翌週の月曜、授業を惰眠で突破した俺はほかの生徒同様に放課後を迎えていた。真面目に授業を受けるものにも、不真面目の限りを尽くすものにも放課後は平等にやってくる。ひどい世の中だ。まあ、当然その報いは定期テストという喚問で受けることになるのだろうが、俺にとっては正直どうでもいいことだ。
「はあ……」
購買付近のベンチに座る俺は外の自販で買った綾鷹を片手に小さく息を吐く。
一応このあと文化祭実行委員会の会議が控えてはいるが先週の一件を踏まえるに、俺が行ってもギスギスするだけだろう。
全く、俺は実行委員会を追放されるチート能力でも持ってるんだろうか。
いや、むしろ状況は体育祭の時より劣悪かもしれない。
俺は、黒崎裕太郎は、結局定めからは逃れられない、ということだろうか。
「……はあ」
「ため息は幸せを消し去るぞ」
いつの間にか俺の隣に座りミルクココアのペットボトルをこちらに転がしてきたのは、結城先生だった。
「ご心配なく。すでに幸せゲージゼロなんで」
「なら、それを飲め。糖分の摂取は疑似的に幸せを作り出す」
「なんすかそれ、先生の大学の卒論ですか?」
「そんな論文が許される時代ではなかったな」
先生はそこで会話を切る。なので俺は手元に転がるミルクココアのキャップを開け、一口飲む。
「で、なんか用ですか?」
「君こそ、私に用があるんじゃないのか?」
「……知ってたんですよね、姫宮の部活がゲーム部の存続と引き換えにつぶれたって」
先週の一件の後、俺は安城を介して以前の部活動縮小計画の内情を調べることができた。そこに書いてあったのは、映画研究会という部活の廃部が決定していたこと、そしてそれは俺のプレゼンによって存続を許されたゲーム部に枠を取られたからだという事実だった。
「当然だろう。私は生徒会の顧問だぞ?」
「開き直られると文句言いづらいんだよなあ……」
「知っていたのは、君もそうだろう?」
先生が言っているのはきっと姫宮のことではなく、ゲーム部を救済することで犠牲になる部があるという事実、それを俺は知っていたということだろう。
そうだ、俺は知っていた。誰かの居場所を守ることは、他の誰かの居場所を奪う可能性を孕んでいると。だからこそ俺は当初ゲーム部の存続に加担する気はなかった。
だが、俺は知っていながらそれをしてしまった。神崎のためだと、彼女の居場所を作るためだと、そんな言葉で自分を正当化した。決してあの時神崎のために動いたことを否定するわけじゃないが、結果として俺は姫宮の居場所を奪ってしまった。それは中学の時の俺が犯した過ちと何ら変わらない結果だった。
俺が人を助ける理由、それは自分に居場所を見つけるため。それなのに、それなのに俺は他者からそれ奪ってしまったのだ。
「まあ、別に君の行動を否定したいわけじゃない。世の中、みんなに平等にすることなんてのはハナから不可能なのだから」
「教師の言葉じゃないでしょ、それ」
「それで、君はどうする?」
俺のツッコミは完全にスルーして結城愛莉は問いかける。だが、どうするもこうするもすでに終わってしまったことを、今更どうすればいいのだろう。
「終わってしまったことをいつまでも考えるのは愚か者のすることだ。真に賢いものとはその結果を踏まえ、未来に投資するものだ」
「先生、中二病ですか?」
「人というのは皆どこか患っているものだよ。それは心かもしれないし、もっと別のものかもしれない」
「もはや意味不明っすね……」
俺がもう一口ミルクココアを飲んだところで、先生は立ち上がり、小さく伸びをする。
「私も、立場上君に加担することは憚られるが、君には私とは違う未来にたどり着いてほしいと、そう思っている」
その言葉が意味するところを完全に理解することなんてできなかった。でも、それが結城愛莉という人物の経験してきた日々の積み重ねから出た言葉であろうことは、なんとなくわかった。
「授業はここまでだ。しっかりやりたまえ」
そのまま立ち去っていく結城先生の姿を見送った後、俺は重い腰を上げ、4階へと向かう。
***
会議室に到着した俺は、周囲を見渡す。そこには、何かとてつもない違和感があった。それを確かめるために、俺は室内に設置された時計を確認する。
時刻は4時25分。会議の5分前だ。俺はこれまでの会議は毎回この時間に会議室を訪れていたが、先週まであったはずのものが今日この場にはない。それが違和感の正体だった。
だから俺は、その違和感を言語化する。
「人数、すくなくないか?」
文化祭実行委員会のメンバーは全部で34人。そこに俺が加わり35人で活動していた。だがどうだろう、今現在、会議の5分前という時間なのにこの部屋には10人程度の生徒しかいないのだ。
伝達ミス?それとも急用?
いや、どちらも違う。ではなぜ?
俺はホワイトボードの前のテーブルに座る安城に声をかける。
「おい、安城。どうなってんだこれ?」
「く、黒崎君。それが……。わからないの」
「わからない?」
「うん。先週の会議で今日の日程はプリントにして全員に配ったし、今来てない人たちから欠席の連絡もないの……」
ということは、考えられるのはここにいないメンバーが故意に欠席しているという可能性。
いや、それは早計だろうか。
「とりあえず、会議の開始を10分遅らせて様子を見たほうが……」
「必要ないわ」
俺の言葉を遮ったのは安城の隣でプリントの角をそろえる姫宮だった。
「いや、必要ないってお前……」
「仮に彼らが意図的に欠席しているのなら待ったところで時間の無駄。それならば今ここにいるやる気のあるメンバーだけで行ったほうが効率的だわ」
「でも、今日はそれでよくても今後ずっとだったら相当な痛手だろ。ここにいるメンバーだけじゃ仕事を回しきれない」
「不足する部分は私がカバーするから何の問題もないわ」
「おいおい……」
「それと」
「なんだよ?」
「私に話しかけないでくれる?あなたの協力なんて必要ないの。なんならこの場から立ち去ってほしいくらいだわ」
姫宮の言葉は、冷たく、明らかに俺への敵意が込められていた。
「お、おい姫宮。何もそこまで言わなくても」
「そ、そうよ。黒崎の協力があったほうが効率的じゃない」
見かねたのか桜木と霧野が彼女をなだめようとする。
「あなたたちはそれでいいの?言ったでしょう、この黒崎裕太郎こそが私たちの部を廃部に追いやったのよ?」
唐突に、部屋の中に重い音が響いた。
それは姫宮の言葉に、桜木が机を強くたたく音だった。
「姫宮、いい加減にしろよ……!本当に黒崎がゲーム部に加担しただけでうちの部がつぶれたと思ってるのか……?」
「ちょ、ちょっと桜木……!」
霧野が桜木を止めようとするが、桜木はもうそれが聞こえていないらしく、言葉を続ける。
「映画研究会がつぶれた一番の要因は、お前なんだよ!お前のその、人を見下す姿勢、自分が認めたもの以外は石ころ程度にしかみなさない態度をみかねて顧問の先生も困ってたんだよ!」
「さ、桜木君……?」
「今まで我慢してきたけど、もう限界だ!俺はもう実行委員会なんてやめてやる!」
桜木はカバンを乱暴に持ち上げて、そのまま会議室を出て行ってしまった。
「姫宮さん……ごめん」
霧野もそのあとを追っていく。会議室内に残されたのは、俺たちと、困惑している数人の実行委員だけだった。
「え、えっと……」
残っている実行委員たちに何とか説明しようとする安城だが、この状況で言えることなんて無いに等しいだろう。
「なんで……なんでよ……」
「ひ、姫宮さん?」
安城の声も聞こえていないのか、姫宮はふらふらと立ち上がり、そのまま桜木たち同様、会議室を出て行った。
「く、黒崎君!どうしよう……」
どうしようといわれても、この状況下で会議を始めるのは不可能だ。委員長の姫宮も、中心人物の桜木や霧野も、たった今出て行ってしまったのだから。
「……とりあえず、今日のところは解散だな。んで、すぐに担当の教員に相談したほうがいい」
「そう……だね。それしかないね」
幸いにも実行委員の活動ペースが速かったため、今日一日くらいなら流れてもダメージは少ないだろう。
だが、それはその場しのぎでしかない。次回の会議までに姫宮が桜木たちと和解し、ボイコットした面々をもう一度引き戻さないと実行委員会は破綻する。
そんなことほぼ不可能だ。そして、この状況を作った一番の原因は、
俺だ。
***
そのままその日は俺の提示した通り会議は解散となり、騒ぎがそれ以上広がることはなかった。だが、それは根本的な解決にはならないし、このままならそれ以上のダメージを食らいかねない。スケジュール通りなら次の会議は木曜日。今日を入れてもあと3日以内に何とかできなければ、はっきり言って終わりだ。
それだけじゃない。大事な委員会がお釈迦になれば、当然文化祭は歯抜けの状態で行われる、もしくは中止にだってなりかねないし、その重役だった姫宮や安城たちにも何らかのペナルティが課せられる可能性も大いに考えられる。
その事実は理解できても、だからと言って俺が何かできるわけでもない。俺はただの委員会の歯車の一つでしかないのだから。
有効な解決策も見つからないまま、時は流れ、火曜日の放課後になってしまった。
掃除当番だった俺は運悪くゴミ出しじゃんけんに負け、なぜか今日に限ってぎっしりとごみの詰まったゴミ箱をゴミ捨て場に運ぶ最中だった。
「あー、マジで重い……」
愚痴を吐きながらも職務を全うする俺は、苦難の末にゴミ捨て場に到着した。あとは回収用のごみ箱に袋ごと放り込めば任務完了だ。
「きゃあ!ど、どいてえ!」
「へ?……へぐっ!」
大きな声に振り向いた矢先、俺の顔面に青いプラスチックでできた物体が突っ込んでくる。その勢いに押されて俺は地面に倒れる。
「い、いてえ……」
呻きながらも首を横に向けると、ぶつかってきた物体が各教室に配置されたゴミ箱であることがわかった。
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか?」
俺の顔面にゴミ箱をシュートしたであろう生徒の声に、俺はゆっくりと上半身を起こしそちらへと視線を向ける。
そこにいたのは、腰に届くくらい長い髪で、前髪も完全に目にかかっている女子だった。制服のリボンの色からして、3年生だろうか。
「あ、いえ、こっちこそ不注意でした。すみません」
上級生相手なので一応敬語で言葉を返し、彼女が散らばしたであろうゴミをいくつか拾って倒れているゴミ箱に投げ入れる。
「あの、君、黒崎君ですよね?」
「え?ああ、はい。俺は黒崎です」
「や、やっぱり!わ、わ、わたし、その、覚えてますか?」
「はい?」
覚えているか、と聞かれてもう一度彼女の姿を視界に入れるが、まったく記憶にない。そもそも赤羽の上級生で顔見知りなのは生徒会会長の沖谷と副会長の光定くらいなもんで、あとはしゃべったことすらない。
「すみません、全然わかんないです」
「覚えてないですか?あの、消しゴムを探してくれたじゃないですか!」
消しゴム?やっぱりわからん。赤羽に入学してから消しゴムを躍起になって探した記憶なんて全くない。
「あの……高校じゃなくて、中学の時です……」
「は?中学?」
「そうです!委員会の集まりの時に……」
中学の時のことはあまり思い出したくないが、目の前の彼女の正体を知るには思い出さざるを得ないだろう。
「えーっと……」
「……」
「……そういえば、2年の秋ごろに図書室でやった会議でそんなことがあったような」
「そ、そう!それです!それが私です!」
なるほど、少し思い出した。確か会議が終わった後彼女がおろおろしていて、声を掛けたら大事な消しゴムを無くしたと言われ、見つけるのを手伝った気がする。それも1時間くらい。
それにしても、まさか赤羽に中学の時の先輩がいるなんて。まあ、雪里もいるわけだし多少はいても確率的には不思議じゃないか。
「私、その時のお礼がしたくて!でも、わたし冬頃に転校しちゃったから……」
「いや、お礼って。消しゴム探しただけじゃないですか」
「そ、そんなことないです!私なんかの消しゴムを1時間も一緒に探してくれるなんて、普通ならしません!だから黒崎君はすごい人です!私、ずっとずっと黒崎君のことを考えてました!」
「そ、そうですか」
「だから、お礼させてください!何でもします!黒崎君が望むならえっちなことでも……」
「いや、しなくていいです!気持ちだけで十分ですから!」
な、なんか危ない……じゃなくて不思議な人らしい。
「じゃ、じゃあ、もし私にしてほしいことができたら言ってください!私、放課後は生徒会室にいるので!」
「え?生徒会?」
「そうです!私、黒崎君にあこがれて、生徒会に入ったんです!一応、会計やってます!」
「え、でも体育祭実行委員の時にはいなかったような……」
「その、わたし体が弱くて……学校に来る日も少ないんです」
「そ、そうなんですか」
「あ、そ、そうだ!私自己紹介もしてなかったですね!私、3年C組白雪凛子(しらゆき りんこ)です!凛子とでも凛ちゃんとでも下僕とでも好きに呼んでください!」
「は、はい。……白雪先輩」
流石に提示された呼び方はどれも抵抗があるので丸ごとスルーして一番無難な呼び方で返事をする。
「そ、それじゃあ俺、教室に戻るんで」
「あ、そ、その前に!ラインだけ教えてもらってもいいですか!」
「え?ライン?」
「はい!その、黒崎君と何かでつながっていたいなと……あ、つながるってそういう意味じゃないですよ!あくまで健全な繋がりです!」
一人で顔を赤くして身をくねらせる白雪先輩に戸惑いながらも、俺は携帯を取り出す。いや、だってここで断ったらこの人なんか危ないこと……不思議なことしそうだし。
すぐに彼女も携帯を取り出し、俺たちの連絡先交換はほんの数十秒で完了する。
「あ、ありがとうございます!黒崎君の連絡先、墓場まで持っていきます!」
「は、はあ?」
「そ、それじゃあ、また!毎日ライン送ります!」
「いや、毎日はちょっと……」
俺の言葉を最後まで聞かずに白雪先輩はスキップしながらゴミ捨て場を去って行ってしまった。
「生徒会もいろんな人いるんだな……」
その環境下で仕事してる安城ってかなりすごいんだな。
とりあえず俺もゴミ袋を捨てて教室に戻ることにした。
***
教室に戻ると、なぜか俺以外の掃除当番は帰宅したらしく、掃除当番表は次の班に回されていた。いや、別にその中の誰かと一緒に帰るとかじゃないから特に問題もないんだけど。
小さくため息をつきつつ、教室の前側に位置する自分の机の上のカバンを持ち上げる。あとは帰るだけで今日は終わる。
「あれ、黒崎君?」
教室の後ろから俺に声をかけてきたのは安城だった。
「よう安城」
「黒崎君なんでまだいるの?掃除当番ならさっきみんな帰ってたけど」
「俺はそのみんなにカテゴライズされてなかったらしくてな」
自分で言ってて悲しくなるが、事実は受け止めるべきだろう。
「てか、あの後姫宮達どうなった?」
実行委員会が再起できるかはわからないが、状況の確認はしておくべきだろう。
「うん……一応実行委員担当の山田先生がすぐに姫宮さんに話を聞いたらしいんだけど……」
山田とはあの中年教師だろう。一応仕事はしてくれたらしい。
「その言い方だと、良い方向には転んでないみたいだな」
「そうみたい。姫宮さん、今日も早退したみたいで……」
「桜木たちは?」
「そっちは私のほうから声をかけたんだけど、やっぱり今のままだと戻ってきてはくれなさそう……」
多分、教師陣が強く言えば姫宮も桜木も霧野も、ボイコットした連中も戻っては来るだろう。だが、それでは問題は解決しない。そんな無理やりに圧力をかけても、一度壊れたものは復元できない。仮に実行委員としての活動を全うできたとしても、その後、彼らの間にできた溝は埋まらないだろう。
「だいぶ絶望的だな……」
「大丈夫……私が何とかする」
「え?」
「私が、何とかしなきゃいけないの。副委員長なのに、姫宮さんたちに頼りっぱなしで、それを疑問にも思わなかった。私がもっとちゃんとしてればこんなことにはならなかったんだと思う」
「いや、お前ひとりの責任じゃない。今回の姫宮達の衝突の原因は俺たちが関与する前から溜まってきたものだ。そんなの、どうしようもないだろ」
「だとしても、私、やるよ」
安城の決意は、俺が何を言っても変わらないらしい。なら、俺のやることはいつもと変わらないだろう。
「わかったよ。その代わり、俺も手つだ……」
「それはダメ!」
「え?」
「それじゃ、ダメ……なの」
突然の安城の拒絶に、俺は戸惑う。
「……なんでだよ、今までだって協力してきただろ?」
「そうだね、今までも、こうして黒崎君に頼ってきた。きっと今回のことも、黒崎君なら何とかできちゃうのかもしれない。でも、でもね……」
「……」
「私も……このままじゃいられないから」
安城はゆっくりと言葉を紡ぐ、その表情はあまりに、真剣で、だから俺は、黙って聞くことしかできなかった。
「……わかった」
だから、俺にはそんな弱弱しい返答しかできなかった。