「やめてください!!兄上のお客人ですよ!!」
「イヤ゛ァァァァアア!!」
一番に聞こえたのは杏寿郎の声だった。ついで我妻君の悲鳴に、バキバキと立て続けに物がへしゃげる音。嘴平君と竈門君の声も混ざっていた。
良からぬ事が起こっているとすぐに察し、床を砕かぬ程度に呼吸を傾けて一足に音のした、部屋の前へ行く。
「どうした!?杏寿、」
着くなり室内から飛んできた物を咄嗟に受け止めたと思えば、それが弟だったので一瞬混乱してしまった。しかし部屋の中を見て、すぐに切り替える。
「……千寿郎、これは一体どう言う事だ……!」
一人の少年、竈門君を捻じ伏せて。そこにいる人が瞳に憎悪にすら見える物を煮やし、此方を睨め付ける。
我妻君は壁際で竈門君の箱を隠すように覆い被さりながら震え、嘴平君は姿が見えない。障子が一枚骨ごと破れ吹き飛んでいるので、外に投げ飛ばされでもしたか。そこら中に壁から剥がれた紙が散乱している。
腕の中で呻く弟の頬が赤くなっている。床に湯呑みが割れ、茶が畳に染み込んでいた。
ああこれは、僕の判断が間違っていた。
「……父上」
竈門君の額と、耳飾りを見た時から懸念はしていたのだ。父とこの子が対面すれば、ただ事で済む事は無かろうと。
それでもここに連れてきたのは、意図の内ではあった。僕の部屋に通す計算違いはあったとは言え、元からその存在を少しだけ匂わせるつもりだった。
父の時間は停滞を続けている。強引だが、そこへ刺激を与える気はあったのだ。利用している自覚も負い目もあったが、何せ僕には時間が十分にないかもしれない。
しかし、僕の目の届かぬ所で会わせる気はなかった。最初通す気だった書庫室なら、父は寄り付く事がない。そこへ通し、出る前に少し父に声をかけていく際に一目だけ。それで動揺させるかと考えていた。
父が激昂したらそれから守るつもりだったし、怪我の一つさえ負わせる気はなかった。
それがこの事態だ。僕の拙い目論見など、何にもなりはしないと言われているようだ。
意識のある杏寿郎をそっと下ろして背に庇う。兄上、と小さく声を上げるのを撫でて留めた。
「父上、彼を離してください。その少年達は僕が招いた、鬼殺隊の隊士です」
「誰の許可を得て敷居を跨がせた!ここは俺の家だぞ!」
普段は誰が来ても目の前にしなければ素知らぬ顔だが、恐らく竈門君の装いの為か。湧き立つ感情に、父の思考が凝っている。それがまざまざと感じられて、辛い。
けれど、ここで引くわけには行かない。いつもの様に受け止めるだけでは駄目なのだ。ここには、守らなければならない子達がいる。
「他でもなく、僕が許可をしました」
「なんだと……!?」
「今この屋敷の生計を立てているのは僕です。僕が維持費と生活費の殆どを賄っている。ここは父上の家ですが、同時に僕の家です」
言い放った言葉に、父が少し目を見開いた。
「父上こそ、僕の客人への狼藉はお控えください」
そう言い終わるか否かのところで、壊れた障子の隣が外からさらに突き破られる。甲高い声で善逸君が悲鳴を上げた。
グルンと回って立ち上がった嘴平君が、父に叫び立てる。
「何だテメエこのクソギョロ目!満足と同じ顔しやがって!」
嘴平君が父に飛び掛かろうとする。それに反射で迎撃しようとしたのだろう父の腕を掴み、半身で嘴平少年の特攻を受けた。
うっ、思ってたよりちょっと強い。嘴平君、鍛錬頑張ってるんだな。
「反則!?」
「煉獄だよ、嘴平君。少し待っててね」
「千寿郎……!」
「言ったはずです、父上。お控えくださいと」
一息入れて、投げ技を仕掛ける。父上ならこの程度いなす事は訳ないだろうと思っての事だ。鬼殺にはあまり役に立たない柔術だが、やはり学んでおいて損はない物だ。
一度投げられた様に見せかけて、父は僕の腕を振り解いて受け身をとり、破れた障子奥の廊下へ飛び退く。その隙に竈門君を引き寄せて立ち上がらせた。
「大丈夫かい、竈門君。怪我はない?」
「は、はい……ありがとうございます」
「貴様!」
「父上、謝罪は結構です。僕らもすぐに出ますので、お引き取りください」
「そいつが何なのか!お前は分かっているはずだろうが!何故庇う!それも、鬼を連れた裏切り者を!」
揺さぶりが過ぎたな。柱合会議の報告もしたが、頭に残っていない。冷静になれなくなってしまっている。
少し酒の匂いもしたから、酔いもあるのだろう。その状態であの身のこなしが出来るのは、流石父上と言ったところか。
「彼と妹の身柄は元水柱と現水柱が命を以って保証しています。お館様もお認めになっている事です」
「そんな馬鹿げた事が認められる物か!」
「事実です。僕も今後の働きの如何では、彼らの事を信じるつもりでいます」
「煉獄さん……!」
声を上げた竈門君を後ろに促して、父の前に立つ。
「お引き取りください、父上」
「情にでも流されたか、愚か者が!所詮半端者の目では見抜けるものも見抜けまい!」
「僕は愚かな半端者ですが、この子達は違う!」
胸倉を掴まれたが、怯んではいけない。
背筋を伸ばせ。胸を張れ。何も恥じる事などない。
「彼らは鬼殺隊の未来です。将来ある者を守り、導く事は、僕が果たすべき責務です!」
――“彼”がそうした様に。
「あら、どうなさいましたの」
ぽんと放り込まれた落ち着いた声に、張り詰めた空気が解けた。
「あらあら、すごい散らかり様ですこと。杏寿郎様、頬はきちんと冷やすんですよ。あらあらあら、畳がびっしょり。障子まで破ってしまって、こちらは買い替えなければいけませんね」
「……おみよさん?」
彼女は今日は非番のはずだ。何故ここに、と言いかけて、その肩に止まった鎹鴉と目があった。
……気を利かせて呼んでくれたわけだ。もしかして僕よりよっぽど先を見通せてるんじゃないか?ドヤ顔するでもなく素っ気なくしてる辺り、本当に、なんというか、男前な鴉だ。
「あらあらあらあら。槇寿郎様、千寿郎様、年寄りの前でその様な無体はおよし下さいな。この婆に免じて、今日はお終いになさって」
「…………」
「ね、槇寿郎様」
念を押す様なおみよさんの声に、父は舌打ちをして手を離した。そのままこちらを一瞥もせず足音を荒くして去っていく。
遠くで玄関の戸を乱暴に開閉する音がしてから、おみよさんが頬に手を当てて言った。
「まあ怖い。殿方は皆やんちゃで困るわねえ」
「やんちゃで済む話じゃないよ絶対ィ……」
力が抜けた様にズルズル箱から床に倒れながらの我妻君の台詞に同意せざるを得ない。ほとんど我を失った状態の元柱が暴れて、目立つ怪我人が出なかった事が奇跡なんじゃないだろうか。
そこでハッとして、おみよさんの隣にいた弟に駆け寄った。
「杏寿郎!」
「兄上」
「痛い?痛いだろ、ああごめんね、ごめんね僕が考え足らずだったから……」
「いいえ兄上、平気です!俺も男ですし、以前は良く喧嘩もしていましたので!不覚を取っただけです!」
「でも今回は僕のせいじゃないか」
「そんなことはありません!」
赤くなった頬は明らかに痛いだろう。きっとそのせいで普段より声が出ていない。それなのに、杏寿郎はいつもの様に溌剌とした笑顔を見せる。
「悪いのは父上です!兄上のお客人に手を挙げるなど言語道断!兄上が謝る必要はありません!」
「杏寿郎……」
なんて優しくて強い子だろう。
感動してしまった僕に、杏寿郎が嬉しそうに笑う。次の言葉に、思わず目を瞬いた。
「それより嬉しいです!兄上が怒ってくださった!」
「え」
「自分の事じゃありませんが、久しぶりに父上に大きな声を出したでしょう!背中をシャンとして父上の前に立って、とても格好良かった!」
怒った?
……怒ったんだろうか、僕は。怒ったと言うより、反抗しただけの様な気がする。気持ちが昂っていた様な気はするけど、正直最後の方は何を言っていたかあんまり覚えていない。
実は嘴平君との間に入った時とか胸倉を掴まれた時、結構怖かったんだよ……だって最近父上にあんな間近に睨まれて怒鳴られたりしてないし……。凄くドキドキした。稽古でもないのに投げちゃったし。ちゃんとまともに振る舞えてたのか自信がない。
困惑する僕に、ギュッと杏寿郎が抱きついた。
「兄上!やっぱり兄上は、俺の自慢の兄上です!強くて格好良い、日本一の兄上です!」
杏寿郎。そんな事は、きっとないよ。
僕より強い人間なんて鬼殺隊だけでも結構いる。
才能でいえば、僕はここにいる三人より、杏寿郎、お前よりよっぽど無いんだよ。
柱になっても、お館様が認めてくださっても、僕は全然自分に自信が持てやしない。
そう言うところもきっと、他の人より弱いんだ。
父上が言う僕の姿は真実だ。弱くて半端者で、実力も才能もない、無様な奴なんだ。
必死にならないと周りに付いてもいけない、考え足らずで周りに危険を及ぼしてしまった。
僕はそんな、取るに足らない男で、情けない兄なのに。
お前と父の不和を、いつもただ困り果てるばかりで、解消してさえやれないのに。
「……ありがとう」
こんな僕を、お前は誇りとしてくれるのか。
しがみ付いてくる身体に手を回した。ああ、温かいなあ。
大きく、なったなあ。
「杏寿郎。お前も僕の、自慢の弟だよ」
何だか涙が出そうになるのを、懸命に堪えた。
「お願いする事になってすみません、お休みなのに」
「あら、良いんですよ。どうせ暇をして出歩いていたところをお呼ばれしたんですもの、働かせていただける方が嬉しいんですのよ」
上品に笑うおみよさんにありがたく甘えて、部屋の片付けは任せることになった。修理の方も取り仕切って頂けるそうだ。本当に頭が上がらない。
杏寿郎の手当てと三人の無事の確認を済ませたら、あまり時間がなくなってしまったのだ。杏寿郎一人にも、おみよさんに任せるのもと迷っていたら、さっさと手配されてしまってもう人が入っている。
おみよさんの手腕が早すぎて勝てない。
「伊之助お前障子の修理代払った方がいいんじゃないの?て言うかなんで隣開いてんのに無傷の方破って飛び込んだわけ?超危ねえし意味もわかんない」
「知るか!あのギョロ目ヤロウが悪ィんだヨ!」
「すみません、俺達のせいで……」
「いや、気にしないで。寧ろ危ない目に遭わせてごめんね」
「でも、そもそも俺達が騒ぎ過ぎたから……」
え、騒いだの?うち普段騒ぐ様な事ないからな、杏寿郎のわっしょいくらいで。それで父上様子見に来たのか……で、竈門君を見て、鬼の子にも気付いたと。
資料を読むのに何を騒ぐ事があったんだ?と思って聞くと、途中から嘴平君の知恵の輪が気になって周りから口出ししたらしい。それに嘴平君が怒ってムガアと声を上げて、わちゃわちゃ騒いでいたところに父がやってきたのだとか。
竈門君が前に出て謝ったら、その痣を見て父が突如激昂。掴みかかった所に杏寿郎が来て、嘴平君が突っ込んで吹き飛ばされるのを見て制止しようとし、殴り飛ばされてそこに僕が来たと言うわけだ。我妻君は悲鳴を上げた後咄嗟に、下ろしてあった鬼の子入りの箱を、父に弾き飛ばされそうになったところから避難させていたらしい。
うん、まあ別に竈門君達は悪くないな。父が取り乱したのは煩いからじゃなくて手前都合だ。日の呼吸の事とかは口にする間が無かったらしいから、竈門君達には煩いから怒られたと取れても仕方ない。
でも都合がいい勘違いなのでそのままで行こう。
「じゃあ、修理代は要らないから、任務に一緒に参加してもらおうかな」
「任務、ですか?」
「そう。この後だって言ったでしょ?」
にっこり笑って見せると、我妻君が思いっきり怯えた声を出す。
「あああああああの、そ、それって、あの、煉獄さんの任務って事は……柱のお仕事で?」
「そうだよ」
「ア゛ァ――――!!無理です!!無理です勘弁してください!!払います!!金を払いますからそれだけは後生だからやめて下さい柱の任務についてくなんて死んじゃうよォ――――!!」
ガッシリ羽織に縋って嫌々と首を振る我妻君は子供みたいだ。仕方ない子だなぁ、と軽く身を屈めて目線を合わせ、ポンと肩に手を置く。ぐすんと鼻を啜った彼に、心底すまないと言った調子で口にする。
「ごめん、実は最初からそのつもりで連絡してあるから正式な同行者なんだ。よろしくね我妻君」
「嘘ォオオ!!嘘だって言って!!ねえ嘘でしょ!?俺達癸だよ!?炭治郎と伊之助は兎も角俺めちゃめちゃ弱いよ!?柱の任務になんかついていけるわけないじゃないですかぁぁぁあお願いだから今から取り消してェエエエエ!!」
「黄色い人はいつもこんな風なんですか?」
「うん……そうなんだ……」
「ウルセェ!!黙れ弱味噌!!」
「いっだぁ!!」
「強え鬼が出るんだろ!俺が頸を斬ってやる!俺の手は強え手だ!!次は全部斬れる!!」
この間と同じように我妻君を蹴倒した嘴平君が意気揚々と叫ぶ。この間僕が言ったこと覚えてくれてるんだな。独自解釈も入ってるみたいだけど。
うーん、取り敢えず我妻君の鼓舞は後にしよう。見送りに出て来てくれた杏寿郎に笑いかける。
「行ってくるね、杏寿郎。大事にするんだよ」
「はい!次にお帰りになるまでに父上に仕返しをしておきます!」
「杏寿郎?」
「冗談です!さ、切り火を!」
とても冗談には聞こえなかったが、頬に当てていた濡れ手拭いを下ろして火打ち石を取り出されたので、仕方なく背を向ける。
「皆さんもどうぞ!」
「知ってんぞそれ!カチカチの奴だ!」
「ほら善逸、切り火を切ってくれるそうだぞ」
「お゛ォん……行ぎだぐないよぉ……」
何とか全員揃ったところで、勢いよく杏寿郎が石を鳴らす。
「ご武運を!」
「うん。ありがとう」
きっと無事に帰って、またお前の笑顔を見よう。
そうして今度こそ、お前と父上の仲を取り持てたらいいんだけれど……その方法はまた、帰ってから考えることにしようかな。
◆◆◆
「ようございましたね」
部屋に入ろうとした時聞こえた声に、ギクリとした。どうにも強く退けられない老婆だ。昔からどこか俯瞰したような物言いをして、まるでこちらがいつまでも子供であるかのように扱ってくる。
いつ見ても同じ穏やかそうな微笑みを浮かべ、おみよは言う。
「千寿郎様は、漸く親離れが出来始めましたね。嬉しくありませんでしたか、成長した姿を見られて」
「……親離れなど、」
とうにしていただろう。
自分の堕落を物ともせず、罵倒も気に留めず、多少悲しげな顔を見せるだけ。
才の無さにめげずただ一人鍛錬し、己と同じ事実を知りながら研究を重ね、鬼を斬り、まともな色変わりの刀さえ無しに柱となった。
近頃では、任務での人的損害が最も少ない柱、などと評されるとは……自分を案じ、未だ定期的に返信不要の文を寄越す、他ならぬ鬼殺隊の長が記したことだ。
返信不要とある事に甘え、ただ読むばかりの文は息子の事ばかりだ。自分と違い、折れずに立ち続けている、いっそ忌まわしい程に真っ直ぐな長男。
分かりやすく嫌悪を向けてくる次男の方が、いくらか扱いやすいくらいだ。
どれだけ罵られても、態度を変えず、帰宅の都度律儀に挨拶をし、反論も反抗もせずジッと理不尽なはずの仕打ちに耐え続ける。
何を考えているのかわからない。いっそ不気味だと言ってもいい。何故立ち続けられるのか、何故折れる事がないのか……考えると、己の惨めさばかりが際立って、堪らなくなる。
「どうでもいい。俺には関係のない事だ」
「千寿郎様は、貴方の叱責を受ける事に親子の関係を見出して、縋っている節がありました」
「…………」
「これまで反論しなかったのはその為です。いつまでも、貴方の子供でいたかったんでしょうね」
振り切って、部屋に入ればいいものを。
足が動かず、老婆の言葉が否応なく耳に入り込む。
「貴方はいつまで、そんな千寿郎様に甘えているつもりですか?」
カッとなって振り向くが、その時にはおみよは槇寿郎に背を向け立ち去っていく所だった。
ただその場には、途方に暮れた一人の男が残されるばかりで。
手に下げた酒瓶が水音を立てる。
その重さが、酷く虚しく思われた。