幼き聖者は死に、異界常識は破砕。
固有結界の名は、
業より悪を除去する人脳夢。善を留めて、悪を濾す。苦悶に満ちた純然なる地獄を生み、生命を尊ぶ平穏な楽園を演出する人の業である。
「最初の気持ちってやつ、思い出して気分最悪。
……はぁ――感謝して上げるわ、ローレンス。
この特異点を必ず滅ぼす気になる。諦めず、迷わず、此処だけは滅ぼす気概が湧く」
「俺も初めて人が死ぬ場面を見た時……フランス特異点の遣る瀬無さを思い出しましたね」
眠るマシュを背負いつつ、藤丸は表情を盛大に歪める。周りを気にする必要がない為、何時ものように平然を無理に装う意味もない。そのまま二人は無言で綺麗な廊下を進み、玄関に到着。
孤児院を出た先の庭、子供達が倒れ伏す光景。
赤ん坊が庭に転がり、血溜まりが出来上がる。
死した孤児達、星界の使者は死ぬ事で姿を変えていた。眷属の形ではなく、元の人間として姿形に戻っていた。子供と赤子の死体が服を纏わず、裸姿で打ち捨てられている。皆、穏やかな死相で眠るように死んでいる。
「目に見える罪の形………やっぱり他人の為に罪科を積むと、精神がより疲れる。
英雄稼業ならまだマシね。正義の味方なんて唯の苦行でしかないわ。自分の狩りを全うするのに行ったのなら、罪悪感を感じる自己へ素直になれるのに」
「分かる気がします。けど、俺達だけは戦わないと。
諦めたい自分に負けて歩みを止めてしまえば、この瞬間まで生き足掻いた価値が消えてしまう」
「生きる義務感と、生き抜く使命感。
ゲーティアを殺した結果、貴方は命に呪われてしまったわね」
「―――……それは、確かに。所長、何だか凄く納得出来ます。
この光景を前にしても、俺はこの特異点で生き足掻く気力が底無しに湧いて来るんです」
「貴方は身を蝕む死を幾度も踏破した。生きる意志の強さは運命を克服する。死の危機に遭遇しない幸運である運命力が消滅しようとも、意志一つでその因果律を捩り折って生存することね。そして灰が与えた人間性の幸運は、呪詛で塗れる程に強まり、未来を掴み取る貴方の因果を助ける力となる。
その呪いは他の誰からでもなく、貴方の身の裡から湧き出る衝動。
ビースト狩りを成功させたのだし、自前の運命力が消えても、その呪詛が代わりに貴方を生かすのでしょう」
「心を痛めても死んで楽になれないし、歩みも止まれない。それ、良い事何でしょうか?」
「カルデア所長である私にとっては良い事よ。貴方が生きようと諦めないだけで、とても助かってるもの」
「だったら……――良いかな。
何時もみたいに、今回の苦しみも悲しみます。精神が危なくなったら、ちゃんと治療を受けますしね」
「そうね……」
花園で死ぬ子供の死相を見下ろしつつ、所長は狩り帽子を目元まで深く被る。正直、何もかもが見て居られなくなった。誰も救えず、人は救えないと分かっているが、それは自分さえも誰からも救って貰えない人間である証でもある。無論、自分で自分を救うことも許されない。孤児院の子供達が今こうして死ぬしかなかった様、今の自分も苦しむしかないから苦しみ続けているのだと再度分かり、生き苦しむ現実を仕方がない良い夢だと嘲笑った。
そして展望孤児院の庭園を抜け、二人はまた大聖堂に戻る。善性濾過現象が停止し、上下で汎人類史の善悪が分けられていた異界常識が壊れ、大聖堂は悪夢より目覚めていた。
「床と壁、普通ですね」
「天国が消えれば、地獄も不要になる。楽園を作る為に、苦悶を産む必要がある。何だか、人間らしい仕様じゃない。
神性、魔性、天使性、悪魔性。どれらも所詮、人間が観測して概念を理解したからこそ、人の魂の業より生まれる人間性に過ぎません」
「皮肉過ぎます。次は何処に?」
「地下の秘密実験所よ。マシュクローンと、罹患者を人体実験していた諸悪の根源を断ち切る」
「速攻ですね」
「勿体振る意味はない。なるべく早く、面倒事は叩き潰すわ」
目的地ははっきりしている。複製マシュを背負う藤丸を先導し、所長は大聖堂内の廊下を迷わず進む。そして二人が進んだ先、何故か壁があった。
「あれ、壁?」
「壁ね」
「ちょっと所長、迷子ですか?」
「迷子は事実。内部構造、変わってるじゃないの―――フン!」
眉間に皺を寄せた所長が壁に向かい、曲刀一閃。カキン、と弾かれた。
「そんなアホな。バサカ所長の超絶糞馬鹿力で、罅一つないだと?」
「そうねぇ~……私の馬鹿力でって、それで貴方の頭蓋骨を120%の
「ベタな返し、ありがとうございます」
「どういたしまして。じゃ、エレベーターの方に行きましょう。ただ彼処で待伏せされると、めっちゃ面倒臭いのよね。
昔、良く殺されて
勘を鋭く尖らせて、暗殺者を先に
「確かに。逃げ場がないですね」
藤丸は詳しく聞きたい愚かな好奇を抑え込み、単に肯定するだけにした。そしてまた二人は進み、大聖堂地下へ行くエレベーターが破壊されているのを発見。その上、固有結界で境界線より先が隔離されており、床や壁を壊して強引に進むことも不可能になっていた。
「凶悪な存在規模の異界常識。現実よりも現実的な固有結界展開による同化型の結界ね。これの所為で壁に罅一つ入れられない訳か。壊すには物理でブン殴るでも、神秘でブッ潰すでもなく、運営法則を歪めないと駄目。
なら―――……あれ、私の魔眼でも法則を見抜けない。
神話由来の神秘なら分かり易いけど……これ、魔法でもないじゃない。固有結界っぽい何か……伝承由来でもないし、上位者の悪夢でもなく……いや、これだと全部混ぜたのかしら?」
「俺に聞かれても……まぁ、何となくですが夢っぽい感じはしますね」
「夢っぽいか。私もそんな感じだから、認識を歪めてるのは確か。星が此処を観測して現実を定めるけど、世界を騙して現実改竄する幻術なら……でもこの固有結界はその領域外の神秘だろうし……脳にも干渉されて、星も干渉されて、主観と客観の両方でヤラれてはいる。となると、未来視も過去視も出来ない事を考え、世界の外側の根源より内側の此処も見れなくしてる事にもなる。
それは完全無欠の絶対隔離。
同時、脱出不可能の虚空獄。
入れさせないのと同じく、出れないようにもしているのが正解」
啓蒙。その能力の一つ、無知故に見えない物を視覚化する力。暗黒より光を見抜く眼力であり、脳で感じ取る洞察力。
それを深化させた廃炉の魔眼を持つ今の所長は、あらゆる情報を視覚で捉える為、可視波長域が極端に肥大化してしまい、人間の脳だと暗い宇宙にしか見えない空が、光に満ちた極彩色の世界に見える。太陽が浮かばない夜空となれば、天全てが極光の点で塗り潰され、地球に届く全ての星光を認識する。それは、仰ぎ見る星の魂を観測している事を意味し、彼女自身の瞳が人類文明を遥かに越えた天文台のレンズとなり、外宇宙に嘗て存在した星の光さえも時間を遡って観測する。
其れ故、星が輝く空は視野を深めれば、闇を照らす火に満ちているのだと気が付く。最初の星が生まれ、爆散して魂が宿る物質が広がった後の宇宙は、数千億の星が集まる銀河が数兆も存在し、それだけの魂が星となって螺旋状に回り続けている。所長の脳の中にある宇宙は、その螺旋する星雲も模されている。
となれば、この星のソウルを知覚するのも容易く、千里眼の真似事は灰達同様に可能。空を見る目を一つの星の中に存在する特異点内部の建物へ焦点を絞り、魂を舐め取るように凝視した。
「―――地下実験棟の底、廃棄孔があるわね」
「入口ですか?」
「違う、出口。産廃を捨てるゴミ捨て場ね。これだと下水道に下りてから、また上って実験棟に入らないといけない」
「下水道……この廃都市の地下をですか?」
思わず、藤丸は鼻を押さえる。多分そう言う区画だろうと思い、気が滅入る。
「貴方の予想通り、凄く臭いです」
「臭いっすか……」
「汚物溜まりね」
「魔術で嗅覚、潰しとかないと。マシュにお願います」
「オッケー。鼻を塞ぐだけだと意味ない魂に臭わせる腐臭だから、脳から機能不全を起こして、嗅ぐという概念を忘れさせないとね」
「そこまでの悪臭?」
「脳が狂う程に、ね」
「ある意味、一番の地獄な特異点だ」
「肯定。臭い下水沼は私も辛いです。
それじゃあ一旦、外に出ましょう。
道路で出入口になるマンホールがあったと思うから、其処から下りて大聖堂の真下にまで移動だわ」
「了解」
大聖堂から出る為、二人はまたエントランスへ向かう。地獄風景が消え、地下への通路が封鎖された所為か、教会狩人も鐘持ちもおらず、何の音もせず、生物の気配一つもなく、二人の足音と呼吸音だけが周りに鳴り響く。
コツコツ、と靴音がなる。近代化した大聖堂なので電灯が天井にあるが、灯りはなく、異界化が解除されたことで発光菌類も消え、周囲は真っ暗だった。
「久方ぶりだな、星見の狩人」
気配無く、存在感も無く、所長は背後より声を掛けられた。発声は空気を音速で伝播して耳に入り、脳へ情報が伝わる為、狩人で在る所長の感覚機能は声を音と認識する前に脳で音を理解する。銃弾を認識すれば即座に発砲音も知る様、物理法則を超えた認識能力を脳が持つのに、声を知る前に音が聞こえた矛盾しない矛盾。
脳の瞳で世界を観る視界。
それが機能しない相手と思考すれば、所長は自然と誰が居るのか自前の人間的思考で察する事が出来た。
「あらヤだ、悪魔殺し……あれ、ダイモン?
前は見えなかっけど、今は貴方のソウルに名付けられた印が見える。本当にそれ、魂の髄から名前にしてるのね」
騎士甲冑姿の男―――悪魔殺しの悪魔、デーモンスレイヤー。彼は礼節を特に意味も無い域まで極め尽くし、どのような王宮だろうと綺麗過ぎて相応しくないと相手の魂に精神的重圧を与える美しい一礼を行い、一瞬で藤丸から戦意を捥ぎ取った。これを否定すれば英霊の高潔さを踏み躙るのと同じだと、思わず錯覚させる程の一礼であった。
尤も逆に所長は、銃弾を命中させて悪魔の体幹を崩し、内臓を素手で攻撃したくなる誘惑を抑えるのに必死であった。悪魔殺しが誇りを失くした元騎士であり、だがやはり人間から進化した新人類種に過ぎず、人間ごっこを愉しむ自己陶酔好き人間だと所長は理解しており、それもまた灰の人間性で取り戻した矜持もどきだと見抜いていた。何せ、所長自身の人間性も同類に過ぎない故、血と魂に酔わずにはいられない。
その困惑と殺意を悪魔は察し、騎士兜の中で微笑む。幼い聖者を殺害した事で精神が消耗した所長と藤丸の二人には心に澱が溜まり、殺し合いが凄まじく億劫に感じている筈だが、悪魔が関心する程、心構えは完璧である。
「悪魔殺しは私以外にも存在する。平行世界の数だけ、貴公が偏在するようにな。故、ダイモンの個体名は魂に沁みるのさ。
さて、立ち話はそこそこだ。
腰を入れ、本格的な世間話を始める。
廃炉の魔眼に深化した今の貴公が我が名を見抜く様、世界より因果が隠され、未来視では見えぬ暗い未来を見抜ける様になったと思われる」
「そうだけど……何、突然?」
「そこに食堂がある。貴公が良ければ、話をしよう」
「良いよ。時間は………ま、凄くある。
どうせ、貴方達の計画って、私達待ちみたいだもの」
「ふむ。聡明で助かる。
藤丸、貴公も宜しいかな?」
「好きにして下さい。その話、俺にも必要なのでしょう?」
「そうだな……まぁ、そうなると思う。
人理保証とは関わりはないが、人の魂については重要だろう。貴公も人間であるならば傾聴に意味は生まれ、無関係でいるのは楽だが、それは他者の欺瞞を己の運命とする無知蒙昧となる」
ガシャンガシャン、と金属と金属が当たる騎士甲冑の金属音が鳴る。着替えれば、この雑音を消して隠密行動をする必要もないが、悪魔は己が人間性の象徴として騎士鎧を戦場での普段着にし、二人に姿を現した後は気にせず歩いている。
所長は左手に握る得物を銃火器から、血の岩で強化した獣狩りの松明を握る。獣化した市民に押し当てて焼き撲殺したり、聖杯地下墓で蕩けた腐肉を焼殺したりと手軽に便利な武器だが、今回は純粋に松明として使っていた。
「で、所長……行きます?」
「行くわ。それと不意打ちとかするつもりないから、藤丸は私にまで注意を回す必要ないので」
「分かりました。なら大分、集中して相手に出来ます」
「私も相手を狩るより、命大事に作戦だからね」
松明で照らされてもまだ暗い廊下を二人は進む。悪魔の後ろ姿は視界にあり、音も五月蠅いので見失う事はないが、大聖堂のどんよりとした重圧的雰囲気は藤丸の正気をジワジワと蝕み、もう消えた筈の血肉沼の床や臓物壁を幻視し、天井が眼球星が光り輝く夜空に見えた。高次元暗黒より何かが自分を見詰める狂熱の視線を第六感で藤丸は覚えるが、それが何かは全く分からず、何故か車椅子に座る装束姿の男か女かも分からない人間の姿が脳裏に浮かぶ。
その背後、美しい人形が居る。空に何故か、人形が見える。
生気を宿さない綺麗な硝子玉の眼球。陶器みたいな肌と絹のような髪。狩人様、と綺麗な
『―――君、目覚め給えよ。
我が弟子の為、人類種の未来の為、悪魔殺しより魂の由来を知ると良い』
万分の一秒の間で見る白昼夢。藤丸は目覚め、幻視も消え、だが何一つ夢を忘れずに歩き続ける。
「あぁ何だ、夢か……」
背中の
「あの狩人……藤丸、余りその夢は意識しない方が良いわ。気が狂っても正気を失えない地獄、落ちたくはないでしょう?」
「……はい。そうですね」
だが状況全てを正しく理解する悪魔は、人間としての御節介からか助言を行う。
「しかし星見の狩人、それこそが死の無い永劫を始める第一歩だ。戦闘型素体のキリエライトの記録には、生きた英霊として時間帯に囚われて現象化した平行世界のソウルも使われている。
もし、そのキリエライトも含め、この特異点のキリエライトを濃霧より解き放つのであれば、彼にも狂気を理解する高次元思考力が必要となる」
「悪魔殺し、貴方は黙ってなさい。話は食堂でするのでしょう?」
「そうだな。素面で話し込んでも価値はないか。血にも魂にも酔えぬなら、せめて酒でも飲まねば愉しめない。
何より岐路の選択は、自由な魂で決めねば運命ではない。私の人間性で彼の因果を歪めれば、我が意志が欺瞞へ落ちる。
生前の人間性をこの特異点で取り戻したのだ。せめて人間ごっこ遊び程度は愉しみ尽くさねば、関わりの無い人類種の未来を守る価値さえ喪われる」
「そう言う事。道理を失った訳じゃないんだから、人の感情は放っときなさい」
「分かった。では先に進もう」
獣狩りの松明をシッシッと背後で振う所長を見ずに把握し、悪魔は愉し気な気配を隠さず歩き始める。こうまで人間そのものが愉しいのは古い獣の濃霧から人の世を救う為、自分の人間性をデモンズソウルに捧げて以来だと悟り、自分もまた人間だったソウルだと悪魔は実感する。
そんな悪魔の心情と感応する所長は、台所で蜚蠊を見た綺麗好きな主婦と似た表情となり、嫌悪感で背後から教会砲を撃ち込みたい殺意を抑え込んだ。悪魔は人間でしかないが、神域を踏破した人外なのは確かであり、この葦名特異点で人間遊びをする怪人となり、ある意味で人間らしい悪性を人類史より得ていた。
「……腹立つ、所詮は不死。此処で殺しても私の自己満足か」
「我慢は必要ですよ、所長」
「分かってるわよ」
湧き出る感情全てを理知的に制御された人間性で魂を愉しませる娯楽的思索。自分がカルデア所長をしている意味と、悪魔殺しが古い獣より人類種を救う意味が同じなのが――――嫌いで、好き。
この矛盾こそ人間性だと分かった上で、誰も彼もが同じ不死だとも分かる。どいつもこいつも殺し尽くし、遺志を簒奪し、自分の脳細胞へ取り込みたい欲求に襲われる。殺して奪えば、皆が理解者となる。
「あら。本当に食堂だわ」
「そっすね。普通の食堂っぽいです」
生活区画。医療教会大聖堂下層部、治癒者食堂。悪魔に後ろから続き、藤丸と所長は食堂へ入る。元々は医療教会職務従事者の無料社員食堂であったが、ローレンスが作成した聖女による汎人類史の善悪を彼岸より人間性で区分けした天国と地獄の異界常識で、食糧供給能力が機能不全を起こしてはいたものの、その固有結界は消失した。
とは言え、現実世界が心象風景から目覚めたのは遂先程。一時間もせずに食堂職員が戻る訳も無く、利用者に食事を用意出来る筈が無い。だが夢より覚めたのは現実だけではなく、地獄へ眠り落ちていた社員も同時に目覚め、脳へ
「へいへい、らっしゃい。三名……四名様で?
客が入るのは地獄に落ちてからでして、久しぶりだ。少し時間が掛りますが、宜しい?」
「あぁ。そちらの事情も分かっている……ふむ、確か食券制だったな。選んで来よう」
「おねげぇしやす」
「貴公等、此処は私の奢りだ。好きな席に座り給えよ」
「オッケー、高くて美味いのね」
「ゴチになります!」
「勢いが若くて良いな」
セルフサービスのコップ置き場から、水入りピッチャーと四人分のグラスを所長が持ち運ぶ。藤丸は隣の机の上に四肢欠損したマシュを寝かせ、枕と毛布をどうするかと周囲を見回すが丁度良い物がなく、自分の服でも脱ごうかと思った所で、水を置いた所長が脳内異空間より狩り装束の外套を二つ取り出した。一つは丸めて枕代わりにし、もう一つの手に持つ外套をそのまま毛布としてマシュに掛けた。
安らかな顔をするマシュの頬を手の甲で所長は撫で、体温と肌の感触を調べる。一応は命に別条はないので、今は安静状態を維持するのが一番だと判断。そして四肢再生の蘇生儀式は、魔法陣を描き易い場所を見付けた後にしようと考えた。
「すみません。ありがとうございます」
「いえいえ。じゃ、座りましょう」
「はい」
着席直後、グイと水を藤丸は一気呑み。実に美味い。敵地にある物を飲食する事に抵抗感はあり、血腥い大聖堂の食事は衛生管理を疑念に感じるも、所長が止めないのなら問題無いのだろうと全幅の信頼を彼はする。所長も水を飲み始めており、肘を机に着いて顎を掌に置き、焦点が合わない胡乱気な瞳で眠るマシュを静かに見詰めていた。
「クローン……で、良いんですよね」
「躰はね。魂もそうだけど、記憶は本物。精神は……むぅ、どうなんだろう?
被造物とは言えば被造物だけど、その記憶を持つと仮定したマシュと全く同一の精神性を持つから、本物と言えば本物だし、偽物と思えば偽物。何者にも変貌する灰共の人間性も素材にされてるから、間違いはないんでしょうけど」
「何で、マシュの複製品を沢山?」
「デモンズソウルは濃霧に戻った後、古い獣へ還るからね。マシュの人間性を古い獣に刻むのが有益なんでしょう。
ま、巫女代わりよ。贄のね。
あれをどうするか考えた場合、この手段が一番成功率が高いし、実行し易い。倫理に反するけど、人の魂を捧げないセルフ生贄システムはイレギュラーが起こり難い上、起きたとしても殺せば問題ないし、ちゃんと殺して還すのが目的だから根本からして間違いは起こらない」
「――――狂ってる」
「糞共よ。昔に生きるしかない魔術師と違い、犠牲にする為に自分達で生贄を作って捧げるのが、現行社会の大量生産と大量消費を参考にしてるのが丸分かり。効率重視過ぎて皮肉をスパイスに効かせてるわ。
気分は、機械化された最近畜産施設の屠殺師。
無心で如何に効率良く、誰よりも巧く、利益を上げるか専心する職人でしょう」
死んだ目で狂気を嫌悪する藤丸に、所長は無表情でボソボソと呟く。その時、脳神経を興奮状態にする匂いが嗅覚を刺激し、悪魔が甲冑をガシャガシャ鳴らしながら近付いていた。
「貴公ら、鍋にした。漁村が豊作らしく、今は魚介類が良いらしい。黒毛の葦名牛で作るすき焼きも此処は素晴らしいが、シェフがシーフードを薦めるならばと此方にした。
何でも聖職者共は、痛風鍋と呼んでいるそうだ。
材料は知らぬが、普段は食えぬ贅沢品を詰め込んで煮ているのだろう」
「痛風鍋……―――痛風鍋?
え、何で通風鍋。駄目だ、何処からか魔術干渉を受けてる方が可能性がある!」
「あら、美味しそう。海鮮は好きよ、私」
「私も好きだ」
悪魔が紳士な声で告白し、食事をするために騎士兜を外す。
「何より、我がソウルはポン酢を愛する心を得た。鍋とポン酢に出会えた感動は、私に食の素晴らしさと罪深さを啓蒙した。しかし藤丸、貴公はそこのシールダーのデーモンが気になり、食事にも対話にも集中出来ないだろう。
―――どうだろう、これでこのデーモンは癒えたことだ」
呪文もなく、祈祷もなく、手の動きさえない。一切の予備動作も、魔力の波動もなく、悪魔殺しの悪魔は魂でソウルを認識するだけの接触でマシュに干渉し、容易く霊体ごと四肢を蘇生させた。
「魂の蘇生ね。神の奇跡をアンバサアンバサありがとうって、言っておこうかしら?」
「人の奇跡さ、アンバサ。それと、どう致しましてと言っておく。
私からすれば、死者の蘇生程度は容易い神秘だ。人間、長く生きれば神に求める奇跡など消え、神の御業は人の業の一部分でしかない事に気が付く」
無駄に整った中性的な美貌で笑みを作り、悪魔は所長から藤丸へ視線を移す。
「貴公、これで救われたかね?」
「勿論。救われました……マシュも、俺も」
「ふむ。その顔、理解した様だ。人命を死の運命から救う程度の奇跡は、こんな程度の感動でしかない。死人を生者と為す神秘を自在にしても、私は魂を救えても、誰の心も救えなかったのだ。
しかし、救われた者はこの業に感謝するしかない。良かったと喜ばなければ、今を生きる希望の否定となる。救うことも、救われた者の未来にも、悪魔でしかない私が何一つ関心がなくともな」
「それ程まで自分の魂を究めたのに、何で?」
「答えは、灰が私に啓蒙した人間性にこそある。デモンズソウルと化した我が魂魄が、ダイモンの銘を手に入れた理由でもある。
故に貴公、苦しみ悶え給え。
憎悪を越えた先にある人間への諦観を踏み躙った後、人間は永遠を苦しみ続け、永劫を生きる権利を獲得する。貴公が死のうとも、貴公のソウルは自我を保った儘に存在するだろう」
「貴方が、蘇らせるのですか?」
「貴公自身が、人間として無限に蘇るのさ。人間なら誰でも出来る簡単な神秘だ。魔術回路も不要だとも。
人が、人により、人となる。
この特異点は人域の最果てと化した故」
悪寒。ゲーティアを前にした時とは質が異なる恐怖。藤丸は悪魔殺しの悪魔が人間であり、ヒトの全てを知った上で悪性を慈しみ、善性を尊び、混沌を愛する真人間だと悟ってしまった。
永遠―――即ち、終わらない白昼夢。
死の無い人は、あらゆる不死を終わらせる慈悲の念を持ち、もはや死ねぬ自分を憐れむことさえ不可能となる。
「じゃあ、マシュは……?」
「このデーモンは人に非ず。私と違い、還るべき故郷があるソウルだよ。人間は救われぬが、彼女は火防女と同じく人外で在る為、まだ救われる余地がある。
何、安心し給え。デモンズソウルは全て私が喰らい尽くす。この特異点の後始末を私が行うのは確定している因果だ。オルガマリーや私と灰共は永劫に苦しむ未来しかないが、我が魂により、彼女は自意識が消滅出来る終わりが用意されている。
古い獣は、己の眷属には関心を示す。
獣の巫女として生まれ、人に苦しみ、そして死ぬ彼女達を、古い獣は自分の娘として憐憫を抱くことだろう。それを為す人間に対し、獣に還ったキリエライト達の遺志を知り、やがて人を知るだろう。
その為に、あの灰はキリエライトと言う人間性を獣へ捧げているのさ」
「そう言うの、見れば分かる。次よ次。有益じゃなければ、殺して脳から情報を取るわ」
「乱暴者だ。貴公、立派なヤーナム野郎だよ」
「―――……は?
意識がトブ程の暴言、吐かなかった?」
「いや、別に。今は鍋。そう、鍋の時間だ」
やはり人間の女はデーモンより怖いと悪魔は悟り、鮟鱇の肝をポン酢に付けて一口。旨いと喉で唸り、また一口。
「貴公等も食し給え。これより先、下水路に潜るとなれば、休憩する環境ではなく、食事などする気にもなれぬだろう」
「貴方があの異界に、孔を穿ってくれれば早いけど?」
「断る。何事も順序がある。近道は探索の愉しみを奪う故。
何より下水路は糞呪の灰が住まう場所だ。貴公達二人が下りる理由を私が奪ったと知られると、顔面に糞団子を当てられてしまう。
私も、人糞塗れになるのは気色が悪い。それもソウルで食した魂を内側で消化し、穴より排泄し、その残り滓たる魂を物質化したとなれば、魂魄の髄まで腐臭が染みる」
「貴方が食事に誘ったのに、食事中にクソの話?
ブッチギリでマナー違反にも程がある話題すぎない?」
「ほう。貴公、人間の女らしい拘りだ。糞の溜まる臓物を愛する狩人らしくないが……成程、人間性を維持する為の様式美か。
ある意味、俗物を演じる知性こそ、人へ拘る狩人らしい獣性への抗いとも言える。
それは殺しの浪漫を愛する我等と同じだ。人間だからこそ、人間の殺し方を愛する様、人との多種多様な接し方で人を愛せる自分を愛する」
「まぁ、そうだけど。この悪感情も、自意識が高次元思考者へ変態するのを防ぐのに必要な感動ですので」
「元の人間性を保った儘に、脳だけを進化させたいとは、欲張りな女だな。
貴公、既に狂気さえ飽きたと見える」
「飽きても楽しいのよ?
あるいは、罪を飽きる何て許されないのかも」
「同胞と理解した。では、問題ないと断じよう」
所長は形容し難い貝の具と共に奇っ怪な形の茸を鍋から取り別け、自分の小皿に入れ、ポン酢に浸した後に食べる。味良し、食感良し、啓蒙良しの三瓢子だった。
出汁の良く出る乾燥茸と、牡蠣の様な何かの貝類だと思いたいが、藤丸は恐怖心に比例して抗い難い食欲に脳髄が冒され、食べずにはいられなかった。
「藤丸立香、貴公はキリエライトが好きか?」
「はぐはぐ、うん……――うん?」
「愛しているか?」
「まぁ、はい。そうですね」
話の意図は分らないが、嘘は吐かない方が良いと判断。自分を命懸けで守ろうとする少女を好ましく思わない訳もなく、彼は戦友として、友達として、人間として、女としてもマシュのことが好きである。
それはそれとして、行き成り何言ってんだコイツとは思うので、悪魔に対する返答は実に雑であったが。
「ならば、貴公にとってキリエライトが消費されるこの特異点は地獄と言える。だがカルデアがマシュ・キリエライトを生成した後、シールダーと言う生贄へ作り直し、魔神の獣を討滅した。そうして人代を救った様、此処もまた同じ。灰は贄の作法を真似、人類種を獣より救う善行を犯さんとする。
尤も、そこまでの罪を背負ってまで、私は貴公等の世に価値を見出していない。古い獣の咎は要人にあり、剪定事象と言う人理の機能が惰弱過ぎる故、あの獣は世界ごと消えなかった。選択を否定する手段を選んだ人そのものが獣に勝てず、弱肉強食の理によって滅びるだけのこと」
「じゃあ、マシュを犠牲にするのは仕方なかったって?」
「キリエライト以外でも良かった。獣の巫女に成り得ぬ我々、消え損ないの不死でなければ、誰でも。藤丸、貴公でも。
しかし、灰はキリエライトのソウルを選んだ。
贄として以外の、人類種を守る手段としてな。
ならば、尊厳を冒涜される魂はひとつで良い。
何より、此処には貴公が来る。その因果によって、キリエライトが贄となる運命が選ばれた。キリエライトで在らねば、彼女が人間によって犯されなければ、汎人類史がこれまで紡いだ物語が消えて無くなる定めとなった。
即ち、貴公がこの特異点に来なければ、貴公が獣より救った人理も、古い獣によって消える定めでもあるのだよ。
故、貴公に選択を残す為でも在る。
そも、我々は救えず、滅ぼすのみ。
自分が生まれた故郷であるならば、貴公が自分で救い給え。その価値を信じるのならば、我々がこの特異点で用意した思索を踏み躙り、自分の願う未来を勝ち取るしかあるまい」
偽善であり、且つ偽悪的な発破でもある。悪魔に善意はなく、人間を愛していない。人間性に期待すらなく、未来自体に興味も無い。藤丸立香個人に対する肩入れに過ぎず、藤丸が守る人理の世など塵とすら感じられない無の所感だ。
だが――一人のデーモンが、人の世を守ろうとした。
獣を眠らせ、人間を濃霧から救おうとした女が居た。
悪魔は好きな女が守ろうとしたモノを今も尚、形振り構わず守り続けている。恐らくは、それが悪魔が有する人間性であり、愛の形。その女を永遠の牢獄から救う為に自分のソウルで殺した上で、彼は贖罪の旅を永遠に彷徨うのだと悟っていた。
「良く言うわ、デーモンスレイヤー」
悪魔が所長の心を見抜き、慈しむ様、所長もまた永遠に辿り着いた悪魔の愛を脳で直視し、羨ましく思う。
「そもそもな話、剪定事象が無意味な獣から、ずっと人類を護っていたのは貴方自身。
それに獣が撒き散らした濃霧が平行世界全てに拡散して、あらゆる霊子記録固定帯が消える筈だったのに、貴方はソウルの霧を一つの世界に封じ込めた」
「……その末路が、あの灰達だ。
しかし、貴公も良く見る。我がソウルなぞ、気色悪いだけだと言うのに」
「別に、何とも。それより、続き」
「ふむ。結論、私は絵画世界をデモンズソウルが蕩けた血で描き、其処へ溢れた濃霧全てを注ぎ、古い獣の苗床探しの旅に出た。
霧の世界は恐らく、繰り返された。
その後は星見の狩人、貴公が見えた通りだろう」
「そうね。感謝はしてるわ」
「罪悪感より生じる意は無用。だがせめて、不死と成り果てる前の人間達は救われるとなれば、私が未来を選択した価値が生まれるのだろう。
過ちは、正した。この未来にも続いた。無意味では無かった。しかしまだ、最初の罪が終わらずに続いている。私は、私の責務を優先する」
「古い獣狩り……――悲願ね」
「故、ヤーナムは具現した。外側の宙から獣より始まった業は、また彼方の向こう側へ旅立つ為、悪夢が人へ齎される。獣を呼ぶ要人の古い神秘へ回帰し、外側のエーテルがまた流れ込み、やがてソウルの業も宙より見出されよう。
人理など所詮、儚き業。未来を決めるのは、今を生きる者。
私がそうで在った様に、灰もそう在り続けた様に……藤丸、貴公の諦めがこの世の終わり。人類種の運命は既に決定され、人類種の命運は貴公の意志の強さによってのみ、存続の是非が定められる」
「貴方が、それを俺に諭すのですね?」
「無論だ。手足が捥げ、仲間が死に絶え、如何なる絶望にも耐え、失意さえも忘れ、貴公は諦めぬ人間性を得て貰いたい。
あらゆる苦難が、貴公の心を練磨する試練となる。
どの英霊よりも尚、嘗ての何者かよりも尚、今この瞬間を生き抜く貴公こそ―――人間で在るのだと」
「人間であることが、誰よりも呪われてるって思う貴方が、藤丸に人間て在ることを望むのね」
「あぁ、そうだ。藤丸が呪われる程に、人間で在る程に、世界は救われる。
私は……下らないと思うが、今更だ。
滅ぼした所で、終わるだけだ。始めたのなら、あらゆる犠牲を払って今も続けるのなら、幾年先まで我がソウルにて見届けたいのさ。
との事で、我が立場はその程度の些末である。自棄にはならんので、安心して足掻き給え」
そう笑い、悪魔は鍋より煮込まれた魚貝類を鍋用取り箸で挟み、ポン酢の小皿に運ぶ。それを自分の箸でまた挟み、茶碗山盛りの葦名産日本米センポウツブに乗せ、ご飯ごと海鮮を食す。悪魔は無駄に日本の礼儀に精通し、貴族だった過去の人間性を葦名にて蘇らせ、彼は王侯貴族よりも優雅に日本食を食べる。
呆れた瞳で所長はその仕草を観測しつつ、話題を次に促す。
「―――で、本題は?」
「今までも本題だよ。貴公が既に知り得ていた真実だが、確認は大切な事だ。私と語り合う事で所感と思索が交わり、異なる解答への導きを見出すであろう。事実、そうであった。
しかし、貴公が知り得ぬ真実もある。今より知るべき事であり、知れば戻れぬ悪夢でもある。藤丸にとっても、それは知りたくなくとも、知るべき未来とも言える」
「前置きが長いわね。勿体振る意味がない」
「時間と言う資源が無限で在る故、仕方無し。暇潰しの長話を脱線させて延長させるのは趣味なのさ。
では、次の本題に入る。
――――我が脳を蝕し給え、星見の狩人。
現状、灰共の異界常識に貴公は無力極まる。固有結界を封じる手段がなくば、一人一人のソウルの心象風景に手間が掛る故」
「何、くれるの?」
「あぁ……仕方が無い事だ。貴公から業を探求する悦楽を簒奪する事にはなるが、私には時間の短縮こそ益となる。貴公は強く、時間と共に因り強くなるも、だがそれは灰共も同様。
無知とは、無力。
無力とは、無能。
無能とは、弱者。
如何なる力が在ろうとも、神の如き権能を至ろうと、歩みを止めた時、全ての者がそのどん詰まりへ至り終わる」
「分かってるわよ、その程度のこと」
「故、心苦しくは有る。貴公が愉しみ歩む折角の道程、それを踏破した先にある風景を教えるのは」
人の悪魔は聖人君子の笑みを浮かべ――――指を額に突き刺す。頭蓋骨を砕き抜け、指先が脳へ入り、大脳皮質に届く。そこにソウルを凝固させ、脳細胞が眼球を形成し、悪魔は頭蓋の裡に瞳を強引に生じさせた。
ぐちゅり、と生々しい怪音が鳴る。
悪魔の額より、ソウルの業が啓蒙された脳の瞳が生み出される。
しかし、それは瞳と言うよりかは緒だった。脳が出産する瞳の筋であり、思考の紐であり、悪魔の目の集合であった。
「これを食すと良い。
それと、この
右手に瞳、左手に獣。火を宿す廃炉の魔眼で所長は観測し、宇宙が根源より魂を生み出す理を悟る。
古い獣の神秘―――ソウルの業。
魂が求められる存在意義と、誕生理由。人も、神も、魔も、獣へ還るのが運命。
「感謝はしとく。灰狩りには必要だもの」
御守は左手首に巻き付ける。魔術師の触媒として究極と呼べる代物であり、魔法使いが作った魔術基盤にさえ
そして―――瞳を口に入れ、嚥下した。
デモンズソウルを得るよりも尚、冒涜的で直接的な啓蒙。超越的思索を超える暴虐的思考。
古い獣。それを呼ぶ理。魂を自在とする理。濃霧の法則。暗い魂の理。絵画世界の描き方。
「御馳走様でした」
「貴公、灰狩りを励み給え。葦名にて全ての者がそう望んでいる。あの灰共自身もな」
食事会は終わる。冒涜的な悪魔の悪夢は継がれ、遺志が星見の狩人へ流れ落ちる。
灰達に技巧で負けているのなら、せめて情報の質と量は並ばなければ勝ち目は無。
所長は自分で自分の因果律を脳で観測しつつ、悪魔より瞳を得られた幸運を必然として手繰り寄せ、好奇さえも充足させる未来を獲得したのであった。
―――――――<◉>―――――――
医療教会の外れ。下水路の入り口となるマンホールを外し、所長と藤丸の二人は教会下層の入り口を目指す為、地下道を進んでいた。藤丸はマシュクローンを背負うも重みを感じさせず、疲れた様子も無く歩いている。どうやら
かつんかつん、とコンクリートを進む足音。
稀に下水より蕩けて腐ったスライム状の元人間腐肉が襲ってくるも、所長が火炎放射機で焼殺する。天井に張り付いて待伏せする腐肉も事前に察知し、焼却処理している。
「汚物は消毒だ……ふふ、消毒です。凄く消毒です」
「所長、独り言で漏れてます」
「おっと、ごめん。人間の成れの果てに対して不謹慎だったわ」
火が効く生物にはやはり、コレだった。
血晶石で属性化した仕掛け武器や、爆発金槌も素晴しいが、狩人は拘りを偏屈に極める者であり、ジワリと焼き殺すのなら火炎放射機での死が美しい。それこそ所長が殺戮の中で人心を維持する為の様式美であり、自分が獣や眷属ではない人間だと深く実感する冒涜的自己認識でもある。
「―――腐肉焼きとは、実に関心する」
真正面の暗闇より、桁外れの悪寒。声の主の存在感は悪魔殺しに匹敵するも、冷徹な殺意と偏執な好奇を向けられる所為か、危険度は悪魔より遥かに高い。所長の第六感を麻痺させる程の殺気であり、並の精神力しかない人間を一睨みするだけで発狂死させる重圧である。
藤丸は、死を理解する。言葉が耳を通って脳に届くだけで、魂が震え上がる死だった。どんな英霊や神霊、あるいはビーストの宝具を向けられても心が折れずに戦い続ける藤丸の精神力を、世界の滅びを倒す程の強靭なる生きる意志を、声を掛けるだけで挫き壊す魂への冒涜だった。
「月光の簒奪者、ルドウイーク……―――馬鹿ね。
火を得た灰が、真に月明かりを理解する人間が、好んで自分のソウルにその名をラベルする何て」
「嫌悪の貌――――……君、美しいな。
あらゆる月が美しい様、ソウルを映す君の貌もまた多種多様に美しい」
灰が寄る。フードの暗闇で顔を隠しながら歩み近づき、だが月明かりの瞳が狂瀾する好奇心に光り輝く。
「しかし、酷い言葉だ。私はこの名を気に入っている。だからこそサーヴァントになる器を選んだ。
この特異点にて召喚者以外の全ての灰、キリエライト素体にソウルを入れて受肉した存在故、名こそ肉の定義となるのだよ」
「あっそう、ふぅん……で、待ち伏せ?」
「否。買い出しの帰りだとも」
「それだと偶然ですね。最悪」
「故、この出会いは運命とも言える」
そしてダークハンドの波動を纏った右手の上に糞団子が一つ、灰のソウルより出現する。悪臭が満ちる下水路の中でさえ、更なる生理的嫌悪感を嗅覚へ伝える極悪臭を揮発する汚物であった。
「人糞の買い溜めだよ。葦名にて糞団子は糞呪の簒奪者が作るのに限る。何より貴公等を糞塗れにするのが面白そうと思い、決戦前の買い物に洒落込だ後であり、且つ地上だと糞呪が求めるソウル量以上の値で糞団子は売れる。
確か、転売と言う行為だな。
許可を得てる為、仲卸でもあるが、個人売買でもある故な」
「何でそう、現代経済に染まって俗物的なのか……」
「我等、灰、元より俗物で在る事が有意なのさ。嘗て我々もまた不死ならざる定命の人間だったと言う過去を、人の社会性を楽しむ事で思い直せる。よって我々が錯覚していた限り在る人生、神が画策した自己保身と、創り上げた社会秩序を維持する為の欺瞞であったが、人間に命の温かさと言う幸福の楔を打ったのも真実。嘘には嘘の事実が隠れ潜むもの。
経済活動……――素晴しいではないか?
金を求め、富を求め、出身地が違うだけの同族を、信じる神が違うだけの同種を、異民族だからと殺すのが此処の人類種の社会性なのだろう?
この特異点が汎人類史に害と看做され、住民が殺されるのも同じ理による殺戮。それを否定するのは、違う宙の理で生まれた人間である私には出来ぬこと。君達がその悲劇を否定した時、私は心よりその未来を肯定するも、今の君達人類種では不可能な岐路の選択。だが殺戮を伴う縄張り争いは、君達の本能より生じる社会性の軋み。人間性を持つ故、人を克服しなければ解決出来ぬ悲劇であろう」
「成程。貴方からすれば汎人類史の悲劇、糞団子程度の悲劇ってだけね」
「ああ、そうなる。糞団子を作り、買い、人を殺すのと、国ぐるみで経済を廻し、兵器を大量生産して殺戮するのも本質は全く同じ話だ。
……全く、人より人を学ぶのは愉し過ぎる。
我が師、我が愛たる月光とは異なり、汚物が繁栄する為の美学が汎人類史には印されている。何より此処まで欺瞞に満ち溢れた醜さ、まるで君達こそが人を火の幻視で導く神のようではないか?
我々、不死が信仰するに値するソウルの尊さだ。
それは我が月光による導きを不要とする醜悪さ。
私では光に照らして事実を真実として、その曇った瞳に映る様、輪郭を明るみにする程度の手助けしか出来ないな」
「月と、月明かり。月光と、火の幻視。我が脳に啓蒙された新たなる希望の他に、汎人類史に価値を見出すソウルではない私ではあるが、意味を解する程度の感情を葦名にて得た。
臭い糞に過ぎぬ君達の社会を否定はせぬさ。
何せ我々の方も負けず劣らず、汚泥なる糞だった。
それを守る使命を背負う藤丸立香を憐れだと思うも、だが君はそう在らねば先の未来を生きる手段がないのも、より憐れであった」
月が導きとなる。藤丸のソウルに淡い筋が入り込む。
「どうだろうか……―――全てを救いたいとは思わぬか?
人理を不要とする人界を絵画に描き、幾度も人生に機会が与えられ、皆が不死となって永遠に生きる世を作ろうとは思わないか?」
「―――思わない」
「ほう……――何故だね?
生きて死に、根源と宇宙を行き来する輪廻を断たねば、根本より人は救われぬよ?」
「俺は、これで良いんです。生きて、生きて、死ぬまで生きて、最後は死ぬ。それで良いんだ」
「誰がそう在れと決めたと思う……―――この星だ。定命は、星の欺瞞だ。
我が月光ならば、星が産む神も、精霊も、意思も、全てを焼き払って人だけの摂理を作ろう。人理など人間には無用な枷であり、魂を人の型に縛り込む嘘でしかないと啓蒙されよう」
「でも、それじゃあ誰も終われない」
「あぁ、そうだ。人は永遠に歩み続けねばならない。死は甘えだ。進化を諦めてはならず、それを良しとした時、人は神となって今が至高だと錯覚する。
宇宙が滅んでも、生きる。終わり無く、ただ進む。
さすれば全ての人類が我が月を啓蒙される。宇宙が滅び、熱が消え去り、全てが冷却されて時間さえも停止した命無き暗黒。空間の概念が抹消された深海にして深淵の暗い海の宙」
藤丸を、暗い月が空へ誘う。
「私は、宙の終わりをまず人類種に知って欲しい。
不死にとって、その終わりさえも当たり前の日常風景に過ぎず、宇宙が幾度も輪廻しても月は月だ。人間は何者にも成り、だが永遠に人間なのだと理解して欲しい。
宙にて火、無くして、光を灯す意味。
故、自分を自分だと認識する己がソウルのみが現実である」
下水路が宇宙に産み変わる。月光灰が月となり、月世界が特異点を容易く侵食する。強靭にして絶対な灰達のソウルからすれば世界の修正力は余りにも惰弱が過ぎ、もはや魔力さえも消費せずに魂が具現した。
「啓蒙家気取りだ何て……―――老害め。
限りある命を全うする人間を誘惑するとは、下劣極まる嗜好ではないかしら?」
「言った筈だ、憐れに感じるのだと。私達が神に魂の在り方を歪められて命を得た様、この星で産まれた人類種もまた星に魂を歪められて今の命の在り方が正しいと錯覚している。
まずは真実を知り、現実に生きる。人理が見せる夢は所詮、星の空想。
その後、自分たる今のソウルを肯定するか、否定するか、選ぶ好機が与えられる」
月面の地面。星の夜空。虚空に亀裂が入り、月が具現する。月に居ながら、その月が空に浮かぶ。地面が発光し、罅割れた夜空に映る満月もまた明るみを増す。
―――月光。
太陽の光を反射させる月の光。彼の聖剣も同じく、火の光を宿して照らす月の輝き。暗黒の中で燃え上がる恒星の火こそ、天体に月光を宿らせる。
この宇宙全ての太陽に照らされ、聖剣は光る。
月光灰のソウルが観測した宙に浮ぶ光が集い、聖剣の刃が淡く灯る。もはや月光灰が魂より産んだ聖剣は、夜空に浮かぶ数多の太陽の火を反射する天体と化している。
「固有結界―――
君は我が月光の中、我が瞳で観測された宇宙全ての太陽で光る月下にて何が啓蒙されるのかな、星見のオルガマリー」
「勿論、こうします」
瞬間、月光月下の心象風景が消滅した。
「素晴しい……―――デモンズソウル、啓蒙されたのか」
「原初のソウルを前に、神秘は無価値です。貴方のソウルだって私と同じなのでしょう?」
「同意する。私が言った通り、月も所詮、月だとも。確かなるは刃であり、業であり、心とは魂である。異界常識など、現実と同じで脆いもの。霧に曇れば容易く融け消える」
「貴方の無駄話、長い前振りでした。でも、聞く価値があるのも分かっていました。
―――魂で以て全ての神秘を否定する。
私の異界常識が否定される様、私も貴方の世界を拒絶する」
所長が為した獣の業―――反魔法領域。名の通り、魔法に反する魔術。
エーテルによるソウルの魔術を封じる為の神秘ではあるが、根源で産まれた魂が根源より発生した神秘を封じる効果もあり、魔力消費の一切を許さない。
「では此処より先、問題はないだろう。病み村を治める糞呪の灰が保有する固有結界は、酷い汚泥の毒沼でなぁ……だが対処出来るのなら超えられる事だろう。火力上げが胆となる我が固有結界の方が、あれの世界の比較すれば人間に優しい部類となる。
あの悪魔殺しが先見しているのなら、奴の悦楽で君が糞塗れになっても、余り支障はなかろう」
「分かった分かった。じゃ、もう良いでしょう。ほら、帰って」
「あぁ、帰るさ。まだ月を浮ばせる時間ではない故」
そして何事も無かったように、月光灰は過ぎ去って行った。篝火で空間転移すれば早いと言うのに、彼ないし彼女は散歩が趣味なのか、この悪臭が満ちる下水路すら散歩道として愉しむのだろう。事実、こうして買い出しの散歩途中で世間話も楽しむかのように所長と藤丸と邂逅して対話し、楽しむだけ楽しんで勝手に帰宅していった。
「何だったのでしょうか、所長?」
「ただの一般通過した火の簒奪者よ。ま、運が悪かったようで、私は試し運転が出来て運が良かったとも言えます」
とは言え、まだ世界を塗り潰す固有結界の否定程度が所長では限界。現実に侵食して固定された異界常識を引き剥がす程の強制力はなく、濃霧で融けて拡散した世界を現実に戻す程の神秘性はない。
業を自在とするには鍛錬が必要だ。灰共との連戦がきっと彼女を練磨する。
所長は敵の計画通りに自分が強くされるのを嫌悪しつつ、しかし強くなり続けなければ停滞によって今が無価値になるのも理解し、終わりの無い暗闇を歩き続けるしかなかった。
読んで頂きありがとうございました。
最近は梅雨の時期な所為か、リムベルトだと豪雨に襲われて死んでいます。雨宿り出来る筈の坑道で雨に打たれる時の絶望感がフロム式梅雨入りシーズンだと思うこの頃。