アリュード・マクシミリアン伯ー妖精麗人の愚直なる復讐ー   作:護人ベリアス

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垣間見える事実と逃れ得ぬ絶望

オラリオから逃れ出て一刻も経たぬ時。

 

リューは未だシルの操る馬の背にただ揺られていた。

 

もうリューは振り返ることはなかった。

 

なぜならリューがミア達『豊穣の女主人』の親しき者達を死なせる原因になったのだという厳然たる事実から目を背けたかったから。

 

そしてリューがその事実を認識するのにはオラリオの方角から漂ってくる焼け焦げた悪臭だけで十分だったから。

 

リューは絶望から逃れることはできなかった。

 

だからリューは絶望に身を委ね、呆然と自分達が進んでいく鬱蒼とした森林に挟まれた道の暗闇の先を眺めていたのである。

 

そんなリューの心情を慮ってかシルはリューに話しかけることはせず、ただ馬を操ることに専念していた。

 

そうして幾ばくか経た時何を思ったのかリューはシルに呟いた。

 

それはリューにとって唯一無二の希望のことであり、ミアに聞き流されて答えを得ることのできなかったことについてだった。

 

「シル…ベルは…今どうして…いるのですか…?」

 

「…」

 

リューの問いにシルは聞こえなかったフリをする。だが絶望に呑まれたリューはもう希望なしに生きながらえることができる余裕を失っていたので、躊躇わず尋ね続ける。

 

「ベルは…私の無実を…証明してくれると…約束してくれました…今の状況は…それが不可能と…分かり…致し方なく…ということですよね?」

 

「…」

 

リューの続けられた問いにシルは尚答えない。

 

そんなシルに痺れを切らしたリューはそれでも尋ねる。

 

「シル…教えてください…ベルは…ベルは…」

 

「リュー。ベルさんのことを本当に聞く覚悟はあるの?聞いて後悔しない?」

 

リューの切実さの混じり出した問いに唐突にシルは問い返した。

 

その問いを発したシルの声色はとても冷たく、まるでこれから話すのが残酷な事実だと言わんばかりであった。

 

リューはそんな問いを発したシルの方を振り返らなかった。

 

リューはまだ希望が残っていると信じたかった。

 

だからリューは一瞬の躊躇いののち覚悟を伝えた。

 

「はい…覚悟はできています。」

 

ただベルが希望のままであると信じて。

 

「そっか…分かったよ。リュー。話すね。」

 

シルは大きく息を吐くとシルもまた覚悟を決めたかのように言葉を紡ぐ。

 

リューはそのシルの話す内容に恐怖と期待が入り混じった心境で聞いた。

 

「正直言うと私達はリューが連行されてからお尋ね者になってしまって、ダンジョンにみんなで潜伏してたからオラリオの事情にあまり詳しくないんだ。でも私達は出来る限りリューに関する情報を集めてたから少しは分かることがある。」

 

「それでベルは…!」

 

いつまでもベルのことを述べないシルに回りくどさを感じたリューは催促するようにベルの名前を呼ぶ。

 

だが次にようやく待ち望んだベルの名前が出た時リューは言葉を失ってしまった。

 

 

「ベルさんは今回の救出作戦には一切関わってないよ。」

 

 

シルの告げた事実はリューに信じ続けた希望は存在しないと宣告したも同然だった。

 

リューは本当に暗黒の世界に突き落とされたかのような思いを味わうことになった。

 

だがそれでもリューは消えかけた希望に縋ろうとする。

 

「…でっ…でも…仮に今回の一件に関わってないとしても…あの優しいベルなら…苦境に陥ったシル達を助けないはずが…」

 

「あの優しいベルさんなら、ね。でも仮にベルさんのそばによからぬことを吹き込む人がいたら?」

 

「…まさか私を嵌めたのはベルに近しい方だったとでも言うのですか!?」

 

リューはシルの呟きに反論しないわけにはいかなかった。なぜならそうであれば自分の不注意がこの事態を招いたと言うことに他ならず、そしてベルが信じた人物がそのようなことを為すなど思いたくもなかったからだった。

 

だが心の中の冷静なリューは告げる。

 

それ以外にギルドに自分の生存を伝えられる者はいない。何せボールスでさえも【深層】での決死行を知らず、自分が生き延びたと言う確証がないはずだったからだ。

 

そしてギルド長ロイマンも自分の苦境を望む者は多くいると言った。

 

その人物がどうしてベルの近しい人でないと言えるのだろうか?

 

むしろ自分に現状で新たに恨みを抱くとしたらベルの近しい人しかいないのではないか?

 

そう心の中の冷静なリューの言葉を信じざるを得ないと思いかけたところ、シルはさらに思いもよらぬことを宣告する。

 

 

「それに私達はこのリューが苦しんでた5年間ベルさんが何をしていたか何一つ知らない。」

 

 

「…どういうことです?それは…ベルが私のために何一つ努力しなかったとでも言うのですか!?それはいくらシルでもベルへの侮辱と…」

 

シルの曖昧な言葉をベルが何もしなかったという意味と解釈したリューは激しい怒りを見せる。ベルを盲信し愛し続けるリューにとってベルへの侮辱は親友相手であろうと怒りを覚えずにはいられなかったのである。

 

ただいつにないリューの怒りの沸点の低さはリューの精神的余裕のなさを示していた。そして同時にシルの言葉で初めて認識した5年と言う短くない期間の間ベルが結局助けにこなかったという隠しようもない事実がリューに不安を掻き立て、その不安に負けかけていることを押し隠すための強がりでもあった。

 

「とにかく私達はこの5年間ベルさんと会っていないからベルさんが何をしていたか細かくは何一つ知らない。けれど私達には結局リューがベルさんに助けられなかったと言うことだけは分かる。」

 

「…っ…!しかしベルは…!」

 

シルの冷静な物言いにリューはうまく言い返すことができなかった。

 

なぜならシルの告げた事実はリューが認識していたことでもあったのだから。

 

「とにかく私はリューに真実を伝えられない。だからリューは真実を知る必要があると思う。なぜリューがこんな目に遭わないといけなかったのか。誰がリューや私達を嵌めたのか。…ベルさんがこの5年間何をしていたか。それら全てをリューは知るべきだと思う。」

 

「…シル。」

 

最終的にシルはベルの言動の詳細の答えをリューに伝えることはなかった。

 

結局リューにはベルのことが謎として残ったまま。

 

ただリューのベルへの思いには確かな変化があった。

 

未だあの時リューに石を投じた白髪の少年がベルだったのかは分からない。だが…

 

自分がこの5年間救ってもらえなかったと言う事実。

 

シル達に手を差し伸べなかった事実。

 

それら事実がベルへの疑念を強めるのに役立っていた。ベルへの盲信的な信頼ももはや盲信的とは言い難いものになりつつあった。

 

精神的支柱が崩れかける中リューはただシルの言葉に耳を傾けた。

 

「だからね?リュー?私の言葉を絶対忘れないで。リューは真実を知る権利と必要がある。だから今は絶対に生き残らないといけない。何があろうと、ね。真実を知ったその時リューはどうしたいかを考えて。できればその時私達のことも慮ってくれると嬉しいな。」

 

「…シル?それは一体…」

 

リューは何事かを尋ねようとする。

 

だがその応答をもはや続ける刻は残されていなかった。

 

リューが質問を発している真っ只中にリューの視界を一本の線が横切る。

 

リューは一瞬は気のせいかとも思ったが、その直後に小さな音が立ったのを聞いて気のせいではないと悟った。

 

「…もう追いついてきたかぁ…予想より早いなぁ…」

 

シルが悔しそうにそう呟く。

 

リューの視界を横切った一本の線とは矢であった。オラリオからの追手が放った物だとリューもすぐに思い至る。

 

シルが漏らした通り一刻も経っていない以上早すぎると言う他なくミア達がオラリオの城門にて時間稼ぎを成功させられなかったということを暗示していた。

 

「ごめん。リュー。話は終わってから。今は逃げるのに集中しないと。」

 

「…ええ。」

 

リューは緊迫した状況のせいで発しかけた質問を胸の内にしまう他なかった。

 

「いたぞ!!応援を呼べ!!包囲して捕らえるのだ!!」

 

リュー達を発見した追撃者の一人がそう声を張り上げる。リュー達を追撃しに来ているのはどうやら後方にいる者達だけではないらしい。

 

時折矢が飛来する中振り返ることもできない二人は状況を完全には把握できないまま馬に先を急がせる。

 

だが飛来する矢がだんだんと増えていくのを見て取ったシルは一瞬の思考の後にリューに伝えた。

 

「ちょっと荒っぽいけど我慢してね?リュー?」

 

シルはそう言うとリューの返事を待つことなく手綱を右へと引き、馬に方向転換させるとそのまま脇の森林に飛び込ませる。

 

シルにとっては豪快な手段で追撃の手を緩めようとの判断であったが、これは戦闘経験も乗馬経験が乏しいシルだからこそ犯してしまったミスであった。追ってくる冒険者達は徒歩であり、馬に跨るリュー達よりも森林内の移動では有利だったのだから。

 

そんなシルの判断が追撃者達に包囲を容易にしたことに気付かないシルは祈るように手綱を固く握り締めた。

 

そんな時リューはこんな緊迫した状況にも関わらず対処をシルに任せたまま思考の海に溺れていた。

 

それは先程発しそびれた質問のことを考えずにはいられなかったからだった。

 

シルの述べたこと。

 

それはリューに今生き残ることに理由を与え、その理由で絶望で死に急ぎかねないリューを押し留めるためのものではあった。

 

だが今生き残った後のことはリューの思うようにするように、と言った。

 

正直生き残った後のことなど考えてもいなかったリューは聞き返すしかなかったのである。

 

シル達を慮ってリューはどのようなことをすればいいか分からなかったから。

 

ミア達が命懸けで救ってくれた恩にどう報いればいいのだろうか?

 

未練を残したまま散っていった同僚達の分まで幸せに生きればいいのか?

 

ベルがいないのに、ベルが場合によってはリューを見捨てたかもしれないのにどうやって幸せになれというのだろうか?

 

リューにはその方向性に進むことはあまりにあり得ない未来のような気がした。

 

代わってリューの心にぼんやりと生まれる未来の展望がリューに黒い感情を巻き起こす。

 

 

その未来とは復讐に生きる未来。

 

 

未練を残したまま散っていった同僚達の無念を晴らすためにリューを嵌めた者達を全て罰し、復讐を完遂すること。

 

全ての真実を知った先にある未来としてはまさに相応しいものだった。

 

そんな風にリューの心を巣食う黒い感情が着々と大きくなるが、過去に復讐に身を堕としたことのあるリューだからこそ押し留める思いも強い。

 

その過去の復讐が今の状況を招く遠因になったのは明らかだったため、今回のリューは易々と復讐を志す黒い感情に身を委ねることはなかった。

 

だがこれでは結局自分では答えが出せない。

 

だから生き延びた後伝え損なった先程の質問をシルに再び問い、その上で自らの答えを導き出そうとリューはひとまず納得する。

 

だがリューにその伝える時が来るかはもはや分かったものではない状況に陥ってしまった。

 

「あっ…森を抜けそう…」

 

シルの小さな呟きで意識を現実に引き戻されたリューは正面に目を凝らすと遠くに見えてきたのは月明かりに照らされた地面。鬱蒼として月明かりを遮ってきた木々からようやく抜け出せることが分かったのである。

 

もう木々の枝や後方から撃ち込まれる矢でかすり傷だらけになり、周囲で飛び交う連携を呼びかける追撃者の何事かを伝え合う掛け声に神経を擦り減らしていたリューとシルはようやく見えた光明にほんの少しだけ安堵する。

 

だがその安堵も抜け出した瞬間には消えてしまっていた。

 

「そんな…嘘…」

 

シルの悲痛な声が漏れる。

 

リューもまた声にはしなかったが、とうとう諦めを覚えてしまった。

 

 

森から抜け出した先にあったのは断崖絶壁、その下に待ち受けるのは激しく音を立てる川の流れだったのである。

 

 

「そろそろ追い込めるぞー!ネズミ一匹通すな!」

 

「奴らは馬に乗っている!油断していると突破されるぞ!気を引き締めろ!」

 

拓けた場所に出たからかようやく鮮明に聞こえるようになった掛け声が伝え合っていたのはリュー達を追い込むための罠。

 

リュー達は闇雲に逃げ回る余り見事に冒険者達の思い通りの場所に追い込まれていたのである。

 

「リュー…」

 

「…シル。」

 

互いの名前を呼び合おうとも解決策は見つかるはずもない。

 

もう二人の中の選択肢は絞られていた。

 

一つはここで諦めて、次の機会まで耐え忍び冒険者達に投降すること。

 

一つは最後まで抵抗しこの場で果てること。

 

シルはリューがこの場で果てることを望みかねないと即座に予測を立てた。

 

だからシルはリューに考える時間を与えないよう即座に提案した。

 

「…このまま川に飛び込もう。リュー。」

 

シルの提案にリューは振り返る。

 

この時ばかりはリューも振り返った。

 

そしてリューが見たシルの表情には何故か自信らしきものが浮かんでいた。リューには何がシルに自信を与えているのか分かりようがなかった。

 

逆にシルが目にしたリューの表情には安堵が浮かんでいた。シルにはリューはようやく死に辿り着けると思い込み、安堵しているのだろうと推察した。だがシルがリューを死なせるつもりなど毛頭ないことは言うまでもないことだった。

 

「…そうですか。ここまでですね。ここはせめてシルに辱めを与えないよう川の流れに身を任せるのは良い手です。」

 

「…そう。私もリューにこれ以上傷ついて欲しくない…から。」

 

シルはここであえてリューに生き延びて欲しいという本意を伝えなかった。

 

なぜなら伝えればリューの抵抗を受けてしまいタイミングを失ってしまう可能性があったから。

 

シルは心を痛めながらもリューを騙し、運命にリューと自身の身を任せることにした。

 

この高さの断崖から身を投げても必ず死ぬとは限らない。いや、リューを死なせるような判断をできるわけがない。

 

そう心に言い聞かせるシルを見たリューは儚げにシルに言った。

 

「すみません…シル…あなたに最期まで恩をお返しすることができず…それどころか仇で返すことになってしまい…」

 

「そんなの…気にしないよ。私はリューの親友だよ?リューのために命を賭けられるなら本望だよ。」

 

「ふふ…私はこんな素晴らしい親友と最後を共にできるなんて身に過ぎた光栄ですね…」

 

リューは弱々しく笑うとシルから視線を外し空を見上げた。

 

シルにはリューが何を思い、空を見上げたのかまでは分からない。

 

だがリューが死を覚悟したのだろうということは容易に察せた。

 

それでもシルは命に換えてでもリューを死なせるつもりだけはなかったのである。

 

「さぁ…あまり時はありません…お願いします…」

 

リューはシルがリューの思いに反する決意を固めているとは露とも思わずシルに死への導きを求める。

 

「うん…分かった。」

 

そんなリューに決意を悟られまいとしながらシルは手綱を握り、リューを絶対に死なせまいと決意をさらに固くする。

 

 

「…行くよ。」

 

 

シルは馬の腹を強く蹴ると無理矢理前へと駆けさせる。

 

次の瞬間馬もろともリューとシルは空中にその身を躍らせる。

 

そして重力に従ったリューとシルの身体は勢い良く落下し、水中へと姿を消したのである。




お決まり崖からの飛び降りシーンです。ドラマであろうとアニメであろうと陳腐化されるレベルで使い古された展開。
されどこのシーンの面白い点は飛び降りた後の生死が本当に運次第であること。
現実でも生き延びたり亡くなったりと結果は規定とは言えない。これが陳腐化されるほど使われる理由なのかもですね。

果たしてリューさんの…と言いたいところですがリューさんは主役なので生き延びるのは言うまでもないので…
果たしてシルさんの運命は…

と言いたいところですが、ここでリューさん達を追うのを切れ目なので一度中断します。
次回はリューさんが囚われの間の裏側、謀略を仕組んだ方々にスポットを当てます。果たして黒幕とは…

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