ダンブルドアは自由に生きられるか   作:藤猫

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誰の敵でもない、私は、闇に沈む誰かが最後に吐き出す声を拾えればそれだけで。


ルシウスさんと、ニゲルと、飛びたった裏切り者たちの話。


番外編:空の心と、器と血

 

 

「おや、ルシウスか。」

 

何気ない声にルシウス・マルフォイはぴくりと肩をふるわせた。そうして、背後から聞こえてきたその声に、無言で早足でその場から去ろうとする。

丁度、三大魔法学校対抗試合が開かれていたホグワーツ魔法学校にて、ルシウスは廊下を歩いていた。少し、用があったため、妻のナルシッサ・マルフォイは先に帰っている。

自分も早く帰ろうと、授業中で静まりかえった廊下を歩いていた時のことだ。

 

「はっはっはっは!!薄情なことをするなあ!?」

 

が、元より貴族であり、さほど運動機能が優れているわけではないルシウスは、常日頃よりくそガキ真っ盛りの誰かを追いかけ回しているニゲルに勝てるわけもなくあっさりと捕まった。

 

「・・・・なにかご用でしょうか、管理人殿。」

 

ルシウスはその手を振り払って今すぐに駆けだしていきたいと思いながら、それでも逃げれば後になってちくちくと昔のことを言われるのだと、それに伴って己の息子にまでその話がいくとなれば絶望的だ。

彼は渋々と、女のことを振り返った。

ルシウスにそう言われて、ニゲルは少しだけ考えるような素振りをした。

 

「いんや。そういやないな。」

 

けろりとそう言われ、ルシウスはがくりと肩を落とした。思わず体をこわばらせた手前、そのあっさりとした引き際にルシウスはぐったりとする。

 

(いや、違う。こいつは昔からそうだった。)

 

ルシウスは苦々しい気分でその今は老いた女を見た。

年齢よりは若くは見えても、目の端や口元に浮かんだ、笑い皺があった。濁ることなく生気に満ちあふれた、緑の瞳。そうして、雪のように純白の髪。

ルシウスは、ふと、ホグワーツの廊下に立ち、目の前のそれ。ルシウスが学生の頃から、全く変わらないそれの目の前にいると、ふと、何か空見した

 

「いや、すまん。おまえさんの後ろ姿があんまりにも、アブラクサスに似てたもんだから。」

「昔から、よくそんなことを言っていたな。」

 

日差しが、やけに強いように思えた。夏でもないというのに、なぜか、ひどく目がくらむ気がした。ルシウスは思わず、目を細めた。

 

「まあ、そう言いたくなるほど似てるんだよ。いや、にしてもここに入学した時はナルシッサと双子と見紛うほどだったのに。」

「親戚中から言われたことだ。」

 

純白の髪に、光が当たっているせいだろうか。目がくらむような気がした。

 

「なのになんだろうなあ。おまえさん、本当にアブラクサスとは似てないなあ。」

 

光に目がくらんで、あんまりにも目の前の存在が変わることなく前にいて、あんまりにも変わることなくそんなことを言うものだから。

まるで、自分が子どものまま、白昼夢の中に迷い込んだような気がした。

 

 

ルシウス・マルフォイとニゲルという人間の出会いは、特別なことなど何もない。ただ、その老婆がせっせと仕事をしているのを遠目に見た程度だ。

そうして、自分よりも先に入学した人間が言うのだ。

あれには気をつけろと。

ルシウスからすれば自分には関係のない、よく言えば労働階級の人間だった。品など無く、どかどかといたずらをした学生を追いかけ回すそれ。

ルシウスからすれば、関係のない存在だった。

 

けれど、ルシウスからいかずとも、ニゲル自身が関わってくればそうも言ってはいられなかった。

それは、ふと、ルシウスが一人でいたときのことだ。廊下の向こう側からかつかつとブーツをならして歩いてくるニゲルの姿を見つけた。ルシウスは特別な用などないのだから、そのまま無視して立ち去ろうとした。

けれど、近づいてきたニゲルはルシウスに気づいた瞬間、ひどく不躾に、無遠慮に、そうして嬉しげにルシウスに近づいてきた。

 

「おーおー、おまえさん、もしかしてマルフォイの長男坊主か?」

「・・・・何か、ご用ですか?」

 

あんまりにも失礼すぎる発言にルシウスは眉間に皺を寄せて答えた。正直言えば無視してしまいたい気分だったが、上級生の何人かからニゲルへの扱いは考えるように言い含められていたのである。

 

(これでもダンブルドアの親類と言うんだからやっかいだ。)

 

そんなことを考えて視線を床にそらしたルシウスの視界の中に、老いた女の顔が飛び込んできた。わざわざ、かがみ込んでルシウスの顔をまじまじと見た、その老婆は心の底から楽しそうな、日向のにおいがするような笑みを浮かべた。

なんとなく、その顔に刻まれた皺が全て笑い皺なのだろうと察せられるような笑みだった。

キラキラとした、若葉の瞳がルシウスを見る。

 

「あっはっはっは。アブラクサスにやたらと似てると思ったけど。やっぱり、どっか似てねえなあ。」

 

乱雑な声で、それは突風のように笑い声を上げた。ルシウスが思わず、その女を見上げると、それはどこか楽しそうに己を見下ろしていた。

その目は、まるでルシウスを孫とでも思っているかのように、懐かしげで、嬉しそうで、尚且つさみしそうな目だった。

ルシウスは、女の言った言葉の意味がわからずに、けれどやたら耳に残るそれを思い出して、上級生たちの言葉の意味を理解した。

 

(やっかいだなんて。そんな。)

 

ルシウスには、その老婆がやっかいという言葉で終わらせられるような存在でないと心のどこかで理解していた。

 

 

それから、ルシウスはニゲルとそこまで話す立場ではなかった。ただ、ニゲルのことを確認すると、視線で追うことはよくあった。

 

(どんな意味だったんだろうか。)

 

ルシウスには、ニゲルの言葉の意味がわからずにいた。

 

ルシウスは当時、それはそれは少女と見紛うほどに愛らしい見目をしていた。それこそ、当時、近しい血の関係にあったナルシッサ・ブラックとは双子と見紛うほどにだ。

だからこそ、最初にまず父であるアブラクサス・マルフォイと似ていると言ったことには驚いた。そうして、その後、似ていないとそうはいったものの。

その似ていないという言葉は、今までかけられた言葉とはなんだかひどく違うように聞こえた。

だからといって、それに言葉の意味を聞くことはなかった。何よりも、ルシウスとニゲルは滅多に関わることはなかった。基本的にやっかいごとに関わることの多いニゲルと、模範生であったルシウスが関わることはない。ただ、ニゲルは時折、廊下をすれ違う時にでも、ふっと気づいたように聞いてくるのだ。

 

困っているなら何か言えと。

 

馬鹿らしいと、ルシウスは思った。助けられるようなことはない。助けてほしいと思っても、それをルシウスが求めるのは彼女ではない。

くだらないと、心底思った。

 

「あなたは何がしたいんだ?」

「何が?」

 

その日、やたらと天気のいい日のことだ。庭の手入れをしていたニゲルの背に、ルシウスはなんとなしに近寄ってそんなことを聞いた。

ニゲルは少しだけ不思議そうな顔をして、くるりと振り返った。

汗をかいているのか、上着を脱ぎ、簡素なシャツにズボンというシンプルなそのままに、タオルで汗を拭っていた。

 

「僕にあまりかまってこないでくれないかってことだ。」

「別に、君以外にも多方面に首を突っ込んでる気がするけれど。」

「そういう意味じゃない。これ以上、僕に関わってくるなって言ってるんだ。僕は別に困ってない。」

 

ぴしゃりとそういった。ルシウスからすれば、下手にニゲルと関わって自分に妙な疑いを持たれるのはごめんであった。

それにニゲルはルシウスの方を見た。日の光の中で、やたらとその純白の髪がまぶしく見えて。目が、くらみそうになった。

緑の瞳を細めて、それはどこかぼんやりとした作り笑いを浮かべた。空虚な、灰色の笑みだ。

 

「本当に?」

 

ルシウスはそれに答えようとした。けれど、見上げた先で、ダンブルドアとよく似たきらきらと輝くような瞳。のぞき込まれたその瞬間、何か、心の奥底をのぞき込まれたような気がした。それは、何かを知っている気がした。それが、何かはわからなかったけれど。

 

「ルシウス・マルフォイ。君を助けてくれる存在はいるかもしれない。でも、彼らでは助けてもらえないこともあるだろうから。」

「何も。僕には、何にも、ない。」

 

途切れて、消えてしまった言葉にニゲルはやっぱり微笑んでいた。

 

「本当に?私に、何か言いたいことはない?」

「・・・・ない。」

「そうかい。」

 

ニゲルは幾度もうなずいて、それならばいいよとうなずいた。けれど、それは結局最後に、微笑んだ。

 

「困っていることがあるなら、助けてほしいことがあるなら、できるだけのことはするよ。」

 

そう言って、やっぱり微笑んだ。

 

 

ニゲルとはそれっきりだった。困っていることなどない。けれど、心の奥を撫でられるような目を見ると、関わりたくないという思いの方が浮かんだ。

そうして、決定的にルシウスにとってニゲルがパンドラの箱に成り果てたことがあった。

 

アンドロメダ・ブラックが、ブラック家を捨て、そうしてブラック家はアンドロメダを捨てた。

それは、ブラック家だけではなく、マルフォイ家にもまた衝撃をもたらした。

ナルシッサの家は、本家と比べればまだ静かではあったのかもしれないけれど。それでも。氷上で誰かが踊っているように、きしむ音が耳の中で鳴り響いていた。

ナルシッサが泣いている。愛しい、彼女が泣いている。

けれど、ルシウスには何ができるだろうか。

アンドロメダに怒りがあった。

 

ああ、彼女は捨てられたのだ。この、美しく、完璧な箱庭から。父上たちが、家系図から彼女の名前を消している。仕方がない、ああ、そうだ、この箱庭から彼女は捨てられたのだ。

 

本当に?

 

アンドロメダが出て行ってからすぐに、姉であるベラトリックス・ブラックは管理人であるニゲルにつかみかかった。

学校の廊下でのことだ。幸いだったのは、人気がなかったことだろう。

 

「おまえだろう!!」

 

つかみかかり、そうしてニゲルに杖を向けたベラトリックスに彼女は悲しそうな顔をした。そうして、かすれるような声を出した。

 

「彼女は、そう決めたんだね。」

「やっぱりお前か!お前がアンをたぶらかしたんだろう!前からずっとお前とあの子が会ってたのは知ってるんだ!」

「エクスペリアームス!武器よ去れ!」

 

ベラトリックスの手から杖が弾き飛ばされた。ルシウスはそれを拾い上げた。

ルシウスは事が起こる前になんとか止められたことに安堵する。ベラトリックスが怒り顔でニゲルを探していたとき、嫌な予感があったのだ。

 

「ルシウス!お前!」

「冷静になれ、ベラトリックス!ここでそれを害したとしてどうなる!?」

「うるさい!お前は知らないのか!アンドロメダが、あの汚れた血の元に向かう前、この女の元に通っていたんだ!この女が、アンドロメダを!お前が選ばせたんだ!」

「ベラトリックス。お前さん。」

「じゃなければあの子が私たちを!そんなこと・・・・・」

「お前さんは、本当にそう思っているのかい?」

 

叫ぶ声を遮るには、ニゲルの事はあんまりにも平淡な声だった。なのに、なぜか、その声は耳に残った。

ニゲルはどこか悲しそうにじっとベラトリックスを見つめた。緑の瞳をじっと、ベラトリックスに向けた。ベラトリックスはそれに居心地が悪いというように、一歩後ずさった

その気持ちはルシウスにもわかった。その瞳は、あんまりにもダンブルドアに似ているのだ。

 

「・・・・ベラトリックス。お前さんが何を信じようがそれは自由だ。信じ続けるって事はある意味で救いだ。君の心が晴れるなら、私を憎むぐらいいっくらでもしてもいい。でもね。私の言葉一つ、思い一つ、それで変わる程度の人だったか、アンドロメダという妹は。」

 

じっと、若葉の目がベラトリックスに向けられる。ベラトリックスはまるで縫い付けられたように、その瞳を見返した。そうして、うわごとのように言葉を続けた。

 

違う、違う、あの子は、私を。

 

それを悲しそうにニゲルは眺めた。そうして、首を振った。

 

「あの子が、誰かのために選んだわけじゃない。彼女は、自分の人生のために、悔いがないように、己を救うために、それを選んだんだ。君のせいでも、誰のせいでもない。あの子は、己の恋と愛のために選んだだけだ。」

 

君はあの子の人生の幸せを認められなかった。あの子の世界は、その幸せを認めなかった。だからこそ、彼女は自分のために世界を飛び出したんだ。

 

ニゲルの台詞に、ベラトリックスは皮膚に血がにじむほどに手を握りしめた。そうして、ぎっとニゲルを睨んだ。

 

「どんなことを言ったって私を裏切ったんじゃないか!アンドロメダが、私を!結局裏切ったのか!愛?恋?くだらない!そう言って、結局私を裏切るんじゃないか!あの子自身が、それを選んだんじゃないか!」

 

たたきつけるようにそう言って、ベラトリックスはそのまま背を向けて、走り出す。その背に、ニゲルは悲しそうに言葉をかけた。

 

「ベラトリックス!忘れないでくれ!彼女は、お前を憎んだんじゃないんだ!取り巻く世界を憎んでも。裏切りたかったわけじゃないんだよ。」

 

かすれた声が、廊下に響く。それをルシウスは眺めた。そうして、吐息のように言葉を吐いた。

 

「満足か?」

 

それにニゲルは答えはせずとも、ルシウスの方を見た。

 

「己の偽善が血族を引き裂いた感想はどうだ?たとえ、アンドロメダが自由を望んで、汚れた血の元に向かって。それが本当に幸福であるとどの口が言える。彼女は、もう、どこにも帰られない。自由を選ぶと言うことは、一人で道を進むと言うことだ。それは、アンドロメダを守ってはくれない。」

 

傷つけようと思った。他の人間が、血族の決断を決めたというならば。そうして、好奇心もあった。その老人がそんなにも悲しそうな顔をするのが物珍しかったと言うこともある。

ルシウスは、アンドロメダへの怒りはないわけではなかった。けれど、すでに終わった事への怒りを引きずる意味もなかった。

そうして、恋のために全てを捨てていった彼女に何も思わなかったわけでもない。

ニゲルは、それにさみしそうに笑った。

 

「何も。」

 

私に、何ができたと言うんだ。

 

吐息のようにそういった。

 

「私には、何もできなかった。彼女は私の元に通っても、何も語りはしなかったよ。ただ、問われたことはある。正しいってどういうことだって。」

「・・・・何を答えたんだ?」

「ルシウス、お前さんも覚えておいてくれ。あのな、自分の人生について責任をとれるのは自分だけなんだ。自由が己を守ってくれるわけじゃない。それでも、自分の人生を背負えるのは自分だけなんだ。」

 

アンドロメダは、誰のためでもなく、自分の人生を背負うことを決めただけなんだ。

 

その言葉にルシウスははっと笑った。

 

「誰も助けられない分際で、何を語るというんだ?誰を、お前は救えると?アンドロメダは故郷に二度と帰ることはない。ベラトリックスも、シシーも、一生姉妹を失ったんだ。」

 

そう言ったルシウスをニゲルは見た。その顔を見て、彼女は苦笑した。

 

「ルシウス。お前、やっぱり親父さんにゃあ似てないな。」

 

そういった、ニゲルの日の光に反射した純白の髪にルシウスはあんまりにもまぶしくて、目を細めたのだ。

 

 

「おい、ルシウス。どうかしたか?」

「・・・いいえ、何も。」

 

ルシウスは、午後の光の中に、遠い昔のことを空見した。そうして、自分はすでに大人になったことを思い出して、幻のような幼い感覚を振り払った。

 

「そうかい。まあ、お前さんに声をかけたのはそれぐらいだよ。少しだけ、懐かしくってさ。」

 

肩をすくめたそれに、ルシウスはじっと視線を注いだ。そうして、ふと、それが大分小さくなっていることに気づいた。老いのためか、それとも、自分がすっかり大人になったためなのかわからなかったけれど。

 

「まあ、お前さんとドラコは本当にそっくりだよ。今回も、ハリーにこすい嫌がらせしてたしなあ。あーあ。あのバッジ、処分どうしたもんか。」

「ああ、そういえば聞きましたよ、ずいぶんと、生徒たちにひどいことを言われたようで?」

 

ルシウスは頭の奥でぐるりと巡る感情を追いやった。それは、きっと自分には必要のないものであると思って。だからこそ、それの口から飛び出たことに話題を振った。

いつもならば昔のことを出してやり返されるそれにしっぺ返しでもできるだろうと。

 

「あの、場末のようなたまり場は閑古鳥でも鳴いておられるのでしょうね?」

 

それにニゲルはあっはっはと、花吹雪のような笑い声を上げた。

 

「まっさか。今でも変わらず、ひっきりなしに逃げ場のない奴らがやってくるさ。」

 

ルシウスはその変わらない態度が面白くない。少しぐらい、曇るかと思ったそれは変わることなく笑っている。

 

(こいつは、いつもそうだ。くだらんものたちに囲まれて、一体何が楽しいのか。)

 

視界の奥で、遠い昔に、自分に微笑む、日向の中で白昼夢を見るように光の中にいたそれが浮かんだ。

ニゲルの管理室、通称は何だろうか。

ろくでもないものばかりがいた。たいした才も、血筋も、立ち回る器量も、何もないものばかりが集まっていた。

けれど、それでも、その女はそこに逃げ込んだものたちを心の底から大事にしていた。

だからなんだと言うんだろうか。

ルシウスは、そんなことを考える。

 

「基本的にこんな閉鎖的な場所で、私の管理室に来るようなのは本当に行き場がないんだよ。自主的には来なくとも、隅で縮こまってるやつは回収してるし。まあ、生徒たちにゃあひどいこと言ったがなあ。それでも、己に正義があるなんて熱狂は早々と捨て去った方がましだ。にしても、ドラコのやつ、本当に無駄にカリスマがあるって言うのか、現状の波に乗るの本当にうまいよな。」

「おや、我が息子を褒めるとは珍しい。」

 

けれど、ルシウスとしても、今回のドラコのやり方には少々感心した。

元より、スリザリンはヘイトを買いやすい。

それ故に、遠巻きに見られるか、それとも自分たちを敵として徒党を組まれるか。

けれど、今回は違った。

 

(今回は、丁度、誰よりも他から憎しみを買っているものがいた。)

 

普段ならば、それこそ、今回炎のゴブレットに選ばれたのがハリー・ポッターだけならば、やっかみの目はあってもここまで多数の生徒からの憎しみを負わなかっただろう。

だか、対抗試合にはすでに喝采を浴びるべき英雄がいた、スポットライトを浴びた主役がいた。

ハッフルパフは普段は温厚だろう。他との衝突を一番に避ける。けれど、ようやく現れた己たちのヒーローへの熱狂を邪魔されたのは事実だろう。

怒りに満ちた群衆とは、たやすく扇動に踊らされるのだ。けれど、ルシウスとてここまでドツボにはまるような結末にはならないだろう。

 

(・・・今回の件にハリー・ポッターは非があるか。)

 

ルシウスは、名誉だとか、利益だとか、対抗心だとか、全てを切り離して。ひどく、冷たく、大人として考える。

 

ハリー・ポッターは自らゴブレットに名前を入れたか?

おそらくないだろう。

学校の教師たちがかけた魔法を超えられるほどの力はないだろう。仮に、上級生に頼んだとするならば?

いや、おそらくそんなことをすれば己からそれを口にでもしているだろう。

仮に、上級生が口をつぐんでいたとして。

ホグワーツから二人の魔法使いが選ばれるほどにあの古代の魔法具を騙せるほどに優秀な魔法使いがどれほどいる?

ポッターが見事に猫をかぶっているならばまだ可能性はあるだろうが。

今までの動向を見るに、その可能性は低いだろう。

ルシウスは、己の腕に刻まれた証がうずく気がした。

 

(ああ、あの方が。)

 

ルシウスは無意識に腕をさすった。

どろりと、泥に足を取られる気がした。重たく、冷たい闇が己の中に滑り込む。

ルシウスは、その感覚を振り払うように思考を続けた。

おそらくだが、ハリー・ポッターは誰かしらに陥れられたのだろう。

冷静に考えればすぐにわかることだ。

けれど、未熟な子どもたちにそんな思考などないだろう。

 

(いや、内心ではわかっているものはいるのだろうが。)

 

目立つことなどほとんどないハッフルパフとて、少しは鬱憤がたまっていただろう。そうして、そこに目立つ、英雄と名高いグリフィンドール生を非難できる機会があるとすれば?

 

(餌にたかる野良犬のようだな。)

 

普段、己を正義のように振る舞うグリフィンドール生たちでさえもポッターを非難しているのは本当に滑稽なことだ。

 

「・・・・ハッフルパフの不満はわかる。だけどな、結末として己にとって不満がある存在を、なぶっていいわけじゃない。それを、正しかったって信じて大人になってほしくなかった。」

 

ぼんやりとそういったニゲルに、ルシウスはぼそりと吐息のように呟いた。

 

「・・・あなたは変わることなく、どこに対しても平等なことで。」

「褒め言葉として受け取っとくか?」

 

苦笑気味にそういった。

その笑みは、やっぱり変わらない。彼女は、変わることなく微笑んでいた。

ベラトリックスにも、ナルシッサにも、レギュラスにも、スネイプにも、シリウスにも、あの汚れた血にだって、その微笑み方は変わらない。

優しげで、どこかもの悲しい笑み。

遠い昔のことを、なぜか、今日はやたらと思い出す。

ナルシッサの泣いた日、レギュラスがおびえていた日、ベラトリックスが叫んだ日。

家族が一人、箱庭を去った日。

胸の奥で、何かが喚き散らす。

シリウス・ブラックだけが全てを理解した顔をしていた。

そうして、目の前の女だけが、何もかもを見透かしたような顔で悲しそうにそれを見ていた。

そのときだ、そのとき、なぜだろうか。

ずっと、昔、あの日から、あの、光を反射する真っ白な髪を揺らして笑うそれを見たときから、くすぶり続けた言葉が口からこぼれ落ちた。

あんまりにも、それは変わっていなくて。

だから、ルシウスは子どもに戻ったときのように、言葉を口にした。

 

「・・・・あなたは、誰かの味方であった事なんてたったの一度もないだろう。」

あなたは、誰の敵でもなかっただけの話だ。

 

ぼんやりと、目の前の老いた人を傷つけたかった。

あの日、血族でも、家族でもないそれが、アンドロメダのことを理解したように笑ったあの日から。

くすぶるようにあった思いで、そういった。

それに、ニゲルは軽やかに笑った。

 

「そうだよ。」

 

やっぱり、心の底から優しい顔で、それは笑った。

 

「私は今も昔も、アルの味方だ。家族の味方だ。あの子たちが笑っていられればそれでいい。でもね、ルシウス。遠いいつかの幼い子。私は、お前さんの敵であったことだって一度もないよ。」

「違う。」

 

咄嗟にルシウスはそう言い返した。

 

「あの男の味方である貴様が、どうして私の敵ではないなんて言える?」

アンドロメダの味方をしたお前が、何を言っている?

 

素直なその言葉にニゲルは首を振る。

 

「いや、少なくとも、私はお前さんが助けを請うたというならば。その手を、私は離さなかったよ。確かに、あの日。あのとき、お前たちは道行きに迷う子どもたちだった。」

「思い上がるな、血を裏切るものが!貴様に助けられる覚えなどない。貴様に、私の救いなど存在しない。私の、受け継ぎ続けたこの血は、この誇りに間違いなどない。」

 

激高したのは、きっと。そこに哀れみがあったからだ。

誰が、古き血を持つマルフォイを哀れむことなどできただろうか。誰が、するだろうか。

怒りも、憎しみも、妬みも、幾度となく受け取った。

その老いた女がひたすらに、憎らしかった。知ったような顔で、哀れみを浮かべたそれは、確かに侮辱だった。

 

「私は、スリザリンだろうが、グリフィンドールだろうが、境を越えたと思えばしかるさ。それに違いはない。けれど、君たちはあんまりにも、自由を赦されないものがおおいから。だから、せめて、私は敵にだけはならないと誓った。」

 

ニゲルは一度だけ目を閉じて、ささやくように言った。

 

「なら、お前さんは己の積み上げた罪を嬉々としてやり果てたのかい?」

 

罪、という単語でルシウスの脳裏には、散々今まで傷つけたマグルの死体が浮かんだ。

ルシウス・マルフォイにとって、マグルとは確かにさげすむべき存在であった。幾人死のうと、どうだっていいことだった。

けれど、それでも、羽虫のように、獣のように、殺すような存在ではなかった。

脳裏に、遠い昔のことを思い出す。

蛇のような、悪魔のような、恐ろしき己が主人。

笑える話だ。

恐れていた、かの君の僕になったことに安堵した。

だが、どうだ。

蓋を開ければ、そこまで恐れた主人は、ただの赤ん坊に殺されたじゃないか。

 

失うことなど赦されない。

 

ルシウス。お前は、マルフォイの跡取りなのだ。ならば、わかっているな。

 

信愛していた父から受け継いだものを守らねば。

幼い子どもの声がする。自分を慕う、少年の声。少女、いや、妻の声。

失えない。失うことなどできない。

失わないために、ずっと、立ち回ってきたのだ。

マグルでさえも、殺すことが好きだったわけではない。いたぶる声が好きだったことなどない。

ただ、自分の地位を確固たるものにしたかっただけ。

 

(それだけの、話だ。)

「ずっと、考えていたよ。」

 

唐突に飛び込んできた声に、ルシウスはまるで夢から覚めたようにニゲルの方を見た。

 

「お前たちの在り方とは何だろうと、アンドロメダの時から考えていた。」

「何を言っている。」

「・・・・彼女は、きっと愛されていたと思う。ベラトリックスも、ナルシッサも。でも、あの子は、己の心のために、飛び出した。妹なんかないって、置いていかれたとお前たちが言っているのを聞いて、ぼんやりと思っていたんだ。誰も君たちの心を望んでいないような気がして。ただ、血とうつわだけが求められていると言うんなら。その心をいったい誰が望んでくれるんだろうって。」

 

願われたこと以外、その心のままに駆け抜ければ、全てを否定されるのはあんまりにもさみしいんじゃないかって。

 

それに、ルシウスは激高したように叫んだ。

 

「それは、侮辱だ!ニゲル・ダンブルドア!」

 

ルシウスはぎらぎらとした目で、ニゲルを睨んだ。

 

「勝手な感傷で、我らの誇りを侮辱するな。私が選んだのだ。彼女を愛したのも、ドラコを慈しんだのも。誰のためでもない、私の意思だ。私の幸福だ。それを否定することなど、誰であっても赦されるはずがない!」

「・・・・そうだな。すまない。」

 

ニゲルはそう言って、そっと視線を外した。ルシウスはそれに、ぐっと歯をかみしめた。

 

「貴様にはわかるまい。それこそが、受け継ぐと言うことだ。助けなど必要ない。そんなものなど、私たちにはいらない。誰の敵でもない、貴様が何をできると言うんだ。手前勝手の哀れみに我らを巻き込むな。」

「・・・・それでも、私は、ここでせめて、誰の敵でもないことを願い続けるよ。怒りを叫んでも、悲しみに暮れても、下を向いて一人でいる子どもに手を差し出すさ。それだけが、私にできることだ。大人になれば、もう、私はその責を背負うことはできないから。だから、せめて、八つ当たりのような言葉でも手を差し出してやりたいから。それでもね、ルシウス・マルフォイ。アンドロメダを、どうか責めないでやってくれ。」

 

誇りを選んだ故に、ベラトリックスは愛も恋も知らなかった。そうして、お前さんはその誇りと、ナルシッサを天秤にのせたとき、どちらを選べると言うんだ。

 

ニゲルはそのまま、ゆっくりと目を見開いたルシウスとすれ違う形でその場を立ち去る。

そうして、互いに背を向けた状態で、ぽそりとささやいた。

 

「・・・・ナルシッサに言われたよ。もしも、シリウスがいなければ、私さえいなければ。きっと、アンドロメダは汚れた血なんて選ばなかったって。彼女は、私たちに選ばされたんだって。結局、私に助けを求めたのはシリウスだけだった。アンドロメダは、自分で選んだんだ。」

 

こつりと、彼女のブーツの音がした。一瞬だけ、彼女は立ち止まった。

 

「お前さんは、やっぱりアブラクサスとは似てないよ。あの野心家に比べて、愛を望むお前さんはあんまりにも凡人過ぎる。」

 

独り言のようにそういった、ニゲルの言葉に目を見開いて。ルシウスはその場から立ち去った。

かっ、かっと革靴の音が鳴る。

 

(何がわかる?)

 

誰が、あの居心地の良い箱庭を知るというのか。あの場所しか知らぬ子どもたちの、箱庭を。

それを捨てていったアンドロメダこそが間違っているのだ。

愛してくれたのだ。父とて、母とて、彼らが望むあり方をどうして捨てることができるというのか。

家族さえ無事であるならそれでいい。どれだけマグルが死のうと関係ない。

 

(たとえ、それしか選べないとしても。)

 

ルシウスは、確かに自分で選んだのだ。全て、ことごとく、選んだのだ。何を間違っているはずがない。それこそが、誇りというものなのだから。

ルシウスは、ただ、愛した誰かの願いを聞きたかっただけだ。優しい箱庭で誰にもかけてほしくなかっただけだ。

それでも、アンドロメダの願うものはそこになかった。彼女もまた、自分の意思で飛び去った。

それだけの話だ。

たとえ、己の血と器にしか価値がなかったとして。それしか、求められていなかったとして。

ルシウスが妻と息子に注いだ心は、己自身の、己だけの選択だ。

それだけは、確かなのだとぎちりと歯をかみしめた。

 





ぼんやりと、ルシウスさんは自分の立場さえ守られて家族が無事なら谷は無関心なイメージですね。
マグルのことはさげすんでいるけど、羽虫みたいに殺したり、いたぶること自体に楽しさは見いだしてないイメージ。

ニゲルさんにとって、どの寮でもくそがきはくそがきだし、よい子はよい子です。

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