エルフは醜いと思った。
他種族を蔑み自分たちを褒め称える言葉を聞くたびに、恥ずかしさを覚えた。
エルフの里という狭い世界しか知らなくても、この光景は歪んでいるのだと確信していた。
「あ、リオン。来てくれたんだ。へへ、嬉しい。釣り行こうぜ!」
「……ええ。いいですよ」
「やった! やー、助かったよ。リオンがいないと川に近づけさせても貰えないからなあ」
ただ。
そう思っているリュー・リオン自身も。
目の前で無邪気に笑うハーフエルフの少年を見て。
──抑えようのない嫌悪感を、抱いていた。
人里離れた森の中には、木々に隠されるようにしてひっそりと築かれた集落がある。
エルフたちが暮らすその集落のことを、エルフの里と言う。
大抵の場合、エルフの里に住むエルフたちにはエルフこそを至高の種族とする選民意識がある。
そもそも、他種族との関わりを拒否したエルフたちが集まって出来たのがエルフの里なのだからそれも当然だった。
今から約十年前。
『リュミルアの森』のエルフの里に二人のエルフがやってきた。
いや、正確には二人ではないのかもしれない。何故なら、エルフの女性が抱える赤ん坊はハーフエルフだったのだから。
当時どのような議論があり、過程があり、結論があったのかは割愛する。
ただ女性と子どもはエルフの里に住うことを許され、同時に差別と迫害の日々が始まった。
殴られることはなかった。何故なら他種族と交わり子を産んだエルフは穢らわしいから。その代わりに何度も石を投げられた。
面と向かって罵詈雑言を浴びせられることはなかった。何故なら混ざりものであるハーフエルフを抱いたエルフの近くによるのも悍ましかったから。その代わりに遠巻きから徹底的に侮蔑の言葉が根も歯もない噂となって突き立った。
要するに。
女性とその子どもは、見せしめとして里に留まることを許されていた。
他種族と関わりを持つとこうなるぞ、と。外の世界へ行けばここまで堕ちるぞ、と。
そういうことだった。
あるいは、惨めな母子を作る事で自分たちの優位性を再確認し、自尊心を満たすためだったのかもしれない。
そして、それは女性が死んでからも変わらない。
「釣れねえ……」
里の近くを流れる川に釣り糸を垂らす少年がぼやく。
伸びている釣り糸は川の流れに引っ張られはするものの、糸を引く手応えは待てども来ない。
諦めて竿を持ち上げてみれば、針から餌だけがなくなっていた。
「貴重な餌がぁ!?」
「だから言ったじゃないですか……」
「くっ……! それでも! それでも釣らなきゃいけないんだっ。今日の晩ご飯がかかってるから!」
言いつつ、新しい餌を付け直した少年が再度釣り糸を垂らす。
真剣な様子で水面を睨む少年を見て、釣れないだろうなあとリューは思った。
先日の雨で水位が増した川の流れは速い。平時の様にはいかないだろう。
それでも少年は諦めない。川に入ることはリューに止められたため、限界まで腕を伸ばしてより川の奥まで釣り糸を届かせようとしている。握っている木の枝に糸が括り付けられているだけの釣竿は少年のお手製だ。
「もう冬になるのに今から備蓄に手をつけるわけには……! お願いお魚さん!」
「食べられに来いと言われて来る生物はいない」
「ちゃんと焼いて食べるから!」
「食べられ方の問題ではない」
「美味しく食べるから!」
「そういう問題でもない」
結局、魚は釣れなかった。
空っぽの桶を抱えた少年とリューは、連れ立って森を進む。
「きのこはいいよなー。歯応えがあって。噛んでる! って感じがする。あと目に楽しいよね。これなんか色鮮やかで美味しそう。今日の主食はお前だ! ふはは! 頂きっ!」
「それは強めの毒がありますよ」
「危ねえ!? あっ、なんか手が痒くなってきた! もしかして触っただけでダメなやつ!? もっと早めに言って欲しかったかな!」
「いい加減、貴方は色彩が強いものは危険なのを学習するべきだ……」
「いや、毒あっても食えるやつがあるし、俺は毒があるだけで食べ物を差別はしない」
「意味がわかりません」
「噛んで飲み込めるなら食べ物には違いない。きっとこれもなにか調理法があるはず……!」
「意味がわかりません」
程なくして、空っぽの桶に少しのきのこと少しの山菜、大量の毒キノコが積まれた。
重くなった桶を抱えた少年とリューは、連れ立って森を進む。
「大量大量! これだけあれば一週間は凌げるかなあ。……お魚釣れなかったのは痛いけど」
「まだ気にしていたんですか」
「そりゃね! 貴重な栄養だし、何より美味しい!」
「……そうですか」
リューは少年の魚の食べ方を知っている。調味料もなにもなく、ただ焼くだけ。それをご馳走だと語る少年の明るい声音に一瞬痛ましさを覚えて、俯いた。
「というか、今日はだいぶ早い時間から来てくれたけど、お役目は良かったのか?」
「今の時期は里の付近を通過する小隊も滅多にいません。戦闘訓練も早々に終わったので」
「へー。守り人たちにも適当なところあるんだな」
リューはエルフの里の聖樹を代々守護する守り人の一族の生まれである。
物心ついた頃から課せられた戦闘訓練により、守り人たちは『神の恩恵』無しでもある程度戦える戦闘技術を持っていた。
エルフにはその気質から比較的真面目な者が多い。さらに、里と聖樹を守る事を使命とする守り人たちともなればその気質は一層強くなる。
少年の感想はそういうバックボーンから出されたものだった。
そういう感想が出るということは、少年はリューの事を深く知らないという事でもあった。
「止まりなさい」
「おっと」
突然のリューの静止の声に、慣れた様子で少年は止まった。
「みんなが暮らしてるところからはまだ遠いけど?」
「……今年は作物の出来があまり良くありません。狩りにも、森の恵みの収穫にも多くのエルフがその範囲を伸ばしています。……この先では里のエルフに会う可能性もある」
「あー。それは……うん、それは困るかな。ありがとう、リオン。冬に備えて食料を集めておきたかったけど、それは仕方ない。帰ろうか」
差別と迫害は続いている。
ハーフエルフはただ生きているだけでその対象になる。
リュー以外のエルフに今出会えば、頑張って集めた食料を全て肥溜めに捨てられるかもしれなかった。いや、そうなっていただろう。怪我をしなければ御の字だ。
認めたものでなければ──同族でなければ肌の接触すら許さないという里の閉鎖環境。
選民意識を持つものに固められ、種族として潜在する特質を矯正する機会すらない。
混ざりもののハーフエルフは、里のものたちにとって耐えがたい程に穢れた存在だった。
そう、里のものたちにとって。
「またな、リオン。また今度」
「……ええ、ソレイユ。また今度」
「ああ。今度は、ちゃんと話せるといいな」
大人二人寝そべればスペースがなくなる様なボロ小屋に少年ソレイユは住んでいる。
入り口に手をかけたソレイユは振り返り、今日初めてリューの顔を見た。
エルフ特有の金髪は黒色を加えた様に濁り、種族特有の澄んだ色の瞳はブラウンに染められている。
そのブラウンの瞳に己を見つめられる事が耐え難くて、リューはさっと背を向けた。
返事もなく足を動かす。
離れていく背中を。今日ずっと自身の後ろを一定の距離を保ちながらついて来ていたエルフの少女の背中を、ソレイユは森に隠されて見えなくなるまで見送っていた。
リュー・リオンは異質なエルフだ。
美貌に浮かぶ数々の他種族への嘲笑。同胞を称え合う美辞麗句。そんな環境に身を置いていてなお、『見目麗しい私たちこそが、一番醜いのではないか』と疑念を抱いてしまったのだ。
一度考え始めてしまえばもう止まらない。
同族を見下し、自分がエルフである事を恥じ、次第にそれは『こう思える自分は里のエルフとは違う』というアイデンティティにまで昇華する。
そんな時に出会ったのがソレイユだった。
里の端っこにハーフエルフの少年が住んでいる事は知っていた。
周りの同族たちが事あるごとに嘲弄していたから。
興味はあった。だが、当時のリューは一族の使命である聖樹の守護のために戦闘技能を叩き込まれている最中であり、言ってしまえば時間がなかった。
戦闘センスの高さからリューの戦闘訓練には程なくして余裕ができ、余裕ができたリューはソレイユの元に赴いた。
──同族ではない、他種族の仲間が欲しい!
エルフを完全に見限っていたリューは、仲間をエルフ以外に求めた。
そういう思考が既に環境に育まれた差別意識を下地にしている事に気が付かず、自分は他のエルフとは違うという無根拠な自信とアイデンティティのみで会いに行った。
そして、ソレイユを拒絶した。
小さな畑で農作業をしていたソレイユはいきなり現れたリューに驚いて、石を投げられるのを警戒して身を屈めて、何もしてこないことを疑問に思って顔をあげて。
このエルフは自分に害を加えない。そう思ったソレイユは恐る恐るリューに近づいて、自己紹介をして、ごしごしと質素な服に擦り付けて土を落としてから手を差し出した。
リューは、その手を取らなかった。
何故か?
醜いものには触れたくないからだ。
当たり前の話である。誰が好んで触れようと思うのか。近付かないのが自然な反応だ。
十秒経って手を取らないリューを見て、こんな汚い手は嫌だよね、ごめん、と。手を引っ込めるソレイユをリューは見てすらいなかった。
何故か?
醜いものは見たくないからだ。
当たり前の話である。誰が好んで見ようと思うのか。視線を逸らすのが自然な反応だ。
特に理由はない。
リューは、ソレイユがハーフエルフであるというただ一点のみでそう思った。
逃げる様に走った。
戦闘訓練で鍛えられた脚力をもって全力で走った。
とにかくソレイユの側から一刻も早く離れたかった。
走って、走って、走って、手近な木に背中を預ける様にしてずるずると座り込んだ。
心臓の音が煩かった。
体が熱かった。
心は冷え切っていた。
リュー・リオンは異質なエルフだ。
選民思想で凝り固められた環境下でなお、それは違うのではないかと考えられるエルフだ。
ただ。
いくら頭の中では違うと言い繕えても。
体は、矯正どころかずっと助長し育まれていた本能、種族としての本質は誤魔化せない。
リューの中には、しっかりと里の選民思想と差別意識が強く根付いていた。
──こんな汚い手は嫌だよね、ごめん。
この言葉が、農作業で土の付いていた手を指していたのか、そうでないのか。
本当の自分を直視させられ、ガラガラと音を立てて崩れていく何かを愕然と聞いていたリューにはそれすらも分からない。
リューの未熟な心には、耐えきれない程の真実がそこにはあった。
リュー・リオンは異質なエルフだった。
偏見と選民性の矜恃で塗り固められた環境下でなお、それはおかしいと思えるエルフだった。
そう思えるだけのエルフだった。
それから数回季節が巡っても、リューはソレイユに会いにいく事をやめなかった。
理由は簡単に説明できる。
そうしなければ、自分が自分でなくなる恐怖があったから。
ソレイユの事を想ったわけではない。差別意識がなくなったわけでもない。
ハーフエルフを侮蔑する心を持ちながら、それはおかしいと理性で自分に言い聞かせ、里のエルフと同じになりたくないという差別意識を下地にして、リューはソレイユに会いにいく。
他ならないリュー自身のために、ソレイユに会いにいく。
ソレイユがその事を知っているのか、リューは知らない。
差別と迫害にあってなお、太陽のような温かな心の光を持ち続けているソレイユが何を思ってリューと接しているのか、知らない。
体の奥底から湧いてくる嫌悪感から五メル以上近づかないリューを見て、何を感じたのか知らない。
最近、やっと会話に近しい何かをできるようになったリューに、どんな感情を抱いたのか知らない。
「あ、リオン! よっす」
でも。
振り返らず、顔を合わせず、近付かず。
それがリューを気遣ってのことだというのだけは、知っていた。
「……何をして?」
ソレイユは小屋の前の小さな畑からほぼ全ての野菜を収穫していた。
ソレイユひとりならすっぽり入りそうな籠は、半分ほど野菜で埋まっている様子。中にはまだ育ちきっていないものもあった。
リューはそれを指して首を傾げた。
背中を見せている相手に、そんな動作が伝わるわけもないのに。
「これはなー、まあ食料だな」
「それは分かります。私が言いたいのは……」
「分かってる。なんで今収穫してるのかって事だろ? 俺さ、明日里を出ようと思っててさ」
「──え?」
それは、リューにとって想像すらもしていない事だった。
「この里には生きる場所をくれた感謝がある。でも……俺、母さんのお墓を作ってあげたいから。ここだと、それもできないから」
──我らの聖なる土地に穢れた骨を埋めるなど。
ソレイユの母が亡くなったときに、里のエルフたちがそう言った事はリューも知っている。
幼いソレイユが母の遺体を火葬すらさせてもらえず、母と二人で作った思い出の畑で、自分で母の遺体を燃やしたことも聞いている。
でも、里を出るなんて事は考えたこともなかった。
「どうして……いや、どうやって生きていくつもりで……」
「どうにかなるかなって。備蓄してた食料は結構な数あるし、今は冬で日にちも持つ。取り敢えずこれで適当なとこまで行って働くよ。農家なら雇ってくれるかな……ほら、俺土いじりが趣味だし。あ、オラリオに行くのもいいかもなあ」
「そういう事では……!」
「リオン……? 心配してくれてるのか、なんて。へへっ」
「茶化さないでください!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。何故大きな声が出たのかは分からなかった。
リューは、理由も知らないままにソレイユを引き留めようとしていた。
「ソレイユはまだ子どもです」
「もう十一だよ。母さんがこの里を出たのこのぐらいだったらしいし、大丈夫だよ」
「外の世界のことを何も知らない!」
「母さんから聞いてる。楽しい事も、悲しい事も、いっぱい聞いた」
「……っ! ソレイユはハーフエルフだっ!」
「うん。だから、この里を出て行く。エルフを愛してくれる人がいるかもしれない世界へ。エルフが愛せる人がいるかもしれない世界へ」
リューの言葉は小さな背中に受け止められて、優しく跳ね返ってくる。
リューはソレイユを引き留める言葉を言うことができない。表面的な『多分こういう理由で困難だろう』という理由しか話せない。
それはリューが抱いている里の外の世界への恐怖であり、リューはソレイユの表面的な部分しか知らないという事でもある。
……もし、ここではない世界のどこかなら。
例えば、『リュミオンの森』のエルフの里に母子がやって来ない世界なら。
リューは、迷う事なく里を飛び出しただろう。
自身の中で年月を掛けて育まれた差別思想に気付かず、強制される事のなかった種族的潜在性に目を向けず、自分ならば里の外で他種属の本当の仲間を見つけられるはずだと、夢と希望を持って里を飛び出しただろう。
でも、この世界はそうはならなかった。
里の外から母子は現れて、ソレイユとの会合はリューに己の中で根付いた差別意識に気付かせた。
ハーフエルフというだけで嫌悪感を覚える自分が、どうして他種属と仲間になれよう。
それは幼いリューの心を折るには十分であり、幻想を打ち砕くだけの真実を秘めてあった。
里の外でなら他種属の仲間ができるなどと思い里を飛び出すなど、考えられるはずもない。
リューにとっての救いであり、追い討ちでもあったのは。
他種属と契りを結び、番になったエルフがいたこと。エルフでも他種属の仲間を持てるのだという実例を見たこと。
そして、そのエルフがリューと同じ里の出身で。
つまりは、醜いと唾棄するエルフたちと同じ思想を持ってしまっている自分とは違い、そうならなかったということ。
リューに育まれた差別意識は、エルフだからではなく、リューだから生まれたということだ。
「……もう、決めたんだ。俺は母さんと同じ世界に行く。それにさ、俺の名前には母さんの願いが込められてるから。その願いは、ここじゃ叶えられない」
ソレイユの表情はリューには見えない。
でも、枝葉に閉ざされた空を見上げて口にしたその言葉には、泣きたくなるような優しさと悲しさが同居していた。
「うん、でも。里を出る前にリオンに会えたのはよかった」
「……なん、で」
「なんでも何も。俺が今生きてるのはリオンのお陰みたいなところあるから。もう聞き飽きてるかもしれないけど、最後にお礼は言いたかったんだ。川で魚をとってるとき、他のエルフから俺を守ってくれてありがとう。森で食べ物を探すとき、俺が怪我しないように注意してくれてありがとう。母さんが死んだとき、俺に会いに来てくれてありがとう。それからも、ずっと俺と話に来てくれてありがとう」
「それは……っ!」
「リオンが何を思ってそうしてたなんか、関係ないんだ。俺は感謝してる。それでいいんだ。俺は、それで救われた。それは確かなんだから」
リューは泣きたくなった。やっぱり、なんで泣きたくなったのかは分からなかったけれど。
涙をぐっと堪えて、嗚咽が出そうに出る喉を気力で絞って、リューは言葉を重ねようとして、言葉にならなかった声が漏れる。
決意が揺らぐことはないのだと、分かってしまったから。
リュー・リオンは想起する。
ソレイユが居なくなった後の里の事を考える。
きっと、悲しむエルフは誰一人としていないだろう。
──ああ、やっといなくなってくれた。
口を揃えてそう言うだろう。
その中には、リューも含まれている。
嫌だと思った。
里のエルフがそう言っているのを聞く事ではなく。
ソレイユが居なくなる事で自分がそう思う事を、堪らなく嫌だと思った。
ソレイユを嫌悪する本能と、それを悪しきだと断ずる理性がせめぎ合う。
もうずっとだ。ソレイユと出会ってから、リューの心はずっとそうだった。
でも、理性の方が正しいと信ずる心があったからこそ、リューはソレイユとの関係を辛うじて維持できていた。
ならば、今もそうならない道理はない。
だから、これは自然に出てきた言葉だった。
「……私も里を出ます」
「──は?」
びっくりしたソレイユが振り向き掛けて、止まる。
少年の優しさに触れながら、今度こそリューは言葉を重ねる。
引き留めるためではなく、共に行くために。
「私もソレイユと里を出ます。一人では行かせられない」
「いや、リオンは守り人のお役目が」
「この森はモンスターも出ます。森を抜ければ賊もいる。戦闘経験のないソレイユ一人で無事だと思いますか?」
「それはそうだけど……! 毒キノコの毒を抽出した毒とか、いろいろ考えてはいるから!」
「素人の振るう獲物が当たるほど獣は鈍くない。それが意思ある者なら尚更です」
実際に守り人として戦闘訓練を積み、実戦の経験もあるリューの言葉には説得力があった。
それは理屈方面での説得は不可能だという事を意味する。
ソレイユは迷って、躊躇って、躊躇して、口を開いた。
「リオンは、嫌じゃないのか……?」
リューを気遣えるということは、リューの感情を理解しているということでもある。
ソレイユはリューが自分に対してどういう感情を抱いているのか理解していた。
理解していたから、それでも自分に関わり続けようとしてくれたリューの優しさに救われていた。
リューにとってはそうでなくても。ソレイユは、そう受け取っていた。
だから、これもリューの事を慮っているがための言葉。
それを、リューは斬り伏せた。
「嫌です。……でも。ソレイユが居なくなる事を喜ぶ私を、私は赦せない」
「な、はぁ!?」
「私はもう決めました。……ソレイユが拒絶しても、私は付いていく」
「そんなクソ頑固な……!」
ソレイユは知らなかったが。
リュー・リオンというエルフはクソ真面目で、クソ頑固で、全く融通が効かないエルフでもあった。
嫌だという理由で本能が嫌悪するソレイユへ頑なに会いに行けたことからもその片鱗は窺える。
「ソレイユ。……顔を、見せてください」
「……いいのか?」
コクリと、リューは頷く。見えるはずもないのに。
だけど、ソレイユは雰囲気でそれを察した。察して、一度大きく息を吸う。
自分を拒絶されて平気な者はいない。嫌われるには勇気がいるし、嫌われている事を確認するにも勇気がいる。
それが、大切な人であればあるほど。
ソレイユは優しさからリューに確認をして、臆病さから一度自分の中で時間を作って、生み出した勇気で振り返った。
「……リオンって、そんな顔してたんだな」
「……ソレイユも、そんな顔をしていたんですね」
振り返った先には、美しいエルフの少女がいた。
明るい金色の髪に、澄んだ空色の瞳。形の良い鼻筋がすっと通り、エルフらしく、恐ろしく顔が整っている。
ソレイユよりも細長いエルフ特有の細長い耳がぴくりと震えた。
片方は優しさと臆病さから。
片方は選民思想と自己嫌悪から。
初めて真正面から向き合った二人は、ややあって同時に目を逸らした。
気まずさが漂う。
差別と迫害の結果対人経験の乏しいソレイユと、その性格から対人経験の乏しいリュー。気の利いたことが言えない二人がいざちゃんと話そうとすると、大抵の場合こうなる。
口火を切ったのはリューだった。
「私は、ソレイユ、貴方と正面から向き合える」
「正直、驚いた」
「まだ、ソレイユに触れることはできない。でも、向き合うことはできた」
「リオンには悪いけど、俺はできるとは思ってなかった。本当にすごいと思う」
「このままこの里にいれば、私は腐ってしまう。今のこの気持ちも……里のエルフたちを嫌うこの気持ちまで腐り落ちて、同じように嗤ってしまう。私は、私が思っているようなエルフではなかった」
「……リオンは」
「ソレイユがどう思うかではないのです。私は、私がどういうエルフなのかを思い知った」
己を見つめるブラウンの瞳を見つめ返す。
今度は目を逸さなかった。
そして、叫ぶ。
「このまま腐りたくない! 私は、このままここで腐りたくない! この気持ちを忘れて、醜悪だと断じたものと一緒になりたくないっ! 私は、私でいたいっ!!」
それは心の悲鳴。
嫌悪した存在と同じになる事への恐怖。
リューを苦しめている、エルフの潜在性への敵意。
若い、というエルフもいるだろう。
恥晒しだと唾を吐くエルフもいるだろう。
お前もそうなるのだと嘲笑うエルフもいるだろう。
でも、それを応援するエルフもいた。
そのエルフは、ハーフエルフだったけれど。
「……リオンの夢は、たしか友だちだったよな」
「……は?」
「できると思う。リオンならきっと。ハーフエルフにも優しくできる優しいリオンなら、きっと素敵な友だちができる」
「……何を言って?」
「でも、今のままじゃ難しいかもしれないな。だから、良ければ俺で慣れていこう。協力する。知らなかいだろうけど、実は俺、リオンに対する好感度かなり高いんだぜ。目指せ友だち百人!」
「……ソレイユ! 貴方は何か勘違いをしている!」
さて、そうと決まればもうちょっと食料持ってかないとな、と準備のためソレイユは直ぐに背中を向けた。
見慣れた背中が小さく震えていることに気がついて、リューは首を傾げた。
例え、それがリューの里へ染まることへの恐怖から発露した若い矜恃の言葉だったとしても。
ハーフエルフであるという理由だけでエルフの里でエルフから差別と迫害に晒されてきた少年にとって、今の言葉が『ソレイユをソレイユとして見る』言葉以外の何ものでもないことも、それがどれほど少年にとって嬉しい言葉だったのかも。
対人経験に乏しいエルフの少女が気付くには、少し難易度が高かった。
二人の距離はちょうど五メル。
物理的な距離は心の距離だという。ならば、一歩踏み出したその一歩分、二人の仲も縮まったのだ。
夕日が沈み、星が空に瞬いて。
朝日が登る前に、二人は里を出た。
少年にとっても、少女にとっても生まれ故郷に等しい里に別れを告げて、まだ見ぬ世界へと踏み出す。
向こう見ずな思い切りの良さは若さの特権だ。
少年が丹精込めて作った野菜と、きのこと、母の遺灰を大切に持って。少女が取ってきた里の鉱石『白聖石』をわずかな路銀ばかりに持って。
旅立ちは軽いほうがいいという。だからか、里を出た瞬間、二人の心には開放感とほんの僅かな寂しさがあった。しかし、白く輝く朝日を浴びた瞬間、そんな感慨も消え去った。
「んぅ〜! 気持ちいい!」
「森の奥深くにある里に朝日が差し込むことはまずないから……」
伸びをする少年の横で、少女も目を細める。
今はもう、後ろではない。隣に立てる。
隣というには、五メルという距離はちょっとだけ長いかもしれなかったけど。
「……ところで、ソレイユはそれで良かったのですか?」
「素人は攻撃当てらんないって言ったのはリオンだろ?」
「それは、そうですが……」
リオンが向ける目の先は少年の腰の裏側。そこには、木で作られた盾がある。
自衛用の武器は何が良いかと訊けば、少年は迷わずに盾と答えたからだ。
「普通は、殺傷力を持つ獲物を持ちたくなります。守って守るのではなく、排除して守る。それが心の動き……」
「そんな細かいこと考えてないない。リオンが狩ってくれるなら、俺はもしもの時にリオンを守りたいって思っただけだよ。リオンは俺が守る! ……なんつって。まあ、そんな場面一生来ないだろうけど」
「伊達や酔狂で里の守りを任されていたわけではないですから」
「知ってる。というか、見せつけられた。マジで強いなリオンは……」
森を抜ける途中、モンスターに一度遭遇。
その際、少女が一撃でそれを仕留めたことは記憶に新しい。
木刀でどう振ったら肉が切れるんだ、とは少年の談。
少女は澄まし顔で鍛錬をすれば、と答えた。
少年の顔は引きつっていた。
「どこ行くか決めてなかったけど、リオンがそんなに強いならオラリオに行くのもアリかもな。絶対モテるぞ」
「意味が分からないのですが」
「だって、冒険者って強いやつがなるものなんだろう? リオンなら絶対にすごい冒険者になれる! それに、オラリオは世界一の大都市って話だし。ということは、いろんな種族がいる。そこでなら、リオンの友だちもできるかもしれないし」
「……だからそれはっ!」
「よーっし! そうと決まれば早速行こう!」
「……待ちなさいっ! ソレイユ!」
駆け出した少年を追いかける少女。
残念なことにフィジカル面で少年は少女に惨敗しているので、直ぐに追いつかれた。
隣り合って歩く二人の距離はちょうど五メル。その間を、門出を祝うように風が通り抜ける。
目指すはオラリオ。目標は友だち百人。
そこで、掛け替えの無い友だちを失うまでの話。