黒崎君は助けてくれない。 続   作:たけぽん

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19. 立ち込める暗雲

 俺と恭子の会話が止まってから10分は経過しただろうか。家庭科室には尚も人が出入りしている。先ほど試着室に入っていった雪里もまだ出てこないし、隣でそれを待つ恭子はずっと携帯をいじったままだ。

流石にこのまま沈黙し続けるのは耐え難いのだが、先ほどの会話の後に一体どんな言葉を掛ければ盛り上がるというのだろうか。

だから、俺は黙っているしかなかった。

 

「く、黒崎君……」

 

そんな俺を呼んだのは、雪里だった。見れば試着室のカーテンから顔だけをこちらに出している。

 

「どうした?着替え終わったのか?」

「う、うん……」

 

俺の問いに対し、雪里の返事はどこか歯切れが悪かった。

 

「その……笑わないでね?」

「そんなに変な衣装選んだのか?」

「ち、ちがう……!」

 

業を煮やしたのか、あきらめたのか、どちらかはわからないが雪里は決心したようにカーテンを開けた。

そこに立っていたのは、白い服に白のストッキング、世間でいうところの看護師の格好をした雪里だった。

 

「ど、どうかな……?」

 

どう、と言われれば似合っているという答えがすぐに脳裏に浮かぶ。もともと色白な雪里に白一色の服はとても相性がよく、それでいて小柄な彼女が人の面倒を見る看護師の格好をしているというギャップがコスチューム全体の完成度をより高くしている。

 

「へー!似合ってんじゃん!」

 

俺が雪里への感想を述べる間もなく、恭子が感嘆の声を上げる。

 

「ねえ、ゆーたろー?この子のナースコスめっちゃ可愛くない!?」

 

俺に同意を求める恭子の視線は、先ほどとは違い、いつも通りだった。まるでさっきの会話などなかったようにふるまう彼女に困惑しながらも、俺は返事をする。

 

「そうだな。すごくいいと思う」

「ほ、ほんとに……?」

「本当だって」

「じゃあ……白雪先輩と…どっちが好き?」

 

雪里のその言葉に、先ほどまでがやがやとしていた教室内が静まり返る。振り返ると、全員の視線が俺たちのほうに向いているではないか。

 

「お、おい……なんかすげえ場面に立ちあっちまったな……」

「あれって実行委員長の黒崎先輩だよな?まじかよ、あのナースの子から告白されてやがる……」

「いや、それならあの隣の女の子は誰だ?」

「これってひょっとして……修羅場!?」

 

おい、小声で話してるつもりだろうが全体が静まり返ってるせいで全部聞こえてるからな。

 

「……!ち、ちがうの……そういう意味じゃ……!」

 

自分の問い方がまずかったことに気付いた雪里は顔を真っ赤にしてあたふたとしだす。だが、それでも周囲はこちらを凝視したままだ。

この分だと、俺が雪里の問いに答えなければ事態は収拾がつかなくなるのは間違いない。だが、周囲がこの状況を勘違いしている以上はどうこたえても雪里に迷惑が掛かってしまう。

四面楚歌、八方ふさがりとはこのことだろうか。

だが、俺が四苦八苦しているときに、偶然か奇跡かポケットの中のスマホが振動した。誰からの着信かは知らないが、このビッグウェーブに乗るしかない。

 

「悪い、ちょっと待ってくれ」

 

一応そう断ってから携帯を取り出す。

 

「はい。黒崎です」

「あ、黒崎委員長!俺です!田村です!」

 

田村。田村って誰だっけ?ひょっとして人気声優の……じゃねえよ。いかんいかん、いくら最近いろんな人と交流しているからと言って人のことを忘れるなんて失礼極まりない。なので俺は返事をするまでのわずか数秒の間で必死に記憶の中の田村という人物を探る。

 

「あ、それか」

 

うっかりそれ呼ばわりしてしまったが記憶をたどることには成功した。田村という男子生徒は文化祭実行委員会の一年生であり、委員会の一年生の中ではかなり優秀で割り振った仕事を翌日には終わらせるほどで、その実力を見込んで俺がゲーム部のイベントにリーダーとして配属したんだった。

 

「あの、委員長?」

 

俺からの返事がなかったためか田村は再び俺を呼ぶ。

 

「あ、ああ悪い。少しぼーっとしてただけだ。それで、どうしたんだ?」

「それが、緊急事態なんです!申し訳ないんですが、判断を仰ぎたいのでゲーム部のイベント会場まで来てもらえませんか?」

 

緊急事態。その言葉に少し寒気がした。ゲーム部のイベントで起きる緊急事態とはなんだ?備品も、ステージの装飾やイベントのタイムスケジュールも俺自身が何度も確認して、完璧だったはず。それなのに起きる緊急事態、それはすなわちイベントを実行している今現在に生じたイレギュラーということだ。

 

――まさか、神崎になにかあったのか?

 

ふと脳裏に浮かぶのは、あの時実行委員会の立て直しに躍起になって倒れた安城の姿。そしてその安城と重なる神崎の姿。二人の容姿が似ているためか、そのイメージは一切のブレもない。

……駄目だ。これ以上考えてもマイナスなイメージが募るだけだ。今やるべきことはゲーム部で起きている出来事を正確に把握すること。

 

「わかった。すぐ行く」

 

手短に返答し、俺は携帯をポケットにしまう。

 

「ゆーたろー?どしたん?」

 

俺の表情から何か感じ取ったのか、恭子が不安そうな口調で尋ねてくる。

 

「悪い。急用ができた。すぐに行かなきゃいけない」

「急用?実行委員会でなんかあったってこと?」

「すまん、説明している時間はないかもしれないんだ」

「……そっか。おけ。いってきなよ。私は沙雪たちと合流して周ってるから」

「ああ。埋め合わせは今度する」

 

今一度恭子に詫びてから、俺は雪里の方へ支援を移す。

 

「その、悪いな雪里。せっかく誘ってくれたのに」

「ううん……黒崎君は……委員長だもん」

 

そういいつつも雪里は残念そうな表情を浮かべる。

 

「でも……一緒に周れて……楽しかった」

「ああ、俺もだ。」

「ほら……早く行って……」

「ああ、行ってくる」

 

俺は二人に軽く手を振ってから足早に家庭科室を後にし、屋上へと急いだ。

 

***

 

非常階段を一段飛ばしで駆け上がり、屋上入り口の扉の前で荒くなった呼吸を整えてから意を決してそのドアノブをひねる。

 

「あ」

 

はずだったのだが、後ろから聞こえた足音、ゆっくりと階段をあがってきたその音の主を視界に入れたとたん、俺の手は止まってしまった。

 

なぜなら、その人物は安城奏だったから。

 

「……」

「……」

 

今、鏡があったら自分がどれだけひきつった表情をしているかすぐにわかるのだろうか。いや、俺の表情なんて目の前にいる安城の気まずそうな表情を見れば大方想像できる。

もしこれが騒がしい教室や廊下での遭遇ならいくらでも誤魔化せた。見えていないふりをしていれば、そのうちどちらかが相手の視界から姿を消して、いつも通りの日常を送れていた。

なのに、なんでこんな誰もいない場所で出くわしてしまったのか。なぜ振り返ってしまったのか。さっさとドアを開けてしまえばよかったのに。

 

「よ、よう……」

「……うん」

 

だが、この状況で無言を貫き通すことなんて、俺にも、安城にもできはしなかった。

 

「神崎の応援か?」

「まあ、そんな感じ……」

「そうか」

 

とても短いやり取り。以前の俺たちからは想像もできないほど簡素な内容で、その薄さによって俺と彼女の繋がりは完全に断たれていることが再認識される。

 

「黒崎君は……?」

「まあ、大体同じ感じだ」

 

別に、緊急の呼び出しを忘れているわけじゃない。ただ、神崎のいとこである安城に緊急の連絡が入っていないのなら、少なくとも神崎自身に何か起きたわけではないのだろう。それなのに安城の不安を煽るのは無意味でしかない。

だが、緊急事態が起きていることには変わりはないのだろうし、俺は安城からドアへと視線を戻して今度こそ扉を開ける。

 

すぐに視界に飛び込んできたのはたくさんの観客の背中で、その歓声がうるさいほどに耳に響く。その奥に設置されたステージでは、スクリーンに投影されたゲーム画面と、その少し右側のゲーム台でコントローラーをいじる人物の姿が確認できる。

一人はチャレンジャーであろう中学生の男子。もう一人はこのイベントの主役である神崎亜美。神崎の纏う衣装はイベントの題材ソフトでもある『ファイヤー・ファイター』のキャラクターのコスプレで、赤をベースとしたセーラー服を改造したようなものとなっている。リハーサルの時に本人に聞いたところ、繁華街のコスプレショップで手に入れたらしい。

さて、ゲーム画面に視線を戻すと、チャレンジャー側のキャラクターのHPは既にレッドゾーンに突入しており、後一撃でも食らえばゲームセットになりそうだ。

それに対し神崎のキャラのHPはほぼ満タンで、流石にこの状況からひっくり返されることはなさそうだ。

 

「さあ!チャレンジャーのHPは残り僅か!これは決まったか!?」

 

ステージの端に設置されたスピーカーからは実況の声が響く。

 

「行きますよ!ファイヤーボンバーブラスター!」

 

今度はピンマイクを通して発せられた神崎の声が木霊し、それと同時にゲーム画面のキャラが必殺技を放つ。その威力は絶大で、チャレンジャーの使用キャラは燃えカスとなる。流石にオーバーキルだが大勢の観客が見るステージならこの方が盛り上がるだろう。

 

「決まったー!クイーン神崎、これで30連勝!この勢いはだれにも止められないのか!?」

 

予想通り大歓声が上がる。ゲーム好きの連中はもちろんだが、全国大会入賞者のプレイを魅せられればゲームに詳しくなくても雰囲気で盛り上がれる。現状ではイベントは大成功といえるだろう。

 

「あ、委員長!こっちです!」

 

イベントの盛況ぶりに気を取られていた俺を呼ぶのは観客の間を縫ってやってきた田村だった。

 

「おう、お疲れ……なんて言ってる場合じゃないんだよな?」

「そうなんですよ!とりあえずここじゃ声聞こえづらいんで非常階段の方戻りましょう……ん?」

 

そこで田村は俺の後ろにいた安城の存在に気付いたらしい。少し首をひねる彼だったが、何か納得したようにうなずく。

 

「流石委員長!生徒会の力を借りようってことですね!判断力ぱねえ!」

「え?いや、私は……。え?」

「助かりますよー。委員長と安城先輩の協力があるなんてちょっと安心です!」

 

完全に誤解されてしまった。安城の方を見ると、『どういうこと?』と言わんばかりに視線を向けてくる。

 

「えっと……」

「ささ、早く早く!」

 

説明する間もなく俺たちは田村によって非常階段へと押し戻された。

 

「それでですね、先輩方に来てもらったのは電話の通り緊急事態でして……」

「いや、ちょっとまて、安城は別に……」

「緊急事態?」

 

田村の誤解を解こうと思った矢先、安城が少し食い気味に問いかける。もうここまで来てしまった以上今更安城に『関係ないから、戻っていい』というのも不自然極まりないだろうし、とりあえずは田村の話を聞くしか無い。

 

「そうなんすよ。実は、その……、備品が紛失してしまって……」

「備品?さっきステージを見た限りだと欠けてるものなんてなかったぞ?」

 

事実、イベントは大盛況だったわけだし。

 

「はい。ステージには何の不備もないんですけど……。その、一番の目玉が……」

 

ゲーム部のイベントの一番の目玉。それはたしか先ほど神崎がプレイしていた「ファイヤー・ファイター」のソフト。神崎と対戦して一番優秀な成績を残せたチャレンジャーに対し、神崎のサインを添えて渡される予定だった。

 

「賞品のソフトが紛失したってことか?」

「ええ!それってすごくまずいんじゃないの?」

 

判明した事実に驚きの声を上げる安城だったが、すぐに自分の口をふさぐように手を添える。非常階段は声がよく響くので下手に騒ぐと誰かに聞こえるかもしれないし、そうしてくれるとありがたい。

 

「そうなんですよ……。せっかくこんなに盛り上がってるのに目玉のソフトがないなんてブーイング間違いなしでしょうし……」

「たしか、賞品についてはすでに告知ポスターに乗せてしまってるんだっけか」

「はい……。すみません委員長……、俺がもっとしっかりしていれば……」

 

状況を言語化したことでより責任を感じてしまったのか、田村には先ほどまでの元気はなくなってしまっていた。

 

「起きてしまったことは仕方ない。いま必要なのはどう対応するかだ。それに、チームや団体で何かをするのなら、責任は全員に平等に課せられる。当然俺にもな」

 

自嘲気味に笑ってみせると田村も少し表情を明るくする。

 

「とりあえず、イベントチーム全員で状況を整理しよう。スケジュールにはないが、今大体12時だから一度休憩って形でイベントを中断、再開は校内放送でアナウンスする」

「わ、わかりました!司会に伝えてきます!」

 

俺の言葉に大きくうなずき、田村は会場へと戻ってゆく。

 

「……」

「……」

 

俺と安城の間に再び訪れる沈黙。耐えがたいその重圧に、俺は安城のほうへ少しだけ視線を向ける。

が、何の因果か同じタイミングで安城も俺の方へと視線を向ける。向き合った視線に、俺は少しばかりの懐かしさを覚える。あの日から一度も合うことのなかった俺たちの視線、だが今合ったからといってそこに生まれる感情は困惑のみ。それでも、一度視界に収まった安城の姿から目をそらすことができない。

そして、なぜか安城も俺から視線をそらすことはしなかったため、俺たちは互いに見つめあうことになっていた。

 

「「……!」」

 

そしてその視線をそらすのも同時。そのせいで先ほどよりも一層気まずくなってしまう。

 

「その……元気?」

 

その空気に耐えかねたのか、安城が言葉を発する。

 

「まあ、な」

「そっか」

 

聞く意味もない、わざわざ言葉にする意味もないようなやり取りだが、それでも俺はどこか安堵していた。安城と同じ場所にいて、同じ時間を共有していることがこんなに落ち着くのだと今更ながら認識する。

 

「安城は、元気?」

 

だから、この気持ちをあと少しだけ味わっていたくて、彼女と同じ問いを投げかける。

 

「うん。元気かな」

「そっか。よかった」

「なんか、ヘンな感じだね。あの日から一度も話してなかったのに、やっぱり黒崎君と一緒にいると気持ちが落ち着くの」

「まあ、別に絶交したわけじゃないからな」

 

そう言ってみてふと思った。別に俺たちは互いの関係を断絶したわけではない。ただ、安城は安城の、俺は俺の進む道を決めただけで、そこには話すことや関わることを禁止するようなきまりは一切なかった。話そうと思えばいつでも話すことはできたはずなのに、俺も彼女も、それをしなかった。つまり、俺たちには選択肢がそれしかなかったということだ。やはり俺たちの関係は『助ける』ことに依存しきっていたわけで、それがなくなるということは、関係そのものが消えることを意味していたのかもしれない。

 

―――俺たちの関係は始まってすらいなくて、勝手にその気になって、勝手に消えただけだったのか。

 

だったら、今感じているこの気持ちは、この落ち着きは、果たして何なのか。

 

 

以前出したはずの答えは、俺の彼女への気持ちは、本当に正解といえるのだろうか。

 

 


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