それから一週間が経過し、再び火曜日がやってきた。実行委員はどうなったのか、木曜日の会議に出席しなかった俺にはわからない。本当ならなにがなんでも出席したかった。でも、安城はそれを望んでいないから、それを無視するのは彼女自身を否定することになるから、そんな思いに駆られ、俺はただ結果を待つことしかできなかった。
「あ、先輩!やっと見つけた~」
下駄箱で靴を履き替えていたところ、後ろから神崎が俺を呼んだ。
「なんだ、神崎か」
「えー、リアクション薄くないですか?普段なら『何度も後ろとるなよ、本気で俺に殺意でもあんの?』みたいなこと言うじゃないですか」
神崎は目を細め、猫背になる。どうやらこいつには俺がこんな風に見えているらしい。
「で、何の用だ?」
「ほんとにテンション死んでますね……。膝枕でもしてあげましょうか?」
「用事がないなら帰るぞ」
「あ、待ってくださいよ!用事ありますって!ゲーム部のイベントの話ですよ~!」
必死に俺の袖をつかむ神崎の言葉で、俺はゲーム部のイベントのことを思い出した。
「わかった。じゃあその辺の喫茶店でも行くか」
「え?あ、はい……」
なぜか拍子抜けしている神崎を訝しげに見ていると、その視線に気づいたのか彼女は少し大げさに手を動かす。
「い、いや、先輩がこんな簡単に応じてくれるなんて思わなくてですね……。普段なら一言二言不平かましてから結果的にやってくれる人、みたいな印象だったので……」
「……そうかもな」
俺は自嘲気味に笑うと手に持ったままだった上履きを下駄箱にしまい、外靴に履き替える。
神崎もそれを見て、一つ向こうの一年生の下駄箱に小走りで駆け寄って靴を履き替える。
それを待つ間、俺はただ考えていた。
――安城は、大丈夫だろうか。
安城は、このままじゃいられないと、そう言っていた。だから実行委員会のこともなんとかして見せると。
その真意が俺にはわからない。『このまま』とは何だ?
それが何を指しているのか、そこからどう変わればいい?
安城と過ごす日々の中で、俺は何度もあいつを助けてきた。それは、『安城を助けたい』という思いが俺を突き動かしてきたからに他ならない。彼女を助けることが、いつの間にか当たり前になっていた。
だから、俺は今回も安城を助けようとした。だが、安城奏はそれを拒否した。
ならば、安城の言う『このまま』とは俺と安城の関係性のことだったのかもしれない。
「先輩?どうしたんですか?」
気が付くと神崎が隣で俺の表情をうかがっていた。
「……何でもない。行くぞ」
校舎の出入り口、そのラインを越えてしまったら、今この疑問を解かなかったら、安城のところには戻れない。
そんな根拠もない考えが脳裏をよぎる。
――でも、俺できることはない
そう自分に言い聞かせ、俺は校舎を後にし、正門をくぐった。
「それで、ゲーム部のイベントなんですけど、とりあえず場所は屋上じゃないですか」
「ああ」
「せっかく屋上を使うならなんか派手なことしたいですよね。風船飛ばすとか、大音量でBGMかけるとか」
「そうだな」
「私はチャレンジャーと対戦するわけですから進行役一人欲しいですよね」
「だな」
「あと、衣装とかって今から発注しても間に合いますかね?」
「どうだろうな……っ!」
急に神崎が俺の頬を突っつく。
「先輩、真面目に聞いてくださいよ」
「聞いてる。衣装の発注だろ?」
「私が言ってるのは、耳で聞いてるかじゃないですよ」
「は?」
「先輩、心ここにあらずって感じですけど、なんかありました?」
その問いに、俺はすぐに答えられなかった。
「やっぱり。最近お姉ちゃんから先輩の話聞かないから何かあると思いました」
「別に、なにも……」
「じゃあなんで、副委員長のお姉ちゃんが会議室で司会や作業を一人でやってるのに、先輩は今私と居るんですか?そもそも委員長はどこ行ったんですか?」
神崎の表情に、いつものおちゃらけた雰囲気はない。真っすぐ、真剣に俺の答えを待っている。
「それは……」
俺が言葉を発しようとしたとき、唐突に軽快な音楽が流れだした。
「あ、すみません。私の携帯です……」
神崎は俺に断ってカバンから携帯を取り出し、通話に応答する。
「……はい。神崎です。……はい、そうですけど。……!それ、本当ですか!?」
普通に応答していた神崎の表情が急に変わった。血の気が引いた、という言葉の通り青ざめている。
「……はい、わかりました。それじゃあ……」
「どうした?」
神崎が携帯を耳から話したところで俺は問いかける。
「お姉ちゃんが……倒れたって」
「……!」
神崎のその一言だけで、俺は背筋が凍りつくような感覚に襲われた。
安城が、倒れた。
その理由も、そうなった原因も、俺は知っていた。知っていたからこそ、俺はカバンを投げ捨て、すでに数百メートル離れた校舎へと走り出した。
「ちょ、ちょっと先輩!」
後ろから俺を呼ぶ神崎に返事をしている余裕なんて、俺にはなかった。
***
「安城!」
俺が保険室の扉を勢いよく開いたとき、びくっとして振り向いたのは雪里だった。彼女が座る椅子の横のベッドには、額に熱さましを載せ、ぐったりと目を閉じている安城がいた。
「く、黒崎君……!」
「雪里、お前なんで?」
「彼女が階段の踊り場で倒れていた安城を発見し、助けを呼んだ」
俺の後ろから保健室に入ってきたのは、結城先生だった。その表情には、いつもの冷静さはなかった。
「それで、安城の状態は……?」
「間違っても問題ない、とは言えないな。熱は高いし、保健室に連れてきてから一度も目を覚ましていない。もう少ししたら、救急車が来ることになっている」
俺はがっくりと両膝を床に着く。
「俺の……せいだ」
「黒崎君……?」
状況がわかっていない雪里が俺の言葉に疑問を浮かべる。だが、それに答えられる余裕はなかった。
「全部俺のせいだ……!わかってたんだ!姫宮達の進め方じゃいつか崩壊するって!安城一人に任せる量の仕事じゃないって!全部わかってたのに……。くだらない言葉や理屈を並べて、勝手に自分を正当化してたんだ!俺が、何とかしなきゃいけなかったのに!」
「黒崎……」
こんな大声で叫ぶことが、今まであっただろうか。俺が、黒崎裕太郎がここまで感情を表に出したことがあっただろうか。
『助けられただけの者の末路』。いつか結城先生が言ったその言葉が、なぜか今、頭に浮かんだ。
***
時刻は7時を回った。外はすっかり暗くなり、建物や街灯の明かりがちかちかと俺の網膜を刺激する。とはいえ、目の前にあるガラスが、それをある程度緩和させてくれてはいるが。
「落ち着いたか?」
運転席に座る結城先生が、助手席の俺に問いかける。安城が病院に搬送された後、先生は自分の車に俺を載せ、適当に街の中を走らせてくれている。車内に流れるクラシックの音と、先生がくれた板チョコのおかげで、俺の気持ちは少し落ち着いてきた。
「……はい。おかげさまで」
「そうか。あ、このことは他言無用で頼むぞ。女性教員が男子生徒を自分の車に長時間乗車させたなんて保護者達にばれたら首がとびかねん」
「いや、高校生相手なんだから一発退場はないでしょ。せいぜい学校側が記者会見開いて謝るくらいですよ」
「そうか、私のテレビデビューも夢じゃないな」
くだらない。本当にくだらなくて中身のない会話だが、今の俺にはそれがありがたかった。何かしゃべっていないと、苦しそうにベッドに横たわっていた安城の姿を思い出してしまうから。結城先生もそれを考えて話を繋いでくれているのだろう。
「黒崎。少し私の昔話に付き合ってもらってもいいか?」
「40年位前のことですか?」
ちょっとふざけてみたら、すぐに脳天にチョップを食らった。
「あれは私が教員になって1年の時だった。田舎の小さな高校の2年生の担任を任されてな。今の私からは想像できないだろうが、かなりがちがちに緊張して教室に踏み入れた」
「そりゃ確かに想像できないですね」
「クラスの生徒たちはみんな思いやりがあって、私もすぐに馴染むことができた。クラス対抗の体育祭ではそのチームワークで優勝したほどに、結束の固いクラスだった」
信号が赤になり、先生はブレーキを踏む。
「そのクラスの中に一人、勉強が苦手な生徒がいた。性格も、容姿も、交友関係もいたって普通だったが、定期テストでは平均点を大きく下回る点数でね。そんな彼を見て、私は何とかしてあげたいと思った」
高校2年生ともなれば進路関連の話もちらほら出てくる時期だ。その時点で赤点を連発していたのなら、先生が助け船を出したくなるのも頷ける。
「進路相談で彼と話したとき、彼は大学に行きたいと言った。その大学は決して難関校ではなかったが、彼の成績ではほぼ無理といったレベルだった。だが、私は彼に対し無理だから進路を変更しろとは言えなかった」
信号が青になり、再び車は走り出す。
「私は彼の手助けをすることにした。担任の責務とかではなく、一人の人間として彼に同情したのかもしれない。彼の特に苦手な科目は、わかりやすいノートの取り方を教え、少しでも得意な教科は放課後を使って教え込んだ。その結果、彼は志望した大学に合格することができた」
「すごいじゃないですか」
だが、先生は首を横に振る。
「問題が起きたのはその後だった。彼が卒業して半年が過ぎたとき、私のところに彼のご両親が訪ねてきた。そこで、彼が大学をわずか3か月で中退し、職にもつけていないことを知った」
「……」
「彼は、私との2年間の後、私の教えなしでは生活リズムも、勉強時間も、勉強方法も分からなくなってしまっていたんだ。あの時、『なぜ無責任に息子を助けたのか、なぜ無理だと言ってくれなかったのか、進学をあきらめて就職でもよかったのに』と涙を流しながら訴えてきたご両親の顔は今でも忘れられないよ」
それが、結城先生が俺を気にかけていた理由なのだろうか。昔の自分と同じ過ちを犯すかもしれないと思ったから、だから俺に助言した。いや、本当は助言することすら迷ったのかもしれない。教師という立場では俺に必要以上に肩入れできないから、それでも精いっぱいの助力をしてくれたのだ。
「私が以前君に言った、『助けられただけの者の末路』、それが何なのか私は知っている。だが、それはあくまで私の経験でしかない。君には君にしかあるけない道があるかもしれない」
「俺の……道」
「だから、君に見つけてほしい。人を助けることの意味を。それが決して、間違いじゃないという証明を。それが、私から君への問いであると同時に、願いだ」
「できますかね、俺に」
「できるさ。君は私とは違う。君にはあの時の私にはなかったものがある。それを、信じるんだ」
先生はにかっと笑い、俺の頭を無造作に撫でた。
「そろそろ君の家の近くだ。どうする、家まで送ろうか?」
「……いえ。すこし、夜風にあたって帰ります」
「……そうか」
先生は歩道の横に車を止める。俺はそれと同時に助手席のドアを開け、ゆっくりと降りる。
「送ってくれてありがとうございました」
「ああ、気を付けて帰れよ」
「はい」
俺が助手席のドアを閉めると、すぐに車は道路に戻り、走り去っていった。俺はその姿を見えなくなるまで見送ってから、自宅に向かって歩き出した。
どうするべきか。いや、どうするもこうするも、目下の問題は文化祭実行委員会のことだ。委員長の姫宮も、副委員長の安城もすでに再起不能なうえに、桜木たち重役もいない。そして委員の大半はボイコット状態。
――何が必要だ。実行委員を復活させ、安城たちの意思を引き継ぐためには。
――それには抜け落ちたピースを再び集めるしかない。
――だが、それは容易じゃない。集めても、そのピースをしっかりとはめることができる人物が必要だ。
それはつまり、実行委員長の存在が不可欠ということだ。だが、姫宮も安城も、今すぐに復帰することはできない。ならば。必要なのは新しい実行委員長を建てること。
だが、誰を?
条件は2つ。主要メンバーである桜木たちと交流があることと、実行委員会を運営する能力を持っていることだ。
いるはずだ。俺は知っているはずだ。該当する人物を。
そうだ。いる。この条件を満たし、実行委員会を運営する能力を持つ人物が。
正直博打だ。確実性はない。それでも、もうこの可能性に掛けるしかない。
姫宮美琴の意思を継ぎ、
安城奏の思いを受け止められる人物に。