「ふわぁー……」
赤と黒のマーブル模様が空を流れている。
他にもこの空間を言い表す言葉はいくらでもあるんだけど、注視すればするほど目がチカチカするので、正直あまりじっくり観察したくはない……。
「あ」
そんな風景の中に、ひときわ動きの強いものを見つけた。
それは真っ白な体、立派な黒いお髭の……。
「まどか、下がって!」
「えっ!?」
モールで迷い込んだ時に見かけた奴だ!
左手でまどかを押しやり、前に出る。その直後、異変が起こった。
庭師のような使い魔が整備するぐちゃぐちゃの茨の壁の上から、蝶の翅の使い魔が飛んできたのである。
「くるならこい……」
右手に握った竹刀の先を、飛来する使い魔の額のやや上に合わせる。
左手を沿え、小指から順に握る。
私の精神はそこで落ち着いた。
飛んでくる未確認生物が、ただのボールのようにも思えた。
正面から飛んでくるボールは速球かもしれないし、変化球かもしれない。そのどちらでも構わない覚悟はできた。
精神的には相手をギリギリまでひきつける。反面、体はすり足で前に出た。
相手がいつ軌道や速度を変えるかわからない。ならば、早く前へ。
そして叩くならば、より強く。
相手側の五十の速さだけで叩くよりも、こちらが近づく五十の速さを合わせ、百で叩けば良い。
「……!」
私は前へ踏み込んだ。声は出さない。
この激しさはまだ、剣だけに込められる。
踏み込みと同時に竹刀が上へ上がる。
そのままゆらりと下へ。
「いざ……」
崩れた右の下段が形作られた時には、髭のボールはカーブ気味に軌道を逸らし、私の左肩を狙っているらしかった。
しかしそこは既に、私の切っ先が届く範囲だ。
「ハァッ!」
斜め下からの型破りな袈裟斬りが炸裂した。
「……」
……はずだった。
手ごたえだけでも、空を斬ったことはわかる。
「もう。生身なのだから、無茶をしては駄目よ?」
「あー……」
振り向けば、ジェームズ・ボンドのように自然体でマスケット銃を構えるマミさんがいた。
一連の私の独断を見咎めているような顔だ。
「ごめんなさい」
「まあ、私が気付いていなかったらと考えると、良い動きではあったわ、美樹さん」
「……へへ」
竹刀を下ろす。
剣を振って怒られることはいくらでもあったけど、褒められたのは久しぶりだ。
「けれど、普通の竹刀では二体目で折れても不思議ではないわ……魔女と戦うには、魔法少女の力がないとね」
黄色いリボンが竹刀をしゅるりと包み込み、輝く。
「気休めにはなるけれど、私のそばを離れないでね?」
「おおっ」
「わぁ」
リボンがほどけた後の私の竹刀は、綺麗な白磁の模造刀へと進化を遂げていた。
「す、すごいすごい! ミキブレードが真の姿にっ!」
金の装飾もゴージャスで綺麗。西洋の偉い騎士が持っている剣よりも、よっぽど強そうだ。
しかも軽い。何で出来てるんだろう? 光沢は金属のような磁器のような……。
「どんどん先へ進むわよ」
「はい!」
「は、はいっ」
ああもう、とにかく行こう!
わからないことばっかりだ! 楽しいなあ!
強くなった竹刀を意気揚々と強く握り締め、マミさんのあとをついてゆく。
戦うマミさんの姿は、美麗。その一言に尽きた。
長いマスケット銃を取り回し、引き金を引いて撃鉄を落とせば、必ず一匹の使い魔を撃ち抜いてしまう。
近づいた敵は、マミさんから伸びるリボンによって切り裂かれてゆく。
遠近問わず。
昔やったゲームの、ラスボスを倒した後に使えるようになる裏キャラクターを思い出した。
使えば無敵。まさにそんな光景だった。
マミさんが一体の敵を撃ち抜くごとに、私の剣を握る手はどんどん弛緩する。
それは美しい戦いに見惚れているところもあるかもしれない。
けどもう一方で、あまりにも無力すぎる自分に脱力していたのかも、しれなかった。
……って、バカだよね。
剣を習ってから、この道では一端なりの自信があった。
事実、いざとなれば、襲い来る悪漢から誰かを守れるくらいにはなっていたのに。
魔法少女、そして魔女。この二つが関わっただけで、私の剣術なんて、とんでもなく無力な存在になってしまうんだな。
どこかで役に立てると、脚光を浴びるのだと、心の片隅で思っていた自分がバカらしくなる。
「さやかちゃん……?」
「ん? どした?」
「ん……なんでもない」
……まどかにはわかっちゃうかな。私のそういう、馬鹿みたいなところ。
「そろそろ最深部よ、しっかりね」
「見て、あれが魔女よ」
廊下の先には、広い空間が広がっていた。
ここまでの道のりも随分荒れ放題ではあったけど、さすがにここから飛び降りることはできないだろう。
『うじゅじゅじゅ……』
「げっ……」
空間の中央で鎮座していたそいつは、使い魔とは比べようもないほどの巨躯をもつ……どろどろした頭の“何か”だった。
おそよ一言、二言では説明のしようがない、おぞましく混沌たる姿。
「グロ……」
女子中学生らしく、そんな表現で落ち着いた。
「あんなのと戦うんですか……?」
「大丈夫」
けれど、マミさんの表情は今までとなんら変わらず、むしろ一層の自信が浮かんでいるように見えた。
「負けるもんですか」
単身、マミさんは広場へと降り立った。
「私だって、いつまでもか弱い魔法少女ではないのよ」
前へ前へ、魔女に近づいていく。
マミさんが歩み寄るにつれ、人の大きさとの対比がより明確になり、魔女のサイズがはっきり見えてきた。
あれは……相当デカい。
私が今握っている剣でどうにかできるレベルの相手でないことは、本能的にわかる。
「マミさん……」
まどかが私の服を掴む気持ちも良くわかった。
……階級で言えば完全に他流試合なんですけど、平気なんですか?
「さあ、始めましょうか?」
靴が小さな使い魔を踏み潰したそれが、戦いの始まりだった。
『うじゅじゅじゅ!』
相手からしてみたら、ちゃぶ台をひっくり返すくらいの労力なのかもしれない。
けど人にとってその“椅子の放り投げ”は、金属コンテナを投擲するくらいのダイナミックさと、死の気配を感じさせた。
「甘いわね」
私たちの方が心臓を鷲掴みにされた気分だったが、マミさんはこの空間において一番穏やかな心を持っていた。
人には不可能な高さで大きく跳び、素早くリボンを展開してマスケット銃を取り出す。
数は四挺、うちの二本を掴み、手を伸ばすと同時に撃ち放つ。
光弾は緑色のゲル状の頭にクリーンヒットし、ゲルが飛び散る様は高速道路トラックが大きな水溜りを踏みつける場面を想像させた。
……けど。
「効かないか」
魔女の頭部は再生していく。
ゲル状の頭は、裂傷も刺傷も関係なく修復するだろう。
一発目のマスケットを棄てて、二発目を握ったマミさんは、その狙いを近づく使い魔たちに変更。
空中で冷静に狙いを定め、着地と共にすばやく位置取りを変える。
「頭が駄目なら胴体だけど?」
円形の戦場を駆け、魔女からの茨攻撃を避けるマミさん。
その間にも彼女のリボンは、場に張り巡らされてゆく。
……蜘蛛の巣。そう見えた。
「そろそろ私に手番を下さる?」
走るマミさんが、張られたリボンの一端を掴み、引っ張った。
するとどうなっていたのか、連動するようにして空間の天井が崩れ、その真下の魔女へコンクリート片を落下させる。
人間なら即死だったかもしれない落石。
『うじゅ……』
けれど、魔女はまだ生きている。このままだとまずいんじゃ……。
……あ、いや、そうか。なるほど?
それだけじゃなかった。
既にマミさんは大きく引き抜いたリボンを、次々にマスケット銃へと変換していた。
その数六挺。次に繋がる攻撃だったのだ。
「行くわよ」
リボンが四挺のマスケットを真上に跳ね上げる。
銃に気を取られた魔女が、頭を上へ持ち上げる。
全ては計算済みだ。
「そこ」
ドウン、ドウン。大きな音。二発は容赦なく、魔女の胴体に叩き込まれた。
頭部とは違い、真っ白な衣のような胴体には、螺旋を描く固形の弾痕がくっきりと刻まれる。
『ビギィイイイイ!』
「効いてる!」
「マミさんがんばって!」
「ふふっ、いけるわね」
激昂する魔女の攻撃は強まる。暴れ散らし、茨を振り回したりと凄まじい勢いだ。
マミさんは四方から迫る茨を避けつつ、攻撃の隙を伺っているが……。
魔女も魔女。相手も隙を見せなかった。
ゲル状の頭部は常にマミさんの方向へと向けられ、離そうとしない。
――頭を盾に、体を守っている。
最初は露骨な動きを隠すために自然体でいたけれど、魔女もついに本性を現したのだろう。
『ギィイイイイイッ!』
茨の攻撃は休むことを知らない。
鞭のようにしなり、マミさんのいた空間を強く叩き、床を砕く。
彼女は防戦一方のようにも思えた。
……けど。
「忘れたのかしら、まだ四つ撃ってないのがあるけれど」
逃げ回るだけのように見えたマミさんが、不意にリボンを伸ばした。
そのリボンは魔女の茨を一本を断ち切り、かつ、まだ伸びる。
そうして地のスレスレ、床に落ちかけたマスケット銃四つをキャッチする。
リボンは器用に絡まり、銃を固定し、引き金すらも締め付ける。
『……!』
リボンによる銃の遠隔操作。
魔女が顔を動かす前に、光弾はマミさんとは全くの別方向から斉射された。
大きな魔女の体がびくりと跳ねる。
四発全てが胴体に命中。その衝撃によるものだった。
「やったかしら」
「あ、マミさんそういうセリフは駄目……」
一瞬は沈黙した魔女が飛び起きる。
「きゃっ」
それだけで、辺りに飛び交っていた“無力”だと思われていた使い魔たちが群れになり、列を成し、それが黒く細い茨へと変身して、マミさんの足を掬い取った。
宙吊り。そんな、絶望的な体勢だ。
「マミさーん!」
「なーんてね」
すると円形の戦場に張り巡らされていたたリボンが、意思を持ったように動き始めた。
互いに空中で蛇行し、幾何学模様を形成しながら魔女のほうへ狭めていく。
それはいつの間にか魔女を包囲し、張り付き、相手の動きを完全に封じ込める拘束具に変化していった。
「未来の後輩に、あんまり格好悪いところ見せられないもの」
『ギッ……!』
「すごい……!」
黄色いリボンのフェンスはあっという間に、容易く魔女を床へ磔にする。
もはや相手は飛ぶこともできない。
「惜しかったわね」
いつの間にか足に絡まる茨を切り離したマミさんが宙で返る。
そしてリボンを手にし、本日最大の大技を展開して見せた。
螺旋を、筒を描くリボン。
光り、形を成す。
それはまさに大砲。
……はは。そんなものを空中で、どうやって撃つつもりなの?
「ティロ……」
抱えてるよ……。
「フィナーレッ!!」
言葉と共に、勢い良く落ちたハンマーが魔法の火花を散らす。
巨大な筒は弾丸ではなく、光線を吐き出した。
光の砲撃はまっすぐ魔女の背中か腹部かを貫き、一瞬それが膨らんだかと思いきや、爆発した。
デフォルメされた薔薇の花びらが空間を舞う。
砕けた茨がキラキラと散る。
ティーカップとコースターが落ちた、そこには――
「ふう」
余裕の、一息。
「……ふふ」
「!」
そして見惚れてしまいそうなほど、どこまでも優美な笑顔だった。
……魔法少女、すげえ。