雪音クリスは最近不機嫌だった。
理由はいくつかある。
1つはフィーネの命令である、融合症例の少女、立花響を捕らえられなかったこと。
2つ目は、その際に戦いを優位に進めながらも、
これらに関してはフィーネからのお咎めは一切ない。
というよりも、この結果を予想していたような節すら感じられた。
故に、クリスは自分が信頼されていないのだと、酷くプライドを傷つけられた。
だがまあ、これらの不機嫌ならば、次は絶対に許さないという負けん気で打ち消せただろう。
しかし、もう1つの理由が彼女の苛立ちを長引かせていた。
「どうしたんだ、クリス? 腹減ってないのか?」
「……いや、減ってるけどよ」
訝し気な視線を送って来る士郎と、目の前の親子丼に視線を向けるクリス。
ホカホカのごはんの上に、だしと絡んで黄金色に輝くとろりとした卵。
素材本来の甘みが卵との相乗効果で引き上がっていそうな玉ねぎ。
そして、何より一口口に入れれば、ジュワッと旨味が溢れ出てくること間違いない鶏肉。
文句なしで美味しそうに見えたし、お腹も良い感じに空いている。
だというのに、クリスは何故かこの親子丼から嫌なものを感じ取っていた。
それは俗に言う女の勘というものだった。
「なんか最近丼物が多くねえか?」
「そうか?」
「そうだよ。前はかつ丼、その前は天丼。美味かったけど、なんか偏ってるぞ最近」
クリスの言う通り、士郎は最近丼物を多く作っていた。
普通に考えれば、士郎が丼にはまったと思うだろうが、クリスはその考えを一蹴する。
士郎には嫌いなものはあるが、これといって好きなものも無ければ、何かに夢中になることもない。
どちらかというと、栄養バランスを意識して作るので被ることは少ないのだ。
つまり、何か理由があるに違いないと彼女は睨んでいた。
「……言われてみるとそうだな」
「何か理由があるんじゃないのか?」
確かにそうだなと頷く士郎に対し、クリスはちょっとキツめの目で睨む。
士郎は相も変わらずその感情に気づくことなく、堂々と地雷を踏みぬく。
「ああ、この前俺の料理が食べてみたいって言われてな。それで、
「ほーん……
そいつでもその人でもない。つまりは、女子供の可能性が高い。
そのことを言葉の裏から理解し、クリスの声の温度が一気に低くなる。
もし、士郎が人の感情に機敏な人間だったら、そこで話題の矛先を変えただろう。
しかし、悲しいかな。士郎にはそのような便利な機能はついていない。
「確か、クリスと同じぐらいの女の子だったな」
もしも、この場にフィーネが居たのなら、思わず顔を手で覆っていたことだろう。
それ程までに士郎は的確に地雷を踏みぬいていた。
「なるほどなるほど……そうかそうか。お前は私が命懸けで戦ってる間、ナンパに勤しんでたわけか」
「ク、クリス?」
部屋の温度が下がる。
もちろんこれは比喩表現なのだが、クリスの発する圧はそれほどまでに凄まじかった。
その凄さは、人間の感情の機微に疎い士郎ですら、一発で彼女が怒ってることに気づくほどである。
「お、怒ってるのか?」
「べっつにー? 士郎があたしが戦ってる間に手当たり次第に女に粉かけてるとしても、あたしには関係ないからなー」
言葉にトゲがあるという表現すら生ぬるい。
もはや言葉は剣で出来ているレベルだ。
故に士郎は直感する。これはヤバい。
すぐにでも弁明をしなければ、死ぬより辛いことが待っているに違いないと。
「誤解だ、クリス。俺はただ人助けをしてただけで、ナンパなんてしてない。料理だって、趣味の話題で料理が得意だって言ったら、食べてみたいって言われたから作る約束をしただけだ」
「しっかり次回フラグ建ててんじゃねえか!」
だから、士郎は急いで弁明を始める。
だが悲しいかな。機械に人の心は分からぬ。
クリスが何故ヘソを曲げているかの根本的原因が分からない。
女心が分からないというレベルではない。
きっと今の士郎は、お気に入りのおもちゃを取られた子供の気持ちすら分からないだろう。
下手をすると自分がやられても、誰かのためになれたなんて言い出し始めかねない。
それほどまでに、彼の心は人間味を失っていた。
「そう言われてもな……頼まれたんだからしょうがないだろ?」
「ふーん。じゃあ、お前そいつとあたしに同時に反対の頼み事をされたらどうすんだ?」
「どういうことだ?」
クリスの抱いている感情は単純な独占欲。
誰もが持っているもので、ただ単に自分を優先して欲しいというだけのもの。
難しいことなど何もない。だが、公私の公に傾きすぎた士郎という存在が相手では。
「例えばの話。あたしがそいつを殺せっていう。で、相手は助けてくれっていう。こんなとき、お前はあたしの方を選ぶって言いきれんのか?」
それは理解できない難問となる。
「それは……どっちも間違ってないなら選べないだろ?」
「違う。お前はどっちが正しいか分からないから、選べないんじゃない。
士郎、お前は人を助けられるなら―――
図星だった。
士郎はふと、酷く喉が渇いていることに気づく。
顔からは血の気が引き、真っ青になっている。
これではいけないと必死に口を動かそうとするが、掠れた音しか出てこない。
「人助けになるならどっちだって構わない。どっちも同じだからな。お前にとっちゃ、初対面の人間もあたしも同じ価値しかねぇんだろ! 誰かを助けられるなら、あたしである必要なんてこれっぽっちもないんだッ! 助ける人間が誰かなんてどうだっていいんだろ!? だからどっちかを選べねぇんだッ!!」
浴びせられる悲しみと怒りの籠った糾弾の声。
1人の家族と見知らぬ人間。
人の情というものがある人間ならば、良いか悪いかは別にしても家族の方が価値が重い。
だが、“私”というものがなく“公”がほぼ全てを占める士郎という存在にとっては。
「俺…は……」
どちらも等価だと判断してしまった。
本来傾くはずの天秤は2つのものを乗せたまま、ピクリとも動かない。
どこまでも正確に、歪んでいる部分など欠片もなく、天秤は冷たく佇む。
歪みのないことこそが最大の歪みだと気づくことも無く。
それが正しさだと愚かにも信じ切っている。
「士郎、お前は……あたしを選んでくれないんだな…?」
それが分かったからクリスは先程とは違い、怒りではなく悲しみで瞳を震わせる。
その瞳に士郎の心に言いようのない痛みが走るが、またしても彼は何も言えなかった。
「ああ…クソ……飯の時にこんな話なんてするんじゃなかった」
「クリス……そのだな」
「ああもう! 今の話は忘れろ! あたしも忘れる。それでこの話は終わりだ」
何かを言おうとする士郎の口を、クリスの言葉が塞ぐ。
先程まで彼女の胸の中にあった、嫉妬や怒りは綺麗さっぱりと消えた。
無論、悲しみと寂しさに追い出されるという形でだが。
「結局……独りぼっちか」
2人で食べる食事なのに何故だか1人きりのような気がして、クリスは泣きそうな顔でポツリと零すのだった。
「響ちゃん、最近頑張ってるみたいだけど疲れてないー?」
「へいきへっちゃらですよ! 弦十郎さん…師匠の修行は大変でも楽しいですから!」
特異災害対策機動部二課本部、医務室で2人の女性が談笑していた。
1人は立花響。貴重な聖遺物との融合症例
対する1人は響よりも一回り程年上に見える女性だ。
身にする白衣にアップにまとめたマルーン色の長髪が非常に映えており、そこにどこか知的な印象を持つ丸い眼鏡が合わさり、まさにできる女といった女性である。
「そこは心配してないわよ。弦十郎君は大人なんだからちゃんと加減はしてるし」
「そう言えば……師匠って本気を出したらどれぐらい強いんですか?」
「日本は核兵器は持たないって話じゃないのかって、大真面目に他の国に言われる程度よー」
「核…兵器?」
2人の話題は二課の司令である、
獅子のような赤髪に、熊のような体躯。強き意志を示す瞳は龍のよう。
その強さはまさに一騎当千。相手がノイズという人類の天敵でなければ彼1人で十分と、大真面目に言われる男である。
「私も師匠みたいに強くなれますかね?」
「私としては響ちゃんには、あくまでも人間の範疇で強くなって欲しいわ」
「あはは。そんな師匠が化け物みたいな……」
「生身でシンフォギアの攻撃を受け止めるどころか、間違いなく圧倒できる存在を人間って呼べるのかしら?」
「あ、あはは……」
否定したいが否定できない事実に、思わず苦笑いを零す響。
シンフォギアとは人知を超えた力を発揮する聖遺物の欠片を、装者が歌の力で鎧や武器に変える対ノイズへの切り札といえる存在である。要するに人間を超えた力を与える武器だ。
だというのに、それを生身で軽く一蹴できる存在を人間と言えるだろうか?
少なくとも、万人が同じ答えになることはないだろう。
「まあ、今は弦十郎君のことは良いのよ。それより、響ちゃんが翼ちゃんのことを気にして、オーバーワークをしてないかが心配なのよ」
「翼さん……」
それまで笑顔だった響の顔が若干曇る。
翼、風鳴翼は響の先輩にあたる存在であり、今は集中治療室で生死の境を彷徨っている。
「ネフシュタンの鎧を纏った
重々しい声が女性の口から吐き出される。
絶唱とは、まさにその命が絶えるまで
シンフォギアの力を限界以上に引き出す自爆技。
その反動は下手をすれば遺体すら残らない。
そのような技を風鳴翼は使った。
ネフシュタンの鎧の少女を倒すために。
何より、彼女に狙われていた響を守るために。
「ねえ、響ちゃん? 助けられたことを重荷に感じたりしていない?」
だから女性は問いかける。
守られたことを罪に感じていないかと。
「……正直な話、私がもっと強ければ翼さんがこうなることも無かったんじゃないかなって、思うこともあります」
「響ちゃん……」
「でも――」
この子も罪の意識に呑まれてしまうのかと、女性は瞳を暗くする。
しかし、続く力強い言葉によって、それはすぐに打ち消されることとなる。
「私は助けられたことを負い目に感じたくなんてありません。翼さんは私のことが好きじゃなかったかもしれません。でも、助けてくれました。それはとっても凄いことだと思うんです。私はそんな凄い意志を負い目になんて感じたくない。だから今は、自分の意志で誰かを助けたいって思うんです」
少し照れ臭そうに、それでも強い意志で告げて見せた響。
その姿に女性は思わず眩しそうに目を細める。
「……強いわね、響ちゃんは」
「そんなことないですよ、私なんてまだまだ弱っちくて」
「いいえ、あなたは強いわ」
助けられたことを負い目に感じ続けるあの子と比べて。
そんな言葉を櫻井了子、否、フィーネは心の中で呟くのだった。
「さーて、それだけ聞けたら十分ね。今日はもう帰っていいわよ。花の女子高生が休日に修行漬けなんてあんまりだものねー。友達と街に遊びにでも行ったら?」
「そうですね。最近はあんまり一緒に居られてないし……」
二課に来るようになってから、親友の未来との時間をあまりとれていない。
そのことに若干の寂しさを覚えていた響は、了子の意見を聞き、今日は2人で遊びに行こうと考えるのだった。
「あー、いっぱい遊んだらお腹空いたねー」
「響はいつもお腹減らしてるじゃない」
「あ! 未来ひっどーい!」
ほんのりと空が茜色に染まって来る時間。
そんなどこかノスタルジックな風景の中に、仲が良さそうにじゃれあう2人の少女がいる。
立花響とその親友、小日向未来だ。
「でも、私もお腹が減ったのは一緒かな」
「だよねー、今日のご飯は何にしようかー」
2人の話題は今日のご飯のこと。
故郷から離れ、新天地でリディアン音楽院に通う2人は共に学生寮で暮らしている。
学生寮と言えば、風呂やトイレが共用や、規律に厳しいのようなイメージがあるが2人の通うリディアンは違う。
豪華とは言えずとも、立派な住居である。
風呂とトイレとキッチンは各部屋に付いているし、お風呂に関しては2人で入ってもなお、余裕があるほどだ。
規律も大して厳しくはなく、ずる休みしても教師の方に連絡が行ったりすることもない自由性である。
しかも学費が安い。
学生寮と言うよりも、マンションという意識の方が分かりやすいだろう。
「うーん、お肉を食べた方が良いのかなぁ」
「お肉…? 響、筋肉でもつけたいの?」
「え! い、いや、ただ単にお肉を食べたいなぁって思っただけだよ」
「そう……じゃあ、お肉でも食べようか」
何やら様子がおかしい響に、怪しげな目を向ける未来だったが、まあいいかと流す。
その様子に響は胸を撫で下ろす。
(最近、師匠に勧められて見た映画に肉を食べて強くなるトレーニングがあったけど、やっぱり隠れてやるのは難しいなぁ)
響は現在二課に所属している。
だが、この二課は秘密組織みたいなものだ。
当然、そこに所属しているとは言えない。
おまけに響はシンフォギア装者。彼女自身が言うどころか、他人がそれを言うだけで不味いことになる。
そのため、親友である未来にすら今自分が何をしているかを伝えることが出来ないのだ。因みに学校側は二課の隠れ蓑のような存在なので、響が不自然に授業を抜けたり休んだりしても、誤魔化すことが出来る。と、言っても休んだ分は方の生徒と同じように課題が課せられるので、響を大いに苦しめている。
「お肉か……ステーキはちょっと高いし、それに響のことだからご飯もたくさん食べたいだろうし……」
「さっすが未来! 私の好みを分かってるぅ!」
「響程単純な人も少ないと思うけどね」
「せめて分かりやすいって言って!?」
親友らしい遠慮のない軽口を叩きながら、2人はブラブラと街中を歩いていく。
と、そんなところで、響が何かを見つけたように足を止める。
「あれは……」
「響?」
「士郎君かな。おーい、士郎くーん!」
「士郎…君?」
友人を見つけたらしく、元気な声を出す響に未来は困惑した表情を浮かべる。
彼女は響の親友だ。お風呂もベッドも共にする程の親友だ。
それなのに、響に新しく出来た友人を知らなかった。しかも男。
それらの事実が未来に大きな動揺をもたらす。
「……ん? ああ、響か。こんなとこでどうしたんだ?」
「未来と遊びに来てたんだよ。士郎君は……スーパーの袋があるから買い物帰り? あ、未来。この人は最近、よく見かけてたあの人だよ」
「ああ……響によく似てる」
「似てる? そうか?」
響からの紹介に未来は自分も知っている人で良かったと、何となく安堵する。
対する士郎は、響と自分を見比べてどこが似ているのかと首を捻っている。
外面ではなく、内面が似ていると言われていることに気づけないのだ。
「とにかく、俺は士郎。よろしくな」
「あ、小日向未来です。うちの響がご迷惑をおかけしたみたいで……」
「ちょっと未来!? 私、何も言ってないよね!」
「だって、響のことだから何かしら迷惑をかけてそうだし」
「うわーん! グレてやるぅー!!」
冗談めかしながらわちゃわちゃと絡み合う響と未来。
そんな気心の知れた様子に士郎は、思わずといった様子で零す。
「仲が良いんだな」
「当然!」
「幼馴染みだから…ね」
2人は故郷に居た頃からずっと一緒だった。
楽しい時も、
故に、2人の絆はとても強い。一種の依存と言い換えても良い程に。
「……羨ましいな」
だからこそ、士郎はそんな感想を抱く。
自分には決してそのような存在が出来ることはないだろうと。
否、彼の幼馴染みや友達は皆、あの日に炭となって消えていったのだから。
あの日から彼の中の時計は止まったままだ。
「あれ? 士郎君何か困ったことがあるの?」
「ッ! い、いや、別にないぞ?」
そんなどこか複雑な想いを抱いていたからか、響にそんなことを聞かれてしまう。
当然、士郎はそんなことはないと否定するのだが。
「本当? なんだか、声をかけた時から元気がないような気がするよ」
「仲が良いことが羨ましい……もしかして友達と喧嘩してる?」
「いや、
「はい、誰かと喧嘩してるのは確定だね」
友達ではない。そう言おうとした士郎に響がチョップを入れる。
そのことに目を白黒させる士郎に、響が諭すように語りかける。
「それとね、友達なんかじゃないなんて悲しいこと言わないで」
「でも、俺なんかが友達だと……」
「もし、私が未来に同じことを言われたら、泣く自信があるよ」
「もう、響ったら。まあ、私も同じだけど」
2人の少女から寄ってたかって責められて、士郎はあたふたとする。
女性には優しくしろとフィーネから教わっているのに、これではいけない。
士郎は急いで弁明を始めることにした。
「そうは言ってもだな。俺みたいな奴が友人だったら、きっと迷惑がかかる。この前のだって、俺じゃなかったらこんなことには……」
そして、あっさりと墓穴を掘ることに成功する。
「……ねえ、それを本人から聞いたことがあるの?」
「本人から…?」
どこか底冷えするような声を出す未来に、士郎は怯えながら聞き返す。
隣の響も未来の言葉に頷いているが、その迫力に若干引いている。
「ねえ、士郎さんは相手の気持ちを聞いたことがある?」
「相手の気持ち? でも、俺なんか――」
「だ・か・ら! ちゃんと本人から聞いたことがあるの!?」
小さな少女から出たとは思えない声が辺りに響き渡る。
士郎はその時点でこの少女には逆らってはいけないと理解し、縮こまる。
「相手の気持ちを聞きもしないのに、勝手に決めつけるなんて自分勝手だよ! 相手はどんな辛いことがあっても傍に居たいって思ってるかもしれないんだよ!!」
怒声は留まることを知らない。
士郎は、何故相手が怒っているかを理解できないが平伏するしかない。
放っておけばこのまま一晩中でも説教が続くだろう。
しかし、そこへ助けの手が差し伸べられる。
「み、未来、ちょっと抑えて。周りの人達が見てるよ」
「え? あ、うん。確かにここじゃマズいよね」
響が恐る恐るといった感じで、未来の袖を引き注意を促す。
確かに、辺りの人々は未来の怒声に何事かと目を向けている。
それに気づいた未来は、少し頬を染めながら喉を鳴らす。
(助かったか…?)
その様子に士郎は、この場を乗り切れるかもしれないと一縷の望みを見出だす。
だが、現実とはそう甘いものではない。
「という訳で、私達の家で続きをしよっか」
地獄への道は善意で出来ている。
士郎はそのことを響の笑顔を見ながら理解するのだった。
「よし……完成だ」
「待ってましたぁ! すっごく美味しそうな牛丼だよ、未来!」
「本当に料理が得意なんだね、士郎さん」
「まあ、これだけは昔からやってきたからな」
響達に連行されて一時間後。
士郎はどういうわけか2人の部屋で牛丼を作っていた。
なぜ、女子高生の家に訪れてこのような展開になっているのかを知るには、時間を少し遡る必要がある。
「じゃーん! ここが私と未来の家でーす!」
「い、今更だけど男の子を家に招くのって初めてかも……」
「ここって女子寮なんだよな…? 俺って入っていいのか?」
何が楽しいのか、自宅を前にしてやけにハイテンションな響。
冷静になった結果、部屋の中に男性を上げていいものかと悩む未来。
純粋に男性が入って問題はないのだろうかと疑問に思う士郎。
「いいからいいから。ほら、いらっしゃい、士郎君」
「あ、響! 待って! せ、せめて上げる前に部屋の片づけだけでも!」
「掃除なら手伝うぞ?」
「余計にダメ!!」
玄関を開け放ち、士郎を招き入れる響に未来が最後の抵抗を見せるが、肝心の士郎は乙女の家に上がるというのに緊張した様子を見せない。
「うーん。うら若き乙女の部屋に上がるのにこの平常心……士郎君って女慣れしてるの?」
「なんだか女慣れしてるって言われると、嫌な意味に聞こえるな……。ただ単に家に住んでるのが俺以外は女性だってだけだよ」
ジトーとからかうような視線を向けてくる響に、士郎は苦笑いを返す。
因みに未来は現在、部屋の片づけで大忙しである。
「へー、そうなんだ」
「ああ、だから変な勘違いはよしてくれよな」
因みに士郎は、仮に2人の下着が無造作に置いてあっても気にも止めない。
何故なら士郎にとっての女性の下着は、脱ぎ捨てられてそこら辺に放置されているものという認識なのだ。もちろん、その下着は生粋の裸族であるフィーネのものである。
彼女は家に帰るとまるで靴でも脱ぐように全裸になるので、その脱ぎ散らかしたものを洗濯機に入れるのが士郎の仕事だ。もちろん、その後に乾かして畳んでタンスに入れるまでやる。
因みにクリスの下着もかつては同じようにしていたが、顔を真っ赤にした彼女に殴り飛ばされて以来やっていない。無論、士郎は未だにその理由が分かっていない。
「響、士郎さん、もう上がっていいよ」
「よし。それじゃあ今度こそ、ようこそ我が家にいらっしゃいました」
「ああ、お邪魔します」
全力運動したために軽く肩で息をしながら2人を呼ぶ未来に対して、士郎達は全くもって普通である。その姿に、思わず理不尽なものを感じてしまった未来を責められる者はいないだろう。
「……キリキリ吐いてもらおう」
「み、未来? なんだかやけに気合が入ってない…?」
「大丈夫。これは人助けだから。ちょっとぐらいやりすぎても平気だから」
「お、お手柔らかに」
これも全部相手の気持ちを考えようともしない士郎のせいだ。
故に少々、強気で言っても許されるはずだ。
未来はそんな理論武装を終え、ジトッとした目で士郎を睨む。
さあ、いざ裁判の開始――
―――グギュー。
「響……そう言えば、お腹空いてたっけ」
「……あ、あはは。ご、ごめん」
とはいかず。気の抜けるような音で遮られるのだった。
未来と士郎の視線が集まる中、響は自分のお腹を押さえて恥ずかしそうに頬を赤らめる。
流石の響も、異性にお腹の音を聞かれるのは恥ずかしかったらしい。
「響、腹が減ったのか?」
「そ、それほどでも……ごめん、ペコペコです」
士郎にちょっと呆れたような視線を向けられて、一瞬見栄を張ろうとする響だったが、すぐに自身の体がそれを否定するかのように音が鳴る。穴があったら入りたいとは、まさにこのような気分の時に使うのだろうと、響は現実逃避気味に考える。
「そっか……よし! キッチンを借りていいか?」
「え? な、なんで?」
「この前、俺の料理が食べてみたいって言っただろ? ちょうどいい機会だし作ってやるよ」
ガサガサと買い物袋の中を漁り、使えそうなものがあるかを確認していく士郎。
「牛のバラ肉と玉ねぎ、後は生姜にネギ……よし、未来さん。キッチンを見ても良いか?」
「あ、うん。いいよ」
意図的に響ではなく未来から許可を取り、士郎はキッチンを拝見する。
取りあえずといった感じで、一通り揃っている使いかけの調味料。
これだけはある程度の頻度で使われていると思われる炊飯器と米。
そして、やけに綺麗なコンロ周り。
「………綺麗なキッチンだな」
「その……最初は自炊もやってみようって意気込んで色々買ったんだけど」
「学食に行ったり、買う方が楽だって気づいちゃったの……炊飯器はよく使うんだけどね?」
バツが悪そうに目を逸らす2人に、士郎は何とも言えぬ表情を浮かべる。
基本的に料理というものは手間がかかる。作るだけなら楽しくても、後片付けはつまらない。
おまけに学生であれば、学食などが安く手に入る。
そんな新生活あるあるのおかげで、2人の家には中途半端な感じの調理道具が揃っているのだ。
「まあ、取りあえずこれだけあれば問題ないな。ちょっと使わせてもらうぞ」
「それはいいけど、何を作るの?」
「響のリクエストと今ある材料から考えて、牛丼と軽くスープでも作ろうと思ってる」
エプロンがないので、取りあえず腕まくりをしつつ士郎が答える。
返事は響のお腹の音からしてOKだろう。
「えっと、何か手伝おうか?」
「いや、2人は座ってていい――」
「響、私達はお米でも炊いておこう」
「そうだね」
手伝いを申し出た響に対し、士郎は当然のように断ろうとするが未来が強引に話を進める。
そのことに対して、士郎はどこか苦々し気な表情を浮かべるが、それも一瞬で消え、後は目の前の料理に集中するのみだった。
「「いただきます!」」
「どうぞ、召し上がれ」
そして、数十分後。
ホカホカの牛丼と熱々の生姜スープを前に手を合わせる2人の姿があった。
「おいひい!」
「もう、響ったらそんなに勢いよく食べたらのどに詰まるよ?」
甘辛い汁がたっぷりとしみ込んだ柔らかい牛肉とあめ色に染まった玉ねぎを、純白の白米を箸で絡めて勢いよく頬張る。すると、口の中で旨味と甘みが染み出していき、同時にアクセントの生姜の風味が飲み込む際に体を吹き抜けていく。
「スープも美味しいね。なんだかホッとする」
「生姜とネギぐらいしか具を使えなかったのが不満だけど、気に入ってくれたんなら嬉しいよ」
牛丼に使った生姜とネギ、それと使いかけで放置されていたスープの素を使った生姜スープ。
それはどこかホッとする味わいで、飲むと生姜の効果も合わさり体がポカポカとしていく。
もっとも、士郎としてはもっと野菜を使って栄養バランスを整えたかったようだが。
「いやぁ、士郎君の料理って本当に美味しいね」
「まあ、今回は色々と丼系の練習をしたからな……練習をな」
機嫌よく美味しい美味しいと言う響に、誰かのためになれたと喜ぶ士郎だったが、それも途中までだ。自分で練習をしたと言って、それに付随してクリスとの記憶を思い出してしまったのだ。
「……それじゃあ、そろそろ話してもらおうか。誰と喧嘩したのか」
「そうだね。お悩み相談の時間だよ!」
そんな士郎の感情を読み取ったのか、未来は箸を置いて士郎を見つめる。
響の方も旺盛な食欲を抑えて、今は士郎に集中している。
「お悩み相談って……いいよ、2人の手を煩わせたくない」
だが、士郎は伸ばされた手を掴もうとはしない。
自分にはそんな価値はないと。
無償で助けられることを拒む。
「ここまで来て逃げられるとでも?」
「そうそう。それにこれは、私達からの料理に対する代金みたいなものだから」
しかしながら、2人の少女は凄みのある笑顔で否定する。
士郎が人からの好意を受け取ろうとしないのは何となく分かっていた。
だから、屁理屈をつけて無理にでも助けるつもりでいるのだ。
「代金? いいよ、別に。俺が好きでやったことだし」
「もともとは私が食べたいって言ったからだよね? だったら、私は代金を払うべきじゃないかな」
「いや、だから俺は…」
響からの言葉にも渋面で断り続ける士郎。
そんな彼に対して、響で対処法を知っている未来が声をかける。
自分でもずるいなと思ってしまう方法だが、背に腹は代えられない。
「逆に代金を受け取ってもらえないと、食い逃げをしたみたいで嫌な気分になるよ。だから、これも
「ッ! 人助けか……まあ、それが誰かのためになるなら」
人助けになる。その言葉に士郎が反応する。
ちょっと考えれば今の話は未来の屁理屈と分かるだろう。
いや、普通の人間なら誰だって気づく。
だが、士郎は気づかない。
この身は誰かのためにならねばならぬという強迫観念に憑りつかれている少年は。
「実はさ……」
人助けになるならば
(なんであたしは、あんなこと言ったんだよぉおおッ!?)
クリスは自室のベッドの上でゴロゴロとのたうち回っていた。
理由はもちろん、士郎との口喧嘩である。
(確かにあいつの八方美人っぷりはムカつく! でも、それを差し引いても士郎はあたしを助けてくれた。誰でもよかったかもしれないけど、それでも救われたんだ)
あんなことを言わなければよかったと、自己嫌悪で心が重くなる。
彼女は粗野な言動を取ることが多いが、根っこは優しく常識的だ。
だからこそ、自分の行動が許せない。
(まだちゃんとした礼も出来てないのに……あたしは自分勝手にあいつを傷つけた。助けてもらったのに傷つけた…!)
クリスはあの時の士郎の顔が忘れられない。
誰だっていいんだろ、と言った時のクリスの心は傷ついていた。
だが、それ以上にあの時の士郎の表情は酷かった。
(あいつもきっと分かってるんだ。無差別に人を助けることのおかしさを。でも……あいつは、そうしてないと息が出来ない。他人を全部救わないと自分が救われないって心を保ってる。そんなところにあんなことを言ったら……あぁあああッ!!)
ボフンボフンと華奢な手で枕を叩く。
士郎は歪んでいるし、狂っている。
言葉にすればそれだけだが、それは立派な病気だ。
要は精神に多大な傷を負った患者だ。
そんな人間が必死に殻を作って心を守っている所に、クリスは殴り込みをかけた。
医学的な知識などなくとも、それがどれだけリスクの高いことか分かるだろう。
クリスは何も士郎が嫌いなわけでも、嫌いになったわけでもない。
むしろ、初めて純粋な善意を向けてくれた相手として好意を向けている。
だが、そんな相手を傷つけてしまった。
その罪の意識が今彼女を苦しめている。
「クリス、居るか?」
「うわぁあああッ!?」
「うおっ! 何かあったのか、クリス!?」
そしてそんなところへ、件の張本人である士郎がドアの向こうから声をかけてくる。
控えめに言って心臓が飛び出るかと思ったとは、クリスの弁だ。
「い、いきなり声かけてくるなよな」
「わ、悪い。ノックしても返事がなかったから、つい」
士郎の謝罪を聞きながら、クリスはまたやってしまったと悔やむ。
悪いのは自分なのに、また素直でない口で相手を責めてしまった。
なんて最低な女なんだろうと、クリスは内心で自分に唾を吐く。
「……それで何なんだ?」
「クリスに伝えたいことがあるんだ」
きっと、自分が今思い悩んでいる出来事のことだろう。
聡い彼女はすぐに気づき、グッと奥歯を噛みしめる。
何を言われてもしょうがない。嫌われたって文句は言えない。
だというのに、どうしようもなく心は怯えて耳を塞ぎたくなってしまう。
そんなか弱い少女に向けて士郎が口を開く。
「誰でも良いんだろって言われたとき……正直、悲しかった」
「…ッ」
ああ、やっぱり。自分は彼を傷つけてしまっていた。
先程までよりも強く大きな罪悪感が、彼女の心を押し潰してくる。
「クリスに嫌われたと思ったから」
「え…?」
「クリスを傷つけたと思って辛かったし、色々考えた。クリスに言われたみたいに、クリスをどうでもいいと思ってるのかって悩んだ」
だというのに、士郎は自分を一切非難することなくクリスを思いやる言葉を出す。
違う。謝るべきは自分の方だと、クリスは口を開こうとする。
だが、士郎の言葉の方が早かった。
「で、その時にさ。相談に乗ってもらった人に言われたんだ。
―――どうでもいい人間に対して、そんなに悩むわけないだろって」
言葉にならない音がクリスの口から零れる。
確かに士郎はクリスの言葉に傷ついた。
そう。人の感情に鈍く、悪意を向けられても笑顔で返せるような少年がだ。
どうでもいい人間に嫌われてもさほど傷つかないし、悩むことも無い。
つまり逆に言えば、士郎は悲しみを感じられる程に彼女に心を許していたのだ。
「クリスに言われたから傷ついたんだ。クリスに嫌われたから悲しかったんだ。クリスを悲しませたから悩んだんだ」
言葉だけ見れば責められているように見えるだろう。
だが、実際にその声を聞いているクリスは、まるで愛の言葉を囁かれているかのように顔を真っ赤に染め上げていく。
「クリスが特別な存在だから、クリスが大切だから、嫌われたくないし、悲しませたくない」
要は、あなたは大切な人ですと延々と語られているようなものなのだ。
これが普通の少年であれば気恥ずかしさを覚えて、途中でやめているだろう。
しかしながら、士郎は人の感情に鈍い。故にこっぱずかしい台詞も何食わぬ顔で言えるのだ。
「きっと…そうなんだ。どっちを救うか選べって言われたら、両方救えないかって悩むかもしれない。でも、クリスがどうでもいい存在だなんてことはあり得ない。これだけは自信を持って言える。―――クリスは俺の大切な人だ」
まるで告白のような台詞回しだが、本人には欠片もそんなつもりはない。
部屋の中でクリスがリンゴのような顔で、プルプルと震えていてもお構いなしだ。
「それじゃあ、ダメか…?」
「分かった! 分かったから、一回黙れ!!」
恥ずかしさのあまり、ドアに向けて枕を投げつけつつクリスは叫ぶ。
彼女とて士郎がそういう意味で言ったわけではないと、理解している。
だが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
故に彼女はスーハースーハーと大きく深呼吸を繰り返して、心を落ち着かせる。
「うん……この前のはあたしも悪かった。だから
「……
「だから、そう言ってんだろ。そもそもあの時に終わらせたんだから気にしてねえよ」
「そっか……ありがとうな」
何とか、気にしていないという意思表示だけを伝えて、話を切り上げようとするクリス。
しかし、若干緩んだ頬はすぐには収まりそうにない。
恥ずかしかったが、なんだかんだ言って天涯孤独の彼女にとって大切に想われているという言葉は嬉しかったのだ。
(たく、こっぱずかしい台詞言いやがって……まあ、仲直りできてよかったな。どこのどいつか知らねえけど、士郎の相談に乗った奴にも感謝しないと……ん?)
上機嫌に鼻歌でも歌いそうだったクリスの表情が若干曇る。
まさかとは思うが、聞いてみないと分からない。
「なあ、士郎……相談した奴ってどんな奴だ?」
きっとフィーネ辺りに相談したのだろう。
そうだ、きっとそうに違いない。
そう、彼女は内心で祈って、下降しつつある心を落ち着かせようとするが。
「ああ、この前話した料理を作ってやるって言った女の子とその友達だ」
「今すぐ、アンパン買ってこい! このナンパ野郎が!!」
「なんでさ」
唐変木の一言のせいで、一気に不機嫌になるのだった。
今回は徐々に人形に心を入れていく第一段階。
しかし、中々翼さんと絡めない……。
士郎「体は剣で出来ている」
翼「こいつ……できる…!」(センスが)
こんな感じのやり取りをしたいのに(真顔)