赫灼の髪、額の痣のような傷跡、隊服の上に市松柄の羽織。
隠に背負われやってきた、鬼を庇い、匿っていたというその隊士を見て、「ああ、もう来たのか」と思った。
その物語を読んだのはもう随分昔だ。僕が生まれるより前で、私が死ぬより少し前だった。赤子の頃に自分の立場に困惑しながら懸命に思いだしたものの、あらすじ程度しか思いだすことはできなかった。
鬼を庇った隊士、と聞いた時点で思いだしても良さそうな物だったけれど、毎日必死ですっかり忘れてしまっていた。常日頃、思い起こすのは"彼"のことばかりだったので、仕方がないという事にしよう。
彼が主人公であったところで、僕のやることは変わりない。起こされた少年に胡蝶さんが声をかけたところで、口を開く。
「裁判の必要がなさそうなほど明確な隊律違反ですが……困りましたね、鬼を匿った隊士への罰則というのは、例が無さ過ぎて罰則の規定さえありませんよ」
「ならば今決める他ないだろう。鬼諸共斬首でどうだ。俺が派手に頚を斬ってやろう」
「貴方ホントそればっかりですね」
呆れる程に芯が通っている。本当に元忍なのだろうか。個性が強すぎる。
柱合会議に出たり柱が集まる度いつも思うが、柱は個性が強くなければいけないという決まりでもあるのか?癒しの甘露寺さんも、涙を流しながら数珠を鳴らす悲鳴嶼さんも、ぼんやり空を見ている時透君も、松の上からネチネチと嫌味を言う伊黒さんも、宇随さんの言葉を借りるなら『派手』だ。
胡蝶さんも見目麗しいしとやかな女性の様でいて、中々強かだし、冨岡さんは寡黙すぎて感情がわからない。
因みにここにいない不死川さんは論外だ。個性が立つ云々の前に怖い。柱じゃなかったら近寄ることさえ遠慮していた。人一倍鬼を嫌っている節がある不死川さんがここに来たら間違いなく場が荒れるだろう。
そうなると、結構な確率でこっちに流れ玉が来る。当たり散らされても怒りを露わにしないからと、暗黙の了解の様に宥め役を任されがちなのだ。嫌だなあ、と思っていると、少年の弁明が始まった。
「……俺の妹は鬼になりました。だけど人を喰ったことはないんです。今までも、これからも、人を傷つけることは絶対にしません」
希望的観測だな。そう思わざるを得ない。彼と、彼の妹は僕の知る物語で主役だったが、僕の現状からしても物語の流れは決して彼らを信じる根拠にはならない。
鬼は人を喰らう。そういうどうしようもない欲がある。親類が鬼になったと信じられず庇おうとして、そのまま喰われかけた人も任務で見たことがある。その人は結局亡くなってしまい、僕にいっそうの無力感を植え付けた。
例え今喰わなかったところで、いつ欲に負けるかわからない。危険因子をそのまま捨て置いて、被害を受けてから処断するのでは遅すぎる。上に立つものとして、少年はさておき鬼の娘の頚は危機管理として斬って置きたいところはある。
だが、一つ懸念があるとすれば。
「あのぉ、でも疑問があるんですけど……。お館様が、この事を把握してないとは思えないです。勝手に処分しちゃっていいんでしょうか?」
「そう、それだ。甘露寺さんは良く気が付くね、ありがとう」
「いっ、いえ、そんな……うふ」
照れる甘露寺さんの頭をぽんぽんと撫でる。この際伊黒さんの方には目を向けないのがコツだ。多分今怖い顔をしているだろう。一応兄貴分の特権として許容してほしい。
見下ろした、地に伏してこちらを見上げる少年の目もまた赫灼だ。羨ましいくらいに鮮やかで、美しい。僕の欲しい色が、生命の力強さを持って輝いている。
「い、妹は俺と一緒に戦えます!鬼殺隊として、人を守るために……」
「君の意見は今は重要じゃない。静かに処断を待ちなさい。傷に響くよ」
「そんな……!」
「お館様のご意志に反するような事があってはいけない。何か我々では至らないような深いお考えがあるやもしれません。鬼は隔離してある様ですし、一旦お館様のお越しを……」
「――その隔離された鬼ってぇのはこいつかァ?」
……待ちたかったんだけどなあ。
鬼の気配がする箱を手に現れた不死川さんに、僕は思わず息を吐く。本当、血の気が多くて勝手な人だ。
柱、本当に個性濃い。
柱合会議は、やはり疲れる事ばかりだ。
不死川さんは裁判で流した血も何のそのという勢いで、普段通りの血の気の多さ。想定通りに元々仲が良くない、言葉足らずの冨岡さんに突っかかって、いつも通りに僕が緩衝剤代わりにされ、ついでに凄く罵られた。便乗して伊黒さんも嫌味言ってくるし、本当に散々だ。
時透君はお館様が話す時以外ぼうっとしてるし、悲鳴嶼さんはいつも悲劇的。胡蝶さんは腹の底を見せず、宇髄さんは本当に終始派手。
癒されるのは甘露寺さんだけだよ、本当。基本的に分かりやすくて素直だもの。あの子は人の良いところを見つけるのが得意だから、いつだって人に好意的で、極端に人を嫌ったりする事が余りない。話しているととても心が安らぐんだよね。
まあ、一番ホッとするのはやっぱり家に帰った時なんだけど。早く用事を済ませて家に帰ろう。今日から柱合会議だと言う事は知らせてあるから、きっと弟が首を長くして待っているだろう。
「さて、確かこの部屋だな」
少女達に聞いてやってきた部屋の戸を開く。幾つか並んだ寝台にそれぞれ寝ている者がいて、その内此方を見たのは先程も見た色の瞳だった。
「おや、また会ったね」
「あ!さっきの……」
「えっ、何誰!?誰このべらぼうに強そうな音がする人!?炭治郎の知り合い!?」
「? 煩かったかな?ごめんね」
そんなに強く戸を開けたりした覚えはないけどな。首を傾げながら言うと、妙に服の袖が余った金髪の少年は「アッハイ」と言って布団の中に縮こまっていった。
うん、怖がりなのかな。他の柱より威圧感はないつもりなんだけど。
「あの、何か……?」
「嗚呼、君の事じゃないんだよ。えっと……何という名前だったかな。獣の呼吸というのを使う隊士に話を聞こうと思って来たんだけど」
ここに居るかな、というと、目線が一か所に集まっていった。釣られてそちらを見て、思わずギョッとする。
えっ……猪じゃん……。顔が猪で体が人っぽい。どうしたの、血鬼術?と思ったけど、隠の人から聞いたところではこの少年(?)が向かったのは赫灼の少年達と同じ那田蜘蛛山だ。
じゃあこの顔は自前なのか……よく見たら目に光がないから被り物か何かなんだろうけど、不思議な子みたいだな。そろそろと近寄って、軽く会釈する。
「はじめまして。君が獣の呼吸の子?」
「ソウダヨ」
「おや……もしかして喉を悪くしてる?」
「ウン……オレ、ヨワクッテ……」
何やら自信を喪失しているらしい。しかし、病衣の上からも分かる体つきは、彼がよく鍛えている事を示している。
彼等は直近の選抜で隊士になった新人だと聞いている。それで下弦の鬼がいる山で生き残ったのだから、卑下するほどの実力ではないはずだ。
「いいや、君は弱くないよ。癸の隊士が十二鬼月との戦いで生き残るのは稀な事だ。君が生き残れたのは、ひとえに君が良く鍛錬して来たからだよ」
「デモ……オレ、クビ、キレナカッタ」
「今回斬れなくても、次には斬ろう。次が駄目でも、その次だ。決して諦めず生き延びさえすれば、誰かがそれを継いでくれるし、自分にも次がある。勿論次までに努力はしなければならないが、君はそれが出来る子だ」
そっと手を取って、掌を見る。無骨な少年の手だ。普通に剣術を修めた者とは少し違うが、その手にはマメの跡や細かな傷がある。
「硬くて良い手だ。戦う者の証だ。君の手は、これからもっと強くなる者の手だね」
「……ツヨク……」
「自分を信じなさい。そして励みなさい。今日の悔しさを糧に進むんだ。その為に、しっかり休んで傷を治すんだよ」
良いね、と聞くと、被り物が小さく動いた。多分頷いたんだろう。そういう事にしておく。
微笑んで、ちょっと迷ってから被り物を撫でた。あっこれ本物の猪頭だな。野生の物だと思う。毛並みが結構ごわついてる。
しかし、喉を痛めてるとあってはすぐの聴取はやめておいた方がいいだろう。患者に無理をさせては胡蝶さんに怒られてしまう。
「喉が良くなった頃にもう一度来るよ。その時、君の呼吸の事を聞かせてくれるとありがたい。僕は呼吸の研究をしているんだ」
「呼吸の……研究?」
何故か反応を見せた少年を一度見やるが、取り敢えず名乗っておかなければなるまい。このままでは急に来て励まして、呼吸の話を強請るただの怪人物だ。
「僕は
――未熟者ながら、炎柱を名乗らせて頂いている」
「あら、煉獄さん。お怪我でもされました?」
「胡蝶さん。いえ、呼吸の件ですよ」
蝶屋敷を出るところで、胡蝶さんと会った。
一言言えば、納得して彼女は頷く。呼吸を研究するにあたって医療分野からの見解が欲しい事もある。その際に胡蝶さんには良く力添えを貰っていた。
「ああ、確か嘴平君が使う呼吸が独自の物でしたね」
「ええ。喉を痛めてるようなので、また治った頃に伺います」
「そうしてください。機能回復訓練を始める頃になったら鴉で連絡しますから」
「ありがとうございます」
和やかなやりとりで済んでよかった。胡蝶さんは時々微笑みながら滅茶苦茶に怒っている時があるが、今日のところは大丈夫だろう。いつだったか、時透君が自分の怪我の具合を忘れてさっさといなくなってしまった時に居合わせて、言外に迸る怒りが恐ろしくて仕方がなかった事をよく覚えている。
表に出ない怒りほど怖い物はない。別に普段から人を刺激するような物言いをしているつもりはないが、胡蝶さんに対しては特に気をつけるようにしている。
彼女の怒りは、僕にはどうしようも無い物だ。
「煉獄さんはめっきり怪我をする事が減りましたから、こちらで会うのは久しぶりですね」
「はは……まだまだ弱輩者ですが、何とか見られるようになって来ましたかね」
「うふふ、謙虚も過ぎると嫌味ですよ」
あ、ちょっと笑みが冷ややかになった。いけない、どこか気に障ったらしい。
「それでは、もうお暇しますね。明日からもよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
今のよろしくお願いしますは、明日の会議の続きも適度に不死川さん達の緩衝剤になってね、って事だろうな。遠い目をしたいような気持ちになりつつ、胡蝶さんと別れ蝶屋敷を出る。
さあ、後は帰るだけだ。気を取り直して、軽いお土産でも買って行こう。