「無惨さん」
「何だ」
「あの......この格好で歩くのは流石に不味いと思うんですけど......」
未だ、月が地上を照らす夜の時。真夜中の為人は居ないが流石に血塗れの着物まま歩くのは不味い。
「今向っている」
「それは、ありがとうございます......」
「......」
「......」
会話が続かない。気まずい。
時折、無惨さんの顔を見上げては目が合いそうになったら地面に視線を移した。しばらく歩くと一つの建物の扉の前で足を止めた。
「ここだ。人が出るがしばらくお前は口を開かずに下を向いておけ」
「分かりました」
言われた通りに下を向く。そんな僕を確かめた無惨さんが扉を軽く叩いた。すると、一人の男性が少し開いた扉の間から顔を覗かせる。そして、無惨さんだと分かると顔色を変え、慌てて扉を開いた。
「恭二様! こんな時間にどうして......っ! 彼女は?」
「すみません。事情を聞かずに風呂と彼女の為の着物を用意してくれませんか?」
「......分かりました。どうぞ、こちらへ」
しばらく考えるような素振りを見せた男性だったが、直ぐに了承し僕達を建物の中に迎え入れた。
「入るぞ」
「はい」
無惨さんに言われるがまま中に入っていく。その時ですら僕は手を離さず、無惨さんも僕の手を握っていてくれた。見た時は少し怖かったが、見かけによらず優しいのかもしれない。
僕はどんどん鬼舞辻無惨という男に引き込まれていった。この人の為なら何でも出来るという気持ちが、心の底から湧いてくる。そんな気がしたのだ。
「ふぅー」
タイルで敷き詰められた風呂で湯船に浸かっている。身体を洗った時に排水溝に流れていく血の混じった水が、流れていくのを見るとだんだん身体が綺麗になっていくのが分かった。
そして、今は肩まで湯に浸かり、これからの事を考えた。
僕は人を殺した。実の父親を......。そのことは全く何とも思っていない。あの男は殺されて当たり前のことをしたのだ。だけど次は僕の知らない人を殺さなければならない。
僕にそれが出来るのだろうか......。いいや。しなければならない。無惨さんに助けて貰った。返せない恩がある。それに、元々あの夜死んでいたかもしれない身だ。僕の全部をあの人にあげよう。
「―――よし」
湯船から上がり、風呂を後にする。
布で身体中の付着した水分を拭き取り、手際良く新しく服を着る。今まで着ていた着物とは違い。動きやすいように無惨さんが気遣ってくれたのか袴が用意されていた。
靴も膝の近くまで覆うほどブーツが用意されていた。
「来たか」
「はい。あの、袴をありがとうございます」
「構わない。―――さて、お前の身体の力のことを教えてやろう」
「はい」
それから、僕の身体に起こった変化や人間でないことを知った。僕は鬼になった。それを聞いたらなるほど納得がいったと思った。人間の首を容易く千切ることが出来るほどの力。鈍器や刃物で殴られても痛くも痒くもないほどの防御力。普通の人間なら有り得ない力だ。人間ではなく鬼になったのなら合点がいく。
しかし、おかしな点が一つある。
鬼になってからというもの食欲が全然わかないのだ。人間の血を見ても、肉を見ても、まったく食欲がわかない。それを無惨さんに言うと驚いていた。そして、この特異な体質は僕の固有の力らしい。
鬼には血鬼術という特殊な力を使える鬼がいるのだと言う。無惨さんの血を多く取り込んだ僕はほぼ間違いなく一つや二つ、その血鬼術という力を使えるだろうと言うが、まったくその実感は湧かない。その時が来れば無意識に使い方が分かるようになると無惨さまが教えてくれた。
つまり、僕は鬼になった。太陽に当たったら死んでしまう。人間の肉を食べないと暴走する。しかし、僕は特別で食べなくてもおそらく大丈夫。人には出せないほどの怪力。何時か使えるだろう不思議な力、血鬼術。無惨さんが変化の力を使えるので出来ないか試したら出来たので変化の力。以上が今の鬼である僕が使える力と気を付けなければならないことの全て。
「―――以上だ。分かったか?」
「はい。全て分かりました」
元々声変わりがなく、女の子のような声だったが、今は身体の作りも女性になり、より女性的な声になった。男になろうとしたが、無惨さんが「女性の方が何かと有利だ。これからは女性でいなさい」と言われた。その事に対して僕は無惨さまに貴方は何故女性の姿ではないのですか? と問うと短く「男として生まれたからだ」と言う。僕は無惨さんは最強なので有利に立つ必要は無いのだろうと勝手に考え、自己完結した。
「さて、ここからが本題だ。お前が殺さなくてはならない人物。そして、そいつを殺す為にやらなくてはいけないことを教える」
「はい」
「お前に殺して欲しい......いいや、滅ぼして欲しい人物は産屋敷の連中だ」
「産屋敷? ―――あの......どうしてその人達を滅ぼすのですか?」
「それはお前が知る必要は無い」
その瞬間。無惨さんからとんでもないほどの殺気が飛んできた。
「ひぃっ! す、すみません」
思わず声が出てしまった僕。直ぐに冷静さを取り戻し、怒っているだろう無惨さまに謝った。
「いやいい。話を続ける。産屋敷の一族と接触するには鬼を滅する為の組織である鬼殺隊に入隊してもらう」
「ばれないでしょうか......」
「私と同等な変化の力を持っている。私達の変化は私の部下ですら全く気付かないほどの精度。まずもって、正体がばれることはないだろう」
「その鬼殺隊に入隊するには如何すればいいのですか?」
「色々あるが、一番無難なのが育手と呼ばれる鬼殺隊に入る人材を育成する人間が存在する。既にお前が教えを請う育手の居場所の目星は着いている。お前にはこれからそこに向ってもらう」
「その育手の名前はなんと言うのです?」
「
瞬間、空気が変わった。無惨さんからピリピリと肌を刺す空気が、僕の身体にひしひしと伝わる。そして、またまずいことを聞いてしまったかと不安になった。しかし、直ぐに怒りを沈める。ホッと息を吐くと、恐る恐るその育手について問いかけた。
「雷光金継......もう老人ですが、他に育手はいないのですか?」
「認めるのは癪だが、今生きている中で一番強い鬼殺しはあの男だ」
「―――分かりました。その男の下で鬼殺隊になります」
「いいか。ただ殺すのではなく、家族以上の信頼を得てから目の前で殺せ、顔を見て、正面から私達を殺す為の日輪刀で産屋敷の心臓を貫け。分かったな?」
「は、はい。必ず貴方に恩を返します」
「最後にお前に紹介したい者達がいる」
無惨さんがそう言うと何処からか琵琶の音色が聞こえてきた。その音はどんどん近くなり、気づいた時には違う建物に座っていたのだ。
空間が歪んでいるような場所。色々な方向に建物が存在しており、縦に、下に、上に、横にと様々な部屋があり、そのどれもが空中に浮いている。不思議な空間だ。
突然の事で焦った僕は胡坐をかいて座っている無惨さんの後ろに隠れた。
「ひぁ!」
「うろたえるな」
「は、はい。申し訳ございません......」
無惨さんの背中から覗き込む。すると、目の前には六人もの
鬼が見えた。
「これはこれは無惨様! 今回はどのようなご用で俺達をお呼びになったのですか!?」
笑みを浮かべながら僕達を見上げていた。
「お前たちを呼んだのは他でもない。―――前に出て挨拶しなさい」
僕は頷くと、背中から恐る恐る立ち上がり、六人に見える所まで進みゆっくりと口を開いた。
「あの。蝶花と言います。......えっと。先日、無惨さんに鬼にして頂きました」
「無惨さん?」
誰よりも先に無惨さんに話しかけた笑顔を貼り付けた長身の男が、僕の言葉を聞いた瞬間より一層口角を上げ、愉快そうに笑っていた。
「無惨様に何と言う呼び方!」
「怖ろしい怖ろしい! 敬愛なる無惨様に何と言うことを......きっとお怒りになる......」
「無惨さんだと! おのれ小娘! その身体全てを壺に押し込め殺してくれる!」
「ひぃ! 無惨さん!」
何故か怒り出した鬼達に驚き。また、無惨さんの背中に隠れてしまった。
「可愛い子......。無惨様。その娘、喰ってもよろしいでしょうか良いでしょうか?」
「静かにしろ」
その瞬間。ピタリと声が止む。
アレだけ怒り狂っていた鬼達を一言で静めてしまった。この鬼達は無惨様に心酔しているのだろう。
「無惨様......その娘は......」
今まで黙っていた。長い髪を束ね、刀を腰に挿した男が口を開いた。
「この子にはお前たちには出来ないことをしてもらう。―――鬼殺隊の潜入。そして、産屋敷の一族の暗殺だ」
ここにいる全員が驚いていた。その事を気にすること無く話を続ける。
「鬼殺隊になったこの子の邪魔をするな」
「了解です!」
「承知した......」
「了解しました」
「ヒィィィ! 承知いたしました!」
「嗚呼......無惨様のお心のままに」
「はい! 無惨様の命令とあらばどんな事でも受け入れます!」
全員を納得させた無惨さん。それから傍に置いてあった背嚢を背中に隠れている僕に渡した。
「この中には育手の男の住んでいる場所の地図と当分の資金が入っている。持って行きなさい」
「ありがとうございます」
「これから困難なことが幾度と無くお前を襲うだろう。しかし、忘れてはいけない。お前は私の物で私の命令は絶対に遂行しなければならないということを......。殺される前に殺せ。躊躇したら殺される。殺すのに戸惑うのなら私の為にと思いながら殺しなさい」
琵琶の音が鳴る。
気が付くと無惨さんの姿は何処にもなく。その存在自体がこの空間から消え去ってしまった。
「無惨様も面白い子を連れて来たものだ! 胸の高鳴りが止まらないぜ!」
既に数人の姿が見えない。無惨さんと同じように何処かに飛ばされたのだろう。残りの鬼が僕の近くに来ると好奇な視線で僕を見下ろすように見ていた。
「どうして下弦の鬼達は呼ばれなかったのかしら?」
「何だいそんなことも分からないのか堕姫。それは、この娘が下弦よりも強いからだろう」
「無惨さまが連れて来たのです。上弦と同等の力があるのではないですか?」
「ふーん。―――にしても綺麗な髪ね? 貴方、蝶花とか言ったわよね? 無惨様とはどういう関係なの?」
美しい花柄の着物を身に纏った綺麗な女性が僕に顔を近付けてきた。
「えっと......。殺されそうになった所を助けて頂いて。それから直ぐに連れて来られました」
「ほお......。ってことは鬼になったばかりなのか?」
「はい」
「どれだけ無惨様に血を分けていただいたのですか?」
「―――湯飲みに三杯ほど、です」
「っ! そんなに頂いたの!? 羨ましい!」
「いやいやそんなことよりそれだけの量を一度に飲んで死んでいないのが俺は驚きだぜ!」
それから少しの間、皆から色々な事を教えてもらい、話をしてると琵琶の音色が辺りに鳴り響いた。
「そろそろ帰るわ」
「私も作っている最中の芸術品を完成させねば。―――これにて失礼」
「俺も帰ろう。じゃあね蝶花。次集まる時にも生きていれば正真正銘君は上弦と同等の力を持っている事になる。そうなればもっと楽しくなるぜ!」
全員、元の場所に戻っていった。僕も無惨さんから貰った背嚢を背負うと飛ばされる時を待つ。
「......」
何処かの田舎道に飛ばされた。まだ夜で空には月が見える。背嚢の中を確かめると、地図と大量の札束が入っていた。僕は地図を取り出し、見つめた。
丁寧なことに今、自分が何処にいるかが分かり、どの道を通っていけば最短距離で山に到着するかが文字が得意ではない僕でも直ぐに分かるように記号で書かれていた。
「......よし」
靴の感触を確かめ、背嚢を背負い直すとゆっくりと走り出した。