全てを守れるほど強くなりたい   作:ジェームズ・リッチマン

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なんだかやり辛いわね

 

「……ん」

 

 微睡み。心地よい過去が現実の頭に滲むような夢。

 

「こおら」

「ふげっ」

 

 堅い教科書の角が頭へのしかかった。

 

「最初から居眠りとは、良い度胸だぞ。美樹」

「……あえ?」

 

 見回せば、クラスメイト全てが私の方を向いていた。

 あのちょっと怪しい雰囲気の転校生、暁美ほむらでさえも。

 ……うん。宣言通り、英語で寝ちゃってたらしい。

 

「あひゃぁー、やっひまいまひた」

「涎を拭きなさいっ」

 

 私の授業態度への減点を糧に、教室はちょっとした笑いに包まれた。

 

 

 

 どうやら私は念話の途中で居眠りしてしまったらしい。

 

 えっと……まどかやマミさんとどこまで話したっけ。

 正直、眠かったのもあってうつらうつらと空返事ばかりをしていた気がする。内容が曖昧だ。

 

『もう、さやかちゃん』

『たはー、だって寝不足すぎるんだもーん』

 

 随分と先に進んでしまった板書をがりがりと書き進めていく。

 授業が終わる頃にやっとノートが取れそうなくらいだ。こういう時、速記を覚えてないのが悔やまれる。けど多分速記のノートじゃ提出してもダメなんだろうな。

 

 ……ああ。そういえば、ほむらの話をしていたんだっけ?

 

 ちらりと、ボードの手前にいるほむらの後ろ姿を見る。

 綺麗な黒髪。とても綺麗な……。

 ……前を走る煤子さんの、左右に揺れる黒いポニーテールを思い出した。

 

 マミさんはほむらに敵対心を持ってるけど……そこまで悪い奴なのかな。

 

『きゅぶぶ……』

 

 キュゥべえの姿を探そうと見回すと、白い奴はまどかの鞄の上で居眠りしていた。

 私もそうやって、堂々と居眠りがしたいものですよ……。

 

「美樹、じゃあここ、答えなさい」

「え? 3と4?」

「……ん、正解です」

 

 そろそろノートも書き写せそうだ。ガンバレ、あたし。

 

 

 

「はい」

 

 まどかの箸が摘むのは、ぷりぷりした美味しそうな卵焼き。

 

「んあむっ」

 

 それを咀嚼もなしに一呑みにしてしまうのは、謎の白猫。

 美味しそうな料理なのに味わいもしないなんて、罰当たりな奴め。

 

「まどか、私にもひとつ! どうかひとつ!」

「えー、これはわたしの分だよぉ」

「ぐぬぬ……じゃあ仕方ない! せめて、よく味わって食べてくれぇ…!」

「な、なんでそんな顔するのー!?」

 

 とまぁ、いつもこのような感じで、まどかの弁当を食べているわけです。

 

「ありがとう! はい唐揚げ!」

「えへへ……」

 

 私があげるのはいつも唐揚げだ。

 当然。だって私の弁当には、唐揚げと白米しか入ってないのだから。

 もちろん、野菜だって食べるけどね。嫌いなわけじゃないよ。

 

「……ねえ。さやかちゃんは、どんな願い事にするか、決めた?」

「……」

 

 まどかの顔を見て、箸を休める。

 

「わたし、昨日の夜ずっと、色々考えてたんだけど……全然浮かばない、っていうか」

「じゃあ、一緒に満漢全席食べよっか?」

「そ、それじゃつりあわないよお」

「そうだよね、釣り合わないんだよね」

 

 箸を唐揚げに刺して、頬張る。

 三十回噛んで呑み込むまで、まどかもキュゥべえも黙って私を見ていた。

 

「満漢全席も、宇宙一のオールラウンドアスリートも、五千年モノのストラディバリウスも。色々考えたけど、やっぱ命のが大事だったよ」

 

 保温機能の高い弁当箱の中で未だに温かい白米を、がつがつと口の中に掻き込む。

 

「ぷふぅー……んまいっ」

「……やっぱり、何事も命がけで打ち込めない大人になるのかな、わたし」

「……」

 

 まどかの表情は、見滝原に来たばかりの頃のそれに戻っていた。

 この憂いと陰りのある顔に、何度悩まされたことか。

 

「心配ないって、まどか」

「……?」

「大人になってから見つけてもいいんだからさ」

 

 そう。

 満漢全席もアスリートも、何だって現実で不可能なわけではない。

 人間、諦めなければ何でもできるものだと思う。

 夢のために命をかけるだとか、そう焦るにはまだまだ早いと、私は思う。

 

 それに、夢破れた大人だって世の中にはもっと大勢いるものだ。

 何事にも本気で打ち込めない人間なんて、岩をどければうじゃうじゃいるものだよ、きっとね。

 なんて話が、まどかの慰めになるとは思えないから言わないでおくけどさ。

 

 

 

「ん……」

 

 ぴり、と、空気を伝って張り詰めたものが伝わった気がした。

 

「……」

 

 扉の方を向くと、ほむらが立っていた。

 けど違う、これは……ほむらの視線はこちらを見ていない。彼女が見ているのは……?

 

 ああ……なるほど。

 顔を横に向け、遠くを見据えると、隣の棟の屋上にマミさんが立っていた。

 ソウルジェムを手に構え、こちらを見守っているようだった。

 

『あら、気付いたのね?』

『ええ、なんとなくっていうか……』

『ふふ。ここにいるから、安心して。手出しはさせないわ』

『は、はい。ありがとうございます……』

 

 面倒見の良い、優しい先輩だ。ほむらへの対抗意識もありそうだけど。

 ともかく、これは良い機会だ。

 

「魔法少女の話?」

 

 私はほむらに訊ねた。

 ひょっとしたら、お昼のお誘いかも……。

 

「そうよ」

 

 そういうわけではなかったみたい。まぁ当然か。

 

「魔法少女の存在に触れないようにしたかったけれど、それも手遅れのようだから。せめてもの忠告をしにきたのよ」

「魔女の結界だっけ? 私たちがあそこに迷い込んだから? ……あ」

 

 いや、ちょい待ってみよう。

 それは少し違うかな? 全部間違ってはいないだろうけど。

 

「キュゥべえと出会ったからってわけね」

「……そうよ、」

 

 ――なるほど。あの時私たちを遠ざけようとしたのは、そんな理由があったのか。

 マミさんの言ってた通りってわけね。

 

「それで、」

 

 ――しかしマミさんがモールの近くにいたのは偶然らしいけど、どうしてほむらあの場所に居たんだろう。

 ――ああ、それはキュゥべえを追っていたからか。私たちを魔法少女にしたくないわけだし。

 ――あれ、なんか違和感あるな。なんだこれおかしいぞ。ん?

 

「どうするの?」

 

 ――ほむらは私たちに魔法少女としての素質があることに気付いていた。それは学校で出会った時からだ。

 ――私に意味深な話をしてきたり、まどかに対しても、きっと何かアプローチをしてきただろうから間違いない。

 ――けどやっぱり違和感はある。キュゥべえと契約させないようにするだけなら、脅迫でもなんでもすればいいのに。

 ――そうはせずに、あえてキュゥべえを狙う。随分と私たちにソフトタッチだ。

 ――なぜキュゥべえを? 私たちが友達だから? そりゃ考えすぎか。

 

「貴女達も魔法少女になるつもり?」

「私は……」

 

 気になるな。

 

「ねえほむら。どうしてそこまでして、私達に魔法少女になってほしくないの?」

「……」

 

 表情は固まったままでわからない。

 けれど言葉を受けて、口を閉ざすような奴ではなかったはず。受け答えにラグのないタイプの人間だ。何かを考えている。

 

「そいつを消して済むのなら……それが楽だから、よ」

「……」

 

 歯切れは悪かったけど、嘘を言っているようには見えない。

 けれど質問に答えてもいない。

 

「私達を魔法少女にしたくない理由は何?」

「……」

 

 一瞬だけ目が泳いだ。

 ……ん、泳いでいたわけじゃなかった。

 

 ほむらは“見た”のだ。隣の棟にいる、マミさんを。

 そのジェスチャーはある意味で、気持ちの片鱗を語っている。

 

「危険だからよ」

 

 きっと嘘ではないのだろう。けどそれだけじゃないことを、私は薄々感じている。

 

「ねえ、まど……」

「え?」

「……いえ」

「さやか、昨日の話、覚えてる?」

「昨日の……」

 

 

 ――貴女は自分の人生が、貴いと思う?

 

 ――家族や友達を、大切にしてる?

 

 

 そう。こういうことだったわけだ。

 だからあえて訊いたのだ。キュゥべえと出会うことを、ある程度想定して。

 けど、本当はまどかに言いたかったのだろう。最初に声をかけたのは私ではなくまどかだったから、多分間違いではない。

 

「それを守るためなら、天秤にかける自分は遥かに軽い、っていう話よね?」

「……仮に貴女がそうだとしても。今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないで」

 

 クールビューティの静かな睨み。おお、怖い。

 

「……でないと、全てを失うことになるわ」

 

 振り返り際に苦虫の脚を食ったような顔を見せて、屋上から立ち去ろうとする。

 

「ま、待って」

「……」

 

 ほむらを呼び止めたのはまどかだった。

 

「ほむらちゃんは……どんな願い事で魔法少女になったの……?」

「……貴女もよ、鹿目まどか」

 

 半分開いたドアへ、ほむらは消えていった。

 

 


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