アリュード・マクシミリアン伯ー妖精麗人の愚直なる復讐ー 作:護人ベリアス
麗人の行きつくは正義
「どうしたの?あなた?何か考え事?」
リューの耳元に届く親友の問い。
それによって何気なく過去の記憶に心を浸して自分の世界にすっかり入り込んでいたリューは、ハッと意識を現実に引き戻す。
そして親友で今では妻という呼称に慣れ親しむようになっているシルの問いに答えた。
「あぁ…すみません。シレーネ。少し考え事を…」
「別にいいよ。今日はあなたの珍しい珍しい休日なんだから。それくらい気を抜いておいてもらわないと困るからねー」
「…」
リューの謝罪にシルが嫌味を思いっきり込めた言い方で返してきたため、リューは苦笑いを浮かべるしかない。
「それで?何を考えていたの?まるで昔を懐かしんでましたーっていう感じの表情をしてたけど。」
「…シレーネ。それはもう私が何を考えていたのか、大方予想ができている、ということではないですか?」
「じゃあ図星なんだね?」
「…ええ。」
苦笑いを浮かべるリューにいたずらっ子のような笑みで繰り返し尋ねたシルにリューは溜息混じりに返すが、それはシルの思うつぼ。
相変わらずシル相手には誘導されてばかりのリューは大人しく何を考えていたのか白状することにした。
「…この街に…ダイダロス通りに拠点を移す前の事を思い出していました。」
「あーもう15年…か。」
シルはそう呟きつつリューと同じように一瞬過去を思い返した。
シルの言うようにリューとシルがオラリオに帰還してから、そしてダイダロス通りに拠点を完全に映してから早15年。
リューとシルの身辺も多くが変わっていくと同時にリューの疲労や心労を顧みない姿勢のように変わらないものもある。
そんなことをリューもシルも思い返してしまう程度には長いようで短い月日は過ぎ去っていた。
「それだけ経ったからかもう私とリューが夫婦って言われるのも慣れちゃったもんねー」
「…確かにシレーネの言う通りです。もうあなたのことをシルと呼ぶよりもシレーネと呼ぶ方が慣れてきた気がするくらいです。」
そうニヤニヤとシルが告げ、リューがもう何の照れも示さずに受け流すくらいには月日が重ねられていた。
二人が『アリュード・マクシミリアン』と『シレーネ・マクシミリアン』という偽名を使ったのは、もう15年も前のことになる。
リューもシルもかつての名を誤って漏らすなどという失態を犯さないようにと意識を続けてその名を表向きだけでなく普段から使い続けるうちに、リューはシレーネというシルの呼び方に、シルはあなたというリューの呼び方に定着してしまっていたのだ。
ただリューはシレーネというシルの偽名に慣れる一方でシルは一向にリューの事をアリュードという偽名を呼ばないのには、シルなりに思う所がある。だがそれにリューは生憎気付いていないようであった。
「それはともかく、あれから15年も過ぎましたが、まだまだ私の理想には遠い…私の力が及んでいなさすぎる…それが悔しいと思ってしまいました。まだまだ私の精進が足りません。もっと素早く多くの方々の生活を豊かにしていければいいのですが…」
「…あなたがそう言うのは分かるんだけど…リューのお陰でこの15年でできたこととしては凄いことだと思うけどなー」
リューの悔し気な呟きにシルは呆れ半分に答える。
この15年間はリューにとって自らの正義、困窮している人々のために一生を捧げるという覚悟そのままに費やされた15年であった。
ダイダロス通り中を飛び回って、状況を住民一人一人に聞いて回り、自らの為すべきことに反映してきたリューの努力は尋常なものではなかった。それこそシルが今のように拠点でリューを半ば無理矢理に休ませなければならないと考えた程度には。
「私のお陰ではありません。多くの方々の協力があってのことです。私一人では何もできませんから。」
「…確か迷路のように入り組んでたダイダロス通りの区画整理を提唱したのはリューだったよね?」
「いえ。それは住民の方々のお話があったからこそです。それに資金提供をしてくださったのはギルドですし、こうして今まさに働いてくださっているのも住民の方々や【ゴブニュ・ファミリア】の方々です。私は何もできていません。」
「…うん。まぁ…そう…かな?」
神妙な表情でシルの問いに答えるリュー。
リューの言い分は分からないでもないが、複雑な表情で受け止めるしかないシルは適当に返事だけして次の話題に展開した。
「それにしてもよくギルドも協力して資金提供したりファミリアを貸してくれるよね。…正直私はそこまで協力してくれると思ってなかったなー」
「それもこれもエイナギルド長のご尽力のお陰です。彼女のお陰でどれだけ支援を得られたことか。」
「支援を引き出してくれてるのは交渉役としてあなたに無理難題を定期的に押し付けられてるアンナさんでもあるんだけどねー」
「…当然アンナさんにも感謝しています。…日ごろから感謝はお伝えしていますが、今度またお礼を伝えておきます。」
シルの指摘にリューは気まずそうにアンナへの感謝を口にする。
今元々ギルドとの繋がりでリューとシルと再会したアンナはダイダロス通りから出ることを禁じられている二人に代わってギルドとの交渉を一手に引き受けていたのである。
…それでシルの言うようにリューのお陰で無理難題を押し付けられて苦慮しているわけだが、元々リューへの心酔度が高い上にこの15年で前以上にリューの理想に染め上げられている。
そのためアンナはリューの無理難題を嬉々としてギルドに持ち込んで、良い条件を引き出そうとし、実際に困っているのはアンナより調整する羽目になるギルド側の代表を続け、ギルド長になっていたエイナの方だったりする。
エイナはリューに送った条項通り不正を働いた元ギルド長ロイマンを罷免した。ただその代わりを務める力を持つ者もおらずエイナがその座を継ぎ、自らの手で贖罪としてギルド内の綱紀粛正を敢行した。
それだけでなくリューとの協力もギルド側に悪影響がない限り手を回すようにしてくれている。ただ利害関係上どうしても対立に至りやすいため、リューにとってのエイナは協力相手と見なしつつもそれなりの警戒を解けないという関係性が続いていた。
お陰でエイナよりもアンナに信頼が向きやすく、まさかリューの要望をアンナが直球どころか盛ってエイナとの交渉に臨んでいるために対立が頻発しているとは思ってもいない。
相変わらず視野の狭さが見え隠れするリュー。
アンナに申し訳ないことをしていると礼を告げなければと心に決めるリューにシルはアンナに礼でも伝えたらさらに奮起して暴走し始めそうだ…と思ったが、エイナには特に義理もないとリューには何も言わない。
そのおかげでエイナがこの後リューの無理難題にさらに四苦八苦するのだがそれはシルの与り知らぬこと。
そんなこんなでリューとギルドはこの15年間円満な協力関係を保ち続けていた。
「…ただこの区画整理のお陰で悪党の拠点になることも減り、治安も改善されたと思います。それこそ20年前以上に。その点はシャクティも言っていました。」
「シャクティさんにはたくさん協力してもらってるよね。工事現場の警備に治安維持にリューの護衛に…シャクティさんには感謝してもしきれないよね。」
「…私の護衛などいらないと言っているのですが…まぁシャクティの善意です。受け取らぬわけにはいかないので…」
そして次に話題に上ったのは、ダイダロス通りに入る前にリューとの協力関係の再構築を取り交わしてくれた【ガネーシャ・ファミリア】団長シャクティ・ヴァルマ。
事前の約束通りシャクティはリューとの提携の元ダイダロス通りの治安回復に乗り出した。そしてダイダロス通りの区画整理のお陰で巡回の効率化が進んだことによって悪党の拠点にしにくくなったことと【ガネーシャ・ファミリア】の監視強化が相乗効果を生み、治安は劇的な勢いで回復が進んだ。
治安回復は人々の出入りの活発化にも繋がり、段々と取引も活発化し始め、ダイダロス通りは繁栄への道を歩み始めている。
これがリューとシャクティの長年続き、より強化された信頼関係が生んだ成果と言える。
そしてその信頼関係の強化にはリューが責任ある立場に立ったことで以前よりシャクティの立場を慮るようになって話がスムーズに進むようになったのも関わっていた。
…もちろん困窮する人々のことになるとリューが遠慮もなく意見を押し通そうとするのは相変わらずだが。ただ以前ほどの暴走は減ったと言っても差し支えはない。
とは言え、この状況で一つ大きな問題になっていたのは、リューが責任ある立場なのにどうにもそのことを理解していないかのような自らの身や健康を顧みない言動の数々であった。
シャクティがリューの安全を考慮して護衛を付けようとしても断る事に然り。
周囲の説得によって今は【ガネーシャ・ファミリア】の護衛が二人付いているが、リューは護衛付きで街を歩くのを好まず定期的にお忍びで一人で街を歩き回るため周囲の悩みの種になっているが、残念なことにリューはまず自分がお忍びで外出していることを知られていることに気付いていなかったりする。
これもまた住民の注目を常に集めてしまうリュー自身の立場をリューがイマイチ理解していない証拠とも言えた。
そして今二人がいる場所も新築とは言えダイダロス通りに住む住民の平均少し下程度の水準の住居。
シルから見ればあまりに貧相でベッドも小さく固すぎたり部屋自体狭すぎたりと、とてもきちんと休養ができるような環境が整ってるとは考えられない。そのため何かとシルはリューの健康を気にする羽目になる。…もちろん食事等の管理はシルではなくアンナの管轄だが。
ただリューからすると、元々街中を飛び回り工事現場で寝泊まりしたりと結局この住居を休息の場どころか拠点としても活用していないのでほとんど気にもなっていない様子。今いるのもシルにここで休息を取るように言われたから今にも何かしたいのも山々に休息を取っているだけであった。
そんなこんなで色々と責任ある立場としてあるまじき言動を繰り返すリューであったが、この言動のお陰で実は住民の支持を集めていた。
護衛もつけず、住民と同じ水準の住居に住み、汗水たらして働く現場に毎日赴くリュー。
そんな責任ある立場らしくないリューは住民に親近感を抱かせた。
それが本来余所者のはずのリューが当初から円滑に受け入れられ、住民の協力を一手に集められた要因。
リューは知らないが、巷ではこんな噂も流れているくらいなのだ。
『困窮する人々を救う英雄が、悪を滅ぼし弱者を守る正義の使徒がダイダロス通りに現れた。その者こそがアリュード・マクシミリアンである。』、と。、
困窮する人々の生活を救い、悪党をダイダロス通りから駆逐したリューはかつての『【疾風】のリオン』のように、いや、その時以上に正義を尊ぶ者としての名をオラリオに轟かせるようになっていたのである。
そんな噂も知らないリューは引き続き謙遜して言う。
「…それに始まりとも言える炊き出しの成功に尽力し、今もダンジョンの収益などを寄付して下さる神ヘスティアや神タケミカヅチ、神ミアハ…かの神々だけでなく多くのファミリアが協力の手を差し伸べてくださっています。それが何と尊いことか。私は全ての人に感謝してもしきれません。ダイダロス通りがよりよい街になったのは、やはり私一人のお陰ではありません。」
「それもそうだね。あなたが思うようにみんなが善意で動いてくれてるとはさすがに思わないけど…神格者として名高いタケミカヅチ様やミアハ様は、すっごく協力してくれるし、何よりヘスティア様は色々情報もくれるしね。」
「…ええ。神ヘスティアにはいろいろとお世話になっていますから。」
二人の会話が今度行きついたのは、リュー達に協力する神々やファミリア。それらのファミリアの協力と駆け引きの苦労がリューとシルの頭に浮かんだのは言うまでもない。
ただ流れで名前が出たヘスティアの名がリューとシルの脳裏から離れず、触れないわけにはいかない雰囲気になっていた。
それはただただリュー達に特別に協力してくれていたり、色々と相談に乗ってくれているから、と言うだけではない。
ヘスティアはある人物との深い関係を持ち、その人物の近況を度々伝えてくれていたから。
そしてリューはシルがあえてヘスティアの名を強調するかのように最後に言ったのがなぜか分かりきっていたため、小さくため息を吐くと静かに尋ねた。
「…私に今ベルの事をどう思っているのか…尋ねたいのですか?シレーネ?」
「…いいの?」
シルは自分から誘導したはいいものの少しだけ今更のようにリューを慮って心配げに尋ねるが、リューは表情を変えずに答える。
「ええ。あなたが望むならば、せっかく過去に思いを馳せていたところです。シレーネの質問にも答えしましょう。ベルの事であろうと…何であろうと。」
こうして話題はリューの元婚約者、ベル・クラネルの元へと移っていった。
このリューの15年を規定したリューの正義に並ぶ重大な要素であるベル・クラネルに。