■■士郎のシンフォギア   作:トマトルテ

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9話:生き恥

 

 この身は鞘である。

 鞘であるならば剣を収めなければならない。

 心を薪に炎を、血肉を材に鉄と為し、虚空を剣で埋め立てる。

 ただ一振りも鈍らはなく、ただ一度も失敗はない。

 

 されども。

 築き上げた剣の丘は全て贋作。

 曲がり、折れ、砕ける。ただの一振りも真に及ばず。

 

 この身は勝利を約束された聖剣の鞘。

 それ以外に我が身を捧げることは許されず。

 故に剣を鍛える。

 

 罪という海に溺れ、理想という太陽に瞳を焼かれようとも、星へ手を伸ばし続ける。

 いつの日にか、真に我を治めるべき(つるぎ)が現れるその日まで。

 

 例えこの身が――

 

 

 ―――無限の剣と朽ち果てようとも。

 

 

 

 

 

「……ふわぁ、良く寝たー。……て、あれ? ここどこだろう?」

 

 窓から差し込む、気持ちのいい日差しが目覚ましとなり響は目を覚ます。

 明るさから考えて、もうお昼頃だろう。

 そんなことを考え、目をゴシゴシとこすりながら辺りを見渡してみるが、記憶にない部屋である。

 はて、自分は一体どうして見知らぬ場所に居るのか。

 響が、そんなふうに寝起きで働かない頭を、ノロノロと回転させていると部屋の扉が開く。

 

「ああ、やっと起きたのか、響。まあ、昨日は無理をさせたからな」

「え? なんで士郎君が!? というかここどこ!?」

「ここはフィーネのアジトの1つだよ。なんで俺が居るかは…覚えてないのか? 昨日のことだぞ」

 

 仮にも寝起きの美少女が居るというのに、戸惑う様子もなく部屋に入ってきた少年に響は反射的に声を上げるが、当の本人と言えば不思議そうに首を捻るだけだ。故に、響は自分で思い出すしかないと理解し、さらに脳味噌を働かせる。

 

「あ、そうだ!」

 

 そして、合点したように声を上げ、バッと起き上がる。

 少年はその行動に逃げようとしているのだと思い、響を抑えつけようとする。

 だが。

 

「士郎君、体は大丈夫なの!? 翼さんと一緒に吹き飛ばしちゃったけど、ちゃんと生きてる?」

「は?」

 

 悪意など欠片もない、100%の善意を向けられて戸惑ってしまう。

 攫われたことにまだ気づいていないにしても、敵対する者に対しての第一声がそれである。

 少年は自分のことを棚に上げて、気味が悪いと思ってしまった。

 

「いや、まあ、見ての通り俺は生きてるけど……」

「よかったぁ。死なせちゃったかもしれないって、すごく心配だったんだから。それに体の方も普通に戻ってるのかな?」

 

 戸惑いながら答える少年に、響は嬉しそうに笑いながら語りかける。

 あなたが無事で良かったと心の底から喜びながら。

 

「……俺は死ねないよ。後、体の方は形を変えてるだけで、中身は(てつ)だよ」

「あ、ホントだ。手が冷たいや……」

 

 そんな姿に少年は動揺してしまい、響に手を触れさせることを許してしまった。

 攻撃をされて、逃げられるかもしれない。

 とっさにそんなことを考えるが、少女にそんな素振りは欠片もない。

 ただただ、温もりを失った手を寂しそうに握りしめるだけだ。

 

「……響、状況が分かってないようだから言うけどな。俺は響を、デュランダルと交換するための人質として攫ってきたんだ」

「そうだったんだ。それでよく知らない場所に居たんだ私」

「だから、その…だな。響が俺の心配をするのはおかしい」

 

 故に少年はそれはおかしいことだと指摘をする。

 自分だって同じ立場なら、自分より相手の方が価値があるとして同じ行為をするくせに。

 

「そう?」

「そう? て、なぁ……俺は響の敵だ。現在進行形で響の生命を脅かしている。そんな奴を心配する必要なんてないし、むしろ俺を攻撃するべきだ」

「……確かに。敵を心配するのはおかしいかもしれない」

 

 少年からの言葉にちょっとだけ考え込む響。

 その様子に理解できたようだと判断し、少年は突き放すべくキツイ言葉を投げかけようとする。

 だが、その一瞬前に満面の笑みの少女に言われてしまう。

 

「でも、友達を心配するのは普通のことでしょ?」

 

 友達だと。

 自らの信頼を裏切った少年のことを、簡単に赦してしまう。

 

「とも…だち…?」

「あ、ひっどーい! 友達じゃないって言われたら私泣くよ! 女泣かせってあることないことを広めるよ!」

「やめてくれ……」

 

 彼女は純粋に少年を心配している。

 純粋に少年を救いたいと思っている。

 それに比べて自分はどうであろうか?

 

 贖罪のために苦しんでいる人間を探す、まるで死肉をあさる獣のような存在。

 救いたいなんてこれっぽっちも思ってないのに、強迫観念から人を救う偽善者。

 酷くちっぽけで、惨めで浅ましい愚物。

 

 生き恥(いきはじ)

 

「……やっぱ、響のこと嫌いだ、俺」

「いやいや、実際にはやらないって! 泣くのは本当だけど」

 

 慌てた様子でブンブンと手を振る響の姿に、少年は嫉妬心を抱く。

 だがすぐに、そんな感情は、ただの物質である自分が持つものではないと首を振る。

 

「……まあいいさ。それより響、何か食べたいものはあるか?」

「え? うーん……結構お腹が空いてるから、美味しければ何でもいける気がするけど…あ、そうだ」

 

 元々、それを聞きに来たことを思い出し、少年は何とも言えぬ表情のまま話題を変える。

 それに対して響はお腹を擦りながら、あれも良いなこれも良いなと美味しい妄想を広げる。

 そして、自らの置かれた状況を(かんが)みてハッとする。

 

「士郎君、私って今士郎君に捕まってるんだよね?」

「だから、そう言ってるだろ。まあ、酷いことをする気はないけどな」

「だったら、私……」

 

 捕まった状態の人間が出される食事。

 日本人として連想される料理は1つしかなかった。

 

「―――かつ丼が食べたいです!!」

 

 そう、かつ丼である。

 

 

 

「俺は時々、響はひょっとして凄い馬鹿じゃないのかって思う時がある」

「前向きって言って欲しいかな!」

 

 呆れた表情を見せる少年に対し、響はキメ顔で箸を握り締める。

 まるでホカホカのかつ丼が目の前にあるのだから、そうしなければ失礼だとでも言うように。

 

「まあ、いいけどな……それより早く食べないのか? 冷めるぞ」

「? でも、士郎君の分がないよ」

「……警察側がかつ丼を食べてるシーンを見たことあるか?」

「え? 意外とシチュエーションに厳密なんだね」

「ほら、いいから食べろって」

 

 少し目を逸らしながら話す少年に、違和感を覚えながらも響は手を合わせる。

 今は、この腹の虫を治める方が先だ。

 

「いただきます!」

「ああ、どうぞ」

 

 いつか食べた牛丼と同じように、そのかつ丼は美味なものだった。

 そのため、響はジッと見つめられながら食べることに感じていた羞恥心も忘れ、箸を進めて行く。

 

「美味いか?」

「うん、美味しいよ」

「本当にか? 味が変だったりはしないか?」

「変?」

 

 何故か、味はちゃんとしているかどうかということに食い下がる少年。

 その様子に少し失敗したのだろうかと、疑問を抱き響は今度はゆっくりと噛んでみる。

 卵の甘味と、肉の旨味。そして、白米が生み出すハーモニーは筆舌にしがたい美味さを持つ。

 しかし、よくよく味わってみると、そこには以前料理を食べた時に感じた丁寧さが欠けていた。

 

「うーん……美味しいんだけど、味が少し大ざっぱ? に感じる部分もあるかな」

「そうか…やっぱりな」

 

 響からの感想にどこか納得した表情で頷く少年。

 まるで、失敗したのが分かっていても、それを正す手段がなかったかのように。

 

「ありがとうな、響。俺だと()()分からないからさ」

「もう…? 分からない?」

 

 どこか自嘲したように笑う少年に、響は途轍もなく嫌な予感を感じる。

 

「なんで分からないの? 私料理はあんまりしないけど、味見したら分かるよね?」

「ん? あ、いや、何でもない。何でもないんだ」

「……あやしい」

 

 響の指摘に対して、しまったという表情を浮かべて誤魔化そうと口を動かす少年。

 しかしながら、そのような行動を取れば何かあると言っているようなものだ。

 ジトッとした目で響が見つめるのも致し方ない。

 

「士郎君」

「なんだ、響?」

「はい、あーん」

 

 突如として、とんかつを差し出してきた響に一瞬固まる少年。

 しかし、すぐに再起動して溜息を吐く。

 

「響……行儀が悪いぞ」

「仮にも女の子にあーんされておいて、その言い草はどうなの?」

「あー…じゃあ、別に腹減ってないから俺は要らないよ」

「ほら! いいから食べる!!」

「もごッ!?」

 

 若干恥ずかしかったのか、ほんのり頬を染めた響に無理やりカツを口に入れられる少年。

 その行動に少年は目を白黒させていたが、やがて諦めたのか口を動かし始める。

 

「美少女からのアーンのお味はどう?」

「どうって言われてもな……」

 

 おどけた様子で美少女と言ってみるが、恥ずかしさから目線は逸らす響。

 対する少年の方は、驚きはあれど気恥ずかしさはないのか、神妙な顔で咀嚼を続ける。

 まるで、少しでも味を感じようとするかのように。

 

「ちょっと味が濃いでしょ?」

「………そうだな。確かに濃いかもしれない」

 

 何の確信もないままに相槌を打つ少年。

 そんな彼に対して、響は悪戯に成功したように笑う。

 

「嘘です。実は薄いって思いました」

「ッ! い、言われると、そうかもしれないな」

「……嘘。本当はちょっと味が濃いよ」

 

 そして、その笑顔をクシャリと歪めて悲しげな表情をする。

 

「ねえ、士郎君。もしかしなくてもなんだけど……味覚が無くなったんじゃないの?」

 

 響の問いかけに、少年は何とか誤魔化そうと口を開き、誤魔化せぬと悟り口を閉じる。

 

「何食べても……砂を噛んでるようにしか感じないんだ」

「そっか……」

 

 少年の告白に響は納得したとばかりに頷く。

 それに対して、少年はバツの悪そうな顔はするが、悲壮感の類はない。

 心配をかけさせたことに思うことはあっても、味覚が消えたこと自体には何も思っていないのだ。

 だから、響は口を真一文字に結び吐き捨てる。

 

「士郎君の……馬鹿ッ!!」

「へ?」

 

 本人視点では意味も分からぬままに罵倒されたことに驚く少年。

 だが、それ以上に彼を慌てさせたのは。

 

「ひ、響、なんで泣いてるんだ…?」

 

 響の瞳から溢れ出る涙だった。

 

「士郎君が傷ついてるからだよ!」

「…? 俺が傷ついて、響が泣く必要なんて別にないだろ。俺の体のことを心配してるんなら、大丈夫だぞ。この体になってから、食事も睡眠も要らないんだ。怪我をしても痛くも痒くもないしな。料理を作るのにはちょっと不都合かもしれないけど、基本的に便利な体だぞ」

 

 人間ではなくなった体を動かしながら、少年は便利だと笑顔を顔面に張り付ける。

 それが余計に少女の神経を逆撫でする行為だとも気づかずに。

 

「だから馬鹿って言ってるんだよ!! どうして、自分が誰かに大切に想われてるって分からないの!?」

「俺が…? 大切に想われる…?」

 

 響からの叱責に訳が分からないという表情を浮かべる少年。

 理解が出来ない。自分が大切に想われることなど、あり得ない。

 ひょっとして、響は頭を打ったのではないかという表情だ。

 

「あり得ないな。俺が大切に想われるなんて……あったらいけないんだ」

「どうして、そんなに悲しいことを言うの!? 少なくとも私は士郎君のことを大切に想ってるよ! 友達が酷い目に合うなんて耐えられないよ!!」

「……例え、俺の未来が地獄だったとしても構わない。いや、それが俺の望む道だ」

 

 話は終わりだとばかりに、席から立ち上がり背を向ける少年。

 その背中は一切の感情を無くした、どこまでも冷たいものだ。

 何を言っても切り捨てる。そんな容赦の無さを表した背中。

 だが、続く響の言葉はそんな少年をも振り返られさせた。

 

「あの子…クリスちゃんも泣いてた!!」

「……クリスが…?」

 

 士郎はゆっくりと振り向き、初めて響と本当の意味で目を合わせる。

 

「それは……俺に裏切られたからだろ」

「違う。私見たんだよ? あの子が士郎君が変わっていくのを見て泣いてたのを」

 

 響は見ていた。

 士郎が化け物へと変貌を遂げる中で、クリスが1人涙を流している姿を。

 だから、確信していた。士郎は確かに誰かに大切に想われているのだと。

 

「それに、もし士郎君の言う通り裏切られたから泣いてたとしても、それは大好きな人に裏切られたから。あの子が士郎君のことを大切に想ってる事実は変わらないよ」

「やめろ…!」

「もうやめよう? こんなことしても誰も笑顔にならないよ。二課のみんなには私も一緒に謝ってあげるから。士郎君の体だって、()()さんなら元に戻せるよ、きっと」

「やめてくれッ!?」

 

 機械の体が人間の体に戻っていく。

 とうの昔に捨てたはずの心が軋む音が聞こえ、士郎は悲鳴を上げる。

 痛みなどとは無縁の肉体になったはずなのに、激痛が毒のように体を駆け巡っていく。

 それに耐えられずに、痛みから逃げるように士郎は響に背を向ける。

 

「……2日後に響とデュランダルを交換する。それまでは大人しくしておいてくれ」

「士郎君!!」

 

 呼び止める響の声を無視して士郎は部屋を出て行く。

 

「もし本当に…俺が誰かに大切に想われているんだったら、俺は……」

 

 誰にも、死者にも聞こえないように、小さな声でうわ言を呟きながら。

 

 

「―――死ねないじゃないか」

 

 

 

 

 

 二課本部のメディカルルーム。

 そこで1人の少女が目を覚まそうとしていた。

 

「おはよう、クリス」

「……フィーネ!」

「ここでは櫻井了子と呼びなさい。()()()()頑張りを無にしたくないのならね」

 

 目を開けた雪音クリスの視界にまず入ってきたのは、自分を覗き込む妖しげな瞳だ。

 瞳の主はフィーネ。今の姿は櫻井了子だが、偽装に気づかぬクリスではない。

 だから、目が覚めたばかりとは思えぬ速さで起き上がり、フィーネに問い詰める。

 

「どういうことなんだよ!? なんで士郎が――」

「はい。監視カメラは切ってあるけど、大声を出したら気づかれるわ。説明してあげるから静かにしなさい」

 

 しかし、食って掛かろうとした口をフィーネの指で抑えられ、すぐに黙り込まされる。

 きっと、これ以上叫ぶようであればフィーネは容赦なく、クリスの意識を刈り取るだろう。

 そのことを雰囲気から察したクリスは苦虫を噛みしめたような顔で頷く。

 

「良い子ね。話が早くて助かるわ」

「……ッ」

 

 そう言って、優しくクリスの頭を撫でるフィーネ。

 クリスはその普段では考えられぬ行動に、ゾッとした表情を浮かべるが声には出さない。

 何故なら、彼女の視界に映るフィーネの姿には、どこか吹けば消えてしまうような脆さがあったからだ。

 

「さて、まずはあなたを安心させないといけないわね。士郎はあなたのことを裏切ってないわ。むしろ、大切に想っているから今回の行動をとったのよ」

「……分かってる」

「あら? あの子が言った……わけじゃなさそうね。自分で気づいたのかしら」

 

 フィーネの問いかけに無言で頷くクリス。

 その姿に、少しだけ憂いのある瞳を覘かせるフィーネだったが、すぐにそれを仮面の下に隠す。

 

「まあ、いいわ。今の士郎は私の代わりに計画を実行して、私達に罪が行かないようにしている。私の願いも、あなたの夢もあの子が叶えてくれるわ。だから、あなたはここでジッとしていなさい。大丈夫よ。世界がどうなろうとも、あなたは助けてあげるから」

 

 これから世界は変革の時を迎える。

 その時にフィーネはフロンティアを起動し、人類の救世主となる。

 誰からも称えられ、称賛される。そんな偽りのメシアに。

 本人の意思とは関係なく。

 

「なぁ……あたしを助けるってのはあんたの意思か?」

「……どういう意味かしら?」

「あんたには感謝してる。あたしを駒だとしても、大切にしてくれた。でも、所詮は駒だ。目的を果たすためなら平気で犠牲にする」

「そう…ね」

「でも、今のあんたはあたしを助けるって言い切った。そいつは要するにあんたの意思じゃなくて――」

 

 フィーネのクリスを助けるという言葉には、強い想いが感じられた。

 だが、本来のフィーネにはそんなことをする理由はない。

 やるとしても、ついでの領域を出ないはずだ。

 

 だというのに、これだけの強い言葉を言うのは。

 

「―――士郎に頼まれたからだろう?」

 

 今から人柱となる少年の願いを叶えるためだ。

 

「……正解よ」

「そっか……」

 

 それっきり、何も言わなくなる2人。

 思えば、2人が曲がりなりにも家族のような関係で居られたのは、彼が居たからだ。

 しかし、今2人の間に少年は居ない。

 家族の夢を叶えようとしている少年は、皮肉にも自分の欠如を以て家族という枠組みを壊そうとしている。

 

「……あまり時間をかけ過ぎると怪しまれるわ。私はあなたが起きたことを伝えて来るわ」

「ああ……」

「私の正体と、士郎が偽物だってことを言わないのなら、後は自由にしていいわ。あなたが士郎に庇われていることも、言って構わないわ。どうせ罰を与える法も、すぐに意味をなさなくなるんだから」

 

 スッと音もなく立ち上がり、フィーネはメディカルルームから出て行く。

 クリスには月を破壊することも、その後に統一言語を取り戻すことも伝えていない。

 最低限のことさえ黙っていれば、計画の大筋には影響を与えない。

 クリスが士郎を()()()()()()()二課の戦力になるかもしれないが、彼女に止める気はない。

 というか、言っても無駄だと思っている。

 

 だって、自分も同じ立場なら、絶対に恋する人を諦めないだろうから。

 

「なあ」

「なに?」

 

 扉まであと一歩というところで、クリスが声をかけてくる。

 フィーネからすれば、聞こえないフリをして無視をしてもよかったのだが、律義に立ち止まる。

 まるで、胸に積もる罪悪感を少しでも軽くするかのように。

 

「……あんたにとって士郎は何なんだ?」

「私にとっての…あの子?」

「そんでもって、士郎にとってあんたは何なんだ?」

 

 だが、問いかけられた内容は罪悪感を軽くするどころか、むしろ重くするものだった。

 自分はあの子にとって何者なのか。

 あの子は自分にとって何者なのか?

 

「………分からない」

「は?」

「分からないのよ…ッ。そんなこと私にも…!」

 

 答えを自身の胸に問うが、何も返って来ない。

 だから、怒りと、憤りと、悲しみを込めた声を零すことしか出来ない。

 

「私の心も、あの子の心も、あの方の心も……私には! 何も…ッ! 分からないのよ……」

 

 そんないつもの魔女らしい姿ではなく、ただの少女のようなフィーネの姿にクリスは何も言えなかった。だが、何かを言わなければならない。そんな想いから、再び歩き出した彼女の背に投げかけるようにクリスは声を出す。

 

「少なくとも、あたしはあんたのことを……士郎のママだと思ってるよ」

 

 その声が聞こえたのか、聞こえなかったのか、フィーネはただ逃げるように部屋から出て行くのだった。

 

 

 

 コンコンと小さく控えめなノックが聞こえてくる。

 最初は、どうせ無視をしても入ってくるだろうと思っていたクリスだったが、扉は開かれることなく、戸惑うような気配が壁の向こう側から感じられる。

 そんな余りにも普通の気配にもしやと思い、クリスは声を出す。

 

「……入っていいぞ」

「あ、うん。ありがとうね、クリス」

 

 はたして、クリスの予想通りに扉の向こう側から顔を出したのは、一般人である未来であった。それは弦十郎なりの思いやりである。しかし、そんなことは伝わるはずもなく、二課の大人が尋問にでも来ると思っていたクリスは、疑問を抱く。

 

 だが、すぐにその疑問も失せる。それは疑問が解決したからではない。どうでも良いと、思ってしまったからだ。だから、彼女の未来に向けられた一声は、普段とは違って素直なものだった。

 

「悪かったな。こんなことに巻き込んじまって」

「え? いや、もとはと言えば私が無理に連れてって頼んだせいだし」

「だとしても、あたしのせいだろ……()()さ」

 

 全部自分が悪い。まるで、彼女の想い人に似たかのようにクリスは皮肉気に笑う。

 そう、彼女は素直になったのではない。ただ、どうでもよくなったのだ。

 自暴自棄とも言えず、ただ流されるままで良い。

 そんな人形のような心が、今のクリスだった。

 

「ねぇ、クリス……クリスは士郎さんが何であんな事をしたのか知ってるの?」

「……あいつ世界平和なんて馬鹿なこと言ってただろ?」

「うん……」

「あれ、あたしの()()()()んだ」

 

 夢だった。

 過去形になったその言葉には、言い知れぬ重みがあった。

 へし折れ、砕かれ、擦りつぶされてしまった夢。

 残ったのは粘りつくような静寂だけ。

 絶望と囃し立てることも出来ぬほどに醜いもの。

 

「え? じゃあ、士郎さんは――」

「あたしのためにあたしを捨てた。あたしの夢を叶えるために人間をやめた。あたしのせいで、どっかに行っちまった」

 

 愛する者のためと言えば、聞こえはいいだろう。

 だが、実際はただのエゴイストだ。

 自分のためにという祝福は、自分のせいでという呪いに変わる。

 

「クリス……」

 

 何かを、慰めの言葉をかけなければと未来は思うが言葉が出ない。

 それは彼女もまた、心の奥底でクリスに共感していたからだ。

 自分のせいで、響が捕まってしまったのではないか。

 自分が居なければ、響はもっと上手く戦えていたのではないか。

 そんな根拠のない不安が、真綿のように彼女の心を締め付けていた。

 

「馬鹿みたいだろ? 誰よりも強くなって、争う奴ら全部ぶっ飛ばせば平和になるなんて本気で考えてた。力こそが全てだなんて、弱い奴らを見下して調子に乗ってた」

 

 未来が何も言わないせいか、クリスは1人懺悔するように、芝居ががかった口調で口を回し続ける。そうでもしなければ、壊れてしまうとでも言うように。

 

「音楽で世界を平和にするなんて、大真面目に言ってたパパとママを馬鹿だと思ってた。結局は暴力で解決するしかないんだって信じてた。でもさ、本当に馬鹿なのはあたしの方だ」

 

 両親の夢をクリスは嫌っていた。

 夢見物語は叶うはずがなく、願望は鉄と血が叶えるものだと信じていた。

 

「今の士郎があたしの夢だ。何もかんも壊して、傷つけて、泣かせて、そのくせ自分は正しいことをやってるって思いこんでる」

 

 だが、夢を見ていたのは自分の方だった。

 暴力が生み出すものは、新たな暴力で、悲しみの連鎖はいつまで経っても途切れない。

 当たり前だ。自分自身が泣き続けているのに、一体誰を笑顔にできるというのだろうか。

 

「パパとママは笑ってた。音楽を聴いた人も笑ってた。みんなが笑ってた。でも、あたしの夢は誰も笑顔にできない。誰かを泣かせて、自分も傷ついて、結局は誰も救えない」

 

 積み上げた全人類の死体の上で辺りを見渡して、争いの無い世界が出来たと言っているようなものだ。

 

 それでも構わないという人間も居るかもしれない。

 だが、クリスはそんなことは望んでいない。

 彼女が望むのはみんなが笑い、誰もが涙を流さない優しい世界。

 ずっと侮辱してきた両親の夢の形こそが、彼女の本当に欲しい世界だったのだ。

 だからこそ、彼女は自らの描いた夢物語を呪う。

 

「こんなことなら―――夢なんて見なけりゃよかった」

 

 馬鹿な夢さえ見なければ、きっと彼は今も自分の隣に居てくれたはずだから。

 そんなあり得たかもしれない現在を妄想し、彼女は皮肉気に笑う。

 

「……確かに、クリスのやり方は間違ってる」

「…………」

「でも、世界を平和にしたいっていう夢は間違いじゃないと思うよ」

「……あ?」

 

 語り切った後に黙り込んだクリスに対し、未来は静かに語りかける。

 それに対して、クリスは敵意にも似た眼差しを向けるが、未来は気にも止めない。

 

「だって、誰かを助けたいって気持ちはきっと……間違いなんかじゃないんだから」

「でも、あたしのせいで士郎は――」

「うん。クリスのせいで士郎さんはおかしくなって、響は攫われちゃった。全部、クリスのせいかもしれない。それなのにクリスはここで寝ているだけなの?」

 

 お前のせいだ。

 未来の言うそれは非難ではなく、叱咤の言葉だった。

 何もかもが自分せいだというのなら、何故なにもしないのかと問うている。

 

「それは……」

「間違いなんて誰でもするもの。でも、間違いを改めないことこそが本当に悪いこと。クリスが自分のせいだって思うなら、暴力で何かを解決することを間違いだと気づけたなら、やらないといけないことがあるんじゃないかな?」

 

 それは正論だった。非の打ち所がない、正しすぎる意見。

 しかし、正論がいつも人の心に火を灯すかと言えば、それは違う。

 感情というものを持つ人間にとっては、どれだけ正しくともやりたいと思えなければ行動に移せない。

 

「でも……あたしなんかじゃ」

「それに、クリスは言いたくないの?」

「言いたい? 何をだ?」

 

 だから、未来はクリスがやりたいと思えること。

 否、どっちかというと未来が言ってやりたいことがあった。

 

「自分勝手なことばかりしてるんじゃないわよ、この馬鹿!! ……て、こととか」

「お、おう」

 

 色々と悩み、悲しみ、苦しんだ果てに至った未来の感情は怒りだった。

 士郎に対しては、なんで相手に何も伝えずにやったのかとか。

 女の子を泣かせるのは最低だとか。

 私の響に何か変なことしてないでしょうね、等々ふつふつと怒りが湧いていた。

 

「クリスだって士郎さんに言いたいことがあるでしょ? 私も響に対して、なんで黙ってたのか、どうして手伝わせてくれなかったのとか、嘘つきとか、次やったら絶交とか、言いたいこといっぱいあるよ!」

「あー、その……あたし達が悪い面もあるから、手心を加えてやってくれないか…?」

 

 般若の如き顔で怒りをあらわにする未来に、クリスは思わず敵である響を思いやってしまう。

 しかし、逆にその行動が火に油を注ぐ結果になってしまった。

 

「そうよ。大体、クリスもなんでこんな物騒なことしてるのよ! もっと違うやり方はなかったの!?」

「ご、ごめんなさい」

 

 前までのクリスなら、それしか知らないと返したかもしれないが、今はもうひたすら謝るだけだ。仕方ないとは思う。でも、どこか理不尽のようなものを感じてしまうのは、人としての(さが)だろう。

 

「……ふぅ、怒鳴ったらちょっとスッキリした」

「そ、そうか」

「クリスもさ。こんな風に士郎さんに言いたいことないの?」

 

 心なしか明るくなった顔で、クリスに微笑みかける未来。

 普段であれば、可愛い少女らしい顔に見えるだろうが、今のクリスにはどこか威圧感を感じられるものでしかない。故に、クリスは取り繕うことも出来ずに言葉を零す。

 

「……あたしは……士郎の自分は死んでた方がよかったって感じの態度が嫌いだ」

「うん」

「それで、あたしのことを全然見ない自分勝手な所も嫌いだ」

「分かる分かる」

 

 まるで、女子会のようなノリで相槌を打つ未来。

 それに乗せられてか、単に自暴自棄になっただけかクリスは言葉を吐き続ける。

 

「何でもかんでも自分を犠牲にしようとするとこが嫌いだ。こっちが礼を言っても受け取らないとこが嫌いだ。自分を好きな人間が居るわけがないって思ってるところが嫌いだ。幸せになろうとしない所が大嫌いだ。後、女タラシな上に唐変木なとこも大嫌いだよ!!」

「そうそう、その意気その意気」

「そんでもって、あたしはそんな士郎のことが――」

 

 段々と遠慮が無くなり、本人が聞いたらへこみそうなことを叫び始めるクリス。

 そして、最後の最後に一際大きく。

 彼女が本当に彼に伝えたい言葉を絞り出す。

 

 

「―――大好きなんだッ!!」

 

 

 自然と涙が零れ落ちる。

 しかし、それは悲しみの冷たい涙ではなく、とても温かいものだった。

 それを安心したように見ながら、未来はハンカチで涙を拭ってあげる。

 

「私もね……いっぱい怒った後に、響に大好きだよって言ってあげたいんだ」

「未来、お前……」

「だからね。クリスも一緒に士郎君と響を連れ戻そう?」

「ああ…ああッ!」

 

 優しい声で、2人を連れ戻そうと言う未来にクリスは延々と頷き続ける。

 何かを壊すためでなく、大好きな人を守るために歌おうと。

 首筋にかかったペンダント、イチイバルを握り締めながら。

 

「あたしはもう―――歌うことを迷わない!」

 

 そう、誓いを立てるのだった。

 

 

 

 

 

「ねえ、士郎君……何してるの?」

「何だ響? こんな時間に」

「それはこっちの台詞だよ。もう夜中なのに寝ないの?」

「言っただろ。この体に睡眠は必要ないって」

 

 響からの問いかけに、少年は背中を向けたまま答える。

 どうやら、机に向かって何か作業をしているようで、意識の大部分がそちらを向いている。

 

「本当? 子守唄とか歌ったらコロッと寝たりしない?」

「俺は子どもか」

「何なら歌ってあげようか?」

「寝ないから大丈夫だ。それに子守唄は()()()歌うものだろ」

 

 軽く溜息を吐きながら、少年は目の前の作業を中断する。

 宛名をどうするかで、小一時間程悩んでいたが、どうせ相手の反応を見ることはないのだ。

 書きたい方で良いだろうと、判断を下したのだ。

 

「つまり、私が歌うと士郎君の母親になる…?」

「勘弁してくれ。俺の母親は2人だけだよ」

「え、2人?」

「……いや、忘れてくれ」

 

 天然気味な響の発言に、ツッコミを入れた後にしまったという顔をする。

 響もそのことについて、追及したそうな顔をしていたが、空気を読み黙り込む。

 重々しい沈黙が辺りを支配するが、それを破るように少年が声を出す。

 

「……響、頼みがあるんだ」

「なに?」

 

 頼みがある。そう言って少年は響の前で封筒の中に2()()の手紙を入れる。

 

「響を二課に引き渡した後に、これをクリスに渡して欲しいんだ」

「……自分で渡さないの?」

「必要なことは全部中に書いてある。直接会う必要もない」

 

 そう言って、少年は響から逃げるように立ち上がる。

 これはどれだけ言っても、会いに行く気はないなと悟った響は軽く息を吐く。

 

「いいけど、クリスちゃんに渡すだけでいいの? 2つ入れたように見えたけど」

「ああ、クリスに渡せば分かってくれるはずだ」

 

 分かってくれるはずだ。

 その言葉から、クリスに対して2通出したのではないと理解する響。

 しかし、もう1人が誰かを問うことはしない。

 きっと答えてくれないだろうから。

 

(私が最後に手紙を残すとしたら。しかも2つしか残せないなら、1つは未来。それで、もう1つはきっと――)

 

 だから、自分を参考にして考える。

 士郎という人間が最後の最後にその想いを伝えたい人物を。

 

 

(―――お母さんに残すだろうな)

 

 

 そして、その考えはくしくも当たっているのだった。

 

 




この作品の士郎君は拾った人でヒロインが変わるという設定。

〇原作通りに切嗣が拾った場合
:響がヒロイン。きっかけとしては響がいじめを受けてる時に、正義の味方になるにはどうしたらいいのかと迷走している士郎が発見。正義の味方なら守らないといけないという理由で響を助ける。なお、未来さんには響の味方ではないと見抜かれ、微妙な反応をされる。二課には鞘バレして連れて来られる。最終的には正義の味方を張り続けるか、響だけの正義の味方になる。

〇フィーネではなく弦十郎が拾う場合
:翼さんがヒロイン。お互いの足りない所を補うデコボコ姉弟みたいな感じになる。でも、奏さんが死んだら「士郎、お前は死なないよな…?」と死なない士郎に翼さんが依存しまくる。士郎も士郎で翼のために生きなきゃいけないとドロドロの共依存関係に。最終的には「士郎、お前が私の鞘だったんだな」√になる。

完結したら番外編で書いてみたいです。

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