今年も一年、拙作をよろしくお願いいたします。
「翼さんの意識が戻ったって本当ですか!?」
喜色満面。今にも踊りだしてしまいそうな顔で響が弦十郎に詰め寄る。
それを隣に立つ了子が、どうどうと犬のしつけをするように宥める。
そして、弦十郎はその様子と姪の無事に、軽く笑いを零しながら話し始めるのだった。
「ああ、以前のネフシュタンの少女との一戦で、絶唱を使ってのダメージが全て抜けたわけではないがな。意識は確かに戻っている。後遺症も特にない。後は検査で問題が無ければ一先ずの退院は可能だな。ま、戦闘は当分の間禁止だけどな」
以前、クリスとの戦闘で負傷した風鳴翼の復帰。
それが事実だと分かり、響は大きく息を吐く。
響は翼に守られた。それこそ命を懸けるような形で。
負い目に感じたくないと思ってはいるが、やはり心に重くのしかかるものではあった。
だが、翼は無事に復活しようとしている。
幾らか気分が楽になるのも無理のないことであろう。
「大丈夫ですよ! 翼さんが休んでいる間でも誰かを守れるように、師匠に修行をつけてもらったんですから! 翼さんが帰ってくるまでの留守は私が守ります!」
「ああ、響君はそれだけの努力をしてきた。自信を持っていいだろう」
グッと拳を握り締めてやる気を見せる響に弦十郎は満足げに頷く。
そんなところへ、了子がからかうように声をかけてくる。
「あら、弦十郎君。私も褒めてくれないの? 翼ちゃんのために、私も頑張って新しい薬を作ったのに」
「もちろん、感謝している」
「新しい薬? 了子さんってそんなこともできるんですか!」
「とーぜんよ。天才に不可能なんてないんだから」
パチッとウィンクをかまして、了子は白衣のポケットからガラスケースに入った薬を取り出す。
青白い、いつかどこかで見た気がするような色の薬に響は首を傾げる。
「『model_S』。体の細胞を活性化させて、怪我を早く治す薬よ。これのおかげで翼ちゃんの肉体的なダメージは通常よりも早く回復しているわ」
「へー、便利なお薬ですね。私も怪我とかした時に使ってみたいです」
「お褒めに預かり光栄ね。でも、よっぽどの大怪我じゃない限りはお勧めはしないわ」
「へ?」
呑気に自分も使ってみたいなと言う響に、了子は苦笑を返す。
「この薬は大怪我を負った人間を治すもの。変な言い方をすれば、死にかけの状態から
「し、死にかけ……」
物騒な物言いに顔を引きつらせる響。
それに対して、了子はどこか達観したように頷きながら、手の平で薬を転がす。
「それに細胞の活性化って言い方を変えれば、古い細胞が死んで新しい細胞が生まれるってことだからお肌年齢が下がるわ。まあ、私のお肌はまだピチピチのピッチピチだけど!」
「あの…何も言ってませんよ?」
「コホン。後は細胞の死亡と再生にエネルギーが大量にいるから、当然この薬にはエネルギーが大量にあるんだけどね? これも死にかけぐらいの状態じゃないと有り余るぐらいのエネルギーなの。だから、普通の状態ならオーバーフロー……端的に言うと太るわ」
「すいません、翼さんがすごく心配になってきたんですけど」
思わず、悲惨な姿になった翼を想像してしまい、響は顔を青ざめさせる。
肌年齢が低下して、太った翼など見たくない。
もっとも、今の話は若干冗談で、本当は平常状態で使うとその膨大なエネルギーに、肉体と言う器が耐えきれずに破裂するだけなのだが。
「大丈夫よ。ちゃーんと
「それならいいんですけど……」
「まあ、薬なんて本来は毒と変わらないものだから、可能なら使わない方が良いと思ってればいいわ」
良く分からないものの頷く響。
薬は毒と変わらないという言葉に、ある人物を思い出して渋い顔をする弦十郎。
『model_S』の下となった存在に思いを馳せ、一瞬だけ暗い顔をする了子。
「とにかく、翼ちゃんに害はないわ。この薬も翼ちゃんを救えて本望でしょう」
「薬がですか? 了子さんじゃなくて?」
「もちろん、私“も”よ。それより、弦十郎君。響ちゃんにあの話をしなくていいの?」
「今からするつもりだ」
“も”という部分を強調したものの、それを気取らせることも無く了子は話題を変える。
ただ、弦十郎はそこに違和感のようなものを感じ取るが、話さなければならないことがあるのは事実なので、その感覚を振り払う。
「……響くん、君にはある護衛任務についてもらうことになった」
そして語り始める。響が初めて挑む単独任務と言っても差し支えない計画。
「護衛? 誰かを守る仕事ですか?」
「いや、人ではないな。簡単に言えば―――
聖遺物サクリストD、聖剣デュランダルの移送計画の護衛を。
「二課周辺へのノイズの度重なる襲撃。まるで何かを探しているかのようなネフシュタンの少女の行動。何より、ソロモンの杖という完全聖遺物を担う点から考え、政府は少女の目的をデュランダルだと判断した。故にデュランダルは二課本部から、永田町深部電算室に移動することになった」
「……つまり、ネフシュタンの女の子がデュランダルを狙っている可能性が高いから、盗まれる前に別の場所に移そうってことですか?」
「そうだ」
ざっとした説明を行い、今回の作戦の目的を話す弦十郎。
しかし、話しながらも彼は内心での違和感を拭えないでいた。
ネフシュタンの少女は翼を圧倒する程の強さを見せた。
だというのに、本気で二課を襲撃してくることはしない。
無論、二課は秘密の存在だ。正確な場所がバレてないと考えるのが普通である。
しかし、大まかな位置は把握されている。
二課に直接襲撃をかけないのが、単純に場所が分からないのならいい。
だが、戦力的に無理だと冷静に判断を下されているとすれば。
(当然、移送の隙を狙う。もっと言えば、こちらの戦力、内部情報を知っているということだ)
こちらの情報を筒抜けにできる程の情報力を持っている可能性がある。
さらに最悪な状況があるとすれば、内通者が存在する可能性すらあるのだ。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ、響ちゃん。パパッと行って渡してくればいいだけなんだから」
「でも、襲撃される可能性があるから護衛につくんじゃ?」
「大丈夫。相手はこっちがいつ運ぶかも分からない上に、どの道を通るかも分からないのよ? 途中で気づいても万全な状態で来るなんて無理よ。だから、響ちゃんも
弦十郎が少し考え込んでいると、了子が響の緊張をほぐそうとする楽観的な声が聞こえてくる。
確かに言っていることは間違いではない。
しかし、それも内通者が居なければという前提だ。
自分達の情報が筒抜けになった状態で勝てる戦いは多くない。
「確かに気負う必要はないが、了子君。油断するのはダメだろう」
「分かってるわよ。軽いジョークよ、ジョーク。出来る女は場を和ませるものよ?」
「まったく……とにかく、気負う必要ないが気合は入れて行けよ、響君」
「はい!」
大げさに肩をすくめてみせる了子と元気に返事をする響の姿に、軽く息を吐きながら弦十郎は内心で呟くのだった。
(願うなら、今回の作戦が身内を疑う俺の愚かさを証明してくれるといいんだがな……)
計画実行は静かな夜、静かな道路で行われた。
これは比喩表現ではない。
いくら夜だと言っても、少しは通ってても良い車がまるでないのだ。
その理由は各所に検問を配備することで、一切の交通を無くしているからだ。
ただ、デュランダルを乗せた車を誰にも邪魔されずに運ぶためだけに。
そして、その車の中には護衛の響と現場責任者として了子が乗っていた。
「ふふふ、誰も居ない道路をかっ飛ばしていくなんて、なんか贅沢ねー」
「了子さん、全然緊張してないですね……」
「当然よ。緊張なんてしてもパフォーマンスが下がるだけよ。だから、響ちゃんも安心して、この天才のドライブテクニックに酔いしれてなさいな」
「あはは……車酔いはしたくないです」
一台の車の四方を黒塗りの護衛車が囲むという、物々しい光景のまったただ中に居るものの、2人の雰囲気は和やかなものだった。それは了子が率先して響の緊張感を無くさせているからだ。緊張とはストレス、ストレスが高い状態では生物は己の能力を十全に発揮させることが出来ない。故に了子が響に対してやっていることは正しい。
「まだまだ、表情が硬いわねー。それならとっておきの話をしちゃおうかしら」
「とっておき?」
「ふっふっふ……それはね」
しかしながら、ストレスが全くない状態というのも生物のコンディションには悪いのだ。
ストレスフリーの環境では逆に能力が低下したり、寿命が縮んだりする。
そのことを自称天才科学者である彼女が、知らないはずもないのだが。
「翼ちゃんの小さい頃の話……聞きたくない?」
「聞きたいです!」
彼女はあえて一切の緊張を無くすかのように、響に話し続けるのだった。
「よし、今のところは順調だな」
二課本部にて響達の乗る車が順調に走っている姿を、モニターで見ながら弦十郎は頷く。
ネフシュタンの少女が来ると考えていたが、今の所その気配はない。
他の隊員達も今回は襲撃はないのではと、どこか気の緩みを見せ始めている。
(本当に俺の杞憂だったか? それはそれで問題はないんだが……なんだこの嫌な感覚は?)
だが、司令である弦十郎だけは警戒を緩めていなかった。
内通者の存在も、情報が筒抜けになっているという危惧も、全ては考え過ぎだった。
そういった結果になろうとしているのに、どうしても落ち着かない。
「まあいい。何はともあれ、今はデュランダルの移送に集中だ」
そう、自分に言い聞かせて時だった。
弦十郎の嫌な感覚が当たってしまったのは。
「司令! 緊急事態です! ノイズが発生しました!」
「落ち着け。相手がノイズを使って襲撃してくるのは予想の範囲内だ。すぐに響君に戦闘の準備を…」
そこまで言って弦十郎は自分の間違いに気づく。
目の前に映る画面にはノイズどころか、敵影すら映っていない。
だとすれば、ノイズはどこに出現したのか?
「そちらではありません! 永田町とは真逆の方面にです!」
「このタイミングで、響君の進行方向とは真逆に……」
別の画面に映し出されるのはホテル街に浮かぶ大量のノイズの姿。
それだけならば、なんてタイミングの悪いと悪態をつけばよかっただろう。
だが、そのノイズ達が、完璧に操られて軍隊のように整列していれば話は別だ。
「この状態は普通のノイズでは考えられん。十中八九、ソロモンの杖が使用されている」
人為的にノイズが操られた状態。
即ち、それはソロモンの杖を扱うものがその場にいると言うことだ。
「まさか、ネフシュタンの少女が別方面に現れるとはな。だが、それなら好都合だ。すぐに響君にそちらに向かい、少女を止める様に指示を出すぞ」
最大の懸念材料は今取り除かれた。
後は、響が足止めをしている間にデュランダルの移送を完了させれば、戦略的勝利である。
そう、考え弦十郎はすぐさま響に連絡を入れる。
「響君、緊急事態だ。今から指示する場所に向かい、ネフシュタンの少女を止めて欲しい」
【はい、分かってます。
「……何?」
響の言葉に弦十郎は慌てて、響達を映す方の画面に視線を戻す。
ホテル街の方に居ると思われた、全身をネフシュタンの鎧で覆った少女。
それが今、道路を粉砕した状態で響達の前に仁王立ちしていた。
「大人しく、デュランダルを寄越しな。そうすりゃ、命は保証してやるよ」
ソロモンの杖をその手に持つことなく。
「ねえ、どうしてこんなことをするの? 戦いなんかより、まずはお話しようよ!」
「ちょ! 響ちゃん、勝手に車の外に出ないで! 危ないわ!」
「了子さんは隠れていてください! 私が頑張ります!」
ネフシュタンの少女、クリスが登場したことで了子の静止も聞かずに車から飛び出していく響。しかし、それは戦うためではなく会話を行うため。本来であれば、クリスに鼻で笑われて終わる話だっただろう。
「話ね……いいぜ。こっちの
「本当!? 分かった!」
だが、驚くべきことにクリスは了承の意思を示して見せた。
そのことに響は驚きと嬉しさから目を輝かせる。
もし、尻尾がついていたらブンブンと回転していることだろう。
そんな姿にクリスは若干の罪悪感を覚えるが、それを飲み込み悪役らしく話し出す。
「デュランダルを渡せ」
「ごめん、それは無理」
「……結構ハッキリ言うな、お前」
要求に対してスパッと断る響に、クリスはバイザー越しに呆れた視線を送る。
と、言っても、そこであっけなくいいよと言われても困っていたので、すぐに表情を戻す。
「まあ、護衛が簡単に荷物を渡すわけにはいかねえよな。だから、お前に渡せとはもう言わねえよ。お前はただ別の場所に行ってりゃいい」
「……逃げる気はないよ」
「ハ、違うな。お前は別の相手と戦いに行くのさ。おい、説明してやれよ、お偉いさん」
そう、嘲るように笑いクリスは響が持つ携帯端末に声を吐く。
どういうことだろうと、響は端末の先に居る弦十郎に問いかける。
【……簡潔に言えば、こことは別の場所にノイズが発生した。それもソロモンの杖で使役された奴がな】
「それって…!」
「そうだよ。あたしの
ニヤリと兜の下の唇を歪ませるクリス。
因みに、彼女自身はそういった表情はあまりできないのでフィーネの物まねである。
【通常のノイズなら消えるまでの間、二課の面々で対処することは可能だ。だが、ソロモンの杖が無尽蔵にノイズを呼び出せるのなら……シンフォギア装者の力が必要だ】
現在の確認されているシンフォギア装者は2人だけ。
響と翼の2人だけで、うち1人の翼は現在病室に居る。
つまり、動かせるシンフォギア装者は響だけなのだ。
故に、ノイズに対処するためには、響がこの場から離れて行く他に道がない。
「ああ、そうだ。これは人質だよ。お前が行かなきゃ人がたくさん死ぬ。そいつは嫌だろう?」
動揺する響に対してクリスは更なる追い打ちをかける。
人が死ぬのは間違っている。理不尽な痛みを見るのは嫌だという人間に特に効くような。
クリス自身が嫌がることに共感できる人間に対しての脅しを。
「でも……そうしたらデュランダルが」
「ああん? 気にすんなよ。たかが一本の剣と大勢の命。どっちが大切かぐらい分かるだろ」
「分かってる…分かってるよ! そんなことぐらい…ッ」
響の中の天秤は明確に人の命の方に傾いている。
しかし、これは任務であり何よりデュランダルを渡してしまえば、それ以上の被害が出る恐れもある。故に、響は義務と意思の板挟みに合っているのだ。
「ほら、早く選べよ。さっさとしねーと、あいつに人を
そんな揺れる響の心をクリスはさらに責めたてる。
しかしながら、煽っているように見えるクリスの内心は焦っていた。
そもそも、クリスだって無駄に人を殺したくないのだ。
しかも、今生殺与奪の権利を握っているのは自分ではなく“彼”。
自分の大切な家族に人殺しなどさせたくない。
(あいつの手はあたしと違って汚れてない……上手い料理を作るためにあんだ。こんな下らないことで汚させてたまるかよ)
故に彼女は祈る。
どうか、相手が人命を優先する心優しい人間であって欲しいと。
【……仕方ないか】
そんなクリスの祈りはどうやら通じたらしい。
端末の向こうで弦十郎が諦めたように呟くのが聞こえる。
デュランダルを放棄して、ノイズの方へ向かう。
人道的に見れば正しい選択だが、まず間違いなく責任の追及は免れない。
加えて、そうまでしてデュランダルを欲する相手に、それを与えてしまう危険性は計り知れない。
だとしても、弦十郎には人を見捨てるという選択は取れなかった。
そして、まだ幼い少女にそんな重い選択を選ばせることも。
【特異災害対策機動部二課司令が、立花響へ命令する。繰り返す、これは命令だ。逆らうことは許されん。今より、立花響はデュランダルを放棄し――】
だから、全ての罪は自分が負う。
そんな覚悟と共に重々しい言葉を吐きだそうとして。
【叔父様、いえ、風鳴司令。少しお待ちを。ノイズの対応には―――私が行きます】
鋭さを取り戻した剣に止められるのだった。
「つ、翼さん!?」
「はぁ? 風鳴翼だと!?」
凛とした声に響のみならずクリスも驚愕の表情を浮かべる。
響はもう退院して大丈夫なのかという心配から。
クリスは情報と違うという驚きから。
「待ちなさい、翼ちゃん! 幾ら動けるようになったとはいえ、戦闘をするのは無茶よ!」
【大丈夫ですよ、了子さん。常在戦場。私はどういった状態でも戦えるように鍛えています】
クリスと響から離れた場所で様子を見守っていた了子が、耐えきれずといった感じで割り込んでくるが、それでも翼の意思は変わらない。一見すれば、以前のように自殺志願者のように見えるかもしれない。だが、今の彼女の声は芯の通った一本の鋭い剣であった。
【立花】
「は、はい」
そんな声で話しかけられたものだから、響は思わずビクリと震えてしまう。
2人の間にはちょっとした確執があったのだが、それも響の動揺に手を貸していた。
何か文句を言われるのかもしれない。そう、身構える響だったが。
【あなたはあなたの
「ッ! はい!!」
逆に勇気づけられて、大きな声を出すのだった。
「……ちっ、これじゃあ人質が意味ねえな。まあいいぜ、どっちにしろデュランダルを奪うことに変わりはねえからなぁ!」
「え? 話を聞いてくれるって約束は?」
「こっちの
「そんなぁー!?」
こうして、響とクリスのデュランダルを賭けた戦いは始まるのだった。
ホテル街にあるホテルの1つ『ホテルハイアット』の屋上。
そこで仮面の奥に隠れた瞳で自らが操るノイズを見る黒いコートを着た少年が居る。
軍隊のように整列したそれからは、まるで脅威を感じない。
不思議な気分だった。親の仇であるそれを自分が操るというのは。
「……もし、あの日この杖があれば……いや、終わったことだな」
ソロモンの杖があればノイズを操り、多くの者を救えたのではという妄想に士郎は首を振る。
過去は変えられない。否、変えてはならないのだ。
そうでなければあの日の悲しみが、怒りが、絶望が全て無意味になってしまう。
もちろん、その後に悲しみを乗り越えて進んだ者達の努力も含めて。
「俺とは違って、未来に歩き出した人達が居る。その人達の歩みは否定しちゃいけない……それだけは否定したらいけないんだ」
あの町は過去を乗り越え未来へと進んだ。
ならば、過去の遺物である自分はその背中を押してやらねばならない。
それが、罪深い自分にできる唯一のことだ。
だから――
―――死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
脳髄を抉り出すこの声にだって耐えることができる。
「自分の家族を殺した奴らを使って、今度は自分が誰かの家族を奪うのか……皮肉だな」
自分が幸福を感じる瞬間にいつも脳裏に過る声。
士郎はその声を死んでいった者達の声だと思っていた。
だが、最近になってそれは間違いだと気づいた。
声の主は、士郎自身に他ならない。
幸せを感じる度に、お前にはそんな資格はないと叫びを上げ糾弾する。
苦しめと、痛みを味わえと、慟哭の声が心と体を蝕む。
(響……来てくれ。俺はクリスの努力の結晶であるソロモンの杖で、人殺しなんてしたくない)
表情を欠片も動かさずに辺りを探りながら士郎は響を待つ。
作戦が成功すれば、シンフォギア装者である響はこちらに来る。
その後に適度に時間を稼いで、クリスがデュランダルを確保しだい撤退する。
それが彼らの作戦だった。
(
そこまで言って士郎はフィーネに似た嗤いを零す。
どの面を下げて、自分の視界だけは平和であって欲しいと言っているのだろうか。
大罪人が、大悪党が、大量殺人者が、自分の
今まさに他人の家族を奪おうとしているくせにだ。
反吐が出る。吐き気を催す邪悪とは、まさに今の自分のことを言うのだろう。
「なんて無様……」
正義の機械にもなれず、家族を愛する人間にもなれず。
一体、自分は何のために存在しているのだろう。
悩んでみるが自身の心から答えは返って来ない。
返ってくるのは、人間もどきは身の程を知れと言う罵倒だけ。
「やっぱり俺は人より、物の方がお似合いだな」
自嘲気味に零し、士郎は耳を澄ます。
声が聞こえてくる。否、それは歌だった。
どこまでも強く美しい、研ぎ澄まされ洗練された刃の如き歌声。
それはクリスと士郎の作戦の成功を知らせるはずの声であり。
士郎が
彼はその素晴らしさに思わず惚れる様に目を閉じていたが、話しかけられたことで目を開ける。
「ソロモンの杖を持っているということは、ネフシュタンの少女の仲間だな?」
「さあ? どうだろうな。自分でも分からないんだ」
「とぼけても無駄よ。今すぐその杖を渡して投降しなさい。悪いようにはしないから」
「悪いけどそれは出来ないよ、風鳴翼さん」
士郎とそれを囲うノイズの前に立ち塞がる蒼銀。
背中までかかる清廉な青い髪を一つに束ね、刃を構える姿は現代の侍。
この日ノ本を守り続けてきた防人の末裔。
シンフォギア
「ところで、こっちにはもう1人の方が来るはずだったんだけどな?」
「護国の剣は一振りだけにあらず。それだけのことだ」
「なるほど、なら俺がこっちに居る意味はもうないな」
軽く肩を落として作戦の失敗を呟く士郎。
響がこっちに来ていれば、クリスは労せずにデュランダルを手に入れられた。
しかし、こちらに翼が来たということは今クリスは響と交戦中と言うことだ。
ならば、こっちで囮役を務める意味もない。
速やかに撤退するのが定石だ。もっとも。
「逃がすとでも?」
「死んでも逃げるさ」
目の前の蒼き瞳が士郎を逃がすわけなどないのだが。
「いけ! ノイズ!!」
ソロモンの杖を操り、あらかじめ出しておいたノイズ達を翼に襲い掛からせる。
その様はさながら絶望の津波。常人であればその時点で死を覚悟しているだろう。
だが、しかし。
「その程度で…! この剣を鈍らせられると思うな!!」
絶望の津波は希望の刃により一閃される。
思わず目を見開く士郎をよそに、翼の動きは止まらない。
一方的にノイズの群れを切り裂いたかと思えば、宙高くまで飛び上がる。
「剣を生み出して戦うのは知っていたけど…すごいなこれは…!」
「まずは邪魔なノイズ達から消させてもらおう!」
―――千ノ落涙!!
空一面に広がる剣軍。
その異様な光景に士郎は思わず感嘆の声を零し、翼は容赦なくそれを振り下ろす。
千ノ落涙と名付けられたそれは、無数の剣を涙のように雨のように地上に降らすものだ。
構造自体は実にシンプル。
しかし、シンプル故に効果は絶大。
あらかじめ士郎が作り出しておいたノイズは、あっという間に消滅してしまった。
「これがシンフォギア……ああ、やっぱり凄いな」
「随分と余裕のようだが、これで分かったはずだ。ただのノイズでは私は折れない」
鋭い視線を向けられながらも、士郎はどこか呆けたように称賛を贈るだけだ。
しかも、翼以上にシンフォギアを制作した櫻井了子に向けて。
「悪いけど、俺にはこれぐらいしか出来ないんだ。だから、もう少しだけ付き合ってくれ」
「何度やっても無駄よ」
ソロモンの杖を振り、ノイズを翼へと差し向けるが結果は先程と同じ。
ズンバらりと切断されて、どこかへと消え去って行く。
勝てない。最初から分かっていたことを士郎は改めて理解させられる。
「さあ、怪我をしたくないなら大人しく降伏しなさい」
「どっちもしたくないな」
「そう。なら―――なるべく痛くないように終わらせてあげるわ」
シンフォギア装者と聖遺物との融合したとはいえただの人間。
おまけに幼い頃より戦闘の術を学んだ者と、付け焼刃しかしらない者。
どう考えても勝ち目がない。そもそも、勝つ方法を探すことが難しい。
(流石にこれだけ時間が経てば、ホテルの人はみんな逃げ出せただろうな……後はタイミングだ)
そう。だから、こういった状況になることは初めから分かっていた。
響だろうが翼だろうが、初めから士郎がやることは変わっていない。
「これで、終わりだ!」
「ぐっ、守れ!」
苦し紛れに出した最後のノイズの防壁を切り裂いていき、翼が士郎の目の前に向かってくる。
士郎はノイズを盾にして自分を隠す様にするが、そんな小細工で翼は止まらない。
そして、最後の一体に突きの構えを取り、その胴体を串刺しにせんとする。
「無駄だッ! はぁあああッ!!」
まるで光の如き突きが最後のノイズを貫通する。
後は士郎を捕縛するだけと、翼はノイズから剣を引き抜く。
「む? なぜ、抜けな――」
が、それはある抵抗から出来ずに翼は何事かと眉をひそめ、塵となって消えていくノイズの陰から現れたものを見て、絶句してしまうのだった。
「はは……やっぱ痛いなこれ」
自らの剣を士郎が心臓を貫かれた状態で握っている光景を見て。
「そ、そんな…!? 届くわけがないのにどうして!?」
想定外の事態に動揺して、翼は声を荒げてしまう。
彼女は戦闘のプロだ。斬りたいものと、そうでないものぐらい分けることが出来る。
彼女は士郎を生け捕りにするつもりで、斬るつもりはなかった。
だから、彼女の剣が士郎を傷つけることなどありえない。
彼が自分からその剣に飛び込まない限りは。
「あなた何を考えているの!? 自分から刃に飛び込むなんて!」
「……悪いな。綺麗な剣なのに俺なんかの血で汚して」
「何を意味の分からないことを…! と、とにかく急いで治療しないと…ッ」
「ああ、それともう1つ、謝らないといけないことが…」
全くもって想定していなかった事態に、珍しく動揺を見せる翼。
もう、戦闘どころではない。シンフォギアは纏ったままだが、彼女に戦闘意志はない。
戦いは終わった。今は士郎の治療をしなければと
「―――このホテル爆発するぞ?」
だから、何も察知することが出来なかった。
瞬間、耳をつんざくような爆発音が響き渡り、ホテルが土台から崩れ去って行く。
もちろん、彼らが居る屋上であろうとも例外ではない。
足元から大地が崩れていき、胃に重く重力がのしかかる。
当然、翼はそのままでは不味いと判断し、士郎を連れて逃げ出そうとする。
だが。
「じゃあな、翼さん。翼さんの
逆に士郎に突き飛ばされて1人だけ、ホテルの崩壊に巻き込まれることなく脱出に成功する。
崩壊に巻き込まれて1人消えていく士郎と。
動揺していなければ、迅速に2人で逃げられたかもしれないという後悔を残して。
「……なにがどうなっているの?」
瓦礫の山と化したホテルハイアットの前で、翼は呆然と立ち尽くすのだった。
士郎が握っていた部分に、一切の血がついていない自らの剣に気づくことなく。
「よし、ここまで来たら大丈夫か。クリスの方は……まあ、フィーネさんが居るから捕まることはないか」
その数十分後、士郎は何食わぬ顔で街中を歩いていた。
どういうことかを簡単に言うとすれば。
あらかじめ脱出ルートをノイズに地下を掘らせて作っていた。
そして、翼の動揺を誘うため
最後は仕込んでおいた爆弾でホテルを爆破し、崩壊の混乱と共に脱出した。
以上の3行で説明できる。
「流石はフィーネさんが作ったシンフォギアとその装者だ。聖遺物のなりそこないの俺じゃ勝てないか。……まあ、最初から分かってたからあんなことしたんだけど」
ポリポリと頭を掻きながら士郎は歩いていく。
その手には先程まで持っていたソロモンの杖はない。
あんなものを持って動けば怪しいから隠しているのだ。
自分の
「一か八かだったけど、上手くいったな。翼さんの歌を聞いたおかげか?」
そう言って士郎は自分の胸を擦る。
士郎の宿す聖遺物は“鞘”。すなわち、剣を
その特性を利用して、現在はソロモンの杖を体内に収めているのだ。
因みに当初は、麻薬の密輸のように物理的に体内にぶち込む予定であった。
死なないせいで、この馬鹿はやりたい放題である。
「……でも、剣じゃないせいか胃がむかむかするな。多分、時間制限付きだな、これ」
と言っても、永遠に収められるわけではない。
鞘に入れるものは剣だ。他のものを無理やり入れても、しっくりくるはずがない。
だから、士郎は食べ過ぎた後のような胃の不快感と戦う羽目になっている。
「やっぱり、剣。できるなら
エクスカリバーは湖の乙女に返却されているので無理だとしても、デュランダルクラスであれば鞘も満足してくれるかもしれない。そんな冗談のようなことを真面目に考えながら、士郎は歩いていき、誰も居ない公園に差し掛かったところでベンチに座り込む。
「…………」
そして、自身の手をマジマジと見つめた後に、軽くベンチの金属の手すりを握り締める。
――ギチリ。
「うん、良い調子だ。流石のフォニックゲインの量だな。これを繰り返していけば俺は…」
確かめたのは、士郎が
彼女達が生み出すフォニックゲインを集めた先にある結果。
「人間でない
完全聖遺物の起動だ。
士郎の服装はスラッシュ&コネクトです。
仮面はサンタの奴。