アリュード・マクシミリアン伯ー妖精麗人の愚直なる復讐ー 作:護人ベリアス
その瞬間その場の時間は止まったかのようであった。
その硬直を引き起こしたのは一人の青年。
金縛りにあったかのように凍りつく三人の女性はその青年に驚愕の視線を釘付けにした。
その視線を何も言わずに青年が受け止めると、音もない時間はしばらく続く。
そしてその静寂を破ったのは他のでもない彼女達であった。
「…ベル…様…」
「ベル…君…」
「…ベル…」
三者三様の青年を呼ぶ声が小さく響く。
そのか細い声に青年は寂しげな笑みを浮かべて答えた。
「リリ…エイナさん…アイズさん…みんなにお話があってこの機会に来ました。…お時間を…頂けませんか?」
その言葉は彼女達にとって死刑宣告に近い感覚を覚えさせる冷たい言葉のように聞こえた。
☆
「…ベル様はなぜここへ…?」
リリルカは諦めたような表情でベルに尋ねる。
彼女達はベルがすでにリューと接触していたことを知っている。
そこで何が話されたか明確に知らないとしても察しぐらいはつく。
ベルは全てを知ったのだと。
彼女達がリューにどのようなことを成したのか知っているのだ。
それならば彼女達のこれまで抱いてきた想いも終わり。諦めるしかない。何もかも終わり。
仮にリューを今この瞬間に葬り去れたとしても、もうベルに知られている以上終わりなのだ。
そう悟る彼女達の表情は一様に絶望に塗りつぶされていた。
そんな彼女達の絶望をベルは肌で感じつつリリルカの問いに答えた。
「…ごめん。リリ。本拠でリリとエイナさんがアリュードさんと会う日を決めてるのを盗み聞きしたんだ。…僕が普段部屋からほとんど出ないとリリ達が思い込んでるの利用して。それは許されないことだと思う。…でも僕はその日を知らないといけない。何が何でもリリやエイナさん、アイズさんに伝えないといけないことがある。…そう思ったから。」
「…っ!」
リリルカはいつの間にベルに盗み聞かれていたのか見当もつかない。ベルが白状した通りベルに騙された。
彼女達の知るこの五年のベルはダンジョン探索以外には外出どころかほとんど人とも会わない。
そんな内向的になっていたから。そのせいで彼女達はすっかり油断していた。そうも言えるかもしれない。
自身の注意不足を後悔して表情を歪めるリリルカ。
代わってベルに自暴自棄な怒りをぶつけたのはエイナであった。
「…アリュードさん?ベル君?今更そんな気を使ったこと言わなくてもいいよ?ベル君はあの伯爵の正体を知ってる。あれの正体が誰なのか…」
「ええ。確かに知ってます。」
「…っなら!」
「でも先程みんなが話していたのはアリュードさんです。それ以外の何物でもない。彼女はアリュードさんであって、僕たちの知る誰かじゃない。」
「…は?ベル君。そんな意味の分からない謎かけみたいなこと言ってないで言いたいことがあるなら早く…!」
「すみません!!」
エイナがベルの意味の取り難い文句を並び立てたことに怒りをぶつけ続けたところ、エイナの言葉を遮ってまでしてベルが返してきたのは苦しさで歪んだ表情で告げられた謝罪。
想定外の反応にエイナはポカンとしてしまった。
そうして再び生まれた静寂の中ベルは過去の懺悔を始めた。
「…僕はかなり前から…みんながしたことを知ってました。…彼女を…リューさんを…嵌めたことを知ってました。」
「…それを知っててリリ達がそばにいるのを許したとでも?ベル様?そんな嘘リリ達には通じませんよ?ダンジョンに二カ月も証拠を探しにこもり続けるほどあの女の事を愛していたベル様がそこまでのお人好しなはずがありません!」
「そうだよ…ベル君なら私達を説得しようとしたはず。私達がこんな悪いことをするのを見過ごすはずがない。」
「…そう…だよ。ベルなら…何が何でもあの女を助けようとした…気付いてなかったのに…嘘はダメ…私達が…泳がされてたみたいで…惨め…」
ベルの告白に彼女達は反論を重ねる。ベルはその反論に思いのたけをそのままぶつけた。
「だってみんなのことも大切だったから!!」
「「「…っっ!!」」」
それはベルの本心。
この誰もが完璧な幸福を手にできなかった元凶を作り出した甘えであった。
「…リューさんのことは結婚したいと思うくらい好きで…守りたくて…そばにいたくて…でもリリは僕のことを何よりも優先して考えてくれて妹みたいに…大切で。エイナさんもいろいろな知識を僕にくれて何度も助けてくれたお姉さんみたいに…大切で。アイズさんも何度も僕に訓練に付き合ってくれて何度も助けてくれた大切な…師匠で。誰かの方が大切だなんて…僕には考えられなかった。みんなが笑顔になれるのが何よりも僕の望みだった…」
「「「…」」」
「でも…そんな考えは甘えで…リューさんは死んでしまった…そう知らされて、僕はみんなを恨んでふさぎ込んだ。…でもそんな僕をみんなは見捨てなかった…リリもエイナさんもアイズさんも僕のことをずっと心配してくれた…だからどうしても恨めなかった…」
ベルの優しすぎる言葉に彼女達は動揺を隠せない。
何年もベルのそばにいて、ベルを知っているからとは言え想定をはるかに上回るお人好しっぷりは流石に受け入れがたい。
それでベルの言葉を受け入れられなくなる中彼女達全員が受け入れられない中最初に理解のし難さを言葉にしたのはアイズであった。
「…何言ってるの?恨めなかった…?私達がベルに優しくしたのは、あの女に代わってベルの大切な人になろうって思ったからで…あの女を嵌めた私達を恨まない理由とは全く関係ない…」
「僕にとってはそんなことないんです…みんな僕が悪いんです。僕がいたから…僕はリューさんのことが好きになって…リリの想いもエイナさんの想いもアイズさんの想いも何となく分かってしまったから…だから僕は何もできなかった。リューさんを見捨ててみんなとこれまで通り過ごすことも命懸けでみんなを止めてリューさんを守ることも…何も決められなかったのがいけなかったんです…」
ベルの悲痛な懺悔に彼女達も言葉が出なくなる。それを見て、ベルは続けた。
「…僕はずっと伝えられませんでした。みんなのことを抑えきれないぐらいに恨んでることを。その恨みはきっと忘れるのは難しいと思う。ごめんなさい。でもそれと同時に僕をずっと見捨てないでいてくれたことをすっごく感謝してる。ありがとうございました。みんな。」
「ほんと…ベル様は何を言ってるんですか…?意味が分かりません…」
「そうだよ…私達が何をしたのか…分かっててそんなこと言ってるの?」
「そう…私達は…」
ベルの憎しみと感謝を両立させた言葉に彼女達は受け入れられず、口々に不満を漏らす。
そんな彼女達にベルは思わぬことを告げた。
「でももうそれらすべて全部なしです。もう過去に囚われるのは終わりにしましょう。リリ。エイナさん。アイズさん。」
その時ベルが告げたのは他でもない。数日前にリューに贈られた言葉であった。
「…だって他でもない被害者のリューさん…アリュードさんが復讐など考えていないって言ってくださったんです。彼女のことを見捨てた僕のことも…みんなのことも。みんな許すって…そう言ってくださったんです。そして過去に囚われるよりも未来のためになることを考えるべきだって。だからアリュードさんはここで協力を求めに来たんですよね?」
「確かに…そうです。あの女は確かにそう言いました。」
「ならその思いに僕達も応えましょう。…アリュードさんはもうリューさんじゃありません。彼女が成そうとしていることは困っている人を助ける。そんな当たり前のことです。戸惑う理由なんてどこにもありません。彼女が言わなくても行う力のある僕たちが努力すべきことです。神様も身をもって示してくれました。それを行う意志さえあれば、困ってる人を助けることぐらいできるって。是非彼女の提案を引き受けましょう。」
「…それは…あの女を手助けするためにってことですか?ベル様?」
ベルの提案にリリルカは問い返す。想像力を働かせるまでもなくベルがこんな提案をするのはリューのためとしか考えられなかったから。
ただベルにとってはリリルカの考え通りでもあり、そうでなくもあった。
「…手助けというよりは見返す…かな?」
「…見返す…?ベル様?あの女は何を言ったのですか?」
ベルの本人にしか分からない独白にリリルカが思わず質問する。その質問にベルは寂しげに答えた。
「…僕のことも忘れると…そうはっきり仰りました。彼女の正義を貫く邪魔になる…そうです。」
「ベル…様…」
「だから僕の後悔ももう終わりにしないといけません。…僕も過去に囚われてばだっかりじゃいけませんから。いつまでも行動できなかったことを後悔していても始まりませんから。僕は彼女を見返すために努力しないといけない。ずっと怠ってた鍛錬もダンジョン探索にも精を出さないといけない。だから僕がみんなに彼女を助けようって言うのは、彼女を助けたいっていう気持ちよりも単純に困ってる人たちを助けたい。そしてその考えに賛同した神様やタケミカヅチ様、ミアハ様の考えに共感するからです。もう僕もいつまでも彼女に囚われず前に進んでいかないといけませんから…」
「…つまりベルはあの女に振られたからあの女のことを忘れる…ということ?」
ベルの独白に今度はアイズが直球の質問をぶつける。それにはさすがにベルは苦笑いして答えた。
「まぁ…そういうことです。はは…情けない僕は婚約者に振られたってことです。はは…ほんと情けない…だから…もう過去は振り返りません。僕は…もうみんなを心配させてしまうような情けない真似を続けるわけにはいけません。彼女が変わったように僕も変わらないと。」
そうベルは言い切ると息を吐いて、表情を引き締めると彼女達に重ねて告げた。
「だからお願いします。アリュードさんのお話を聞き入れて、彼女と協力して困っている方々を助けましょう。もし過去に引きずられているならもう忘れましょう。僕も忘れます。みんながしたことも僕がずっと思ってきた色んなことも。みんな忘れて、未来に繋がる選択を僕たちは選び取るべきです。彼女はその機会をくださったんです。僕たちはその与えられた機会を無駄にすべきじゃありません。過去を水に流してアリュードさんと協力すべきです。」
ベルは決意を込めた目つきでそう語る。
そんなベルを彼女達は複雑な表情で見つめたまま何も言わず、時だけが過ぎていく。
すると糸が切れたようにエイナが大きな溜息を吐くと、色々な逡巡が吹っ切れたかのような諦めと安堵が入り混じった複雑な表情でベルの求めに応えた。
「…分かったよ。ベル君。君がそう言うなら、ギルドもダイダロス通りの方々を助けるために動くように方針を転換するように手を回してみる。…元々オラリオとしても問題の材料だったから、手つかずと言うのは不本意だったから。でも私は決してあの女のために協力なんかはしない。私は私なりにオラリオを良くするために動く。それが偶然あの女の考えと一致しただけなんだから。もしあの女がオラリオのためにならないようなことをするなら…『豊穣の女主人』の店員達のように躊躇なく排除する。」
「…彼女はそんな事絶対しないと思いますけど…自分の考えを曲げない誰よりも冒険者の事を考えてくださるエイナさんらしいお言葉だと思います。そして考えを改めてくださってありがとうございます。」
「別に…正直私はあの女がベル君に纏わりつかずに以前のようにオラリオやギルドに害をもたらさないと言うなら、何も文句はないから…」
ベルの礼にエイナは苦笑いしながらリューへの印象を暗に語る。
結局エイナにとってのリューへの敵意や憎悪は、ベルへの急接近とかつての暴走が生んだもの。もしリューがそれらを今後行わないと言うならば、エイナがリューを無理に排除しようとする理由などないのだから。
そう締めくくったエイナに代わって口を開いたのは、リリルカ。
彼女もまた先程のような憎悪や絶望は表情に現れていなかったが、不満は消えていないような様子で呟く。
「ま…ギルドの対応はお任せします。リリの興味があるのは、ベル様の事だけです。もしあの女がベル様に近づかず、ベル様があの女の事を忘れると言うならば何も文句はありません。…何よりよかったです。…リリが言っていいこととは決して思いませんが…ベル様が元気を取り戻してくれて本当に良かったです。」
「…うん。またダンジョン探索を本格的に再開したいから。リリ。これからまたパートナーとしてよろしくね。…その…これまで冷たく当たっちゃってごめん。」
「…いえ。謝らないでください。リリが身勝手にしたことせいですから。でもリリは後悔はしてるとは言いません。ベル様があの女のそばにいると暴走癖が絶対に移ってました。今でもあの女にベル様が似るなんて考えられません!」
「は…ははは…」
リリルカが忌憚なくリューへの悪口を吐くものだから、ベルは苦笑いで返す。
ただベルはリリの言葉に文句を言わない。
なぜならその言葉があくまでベルの身を案じての言葉であることが分かっているからでもあるし、もうリューへの想いを忘れないといけないベルはリューを庇う道理もないと思ったからである。
そしてリリルカの言葉は言うまでもなく今までもこれからもく変わらずベルの身を案じて発せられるものである。もしリューがベルに近づかず危険をもたらす可能性がないのならば、リリルカはリューを憎悪し続けてもリューを消すことにこだわる理由はない。
「…私もそれでいいと…思う。あの女にもう私達に危険を及ぼしたり、前のような暴走を起こす力はない…もうギルドが管理できてない危険な力を持つ人はもういない…だから問題ないと思う。…私もベルとこれからダンジョンに行ったり訓練ができるならそれが一番いい…から…その…ごめんなさい。ベル…」
「…僕もアイズさんの気持ちとかをきちんと考えられてなかったり心配ばかりかけたと思うので謝らないでください。それよりアイズさんもこれからまた訓練して下さると嬉しいです。」
「…うん…!」
リリルカに代わって呟いたのはアイズであった。
アイズが気にするのは案の定アイズを倒せるだけの力がある人物がいるかいないかだけで『豊穣の女主人』のメンバーが消え、リューも恩恵を失った今特に気にするようなこともない。
そしてベルが再び訓練をしたいと言ってくれたことにアイズはベルとの距離がなかった少し昔に戻ったかのような心地がして素直に笑みで返した。
そんなアイズに他の二人は溜息と愚痴をこぼす。
「…ほんと【剣姫】様は相変わらずと言うか、能天気と言うか…」
「…全くです。ベル君が底抜けのお人好しだからとは言え、ベル君の言葉をあっさり信じたり、あの女が危険でないとあっさり捉えられるのは何と言うか…羨ましいです。」
「…何のこと?」
リリルカとエイナの呆れたような呟きにアイズは首を傾げる。
そうしていつの間にやら張りつめた空気はどこかに消え、和やかさを少しだけ醸し出す雰囲気が落ち着く中、リリルカは天井を見上げてポツリと呟いた。
「…結局あの女の思うがままにしかベル様は動かない…ということですか…全く忌々しいものです…それでもベル様がベル様自身もリリ達もあの女も笑顔でいることを望むなら…仕方ないです…でもやっぱり…悔しいですね…本当に…悔しいです…」
リリルカの呟きは誰の答えも得ずに虚空へと消えていく。
実際にリリルカの言葉は的を得ていた。
結局はリューの言葉がベルを動かし、ベルを一番に大切に思う彼女達がベルの言葉に動かされた。
全てはリューの思うがままに進まざるを得なかった。
ただそんな簡単に進んだのもリューが正義を優先してベルから身を引くことに決めたからに他ならない。もしリューがベルの隣と言う立場を譲らなければ、こうも簡単に話は進まなかっただろう。
リューが今を尊重し、過去を押し付けようとしなかったからこのように平穏に物事は進んだ。
要は三人のベルに対する立場はリューのお陰で守られたと言っても語弊はあまりない。だからそんな事実がリリルカ含めて彼女達には忌々しいことであった。
だがベルもそれを受け入れてリューの事を忘れ、停滞させてきた歩みを再び進めていくことに決めた。そして過去に囚われず未来をより良くするため、周囲に笑顔でいて欲しいと願った。
それはリュー言葉のお陰であるとしてもあくまでベル自身の決断である。
ならベルの事を想う彼女達がベルの思いを受け入れないわけにはいかない。
そのベルの決断と願いを受けて、リリルカもエイナもアイズも過去を振り払うことに決められた。
それと同時にこれまでのように、いや、これまで以上にベルに尽くすことを決心ができたかもしれない。
これは困窮している人々を思うリュー一人の決断のお陰ではない。
リューの言葉を受けて周囲の思いを考え未来を考えることを思い返したベルの決断のお陰でもある。
ベルの決断を受けて過去に囚われず自分達の思いの本当に為したいことを見つめなおした彼女達の決断のお陰でもある。
多くの人の誰かを思う気持ちがまた誰かの気持ちを変えることに繋がったのである。
この日一人の青年の言葉が三人の少女の凍りついた心を溶かした。
これにより幾人かには笑顔が戻り始めると同時に、さらに多くの人々が笑顔になるための糸口がこの時掴まれたのであった。
それと同時にリューの進む道もおのずと固定化されていくことになる。
リューがベルの事を忘れ、ベルがリューの事を忘れるということが関わる人々の中で共通認識となったのだから。
それはリューにとって決して不本意なことではないし、今のリューが望むことである。
だがリューは途方もなく大きな何かを失うことになる。
その覚悟ができているかは、いくらリューが繰り返し言葉にしようとも分かることはない。
それをこれからのリューは試されながら、自らの道を進んでいくことになる。
そんなことが決められた日であるとも言うことができた。