「…もうこんな日なのね」
「んー?」
部屋から間延びした蓮子の声。かくいう私は、冷蔵庫に雑に貼った今時珍しい紙のカレンダーを見てため息をついていた。
2月14日。所謂バレンタインというやつだ。
去年は互いにチョコを渡し合ったのは覚えている。それほど量を作る訳でもないから、やる気がないという訳でもないのだが。最近はどちらかの家にいる事が増えたため、単純に作る時間がない。
「何してんのさっきから?…ああ、バレンタインね。今年はどんなのくれるの、メリー?」
「その前に蓮子がいるから作る暇が無いんだけど?」
「大丈夫大丈夫、私も手伝うからさ」
「そういう事じゃなくて…」
相変わらず肝心なところで空気の読めない。そも先程までバレンタインなぞ全く意識していなかったため、作るにせよモノがない。買い出しに出ても良いのだが、当日になって材料が売っているかは甚だ疑問である。
「んー…じゃあメリー、ちょっと買い物行ってきて良い?」
「え?良いけど…何買うの?」
「ん?何ってそりゃあ…」
もぞもぞとコタツから出てきた蓮子は、不敵に笑って見せて。
「すぐできるバレンタインらしいものを買いに、よ」
ただ、そう言った。
▼▼▼
年も明けいくらか経ったものの、未だに暖かいとは言えない温度。そこそこの賃貸だからという事もあるかもしれないが、ともかく長く台所に立つのは遠慮したい訳で。そういった点では、蓮子の買い物はありがたいものだったと言えるだろう。
台所に広げられたのは大量のチョコレート、それに果物。加えてお菓子などが数種類だった。
「よし、じゃあ作るわよ。メリーは果物切っといてー」
「はーい」
とはいえ切るものは大してないのだけど。何故かイチゴが多いおかげかせいぜいパイナップルくらいだろうか。既に半分にカットされたそれを更に一口大に切っていく。隣の蓮子はチョコレートを刻む作業をしていた。ちょこちょこつまみ食いしているのはまぁ、良しとしよう。
切り終わったら鍋に牛乳を入れて火にかける。この牛乳は私の家に最初からあったやつだ。あってもシチュー位にしか使わないから、良い機会と言えば機会かもしれない。飲んでも背は伸びなかった。
「チョコは切れたー?」
「もちろんよ。後はコレを入れるだけ、と。…ちょっとだけ食べちゃだめ?」
「刻みながら食べてたの見てるわよ」
「うっ…」
火を弱めてチョコを少しずつ投入する。ゆっくり混ぜながら溶かしていく。後は全て溶かし切るまで混ぜるだけだ。温められたチョコレートの甘い香りが台所に広がってゆく。
「蓮子は切ったやつ先に持っていって。後コンロの準備もね」
「はーいはい、お任せあれー」
「果物のつまみ食いはダメよ?」
「私はどれだけ食い意地が張ってると思われてるのよ…!」
さっき食べてた本人に言われる事ではないと思うのだが。
鍋にはもうなみなみチョコレートが溶けている。けれど刻まれたチョコはまだまだ尽きる気配がない。鍋が小さかっただろうか?しかし今使っているものより大きい鍋は持っていない。仕方なしにチョコをボウルに移してラップをかけて一旦冷蔵庫にしまっておく。
「お、きたきた。こぼしたりしないでよー?」
「掃除が大変だもの、そんな事しないわよ」
フォークを手に目を輝かせる蓮子に苦笑を返して、用意されたコンロに鍋をのせる。弱火なら焦げ付く事もないだろう。
「さて。じゃあ出来たわけだし、始めましょうか?」
「ん、そうね。秘封倶楽部流、バレンタインデーをね!」
言うなり蓮子はイチゴにチョコをくぐらせて頬張った。私はどうしようかと目をやって、近くにあったマシュマロでやる事にする。僅かに湯気を立てるチョコにさっと投入し、一口。
「んむ…甘い。…ってこれ、中身もチョコじゃないの」
「あれ、そうだった?味何種類か買ってきたからどれがどれだか分かんないのよねー…」
まぁ全部食べるから全部分かるでしょ、と自分もマシュマロを食べながら笑う。つられるように私も笑って、果物にフォークを刺していく。
こういったフォンデュのような食べ方をするのは初めてだったのだが、なるほど確かに美味しかった。
というよりも甘い。
甘いものは勿論好きだが、これは俗に言う甘党向けなのかもしれない。食べた後暫くチョコは遠慮しておこうかとなるような感覚。それを果物なんかがある程度中和しているからそこそこ量も食べられるのかもしれない。プレッツェルなんかのお菓子もあったが、蓮子はそのまま齧っていた。口直しのつもりらしい。
「ねぇ、メリー」
「何?」
「楽しい?」
不意に、蓮子がそう聞いてきた。大して意識もしていないであろう、軽い問いかけ。それに私は、少しだけ意地の悪い笑みで答えた。
「うーん…あんまり?」
「ええっ!?」
「だってバレンタインってチョコを贈る日だし。これなら喫茶店でも出来そうじゃない」
「それはそうだけどー…」
むむむと唸る蓮子に笑みをこぼして。蓮子の手にあったプレッツェルをひょいと取ると、そのまま口に放り込む。
「冗談よ。バレンタイン云々はそうだけど、楽しくなかったらやってないし。こういうのも年頃の女の子感があって良いわよ?」
「…そうよね。メリーったらそういう事はスッパリ言うものね」
「そうそう。蓮子の困り顔を見れただけでも、それなりに価値あるイベントだわ」
「それはひどくない!?私別にメリーを困り顔にしてるわけじゃないじゃない!」
「…やっぱり楽しくないかも」
そんなやり取りをするうちに、用意した果物やお菓子はすっかり無くなってしまった。たっぷり用意したチョコレートも、鍋の中から消えている。
「ふぅ…結構量があったわね」
「チョコはまだまだあるんだけどね…。一体どれだけ買ってきたのよ?」
「んー?そんなに買ってきてないわよ。確か…板チョコ10枚?15枚だったかしら?そのくらいよ」
「…2人で消費するには骨の折れる量ね…」
鍋を洗いながらぼやく。結構な量を使ったつもりなのだが、それでもまだまだだ。
と、蓮子が冷蔵庫からチョコを出していた。同時に自分の鞄から何やら取り出している。見れば、ハートやら星やらの数種類の型だ。
「…何それ?」
「何って型よ。バレンタインでチョコは食べたけど、それだけじゃね。バレンタインはチョコを贈る日、でしょ?」
「…最初から多めに買ってきたわね」
「ご明察。ささ、メリーも手伝って。型は好きなの使って良いからさ」
またチョコ作りをする羽目になるとは流石に思っていなかった。というか、蓮子は何とも思っていないようだがこういうものは何を贈るか秘密にしながらやるものではないだろうか。当の本人は気にも止めずに準備を進めているのだが。
「去年はお互いサプライズでチョコ渡さなかったかしら?」
「去年はね。もう1年経つもの、スキンシップの一環ってやつよ」
「スキンシップって…」
「あーもう、つべこべ言わない!」
強引に遮られる。勢いそのまま、蓮子はチョコをかき混ぜていたヘラをこちらにびしりと突きつけた。
「私は好きな人と隣で作業したいの!そういう人間なの!だからそのくらいメリーが…あー……!」
途中から顔を背けて、ヘラをふらふら彷徨わせながら、蓮子は捲し立てる。そんな蓮子を見るのが、なんだかとても面白くて。
───やっぱり、蓮子に口で勝つのは難しそうだ。
そんな事を、思うのだ。そんな所も、勿論蓮子の良い部分だ。
「と、とにかくチョコ作るわよ!」
「はいはい、分かったわよ。チョコを持ってるのは蓮子だもの、早く溶かしてくれないと」
「…なんだか上機嫌になってない?」
「ん、まぁね。私も一緒に作業したいって思う位には蓮子のこと好きだから、ね?」
「うー…!」
悔しがる蓮子の顔も良いものだ。そんな顔を見せてくれるほどには、私達も仲がよろしくなったようで。
それが少し、いいやかなり…嬉しくて。私はハートの型を手に取りながら、蓮子に見えないように小さく、微笑んだ。