彼がそんな調子なのは珍しくもないが、今日は特にひどい。同行するのはおろか、こっそりついていくことも許してくれず、だからといって安心できるような根拠を示してもくれないし、一緒に行ってはいけないという納得できる理由も話してはくれない。サーラを一人で遊びに行かせようと言い出すなど、普段の過保護ぶりを知るミザリィからすれば明らかに普通ではなく、何かロクでもないことを考えているのだとしか思えなかった。
もっとも、クロウが猫可愛がりしている姫君を危険に晒すようなことはしないだろう。その点においてはミザリィが彼にかける信頼は絶大なもので、故にこそ彼女も強硬な主張はできずに居るのだが。
「サーラが戻ってくるまでにお菓子を用意しておいてくださいね。祝いに手抜かりはゆるされませんから」
そう言ってクロウは階を上り、結局十分な説明もないまま部屋を閉じてしまった。彼が何を企んでいるのかも分からず、ただ従うことしか出来ない。もはや慣れつつあることだが、やはり不愉快には違いない。
「それにしても、どこからこんなに持ってくるのかしら」
クロウがどこからか調達してきたという食材を前に、ミザリィは無人の廃屋で溜息を付いていた。彼の態度は面白くないが、その言葉には頷かざるを得ない。確かに今日は、一年に一度の大切な日なのだから。
流れた時を遡るように、姫に手を引かれながら夜は村を巡る。ついさっき通ったばかりの道が今では別物のように広くて静かで、無遠慮な風の音がやけに耳障りだった。
「キミの家はどのあたりなの?」
少年が見ていた限り、訪問されなかった家など無いはずだった。ならば彼女の家はもっと前半にあったのだろう。そんな少年の予想を裏切り、少女は行列が来た方向へ逆戻りするように進み始めていた。
「んーとね、あっちかなぁ」
のんきで曖昧な返答が、そうとは知らずに少年の疑念を煽り立てる。一体どこへ向かおうというのか。
「どういうこと? わからないの?」
「わかんないけど、だいじょうぶ」
一体どういうことなのか、少年がさらに尋ねようとする前に少女は視線を前方へと戻し、編み籠を提げた左手で空を指し示した。
「みて、あそこ。あの子が教えてくれるの。いきたいところまで連れていってくれるのよ」
そう言って少女は再び振り返り、にいっと笑いかけた。しかし、少年がいくら目を凝らしても、そこにあるのは暗い空ばかり。"あの子"は影も見つからず、流れる雲が星々を飲み込みつつあった。
見えない道標をたどるように、少女は閑散とした道を迷いなく進んでいく。ふと、少女は何もない道端で足を止めた。そろそろ見えてきたのだろうかと少年は安堵を覚える。しかし少女は、少年にちらと目配せすると、村の内外を隔てる柵へ向かって駆け出した。掴まれた手が離れ、薄く張り付いた氷がピシピシと割れ落ちる音がした。
飾られた柵を軽々と飛び越える姿はピューマのようにしなやかで、上下を逆さに宙を舞いながら、呆然と立ち尽くす少年へと視線を送り手を振っているようだった。
「こっちこっちー」
外から少女の声が響く。同じように外へ出るよう促しているのだろうと、少女の言わんとすることを察しながらも少年はためらっていた。祭りの後に暇を持て余して村から出たことくらい何度でもある。けれど朝が訪れるまでの短い時間では、他の町や村はおろか人家の一つも見つけたことはなく、結局は元通り土の中に戻されるだけに終わるだけだった。本当に外に家なんてあるのか、あったとしても朝が来る前にたどり着けるのか。少年の頭には代わる代わる疑念が浮かび、彼を待つ少女にも疑問を抱かせていた。
「どうしたのー?」
彼はなぜ追ってこないのだろう。少年の不安など知る由もなく、少女が最初に思いついたのは目の前に存在する物理的な障害。すなわち、二人の間を横切る柵が越えられないのではないかと閃いたのだ。
ならばどうすれば彼はこちら側へ来られるだろうか。極めて単純な解答がたやすく導き出された。そこまで分かってしまえば、その後の行動は放たれた矢に等しい。草を踏みながら柵へと歩み寄り、指先で触れて意識を向ければ立てられた杭は陽気な音と共にはじけとび、黒い煙と小さな灯に縁取られた穴が口を開けていた。
柵に作られた風穴から顔をのぞかせ、こっちだよと呼びかけてくる少女の姿を目の当たりにして、少年は多くの事がバカバカしく思えてきた。こらえきれず笑みが浮かび、いびつな表情を作り出す。彼女は来て欲しがっていて、自分も一人にはなりたくない。それで十分じゃないかと。
「気がつかなくってごめんね?」
少女はバツが悪そうに謝ると再び少年の手を取り、闇の中へと歩き出す。その足取りは先程までよりも少しだけ遅くなっていた。
何を謝っているのか、何に気がつかなかったのか、少年の目には相変わらず案内人の姿は写らないが、自信に満ちた少女を見れば心配する必要も無さそうに思えてくる。少年の胸には未だ不安こそあれど、迷いと後悔はかなぐり捨てることにした。
たった一人で無為に過ごす暗闇は嫌というほど味わってきたのだから。あてもなくさまよい続けるとしても、誰かと居たかった。もしこのままずっと一人にならずに済むのなら、どこにもたどり着かなくても良いんじゃないかとさえ思いはじめ、あるいはそう思い込もうとしていた。
月と灯りの消えた村を背に、夜のパレードは無人の野を行く。程なくして、子供たちの前に現れたのは、霧に包まれた黒い森。冷たい風がざわざわと密集した葉を揺らしていた。
――まさかこんなところに入るのか。
もうなるようになれと開き直ることを決めたはずの少年だったが、その決意は早くも揺らぎそうになっていた。少年の戸惑いも何処吹く風と白金の髪をなびかせて、少女は夜より暗い森へと手招かれるまま踏み入った。
「ボクたち、キミの家に向かってるんだよね? 道を間違えたりしてないよね?」
「もちろん。おまつりに行くときも、おんなじようにしたもの」
質問する意味などないと分かっていても、問いかけざるを得なかった。投げられた問いに答えながらも、少女の足は止まらない。少しずつ距離が空いていく。彼女に声をかけた意味を失くしたくはなかった。既に覚悟は決めたはずだと、少年の足も動きだす。二つの影が溶けていく、森を飲む深い霧の中へ。
「あしもと、気をつけてね?」
少女は夜更け前に自分へ向けられた言葉を思い出し、新しい友達を励まそうと声をかける。せっかく貰ったお菓子をこぼさないように、身軽さに欠ける友達を置き去りにしないように、少女は往路よりもゆっくりと慎重に、けれど易々と森をすり抜けていく。自分のすぐ後ろをおぼつかない足取りで懸命に追ってくる少年の姿は不思議と微笑ましく、たいへんそうだな、だいじょうぶかなと、心配すると同時に暖かなものを胸に感じていた。まるで弟の世話を焼く姉になったような、新鮮で気持ちの良い感覚を。
とはいえ、道行きに難儀する少年を未熟と断ずるのはいささか酷でもあるだろう。鬱蒼とした木々の合間を縫う道筋は歩くことさえ困難なものだった。ただでさえ平坦ではない地面に、長く伸びた枝や背の高い草、膝よりも高くまで張り出した太く大きな木の根っこなど、個性豊かな自然の障害物が行く手を阻んでいる。月明かりなどまるで届かない夜の森林を進むなど、子供でなくとも自殺行為に近い。
ただ、少女は理解していないのだ。羽毛のように自由な身体や、暗闇の中に案内人を見いだせる眼を持つ自分が特別であることを。少女にとって子供に適用できそうな基準は自分しかなく、他によく知る人物といえば身近な二人の保護者のみ。その二人に対しても、自分がどれほど気ままに進もうとも、遅れたり、まして見失ったりはしないだろうという確信があった。
常人であれば少女についていくことさえも不可能だっただろう。木枝に刺されて痛みを感じることもなければ、晩秋の夜風に凍えることもなく、草木や霧に作り出された闇を恐れることもない。そんな彼だからこそ、苦労しながらもかろうじて少女の後を追えている。
しかしその状況を面白がっている少女と違って、少年は自らの歩みの遅さに焦れていた。彼には明確な刻限があり、なんとしても朝までに彼女の家にたどり着きたかった。道中に楽しさがないわけではなかったが、人間離れした少女の軽やかな足取りを見せつけられているだけに、自分がもっと速く柔軟に動ければと考えずにはいられない。そうでなくとも、自分よりも小さな女の子に手を引かれ、気遣われている事実が気に触るのだ。少女の無邪気に煌めく視線の内に、真偽を塗りつぶし憐れみを見つけそうだった。
深く険しい森の障害を幾度となく乗り越えながら、少年は気分が徐々に悪くなっていくのを感じていた。だるいような、眠いような、意識が遠のいていくような。少年はその感覚をよく知っていた。何度も経験したことだから、夜明けが近いと分かってしまう。その疲労感に抵抗したところで意味はなく、諦観任せに沈んでしまって次の夜更けを待てば良い、いつもそうしてきたように。だが、この日の彼には目的があった。これまでの夜には得ることがなかった、やりたいことが。
――せっかくこんなところまで来たのに、中途半端で終わるなんて嫌だ。
まだ遊び相手がいるんだ、家まで連れて行ってくれると言うんだ、もっと遊んでいたいんだ。そんな期待や執念、そして意地のような、少年には縁遠かったはずの感情が、薄れゆく彼の身体を叱咤していた。息を切らすのも久しぶりすぎて、休んで眠ってしまおうとささやき声が聞こえてくる。でも、あと少しだけ、せめて彼女の家に着くまで。体が重い、疲れた。でも、もう少し長く、彼女がお菓子をもらうのを見るまで。少女の緋い瞳を頼りに枝をかき分け草を踏み、濡羽色の霧が濃くなるほどに少年の欲も肥大化する。
――まだだ、まだ夜は明けていない。もっと、もっと、満足するまで。どうか朝日よ、昇らないで。