そのまま午後の授業に突入したと思えば、あっという間に放課後がやってきた。俺は小さく伸びをして、自分の席から腰を上げる。昼休みの後、結城先生が手を回してくれたおかげで、実行委員全員に召集を掛けることができた。とはいえ、全員がそれに応じるかはわからない。それでも、集まってもらわなければ困る。
半分神頼みをしながら俺は教室を後にし、今日の集合場所である4階会議室へと向かう。
――できる限りの準備はした
――後は、黒崎裕太郎自身との戦いだ。
そう自分に言い聞かせ、階段を一段一段しっかりと踏みしめる。
「……おお」
会議室の扉を開けると、そこには最初の会議と同じように、ざわざわとしている生徒たちの姿があった。とはいえ、彼らのざわつきの原因はあの時とは違うことは明白だ。
結城先生には、『文化祭実行委員会について生徒会から重要な報告がある』という内容のみを彼らに伝えてほしいと頼んでおいた。
だから、集まった連中のほとんどが、何かペナルティを受けるのではと冷や冷やしているはずだ。当然、そんな大事な報告を聞かないなんて選択肢は恐ろしくて取れないだろうという読みが完全にはまってくれた。
「お疲れ。黒崎君」
会議室の前方、姫宮や安城が使用していたホワイトボード付近の席から越前が小さく手を振る。その隣には、緊張しているのかひたすら貧乏ゆすりをしている沖谷の姿もある。
「おう、お疲れ。……準備はどうだ?」
「ああ、沖谷会長にもしっかり確認済みだ」
「お前たちの導入にかかってる。頼むぞ」
「もちろん。万全な状態で君に渡すさ」
あまり長話していると周囲から何かあるのではと警戒されそうなので、俺は最初の会議で自分が座ったのと同じ席に座る。
「よ、黒崎」
「ヤッホー黒崎」
まったく気づかなかったが、俺の座った席の隣には桜木と霧野が並んで座っていたらしい。俺は彼らのあいさつに小さく会釈する。
「生徒会からの報告って何だろうな?」
少し不安そうな表情の桜木はその不安を共有したいのか、俺に尋ねてくる。
「……まあ、聞いてみて判断するべきだろ」
「まあ、そうだけどよ……」
「安城さんは大丈夫なの?」
霧野は少し遠慮がちに俺を見る。
「どうだろうな」
「いや、どうだろうなって……」
「お前ら、姫宮のことはいいのか?」
俺は少し強い口調で彼らの反応を見る。その問いに対し、桜木も霧野も視線を落とす。
「正直、言い過ぎたとは思う。あいつの態度が気に入らないなら、もっと言い方があったんじゃないかって。ちゃんと伝えるのが友達のはずなのに……」
「そう……だね。姫宮の悪いところばかり指摘して、あいつが頑張ってるって事実を見てなかった気がする」
「……そうか」
俺が小さく相槌を打ったところで、沖谷が咳ばらいを一つして、立ち上がる。それをみて、生徒たちは会話を打ち切り、それぞれが席に着く。
「え、えー。みんな、集まってくれてありがとう。生徒会長の沖谷です」
少し硬いが、沖谷なりに柔らかい雰囲気を出すと頑張ってくれているらしい。
「今日集まってもらったのは、文化祭実行委員会について、生徒会から報告、そして提案があるからです」
『提案』というワードに数人の生徒が反応し、少し身構える。
「ま、まず実行委員会の現状だけど、生徒会への報告ではほとんど稼働していないらしいね?」
沖谷の問いに答えるものは誰もいない。口火を切るのが、その事実を肯定することがどういう結果を招くか、それが不安で仕方ないのだろう。
「え、えっと、別にみんなのことを責めてるわけじゃないよ。報告の中には実行委員長にも至らない部分があったっていうことも入ってたから」
「おい、生徒会長、話なげーよ」
「結局何が言いたいわけ?」
「私たちを責めるんじゃないなら、この場に集めた意味って何よ?」
さっきの問いには答えなかったというのに、生徒たちはだんだんとイライラを表してくる。
だが、逆に言えば今の状況は『言いたいことが言えている』ということだ。
それは、姫宮が委員長の時はなかったこと。だんだんと、基盤ができ始めている。
「え、えっと……」
沖谷は越前に視線で助けを求めた。それに対し越前はにこやかに笑い、立ち上がる。
「みんな、ちょっと落ち着いて。会長はただ現状の確認をしただけだよ。ここからが本題なんだ」
「本題?」
「何言ってんだよ越前?」
越前が相手だからか、ヤジの攻撃力が若干低くなる。沖谷、どんまい。
「とりあえず、これから実行委員会をもう一度稼働させて、文化祭を成功させてほしい、というのが先生方と生徒会が話し合った結論なんだ」
「え?どういうこと?怒られると思ってたのに……」
「いや、それより実行委員会は続くのか?」
「で、でも姫宮さんも安城さんもいないし……ねえ?」
今度はヤジというよりは疑問がちらほらと上がる。それを確認しながら、越前は話を続ける。
「それで、やっぱり会議や作業をまとめてくれるリーダーが欲しいんだけど、誰かやってくれないかな?」
その呼びかけに答える者はいない。当然だ。姫宮や安城の後を継ぎ、文化祭実行良委員会を取りまとめられる自信のある奴なんていないだろうし、いても困る。
これはあくまで確認だ。誰も委員長をやる意思がないという事実さえ全員に認識してもらえればそれでいい。
「……そうか。わかったよ。それじゃあ委員長はこちらで決めた人物にやってもらう」
「え、生徒会が直々に指名するってこと?」
「まじかよ。それじゃあ桜木とか霧野か?」
「それくらいしかできる人いないよねえ?」
そこで越前は再び仲谷に進行を任せるように座る。
「えー、生徒会が指名するのは、黒崎裕太郎君です」
その言葉に、会議室には沈黙が訪れる。誰もがその指名を聞いて自分の耳を疑っただろう。黒崎裕太郎という名前は体育祭実行委員会の時に校内に広まった。その悪評は、当時俺の心を折りかけたほどだった。だが、その名前と俺の顔が一致する生徒がどれくらいいただろうか。大半の生徒はきっと、名前と悪評のみに焦点を当てていたことだろう。そんな人物がいるとただ話題に挙げるだけで、その詳細を知ろうとはしなかった。知ったとしても、それは夏休みという長い期間で完全に旬が過ぎた、もはや何の価値もない話題に成り下がっていたのだ。
故に、彼らは黒崎裕太郎が実行委員会に参加していることなど気にも留めていなかったのだろう。
「黒崎君、挨拶をお願いできるかい?」
「……はい、会長」
俺は席を立ち、仲谷の隣へとゆっくりと進む。
俺が前に立つと、皆が俺を凝視する。
思えば、中学の時の生徒会選挙や生徒会活動以来こんなにたくさんの生徒の前に立つことは無かった。だが、あの時の俺ができたのならそれは今の俺にもできて当然のことだ。
――ただ、以前と違うところがあるとしたら。それはあの時の俺にはなくて今の俺にあるものの存在だ。
――雪里や越前。神崎、木場、恭子、相馬、結城先生、姫宮、そして安城。
――俺が心から信じられる、俺のことを信じてくれる、そんな仲間たちが。
――なら、彼女たちとの出会い、繋がり、その全てを守るために。
――その結果『なくなってしまう』としても。
「2年B組、黒崎裕太郎です。今回、生徒会の方々からご指名を受け、実行委員長を引き受けたいと思います!」
その言葉を告げた俺の心には、もう迷いはなかった。
***
11月某日。10月に行われた体育祭の熱気も冷めやまぬまま、今度は文化祭が目の前に迫っており、生徒たちは校内を目まぐるしく移動しながら、それぞれの準備を行っている。
お化け屋敷にメイド喫茶、チョコバナナにタコ焼き。鉄道研究会のジオラマや漫画研究会の作品販売、サッカー部、野球部合同のスポーツ腕試し大会。
そしてゲーム部の屋上貸し切りイベント。それらが所狭しと記されたプログラム票のデータを担当の委員に渡し、俺は自分の椅子の背もたれに寄り掛かる。
「黒崎委員長!広告のチラシ、貼り終わりました!」
「……あ、はい!お疲れ様です!今日の仕事は終わりなのでゆっくり休んでください!」
「はい!わかりました!お疲れ様です!」
広告担当の生徒が小さく会釈して会議室を出ていく。それを横目で見送って、俺は会議室を見渡す。今日の仕事はすべて終わったので、残っているのは俺と、記録作業をしている桜木と霧野だけ。
「桜木、霧野。今日はもう帰っていいぞ」
「えー、でもまだ終わってないし」
「そうだぜ黒崎。今日終わらせといたほうが……」
「いいから。ペースは十分だし、お前らもこれから姫宮のお見舞い、行くんだろ?」
「……そか。了解だぜ黒崎委員長!お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」
桜木たちはいそいそと荷物を片付け、俺に手を振ってから会議室を去る。これで本当に俺一人だ。
俺が委員長に就任してから今日にいたるまでは決して楽な道じゃなかった。生徒会の指名とはいえ、ぽっと出の俺に不信感を抱く生徒もいた。だが、彼らと話し、しっかりと意見を聞き入れることで、俺たちの関係はよくなり、1週間もすれば実行委員会は完全に復活した。
桜木たちも、姫宮とは少しずつ以前の関係を取り戻しているようだし、文化祭本番が無事に終われば校長が部活の枠を増やしてくれる。映画研究会がその枠に入るかは彼女たち次第だが、きっと彼女はもう間違えない。だから特に不安視はしていない。
「さて、そろそろ行くか」
荷物をカバンにしまい、会議室を出てしっかりと鍵をかけると、俺は、以前よく利用していた空き教室へと向かった。
***
放課後の教室は窓から差し込んでくる夕日によって赤く染まっている。
そして、その紅い空を窓から眺めている彼女がいた。俺がゆっくりとドアを開け、教室に踏み入れると、彼女はこちらへ振り替える。
「こんにちは。黒崎君」
「ああ、こんにちは、安城」
安城奏は、やさしい笑みで俺を迎え入れる。
「もう、大丈夫なのか?」
「うん。もうすっかり良くなったよ」
「そうか……よかった」
俺は嘘偽りのない気持ちを述べる。
「体育祭には出られなかったけど、文化祭はクラスの模擬店にも参加できそうだよ」
「そっか」
そこで俺たちの会話は途切れる。互いに、伝えたいことは、話したいことはもう決まっているのに、さっきからそれを言い出せず、なんとなくの会話をするのみ。
――でも、はっきりさせなくてはいけない。
「今年の4月、ここで俺たちは出会ったんだよな」
「そうだね。私が委員会の教室と間違って入っちゃったんだよね」
「ああ、言うなればここは俺たちの『始まり』の場所だ」
「ちょっと大げさな言い回しだけど、そうかも」
「だから、『終わらせる』にはここがいいと思った」
俺の言葉に、安城は少し表情を曇らせる。
「そう……だね。私もそう思う」
「俺は、お前と一緒に過ごした日々がたまらなく楽しかった。一緒に学校の問題を解決したり、夏祭りに行ったり、夜の校舎で花火を見たり。その全てが、俺の宝物だ」
「うん、私も」
「でも……このままじゃいられない」
それはあの時安城が俺に告げた言葉。文化祭実行委員会を何とかするという意思を含んだ、彼女の決意だった。
でも、それはかなわなかった。だから、俺は彼女を助けた。彼女の決意を無視して、助けた。それを『最後にしよう』と、そう決意して。
「もう俺がお前を助けることも、お前が俺を頼ることもない。俺たちは、互いに自分たちの道を、一人で歩いていくんだ。だから、これでおしまい……だ」
俺がゆっくりと告げた言葉に、安城は笑顔で頷く。その目から、涙を流しながら。それでも、笑みを浮かべてくれた。
「なあ、安城。聞いてもいいか?」
「……何?黒崎君」
「俺たちは、違う出会い方をすれば、こうはならなかったのかな?」
その問いに安城は力なく首を横に振る。
「ううん。多分、どこで、どんなふうに出会っても、きっとこうなったんだと思う。でも、私はそれを間違いだとは思わないよ。今も、これからも」
「……そうか」
下校時間を告げる鐘が鳴る。俺はそれを合図に、ゆっくりと安城に背を向ける。
「それじゃあな、安城」
「うん。黒崎君……。大好きだったよ」
俺はそれには答えられなかった。答えてしまえば、結局元に戻ってしまうから、また間違えてしまうから。
だから俺は、ゆっくりと空き教室を後にした。
最終回じゃないですよ