攻略対象となった智子を、皆で競うようにオトそうとします。
「リアルシミュレーションゲーム?」
窓際の席に座ってハンディ扇風機の風を顔に浴びながら、明日香は智子の口から出た名前をそのまま返した。
「うん、説明によると実在の人物に対して対話シミュレーションができるゲームみたいなんだけど」
智子は自分の席につっぷしながら、机に置かれたヘッドマウントディスプレイを両手で弄んだ。
いつ、どこで、どうやってそんな不思議なものを手に入れたのか。そんな疑問はこの教室のどこからも挙がらなかったので、彼女の口から説明されることはなかった。
「つまり知り合いを攻略できるギャルゲーってこと?」
「まぁ対象が女とは限らないけど…。簡単に言えばそうだな」
「最近のゲームってそんなこともできるんだ」
「いや、普通はできないと思うけど」
教室の思い思いの場所でくつろぐ陽菜とゆりに応えながら、智子は苦笑いした。
今日は日曜日、もちろん授業は休みだ。
ただし原幕では自習室や教室、図書館などを開放しており、自習をしたい生徒は3年生を中心に土日でもちらほら登校してくる。彼女たちも他の生徒同様、受験に向けて勉強会を開いていた。
「じゃあさ、早速みんなでクロを攻略してみようよ。最初にクリアした人が優勝ってことで」
陽菜は腰掛けていた教室後ろのロッカーからぴょんと跳ぶと、私視聴覚室の鍵借りてくるから、と廊下を指差した。
「いいと思う」
背中に浴びせかけられた突然の肯定に智子は身が縮こまる。
(絵文字!? いつの間に…)
いつの間にか智子の背後に立っていた笑美莉は、自然な様子で彼女の隣の席へ腰掛ける。
「いや、なんで私なんだよ。それじゃ私がプレイできないじゃん」
「私智子以外を攻略したいと思わないけど」
窓際で頬杖を付き、眼下に広がる校庭を眺めながらゆり。
「私も黒木さん以外のことはまだよく知らないから…」
困ったように眉をひそめながら、しかしこの提案を譲る気はないという眼力で明日香。
「他の奴らには蠱惑さが足りない」
腕を組んで大げさに頷きながら笑美莉。
「もう諦めなよ」
陽菜もいたずらっぽく笑う。
(こいつら…)
「…。わかったよ、じゃあ準備するから視聴覚室行くか」
眉間にシワを寄せてみても逃げられないことを悟ると、智子は一つため息を付いてから、小さい背中をさらに丸くして皆を誘導した。
「えーっと…。これでいいかな?」
取扱説明書を片手に部屋の隅の機械に配線をつなぐと、視聴覚室の大画面に智子の姿が映し出される。若干幼い印象を受けるその姿は今よりも以前、高校入学当初のものだろうか。
「あー、確かにこんな感じだった、こんな感じだった! 懐かしいなー」
「ネクタイが黒色だね? 1年生の頃かな」
「なにこのフレッシュで未熟なキモさ…」
「それで、どうすれば攻略できるの?」
皆が思い思いに口走る。
「待ってね…このヘッドマウントディスプレイを付けてボイス入力でシミュレーションしていくみたい」
「じゃあ私からやりたい! クロのことは一番昔から知ってるからね」
返事を貰う前から智子の手からゴーグルを受け取ると、モニターの前に据えられたリクライニングチェアに座り込んだ。智子は何を勝手に、とでも言いたげに口をとがらせたが、他の皆が順番には異論ないようなのでそのまま飲み込むことにした。
「根元さんはいつも自信あるものね」
「まぁねー、年季が違うところを見せてあげるよ」
ファミレスでの一幕と同じように明日香から発せられた牽制とも取れる一言も笑顔で躱し、陽菜はゴーグルを付けてから大げさな動作でツインテールを直した。
「じゃあ始めるぞ」
智子の操作で画面が暗転し、ゲームが始まる。
『あの…。さっきの自己紹介面白かったね』
肩を落として席につく智子に向かってひそひそ声で語りかける陽菜の姿が画面に映し出される。どうやらゴーグルには一人称視点の映像が映し出されるようだが、モニターには加えて三人称視点で見ることもできるようだ。
『え? あ、ありがとう…ございます…』
自分が話しかけられているとは思わなかったのか、数瞬してから当時の智子はどもりながら礼を返す。目は斜め下に伏し、机の下ではぎゅっとスカートの裾が握られていた。久々に目にする初々しい反応だ。
「何か面白いようなことしてた?」
足を組んで更に頬杖を付きながら誰にともなく疑問を投げかけるゆりに対し、となりに座った笑美莉が組んだ手を口元に添えながら答える。
「すごい長い文書を用意してるのに一言で自己紹介終わってるし、しかもその文書も白紙。二段構えのキモさ」
「黒木さんは昔からユニークなのね」
「いや…、本当に勘弁して」
過去の自分に浴びせられる二人からの褒め殺しに、現在の智子も小さくなった。
『私根元陽菜。せっかく隣になったんだし、これからよろしくね。黒木さん』
『え…? あ、うん』
陽菜から差し出された拳に、智子は遠慮がちに自分の拳を当てた。
「根元さんこのグータッチたまにやるよね」
「何かのアニメで流行ってんのか?」
「ふ~ん、そういうこと言うんだ? まぁわかんないならいいけど」
音声入力を切りながら、陽菜は振り返ることなく間延びした声で答える。ヘッドマウントディスプレイが彼女の表情の変化を拾ったのか、画面上の陽菜も瞳孔が開いた感情の読み取り難い表情をしていた。
こいつの地雷だけはよくわかんねぇな…
智子は一人居心地の悪さを感じた。
「でも言うだけあって仲良くしてるね」
明日香の言う通り、二人は昼休みに食堂へ行ったり放課後に出かけたりと、普通の友人同士のような付き合いが続いている。普通の生徒にはごくありふれた日常のように感じられるが、過去の自分を知っている智子にとっては、あり得たかもしれないifの光景がとても眩しく感じられた。
「アニメや漫画の話で盛り上がってるのかな。アニメのショップみたいなところにも行ってるみたいだし」
「ワンピース?」
「それも話してるけど」
いつの間にか智子の隣にいる笑美莉。
『ちょっとリア充っぽい雰囲気だけどアニメの話できるし、思いのほか気を遣わないな…』
モノローグという形でゲームの中の智子が陽菜への気持ちを語る。
「黒木の評価も高い…雌の顔しててキモいキモい…」
嫉妬からかギリギリと歯を鳴らす笑美莉とは打って変わり、明日香は冷静に画面を指差して感心している様子だ。
「すごいね根元さん。これ早速クリアしちゃうんじゃない?」
「いやー、これ初手クリアで空気読めなかったかなー?」
ここまでは順調。陽菜も、ギャラリーもそう思っていた矢先、イベントシーンが挟まった。
ある日の放課後。いつものように陽菜と智子が帰り支度を始めようとしているところ、教室に聞き覚えのある声が響いた。
『放課後カラオケ行くけど一緒に行く人いるー?』
「茜だ」
岡田茜。
智子と陽菜とは3年間同じクラスで、明日香とも仲のいい女子生徒だ。清田や和田、鈴木などの男子生徒とも交流があり、今回も彼らを交えてカラオケに行く人を誘っているようだ。
「今思えばこの頃のデコ…、岡田さんも別に嫌いじゃないんだよなー」
以前は社交的で異性と仲良くしていると言うだけで毛嫌いしていたが、陽菜や明日香を交えて一緒にいるうちに、素直で歯に衣着せぬ彼女の性格の清々しさが心地いいことに気がついた。
あとエロいから出してるくせにエロに耐性がないというのが逆にエロい。
「というか他の人も出てくるんだ。しかも当時の姿で」
「本当に不思議な機能だね」
ゆりの疑問に笑顔で返しながら、音声入力をオンに直してから茜に話しかけていく。
『カラオケ? 行く行くー』
『あ、根元さんも行く?』
「…んん?」
智子がギッとパイプ椅子を鳴らしながら身を乗り出し、画面を凝視してログを読み直す。思えば「ネモ」や「ゆりちゃん」呼びを代表するように、智子は人一倍他人の呼び方に敏感にならざるを得ない経験をしてきた。その体験が、いち早く茜のセリフから違和感を察知してみせた。無論それは彼女だけではない。
「根元、『さん』…?」
智子から遅れて、茜と仲のいい明日香も下唇に指を当てて何か気付いたような表情を浮かべている。
困惑しているのは陽菜も同じようだが、なんとか笑顔を取り繕って会話をつないでいく。
『え…うん。いいかな?』
『もちろん、全然いいけどさ。こういうの来るタイプなんだなって』
結構意外だったかも。そういつものように歯に衣着せぬ物言いをする茜を見て、智子はハッと膝を叩いた。
「あーっ! これ私と仲良くしすぎて岡田さんとの友好度が上がってないんだ!」
そう、ゲームでの陽菜は智子と友好を深めるため、昼休みに放課後に二人でいる時間がほとんどだった。そのせいで智子と活動域が合わない茜たちと友達になっていなかったのである。常日頃から恋愛シュミレーションゲームを嗜む智子だからこそ気付いたミスだ。
「そういえば入学してから黒木さんとばかり話してたよね」
「どど…どうしよう。これクロと仲良くしてるとあーちゃんと仲良くできないの? それともクロもあーちゃんと友達になれば解決?」
音声入力をオフにすることも忘れて陽菜はうろたえる。ゲームの中の彼女も、現実と同じく教室の隅でオロオロとせわしない。
「いやーどうかな…」
頭をかきながら智子は歯切れの悪い返事を返す。
「智子なら岡田さんたちと別に仲良くしたくないよね」
「間違いない」
当然と言わんばかりにゆりと笑美莉は腕を組みながら智子の気持ちを代弁した。彼女もそれを否定するそぶりを見せない。
「今ならいいんだけどね。岡田さん見てて面白いし」
「そもそもゲームだしね。そこまで気にする必要はないと思うよ?」
これはゲーム。そうわかっていながらも、陽菜の頭に浮かぶのは中学時代の苦い思い出。自分の煮え切らない態度のせいで居場所を失い、勘違いさせた相手を傷つけ、親友と呼べる相手がいなくなってしまった…。
「…いや! ダメ! どっち付かずは一番ダメなの!」
大きくかぶりを振りながら、ゲームだとしても茜か智子か選ぶことを彼女は拒否した。
「何かトラウマが発動してるけど…」
「これ以上は苦しいな。やめとくか」
「結構上手くいってたけどな」
タイトル画面に戻って集めたキャプチャを眺めながら智子は呟く。
「茜とも仲良くしたいってなるとバランス感覚が難しかったね」
「あーもう! 完全に盲点だったよ」
明日香が玄関の自動販売機で買ってきてくれたお茶に口をつけながら、陽菜は悔しそうに天井に向かって吠えた。
「じゃあ次は私が行く」
笑美莉がスッと立ち上がり、陽菜の座る椅子に手をかける。その言葉を聞いて、先程まで頬杖をついていたゆりが虚を突かれたように笑美莉の背中に問いかける。
「大丈夫なの? いつも一緒の人たちと仲良くなれないかもしれないよ」
さっきの根元さんのやつ見てたでしょ? そんなゆりの声に振り返りつつ、笑美莉は迷いのない表情で、淀みなく返す。
「私は別に黒木が手に入ればそれでいいから」
「重いな!」
「それは冗談として…。せっかく昔を追体験できるんだから、今とは違う高校生活を送ってみたいじゃん」
例え虚構だろうと、あり得たかもしれない過去を見てみたい。
先程から映し出された智子の一つ一つの表情やしぐさ。今の彼女とも自分の知る彼女とも異なる顔を見て、笑美莉は改めてそう思った。
「別に、内さんが平気ならいいけど…」
笑美莉の言葉を聞いて、呆れたような安心したようなため息を付いてからゆりは再び目を逸らして頬杖をついた。
「心配してくれなくても、宮ちゃんたちとは現実でうまくやるし。まぁ自分で譲れないことがあるならしょうがないと思うけどね」
「…。うん、ありがと」
陽菜も笑美莉の言葉に小さく頷いてから、ゴーグルを手渡して明日香の隣に座った。
私に対して当たりが強いから忘れがちだけど…。こいつ雌猫だけじゃなくて加藤さんやゆりと真子さんとも仲良くできてるし、結構まともな奴なんだよな。
さすがは上位女子グループでうまくやってるだけあるな。そう改めて智子は思った。
「じゃあ行くよ。細かい操作はこっちでするから」
「ありがと」
タイトル画面からニュゲームを選び、ロードが始まる。
高校生活始まって初めての自己紹介という緊張から解き放たれ、安堵の表情を浮かべながら生徒たちが教室から出てくる休み時間。そんな賑やかな教室の前に立つ女子生徒の姿がひとつ。
『ここがあいつのクラスね…』
内笑美莉の目には1-10のクラス表示が。
「内さん1年の頃は茶髪だったんだ」
「髪も今より長いね」
入学してすぐの笑美莉は今のような明るい髪色のボブではなく、セミロングのブラウンカラーという髪型をしていたようだ。
「おっ、私が出てくるぞ」
自己紹介で失敗し、先程のように陽菜がフォローをしてくれたわけでもない智子が、がっくりと肩を落としながら廊下に歩み出てくる。
その姿を認めるや、笑美莉は流れるような動きで智子の行く手を塞ぐ。
『ねぇ…』
『ひゃい…!?』
笑美莉の声に、智子はビクリと肩を震わす。
「さぁファーストコンタクトだね」
『へっ…? わ、私…? ですか』
彼女の目を見ることもできず、背中を丸めてスカートの裾を握りしめる。
「うっちーは誰とでも仲良くなれるし大丈夫でしょう」
『………』
『あ、あの…、何か…』
言葉を発することなく智子を見つめたままの笑美莉に智子もおずおずと声をかけるが、やがて笑美莉はスゥっと胸に息を送り込む。
『キモい!!!!!』
「内さん?」
「こいつやりやがった!」
いつものように叫んだ笑美莉を明日香は怒気を孕んだ声色で制し、智子も大声を挙げる中でゲームオーバーのおどろおどろしいBGMが部屋に響いた。
「こうなると思った」
今度は間違いなく呆れながら事務椅子の背もたれに体を預けるゆりを尻目に、笑美莉はゴーグルを外して首を傾げた。
「おかしい…黒木ならあのキモいから『まだ少しサイズがあってない制服やあどけない顔つきが初々しくて蠱惑的』のニュアンスをくみ取れるはずなのに…。所詮は機械。キモさのなりそこない」
「いや、今でもわかんねぇぞそれ」
「というかキモいって言うのやめなって伝えたよね?」
呆れる智子とは対象的に、明日香の声には未だ謹慎明けの日のような怒気がこもっていた。当の智子は内さんの言葉に悪い意味がないってわかってるからいいけどさ、と苦笑いしながら続ける。
「まぁ…昔だったらむちゃくちゃ凹むと思うわ。そりゃゲームオーバーにもなるよ」
そう、彼女のぼっち時代は誰かに好意を向けられなかったのと同じように、悪意を向けられることもほとんどなかった。昔の笑美莉がそうだったように、多くの人が彼女に無関心だったのだ。
だからこそ昔の自分だったら、こんな悪口に対しても過剰に反応してしまうだろう。「ブス」と名指しで言われて、その足で家に帰れなかった日のように。
「ごめん黒木…」
悪気がないことはわかっているので、智子も笑美莉の謝罪を笑って受け入れながら次のプレイヤーを募る。
「私がやってみる」
ゆりが笑美莉の傍らで声を上げる。
「なるほど…。確かにクロと最初に仲良くなったのは田村さんだもんね。昔から一緒にいるのは私だけど」
「でも根元さんは一緒にダーツとか行ったことなかったよね」
「私は球技大会のバスで黒木と席が一緒だったし」
「私はたぶんはじめて電話したクラスメイトだよ」
「おい、マウントの取り合いやめろよ」
急にひりついた空気を醸す四人を制しながら、智子はゆりにゴーグルを手渡す。
確かに昔はゆりちゃんから声かけてくれたことも多かったし、1年で会えてても友達になれてたろうな。
最近は智子の反応待ちのことが多いが、登校時に声をかけてくれたり、バレンタインのチョコ作りに誘ってくれたりと、ゆりは意外と気を許した相手に対する人当たりは柔らかい。
「じゃあ智子、行ってくるね」
「あっ、うん。頑張ってね」
「さて、これで三度目だな」
パイプ椅子から乗り出しながら、智子はモニターに向かって呟く。陽菜も座りっぱなしで疲れが出始めたのか、大きく伸びをしながら応える。
「そろそろクリアまで見たいところだね」
「ところで黒木さん、あまり自分のクラス以外のところ行かないんだね」
先程までのプレイで二人が智子と出会ったのは教室と廊下。陽菜と行ったアニメショップは例外として、放課後の寄り道はおろか学食にすら足を運んでいない。
「ぼっちだし図書館くらいしか行かなかったかな。あと昼休みは誰も来ない校舎の隙間とか屋上に通じる踊り場の荷物置き場とかにいたりした。なんか落ち着くんだよね」
「キツイなぁ…」
「もっと早く知ってれば…」
「それをやり直すのが今回のシミュレーションだから。頑張って黒木さんと仲良くなりましょう」
残された3人で過去の智子へ思いを馳せていると、画面の中でも廊下の先から彼女が歩いて来た。
「あ、私が来たぞ」
「田村さんチャンスだよ!」
おそらく今彼女は移動教室へ行く途中。無論周囲に友達やクラスメイトの姿はない。話しかける絶好の機会に、ゆりは深呼吸をしてから小さく咳払いをした。智子に目をやるが、足元を見ているのか目線が交差することはない。
彼女との距離が縮まる。ゆり自身もゆっくりと歩みを進め…。
『………』
「通り過ぎた」
通り過ぎた。
「何してんの!」
「特に私から話すことないし…」
ゲーム画面のゆりはばつがわるそうに目線を伏せながら、自分の二の腕に手を添えながら弁明する。
「いや、田村私に肩貸してくれたり朝挨拶したりしてるじゃん」
「修学旅行の後にも私に声かけてくれたし」
「それは…」
笑美莉と智子の追求に言葉を濁すゆりに向かって、明日香は口に手を当てほんのりと笑みを浮かべながら切り込んだ。
「仲のいい人には話しやすいもんね」
明日香の一言に二人はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「あー、なるほどね?」
「そういうのね?」
「…! 別にそういうのじゃないけど」
照れ隠しのように拳を振り上げるゆり。しかし現実世界の二人が見えないのか、その拳は空を切るばかりである。モニターに映る彼女がしきりに消火栓を殴打する。
珍しく感情を顕にするゆりを囃し立てる二人を尻目に、自分にはまだそっけないんだけどな、と陽菜は一人暗澹たる気持ちに陥った。
「でも何だかんだ話すようになり始めてるね」
しばらくゲームを進めるうち、挨拶から二言三言の会話、駅までの帰路を二人一緒に歩くようになるなど、少しずつ関係に進展が見えてきた。
「合同体育とかでちょっとずつ話すようになったみたいね」
「真子ちゃんとは友達の友達くらいの距離だけど、田村さんとは別のクラスながら仲良くなれてる」
時折ゆりが真子を連れ立って智子の元を訪れ、三人で昼食を食べる光景が映る。頑張って会話に加わろうとするも空回りして、結局中座してしまう智子の姿がいじらしい。
しかし現実でもあったような場面だけあって、当の智子はどうにも落ち着かない。
「何か雰囲気が修学旅行以降みたいで気恥ずかしいな」
「でも一回成功したならこのまま仲良くなれるんじゃない?」
1-10の教室の隅で二人で会話する姿を眺めながら、陽菜は私のときみたいに何か起きなければね、と続けた。
「うーん、あんまりゆりちゃん関係で地雷ってないと思うんだけど…」
そう腕を組んで首をひねる智子の耳に、据え付けのスピーカーから間延びしたキンキン声が響く。
『あっ、田村じゃーん』
「…この声は」
『最近クラス抜けだしてると思ったら、あんな陰キャとつるんでたんだ。ウケる』
サチ、ノリ、マキを伴って、学食帰りだろう小陽が二人を指差して大声であげつらう。
「南さん…」
「ここでキバ子かー」
『あいつ中学の頃から根暗でさー、クラスになじめなかったから頑張って似たような奴探したんじゃない?』
ケラケラと笑い声を上げる彼女に、智子の背もたれにかけていた笑美莉の手にも力がこもる。
「一刻も早く視界から消えてほしい」
珍しく絵文字と意見が合うな。
自分のことは置いておいて、ゲームの中のキャラクターとはいえ友人を名指しで馬鹿にされるのは心地の良いものではなかった。
「田村さんって昔から南さんと知り合いだったんだね」
「一応ね」
皆が初めて知る事実を何のことなしにさらりと返し、ゆりは心配そうに視線を智子へ向けた。
「問題はクロが耐えられるかだけど…」
『あ、なんかごめんね田村さん…。私といるせいで悪口言われて…』
視線の先の智子は反抗的な目線を小陽たちに向けているものの、目尻にうっすら涙を浮かべ、何かに耐えるようにブラウスの胸元を握りしめている。
「耐えられなかったかー」
「ひどいこと言われてるもの。仕方ないよ」
『………。智子は悪くないよ』
小さくなる智子から小陽へ視点を変えると、ゲーム画面の一人称視点はずんずんと小陽へ近づいていく。彼女がこちらを見上げるような姿勢になった所で、ゆりがぽつりとつぶやいた。
『悪いのはこいつだから』
小陽の姿が画面から消える。
「うわっ! 殴った!」
「ゆりちゃんやめて! たぶんキバ子の肩外れてる!」
「というか手! こっちも危ないんだけど!」
「うーん…トラブルはあったけど、このままいけばクリアできそうだったのに」
画面に映し出されるゆりの姿を眺めながら、陽菜は惜しかったねと彼女の外したヘッドマウントディスプレイを受け取った。
「さすがにあのまま謹慎になっちゃったら、私もドン引きして近づかないな」
「なぜか吉田さんの友達の子と一緒だったね」
「打ち上げでも結構話しやすい人だったよ」
たまたま同時に謹慎処分を受けていた麗奈と馬が合ったことで茉咲、杏奈とも出会い、そのまま彼女たちと仲良くなるという異色のエンディングを迎えた。
智子の言う通り、謹慎明けの後も智子とはギクシャクしたままに終わってしまったのでチャレンジとしては失敗となる。
「で、残るは…」
「私が最後だね」
明日香が髪をかき上げながらプレイ用のリクライニングチェアへ歩み寄る。
「あ、加藤さん。頑張って…」
「加藤さんなら行けちゃいそうだなぁ」
「ふふ、楽しみ」
陽菜からゴーグルを受け取ると、頑張ってくるねと智子に笑いかけてから椅子に深く腰を下ろした。
「まぁ予想通りの展開だよね」
プレイを始めて数十分。黙って画面を眺めていた陽菜がぽろりとこぼした。
「人付き合い上手いしカリスマ性で元々の友達ともクロとも並行して仲良くしてる」
「智子も今と同じようにデレデレしてるね」
初めて話しかけられた頃こそ不審がっていた智子だが、それからはまさにナンバーワンキャバ嬢に貢ぐ美味しい客状態。ある日いきなり優しくされた捨て犬のように明日香に懐いている。
「あの頃はモテたいと思ってたし、カースト上位っぽい加藤さんと仲良くできたらステータスアップしたと思って喜ぶだろうなぁ」
「キモいキモいキモい…」
笑美莉の嫉妬をあざ笑うかのようにイベントは進み、好感度が落ちることもなく夏休みも過ぎ去って文化祭シーズンへ突入した。
学校全体がお祭りムードに浮わつき、慌ただしくなっていく中、明日香たちはいつもと同じように並び立って下校する中で準備に勤しむクラスを眺めながら廊下を歩いた。
『黒木さんのクラスは文化祭で何かやるの?』
『あ…。メイドカフェをやるみたい…です』
「懐かしいなー、よっちゃんがメイド服着たりしてたね」
「私教室抜け出してゲームしてたからよく覚えてないや」
陽菜からお茶を分けてもらいながら智子は何の感慨もなさそうに言った。
『そうなんだ、黒木さんもメイド服を着たりする?』
「黒木のメイド服!?」
「いや、着ないから」
「なんで!?」
本当は当日着ると偽った上でドンキで買って自撮りまでしているのだが、さすがにバレるのは気恥ずかしい。何より色めきだつ笑美莉が「キモかった」ので智子は黙っていることにした。
まぁ、さすがに家での出来事がバレることもないだろう。
『あ! いえ…私は当日やることなくて』
『そうなんだ。じゃあ空いてる時間で一緒に回ろうよ』
明日香は髪をかき上げ、目を細めながら智子を誘った。
「一緒に青学に行こうね」智子にそう言った時と同じ顔。きっと楽しいことが起こるだろう未来に思いを馳せるような、目の前の相手を慈しむような表情だ。
「おっ、文化祭イベント! これ日常アニメだったらかなり重要な好感度上昇イベントだよ」
「智子のことだからすぐOKしそうだし」
ゲームの行方のほうが気になりだした陽菜やそもそも他人のゲーム内容にそこまで頓着していないゆりとは違い、笑美莉の歯ぎしりは先程からとどまることを知らない。
『どうかな? 黒木さん』
『あ、はい。ぜひ』
「来たね!」
「おお、ついにクリア者が」
視聴覚室がにわかにざわつく中、ゆりのつぶやきが喧騒を切り裂くように静寂を呼んだ。
「待って、智子が何か言いたそうだよ」
皆の視線が画面に注がれると、智子がでも、と言葉を続けた。画面の中の彼女は胸の前で両手をまごつかせながら思案に暮れる。
『中学の頃の友達と会ってからでいいかな? 先に約束してて』
「黒木さん。これって」
現実の明日香が振り向くこともなく智子へ問いただした。その言葉の冷たさに、びくりと肩を震わせながら智子はおずおずと答える。
「あ、うん。あの時はゆうちゃんと会う約束してた」
智子の言葉を受け取ってからしばらく、明日香は中空を見つめたまま動かない。ようやく画面の智子を見下ろしたかと思うと、その薄くリップの塗られた瑞々しい唇から、ぽつりと吐き出した。
『へぇ…そう』
三人称カメラに映し出されるのはきゅぅっと瞳孔が縦に絞られた瞳。
「か…加藤さん!? 何その目!」
「怖い怖い!」
誰もがクリアを確信した先程とは異なるざわつきの中、プレイは続けられる。しかしその内容はもはや別の意味の「プレイ」と呼んで差し支えのないものだった。
「あーあー…文化祭の後からのすっごい束縛…」
「毎日朝8時と20時に電話してる…」
明日香の暴走はそれだけでは終わらない。
弱点克服のためと称して単語帳をいくつも渡し、週に3回は自習室で勉強会を開き、毎日登校してすぐにスマホの閲覧履歴と通話履歴を確認した。
結局文化祭後に優と遊びに行くことを咎めるようなことはなかったが、定時連絡の際の一挙手一投足を把握しようとするような質問の嵐にはさすがの智子も精神を摩耗した。
『こうやって1年生の頃から頑張ってれば、青学も簡単に入れるもんね』
『え…? いや、私は別に青学に入りたいとは…』
勉強会でぽろりとこぼす智子。再び明日香の表情が変わる。
「だから加藤! その顔やめて!」
「あ、智子逃げた」
「まぁこの頃はあんまり大学のこととか考えてなかったからなぁ」
あんまり勉強好きじゃなかったし、と智子は四たび過去を振り返った。
「ごめんなさい。ちょっと先走っちゃって…」
珍しく無理やりな笑顔を作りながら、明日香は皆の前で小さくなった。
「でもこれで全員失敗」
ため息を鼻から漏らしながら、ゆりは沈んだ表情で呟く。
「私たちじゃあの頃の智子と仲良くなれないのかな」
「それは違うよ、ゆりちゃん」
珍しくぴしゃりと言い切る智子。
「黒木…?」
「今自分で振り返ってみても1年の頃から私は変わってきてるし、皆も同じように色々な体験をして今の自分につながってるんだと思う」
今までの映像を見て、そしてここでは映らなかった経験を思い出しながら、智子は皆の顔を順に覗き込んでいく。
加藤さんがいたからオープンキャンパスに参加して、青学に行くという高校最後の目標ができた。
ネモがいたからどんな時でも怯まず、一歩踏み出す勇気をもらえた。
ゆりちゃんがいたから修学旅行が終わってからも吉田さんや真子さんと仲良くできた。
絵文字は…特にないけど、よく気にかけてくれるから毎日退屈はしないかな。
皆と関わったから私はあの頃からこれだけ変わることができた。だから皆も私や、誰かとのつながりで入学した頃とは違う自分になっているはず。
「だから今の私たちじゃ結局ifの過去を完全に再現することなんてできないんだよ。でも現在で仲がよければそれで十分じゃん」
我ながら日常アニメのラストみたいなこと言ってるなと思った。しかし今がよければ過去のことはもうどうでもいい、それが過去を振り返って智子が心底感じたことだった。
「今にして思えば昔の私も結構楽しんでたしね」
過去の自分は苦しいことも多かったかもしれない。辛いことばかりだったかもしれない。
それでも、ぼっちでも、一人じゃなかった。
自分のことを励ましてくれたり、支えてくれた人のことを思い出しながら、智子は照れくさそうにはにかんだ。
「そうだね、これからもよろしくね黒木さん」
「智子とは大学でも一緒だしね」
「私も。絶対黒木と同じ場所行きたい」
「私は違う大学志望だけど、これからもクロにも皆にも絡んでいくからね」
四人も智子に釣られるように笑う。
「じゃあ片付けようか。今日は遅くなっちゃったし、勉強は明日から…で、いいよね」
おずおずと尋ねる智子に対して、明日香は黙って笑顔で返した。
「待って」
それぞれが片付けに勤しむ中、視聴覚室の重い扉が開かれ、聞き覚えのある声が響く。
「黒木には言ったよね? ゲームなら何でもやるって」
扉の隙間を縫うように体を滑り込ませた人影を見て、智子は思わず声を上げる。
「二木さん!?」
自前のコントローラーを握りしめ、四季は腕組みをしながら扉に背を預ける。
「貸して、最短タイムでクリアしてみせる」
今まであり得たかもしれない過去を見てきた皆が最後に見たのは、あり得るかもしれない未来。
高校入学直後に意気投合した二木と二人、大物ゲーム実況者として富も名声も手に入れる。そんなifの未来。
「こんな荒唐無稽な未来もあるんだね」
陽菜は苦笑いしながら頬をかいた。
「こんなもん見せられたら、これから先どんな未来も『ありえない!』なんて言えなくなるな」
ありえないなんてない。この先どんな事が起こるかだれにもわからないし、どんな事でも起こり得る。
そんな風に思いながら、智子たちは四季を加えた五人が今まで集めたキャプチャ画像が映し出されるエンディングロールを皆で眺めた。