────私は四年前のあの日、両親よりも彼女を選んだ。

 これはそんな彼女の抱える、想いのお話。

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あなたはわたしの世界のすべて

 

 ────染井華(わたし)にとって香取葉子(かのじょ)は、隣の家の幼馴染。言葉にしてみれば、それだけの存在だった。

 

 私の家と彼女の家は隣同士で、私はよく葉子の家に遊びに行っていた。

 

 遊びに行っていたと言っても、私は葉子がテレビゲームをしている横で本を読んでいるだけ。

 

 元々口数が少なかった私はあまり面白い話が出来ていたとは言い難かったし、葉子も話題提供が上手い方ではなかったので、ある意味効率的な余暇の過ごし方と言えた。

 

 それでも、香取家で過ごす時間は嫌いじゃなかった。

 

 私の父は厳格な人で、私の外面と成績ばかりを気にしていた。

 

 母もまたその父の顔色を伺うだけで、明確に味方になってくれた試しはない。

 

 私の家は息苦しく、ただいるだけで息が詰まりそうだった。

 

 けれど、父は勉強の成績が奮わなければ必ず叱責して来たし、母は何も言ってくれなかった。

 

 幸い要領は良い方だったので、毎日欠かさず勉強を継続する事で父の望む成績を出し続ける事は出来た。

 

 でも、そんな家での生活は、決して心休まる時とは言い難かった。

 

 父から話しかけられる時は成績や将来についての話題のみで、雑談に興じた事など有りはしない。

 

 母は当たり障りのない事しか言わず、父の機嫌伺いにだけ終始していた。

 

 だけど、葉子の家は違った。

 

 葉子の家族は私をいつも温かく迎え入れてくれたし、葉子との関係性も彼女自身は色々言っていたが、良好なものに思えた。

 

 常に笑顔が溢れる、暖かな家庭。

 

 それは、私が手を伸ばしても届かない、一種の理想郷だった。

 

 私の家は、確かに立派な外観だった。

 

 大きく、清潔で、広い家。

 

 父はそんな家に住めたのは、勉強して良い大学に通えたからだ、と言う。

 

 確かに、それはそうなのだろう。

 

 昔は学歴が全てだという時代だったと言うし、父が良い大学に入り、稼ぎの良い職業に付けた事も事実なのだろう。

 

 そして父は、それが今でも正しいと思い込んでいる。

 

 昔と今では、何もかも違うと言うのに。

 

 今はたとえ良い学歴を持っていたとしても、それだけで有名企業には入れない。

 

 学業が優れていても、実務能力が伴っていなければ採用されないし、接客業であればコミュニケーション能力も必須だ。

 

 昔のように、学歴が良ければ良い職業に付けた、という時代は終わったのだ。

 

 逆に、学歴がそこまで振るわずとも、大学さえ出ていれば頑張り次第で職業を選ぶ事は出来る。

 

 勿論最低限の学力は必要であるし、誰でもそうなれるワケではない。

 

 矢張り良い大学を出た方が職業選択の自由が生じ易いのは確かだし、父の言う事も一面に置いては間違ってはいない。

 

 ただ、世の中はそれだけでどうにかなる程甘くはない、というだけで。

 

 だから私は父の言う事が間違っていたとしてもその責任を親に押し付けないように、勉強を続けていた。

 

 勉強は全てではないが、自分の力になるのは確かなのだ。

 

 漢字が書けるにこした事はないし、計算が得意なら事務作業で重宝される。

 

 英語が話せれば外国人とのコミュニケーションも円滑に行えるし、科学に詳しければその道へ進むという選択も取れる。

 

 勉強しても役に立たない、という言葉を良く聞くが、それはあくまで曲論だ。

 

 勉強というのは、いわば()()だ。

 

 進んでいた道が途切れてしまった時、別の道に行く為の()()

 

 私はそれが、勉強の本質なのだと思っている。

 

 だから私は勉強を怠らなかったし、勉強をする事自体は嫌ではなかった。

 

 …………ただ、父親から真っ当な愛情を向けられる事に関しては、何も期待していなかった、というだけで。

 

 最初は、父も此処まで頑なではなかったのだ。

 

 幼少期、まだ小学校に上がったばかりの頃には遊園地等にも連れて行ってくれたし、私に笑顔を向けてくれていた。

 

 けれど、私が良い成績を取り続け、要領の良い事を知ると、父の態度は一変した。

 

 口を開けば常に「勉強しろ」と繰り返し、私に良い成績を取り続ける事を強要し続けた。

 

 私は碌に友達と遊ぶ事も許されず、ひたすら勉強に没頭した。

 

 家で、父が私に笑顔を向けてくれる事はなくなった。

 

 三者面談で教師に私の成績を褒められた時だけが、父が笑顔を見せる瞬間だった。

 

 恐らく、父は私の要領が良い事を知り、きちんと勉強させれば良い大学に入り、良い職業に就けるのだと()()()私に厳しく接していたのだろう。

 

 自分の子供を良い大学に入れ、良い職業に就いて欲しいというのは、親であれば少なからず持っている願望の筈だ。

 

 それ自体は、なんら間違ったものではない。

 

 父は少々、それが行き過ぎてしまっただけで。

 

 元より、父は頭の固い人間だった。

 

 前時代的な考えを持っていたし、自分の考えを正しいと思い込み、それが間違っているとは欠片も考えない人だった。

 

 だから父は私に勉強を強要し続ける事だけが私の幸せに繋がると信じていたし、私もその意見については全否定する気はない。

 

 ただ、そんな父と接する事に疲れていた事もまた事実だった。

 

 葉子の家は私の家と比べれば確かに狭いし、お世辞にも立派な家とは言えなかった。

 

 けれど、私にとってあの家は、自分の家よりずっと居心地の良い場所だった。

 

 ゲームをする葉子と、それを眺めて時折口を挟む私。

 

 そんな私達を温かく見守る、葉子の家族。

 

 私は、そんな時間が好きだった。

 

 葉子の家族になりたい、と思った事も一度や二度ではない。

 

 彼女の姉に、彼女の妹として生まれていれば、どんなに良かっただろうと。

 

 隣の芝生は青く見えると言うが、私もきっとそうなのだろうとは思っていた。

 

 葉子は自分の家に関して「狭い」だの「汚い」だの散々馬鹿にする発言を繰り返しており、もっと広い家がいい、みたいな事を常々話していた。

 

 けれど、彼女が自分の()()について悪し様に言った事はついぞ無かった。

 

 彼女は自分では認めたがらないみたいだけれど、自分の家族を心から愛していた。

 

 葉子の家族もまた、そんな彼女に惜しみない愛情を送っていた。

 

 互いが互いを想い合う、素晴らしい家庭。

 

 私から見て、彼女の家はそういうものだった。

 

 …………何故、私と葉子が仲が良いのか、と人に聞かれた事がある。

 

 私と葉子は、タイプの全く違う人間だ。

 

 葉子は言葉の棘が強く、自我が強い為他人と衝突する事も多い。

 

 好かれる人間には好かれるが、嫌われる人間にはトコトン嫌われる。

 

 有り体に言って、葉子はそういった類の人種だった。

 

 彼女は私以上に要領が良く、所謂()()()と呼ばれるに相応しい人間だった。

 

 碌に勉強をしていないのに、体育も図工も音楽も、成績は私より高かった。

 

 国語や数学などではなんとか私の方が良い点を取れていたが、それに見劣りしないくらいの点数を葉子は軽々と取っていた。

 

 才色兼備、スポーツ万能。

 

 そんな言葉が似合ってしまう、少し羨ましくなるくらいの才能の持ち主だった。

 

 対して私は口数が少なく、人とも積極的にコミュニケーションを図るタイプではなかった。

 

 物静かな、休み時間も本を読んでいるだけの優等生。

 

 それが、私に対する周りからの評価だった。

 

 良くも悪くも目立つ葉子とは対照的な私が、何故彼女と仲良く出来ているのか不思議がる声は確かにあった。

 

 けれど、言葉にしてみれば簡単な事だ。

 

 葉子は、私の幼馴染だったから。

 

 単に、それだけの事である。

 

 幼馴染だからお互いの事は良く知っているし、互いが何を求めているかも大体分かる。

 

 葉子の誤解され易い性格も、私にしてみれば慣れたものだ。

 

 彼女は言葉こそ棘だらけだが、その本質は身内を大事にする情深い少女だ。

 

 いつでも私の事を気に懸けてくれていたし、タチの悪いいじめっ子が私を標的にした際は、彼女が率先していじめっ子達を懲らしめていた。

 

 私は葉子を自分の半身のように思っていたし、彼女もまたそんな私を大事にしてくれていた。

 

 あの息苦しい家で勉強をして、葉子の家で息抜きをする。

 

 そんな毎日に、私は慣れて行った。

 

 このままの日々がずっと続けば、と思っていた。

 

 …………でも、そんな私達の日々に亀裂を入れたのは、矢張り父だった。

 

 父は私が塾の成績で一位を取れなかった事を知ると、短絡的にそれが葉子の家に遊びに行っているからと考え、私が彼女の家に行く事を禁止した。

 

 母もまた今回も、父の顔色を伺うばかりで何もしてはくれなかった。

 

 私は、呼吸が止まるような感覚を覚えた。

 

 あの息苦しい家に、葉子にも会えず、永遠に閉じ込められる。

 

 そんな考えが、私の胸を締め付けていた。

 

 …………けれど、そんな私を救ってくれたのは、やっぱり葉子だった。

 

 葉子は家族の協力を得てわざわざ自分の兄と部屋を交換し、私の部屋が見える場所に窓を取り付けていつでも私と話が出来るようにしてくれた。

 

 彼女は「模様替えしたかっただけ」と言っていたが、私の為にしてくれた事なのは明らかだった。

 

 それまで息苦しかった自分の部屋に、やっと空気が入って来てくれた気がした。

 

 それからは、自分の部屋で勉強するのが苦ではなくなった。

 

 正確には、勉強している間に息苦しい思いをしなくなった。

 

 勉強に疲れた時も、窓の外を見ればその先に葉子の笑顔がある。

 

 それだけで、私はそれまで以上に頑張る事が出来た。

 

 それだけで、私は勉強の時間が楽しくなった。

 

 それまで、勉強は私にとって仕上げなくてはならない()()()だった。

 

 けれど、葉子といつでも窓越しに話せるようになってからは、彼女と話す時の手慰みのようなものとなった。

 

 不思議なもので、それからというもの私の勉強の能率は目に見えて上がって行った。

 

 塾でも一位を落とす事はなくなり、父もそんな私に満足しているようだった。

 

 父からすれば葉子の家に行かなくなったから成績が上がったと考えているのだろうが、実際は葉子といつでも話せるようになったからだ。

 

 無論、わざわざ訂正する事はしなかった。

 

 流石に葉子の家の窓の事には気付いているだろうが、良い成績を出し続ける限り父が私に干渉して来る事はない。

 

 ならば、余計な事は言わないに限る。

 

 父に関して、私はもう期待する事を諦めていた。

 

 自分には、葉子さえいればそれで良い。

 

 葉子さえ、自分の隣にいてくれれば、私は生きていける。

 

 それは、私の嘘偽りのない本心だった。

 

 たとえ世界が終わろうと、私は葉子と共にいる。

 

 それが、私の幸せ。

 

 幼心に思った、笑ってしまうような思い込み。

 

 この現実はフィクションなんかじゃないし、怪獣もヒーローもいない。

 

 世界の終わりなんかやって来ないし、戦争なんかも遠い国の出来事だ。

 

 だから、自分は平凡に生きて、平凡に生を終えるのだろう。

 

 葉子とは社会人になってからも付き合いを続けて、休みの日には一緒に遊びに行く。

 

 そんな漠然とした将来を、私は夢見ていた。

 

 ────そんな常識(あたりまえ)は、四年前のあの日に崩れ去った。

 

 初めに感じたのは、大きな揺れだった。

 

 地震かな、と考えたのも束の間。

 

 街に、怪獣が溢れ出した。

 

 フィクションでしか見た事のないような、大きな体躯の異形の化け物。

 

 まさしく()()としか言いようのないそれ────トリオン兵、【バムスター】がその巨体で建物を押し潰し、逃げる人々をその大きな口の中に呑み込んで行った。

 

 塾帰りだった私は飛んで来た瓦礫で打撲を負い、身体が悲鳴をあげていたが、そんな事よりも気になったのは、自分の家族と、葉子の事だった。

 

 動く度に込み上げる吐き気を抑えながら、私は瓦礫を掻き分けるようにして走った。

 

 尋常ではない胸の痛みと吐き気から考えるに、骨が折れているか、もしかすると臓器にも傷が付いているかもしれない。

 

 走る度に胸部に負担がかかり、刺すような痛みに襲われる。

 

 けれど、私は止まるワケには行かなかった。

 

 早く。

 

 早く。

 

 家族の無事を、葉子の無事を、確認しなければ。

 

 私はその一心で、激しい痛みに耐えながら必死で瓦礫の街を駆け抜けた。

 

 いつもはそう遠く感じない帰路が、どうしようもなく遠い。

 

 途中で何度も転び、額も切って頭から血も流れている。

 

 だが、知った事か。

 

 怪我なら、直せばどうにかなる。

 

 けれど、一度死んでしまった命は、二度とは戻らない。

 

 冷静に考えれば私一人が行った所でどうにかなる事などないかもしれないが、それでも動かずにはいられなかった。

 

 葉子を。

 

 私の、半身を。

 

 決して、失うワケには行かなかったのだから。

 

「……っ!」

 

 …………私は、その光景を見て言葉を失った。

 

 分かっていた、筈だった。

 

 街の光景を見た時点で、この可能性は嫌という程予見出来た筈だった。

 

 けれど、何処かで()()()()()()()()()()という楽観があったのかもしれない。

 

 だから、言葉を失うしかなかった。

 

 ────無残に潰れた、自分と葉子の家を見て。

 

 ちらりと、自分の家のあった場所を見る。

 

 今日両親は、日曜だった事もあり、家で過ごしていた筈だ。

 

 今は潰れている、あの家で。

 

 私の家は立派な大きな家であり、建物の重量も他の家と比べてかなりのものだ。

 

 当然積み重なった瓦礫は私の腕でどかせるような規模ではなく、瓦礫を掻き分けて両親を助け出す事は不可能と思えた。

 

 …………その時、私はあっさりと両親を見捨てる決断を下した。

 

 元より、あまり愛情等感じていなかった両親だ。

 

 それよりも私は、葉子を助けたかった。

 

 両親の庇護をこの歳で失うのは痛いが、これだけの災害だ。

 

 遠目に見える怪獣の姿が不安要素ではあるが、親がいなくとも生きていける手段はそれなりにある。

 

 被災者に対する蔑視はあるかもしれないが、同様に家や家族を失った者達も溢れ帰るだろうし、そういった者達で固まれば周囲からの迫害も少ない筈だ。

 

 そうでなくとも、葉子さえいれば私は生きていける。

 

 だから私は呆気なく、両親よりも葉子を取った。

 

 そのまま葉子を助けようと、足を進めて。

 

「…………はな、か……?」

「……っ!? お父、さん……」

 

 ────家の瓦礫の中から、擦れた父の声が聞こえた。

 

 たった今見捨てる決断を下した父の声に、私はどう反応したらいいか分からず硬直した。

 

 恨み言だろうか。

 

 私が自分の家に背を向けて葉子の家に向かおうとした事は分かっただろうし、自分達を見捨てた親不孝者の娘に対する罵倒が飛んでくるかもしれない。

 

 そう考えて私は、何か言われる前にその場を去ろうとして────。

 

「お前は、無事だったのか……? 良かっ、た……」

「……え……?」

 

 ────思いも依らなかった私を案ずる言葉に、私は家の方を振り向いた。

 

 瓦礫に覆われて、姿は見えない。

 

 けれどその奥から感じる息遣いは、確かに父のものだった。

 

 私はふらふらと自分の家のあった場所に近付き、恐る恐る声をかけた。

 

「お父、さん……私、その……」

「……分かっている。お前では、この家の瓦礫を退けるのは無理だろう。友達の所に、行ってあげなさい」

「で、でも……っ!」

 

 それじゃあお父さんが、と言おうとして、気付く。

 

 先程、自分は両親を見捨てる決断を下したのではなかったか。

 

 でも、あの一言に確かな温かみを感じた私は、その決断が揺らいでいた。

 

 本当に、両親を見捨てて良いのか。

 

 迷って、しまった。

 

 けれど、父は私に「行け」と言う。

 

 父は、葉子の家に対して、あまり良い感情を抱いていなかった筈なのに。

 

「…………お前が、葉子ちゃんと毎晩話すようになってから成績が上がったのは知っている。お前に必要だったのは私のような杓子定規なやり方ではなく、あの子の方だったのだな」

「お父、さん…………知って、たの……?」

「ああ、親は、子供の事は思ったよりも見ているものだぞ」

 

 お前には、伝わらなかったかもしれないが、と父は言う。

 

 それを聞いて、違う、と私は内心で叫んだ。

 

 見ていなかったのは、私の方だ。

 

 私は父の表向きの態度だけを見て、「この人は私を愛してなんかいない」と決めつけていた。

 

 期待する事を、止めてしまった。

 

 けれど父は、不器用ながらも私の事を本当に愛してくれていた。

 

 私は勝手な思い込みで、それに気付けなかった。

 

 父の、本当の想いに。

 

「…………だが、私達はもう手遅れだ。だからお前は、自分の行きたい所に行きなさい。三浦くんの家を頼れば、当面の生活はどうにかなる筈だ。だから、早く────」

 

 ────友達を助けに、行きなさい。

 

 その言葉を最後に、父の声は途切れた。

 

 私は声にならない悲鳴をあげ、込み上げる涙を拭いながら葉子の家のあった場所へ向かった。

 

 父の想いを、無駄にしたくはない。

 

 自分が死ぬ事は怖い筈なのに、それよりも私の事を案じてくれた。

 

 だから、私は私に出来る事をする。

 

 今の私に、出来る事を。

 

 葉子の家は木造だった事もあり、私の家よりは遥かに瓦礫は軽い。

 

 だから私は、必死になって瓦礫を掻き分けた。

 

 剥き出しの手に瓦礫が刺さり、皮が剥け、血が流れ出る。

 

 傷だらけになった手で、ただひたすらに瓦礫をどかす。

 

「葉子、葉子……っ!」

 

 私らしからぬ大声で葉子の名を叫びながら、私は彼女の姿を探した。

 

 ボロボロになった両手で、邪魔な瓦礫を掻き分ける。

 

 どれくらい、そうしていただろう。

 

 瓦礫の奥に、見慣れた、小さな影があった。

 

 葉子だ。

 

 瓦礫が邪魔で動けないようだが、生きている葉子だ。

 

 意識を失っているらしかった葉子に、私は必死に語り掛ける。

 

 目を、覚まして欲しい。

 

 そして、いつもの笑顔を見せて欲しい。

 

 私が望むのは、それだけだった。

 

「……華……?」

 

 私の呼びかけが、届いたのだろう。

 

 葉子はようやく瞼を開け、私の姿を視認した。

 

「ちょっと待って、今どかすからっ!」

 

 私は脇目も振らず瓦礫を力任せに退かし、葉子に手を伸ばす。

 

「つかまって、立てるっ!?」

「う、うん……」

 

 葉子は私の手を取り、瓦礫の中から抜け出した。

 

「なにこれ……」

 

 彼女は、周囲の光景を見て絶句していた。

 

 それはそうだろう。

 

 これまで当たり前のように住んでいた街が瓦礫の山と化し、遠くには怪獣らしき影が動いているのだから。

 

 常識を疑うのも、無理はない。

 

「行くよ葉子。逃げなきゃ」

 

 だが、立ち止まっている時間はない。

 

 万が一、あの怪獣達がこちらに来てしまえば、逃げ切れる筈もない。

 

 その前に、何処か安全な所に避難しなければ。

 

 私は家族の身を案じる葉子に「大丈夫」と繰り返しながら、二人で瓦礫の街を歩き続けた。

 

 瓦礫の下に、私の両親が埋まっている事を知りながら。

 

 私は、そこから立ち去った。

 

 

 

 

 ────そうして私は葉子と共に生き残り、私の両親は亡くなった。

 

 私は父の言っていた通り親戚の三浦家を頼り、当面の生活基盤を確保した。

 

 葉子も五体満足で生き残り、彼女の家族もまた、外出していた為無事だった。

 

 私はその事に心底安堵し、葉子が私の病室を訪ねて元気な姿を見せてくれた時には身体が自由であれば彼女に抱き着きたい程昂揚していた。

 

 流石に無理が祟ったのか、私の身体は酷い有り様だった。

 

 至る所が骨折していたし、身体中が傷だらけだった。

 

 特に素手のまま瓦礫を掻き分けた両手は酷い有り様であり、後々まで痕が残る結果となった。

 

 けれど、その事に関して後悔はしていない。

 

 あの時無茶をしていなければ、葉子とこうして共にいる事は出来なかったかもしれない。

 

 そう考えれば、自分の両手の傷跡など些細な事だった。

 

 私はその後あの災害を退けた組織、【ボーダー】の事を知り、そこに入隊して正隊員になれば学生の身分でも給料が出る上に、自分の部屋まで貰えるという。

 

 そこに入る事を決めた私は、その事を真っ先に葉子に話した。

 

 案の定、葉子も【ボーダー】に入ると言ってくれた。

 

 それを期待していなかったといえば、正直嘘になる。

 

 勉強ばかりであまり運動が得意ではない自分と違い、葉子は運動神経抜群だ。

 

 【ボーダー】の()()()として戦うならば、私より葉子の方が適任である事はよく考えずとも分かる。

 

 だから、たとえ私が戦えずとも、葉子をサポートする事で上を目指せれば、私は公私共に大義名分を以て葉子と共にいる事が出来る。

 

 本音を言えば、葉子と共にいる事が出来ればなんでも良かった。

 

 【ボーダー】を選んだのは、ただそこが都合の良い場所であったというだけ。

 

 私は、葉子さえいればそれで良い。

 

 葉子と共にいられるのなら、私はなんでもやれる。

 

 そんな私の想いに応えるように、【ボーダー】に入隊した葉子は瞬く間にB級()隊員となり、私は葉子の作る隊のオペレーターとなった。

 

 隊には私の伝手で入った雄太と葉子の伝手で入った若村くんが加わったが、隊の中心が葉子である事は変わりなかった。

 

 葉子と若村くんは相性が悪いらしく衝突は耐えないが、こればかりは葉子の性格上仕方ないと言える。

 

 嫌いな相手にはトコトン嫌われるのが、葉子の性格なのだから。

 

 逆に雄太はそんな葉子に惚れているようだったが、私の見た限り脈はなさそうだった。

 

 若村くんは私に気があるようだが、残念ながらタイプとは言えない。

 

 だから好きな男性のタイプはと聞かれた時には「嵐山さんみたいな人」と答えておき、妙な期待は持たせないようにした。

 

 どうやらまだ諦めてはいないようなので、今後に期待する、としか言えない。

 

 私のような面白みのない女相手に酔狂な事だ、とは思うがこればかりは仕方ない。

 

 私と付き合うという事は、必然的に葉子と共にいる時間も長くなる、という事だ。

 

 残念ながら私は、葉子と上手くやっていけない相手と付き合える自信はない。

 

 私が最も優先するのは、今も昔も彼女なのだから。

 

 そういう意味では、雄太の方がまだやり易いのかもしれない。

 

 見た感じ彼は葉子のタイプではないが、彼女とそう相性が悪いワケでもない。

 

 もう少し押しが強ければと思う事は多々あるが、何か覚悟を決める出来事でもあれば変わってくれるだろう。

 

 幸い、此処は戦闘という非日常を日常とする【ボーダー】だ。

 

 変わる機会など、幾らでもあるだろう。

 

 彼はどうやら葉子のように「変わる気のない人間」ではなさそうなので、切っ掛けさえあれば変わる可能性はある筈だ。

 

 たとえば、葉子が格下相手にボロ負けした時なんかが、その狙い目だろう。

 

 その時の対応次第では、応援してあげても良い。

 

 葉子を想う気持ちは、私も同じなのだから。

 

 …………四年前のあの日から、私が抱く想いは変わっていない。

 

 たとえ世界がどうなろうと、葉子さえいれば私は大丈夫。

 

 瓦礫の街を歩く中、葉子に繰り返し囁いた「大丈夫」という言葉は、今思えば私自身に言い聞かせていたものだった。

 

 そうでもしなければ、私はきっと折れていた。

 

 冷静に見えるように強がってみても、私は誰かに依存しなければ生きていけない人間なのだ。

 

 傍目からはそう見えないかもしれないが、私の存在は葉子にどっぷりと依存している。

 

 葉子のいない世界なんて、生きている価値などない。

 

 私は、本気でそう思ってしまっている。

 

 もし、世界と葉子のどちらかを取るとしたら、私はきっと葉子を選ぶ。

 

 もし、葉子と自分の命が天秤の上に乗ったとしたら、私は自ら天秤の上から降りるだろう。

 

 葉子は、強い人間だ。

 

 私と違って、一人でも生きていける筈だ。

 

 それに何より、私の犠牲で葉子が助かるのであれば、葉子の心に私の存在を刻み込む事が出来る。

 

 それはとても甘美で、しかし手を伸ばしてはいけない果実のような妄想だった。

 

 私に、破滅願望はない。

 

 自ら死にたいと、思った事もない。

 

 けれど、それは葉子の存在という前提あっての事だ。

 

 彼女がいない世界なんて、生きていても意味はない。

 

 きっと、お父さんはそれを正しく理解してくれていたのだろう。

 

 だから、自分よりも葉子を助けに行けと、言ってくれた。

 

 私は、その事に感謝している。

 

 あの時、もしも父の声がなければ、私は葉子以外何も目に入らない、冷徹な人間になっていた事だろう。

 

 父の愛情を知り、人の命の重みを知ったからこそ、こうして葉子と共に今の変わってしまった世界に溶け込む事が出来ている。

 

 両親が死んだ事を思い出すと、今でも心が痛む。

 

 あんなに距離を感じていた筈なのに、今では大切な存在だったのだと痛感する。

 

 墓参りにも毎年行っているし、その時には葉子も着いて来てくれている。

 

 葉子と一緒に、貴方達のお陰で今私達は生きている、と両親に報告する事が出来ている。

 

 それはとても、幸福な事に思えた。

 

 葉子は、私のこんな本心を知ったら、驚くだろうか。

 

 驚いて、距離を取ってしまうだろうか。

 

 いや、それはない。

 

 確かに驚くかもしれないが、きっと彼女はこう言うだろう。

 

 「華は絶対私が守るから」、と。

 

 そして彼女は、本当にそれを成し遂げてしまうのだろう。

 

 【ボーダー】隊員として成長した葉子は、本当に強くなった。

 

 あの四年前の大規模侵攻の時に街を破壊し尽くした【バムスター】も、今の葉子相手じゃ雑魚扱いだ。

 

 もしも今の葉子があの時の街に戦いに行けば、きっと大戦果を挙げてくれる事だろう。

 

 そんなもしも(if)、語った所で意味はないのだけれど。

 

 今は調子を崩してB級上位から中位へ転落してしまっているが、何も死んだワケではない。

 

 次の相手は【柿崎隊】と、今期に上がって来た新進気鋭のニューチーム、【玉狛第二】。

 

 葉子はどちらも格下と侮っているが、恐らくそう簡単な試合にならない事は目に見えている。

 

 【玉狛第二】は前回B級上位相手に惨敗した模様だが、それでも隊長の三雲修は中々の曲者だ。

 

 葉子が最も苦手な、搦め手を多用する相手。

 

 どう考えても、翻弄される未来しか見えない。

 

 けれど、それを今言っても彼女が受け入れないであろう事は分かっている。

 

 それに、彼女には一度痛い目を見て貰った方が良い。

 

 そうする事で、きっと彼女はもっと上を目指して行ける。

 

 成長の一助になると、信じている。

 

 だから、期待しているのだ。

 

 【玉狛第二】隊長、三雲修。

 

 彼の手腕は、きっと葉子の転機に繋がってくれるだろう。

 

 そのまま折れてしまうかもしれないが、その時はその時だ。

 

 何も、【ボーダー】にいる事だけが葉子と共にいられる手段ではないのだから。

 

 でも、私は期待している。

 

 葉子が自分を見つめ直して、私と、チームの皆と共に上を目指していけるだろうと。

 

 父の言葉がなければきっと、こんな風に誰かに()()する事なんて出来なかった。

 

 だから、私はこう思うのだ。

 

 ────あなたはわたしの、世界のすべて。

 

 葉子を構成するその全てが、私にとっての世界そのもの。

 

 それがある限り、きっと私は生きていける。

 

 変わった世界で、私は今を生きていく。

 

 その先に、確かな希望があると信じて。





 華ちゃんの心情の延々吐露、独自解釈多量に含む話、でした。

 要はあの香取ちゃんの回想を華さんの視点から独自解釈を交えて語って貰ったワケですね。

 父親のくだりも、妄想です。

 けどまあ諸事情あって父親の想いに関してはこういうのがあればいいなー、と思って組み入れた次第です。

 最初は玉狛あたりのオペレーターを選ぼうと思ってたんですが、急遽こっちにしました。

 『ハーメルン合同ランク戦』、よろしくです。


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