部屋に案内すると、中を見回して三人共驚いた顔をした。ちょっと恥ずかしいな、普段この部屋にはそんなに人を入れないから。
「こ、これが呼吸の資料ですか!?」
「ビラビラしてやがる!」
「いやあ、片付いてなくて恥ずかしい限りで」
驚かれるのも仕方がない。研究を纏める時の雑書きや概要をベタベタと壁に付けまくっているのである。
内容を清書して纏め直したら外して行っても良いんだけど、和綴にした資料は一目で何が書いているか分からない。こっちの方が便利かもな、と何となく残しておいたら、いつのまにやら壁一面が埋め尽くされてしまった。
実際便利だからやめるにやめられないんだよな。ちょっと思い返したい時なんかはこれで十分だから。
初期に炎の呼吸の指南書を紐解いて、自分で鍛錬を考えていた頃の覚書も貼ったままなので、ちょっと見苦しいかもしれない。
いやちょっとどころじゃないな。杏寿郎がお茶を持ってくるんじゃなかったら絶対通してない。結構恥ずかしい。
「貼られすぎて最早呪いの部屋みたい……」
「こら善逸、失礼だぞ!」
「そっちは自分用の覚書だから気にしないで。えー、日の呼吸の資料は……あんまり触らないし増えないから多分箱の方かな、ちょっと待ってて」
文机の横の葛籠を開ける。本棚もあるけど、余り更新頻度の高くない物と古い記録はこちらに保管しているのだ。
本棚、もういっぱいだしね。
「纏めた物もあるんですね。凄くたくさんだ……」
「隊士になった頃からずっと作ってるからね。書庫にはまだあるよ」
同じ任務になった隊士や、会う事ができた各呼吸の育手の方からも聴取してきた。個人情報保護法が無いのをいいことに、のべつ幕なし書き残してきている。
いつか役に立つかも知れないし、僕自身もいつでも見返せるようにしたいからね。それに目に見えて成果が分かると、少しだけど安心できる。僕は頑張ってる、って少し自分を認められるんだ。
「ほらここに……主要な呼吸の簡易統括があるから、見ていなさい。黄色い表紙が雷、青が水だ」
「いいんですか?」
「鍛錬には肉体だけじゃなく学びも重要だよ。僕の持論だけどね。嘴平君は、」
「俺は読めねえ!!」
「うーん、じゃあ……」
手持ち無沙汰にさせて置くと男の子は大変だからなあ。嘴平君は退屈させると良くなさそうなタイプだし、何かしてもらってた方がいい。
「そうだ、確か知恵の輪があったな」
「チエ……?誰だ?」
「えーと、ほらコレ。珍しくって買ったんだ」
文机の引き出しから出した箱を開けると、金属の輪がつながったものや木が組み合わさった細工が入っている。
「この輪と輪が繋がった飾りを、曲げずに切らずに分離させるんだ。力技ではなく頭を使う事が必要だから、知恵の輪と呼ばれる」
「なんで曲げたらダメなんだ、メンド臭え!大体鉄の輪だろ、ぜってえ無理だ!」
「つまり、頭の中身を強くする道具だよ」
「頭強くできるのか!?権三郎みてえに固くなるか!?」
「竈門君かな?そういう事じゃ無いなあ……」
柔らかくするっていうと弱いってことだって言いそうだしな。いや、身体が柔軟だからそこに合わせたら聞いてくれるかな?
嘴平君は素直だけど、強さには拘りがあるみたいだから、その点少し言い回しを考えなきゃいけない。
どう言うか悩みながら手癖で分離させると、ビクッ!!と嘴平君が飛び上がった。比喩じゃなく。
「!? !?!? 今どうなった!?なんで外れたんだ!?千切ってねえのに!」
「ああ、これは隙間と隙間を重ね合わせて、こう」
今度は嵌めて見せると、嘴平君は声を上げて大喜びした。フンフン荒くなった鼻息が凄い。
「すげえ!すげえ!なんでだ!?すげえ!」
「やってみる?曲げないで外すんだよ」
「よこせ!!」
僕の手から知恵の輪を毟り取った嘴平君が早速ガチャガチャ言わせ始める。音を立てないでやると出来やすいよ、と言うと途端にそうっと動かし出した。うん。やっぱり良い子だ。
妙に語彙がある所もあるし、地頭は悪くないみたいだから結構すぐ出来るようになるだろう。思いながら、僕は葛籠の中を検分する作業に戻った。
が、どうにも見つからない。手元にいつもあるはずだけど……うーんと思い返して、ひょっとすると前の整理で持っていった方に紛れたかもしれないと思いついた。
一応黒表紙で目立つようにしてるけど、薄いから混ざりやすいんだよなぁ。
「ちょっと書庫まで行ってくるから、ここで待っていてね。じき杏寿郎がお茶を持ってくると思うから」
「あ、俺達も……」
「大丈夫、すぐ戻ってくるよ」
笑って部屋を出て、せかせかと歩く。書庫は屋敷の中で窓がない一室を使っている。時々研究の事を聞きつけてやってきた人を入れる事もあるので、玄関に寄った一部屋だ。
薄暗い部屋の壁一面に本棚が並び、部屋にあったのと同じ葛籠も幾つか。作成日と種類の見出しをつけてある。最初の方にはつけていた手帳をそのまま残して、しばらくしてから自分で綴じた物が並ぶ。
そろそろまた虫干しした方が良さそうだな、と思いながら、薄暗いので机に置いてあるランプを灯し、一番新しい一角を探り始めた。
それにしても、本当にたくさん書いたもんだ。ずっと必死で足掻いてきた、その証がここに残っている。時に馬鹿にされ時に憐まれ、それでもいつか糧になるはずと書き留め、纏め続けてきた。
懐かしくて、少し恥ずかしい。僕は書き記してきたこの一割でも、知識を物にできているだろうか?
この行為に、本当に意味があるのだろうか?
『千寿郎はとても頑張り屋だね。それに、優しい子だ』
疑念が生まれてしまう時はいつも、初めてお館様にお目通りした時、そう言って頂いたのを思い出す。
柱になる時、産屋敷に記録があったら見せて欲しいと手をついて頼み込んだら、逆に僕の記録を見せるよう依頼された。その場では持ち歩く覚書の手帳しかしか手元になく、仕方なくそれを差し出した。
万年筆で箇条書きに書き綴ったそれは恐ろしいほど乱筆で、本当はお見せしたくなかったが、直々に言われて断れるはずもない。脂汗をかきながら差し出して、俯いてお館様が奥様に聞きながらページをめくる音を聞いていた。
長く長く感じられる時間が過ぎて、手帳が閉じられた時に、お館様が下さったのがその言葉だった。
『呼吸の記録を残すことは、剣士達の事が残るのと同じだ。私は誰も忘れた事はないけれど、君がこうして書き起こしてくれる事で、後の隊士も彼等を知り、己の糧としてくれるだろうね。取り組める者が居ないから、これまでほぼ直伝とするしかなかったけれど、それで失われてしまった物も沢山ある』
そんな崇高なことを考えてなどいなかった。自分の為に、低い才でも鬼殺隊で戦い抜く為に始めた事だ。朧げに他の呼吸のコツを流用することもできると覚えていたから、取り組み始めただけだ。
邪険にされて聞けなかった事もある。快く教えてくれた隊士が、その翌日に亡くなったりした事もある。
それでも自分が強くなる為と、続けてきた。何の為になると、破り捨てたくなる夜を何度も越えて。
『ありがとう、千寿郎。君の努力が、他の剣士達をも導き、繋げてくれるだろう』
目の前に膝をつき、お館様が僕の手を取った。手帳を手ずから載せて、上から僕の手を包み込む。
病に蝕まれ、男性なのにか細い手だ。タコや豆など一つもない。日を受けた事が無いと思えるほど白いその手が、けれど自分より遥かに大きく、とても暖かく思えた。
『立ち上がり、刀を取ることを選んでくれた君が持つこの強さを、私はとても嬉しく思うよ』
柔らかい笑みが揺らいで、頬が濡れる。それは母が亡くなった時以来の涙で、お館様が宥めて下さっている間、止まる事がなかった。
自分の行いを、努力を認められた事が嬉しくて、幸せで、そして――
哀しくて、仕方が無かった事を。
時が過ぎた今も、よく覚えている。
(褒められて悲しかったなんて、他の柱に知られたら凄いことになりそうだから誰にも言ってないけどね……)
まあ、柱はそれぞれ就任前に一度はお館様と一人でお話しさせて頂く機会があり、殆どがその内容を自分の胸に秘めている。聞いたのは就任後嬉しそうに話してくれた甘露寺さんくらいだ。多分これからも、誰かに言うような事はないだろう。
それ以降、習慣は少しだけ変わった。手帳に書くだけだった記録をしっかり書き起こし、一冊綴じ上がる毎にお館様に写本をお納めしている。
装丁や綴じ方にも気を使い、そうやって整頓していくうちに、呼吸の研究は僕の生業の一つとして落ち着いた。時にはそれを知った隊士が資料の閲覧を頼んで来ることもある。
形にして残す事が、本当にいい事なのかは分からない。鬼殺隊は非公式の組織。藤の花の家紋を持つ人々の他は、その存在さえ知らずに一生を過ごしていく。それが当然で、あるべき姿だ。こうして残しておく事で、いつか要らぬ混乱を招く事もあるかもしれない。
それでも僕は、こうして綴り続けている。ただ、自分の安寧の為に。お館様の言葉を免罪符のようにして。
「あ、」
何十冊目かの綴りを分けて、漸く黒い表紙のそれが手に取れた時、遠くで怒鳴り声がして、咄嗟に懐に入れて書庫を飛び出した。