「聖遺物の反応を確認して来てみれば……こんなことが起きているなんて予想外だわ」
炎の赤と灰の黒だけが瓦礫の山を彩る世界。
それは人を炭素に変えて殺すためだけに存在する災厄、“ノイズ”が生み出した世界。
その中に異物と感じる程に、神聖さを漂わせる黄金が踏み入って来る。
人間離れした美貌。長く伸ばされたクリーム色の髪。
そして何より、知性の中に狂気を漂わせる黄金の瞳が特徴的な女だ。
「どうして
女、フィーネは黄金の瞳でそれを見る。
無数の人の形を残した炭ではなく、それを庇ったかのように崩れ落ちている炭でもなく。
燃えカスのように残る、小学生ぐらいの赤銅の少年を見ていた。
「今日の私は幸運だった。二課は司令交代のゴタゴタで素早く動けず、
終わりを意味する名を持つ者、
特異災害として認定された未知の存在、“ノイズ”に対処する『特異災害対策機動部二課』も、今は聖遺物のイチイバルの紛失の煽りを受けた司令交代の真っただ中で、通常の対応速度よりも数段落ちている。そして何より、フィーネの仮の姿であり二課の技術主任たる了子が居ない今は、目の前の聖遺物に気づける者はいない。
「聖遺物との融合なのか、それとも元々こういった使い方があったのか。フフフ、何にせよ、私にとってはタダも同然で
フィーネは妖艶な笑みを浮かべ、赤銅の少年を抱え上げる。
そして、名前の部分だけが残った少年の最後の名残りである名札を読み上げるのだった。
「―――士郎君?」
こうして、少年の運命は狂うこととなる。
正義の味方に救われず、恋に狂った魔女に拾われた少年の――
―――歪んだ運命が始まるのだった。
少年、士郎がフィーネに拾われてからおおよそ10年が経った時、彼は。
「士郎ー! 飯まだなのかー!?」
「後、もう少しだから大人しく座っててくれよな、クリス」
料理を作っていた。
「早くしてくれ、背中と腹がくっつきそうだ」
「はいはい。もう少しだから皿でも並べてといてくれ」
テーブルに豊かな胸を押し付けてぐてーと寝そべる銀髪の美少女、
そんなサービスショットに特に気づいた様子もなく、士郎は調理を続ける。
(豚汁は後はネギを入れて温めなおせば完成。サケのホイル焼きはさっき蒸し始めたから、後10分ぐらいだな。その間に野菜炒めの方をするか)
豚汁に使う際に一緒に切って置いた豚肉を冷たいフライパンに入れ、弱火で炒め始める。
それに並行し、軽く茹でておいた人参に加えて、キャベツやピーマン、もやしなどを別のフライパンに入れ、そこにサラダ油を適量入れて炒めていく。
(強火で一気にって出来たらいいけど、普通の家のコンロじゃ火力が足りない。だから逆に弱火で時間をかけて炒めることで、野菜を固くしてシャキッとさせる)
2,3分おきに野菜をひっくり返すように混ぜて、全体に熱を行きわたらせる。
その間に片手間で豚汁にネギを入れて温めなおしていく。
そうした作業の中、野菜がしんなりとしてきたところで豚肉を加え、日本酒・塩・胡椒・醤油などで味付けしていく。
(最後に香ばしさが出る様に30秒ぐらい強火で炒める。で、仕上げにゴマ油をフライパンの中央に加えて香りづけをしたら……よし、完成だ)
ふうっと、満足げな息を吐き士郎は火を止める。
一口味見をしてみるが、クリスの口にも合うだろうと満足げに頷く。
「クリスー、出来たから取りに来てくれ」
「待ってました! よし早くつげ!」
「分かったから、そんなに慌てるなって」
寝そべっていた状態からガバッと起き上がり、キッチンに突撃してくるクリスに苦笑しつつ、士郎は料理を皿によそっていく。取りあえず、お腹が空いてそうなのでクリスのは多めにつぎつつ、彼は流し台にあるまな板と包丁に目をやる。
(クリスに急かされたから、片付けるの忘れてたな。こいつらだけでも先に洗っておくか)
料理も掃除もきちんと順序立ててやれば、手間は少なくて済む。
そんな信念がある士郎は、主に食後の自分のために片づけを先に済まそうとする。が。
「おーい、士郎。早く飯食おうぜ」
「別に先に食べてていいぞ、クリス」
「片付けなんて後で良いだろ。ほら、飯が冷めるぞ」
「……普通それは料理を作った側が言うもんじゃないのか? 後、後片付けも基本俺がやるし」
「飯が冷めるのは事実だろ? ほら、食おうぜ」
アメジスト色の瞳にジーッと見つめられれば諦めるしかない。
士郎はしょうがないなと言った表情で、エプロンを取って食卓につく。
向かい合うように座る2人は恋人……というよりも、どこか家族のような自然な空気を醸しだしている。
「じゃ、食うか」
「ああ」
「「いただきます」」
2人揃って手を合わせる。
しかし、その後の行動は対照的だった。
豚汁をすすり、良い味だと1人頷く士郎。
危なっかしい箸の握り方で、野菜炒めを頬張り、ご飯をかっこんでいくクリス。
「うまい」
「うめえ」
士郎は上品とは言えずとも、特に目につくような点の無い食べ方をする。
一方のクリスは、年頃の少女がそれでいいのかという豪快な食べ方だ。
箸の握り方はダメで、ポロポロと食べかすが落ちていく。
端的に言えば、小さな子供の食べ方だ。
スパゲッティを食べた日には口元が真っ赤に染まっていることは間違いない。
「また腕を上げたんじゃねぇか、士郎?」
「喜んでもらえて何よりだな」
そんな人によっては百年の恋も冷めるような食べ方だが、士郎はそれが好きだった。
クリスの食べ方はハッキリ言って汚い。だが、それを帳消しにする程美味しそうに食べる。
料理人冥利に尽きる顔なのだ。
だから、士郎はクリスの食べ方を注意したことも無ければ、気にしたことも無い。
クリスの顔は本当に美味しそうに見えるから、彼は。
(俺、ちゃんと
自分が他人に貢献できていると、実感することが出来る。
何より、他人のために何かをしているという事実だけが。
「士郎、おかわり!」
「はいはい、ちょっと待ってくれよ」
士郎にとって、自分が生きることを許していい理由になるのだから。
雪音クリスと士郎の初めての出会いは、今から2年前のことだった。
「えー…と、俺は士郎。よろしくな」
「……雪音クリス」
とある研究所の生活スペースの一角。
そこでの困ったような士郎の笑いと、心を固く閉ざしたクリスの無愛想な挨拶。
それが2人の最初の出会いだった。
「それじゃあ、士郎。私が見ていない間のこの子の世話は頼んだわよ」
「ああ、分かったよ。フィーネさん」
『聖遺物』、世界各地の伝説に登場する、超古代のオーバーテクノロジーの産物である
フィーネはある目的のためにそれを集めており、
では、クリスもまた聖遺物を身に宿した存在なのかというと違う。
彼女は身に宿す者ではなく、聖遺物を目覚めさせるものだ。
聖遺物は人知を超えた力を持つ。だが、古代技術であるが故に経年劣化などで多くの場合、その力は眠っている。
そこで必要なのがクリスのような適合者の
歌は『フォニックゲイン』と呼ばれるエネルギーの源になり、それが聖遺物の起動の鍵となる。
しかし、誰の歌でも良いという訳ではなく、それが可能な人間は限られている。
確率にして1000万分の1と言っても過言ではない。
そして、クリスはその選ばれた人間であったために、フィーネに連れてこられたのだ。
「じゃあ、まずは部屋から案内するけどいいか?」
「…………」
話をする気はないとばかりに口を閉ざすクリス。
ここだけ見ると、フィーネが無理やり連れて来たのかと思うかもしれないが、そうではない。
彼女は自分の意志でフィーネからの提案を受け入れたのだ。
「荷物はこの部屋に置けばいい。トイレはあっちで、向こう側にはキッチンがある」
無言で士郎の後ろについていく、彼女の瞳には怒りの炎が宿っている。
それは前を歩く少年に向いているのではない。世界への怒りであり、暴力への憤りである。
彼女は6年前に音楽家である両親のボランティア活動で、紛争地帯に連れられていった際にテロに巻き込まれた過去を持つ。そして、その後は捕虜としての生活を余儀なくされ、理不尽に振るわれる暴力と戦争に晒され続けてきた。
その過去が救出されて日本に戻ってきた後にも、彼女に暗い影を残していた。
そして、その戦争と暴力がない世界を望む心がフィーネに付け込まれる原因になる。
―――力を持つ者を全てこの世界から消せば、世界は平和になると思わない?
クリスはフィーネのこの言葉を信じ、自ら茨の道に身を落としたのである。
「大体これぐらい知ってたら問題はないな。それじゃあ、今日は移動で疲れただろうし、ゆっくり休んでくれ」
「…………」
クリスは返事を返すことなく、もう用はないとばかりに部屋の扉を閉める。
こんな対応をされれば、普通はムッとするだろうが、士郎は気にせず苦笑いをするだけである。
それどころか、さらに善意を向けてくるのだった。
「そうだ、何か食べられないものはあるか? 無いなら無言で良い」
「…………」
「そっか、じゃあ軽く摘まめるものでも作って来る」
「……頼んでねえよ」
相も変わらぬ態度で接してくる士郎に、クリスは壁を作るように吐き捨てる。
「俺が作りたいんだ。扉の横に置いておくから、要らないならそのままにしておいてくれ」
だが、暖簾に腕押しとばかりに士郎は譲らない。
クリスの反論を待つことも無く、士郎はキッチンへと向かっていく。
そのことにクリスは軽い苛立ちを覚えるものの、すぐに思考を切り替え、荷物の中から何やら錆びた杖らしきものを取り出す。
「『ソロモンの杖』……これが争いのない世界を創るために必要なものなんだよな」
ソロモンの杖。
それは自由にノイズを呼び出し、自在に操ることが出来る聖遺物。
クリスはこの聖遺物の起動をフィーネから任されていた。
「あたし1人じゃ一発で起動なんて出来ない。とにかく時間を費やしてフォニックゲインを溜めなきゃだめだ。だから、休んでる暇なんてねえ」
適合者は聖遺物を目覚めさせる資格を持つ。
しかし、だからといって1人で一発で出来るというわけではない。
欠片しか残っていないような聖遺物であれば可能だろう。
だが、完全なる状態で保存されていた『完全聖遺物』相手では出力不足だ。
適合者単体では、規格外のフォニックゲインでも持たない限り難しい。
それを補うためには純粋に数を揃えるか、時間をかけるかの二択しかない。
そして、クリスは後者の方法を選んだ。
「もう誰も暴力に怯えなくて済むように……もう二度と戦争が起きないように……恒久的に平和な世界をあたしが創るんだ…!」
純粋でどこか歪んだ理想がクリスを突き動かす。
彼女はこれから半年間は朝と昼はフィーネの監視下で、データを取りつつ歌を歌い。
夜は自室でソロモンの杖の起動のために歌うだろう。
世界の平和のためにと、争いのない世界のためにと。命と心を賭して。
その方法が間違っていることに気づくこともなく。
彼女は1人歌い続けるのだった。
「……んあ? もう、こんな時間かよ」
一心不乱に歌い続けていたクリスが、ふと我に返り時計を見てみると既に日付が変わっていた。
流石にもう寝ないと明日に響くだろう。
そんなことを漠然と考えながら、彼女は歌い続けて酷使した喉を労わろうと水を飲みに部屋の外へ出る。
「ん? ……あいつ本当に作っていったのかよ」
そこで視界の隅に映る、お盆と皿を見つけるのだった。
お盆の中身はお茶と、ラップをかけられたサンドイッチ。
一瞬無視をしておこうかと思ったクリスだったが、そこで自身が空腹であることに気づく。
「まあ……料理に罪はねぇよな」
士郎から施しを受け入れるのではなく、ただ食べ物を粗末にしないため。
そう、心の中で意味のない言い訳をしながら、クリスはお盆を持って部屋に戻る。
「サンドイッチねぇ……ま、軽く食えるもんで良かったな」
食べ物を粗末にするのは気に入らない。
さっさと腹に詰め込んで寝よう。
そんなことを考えながらクリスはラップを剥がす。
(いただきます)
口に出すと何かに負けたような気分になるので、クリスは無言でサンドイッチを掴む。
具自体はハム、卵、レタスにトマトと至って普通のものだ。
なんとなしに眺めた後にクリスは一口口にする。
(……うまい)
素材は普通の物。しかし、相手のことを想い丁寧に調理されたそれは普通の味ではない。
冷めても美味しいような具材を選び、パンは野菜とソースの水分でベチョっとならないように厚めのものが使われている。クリスには分からないが、ソースをかける順番も時間経過で野菜から水分が染み出てこないようにハムと卵の間にかけてあり、それが味に統一感を生み出している。
(小さめに切られてるから食いやすいな)
サンドイッチは、少女のクリスが食べやすいような大きさに切り分けられている。
さらに言えば切る前にラップを巻いて冷蔵庫で30分ほど寝かしたことで、しっとりとした触感が今でも続いている。
そうした細やかな技術と気遣いのおかげか、クリスは夢中で口に運んでいき、ほんの数分で全てを食べつくす。
「ごちそうさま……あ」
腹を満たされたことで気が緩んでいたのか、つい食後の挨拶を口に出してしまう。
そのことに何故だか恥ずかしくなってあたりを見まわすが、当然部屋には彼女しかいない。
「はぁ……取りあえず、置いてあった場所に置いとけばいいのか?」
恥ずかしがったことに、また恥ずかしくなり、クリスは溜息を1つ吐いて立ち上がる。
お盆の上に感謝のメッセージカードでも置いておこうかと、一瞬思うがすぐに首を振る。
(どうせ今日一日だけだろうし、別に礼は言わなくても…言わなくても……問題…ないだろ)
特に相手と親しくするつもりもないし、関わりを続ける気もない。
礼も無しに放置しておけば、相手の方から勝手に離れていくはずだ。
無償で誰かのために動き続ける奴なんて居るわけがない。
そんな奴はただの異常者だ。だから、こちらが何も返さなければ自分は1人になれる。
クリスはそんなことを頭で考えて、チクリと痛む胸を抑える。
「ああ、クソ……もう寝よ」
相手の善意をないがしろにしたことに、感謝の言葉1つ言えない自分に。
そして、こんな態度だから嫌われるであろう未来に。
クリスは目を背けて眠りにつくのだった。
きっと嫌われるだろう。クリスはそう思っていたし、士郎の前ではそういう風に振る舞った。
挨拶をされても無視をする。
料理のお礼を言うことも無い。
基本的に目も合わせない。
面と向かって暴言を吐くのは、士郎へのヘイトが足りないためになかったが、普通の人間なら怒ってもおかしくない。というか、クリス本人がやられたら絶対にキレている。
だというのに、士郎という少年は態度も行動もまったく変えなかった。
「……あいつまた作ってるのかよ。もう、一週間目だぞ?」
一週間経っても料理を作って来る士郎にクリスは呆れた。
とんだお人好しも居たもんだと、皮肉気に笑う。
だが、それでももう少ししたらやめるだろうと高をくくっていた。
「今日で一か月目か……一日も欠かさないとかどうなってんだよ」
しかしながらクリスの予想は裏切られ続ける。
士郎は毎日毎日、一日たりとも欠かすことなくクリスのために料理を作り続けた。
この頃になると、クリスが部屋から出てくる時間を把握したのか、温かいものが出てくるようになる。
その事実にクリスは思わずストーカーかと思ってしまったが、不思議と嫌な気分ではなかった。
誰かが自分を見てくれている。
そんな事実に、少しだけ胸が温かくなり、同時にそんな相手を蔑ろにする自分に胸が痛んだ。
「三か月…三か月…おかしいだろ、あいつ。いや、おかしいのはあたしの方なのか?」
士郎の献身的な行為が三か月を超えたあたりで、クリスは自分の常識を疑った。
だって、彼女は出会ってから士郎への態度を変えてない。
まともに話したこともまだないのだ。
だというのに、士郎は料理を運び続ける。何の見返りもないというのに。
ひょっとして、普通の人間にとってこれが正常な行動なのかとクリスは思ってしまう。
しかし、その度に捕虜時代の記憶などからあり得ないと首を振る。
おかしいのは士郎だ。何の見返りもないのに、親しくもない人間に善意を振りまいている。
「何なんだよ、あいつ……本当に何なんだよ…ッ」
グシャグシャになった思考で考えても答えは出てこない。
そもそもこの答えを持つのは士郎本人だけだろう。
ならば、答えを知るには直接会話をするしかない。
だとしても、一方的に士郎を遠ざけようとした罪悪感のある彼女には、気軽に話しかけるなんてことは出来なかった。
「……ソロモンの杖が起動に成功したら聞こう。だから……頑張るか」
だから、勇気が自信が必要だった。
故に彼女は誓いだてる。ソロモンの杖の起動が成功したら士郎に理由を聞こうと。
まるで恋する男への告白を決意する乙女のように、心に決めるのだった。
そして、クリスと士郎が出会ってから半年後。
ソロモンの杖は起動に成功した。
珍しく褒めてくれたフィーネの言葉を思い出すと頬が緩むが、この後のことを思うとそれもすぐに引っ込む。
クリスはこれから士郎に尋ねるつもりだ。
半年間、毎日、何の見返りもなしにクリスへ料理を作り続けた真意を。
他ならぬ士郎の口から聞くつもりだ。
「なあ……今、いいか?」
「どうしたんだクリス? そんなに改まって」
神妙な顔で話しかけてくるクリスに、士郎は掃除の手を止めて普通の態度で返す。
そう、普通にだ。半年間、挨拶をしても無視されていたクリスに対して、怒ることも、驚くことも無く、至って普通に言葉を返したのだ。
この時点でクリスの頭の中では、訳が分からないという言葉が渦巻く。
しかし、悩むだけでは今までと同じだ。会話をしなければ答えは得られない。
「お前さ……なんであたしに料理を作り続けたんだ?」
「何でって、飯食わないと腹が減るだろ?」
「そういうことじゃねえよ!」
全く見当違いな台詞を吐く士郎に苛立ち、睨むような視線を向けるクリス。
だというのに、士郎の方は困惑するだけで怒りや侮辱の表情を見せない。
まるで、クリスの感情に気づいていないかのように。
「なんでお前は、何の見返りもないのに半年もあたしに料理を作り続けたんだよ! 自分で言うのもなんだけど、あたしは今までお前とまともに口もきいてねえんだぞ?」
勢いに任せて言った後に、クリスは強烈な罪悪感に顔を歪める。
違う。本当はお礼を言わないといけないのだ。
相手の理由が何であれ、自分が助けてもらったのならお礼を言わなければならない。
そうした常識と優しさを持ち合わせているのに、クリスはその素直でない性格から口にすることが出来ない。
情けない。惨めだ。そんな想いが心を蝕み、彼女は士郎から目を逸らす様に
だというのに。
「見返りをもらってない? 何言ってるんだ、クリス」
「は?」
「俺だって
クリスは思わず顔を上げて、まじまじと士郎の顔を見つめる。
自分が何かを彼にしてあげた記憶などない。
ひょっとすると、気づかないうちに実験のモルモットにでもされていたのだろうか。
そうだとしたら、やっぱり世の中には善人なんて居ない。
と、若干スレ気味な思考で考えていたが、次の彼の言葉でまたも驚かされることになる。
「クリスは俺の料理を食べてくれただろ? それも毎日残さずにさ」
「え…? それだけ?」
一切の虚飾もなく言い切る士郎に、クリスはポカンと口を開ける。
「それだけって、作った料理を食べてもらえないって結構きついんだぞ? 残されるのだって嫌だしさ。その点、クリスは好き嫌いが無くて助かったよ」
真顔で言ってのける士郎にクリスは否応なしに理解させられる。
こいつは本気で言っているのだと。
ただ、作ってもらった料理を食べてもらえる。それだけで対価は十分だと言っているのだ。
どれだけ相手に邪険にされても。例え、報われない日が永遠に続いたとしても。
彼はそれで十分だと言ってのけたのだ。
「だからさ、クリス。―――ありがとう」
ニコリと、どこか人形と人間の中間のようなアンバランスな笑顔を士郎が浮かべる。
「あ、ありがとう…って、何を…?」
「俺の作った料理を食べてくれてありがとう。毎日欠かさずに完食してくれてありがとう。俺の努力を無意味にしないでくれてありがとう」
言葉が出なかった。
たったそれだけのことで満足だと。
お腹がいっぱいになったのは自分の方だとばかりに笑う彼に。
雪音クリスは言葉にできない感情を抱いてしまった。
「そうだ。クリスとちゃんと話せるようになったら、聞きたいことがあったんだ」
「……なんだよ?」
「そう構えなくてもいいって。ホントに大したことじゃないからさ」
だからこそ、思ってしまう。
こいつなら、士郎なら信頼しても大丈夫なんじゃないかと。
甘えても良いんじゃないかと、独りぼっちじゃなくしてくれるんじゃないかと。
自分勝手に、身勝手にクリスは思ってしまった。
「クリス。今晩、なに食べたい?」
思えば、これが雪音クリスと士郎が本当の意味で向き合った瞬間だったのだろう。
「……サンドイッチが良い」
「サンドイッチ? 遠慮するなって。もっとちゃんとしたものでも良いんだぞ?」
「今日はそれが良いんだよ!」
「そっか……わかった。じゃあ、腕によりをかけて作るからな」
ニカッと笑い腕まくりをする士郎と目が合わせられなくなり、クリスは逃げるように自室へと駆けこんでいく。そして、数十分後に届けられたそれを、いつものように自室に持って入る。
あの日のように、丁寧に作られただけの普通のサンドイッチ。
ただ、そこには
相手のためになるようにと食べやすくされ、健康を意識してか、野菜が少し多めの料理。
例え、理由が何であれ、その思いやりだけは誰も否定できないだろう。
少なくともクリスはそう思っている。
「いただきます」
しっかりと手を合わせて、料理を作ってくれた人への感謝を告げる。
そして、彼女には珍しく丁寧に掴み口に運ぶ。
「…………」
ゆっくりと、味わうように咀嚼する。
いつものように美味しいと思う。
いつもと変わらない味。だというのに、クリスの頬には熱い涙が流れていた。
それを拭うこともせず、サンドイッチを口に運び続け、クリスはいつものように完食する。
ただ、いつもと違うのは、食後に手を合わせて。
「……ありがとう」
ごちそうさまではないが同じように、否、それ以上に感謝の籠った言葉を告げることだった。
それは素直でない彼女が絞り出した精一杯の言葉。
今はまだ面と向かって言えない気持ち。
でも、いつかはちゃんと伝えよう。
そんなクリスの気持ちが籠った感謝の言葉。
「本当に…ありがとな……士郎」
最後に一粒温かな涙を流し、彼女は飛び切りの感謝の気持ちを吐き出すのだった。
そして時は2年後に戻る。
「じゃあ、皿は流しに置いといてくれ。俺はフィーネさんに料理を持っていくから」
「あいつにー? そんな気遣い必要ないだろ。
「そんな酷いこと言うなよな、クリス。誰だってお腹は空くし、腹が減ったら元気がでない」
「あー、はいはい。お前の勝手だ。好きにしろよ」
食事を終えるとすぐにフィーネの下に行こうとする士郎に。クリスは拗ねたような台詞を吐く。
2人きりの食後の
「じゃ、行ってくる」
「……変なことされそうになったら言えよ?」
素直でないクリスからでる珍しい本気の心配。
それに気づいているのか、気づいていないのか士郎は朗らかに笑う。
「大丈夫だって。フィーネさんが
「お人好しもここまで行くと害だな」
「? とにかく皿は水につけといてくれよな。こびりつくと後が大変だし」
「うるせえな。分かってるよ、そんぐらい」
少しムスッとした表情で見送るクリスに、士郎は疑問符を浮かべるがすぐに気を取り直して、料理の乗ったお盆を手にフィーネが居るであろう研究室に向かう。
今士郎達が住んでいる家は日本にあるフィーネの隠れ家の1つだ。
もしクリスとフィーネだけが住んでいたのならば、もっと温かみの無い家になっていただろう。
しかし、士郎たっての希望でキッチンやその他の生活スペースが整えられ、外観はともかく、内装は普通の家庭のようになっているのだ。
もっとも、それも生活スペースだけであり、士郎が歩いていく先にある研究スペースは非日常的な空気を醸し出している。
「フィーネさん。晩御飯を持ってきたぞ」
「あら、ありがとうね士郎。そこに置いておいて、後で食べるから」
薄暗く、時折、生物の肉体の一部が培養液に浸かっている光景が目に入るが、士郎は気にも留めない。それが、彼にとっての日常が非日常であることを暗に示している。
「本当はクリスとフィーネさん、3人で食べたいんだけどな」
「フフ、ごめんなさいね。最近は忙しくて中々時間が取れないのよ」
「体には気をつけてくれよな。……そうだ」
「あら、どうしたの?」
嘘か真か分からぬ笑みを浮かべるフィーネに対し、士郎は心配する表情を見せる。
彼女は士郎にとっては母親みたいなものである。
ただ、面と向かって母と呼ぶのは気恥ずかしいため、いつも名前で呼んでいるのだが。
「疲労回復用のドリンクでも作って来るよ。あれも良い感じにできてる頃だろうし」
「あれ? とにかく別に無理して用意しなくても良いのよ。あなただって忙しいでしょう」
「フィーネさんやクリスに比べたら暇だよ、俺は。それにこれは俺が作りたいんだしな。それじゃあ、ご飯を食べてくれよ。多分、食べ終わったぐらいに完成するから」
フィーネにそう告げて士郎は元来た道を戻っていく。
そんな後ろ姿を無機質でいて、どこか憂いのある瞳で見つめながら彼女は思い出す。
壊れた少年を拾ってからの日々のことを。
「なるほど、鞘との融合で死にかけのこの子の命を救ったのね。どこかの正義の味方さんは」
グチュリ、グチュリと新鮮な血にまみれた内臓が掻きだされていく音がする。
クチュクチュと脂肪で出来た弾力のある脳みそが弄られる音がする。
それはフィーネが拾った少年を解剖する際に出る音だった。
「確かにこの聖遺物の力をもってすれば、それが不完全な覚醒であっても死の淵から呼び戻すことが出来る。もっとも、それがこの子にとっての幸につながるかは分からないがな」
クツクツと魔女のように嗤いながら、フィーネは少年の解剖を進めて行く。
手術ではない。ものとして調べるための解剖だ。
当たり前だが、死なないようにするための生命維持装置など少年にはつけられていない。
それもそうだろう。フィーネにとって、少年の生き死になどどうでもいいことなのだから。
「本来なら、鞘だけ取り出してもよかったのだが……これほど結びつきが強いとそれも難しいな。まったく、
だというのにフィーネは殺せないと溜息を吐く。
明らかに死から逃れえない状態にした少年を殺せるとは、欠片も思っていないのだ。
「ん? ああ、今度は出血多量で―――
突如として少年から不自然な青色の閃光が放たれる。
その不自然な光こそが、フィーネが少年を殺せないと言った理由だ。
青色の光は鞘の持ち主である少年を包み込み、その力の一端を発揮する。
この鞘を身に着けている限り、持ち主が死ぬことはない。
その伝承が示すとおりに死にかけの少年の傷を、否。
死に伏した少年の肉体を現世へと呼び戻す。
「……切開した傷どころか、取り出した内臓、失った血液まで元通りになってるとは……もはや反則だな。だというのに、これは完全起動した状態でない。恐らく、完全起動すれば伝承通りに『持ち主からは一滴の血も流れず、重傷を負うこともなく、不老不死となる』効果が発揮されるだろうな」
フィーネは大きく息を吐き、椅子にどっかりと座りこむ。
気疲れしているように見えるが、それは子供を解剖するという罪悪感から来たものではない。
何度も死んでは蘇る光景を見て、どことなく自分の半生を思い出してしまったからだ。
「不完全な起動故に、その力が発動するのは本人が死んだ時のみ。要するに今のこいつは不老不死ではなく不死身。普通の人間のように老いて成長して傷つくが、死ぬことだけはできない。いや……死ぬ度に生き返らせられているだけか」
フィーネはある目的を果たすために、古代より転生を繰り返している存在だ。
方法は自分の遺伝子を引く者を、意識ごと器として乗っ取るというものであるため、本人が生き続けていると言ってもおかしくはない。
だが、そんな彼女にも死の瞬間は幾度となく訪れている。
もちろん、意識の終わりがないという確証があるので、常人よりは死に耐性がある。
しかし、それでもあの体が死んでいく感覚というものは、慣れたいものではない。
老いであれ、外的要因であれ、死という感覚に向き合い続けるのは辛いものがある。
ふとした瞬間に思うのだ。
この人生で自分は本当に終わってしまうのではないかと。
繰り返すたびに心が軋むのだ。
本当の自分を知る者が誰も居ないという孤独感に。
その度に、彼女は自らの創造主への恋心を奮い立たせて恐怖心を乗り越えてきた。
故に、彼女の執念は強く硬い。
だが、如何に強く硬いものであっても、無敵という訳ではなく、弱音を零すこともある。
「後何度……死ぬことに耐えられるかしらね」
表情を見なければ、それは少年を嘲る言葉に聞こえただろう。
だが、もしその表情を見た者が居ればきっと。
どこまでもか弱い少女の姿に見えたことだろう。
「……ねえ、お姉さん」
「…ッ。まさか目を覚ますなんて……鞘の力を見誤ってたわ」
そんな弱い一面を覗かせていた時に、少年が意識を取り戻したものだからフィーネは思わず声を上げてしまいそうになるが、長年に渡り作り続けてきた笑顔の仮面を張り付けることでしのぐ。
「どうしたの? 何か言いたいことでもあるのかしら?」
「お姉さんはどうして―――」
普通に考えれば今の状況について聞きたいのだろうと察せる。
しかし、彼女はあくまでも会話の主導権を握るためにあえて尋ねる。
それが、自身にとっての失策になるとも気づかずに。
「―――俺を
余りにも簡単に笑顔の仮面が剥がれ落ちる。
ロボットのように何の感情も映していない、少年の顔があまりにも衝撃的だったから。
「なにを……言ってるの?」
「鞘とかせいいぶつ? っていうのは良く分かんないけど、それが俺だけが生きてる理由なんだろ?」
「まさか、解剖中も意識が…?」
衝撃で思わず言葉が零れてしまう。
だってそうだろう。普通なら意識のある状態で解剖なんてされたら悲鳴を上げる。
最低でも、声が出なくとも体は暴れまわるはずだ。
だというのに、少年は身じろぎ1つしなかったと言えば、それがどれだけ異常なことかが分かるだろう。
だから、フィーネも思わずと言った感じで聞いてしまう。
「どうして何も言わなかったの? 痛かったでしょうに」
「うん、痛かった。でも、しょうがないよ。俺が悪いんだから。悪いことをしてるんだから、お仕置きを受けないと」
「悪い…こと?」
フィーネは話しているうちに気づいてしまう。
少年の心のうちに占めているものの正体を。
「だって…俺―――
何も言えなかった。
こうなる人間が居ることぐらい知識の上では知っている。
だが、それでも。目の前で実際に、ここまで壊れた人間を見るのは中々に来るものがあった。
「父さんも、母さんも、みんな死んだのに……生きてる。俺だけが生きてる…ッ。だから、いけないんだ。仲間外れなんて嫌だ。みんなが死んだのなら俺も……でも、俺は……生きてる…生きてる! 生きてるッ! 生きてるッ!! ねえ、お姉さん……お願いだから、何でもするからさ、俺を――」
簡潔に言えばサバイバーズギルト。
災害に遭遇した人間が、自分だけが生き残ったことに罪悪感を抱く精神疾患の名前だ。
言葉にすればそれだけ。
だが、実際に目にしたそれは、余りにも、余りにも。
「―――殺してくれ」
「そう……死にたいのね」
だから、フィーネの心にはこの少年を利用するという思考の他に、同情という感情が芽生えた。
きっと、それは後に最大の失敗だったと振り返るもので、全く合理的なものではないだろう。
だとしても、恋に狂っただけで、生まれながらに狂っていたわけでない彼女には相手の心を思いやる機能が存在した。手を繋ぐことよりも、相手を殺すことを選んだ人間を愚かだと断じられる程度には、善というものを尊べた女は壊れた人形に手を差し伸べてしまった。
「でも、残念ね。あなたは死ねないわ。下手をしたら星が滅びるまで生き続けないといけない」
「…………」
「……私と同じようにね」
「え…?」
フィーネは少年の頭を優しく撫でる。
それは少年を利用するための打算だ。
だが、打算だけでなく、1人の大人として幼子を慰める心もある。
「あなたと同じで、私も永遠を生き続ける存在。もっとも、私の場合は生まれ変わりながらだから、顔も性別も変わったりするのだけど……それを除けば同じようなものよ」
「同じ…お姉さんも…」
「そう、同じ。でもね、私は自分の意志で生きたいと思って生きてる」
生きたい。その言葉に初めて何も映さなかった少年の瞳が揺れる。
何故なら、その感情だけは今の少年には決して理解できないものだったから。
「なんで…なんで生きたいって思えるんだ…? 息をするのも苦しいのに、ただ生きているだけで辛いのに…なんで生きたいなんて思えるんだ?」
だから、少年は縋りつくように問いかける。
まるで、溺れる者が藁でもつかむように。
否、実際に彼は絶望という名の海に溺れているのだろう。
だからこそわからないのだ。知りたいのだ。
永遠の刹那を生き続けることができる原動力を。
フィーネという女の根幹に根差すものの正体を。
「―――恋をしているからよ」
「恋…?」
ポカンとした表情を浮かべる少年に、素の微笑みを浮かべながらフィーネは語る。
「あなた恋をしたことはある?」
「……母さんや父さんを好きって思うこと?」
「いいえ、もっと特別な感情よ。たった1人にしか向かなくて、胸が苦しくって、呼吸をするのも辛くなったりするのよ」
それだけ聞けば、どこが楽しいのかと言いたくなる言い草に少年は首を傾げる。
しかし、そんなことはフィーネも分かっているため、気にせず話を続けていく。
「でもね、辛いことだけじゃないの。恋した人の声が聞こえるだけで嬉しくなって、顔を見たら胸が高鳴ってしょうがなくなる。明日にどんな辛いことが待っていたって、その人に会えると思えば力が溢れ出てくる。どんなにくすんだ世界だって、恋をしたその日から薔薇色に見えるようになるのよ」
そこには悠久の時を生きる魔女は居なかった。
ただ、少年の前には、想い人の姿を夢見て笑う恋する少女だけが居るのだった。
その姿があまりにも楽しそうで、あまりにも美しく見えたからつい少年は聞いてしまう。
「なあ……恋って楽しいのか?」
「あなたも生きて、恋をすれば分かるわ」
「そっか……」
一切の戸惑いも見せることなく言い切るフィーネの笑顔に、少年は思わずと言った感じで呟く。
「俺も、そんな風になれたらいいな」
なりたいとは言わない。
それは1人生き残ったという罪悪感からだ。
もしも、これが誰かを救うという自傷行為なら受け入れたかもしれない。
だが、恋は楽しいものだと少年は理解してしまった。
故に、自分は恋をしてはいけないと漠然と思いこむ。
1人生き残った自分に何かを楽しむ権利などない。
あんなにも美しいものを手に入れていいなんて思えない。
そう、どこまでも自罰的な思考に囚われている限り、少年が恋をすることはできないだろう。
もし仮に、そんな美しい恋に、自分というガラクタが関わることを許せるのだとしたら。
「なあ、お姉さん。お姉さんの恋が叶うように、俺に手伝わせてくれよ」
誰かに尽くす、償いという形だけだろう。
「……そう…ね。手伝ってもらえるかしら。さっきも言ったけど、私は死ぬことなく生まれ変わる。だから、同じように死なないあなたには、その度に私を見つけて手伝って欲しいのよ。可能なら、私が居ない間にやっておいて欲しいこともあるし」
少年の言葉にフィーネは曖昧に笑う。
元々の計画は今の言葉で達成された。彼女は少年を自分の駒として利用するつもりだった。
フィーネは永劫の時を生き続けることが可能だ。
しかし、それは永遠の刹那を繰り返しているだけに過ぎない。
自分の意識が覚醒していない状況では、器も思うようには動かせない。
計画を立てても寿命で一々途切れていれば、遅延も
今はアメリカのある組織で、自分の遺伝子を引く子供を集めて、その中の誰かに転生できる確率を高めることで、タイムロスを減らす工夫もしている。
だが、所詮は気休めだ。確かにそこに転生する確率は高い。
しかし、100%ではないのだ。まったく別の国で生まれる可能性だってある。
そうすればまた時間を無駄にすることになるだろう。
だからこそ、彼女は求めたのだ。
自らと同じ永遠を生きる従者を。
機械のように忠実で、自分を裏切ることのない人間を。
いつの時代に生まれても、自分の存在を覚えてくれる存在を。
彼女は求めていたのだ。
故に、この展開に困ることは何一つとしてない。
少年は自発的に彼女の手伝いをするようになった。
殺せないと分かった時点で、方針を転換した作戦は成功した。
しかも恐怖よりも、もっと強い恩という鎖で縛られた状態で。
理想の展開だ。ほんの数時間前の彼女なら内心で嗤っていただろう。
だというのに、今の彼女の心には笑みはなく。
「……救えない子」
どこか寒々しい風が吹き抜けているように感じられるのだった。
「……さん。フィーネさん、フィーネさん!」
「…! あら、士郎、どうしたのかしら?」
「どうしたも何も、フィーネさんが呼んでも反応しないからだろ? 料理もまだ食べてないし」
時計が10年程進んだ現在。かつての少年、士郎に声をかけられてフィーネは意識を取り戻す。
どうやら考え事に没頭し過ぎていたようだ。
「ごめんなさいね。少しボーっとしてたみたい」
「疲れてるんだったら無理しないで休んでくれよな。ほら、ジュースを作ったから飲んでくれ。疲れにも効くだろうからさ」
軽く頭を振って意識を覚醒させていると、士郎がマグカップに入った飲み物を差し出してくる。
何かと思って受け取ってみると、ポッカリと浮かぶレモンが目に入る。
「あら、ハチミツレモン?」
「ああ。最近、フィーネさんやクリスが疲れてることが多いからさ。レモンの蜂蜜漬けを作ってみたんだ。で、それをジュースにしたのがこれ。本体は瓶詰めして冷蔵庫に入れてるから、食べたかったら好きに食べてくれ」
そう言って笑顔で告げる士郎にフィーネは曖昧な笑みを返す。
それは、またこの子女子力が上がってないかしらという苦笑であると共に、昔から変わっていない士郎への憐れみだった。
(本当に……いつまで経っても自然な笑みが浮かべられない子ね)
一見すれば普通に笑っているように見える士郎の笑顔。
しかし、見る者が見ればロボットが必死に人間のふりをして笑っているのだと分かる。
どこか歪で、苦し気で、気を抜けば表情が抜け落ちてしまいそうな顔。
フィーネはその顔に感じた苦々し気な気分を押し隠す様に、マグカップに口をつける。
「あら、美味しい。それにこの味……もしかしてお酢も入ってる?」
「ああ、少しリンゴ酢を加えてみたんだ。ちょっとしたアクセントにもなるし、何よりお酢は体にいいからな」
「そ、ありがとうね」
士郎は相手の体を思いやる料理を作る。
それ自体は素晴らしいことだ。
しかしながら、その裏に隠された心の大部分は、この身は誰かのためにならねばならぬという強迫観念である。
きっと、それはいつも士郎の料理を食べているクリスも、薄々感じていることだろう。
親しい者だからこそ気づくことが出来る、士郎の料理に隠れる影。
だからこそ彼女は、料理を食べる際に、度々士郎へあることを問いかける。
「ねえ、士郎。好きな子は出来たかしら?」
「……また、その話か。フィーネさんも好きだな」
「諦めなさい。女性の話題の大半は、恋話と美味しいものと決まってるのよ」
好きな子は出来たのかと。
誰かのためにならねばならぬという強迫観念ではなく、誰かのためになりたいという自らの意思を手に入れることは出来たのかと聞いているのだ。
「はあ…
呆れたように答える士郎は気づかない。
否、自分ではそれが正常だと思っているが故に異常だと思わないのだ。
誰かを好きになるのに、
「本当? クリスとは何か進展したりしてないの?」
「クリスに
冗談のように言う士郎だが、その心は真剣だ。
どこまでも真摯に本気で、自分のような奴が好かれるはずがないと思っている。
「そう……」
「とにかく、疲れてるんなら今日は飯を食べて早く寝てくれ」
「はいはい、そうするわよ。あなたも夜更かしするんじゃないわよ」
「分かってるよ。それじゃあ、おやすみ」
「ええ、おやすみ」
最後まで相手の心配だけをして帰っていく士郎の背が消えるまで見送り、フィーネは1つ溜め息を吐くのだった。
「本当に……救えない子」
どこまでも歪んだ運命を嘆くように。
士郎の原作との違い
①切嗣に拾われてないので正義の味方を目指してない。
②正義の味方ならこうするという思考がないので、悪を受け入れやすくなっている。
③魔術がないので投影が出来ない。魔術の副産物の弓の腕が落ちる。
④投影がない分、鞘を強化というかセイバーが居なくても動く状態に。
⑤鞘が死なせないので原作以上に自分を大切にしない。ここら辺は次回以降。
⑥育ての親が親なので、桜√か美遊兄√が近くなる。
⑦コンセプトが衛宮に拾われなかった士郎なので、エミヤにはなれない。
⑧敵側に居る。
以上、無理やり士郎をクロスオーバーさせた影響による変更点でした。
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