アリュード・マクシミリアン伯ー妖精麗人の愚直なる復讐ー 作:護人ベリアス
「…どうぞ。これがこちらの提示する条件です。」
「…読ませていただきましょう。」
そこはリュー達が拠点として滞在している屋敷の応接間。
そこで厳粛に書類の受け渡しが執り行われた。
その当事者であったのは、一方はリリルカ・アーデ。ギルド側の使者としてある取り決めを記した書類を渡しにここを訪れていた。
そしてもう一方は言うまでもなくこの屋敷の今の主でギルドに協力の提案を持ちかけていた張本人であるリュー・リオン改めアリュード・マクシミリアン。
ギルドはついにリューの提案を受け入れる方向に舵を切ったのである。
そして今まさにその協力の提案を受け入れる条件をリューに提示しに来たのであった。
「…なぜ今日はアーデさんがここにいらしたので?ギルドが提案を飲む気になったのなら、副ギルド長がここを訪れるかと思っていましたが…」
リリルカから書類を受け取ったリューは書類を開く傍ら、さり気なく気になったことを聞いてみる。
実際のところは、リューに書類を渡す間もリューが書類を読んでいる間もずっと不機嫌なままで向かい合っていそうな表情を崩さないリリルカとの会話の糸口を掴んでおきたいと思っただけではあったが。
「…それはあなたのせいで今ギルドの根回しで忙しすぎて、手が離せないからですよ。予算を引き出したり人員を確保したり色々大変なんですから。あなたみたいに一声かければ、善意で数えきれない人が集まってくる…なんてことはないですから。」
「…そうですか。」
「ええ。そうです。」
リリルカの憤然とした回答にリューは苦笑いで応じるしかない。
そうしてリューが掴みかけた糸口はあっさりと消えていった。
ただそれにはさすがにリューに思うところを隠す気もないリリルカも気に病んだようで、リューが書類に記された条項に黙々と目を通す間にポツリと呟いた。
「…こちら側から提示した条件に何か疑問点があれば、お答えはします。」
「…ならば確認を兼ねて条項を読み上げさせて頂きます。まずダイダロス通りの方々への支援の形は私とギルドとの今後の交渉を通して決める…つまりは支援自体はお聞き入れいただけたということですね?」
「そうです。資金援助や人員提供等、あなたに不穏な動きやギルドと冒険者に不利益がない範囲ならば、検討するとのことです。」
「その対価として私自身への支援は一切打ち切り、この屋敷からも退去せよ…と。」
「その通りです。何かご不満でもありましたか?」
リューの呟きにリリルカはわざとらしく嘲りつつ尋ねる。
対価として記されていたのは、リューの言葉通りこれまで生活費としてこの屋敷に送られていた資金を今後は打ち切り、さらに生活場所として提供していた迎賓館である今いる屋敷からも退去することを定めたもの。
リューにとって本来は不利な条件と言えたが、そんなことはリューにとってはどうでもいいことであった。
「まさか。困窮する方々のそばで生活し、その苦しみを分かち合う…それは私自身の望むところです。すぐにでも退去しましょう。私自身への生活費の援助などもきちんと困窮している方々の元に支援が行き届くならば何ら問題ありません。」
「…やはりあなたならそう言うと思いましたよ。こんなちっぽけな脅しじみた条項であなたの覚悟が揺らぐだなんてこちらも思ってませんから。」
「当然です。」
「ギルドが生活費や娯楽費として渡した資金をあんな風に勝手に使われては困りますから。これからはギルドが把握する予算内でギルドにきちんとどのような政策を行うのか報告したうえで実行してください。それがダイダロス通りに住む方々の意見を代表して交渉相手とあなたを認めたことと支援をすることに決定したことへの対価でもあります。」
「分かりました。その点は重々心得ておきます。…ただ彼らのためにならない判断をするならば、私にも考えがあるのでその点はお忘れなく。」
「そういうことをリリの前で普通言いますかね…そんな不穏な言葉を聞いたら支援する気も失せる気がしますが…まぁギルドもそこら辺は善処してくれると思いますよ。あなたと同じ憂いを持った方はギルドにもいたようですから。」
「…そうですか。それは何よりです。」
リューはギルドが良からぬことを考えぬよう釘を刺すのを忘れない。ただそれはリューらしい愚直さのある発言ではあったがある意味交渉相手の反応を考えていない無思慮とも言え、リリルカは率直に苦言を漏らす。
その苦言にリューは複雑な表情で返しつつその続きに触れた。
「…それで私を嵌めたことに関しては一切の責任追及は禁じる…これは致し方ないことです。これは私自身目をつぶるべき点だと思ったところです。」
「…そこにはそうは記しましたが、ギルド自体の綱紀粛正もあり
リリルカが述べたのはリューからすれば開き直りに等しい物言い。
だがリューや『豊穣の女主人』の面々の立場というものは、シャクティの話を聞いていることもあり、リューはすんなり受け入れることができるため書類から目を離すこともなく淡々と答えた。
「その点はシャクティからも聞いています。ギルドの不正が正され、私自身の過ちを償う機会が頂けるだけでも私は嬉しいです。それに過去は水に流す。そう決めてありますから。」
「…あなたは本気でそんなこと考えてるんですか?」
「…え?」
リリルカの不快感を含まない今日初めての静かな呟きにリューは思わず書類から目を離してリリルカの表情を見る。
リリルカは信じられないと言わんばかりの表情でリューを見つめつつ呟いた。
「…本当にリリ達を恨まず、リリ達やギルドと手を携えていこう…なんて考えているのですか?」
「当然です。それが困窮している方々のためになり、私の正義を貫くことに繋がるのならば、私は躊躇なくあなた方と手を携えます。そもそもあなた方の力を借りなければ、多くを成すことができないというのもありますが、正義を成すためにはできる限り多くの方々と協力すべきだと思いますので。」
「…あなたの正義のためならば、復讐さえも考えない、と?」
「往々にして復讐は正義にはなりえない。特に単なる私怨に基づいて動くのは決して正義ではない。復讐が正義になるとしてもその本質は私怨ではなく一つの信念に基づくべきだと今の私は思います。よって私はあなた方に私怨で復讐したりはしません。ただだからと言って今後困窮する方々への支援を怠るならあなた方を断罪することも辞さない…そういう立場であると考えてください。」
「…それ復讐って言わないと思いますよ?…裁かれないことがリリ達への復讐…そうとも言えますかね…まぁこの女には正義しか頭になくてそういう意識とかもないんでしょうけど…」
「…あの最後の方がよく聞こえなかったのですが、アーデさん。今何と仰いました?」
リューの復讐への見解に漏らしたリリルカの呟きは、リューの耳には届かずリューは首を傾げてリリルカに尋ねる。
その問いに答えるつもりもないリリルカは小さく咳ばらいをすると、リューの問いを無視して問いかけた。
「それで?あなたの正義のためならベル様との関係も断ち切る…そういうことですよね?まだお触れになってないですけど、そこには確かに書いておいたはずです。屋敷を退去後はダイダロス通りから一切出ないようにすること。ギルドとの交渉等もギルド側の者がダイダロス通りに交渉の場を設けるだけであなたは外部に出ることは一切禁止。そしてベル様との接触は特に禁止。…そうそこに記しておいたはずです。その点はどのようにお考えで?」
「…っ!」
この時リューはこれまでずっと即座に淡々と言葉にしていた答えを詰まらせた。
それはやはりベルの事を綺麗さっぱりリューの心から消し去ると言うのが厳しいことであったからに他ならない。
この条項を飲むということは、ベルと今後一切接触できない。もう二度と会うことができない。
そう宣告しているのだから。
リューはそう簡単には飲むということができない。
だがリューの正義と困窮する人々を思う心はそんな身近な快楽を求める心に屈するほど軟弱ではなかった。
何度も繰り返す通りリューはもうかつてのリューとは違うのだから。
「…当然受け入れます。前も言った通りベ…クラネルさんと私の正義には一切のかかわりはありません。故にその点を気にする理由は一切ありません。もう過去に喪った立場を取り戻そうとなど当然考えることもありません。だからあなた方はどうぞご心配なく。」
「…それはベル様があなたのことを今でも想っている…そう言ってもということですか?」
「…っっ!…ふぅ。…はい。そういうことです。困窮する方々を救うためならば、甘んじて受け入れましょう。一人の私情より…多数の方々の思いの方が優先されてしかるべきです。」
リューは僅かに表情を歪めつつ深呼吸を挟むことで何とか淡々とリリルカの問いに答える。
その答えにリリルカは大きくため息を吐くとリューから目を背けて、愚痴をこぼした。
「…そういう正義、正義と常に純白を標榜するよな姿勢をずっとリリは忌々しく思ってたんです。いつもいつも汚いリリよりも正しいように見えてしまうのがリリはすっごく嫌いでした。…あなたに許されようともリリはあなたのことがやっぱり嫌いです。」
「…そうですか。」
「それにそうやってベル様より正義を大切にするのはやはり許せません。もしかしたらそんな姿勢がベル様は好きでリリや他の方にないベル様の思う魅力だとしても…リリは絶対に真似しません。一番大事にすべきなのはベル様です。ベル様以上に気にすべき相手なんていません。ベル様を二の次にするなんて考えられません。だからっ…!あなたは…ベル様と結婚しなくて正解だったんです。リリ達はベル様のために間違ってなかった。そうに違いありません…!」
リリルカがリューへの文句を並べるうちに漏らしたのは、自己肯定的な言葉の数々。リューはベルにふさわしくなかったという、今更な文句。そしてベルが未だにリューの事を想っているのではという懸念からくる文句。
それにリューは本来、いやベルの隣と言う立場にこだわるなら反論すべきだった。
だがそんな立場を今のリューは求めていないし、第一にリリルカの言い分に認めるべきところがある。そう考えもしたリューは感情を昂らせることもなく言った。
「…確かにその通りです。クラネルさんより私自身の正義を優先する私は彼の隣にいるのにふさわしくありません。その資格は当然にない。あなたの言う通りです。」
「…は?」
「だから彼のことを第一に考えられるあなた方が彼のそばにいるのがふさわしい。私が彼から離れるのは当然のことと言えるかもしれません。」
「…何を言って!?」
「だから私が言う立場でないのは理解していますが、言わせていただきたい。どうかクラネルさんを…ベルの事をお願いします。彼は私などの存在にとらわれることなく輝くべきお方です。」
「…っっ!!そんなことあなたなんかに言われずとも!」
「ならいいのです。私はこれ以上に彼に関して言うことはありませんから。私は私の果たすべき責務と正義のために邁進するのみです。」
「ぐぅぅ…!あなたのそういうところ…本当に大っ嫌いです!」
「…今私が何か変なことを言いましたか?」
リリルカはリューの言葉に激昂する。
他でもないベルが今でも想っているかもしれないリューにベルの事を頼まれるなど恥でしかない
。ベルとリューを引き裂いたのが自分達であると改めてその事実を突きつけられたかのような心地を覚えたリリルカは開き直るような怒りをぶつけずにはいられなかった。
とは言ってもリューはそんな気もなくただ単にベルの事を一番に想うリリルカ達にベルの事を頼んだぐらいのつもりしかない。
ということでリリルカの激高も馬耳東風のようでリューは首を傾げてリリルカの反応を不思議がるばかり。
リューが自身の思って以上に間抜けでポンコツだったことを改めて思い出したリリルカは激昂も収まらぬままため息混じりに吐き捨てる。
「もういいです!ベル様の事はリリ達が責任を持って支えていきますから、あなたは大人しくダイダロス通りの困ってる方々でも助けて、あなたの大事な正義でも貫いていてください!」
「その言葉を聞けて嬉しいです。あとアーデさん…気になる条項もこれ以上はなさそうですから、この会談はこれぐらいにして私達がこの屋敷を退去した後に追って話を詰めるという形で如何ですか?」
「もう!それでいいです!リリからもお話しすることはありませんから、とっととダイダロス通りにでも引きこもっててください!」
リリルカはそう吐き捨てるだけ吐き捨てると、リューに一礼だけして乱暴に席を立つと応接間から立ち去っていく。
…かとリューには見えたが、リリルカは唐突に立ち止まるとリューを振り返ることもなくポツリと呟いた。
「…あなたのことは大っ嫌いで正直二度と会いたくないくらいですが…ベル様が立ち直るきっかけをくださったのは感謝しています。…リリ達の身勝手でベル様を傷つけてしまい、その身勝手はあなたのせいだという考えは変わりませんが…あなたのお陰でベル様が立ち直れたのは感謝するしかありません。だから…ありがとうございます。」
「…リリルカさん…」
「なので…最後に一度だけベル様とお話する機会を差し上げます。もし何か思うところが本当はあるのなら…きっちりそこで吐き出してください。でないとあなたのことをリリ達はいつまでも完全に信じることができません。…これはベル様を立ち直らせて頂いたお礼です。そしていつまでもあなたの事を引きずらずにはいられないベル様にその未練を完全に断ち切って頂くための機会でもあります。だからあなただけのためではないことを忘れないでください。」
「…はい?アーデさん?一体何を話しているのです?」
「…リリが帰ってからしばらくしたらベル様がここに来ることになっています。これをベル様とお話しする最後の機会と思ってください。」
「ちょ…アーデさん!?」
リューがリリルカの言葉を十分に理解できず、と問い返すがリリルカはそそくさとそれだけ言い残すと立ち去ってしまう。
取り残されたリューは十分な理解のための情報を加えてもらえなかったため仕方なくリリルカの言い残したことを頭の中で整理を試みる羽目になる。
整理してみると簡単な話であった。
もうすぐリューの元を訪れるベルとの対面が一生で最後のベルとの対面になる。
そういうことだった。
確かにそうなることをリューはぼんやりと覚悟はしていた。
だがはっきりとその機会が目の前に迫っているとなると流石のリューも冷静なままとはいかない。
何をどう言い訳を重ねようと、リューの心のどこかはベルに縛られたままなのだから。
こうしてリューはベルが訪れるまでの間心をかき乱されることになる。
だがどれだけリューの心がかき乱されようとリューの正義と責任感が導き出す答えは一つしかない。
ベルのことはもう忘れるというのは規定事項なのだから。
だからリューに必要なのは、ベルにいかに自身の思いを伝えること。
そして真にその覚悟を決められるか。
それが問われているに過ぎないのであった。