、わずかに燃える髪留めと共に。

 

 

『絶対に諦めない……まだアタシは、こんなところで死ぬわけにはいかない。やつをぶっ潰すまでは、絶対に諦めない……絶対に……』

 

 首のない杏子と髪留めが、大きな川へ静かに墜ちた。

 

 

 

 

 

 

 山吹色の輝きが骨を固め、神経をつなぎ、筋肉を修復する。

 魔力の消費はバカにならない。しかし、それでもやる価値のある治療だった。

 

「……治ったわ、なんとかなるはず」

「……」

 

 ほむらは左手を握りしめる。確認は一度だけで十分だった。

 

 さやかが死んだ。

 暁美ほむらは、さやかが魔女の集中攻撃を受け、身を挺して巴マミを守り……死んだ。

 

 彼女の壮絶な最後を、皆が見ていた。

 

 

(……この腕は、さやかの魂そのものよ)

 

 更に強く、左手を握りしめる。

 

「いけるわ、ちゃんと動くみたい」

「なら、時間の停止を。佐倉さんがまだ戦っているわ。時を止めて、一度態勢を整えないと」

「ええ……、……え?」

「暁美さん?」

 

 暁美ほむらは、地上から見る嵐の中から、小さな人影が降りてくるのを見た。

 紅いスカートの裾をばたばたと風にはためかせながら、真っ逆さまに水面へと落ちてゆく影。

 

 首のない杏子の姿を。

 

「……」

「……そんな」

 

 つられて目線を送った巴マミも、それを見てしまった。

 

『キャハハハハ! キャハハハハハハ!』

 

 ワルプルギスの夜は、なおも楽しそうに笑っている。

 

「やれやれ。僕はおすすめしなかったはずなんだけどな」

「!」

 

 呆然と立ち竦む二人の脇を、白猫が通る。

 彼は無感情な赤い目で、水面へ落ち行く杏子を見送っていた。

 

「まどかなら、ワルプルギスの夜に勝てたかもしれないけどね」

 

 杏子の身体が水面に叩きつけられ、小さな飛沫が上がった。

 

「……佐倉、さん、まで」

「杏子はずっと前から、この日のために力を蓄え、力も磨いてきた。それでもここが限界だったみたいだね」

「……」

「いいや、これは褒めているんだよ。まさか、剣の魔女たちを全て片付けてしまうなんてね。杏子とさやかのポテンシャルは本当に凄まじいよ」

「あなたは……あなたは、なぜ……」

 

 盾の中からハンドガンを取り出し、インキュベーターの頭部に押し付ける。

 銃口はガタガタと震えていた。

 

「なぜ……!?」

「ワルプルギスの夜が強力過ぎた。それが全てなんじゃないかな?」

「彼女たちは、私達は、全力でっ……!」

「全力を出したネズミなら、ライオンに勝てるとでも思っていたのかい?」

「……!」

 

 事実しか言わないインキュベーターの言葉は、暁美ほむらの胸を強く締め付けた。

 

 だが茫然自失とする最中でも、ワルプルギスの夜が率いる魔女や、使い魔達の行軍は止まらない。

 次の標的は暁美ほむらと巴マミだ。

 今もメリーゴーランドの白馬を先頭に、使い魔の群れが押し寄せている。

 

 マミは深手を負い、ほむらも病み上がり。さやかと杏子はいない。

 使い魔の群れに対しても対抗できるかどうかは怪しかった。

 

「……暁美さん、お願いがあるの」

「え……?」

「最後まで諦めない……今だってそうよ、私は諦めない。……勝つために、いつか全てを守るために……暁美さんにも、まだ戦いを諦めないでいてほしいの」

 

 巴マミの手が、ほむらの左手を握った。それだけで、ほむらは彼女の意図を汲み取った。

 

「……また、やり直せというの」

「あなたの重荷になるとは、わかっているわ。これまで積み上げてきたものを、戦いの苦労も全て、ふりだしに戻ってしまうなんてね。……とても辛くて、大変なことだわ」

「……」

「それでもね。本当の白紙にだけは、するべきではないと思うんだ……」

 

 本当の白紙。それはやり直しも何もない、完全な敗北。

 

「今まで編み出してきた戦術や、経験……魔女の情報……その全ては、きっと暁美さんの次に活かされるはず。無駄にはならないのよ」

「……」

 

 さやか達との、訓練の日々が脳裏に浮かんでくる。

 さやかが考えた空中の戦術、相談しながら割り当てた合理的なミサイルの位置、グリーフシードを使うタイミング。

 

 全てが新たな息吹で、暁美ほむらにとっての希望の光だった。

 作戦を練るごとに勝利への現実味は増し、ワルプルギスの夜を突破する実感を噛みしめることができた。

 

 時間を巻き戻せば、あのさやかや、あの杏子とはもう逢えないかもしれない。

 けど、あの日々さえもなかったことにしていいとは、決して思えない。

 

 さやかや、杏子が残してくれたものを受け継ぐ。

 それこそが、自分がこの時間でできる、唯一の反撃になるのではないか。

 

「……巴さん、ありがとう」

「うん」

 

 暁美ほむらが、左腕の盾を掴む。袖の上に雫が落ちた。

 

「本当にありがとう、ござい……ました……」

「うん」

 

 巴マミは、彼女の頭を撫でてやった。

 ねぎらうような、慈しむような優しい手つきであった。

 

 

 


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