姫宮の家を後にした俺が学校に着いたのは、ちょうど昼休みの開始を告げる鐘が鳴るのと同時だった。大幅に遅刻してきた俺を訝しげに見る生徒たちの視線を感じながらも、とりあえず教室にたどり着く。
クラスメイト達も、俺の遅すぎる登校に多少反応はしたが、すぐに各々の昼休みに戻る。俺はそれに対し落胆するわけでもなく、カバンを机に引っ掛けてすぐに教室を出る。
「おーい、黒崎君!」
それを後ろから追いかけてきたのは越前だった。
「姫宮さんの家には行けたかい?」
「ああ。ご丁寧に紅茶まで出してもらった」
「そ、そうなんだ……。それで、彼女は戻ってきてくれるのかい?」
「いや、あいつは戻ってこない。と、いうより今の状況で姫宮が戻ってきてもさらに混乱するだけだ」
「え?それじゃあ一体どうするんだよ?」
訳が分からないという表情の越前に、俺は一つの提案を投げかける。
「お前さ、今暇か?」
「え?ああ、うん。特にやることはないけど」
「じゃあ、ちょっと俺のサポートしてくれ」
「え?」
尚も疑問符を上げる越前に状況を説明しながらも俺は足を止めずに目的地へと向かう。
「……なるほど。君のやろうとしてることはわかった」
「そりゃよかった」
「でも、君が言う新しい実行委員長ってのはいったい誰なんだい?」
「それも、これから向かう先で明らかになる」
「……そうか。わかった。面白そうだし、君の言うとおりにする」
「ありがとな」
越前に謝辞を述べ、俺は足を止める。ほかの部屋とは明らかに違う、仰々しいつくりの扉。そのプレートには金ぴかの文字で『校長室』と記されている。
俺は咳ばらいを一つして、そのドアを3回ノックする。
「どうぞー」
すぐに、男性の低い声で返事が返ってくる。
「「失礼します」」
俺と越前はしっかり挨拶をしてから校長室へと足を踏み入れる。
「やっと来たか。黒崎」
俺の訪問に真っ先に反応するのは、結城先生だった。その隣には生徒会会長の沖谷、副会長の光定、そしてこの前連絡先を交換した白雪先輩の姿もある。
「く、黒崎君!ご命令の通り、生徒会長たちをお連れしました!」
「め、命令……?」
皆が困惑する中、白雪先輩は俺のほうへと駆け寄ってきて跪く。
「あ、ありがとうございます。白雪先輩。会長たちも、わざわざすみません」
「あ、ああ。大丈夫だよ黒崎君。僕たちも特に用事はなかったから。な、光定?」
「あ、は、はい……」
沖谷たちはいつもと変わらない調子なのでそれ以上は何も言わず、俺は部屋の奥の豪華な椅子に座る人物、赤羽高校校長に視線を向ける。その横には、文化祭実行委員会の担当教師、山田が不服そうに立っている。
「全員揃ったので、話を始めてもよろしいですか、校長?」
「はい。どうぞ黒崎君」
以前のプレゼンのおかげか、校長は俺の名前を覚えてくれていたようだ。
「今日皆さんに集まってもらったのは、文化祭実行員会のことです」
そのワードに、面々は少し凍り付く。
「校長や山田先生はもちろんでしょうが、会長たちも実行委員の現状は把握してらっしゃいますよね?」
沖谷はしぶしぶ頷く。まあ、生徒会の一員である安城が倒れたことは当然会長の沖谷には伝わっていると思っていた。
「結論から言うと、今の実行委員はほぼ機能してません。委員長と副委員長は心や体を病んで学校にも来れていないうえに、他のメンバーたちも個々の考えの違いから点でばらばらといった状態なんです」
「そうらしいですなあ」
校長はいつもの笑みを崩さない。そのせいで俺の話にどういった感情を抱いているのか全く分からない。
「そこで、私とここにいる越前君で一つ、打開策を用意しました」
「ほう、打開策ですか?」
「そうです。それは、今療養中の二人に変わる、新しい委員長を建てることです」
「……なるほど。たしかに統率者がいなければ現状は打破できませんしなあ」
「そうです」
「だが、誰がやるのだね?聞いた話をまとめると、その新しい委員長には、相当難しい問題を解決してもらうことになると思いますが?」
校長の疑問は当然だ。姫宮や安城がやってきたことに加え、そもそも実行委員自体を立て直すという一番の問題が最初に控えているのだから、それを突破するのは苦難を極める。
だが、もう残された手段はこれしかない。
安城奏は言った。このままではいられないと。自分が何とかするんだと。
もし、俺がこの手段をとってしまえば、もう俺たちは引き返せないかもしれない。俺が手に入れた居場所はなくなってしまうのかもしれない。俺たちがともに過ごしてきた時間の意味さえ、分からないまま風化していってしまうのかもしれない。
でも、俺は約束した。夏祭りの夜、ともに星空を見ながら。
――『俺は、お前を助けたい』
その言葉だけはなくならないと、その言葉には確かに意味があったのだと、それを証明するために、俺はこの道を選ぶ。
「俺……です」
今の俺のつぶやきは、まだ誰にも聞こえていないだろう。だから、俺は息を吸う、そして今度は大きく、はっきりとその言葉を告げる。
「俺が、黒崎裕太郎が、実行委員長をやります。彼女たちの意志と思いを引き継ぎ、文化祭を成功に導きます」
その言葉に、校長の眉が少し動いた。結城先生や沖谷、越前さえもが驚きを隠せないようだった。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ!」
それに真っ先に異議を唱えたのは、山田だった。
「成績優秀な姫宮や生徒会所属の安城でさえ手に負えなくなったこの状況を、君が何とかできると、本当にそう思ってるのか!?」
当然、そのカウンターは予測済みだ。
「山田先生、以前俺がやったゲーム部のイベントのプレゼンを覚えていますか?」
「そ、それは覚えているが……。だ、だが、あのプレゼンがたまたまうまくいっただけで君を委員長に推せるかは別問題だろう!」
「そうなんですか?俺は結城先生から、俺のプレゼンに感銘を受けた先生方が実行委員に推薦したと聞きましたけど?」
もちろん、あのプレゼンに感銘を受けた教師がほとんどいないことくらい知っている。俺の実行委員参加の理由の建前でしかないと。なら、その建前を最大限利用させてもらう。
「で、あるならば、先生方は俺を信用してくれると取れますが、もしかして、俺を監視するためだけに推薦したなんて、そんなことありませんよね?」
「うぐ……。だ、だが、結局君に実績がないことに変わりはない!仮に君が委員長になっても、誰が付いてくるというんだ?」
「その通り。黒崎君にはこの学校での表立った実績は一切ありません」
山田に対し口を開いたのは俺の隣に立つ越前だった。
「生徒会長。体育祭実行委員会で、予算案の問題を解決したのは誰ですか?」
「そ、それは……」
「サッカー部による体育館の横領、教師陣も解決できなかった問題を解決したのは誰ですか?」
沖谷は答えに詰まる。生徒会で安城とともに活動している彼なら、当然知っているだろう。だが越前はそんなことは意に介せず話を続ける。
「それが、この黒崎裕太郎君なんです。たとえその行動が称賛されなくても、自分への恩恵がなくとも、誰かを助け続けてきた彼なら、僕は実行委員長を任せるに値すると思います」
越前の言葉には熱がこもっているが、それは俺がサポートを依頼したから演じているわけでもないように見える。
「それは本当かね?」
「本当……です」
校長に尋ねられた仲谷は、言いにくそうに答えた。
そして、室内が静まり返る。皆が、自分の考えをまとめているのだろう。
「いいんじゃないですか、校長」
真っ先に賛同したのは結城先生だった。
「私も臨時担任としてここ数か月の彼を見てきましたが、彼は常に、物事を多角的にとらえ、それを言語化するのに長けています。成績や実績では安城たちに劣るかもしれませんが、それを差し引いても彼の能力は本物です」
「ふむ……。君たちはどうかね?」
校長の視線が沖谷や光定に向く。沖谷は相変わらずしどろもどろだが、隣の光定がゆっくりと口を開いた。
「僕も、く、黒崎君は信じられると思います!ほとんど接したことはないけど、体育祭実行委員会の時も、しっかりとした考えをもっていたと思います!」
「そうですよ!私の黒崎君はすごい人なんですから!」
白雪先輩もなぜか胸を張って便乗する。
「なるほど……。皆さんが黒崎君を信じる気持ちは伝わりました。ですが黒崎君、皆が彼らのように君の味方をするかはわからない。君を知らない生徒もいる。それを踏まえたうえで、君は、どういうビジョンがあるのかな?」
校長は全体を見渡してから、俺に尋ねる。
「はい、まずは、現状不参加になっている委員たちにしっかりと話をしたいと思っています。現状の把握、自分たちの責任、これから為すべきこと、その全てをしっかりと全員で共有するのが第一歩かと」
「だが、君の呼びかけだけでは委員たちは集まらないだろう?」
「だから、生徒会の方々を呼んだんですよ。もっとも、欲しいのはその名前だけです」
「というと?」
「一度集まってもらって話をする。そのためにはおっしゃる通り委員全員に来てもらわなければならない。しかし俺の呼びかけでは集まらない。なら、生徒会の名前で集めてもらいます」
「えっ」
急に仕事を要請された沖谷は困惑しているが、俺はそれは気にしない。
「どうですか、校長。はっきり言って俺がやらなければ他に立候補してくれる生徒はいないでしょう。伝統ある赤羽高校の文化祭が大失敗になる事態だけは避けなければいけないんじゃないですか?」
「……やれやれ。教師に脅しをかけてくるとは。黒崎君、君は面白いねえ」
校長はからからと笑う。が、すぐにまた俺に視線を向けてくる。
「わかりました。君に任せよう。黒崎裕太郎君」
「ありがとうございます。……で、もう一つ、俺の提案を聞いてくれませんか?」
「何かね?」
「俺が実行委員長としての責務を全うできたら、赤羽高校の文科系部活動の枠を一つ増やしてくれませんか?」
「お、おい黒崎!そんなことできるわけ……」
「山田先生、少しお黙りなさい」
文句を言う山田を、校長が黙らせる。
「黒崎君。君が働きに対し報酬を要求するのは理解できる。だが、その要求は君にはあまり関係ないのではないかな?」
「まあ、直接関係はないです。……でも」
「でも?」
「居場所を欲している人はたくさんいるってことですよ」
「だが、わが校はこの前部活動縮小を実施したばかりだ。流石にその要求は釣り合ってないのではないかね?」
「釣り合ってますよ。さっきも言ったでしょう、もうすでに二人もの生徒が療養中の身だと。これは、学校側の監督不行き届きじゃないですか。彼女たちがその時間で得るはずだった知識や交友関係を乗せれば、天秤は釣り合います」
もうこれは完全な脅しだ。正直こんなやり方でしか主張できない自分の情けなさに腹が立つが、これが俺が今持っている手札の中で、最善のカードだ。
「1度ならず2度も……食えないねえ君は」
「恐縮です」
「わかりました。約束しましょう。ただし、それは君が責務を全うしたらだったね?」
「はい。ありがとうございます」
そこでちょうど、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。