「どうやら腕のシリンダーが問題の様です。様子を見てみますね」
季節感の無い着衣をした技師がそういって機械人形の腕を開く。
それを見守る羊飼いの男は、心配そうに口に手をやってじっと見ていた。
羊飼いは恐らくこういった事に慣れていないのだろう。
技師が手慣れた手つきで人形の腕を修理していく様子をまるで人間の大手術を生で見ているように、萎縮していた。
「大丈夫ですよ。怖い顔しないで」
そう技師が話すと羊飼いは冷たい息を吐いた。
「ロセフ先生。そうは言っても緊張しますよ、彼は私の大切な仕事の友ですから」
勿論、羊飼いの男にとってその修理中の人形は仕事の都合という関係もあるが、大切な近しい「人」でもあった。彼が子供の時から一緒に居た人形だからだ。
「……痛くないか?」
羊飼いが自分の人形に問いかける。
人形は無言だが男の方をじっと見てもう片方の手で相手の頭をポンと三回軽く触った。
男はその人形の手を取ってそうかそうか。と、満足したように安堵の息を吐く。
二人の仲は信頼と言う紐で結ばれている。
その様子を見た機械人形専門の技師ロセフはそう判断した。
そしてロセフもまた、信頼と言う紐を結び合った信頼できるパートナーが居た。
「……ちょっとネジ穴が歪んでいるみたいだ。……メイ! すまないが、私の車から22番の工具を!」
ロセフが、キッチンへお茶とお菓子を入れにと行った自分の助手をしている機械人形を呼び戻す。
残った二人が声の掛けられた方に顔を向けると、しっとりとした声が聞こえた。
「はい、今すぐ!」
実った小麦の様に美しい金色の髪を結い、肌はつやのある白い絹の様。目はロセフと同じ青色で健やかな心を写していた。何処までも伸ばせるすらりとした脚が少し足早に交差する。
間をおいて羊飼いの男が少し鼻の下を伸ばしこう言った。
「……奇麗な声の娘さんですねぇ」
それを見たロセフは動かしている手を止めもせず、先までと同じく淡々と話す。
「ええ、そうでしょう。機械人形の声は元となる喉の調整が非常に難しい。理想の声にするために音声機を付ける人も居るくらいだが彼女の声は自前のものだ、それであのような声が出せるのは中々に素晴らしいと……」
「……失礼」
顔をを上げると羊飼いの、いつの間にかなっていたらしいにやけ面をみてロセフは黙ったが、もう遅かった。
……仕事帰りの道中。ビンテージ車に乗った人形と人間の二人が静かに笑い、静かに認め合う。
それは、まるで娘と父親の織り成す他愛のない幸せの空間だった。
「彼はメイの事が気になってたみたいだ、どうだね彼が子供だった頃からの付き合いだが切実な人だよ」
開口一番、全く心にも思っていない事をロセフは話した。ロセフはメイの事をびくとした程度では誰かにやるつもりはないと誓っているが、彼女の心を少し惑わす算段……というよりも愛ゆえに揶揄いたかったのだ。
「……素敵な人でしたね」
「!」
ロセフは落ち着いた態度を取り計らっているが、それは間違いであることは車のハンドル捌きが教えてくれた。それを見たメイは微笑を見せ真意を明らかにする。
「……うそ。ロセフに恩を返すまでは誰かに仕えることは在りません」
それを聞いたロセフは安堵のため息とは裏腹に、少し曇ってしまっていた。
メイのその言葉はロセフにとっては嬉しい反面、悲しい話だったのだ。
もう彼女には自分の恩義など感じず、幸せに只々笑っていてほしかったからである。
自分があのゴミ捨て場でメイを拾った時から、メイの新しい体を作った時から、メイの感情が双葉の様に芽生え始めた時から、ロセフは彼女の未来だけを見つめていた。
「メイ。君が来て私は十分笑顔になった、君は恩義など微塵も感じる必要はない」
あのゴミ屑まみれの地獄から、ネズミに話しかけ涙を流す機械人形を連れ出した時に、何を捨てても、自分の命に代えても「それ」を守ると心に誓った。
「……だから、君が仕える人は君が探すんだ他の誰でもない、君がね」
色恋などは毛頭なく、ただ純粋にロセフは全てを掛けてメイを愛していた。
「……なら言葉を変えます。私は私の意思でロセフと一緒に居ます」
「……この仕事は辛くはないか?」
ロセフはついつい話を足早にしてしまった。間髪入れずにメイは答える。
「はい。最高の仕事です」
……家に帰るなり二人は早速、溜まっている案件に取り掛かる事にした。
知っての通り、ロセフの仕事は機械人形修理専門の技師である。
その仕事の実情は人に必要とされながらも、同じく人から疎まれる職業だ。
人々と運命を共にしている様々な機械人形たちの緊急事態を、時には車で駆け付け、時には整備し、時には必要な部品を発注し。そして時には欠けた一部を作り直す。
言葉にすれば単純なものだが、その仕事に準ずるものはごく僅かで、重宝される。
なぜなら、この仕事は人を必要としながらも、じわりじわりとその真摯な心を蝕まれていくからだ。
「……すまない、A46を」
……それは、人と暮らす、人と寄り添う、人のエゴを全て無条件に呑みこむしかない傀儡達に真正面から向き合う仕事。
「ロセフ、D12番のレンチを」
……それは、人の光を見ることもできるが、それ以上の闇を垣間見ることもできる暗い谷。
「メイ。8番の子、足完成。様子見て」
……並みの精神では、3年と持たない人の闇。だけれども彼らはそんな哀れな傀儡達に寄り添う変わり種。
「異常なし。……同じく5番も異常なし」
……百の汚れから真珠の様な眩い一を見つける事を生き甲斐にした屈強な者の集まり。
「ラストスパートですよ、ロセフ」
「全く、良い腕だよメイ」
それが機械人形の「技師」という仕事。
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「……寒がりの癖に、毛布が薄いですよ」
メイが激務からの疲れで寝ている相方に優しく布を掛ける。
手に持ったホットコーヒーに口を付け、椅子にもたれてロセフの寝顔をじっと見ていた。
外はいつの間にか、しとしと冷たい雨が降っている。
その様子をメイは懐かしそうに、寝ているロセフと一緒に目に写す。
「……貴方が、あのゴミ溜めから私を見つけてくれた時、私は初めて照れたんです」
己を本当に何の価値もないそこらに散らばっているごみ屑と一緒だと思っていた自分。
そこから救い出してくれた、唯一の暖かい瞳。
突き刺さる視線に自分は欠片も悪くもないのに、申し訳なさそうに接してくれた甘い香り。
喚き散らかす醜い人形を見ても黙って手を握って、優しくうなずいてくれた唯一の人。
「……私が照れた時は、今でもその時しかないです」
相手が例え「時が止まった人間」と理解しても尚、メイは────―
「……私には、貴方しかいないから」
コーヒーの入っていたカップはいつの間にか空になり、雨も止んだ。
外は何時しか朧気に光が差している。轢かれた香ばしい匂いを残しメイは仕事に戻った。
メイの掛けてあげた毛布が少しだけ動いた気がした。
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「メイ、僕はベーカー街58番地へ行ってくる。君は来なくていい」
……突然メイを突き放したような言葉遣いになったロセフだったがそれには理由があった。
ベーカー街は治安がとても悪く、女性の形をしているなら機械人形と言えど警戒せねばならないからだ。
そして何より、そのような街の住人から依頼が来たとなると大抵碌な仕事の話ではない。
「……いえ、行きます」
この仕事の話も例に洩れなかった。
何故なら、この仕事の雇い主は今まで何度もロセフたち機械技師を呼びつけているからだ。
ベーカー街58番地左隣の住居、バーン家。そしてその注文は何時も決まっていて女性型人形の顔の修復だった。
「……メイ、無理をしてはいけないよ」
「……あの子の様子を見に行くだけですから」
なぜそんな律儀に、その様な依頼を受け続けているのかと聞かれると、ロセフ達はそのバーン家の機械人形「アルジェ」をどうにか引き取ろうと模索していたからだ。
彼女はいつも横暴なバーンの奴隷となっていても、健気にいつも玄関の花瓶を差し替える心優しい人形だった。
そんな彼女をメイとロセフが何もせず放っておけるわけがなかった。例え安い賃金でも仕事を受け負い、アルジェの優しい心が暴力に塗りつぶされないように会いに行きながらも、何とかして彼女を救う方法を考えていたのである。
それが例え偽善であっても、二人は彼女のために心を決めていた。
「ロセフ、何故声の出せない機械人形を大切にする人も居れば、あんなに素直なアルジェを虐める人も居るのでしょうか?」
ロセフは、その素直な問いかけに上手く答える事が出来なかった。