話す言葉が
見つからない
講義の終了を知らせる電子音が鳴り響く。手早く机の上の物を片付ける者、めいめい知り合いと話す者。その中の1人である私も、読みかけだった小説に栞を挟んで立ち上がる。
今日は午後は休講の為このまま帰ってもいいのだが、蓮子は午後も講義があると言っていたし、折角なら昼を食べてから帰ることにでもしよう。
午前ですっかり固くなってしまった背筋を伸ばしながら食堂へと向かう。
中にはすでに多くの学生がいて、けれどその中にあっても少しばかり目立つ帽子を見つけて、駆け寄る。
「ん、メリー?この後講義ないでしょ?それとも1人寂しく講義を受ける私にお供でも?」
「そんなわけないでしょ。1人寂しく講義を受ける蓮子の前でお昼でも食べて帰ろうってだけよ」
私の言葉に蓮子は少しばかり恨めしそうな顔を向ける。私にとっては慣れたものなので、さして気にせず昼食を選ぶことにする。今日の日替わりメニューは天ぷらうどんのようだ。特に食べたいものがあるわけでもなかったから、早めに注文を済ませる。
うどんを食べる機会というのが意外と無かったから、今日食べるのが久しぶりのうどんだ。確か以前蓮子に天たまうどんだったか何かを作ってもらった事があっただろうか。
そんな事を考えながら料理を受け取り、手近な席を探す。と、こちらに手を振る蓮子の姿があった。空きテーブルを確保しているその手には私と同じくうどんがある。私より後に注文した筈じゃないのか。
「私は出来るのを待ってただけよ。あんまりゆっくりしてると講義始まっちゃうから、さっと食べちゃいましょ」
講義があるのは蓮子だけなので、別に私がいくらのんびり食べようと問題はないのだが。それはそれでうどんが冷めるから問題かと、私は温かいうどんをすする。
「そういえば、メリーにうどんを作ってあげた事とかあったわね」
「あら、覚えてたのね」
「メリーが風邪引いて、私が看病に行ったんだっけ?そんな事あれ以来無かったからね」
私は蓮子と違って身体が丈夫なわけではない、むしろ弱い方だろう。大学では随分とマシになったものだが、蓮子に看病されるというのはなんだかんだで貴重な体験ではあった。今の時代、大抵のことは病院にかかればすぐに治ってしまうようになった。看護師だったりは機械に取って代わられているところも多いが、私はそれが少し抵抗がある。故に風邪程度で病院には行ってはいない、という訳だ。
目の前の蓮子はカマボコをつまみながら私の話を聞いていた。表情から察するに、私のことを時代に馴染まない人みたいな事を思っているに違いあるまい。
「まぁ、時代が進みすぎるのもアレだけど。昔と違ってAIも進歩した今なら、この暮らしだって悪くはないと私は思うけど」
「別に全部を否定してるわけじゃないわよ」
「分かってるわよ。けど、技術は進化をしても退化はしない。だからこそ、私達だって今のうちに沢山活動をしておきたい訳よ。メリーのその古き良き〜な考えもまぁ、結構な人が持ってるとは思うしね」
丼に浮かぶカマボコをひょいとつまんで口に運ぶ。その形は外に見える紅葉と同じで、けれど外の紅葉もこの食べられる紅葉も、やはり本物とはほど遠くて。今を生きる人間としては、それを少しだけ悲しく思うのだ。私が秘封倶楽部に居る理由も、こんな中で取り残されてしまった物を探したいからなのだろうか?
「そうだ、メリー!」
顔を上げると、そこにはすっかり丼を空にして目を輝かせる蓮子の姿があった。その圧から逃れるように、私は少し身体を引く。この手の顔をした時、相棒はロクなことを言わない可能性が高い。
「…何?」
「年が明けたら、一緒に初詣に行きましょう!」
「……は?」
また急な。まだ年を越すまで1月以上ある。蓮子のことだから、年を越したらその足で初詣にさえ行ってしまいそうで、そうなるよりはマシなのだけど。
「…蓮子って、神頼みとかするの?」
「いいえ、あんまり。けど秘封倶楽部としては興味あるわね、時代に取り残された神様っていうのに」
「取り残された、ね…」
確かに、今の時代神社仏閣は減少していき、中でも多く残っている方の京都でも年明けにお参りをしようという人はあまりいない。科学が発達して不確定なものを排除されゆく今、最たるものの神社はもう形骸化していると言っても過言ではあるまい。
去年は大学でばたばたしてしまって行く暇が無かったが、以前は時たま行っていたものだ。別に信仰しているわけでもないけれど、あったら行く、程度で。
「それに、今どき神社でお参りする人なんてそういないから昔みたいに人混みに流されたりもしないでしょ」
「なるほどね…行くのはいいけど、どの神社に行くの?祀られてる神様くらいは調べた方が良いんじゃない?」
「うん?
それはもちろん恋愛成就でしょ?」
蓮子が驚いたような声を上げる。声が大きい。食堂中からちらほらと視線が向けられる。
「ちょっと、声の大きさ…!」
「何よメリーったら、今更照れないの」
向けられる視線などどこ吹く風で、蓮子は丼を返却すると出口に歩き始める。私も慌てて食器を返し、早足で蓮子の隣に並ぶ。
「…神頼みなんてあんまりしないんじゃないの?」
「信じてないなんて言ってないわよ。信じてないけど」
「じゃあ何で…」
「占いなんかと一緒よ。普段は信じないけど、自分にとって都合のいい時は信じる。皆、そんなもんよ」
「…恋愛成就は、蓮子にとって都合が良いの」
「そりゃあもちろん。メリーだって悪くはないでしょ?」
「……」
軽く頭を振る。悲しいかな、私ではこの相棒を口で丸め込む事は至難の技だ。
「…分かったわよ、恋愛成就ね。ならせいぜい行けるように、今はちゃんと講義を受けて来なさいな」
「…メリーって、時々意地が悪いわよね」
「学生の本分でしょ」
「うー、分かったわよ!」
耳が痛いとばかりに大げさにリアクションをしてから、蓮子は講義室へと向かっていった。途中で振り返り、こちらに大きく手を振ってくる。
「元気ねぇ…」
それに小さく手を振り返して、踵を返す。と、忘れないうちに端末を起動して、メモに手早く書き込む。
特に楽しみにしているわけでも無いが、万一すっぽかしでもしたら蓮子がうるさい。宥めるのは結構大変なのだ。
帰ったら神社を調べるところからかな、なんてぼやきながら。
私は紅葉の舞う中を、のんびりと家路につくのだった。
▼▼▼
少女が2人、建物の中で歩いている。
片方は、黒い少し特徴的な帽子を被った少女。
もう1人は、やや珍しい金色の髪の少女だった。
やがて2人は別れて、別の道を歩き始める。会話までは流石に聞こえてこないが、2人がとても、楽しそうなのはよく分かって。
それがとても、微笑ましくて、───見ていられない。そっと、目の前の光景を視界から遠ざける。
映像が、ぱきりと音を立てて砕けて消える。視界に映るのは、元の景色。湖を上から眺める、屋敷のテラスだ。
「覗き見?今さら言うのも遅いかもしれないけれど、賢者を名乗ってそれは趣味が悪いわよ」
正面から、声。視線を上げれば、小柄な少女が尊大な態度で優雅に紅茶を嗜んでいた。カップを傾ける度に、背中から覗く羽根が小さく揺れる。
「…貴女のせいよ。貴女があの時、言葉を濁したツケが回って来てるのよ」
「別に、濁して困るのは貴女だけよ。貴女からどう言えば良いかなんて言われていなかったし、ね?」
くすくすと、少女が笑う。けれどその空気は、嫌に剣呑で。不用意に手を出せば切り裂かれてしまいそうな、鋭さを纏っていた。
「でも、貴女が外を覗き見るなんて…覚悟でも決めたのかしら?それともまた得意の干渉?」
「…いいえ。私はただ、
空気が、鋭さを増す。けれどそれを気にも止めずに、少女はカップを置くと立ち上がり、ふと外を見上げた。分厚い雲のかかった空に、少女はふと笑みを浮かべて。
その姿が、無数の小さな蝙蝠に変わる。そのまま、吸い込まれるように空へと消えていく。
「別に、大した事じゃ無いわよ?」
声が響く。
「マエリベリー・ハーン…だったかしら。私、
───
それきり、声は聞こえなくなって。
その場には、険しい顔をした賢者が1人、残されるだけだった。