“煉獄さん”になる方法   作:鮫の呼吸

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“煉獄さん”になりたかった頃

 

 

 

 ――どうしても、なりたいものがあった。

 

 

 

「嫌です!!」

 

 それは、母が病床につくより少し前の頃の話だ。

 

「……嫌ではない、千寿郎。聞き分けろ」

「嫌です!!」

 

 困り顔の父に、まるで今の杏寿郎の様に声を張った。忍び寄る涙の気配を、その頃の僕はそうやって振り払っていた。

 泣けば父は一旦話をやめてくれるかもしれない。でも、それでは駄目だった。それは僕の求める姿ではなかったから。

 虚勢でも声を出すしかなかったのだ。そうしなければ、とても立ってさえいられなかったから。その位に酷い隔たりが、僕と目指すところの間にはあった。

 

「僕は諦めません!!炎の呼吸の使い手として隊士になり、いずれ柱になるんです!!」

 

 当時、まだ父は現役で、継子も居た。炎では無い別の呼吸を使っていたけれど、皆優秀な人達だった。熱意に溢れ、才もあった。今はもう失われてしまったが、いつか柱となる事を期待されていた。

 父は任務の合間に彼等に鍛錬をつけ、その更に間を縫って僕に炎の呼吸を説いていた。多忙な日々だ。炎柱を務める父の時間は、無為に費やす事など許されていなかった。

 だから、実の伴わないわがままを言う僕の存在は、厄介だった事だろう。けれど息子故に、無下にする事も出来ない。困り果てて眉を下げながら、父は僕を説得しようとした。

 

「千寿郎、賢いお前の事だ、分かっているだろう。お前に誂えた日輪刀は……」

「あ゛――――!!!!!」

「う゛っ」

 

 何を言われるかなど分かっていた。分かっていて聞きたくなくて、癇癪の様にいっとう大きな声を出した。突如腹の底から出した叫びに射抜かれ、父が思わず息をつまらせたのに、すかさず捲し立てる。

 

「嫌です!!僕は辞めません!!剣士になります!!今色変わりしないからってこれからもしないとは限らないじゃないですか!!」

 

 今となっては確かに半端ながら色変わりはしたのだから間違ってはいないのだけれど、当時はそうではなかった。

 身寄りの無い者の日輪刀は選別後に打たれ、その為それまで己が真に才を持つかはわからない。しかし僕の様に家が鬼狩りに関わっていたり、ついた育手の意向によっては選別よりも前に予め己の日輪刀を与えられる事がある。

 日輪刀は色変わりの刀。才ある者の刃は、最初に手にしたその一度だけ染まる。

 裏を返せば染まらぬ刀を持つ者は、才が無いと見なされるのが常であった。

 最終選別を通過しても、隠の道を選ぶ者もいる。そういった者の一部には、日輪刀の刃が染まらなかった為に諦めた者もあるそうだ。

 現状鬼殺隊にいるのは、僅かでも日輪刀を染められた者ばかり。そうでなければ、隊士として残った所で長く生きる事はできない。才がなければ、育つより前に鬼に殺されて終わるだけなのだから。

 そういった暗黙の了解があることは、僕も分かっていた。分かっていてなお、それに抗おうとしていた。

 

「しかしだな、」

「嫌です!!僕は炎の呼吸を継ぎます!!」

「千寿郎」

「鍛錬を増やしたので今日の分を走ってきます!!それでは!!」

 

 頭を下げて、勢いのまま父の前から走り出す。

 父が名前を呼ぶ声にも構わず、道中にすれ違った母や弟の驚いた顔もまともに見ずに、玄関から飛び出した。

 

「千寿郎、待たんか!話はまだ……」

「行ってきます!!」

「千寿郎!」

 

 走って走って、父の声を振り切った頃、見計らった様に涙が出てくる。

 慌てて止めようと頬を強めに叩き、紛らわす為にまた走る。

 でもどうしても、鼻がツンとして、頭の奥がギュッとして、じわじわ風景が歪んでいく。

 

「止まれ、止まれッ」

 

 叩いても抓っても止まらなくて、どんどん頬が濡れてしまう。

 剣士になるのだから、泣き虫であってはいけないのに。強くならねばいけないのに。感情が波打つと、どうしても止まらなくなってしまう。

 そんな自分が、僕は一番嫌いだった。

 

 

 

「……グスッ」

 

 真っ暗な中で、鼻を啜る。

 涙が止まらなくなってしまった時は、暗い場所で小さくなると落ち着いた。膝を抱えて丸くなって、自分の呼吸の音だけを聞いていると、泣き虫の僕を少しずつ胸の奥に仕舞っていけるのだ。

 深く深く、息を吸って吐く事を繰り返す。ぐちゃぐちゃになっていた気持ちが少しずつ鎮まっていく。

 本当はこんな工程を挟まずに、自分の意思で落ち着かせられないといけないのだ。刀を振るう時、感情が強く波打っているとあまり良くない。分かっているのに、出来るようになれない。

 時が過ぎていく都度に、成長よりも停滞が目につく。僕の歩みは余りにも遅く、一歩一歩が拙過ぎて、返って後退りしてしまっているようだ。

 それが酷く口惜しく、もどかしい。

 

 ゴト、と体の横が動き音を立てる。慌てて顔を膝に埋めた時、明るさが開かれた襖から差し込んだ。

 

「やはりここでしたか」

「あにうえ!」

 

 母と……弟の声。聞いた途端、身が強張った。顔を伏せたまま、膝を抱く力を強くする。そのままジッとしていると、母が小さく息をつき、「杏寿郎」と弟を呼んだ。

 

「鎹鴉に、兄上がいたと伝えられますか?」

「あい!」

「ではお願いします。それから、玄関で父が帰ってくるのを待って、こちらだと教えてください。よいですか?」

「あい!」

 

 弟の覚束ない足音が部屋を出ていく。それが少し離れてから、母は改めて言った。

 

「千寿郎」

「……はい」

「こちらへいらっしゃい」

 

 そろそろと顔を上げると、離れた所で母は座っていた。少し躊躇したけれど、いつまでもここに居る訳にもいかない。

 僕は潜んでいた場所……押し入れから這い出て母の前に行き、正座をして、また俯いた。見下ろした膝が埃で少し汚れている。

 

「鴉が伝えてくれるでしょうから、すぐ戻ってくると思いますが、父は今出ております」

「……はい」

「日が暮れるのに貴方がまだ走り込みから戻ってきていないと思い込んで、酷く慌てていました。しっかりした子だからそんな事はしない、戻ってきて隠れているだけですと言いましたが、自分が急に言い過ぎたと、私の話も聞かずに探しに出て行ったのです」

 

 思わず顔を上げる。見上げた母はいつもと同じ、冷たく冴えた美しい顔をしていた。

 目が合うと少しだけ優しく瞳が緩んだけれど、すぐに強く僕を見据える。

 

「父が戻ったら、謝りなさい。今夜は偶々務めがありませんでしたが、任務があれば貴方が与えた懸念が刃を鈍らせてしまうやもしれませんでした。その為に、取りこぼされた命があったかもしれないのです。わかっていますね」

「はい……申し訳、ありません」

 

 ああ、自分が恥ずかしい。身体の年齢よりも精神は歳をとっているはずなのに。どうしてこうもままならない。

 大事にされている。愛されている。そんな事は分かっている。分かっているのに。袴を握り締める僕に、再び母の言葉が降ってきた。

 

「千寿郎。本当は、父のおっしゃる事が分かって居ますね?」

「……。……はい」

 

 分かっている。分かっているとも。僕に才能が無い事など、他でもなく僕自身が一番理解している。

 木刀を握って振るいながら、余りにも手本と違う太刀筋に、いつも失望した。鍛錬と歳を重ねても、一向に感じられ無い進歩に絶望した。

 日輪刀が無くても、父の言葉が無くても。

 僕に剣士の適性など、少しも無いと、僕が一番分かっていた。

 

「では、何故頑なになるのですか。己の力量は、貴方自身がもう分かっているのでしょう」

「……嫌です」

「千寿郎」

 

 それでも。

 それでも僕は、諦めたくなかった。

 

「嫌です!嫌です、僕は……!」

 

 どうしてもなりたいものがあった。

 いつまでも胸を焦がす炎があった。

 

「母上、僕は――」

 

 僕は、そう。

 

 

 ――“彼”みたいに、なりたかった。

 

 

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