■■士郎のシンフォギア   作:トマトルテ

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7話:終わりを目指す者

 夢を見た。

 それを夢と理解できたのは、あの子の姿がまだ小さかったからだ。

 

「フィーネさん、何か手伝うことはないのか?」

「今は何もないわ。あなたは好きなことをしてていいわよ」

「分かった。じゃあ、掃除してくる」

「…………」

 

 休むことも、遊ぶことも、まるで脳裏にないとばかりにあの子は働き続ける。

 まだ、小学生低学年ぐらいの子供がだ。

 ただ単に、()()()では説明がつかない。

 誰かに奉仕していなければ呼吸が出来ない。そんな罪悪感に塗れた生き方。

 

「もう少し子供らしい方が、面白いのだけどね」

 

 それに気づきながらも私は治そうとはしなかった。

 単純にその方が都合がよかったからだ。

 士郎は罪の意識を抱え続ける限り、自分を裏切ることはない。

 

 そして、その罪悪感を刺激してやれば様々なことに利用できる。

 そのための努力は惜しまなかった。

 

 悪夢にうなされながら、ごめんなさいと謝り続けるあの子に子守唄を歌ってやり、自分の傍に居れば許されると植え付けた。両親の幻影に微笑みかけるあの子に、今は自分が居ることを教え、依存させた。

 

 これで都合の良い駒が出来ると。努めて、そう思いながら接していた。

 だが、それも長くは続かなかった。

 

「また、こんなに散らかして。ものはちゃんとしまわないとダメだろ?」

 

「机の上で寝てたら風邪ひくぞ? ただでさえ、裸なんだから」

 

「うわ、この部屋埃だらけじゃないか。ほら、掃除するから、フィーネさんも要るものと要らないものを分けてくれ」

 

 元々素質があったのか、家事レベルがメキメキと上昇していき私の世話を焼き始めたのだ。

 正直、大人としての威厳がガリガリと削られていく気がしたが、邪魔だとは思わなかった。

 櫻井了子としてならともかく、フィーネとして誰かに世話をされるのはいつぶりだろうか。

 

 そんなことを考えていたからだろう。

 素直にあの子の奉仕を受け続けた。

 情が芽生えてしまうかもしれないと思いながらも。

 

 一生懸命に伸ばされる、小さな手を振り払うことが出来なかった。

 

「お帰り、フィーネさん。ハンバーグを作ってみたんだけど…食べてみてくれないか?」

「士郎が作ったの? 凄いじゃない」

「いや、まあ……ちょっと失敗したんだけどさ」

 

 駒としての認識が完全に崩れたのは、きっとあの子が初めて料理を作った時だろう。

 仕事から帰ってきた私を、エプロン姿の士郎が緊張した面持ちで待っていたのだ。

 

「ところどころ焦げてるし、綺麗に空気が抜けなくて崩れたりしてるからさ。……無理して食べないでもいいよ」

 

 恥ずかしそうに頬を掻く士郎。

 確かに、本人が言うように、そのハンバーグは綺麗な見た目ではなかった。

 今のあの子が作るものとは雲泥の差だ。

 だとしても、私に断るという選択肢はなかった。

 

「もちろん、食べるわ。あなたが一生懸命作ってくれたんですもの」

 

 それはあの子の手を見たから。

 小さな手を火傷や切り傷で痛々しくしながらも、私のために作ってくれた料理。

 そんな優しさを無下にできるわけなどなかった。

 

「本当か!?」

「こんなことで嘘をつくわけないでしょ」

 

 珍しく子供らしい表情を見せる士郎の頭を撫でてから、私達は一緒の食卓に座った。

 まるで本当の親子のように。

 

「「いただきます」」

 

 一口、私の方をジッと見つめる士郎に苦笑しながら、ハンバーグを食べる。

 静かに咀嚼をする。味はそこまでではない。少し焦げの味がする。見栄えも微妙だ。

 だというのに、私は無言でもう一欠けら口に運んでいた。

 

「ど、どうだ?」

 

 不安そうにあの子が見つめてくる。

 何か言ってやらないとと思うが、上手く口が回らない。

 それでも何とか絞り出した言葉は、自分でも何を言っているのかと思うものだった。

 

「士郎は……どうして私に料理を作ってくれたのかしら?」

 

 驚いたように士郎が目をパチクリとさせる。

 まるで考えたことも無かったという仕草に、私は自分の発言を後悔する。

 普通に美味しいと言っておけばよかった。

 これでは変な空気になってしまう。

 だから、今のは忘れて頂戴と言おうとしたところで、士郎が口を開く。

 

「そんなの、フィーネさんに喜んで欲しいからに決まってるだろ?」

「私に喜んで欲しい…?」

 

 言葉に詰まってしまう。

 士郎の顔に虚飾の色は見られない。

 それでも、信じられなかった。自分をモルモット扱いする人間に喜んで欲しいなど。

 普通の人間の思考ではない。

 

「俺、フィーネさんのことが好きだからさ。フィーネさんに笑って欲しいから、料理を作ってみたんだ」

「……そう、だからこの料理は」

 

 だというのに、この子は無邪気に私のことが好きだとのたまう。

 喜んで欲しいと、笑って欲しいと、料理に愛情を込める。

 

「―――こんなにも温かいのね」

 

 もう一口ハンバーグを口に運ぶ。

 味は良い方ではない。だとしても、最高のスパイスがそれを補う。

 相手のことを思いやり、笑って欲しいと喜んで欲しいと作られた料理。

 それはとても、温かいものだった。

 

「美味しいわよ、士郎。また、作ってくれるかしら?」

「ああ、もちろんだ!」

 

 だから私は、本当にいつぶりかの穏やかな微笑みを浮かべて見せる。

 それに安心したように、パァッと顔を輝かせるあの子の表情は。

 

「今度はもっと上手く作ってみせるからな!」

 

 張り付けたものではなく、子供らしい自然な笑顔だった。

 

「ふふふ、それじゃあ色々とリクエストしちゃおうかしら」

「ああ、遠慮なく言ってくれ。すぐに何でも作れるようになってみせるから」

 

 それを見た時、私はふと想像してしまったのだ。

 あのお方と私、そして士郎の3人で食卓を囲められれば、それはどれだけ。

 

「ええ、期待しているわ」

 

 幸せなことなのだろうと。

 

 

 

 

 

 フィーネが異常に気付いたのは、目が覚めた時間を見た時だった。

 

「……ちょっと寝すぎたわね。休みだからよかったけど。でも、おかしいわね。いつもなら、あの子が起こしに来るのに」

 

 自分が起きなかった場合はこの家で一番の早起きである士郎が、彼女を起こしに来る。

 だが、今日は来なかった。そこに違和感を覚えるものの、昨日の呑み過ぎを見られていたために、気を使ってくれただけかと思う。

 

 しかし、部屋を出たところで違和感は確信へと変わる。

 

「手紙…?」

 

 扉の前に綺麗に置かれていた手紙。

 嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、フィーネは手紙を拾う。

 そして、『フィーネさんへ』という文字を見て差出人が誰かを悟る。

 

「士郎…あの子一体何を…?」

 

 恐る恐る封筒を開け、中身を取り出し目を通す。

 

「え…?」

 

 フィーネの顔が青ざめるのは一瞬だった。

 次に指に力が入り、手紙に小さくない皴を作る。

 だが、それも途中までだ。

 

 読み進めて行けば行くたびに、彼女の手からは力が抜け落ちていく。

 まるで、自分はとんでもないことをしでかしてしまったとでも言うように。

 何より、その内容に素直に反発することが出来ない自分に絶望するように。

 

「おいフィーネ、そんな所で何してんだ?」

「……クリス。今すぐに士郎を探しに行きなさい」

「はぁ?」

 

 そんな明らかに様子のおかしいフィーネを見つけたクリスが、心配から声をかけてくる。

 それに対して、フィーネは努めて動揺を隠そうとして、逆におかしくなった声で指示を出す。

 

「ど、どうしたんだよ、いきなり」

「落ち着いて聞きなさい。士郎が――」

 

 困惑するクリスをよそに、フィーネはクリスには手紙の内容の真実を悟らせないように。

 しかし、手紙に書いていた願いを叶えるために言葉を紡ぐ。

 

「―――裏切ったわ」

 

 

 

 

 

「あ、士郎君からメールだ」

「珍しいね。何が書いてるの?」

 

 その頃、響の携帯端末に一件のメールが届いていた。

 連絡先自体は交換していた3人だが、特に連絡を取り合うことは今までしてこなかった。

 故に、響と未来は珍しいなと思いながらメールの文を覗き込む。

 

「えーと…『2人きりで伝えたいことがあるから、18時に初めて出会った橋に来てくれ』だって。……何だろ?」

「え…? 2人きりで伝えたいこと? それも初めて出会った場所で? ……まさか」

 

 一体何を伝えたいのだろうと、のほほんとした表情で考える響。

 逆に未来の方は何かを察したのか、顔を赤らめさせる。

 

「未来は分かるの?」

「え? う、ううん。私も単なる予想だから分からないよ」

「そっかー、未来でも分からないなら会うまで分からないなぁ」

 

 少しどもりながら答えるも、響は全幅の信頼を置く未来の言葉のため疑わない。

 そのことに内心嬉しさを感じながら、未来は複雑な表情を浮かべる。

 

(これ、響は気づいてないけど告白だよね…? いや、私の勘違いの可能性もあるし。それに士郎さんって若干天然っぽいし、何も考えずにこの文を書いた可能性も……いや、でも、もしかしたら本当に……)

 

 未来は疑っていた。

 士郎が告白のために響を呼び出したのではないかと。

 もちろん、そんなことはないのだが、士郎を詳しく知らない未来から疑念は消えない。

 まあ、ある意味で士郎は告白をするつもりなので、全くの勘違いというわけでもないのだが。

 

「まあ、行けば分かるよね」

「……そうだね」

 

 普通に友人と出会うような空気の響に、未来は万が一告白されても受けないだろうと考える。

 しかし、響の性格からしてバッサリ断るとも考えられない。

 むしろ、予想外であるからこそ考えさせて欲しいと、返事を保留にする可能性が高い。

 

(そこから2人の仲を深めていって、最後には正式なカップルに……い、いや、マンガじゃないんだから)

 

 確かそんな設定の恋愛漫画があったなと、未来は思い出してしまい首を振る。

 所詮はそれは漫画での話だ。

 しかし、それでもなお否定しきれない何かを未来は2人に感じていた。

 

(士郎さんと響は似ている。どこかがズレているけど、それでも似てる……)

 

 似た者同士。

 それは価値観が近いということであり、共に過ごすには重要な部分だ。

 2人は根幹にあるものが近い。

 それが逆に同族嫌悪に繋がる場合もあるが、2人とも穏やかな性格なために明確な決裂に繋がる可能性は低いだろう。

 

(響を止める? でも、それはやり過ぎだよね?)

 

 親友が自分の手の届かない場所に行ってしまいそうな気がして、未来は悩む。

 しかし、士郎が本当に告白をしようとしているのなら、それを止める権利など誰にもない。

 それを理解しているからこそ、未来は響を止めない。

 だが、何もせずにただ待っているということも出来なかった。

 

「あ、そろそろ出ないと。それじゃあ、行ってくるね、未来」

「うん……気をつけてね」

 

 故に響を見送りながら未来は決意する。

 

(コッソリ、ついていこう。べ、別に邪魔しなければいいよね?)

 

 士郎の伝えたいことの内容を確認しようと。

 

 

 

 士郎が裏切った。

 クリスはその言葉を信じなかった。

 ただ、どうしようもなく動揺し、町の中を走り回っている。

 

(嘘だ…嘘だ! 士郎があたしを裏切るわけがない! きっとなんかの間違いだ!!)

 

 故に、フィーネから聞いた情報の違和感にも気づけなかった。

 普通に考えればおかしいことだらけであるのに。

 

(フィーネは士郎がソロモンの杖を盗んだとかなんだとか言ってたけど、そんなことはどうでもいいんだよ! あんなものあたしは要らない。でも、あいつが居なくなるのは嫌だ!)

 

 まず、第一にだ。本当に裏切る人間が、律義に手紙など残すだろうか?

 答えは否だ。裏切りはバレないからこそ意味があるのだ。

 仮にバレるにしても、それは遅ければ遅い程に良い。

 それに、フィーネはクリスに探しに行けと命令した。

 普通に考えれば、どこかに隠れているであろう相手を、街に行けば必ず見つかると分かっているかのように。

 

(どこだ…? どこに居んだよ? あたしを独りぼっちにしないでくれよ!!)

 

 そしてあの時のフィーネは寝起きだった。

 つまり、事実確認など碌にできていない。

 さらに言えば、ソロモンの杖が盗まれたかどうかも確認できるわけがない。

 だが、フィーネは言い切った。

 手紙に書いてあったことを鵜呑みにして。

 

 その手紙が、言葉通りならば裏切り者が残したものだというのにだ。

 

「うわッ!?」

「キャッ!?」

 

 そんな単純なことに気づけないクリスの動揺は、行動にももろに出ていた。

 故に、曲がり角を曲がったところで、白いリボンが特徴的な黒髪の少女にぶつかったのもその動揺が原因だろう。

 

「わ、悪い。急いでんだ……」

「う、ううん。私もあんまり前を見てなかったから」

 

 内心で自分の馬鹿さ加減に罵倒を吐きながらも、クリスはぶつかった少女に謝る。

 それに対して、黒髪の少女も挙動不審気味に謝り返す。

 そのことに若干の恥ずかしさを感じたクリスは、誤魔化す様に独り言を呟く。

 

「本当に悪いな。たく、これも全部士郎の奴のせいだ」

 

 クリスのその言葉は特に何かを狙ったわけではない。

 本当に気恥ずかしさを誤魔化すために愚痴を口に出しただけだ。

 

「士郎? もしかして士郎さんのこと?」

「知ってるのかッ!?」

 

 だが、それが彼女にとっての蜘蛛の糸(きぼう)となった。

 

「え、えっと、間違いじゃないなら、同じぐらいの年の赤髪で料理が得意な人のことで合ってる…?」

「おう! それに加えて鈍感で女に対してデリカシーがない奴だ!」

「あ、うん。確かに」

 

 クリスは黒髪の少女、未来の肩をガシッと掴みながら叫び声をあげる。

 それに対して、未来は困惑しながらも女性の自宅の掃除を買って出た士郎を思い出して、納得するような表情を見せる。

 

「な、なあ、今あいつがどこに居るか分かるか?」

「その……響と、私の友達と会うために、この橋で待ってるらしいんだけど」

(響…? まさか、立花響か? だとしたらあいつ本当に…ッ)

 

 ストーキングしていたことに若干の後ろめたさを残すような表情で、携帯端末の地図を示す未来。だが、クリスの方は未来の口にした響という名前に意識を取られ、そこに気づくことはなかった。

 

「えっと……それであなたは? 士郎さんとはどういう関係なの?」

「ああ、悪いな。あたしは雪音クリス。あいつとはその……」

 

 そんな所へ、未来が至って当然の質問をぶつけてくる。

 質問に対して、クリスは困ったように口を塞ぐ。

 それは一般人である未来にどう説明すればいいのかという悩みと、自分は一体彼にとっての何なのかとという悩みからであった。

 

 だが、そんな悩みは裏の事情を知らない未来にはわからない。

 だから、未来は自分の想像である、士郎が告白しようとしているという考えから結論を導き出す。

 

「もしかして……士郎さんのこと好きなの?」

「はあッ!? な、ななななに言ってんだよ!? べ、別に私はあいつのことなんて!!」

 

 直球で来た質問にクリスは何も隠すことが出来ずに、思わず吹き出してしまう。

 もう、答えは聞かなくても分かったと、未来は思わず内心で笑ってしまう。

 

「……クリス、士郎さんが取られてもいいの?」

「…!」

 

 取られても良いのか。

 この言葉に対して、クリスは敵に取られていいのかという意味に捉えた。

 もちろん、未来は恋愛的な意味で盗られても良いのかという意味で言っている。

 

「今その言葉を伝えないと、一生伝えられないかもしれないよ? それでいいの?」

「……嫌だ。それだけは嫌だ」

「だったら、伝えに行こう。今ならきっと間に合うから」

 

 未来は色々と勘違いしているが、士郎を取り戻そうとするクリスの目的だけは、完璧に把握したために誤解が解けることはない。クリスの方も平時ならともかく、動揺が激しい現状では違和感に気づけない。

 

「……お前、名前は? なんであたしを助けるんだ?」

「小日向未来。クリスを助ける理由は……私も大切な人に置いて行かれたくないからかな」

「…? とにかくありがとうな」

 

 何故、士郎が裏切ることが、未来が大切な人に置いて行かれることになるのか。

 その理由が良く分からなかったクリスだが、今はそんな場合ではないと割り切る。

 そんな、平時なら笑い話になるであろう勘違いは、もしかすれば2人がさらに話せば解けたかもしれない。

 

 だが、そんな未来は甲高い警報音によって打ち切られる。

 

「なんだ? この音?」

「なんだっ…て、ノイズ出現の警戒警報だよ!? 急いで避難しないと!!」

「ノイズだって!?」

 

 今までノイズを出現させる側だったために、警報の意味を知らないクリスに未来が叫ぶように伝えると、クリスは一瞬で顔を強張らせる。

 

(この状況でノイズが出現するなんて、士郎以外に考えられねぇ! ノイズの居る場所に行けば士郎が居るはずだけど……)

 

 強張った表情のまま、チラリと未来を見る。

 見ず知らずの自分を助けてくれた、自分とは違う優しい少女。

 クリスにはとてもではないが、見捨てるということは出来なかった。

 だから、まずは未来を安全な所まで避難させてから士郎の下に向かおうと考える。だが。

 

「……ねえ、クリス」

「なんだ? 急いで逃げるんじゃないのか」

「人があっちの方向から逃げて来てるってことは……あっちに、橋の方にノイズが現れたってことだよね?」

 

 未来は運悪く気づいてしまった。

 自らの親友がノイズの出現地に居る可能性を。

 

「…ッ。大丈夫だろ、きっとその響って奴もすぐにこっちに逃げてくるって」

 

 言いながら、それはないだろうとクリスは冷静に考える。

 未来の友人が立花響その人なら、ノイズから逃げるわけがない。

 むしろ、立ち向かう役目の人間だ。

 

「でも……それに士郎さんもいるんだよね?」

 

 しかし、今の様子を見るに、未来は響の裏の正体を知っている様子ではない。

 だから、友人を守ろうと未来は自ら死地に飛び込もうとしている。

 

(そうだ。士郎が本当に裏切ってんなら、戦いにならずに終わる。そうなったら、もう間に合わないかもしれねぇ…!)

 

 そして、クリスの中にも今を逃せば、もう二度と士郎に手が届かないではないかという不安があった。だから、クリスはもう一度未来を見る。1人で行かせたら死んでしまうかもしれない人間。そして、自分の掌を見る。この手にはノイズを屠るだけの力がある。

 

「ああ、クソ! いいか、絶対にあたしから離れんじゃねえぞ!!」

「え?」

 

 だからこそ、クリスは決断を下す。

 いざとなれば、自分が未来を守りながら親友の下に送り届けると。

 初めて、その力を壊すことではなく守るために使う。

 

「助けに行くんだろ!? 他の奴らと逆方向に進むんだから、急がねえと間に合わねえぞ!!」

「クリス……ごめん。ううん、ありがとう」

「礼は要らねえよ……」

 

 未来のお礼から逃げるように背中を向けながら、クリスは複雑な表情のまま走り出す。

 辿り着いた先にある、残酷な結末から目を背けるように。

 

 

 

 

 

「悪いな、響。急に呼び出して」

「ううん、別に私は良いよ」

 

 夕焼けが川と橋を照らし出す中、2人は鏡合わせのように向き合った。

 誰かを救いたいと、自らの意思で思った正義の味方と。

 誰かを救わねばならぬと、ただの義務感しか抱けぬロボットが。

 今、その違いを明らかにするように向かい合っている。

 

「それで、伝えたいことってなに?」

「……響に歌って欲しいんだ」

「歌?」

 

 キョトンとした表情で首を傾げる響。

 それもそうだろう。彼女からすれば、いきなり呼び出されて歌ってくれだ。

 わざわざ呼び出してまでやることかと思う。

 しかし、それも士郎を一般人と考えているが故の思考でしかない。

 

「シンフォギア、ガングニールの装者としてな」

「……え! な、なんでそれを…?」

 

 紡がれた言葉に、響は大きな動揺を見せる。

 何故士郎がそれを知っているのか。

 そして、それを知った上で歌って欲しいということは、シンフォギアを纏えということだ。

 何より。

 

「ここにソロモンの杖がある。これで俺が誰かの証明にならないか?」

 

 戦えという意思表示である。

 

「ソロモンの杖!? もしかして士郎君は……ネフシュタンの鎧の子の協力者?」

「ああ、風鳴翼さんと戦った男の正体だよ」

 

 ノイズを呼び出すことで、その力が本物であることを示す士郎。

 響の方は突然の事態に対応できず、未だにシンフォギアを纏うことが出来ていない。

 どう見ても、ノイズの良い餌である。

 しかし、士郎の方はまるで、何かを待つかのようにノイズを待機させたままだ。

 

「なんで…なんで…士郎君が…?」

「騙してたみたいで悪いけど、俺は最初から響の敵だったんだ。まあ、最初に出会ったときは俺も知らなかったけどな」

「違う! 私が聞きたいのは、どうして士郎君がこんなことをするのかの理由だよ!!」

 

 目の前に命の危機が迫っているというのに、未だに響はシンフォギアを纏わない。

 その行動が、彼女が争いよりも対話を望んでいることを如実に表していた。

 

「理由? 理由か……簡単に言えば()()()()()()()だな」

「夢…? 誰かを傷つけることが士郎君の夢なの!?」

「どう…だろうな。願いを叶える過程で犠牲は出るかもしれない。でも、願いそのものは誰かを傷つけるものじゃないんだ。うん。そこに間違いなんてないはずだ」

 

 同時に、士郎はそんな響の願いを無意識のうちに汲み取り、対話に応じていた。

 だが、彼の口調はどこか上の空のようなもので、己の内から零れ落ちたものが無い。

 言うなれば、ラジオがどこかから受信した放送を垂れ流しているようなもの。

 そこには己の夢と呼べる熱意など欠片も無かった。

 

「願いって……何なの?」

「そうだな……詳しく話すと長くなるから簡潔に言うと、世界平和だな」

「世界平和…?」

 

 借り物の理想を淡々と語る士郎に、響は困惑した表情を浮かべる。

 それもそうだろう。平和を望みながら、やることは平和を壊すテロ。

 だというのに、士郎は矛盾していることなどどうでも良いと思っている。

 葛藤も無ければ、意志もない。

 

 夢と語りながら、その夢に対する執着というものが無いのだ。

 何かがおかしい。響は頭と心でそれを理解し、士郎へ疑惑の視線を向ける。

 

「……士郎君」

「なんだ? やっと歌う気になってくれたか?」

「ううん。もっと聞きたいことが出来た。その夢は、本当に士郎君のものなの?」

 

 士郎の顔から表情が抜け落ちる。

 それに響は、ああやっぱりと思う。

 自分の願いでないから、彼はああもどうでもよさそうに語ることが出来たのだ。

 

「きっと、それは士郎君の夢じゃないんだよね?」

「……どうしてそう思うんだ?」

「夢を語るときに、そんなどうでもいいような表情をする人なんていないよ」

 

 苦笑する響に、士郎はどこかバツが悪そうに顔を背ける。

 その仕草に、響はこっちの方が士郎らしいと笑みを深める。

 

「ねえ、士郎君の本当の願いを聞かせてくれない?」

「……()()()()()

「そっか、ちゃんとあるんだね」

 

 言えないということは、すなわち胸に秘める夢は存在するということだ。

 彼は空っぽの人形ではない。それだけで、そう理解することが出来た。

 

「どうしても聞かせてくれないの?」

「無理だ……言えない」

「私は聞きたいな。だから――」

 

 明るい歌声が響き渡る。

 それは闇を晴らす鮮烈な光のようでいて、安らぎを感じさせる陽だまりのようでもある。

 

「―――私の歌の代わりに聞かせてくれないかな?」

 

 シンフォギアを纏い、響は笑顔で手を差し出す。

 本来であれば、その手にはガングニールの名の通り槍が握られているべきなのだろう。

 だが、彼女の手には武器は握られていない。

 それは彼女の、この手は誰かと繋ぎ合うためにあるという信念からだ。

 

 武器を握ることで誰かと手を取り合えないのなら、武器を捨ててしまえという思い切った精神がシンフォギアに反映されているのだ。そんな輝きを見せられてしまった士郎は眩しそうに目を細め、自嘲するように笑う。

 

「響は凄いな。俺には誰かと手を握り合うなんて出来ない」

「出来るよ。ほら、士郎君が手を伸ばさないなら、私が伸ばすから」

「……やめといた方が良い。俺の手は冷たいぞ」

「? 平気だよ。繋いだ手は温かいんだから」

「いいや、無駄だ。だって俺の手は」

 

 士郎の手を取るために、響は一歩近づく。

 それに対して、士郎は拒む様子も見せずにただ立ち続ける。

 その姿に響は受け入れてくれるかもしれないと、淡い希望を覗かせる。

 だが、その希望は。

 

「もう……何も感じないからな」

 

 士郎の体から無数に生えてきた剣によって切り裂かれる。

 

「え? な、なにこれ…? 大丈夫なの、士郎君!?」

 

 ギチギチと不愉快な金属音がけたたましく鳴り響く。

 服を、皮膚を突き破り、頭と心臓以外の体のあらゆる場所を無数の剣が食い破る。

 その悍ましい光景に響は初め、士郎が誰かに串刺しにされたのだと思った。

 だが、すぐにそれは違うと気づく。

 

 何故なら、士郎の体からは伝承の鞘の持ち主のように、一滴の血も流れていない。

 そして、体を突き破る刃は全て切っ先が外に向いている。

 まるで、その全てが士郎の内側から生えてきたかのように。

 

「ああ、大丈夫さ。これが俺のあるべき姿。()()()()の行きつく果てだ」

「融合症例…!? 士郎君が私と同じ…?」

「どっちかというと、響が俺と同じって言うべきだな。俺は響の先輩だからな」

 

 自らの体に起きた変化など些細なことだと言わんばかりに、士郎は穏やかな口調で話す。

 そのことがより一層不気味さを際立てていることに気づくことも無く。

 

「先輩…? それに私に歌えって言ってた理由って」

「10年前、俺の体にある聖遺物が埋め込まれた。ただ、その聖遺物は半起動状態でな? 響の歌で完全起動させて欲しいんだ」

「起動させて欲しいって……その状態からもっと先に進んだら士郎君は…!」

 

 人間じゃなくなっちゃうよ。

 思わず喉から出かけた言葉を響はすんでのところで飲み込む。

 それは、その言葉には余りにも救いがなかったから。

 だというのに。

 

「ああ、それが俺の()()だ」

 

 士郎はそれを理解した上で朗らかに笑う。

 人間を捨てることが目的だと、嬉しそうにのたまうのだ。

 既にその行動自体が、人間のやる行動ではないと気づかぬままに。

 

「だからさ、響。もっと歌ってくれ、俺のために」

 

 できるだけ友好的にと、化け物が人間のまねをして笑うように士郎は表情を歪める。

 それに対して、響がとった行動は。

 

「絶対に嫌だ!!」

 

 シンフォギアを解除するという行為だった。

 敵の目の前での武装解除。

 その余りにも愚かな行為に思わず士郎は目を見開く。

 

「……分かってるのか? 俺はノイズを操れる。響が戦わないと色んな人が犠牲になるぞ」

「でも、私が歌ったら士郎君が犠牲になる。だったら私は歌わない」

「ふざけてるのか?」

「大真面目だよ!! だって私は、みんなに幸せになって欲しいんだからッ!!」

 

 みんなを幸せにしたい。

 そんなどこまでも真っすぐな言葉に、士郎は絶句するしかなかった。

 

 なんだこれは?

 誰だ2人が似ているなんて世迷言を言った奴は。

 月と鼈という言葉ですらおこがましい。

 ロボットでは決して生み出せない、人間の輝きがそこにはあった。

 

「困っている人が居るなら、私は誰だって救いたい。例え不可能だとしても、私は目の前の人を救うことを諦めたくない。あの日、私を救ってくれた人と同じようになりたいから」

「……ただの罪悪感から来る感情だろ、それは。自分だけが生き残ったから、誰かを救わないといけないっていう義務感以外の何物でもない」

 

 その輝きから目を逸らす様に、士郎は響に対し、否自分に対して吐き捨てる。

 だが、そんな空虚な言葉では本物の正義の味方は止まらない。

 

「そうかもしれない。だとしても私は……誰かに守られたことを、いつまでも負い目に感じたくないから。自分の手で大切なものを守れるようになりたいの」

 

 負けた。

 誰にでもなく士郎は、自らの胸の内に敗北感を抱く。

 認めた。認めてしまったのだ。その願いが美しいと。

 響という女の子の想いは本物なのだと。

 戦う前から敗北感と共に認めてしまったのだ。

 

「……そっか。なあ、響」

「なに? 士郎君」

 

 だから、士郎は本当に珍しく感情を顔に宿し、泣きそうになりながら言う。

 

 

「―――俺、響のこと嫌いだ」

 

 

 どうして俺はお前のようになれなかったのかと。

 情けなく、みっともなく、憤りを込めて歪んだ鏡に敵意を向ける。

 

「私は士郎君のこと好きだよ?」

「……ああ、今やっとクリスの気持ちが分かったよ」

 

 響に好きだと言われた士郎は、何とも言えぬ表情を見せる。

 自分が嫌いな自分のことを肯定されるというのは。

 

「自分の嫌いなものを好きだって言われるのは……腹が立つんだな」

 

 こうも気に食わないのかと。

 

「行け、ノイズ。さあ、響! シンフォギアを纏わないと消し炭だぞ!?」

「…ッ!」

 

 今の今まで殺したくないとばかりに、動かさなかったノイズを一斉に動かす。

 それに対して、響はグッと歯を食いしばるが、決して歌わない。

 歌ってしまえば、士郎が人間に戻れなくなることを理解しているから。

 十字に架けられた聖者のように、ただ襲い掛かる運命を受け止めようとする。

 

「響ッ! だめぇえええッ!!」

「未来…!?」

 

 だが、その献身は別の者の献身によって代えられる。

 訳が分からないままでも、響の危機と見るや何も考えずに自ら盾となり飛び出る未来。

 その行動には響はおろか、ノイズを動かす士郎ですら反応することが出来ない。

 故に、ノイズは何の障害もなく未来へ迫り。

 

「この身を(よろ)えッ! ネフシュタン!!」

 

 文字通り間一髪のところで、ネフシュタンの鎧を纏ったクリスに消し飛ばされる。

 

「……クリス?」

「たく、離れるなって言っただろ? まあいい……お前は、その馬鹿の所に居ろ」

 

 突如として変身したクリスの姿に、未来は訳が分からずに呆然とする。

 そんな未来をこちらも訳が分からないまでも、優しく抱きしめながら響がクリスに声をかける。

 

「あなたは……私達を守ってくれたの?」

「お前は守ってねえよ。あたしが守ったのは未来だけだ」

「そっか、ありがとう。未来を守ってくれて」

「チッ……」

 

 つっけんどんな態度で言葉を返すも、響は笑顔でお礼を返すばかりだ。

 その事実に、心を荒ませながらもクリスは今は士郎だと、響から目を背ける。

 

「士郎、色々言いたいことはあるけどさ。取りあえず、あいつと戦ってたってことは裏切ってないんだよな?」

「……クリス、詳しく話すからこっちに来てくれないか?」

「ああ。そのヤバそうな体のことも含めて、洗いざらい吐いてもらうからな」

 

 士郎の言葉に対して、クリスは疑うことすらなく無防備に近づいていく。

 響と士郎は戦っていた。その事実が、彼女に士郎は自分を裏切っていないと思わせた。

 だから、親を信じる無邪気な子供のように士郎の傍により。

 

「騙して悪いな、クリス」

「え…?」

 

 (はがね)の拳で腹部の鎧を砕かれるのだった。

 

「し…ろう…?」

「ネフシュタンの鎧、返してもらうぞ」

「なに…を……」

 

 信じられないと、嘘だろと、縋りつくように崩れ落ちるクリス。

 それを抱き留める様に受け止め、士郎は響達には決して聞こえぬように、クリスの耳元で小さく呟く。

 

「心配するなって。クリスの夢は、俺がちゃんと叶えてやるから」

「――え?」

 

 どういうことだと、何とか聞き返そうとするクリスだったが腹部への衝撃で、上手く声を出すことが出来ない。何より、士郎に攻撃されたという事実が心に修復できぬほどの傷を与えていたために、彼女はそのまま地面に倒れることしか出来なかった。

 

「クリス!? 士郎さん、何やってるの!? クリスは士郎さんのことが…ッ!」

「何をやってるかと聞かれたら、世界平和のために必要なこととしか答えられないな」

 

 そんな光景を見たものだから、クリスと短いながらも親交のあった未来は激昂する。

 だが、士郎の方はその怒りの理由が分からないとばかりに、首を傾げるだけだ。

 その姿に未来は悍ましさを感じてしまい、思わずといった風に問いかけてしまう。

 

「世界平和…? 士郎さん、あなたは何者なの…?」

「何者か……俺は」

 

 そんな問いに対して、士郎は砕いたネフシュタンの鎧の欠片を眺めながら答える。

 まるで、その黄金の輝きに誰かを思い出すかのように。

 

 

Fine(フィーネ)、終わりを目指す者だよ」

 

 

 恋の成就を願う者。

 争いの終焉を求める者。

 自らの終わりを求める者。

 故にフィーネ。

 

「フィーネ…? 終わりを目指す?」

「争いばかりの人類に終止符を打つ。数千年の悲願に終わりを告げる。だから、そのために」

 

 断片的な情報では分かることが出来ずに、混乱する響と未来。

 そんな2人を気にすることなく、士郎はネフシュタンの欠片を持った手を。

 

「―――力が要るんだ」

 

 僅かに肉として残った、自らの心臓に突き刺すのだった。

 

「何してるの、士郎君!?」

「心配するなって、俺は死なない。死にかけたら再生する。……今埋め込んだネフシュタンの鎧と融合してな」

 

 青白い光が迸り、同時にネフシュタンの黄金が稲妻のように体の周りを走り抜ける。

 ネフシュタンの鎧は今、クリスが身に纏っている。

 しかし、ネフシュタンにはその破片が体内に入った場合には、鎧の主ごと再生するという特性がある。そして、分裂すら可能としながらも、意思が共有されるという特性も。

 

 そんなネフシュタンの再生力が、鞘の不死の能力と混ざったらどうなるだろうか?

 心臓部に埋め込まれたものが欠片だとしても、その能力を最大限に発揮するのではないか?

 

「鎧と剣が融合している…?」

「いや、()()()剣じゃない。鞘だ」

 

 ネフシュタンの鎧は分裂することが出来るが、その状態では再生力が落ちる。

 逆説的に言えば、再生力が最も高い状態こそが本体である。

 故に、例え大部分がクリスが身に着けた鎧の状態であったとしても。

 

「クリスから鎧が士郎さんに移って行く…!?」

「来い、ネフシュタン。お前の真の力を俺に寄越せ」

 

 より再生力の高い士郎の、本体の意思で再結合が可能ということだ。

 

 不老不死の鞘と不滅の鎧。

 人類が夢見た決して壊れぬ永遠と、決して滅びぬ永遠。

 その2つの幻想が合わさる時。

 

 

「―――■は■で出来ている」

 

 

 (はがね)の怪物は生まれ落ちる。

 




士郎君がフィーネを名乗る展開になったので

マリア「私が転生したフィーネよ」
士郎君「本物のフィーネさんは裸族だ。最低でも一日10時間は裸じゃない限り俺は信じない」
マリア「 」

マリアさんに全力でセクハラを働く展開はなくなりました。
後、マリアさんが嘘を貫き通すために裸族になるべきか葛藤する展開も。

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