ザヴァンの人生においての最も大きな変革は不運によってもたらされた。乗っていた商船が嵐に巻き込まれて目的地へのログを失い、何とか島にたどり着くもそこは悪名高きビック・マム海賊団の
普通の船乗りならば命乞いをすれば助かるかもしれないが、ザヴァンはそうではなかった。彼は新世界で狩りをする凄腕の賞金稼ぎであり、7億の賞金首を生け捕りにしたときにいよいよ彼は世界からも注目される男になった。
そんなザヴァンが万国になど足を踏み入れたらどうなるだろうか。当然、ビック・マム海賊団のすべてが彼の行為を宣戦布告だととらえるわけだ。
ザヴァンは腹を括った。そして戦った。
手始めにたどり着いた島の大臣であるシャーロット・ズコットを打ち倒すと、逃げ回りながら戦い続け、120人近いビック・マムの家族を40人以上、海賊団の構成員に至っては数えることが億劫になるほどの数を倒して回った。
しかし、四皇の一角と個人で戦うなど土台無理な話である。ザヴァンは疲労し、摩耗した。崩壊の切っ掛けとなったのは小さな女の子を流れ弾から庇ったことだった。ザヴァンの体に目に見えて大きな揺らぎが生じ、動きは精彩を欠いた。それでもそれから大臣を2人倒した。
決定的な終わりが訪れたのはザヴァンが戦い始めてから3日が経った時だ。ビック・マム海賊団における最強の子供、シャーロット・カタクリが彼の前に現れたのだ。
戦いは苛烈であったが、決着自体はすぐについた。ザヴァンは倒れ伏し、もはや指の一本も動かせない状態だった。カタクリは兄弟姉妹たちを傷つけられたことに対する怒りを、ほんの少しの間だけ忘れた。起こされた撃鉄のように残った体力のすべてをたった一撃に込めた最後のザヴァンの姿が目に焼き付いていた。彼にとって強者は尊敬すべき対象なのだ。ザヴァンは間違えなく強者であった。
カタクリはそんなふうに考えていたが、それでもあと10秒もすればザヴァンの命は蝋燭の火のように吹き消されてしまっていただろう。そうならなかったのは小さな女の子が、ザヴァンが助けた女の子が彼とカタクリの間に立ちふさがったからである。
女の子の名前はシャーロット・フォンリュ。ビック・マムの37女である。当時はまだ6歳で間違っても戦うことなどできない子供である。
この時のことをザヴァンはうっすらと覚えていた。フォンリュは震えている。だが泣いてはいない。ただそれだけを覚えている。
目が覚めるとザヴァンは真っ白なベッドに寝かされていて、すぐ近くにはフォンリュ、少し離れたところにはカタクリがいた。ザヴァンはカタクリをにらみつけた。なぜ生かした? カタクリはすっとフォンリュを見る。彼女はザヴァンの気配で目を覚ましたのか、眠そうな目を擦っている。
ザヴァンは何も言えなかった。だからフォンリュが何か言うのを待った。彼女はというと一度あくびをしてから恥ずかしそうに口を閉じ、今度はしゃべるために開く。
「ありがとう」フォンリュが言う。「助けてくれて。私、フォンリュ。あなたは?」
「…………知ってるだろう? 俺は3日も戦っていたんだ」
「うん。でも聞きたいの」
「…………ザヴァンだ」
「ザヴァン……えっと、あのね? おにー様もおねー様もみんな、あなたを……その……」
「殺せと?」
「……うん」
じゃあなぜ殺さない。そう言おうとしたが、結局はやめてしまった。フォンリュの目は美しいブルーだ。いまは悩ましそうに下を向いているが、話すときはこちらを見る。再びブルーがのぞき込む瞬間をザヴァンは待った。
「…………でも、私、助けてもらって、うれしくて、その……」
「…………」
「……あなたが私のだ、旦那さんだったら、ママもあなたを、こ、殺さないかもって……だから、その、だから……私と――」
ビック・マム海賊団の船員たちの予想はサヴァンが死を選ぶことだった。だがそれは外れた。最も先にそれを知ったのは最高傑作と評されるカタクリだった。彼はほかの誰よりも、あるいは本人たちよりも早くそれを視た。
ザヴァンの口がゆっくりと動く。
「俺と結婚してください」
こうしてビック・マム海賊団の婿養子、シャーロット・ザヴァンが誕生したのだ。
〇
「君が件の婿養子君か」
「……誰だアンタは」
「俺はザヴァン。外様同士仲良くしようじゃないか」
サンジはザヴァンの笑顔になにか裏がないかを探るようにのぞき込んだが、結局分かったことは彼が自分よりも強いということだった。ザヴァンはしばらく右手をサンジに向けたままにしていたが、その手が握られないことを知り手を引っ込めた。
「……君は政略結婚だったよな?」
「…………」
「まぁ苛立つ気持ちはわかるよ。実は俺もかなり強引に結婚したからね」
「! なんだと?」
「悔しいだろう。怒りがこみあげてくるだろう? ……俺は君のような奴を待ってたんだ。ヴィンスモーク・サンジ君。俺と仲良くなろうじゃないか。仲良くね」
サンジの頭に浮かんだのは謀反という言葉だった。ザヴァンはビック・マムに謀反を起こそうとしている。そのために共に戦う者を探している。そう思った。だがサンジがそれに乗るわけにはいかない。彼がこの結婚を蹴れば、恩人たちの身に危険が及ぶ。それだけは出来ない。
「アンタは――」
「――ああそうだ。君に一つ言っておこう」ザヴァンはサンジに耳打ちをするように言う。「ビック・マム海賊団、最強の大臣、カタクリという男――」
サンジは唾を飲み込んだ。たとえ謀反に加わることができなくとも、気持ちは彼に賛同している。この海賊団を潰してやりたいと思っている。彼の言葉を聞いてしまえば、謀反の一員とみられるかもしれない。あらゆる感情が一瞬で彼の頭を駆け巡った。
「――困ったときは、カタクリ義兄さんに相談するんだ」
「――は?」
サンジはザヴァンの顔を見る。彼は飛び切りの笑顔をサンジに向けていた。
「カタクリ義兄さんはあまり話さないし、ちょっと雰囲気が怖いところがあるから最初の方は勘違いするかもしれないが、すごいやさしい人なんだ。特に身内には。何かこれから困ったことがあればあの人に相談すれば間違いない。もちろん俺も相談に乗る。年も立場も近いし話しやすいだろう? 確かに今はいやな場所に思えるかもしれないが、慣れてくればそれなりに楽しいとこさ。ここは。ああそうだ! 俺のお嫁さんをまだ紹介してなかったな! おーい、フォンリュー!」
サンジは全く話に入れないままザヴァンの顔を引きつったまま見ていた。ザヴァンはというととにかくサンジと早く馴染もうと努力していた。空回りだったとしても努力していた。
二人の思いがすれ違い続けるそんなとき、ザヴァンに呼ばれたフォンリュが歩いてくる。かわいらしい少女だとサンジは思い、すぐにザヴァンの奥さんであるということに驚いた。どう考えても幼すぎる。フォンリュはサンジの前まで歩いてくると、カーテシーで挨拶をしてから「シャーロット・フォンリュです」と言う。
「よ、よろしくお願いいたします。ミセス。俺はサンジです」
なんとかいつも通りのあいさつを絞り出す。フォンリュは朗らかに笑った。ザヴァンはフォンリュの頭をなでる。
「俺のお嫁さん、かわいいだ――」
フォンリュはザヴァンの手を振り払った。そしてキッと目を細めると、腕を組む。
「――頭なでないでって言ってるでしょう!? 子供扱いしないでよ! それに洗濯物一緒に洗わないでって言ったのに!!」
フォンリュの高い声が響く。サンジは彼女の豹変に驚き、ザヴァンはワナワナと震えている。ザヴァンの両手がゆっくりと彼自身の頭に伸び、抱えた。
「俺のお嫁さんが反抗期だ~~~~~~!!!!????」
ザヴァンの叫びが屋敷中に木霊した。
実を言うとサンジの想像は外れてなどいなかった。少なくともザヴァンは今から八年前、結婚した当時は逃げ出す機会を虎視眈々と狙っていたのだ。
しかし、彼は侮っていた。彼自身の適応力の高さを!
ザヴァンは初めこそ海賊団との関わりを嫌っており、船員たちもそれを察して仲良くなどしなかったが、少しずつそんな評価が変わっていく。その直接的な要因こそシャーロット・フォンリュその人だった。フォンリュはその気丈だが優しい心根で兄弟姉妹から愛される存在であり、彼女が緩衝材になることでザヴァンは受け入れられていった。ザヴァンがフォンリュを本当に愛していたことや彼が暴れまわったとき誰も殺さなかったこともその一因だった。もっとも後者は海賊団から恨みを買いすぎないためだったが。
そして、ある時点でビック・マムの子供たちは気が付く。ザヴァンの魅力に!
彼はよく食べ、よく飲み、よく笑い、そして何より強く頼もしかった。海賊たちにとってこれ以上の仲間がいるだろうか?
またザヴァンも彼らの魅力に気が付いた!
孤児であり、生きるために強さを得たザヴァンには、家族としての一体感を持つビック・マム海賊団はある意味でまぶしい存在だった。しかもそこに自分が入れられていく感覚! これにはザヴァンも耐え切れず、たちまち情を持ってしまう。彼が、いの一番に打ち倒したシャーロット・ズコット、酒大臣は豪快に飲む姿を見て彼の背中をバシバシ叩いて褒めたたえた。まるでザヴァンが彼の顔をへこませたことなど夢の話だったかのように。そんな豪快さもザヴァンには新鮮だった。
特に彼はカタクリと――もちろん一番愛しているのはフォンリュであり、それが揺らぐことは決してない――仲良くなった。カタクリはザヴァンの一度気を許せばどこまでもなつく性質と真面目な性格、何よりその強さを気に入り、ザヴァンはカタクリの優しさと責任感の強さに心酔していった。秘密裏に行われたベストお兄様賞でもカタクリに投票したほどだ。なおザヴァンは投票対象ではなかったが、参加していればそれなりに良い順位を取っていただろう。彼は年下に優しかった。
こんなエピソードがある。成人済みの兄弟姉妹で宴会が開かれたときの話だ。
夜も更けてくると話はどんな方向にも飛ぶようになり、誰ともなくこんなことを言った。
「次期船長は誰だと思う?」
当然票は長兄ペロスペローと最高傑作と評されるカタクリに真っ二つに分かれた。
そしてついにザヴァンに話が振られた時だ。彼は凄まじい微妙な顔をしながらペロスペローを指さした。カタクリとの仲の良さは周知の事実だったので宴は驚愕に包まれた。
「船長としては、ペロスペロー義兄さん……ですかね」ザヴァンの言葉である。
「……そうか」カタクリはそれだけ言った。翌日、何となく彼が拗ねているような感じだったのは、絶対に錯覚だとザヴァンは思っている。
そんなこんなで8年間。今ではすっかりビック・マム海賊団に馴染んだザヴァンである。そんな彼のいまの悩みは妻であるフォンリュがここ1年程反抗期を起こし、彼を邪険に扱うようになったことだ。毎日同じベッドで眠っていたのが、週5日になったとき彼は泣いた。その号泣っぷりは粗暴と言われる3男、ダイフクが慰める側に回るほどだった。万国では号外になった。
実はこの反抗期、フォンリュの姉たちの親切心――もちろん素敵な結婚をしたということへの嫉妬、悪戯心も多分にある――によるフォンリュへの性教育が施された結果の羞恥心から来たものだった。もちろんザヴァンは気づいていない。二人の愛が揺らぐことなど絶対にありえないというのが兄弟姉妹の共通見解であり、反抗期は放置という結論になった。いつ終わるかで賭けも行われている。胴元は長女コンポートが務めた。
閑話休題。
ザヴァンは今日も叫んだ。ここ最近の日課ですらあった。フォンリュがプンッと踵を返す。
「サンジさんにはしたない所見せて! 今日は一緒に寝てあげない!」
フォンリュがプンプンと歩き去っていく。ザヴァンの頭からはサンジのことやベッジも誘って婿養子会とか作りたいという気持ちがすべて吹き飛んだ。
「で、でも火曜だよ!?」
「知らない!!」
ザヴァンは歩き去るフォンリュを追いかけ始める。サンジはもはや唖然とその後ろ姿を見ていることしかできなかった。
もしザヴァンにヴィンスモーク家を利用する計画が伝えられていたのならば、サンジはここでそれを知ることができていただろう。だが彼にはそれが伝えられていなかった。彼は考えていることがすべて顔と口に出る男だった。
ちなみに、ザヴァンに計画を伝えないように指示したのはカタクリである。
実に見事な采配であった。
〇
結婚パーティは崩壊し、万国中が混乱に陥ったとき、ザヴァンは一人でフォンリュを安全な場所へと逃がすために彼女を抱えていた。最初のうちはビック・マムの怒りに恐怖し息もつけないような状態であった彼女だったが、ようやく意気を取り戻し、「もう! ちゃんと抱えなさいよ!」といった具合に戻っていた。
ザヴァンは深い思考の中にいた。彼がフォンリュを連れて戦線を離脱することはこの上なく自然な行動であり、誰も疑いはしない。さらにはこの混乱である。この万国から逃げ出すのにこれ以上の好機があるだろうか。
ザヴァンはすでにビック・マム海賊団を受け入れており、彼らとともに生涯を共にしてもいいと思っていた。だが一方でいまでも自由を求めている。どこか遠くで気ままに生きることを望んでいる。今度は賞金稼ぎなどではなく、穏やかな日々を送りたい。
だがそんな気持ちで万国から逃げたいのではない。すべてはフォンリュのためだった――少なくとも彼はそう思っていた。彼女の優しさは間違いなく美徳であったが、海賊としては致命的な欠点であった。ザヴァンはある程度の力をフォンリュにつけさせたが、それでも彼女は戦いには向かない人だというのは明白であり、その認識はザヴァン以外にも行きわたっている。それゆえに彼女は表には立たず、フォンリュの対外的な知名度はほぼないに等しい。だがあと数年たてばそれも変わってくるかもしれない。彼女が向かない海賊の道から逃げられなくなることは、ザヴァンには耐えられなかった。
ザヴァンはフォンリュを極めて優しく下した。そして、彼女に目線を合わせる。ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、フォンリュは何も言わなかった。
「……フォンリュ、俺と――」
口を開いてようやく彼は逃げ出した後どうするべきか、何も具体的に考えついていないことに気が付いた。ただフォンリュを幸せにしたかった。だが今だって家族と幸せなはずだ。自分だって。なんて愚かなことをしようとしたのだろう。
「……ごめん。忘れて――」
「――ねぇザヴァン」
彼のもっとも愛するブルーが彼を見つめていた。
「私思うの」
「う、うん」
「家族と遠く離れても、それは家族を愛していないわけじゃない。もしかしたら、みんな怒るかもしれないけど、愛がなくなるわけじゃないの」
ザヴァンは口をつぐんだ。自分の考えや迷いがフォンリュに見透かされているようだった。だが不思議と驚きはない。思えばいつからか二人はずっとそんな具合だったのだ。
「それに貴方はどこか遠くに行くことを望んでるわ。でしょ?」
「……そうだね」
「ふふん、隠したって無駄よ。なんだってわかるんだから。実は私もね。ずっと思ってたの。どこか遠くに行ってみたいって」
フォンリュは笑った。ザヴァンも。
二人とも家族を愛していた。しかし、ここを去るには誰にも見送られずに出ていく必要があった。
駆け落ち。そんなふうにザヴァンは思った。だがフォンリュは言う。
「それじゃあ、行きましょうか。ふふふ、ようやく行けるわね、
ザヴァンはフォンリュを抱きしめた。この世一番愛しい人が腕の中にいる。そう確信できた。
「愛してるわ。ザヴァン」フォンリュが言う。
「愛してる。フォンリュ」ザヴァンも当然のように答える。「ありがとう」
その日二人は万国を出た。どこに行くかは誰も知らない。
〇
「七武海になるってのはどう?」フォンリュが言った。
海の上、小さな小舟で波に揺られながら二人は漂っていた。フォンリュの航海技術のおかげで今のところは問題ない。
「どうかなぁ」新聞に目を落としたままザヴァンが言う。
「だって鷹の目は一人でも七武海なんでしょ? じゃあザヴァンがなってもいいじゃない! 七武海になればママが怒っててもきっと大丈夫よ! ……なに新聞?」
「見てみて」
新聞の上には『王下七武海廃止!』という文字が踊っている。フォンリュが身を投げ出した。
「どうしましょうか……」
「どうしようか」
波の音が聞こえる。船が揺れる。
愛に揺らぎはない。家族もお互いも愛していた。
海よりも深く愛していた。
「どこでもいいわ」
「そうだね」
「……二人なら」
「二人なら」
ビック・マム編は間違いなく新世界以降のワンピースで一番面白かったと思っています。連載当時は意外と兄弟仲悪いなとか思ってましたが、最近は見方が変わってこいつら仲いいなと思ってます。
やっぱおにロりは最高や!