「さすモモ」
「すごネム」
「なるほど。そういうことですか」
こんな感じのノリでネタがある限り細々と続きます。
今回は仕事の導入部分です。
ナザリックに存在するシモベ達の中で、最も幸せに満たされているNPCは誰か。
それは己の存在意義を全うしている者――それすなわち、主人であるモモンガのために沢山働いている者と言っても過言ではない。
一人はモモンガ専属の護衛として――創造主本人に忘れられつつも――エンジョイしているパンドラズ・アクター。
『仕事の様子、ですか? そうですね、短くまとめるならば…… 楽しそうなモモンガ様を合法的に眺められる最高の仕事であり――御身の舞台をサポートしているという満足感を得られるのです!! 宝物殿のマジックアイテムを愛でるのと同じくらい興奮いたします。いや、ですが実際にアイテムと触れ合う機会がゼロになるのは遠慮いたしますが。言うなればアイテムを磨き上げる時のジャストフィット!!の快感を――』
本人からの報告については、特に深く考える必要もないので割愛する。
彼は唯一創造主がナザリックを去っていないNPCであり、ある意味例外の者でもある。
そして、真に働いている者。
モモンガからナザリックの維持に関して、何だかんだで全権を一任され、超過労働を続ける悪魔――
「――モモンガ様。現在の運営状況のご報告に参りました」
――つまりはデミウルゴスである。
「――各階層の一部の罠、ギミック、フィールドエフェクトを停止する事によってコストを大幅にカット。代わりにユグドラシル金貨を使用しない、POPモンスターの配置などの変更により防衛体制は維持してあります。さらに臨時ではありますが、外の世界で穀物などの資源を確保いたしました」
「ほぅ、仕事が早いな」
「試算したところ、最低でも半年程の活動資金にはなるかと。今後はパンドラズ・アクターとも協力し、エクスチェンジ・ボックスを利用した永久的にユグドラシル金貨を獲得する体制を整えていきたいと思います」
主人からかけられた労いの言葉に尻尾が震えだすが、デミウルゴスが表情を緩める事はない。
モモンガから与えられてきた恩はこんなものではない。自分は配下もフルに活用しているが、モモンガはユグドラシル時代に一人で維持費を稼いでいたのだ。
それもこの世界と違って、かなりの強者がひしめく環境でだ。
自分の働きはまだまだ足りない。主人の成してきたことの足元にも及ばないと、貪欲に成果を求め続ける。
「回収していた陽光聖典での実験結果は、こちらに」
「あー、あの肉片だけ王国に渡した奴らか。分かった、確認しておこう」
「それからスクロールについてですが、低位の物は作成に成功いたしました。今後は必要な羊皮紙を量産するべく、牧場の規模も拡大していく予定です」
「素晴らしい!! この短期間でこうも成果を出すとは、流石はデミウルゴスだ」
主人からのストレートな称賛の言葉。それだけで天にも昇るような気分である。
デミウルゴスの尻尾は高速振動を開始した――が、モモンガにみっともない姿を晒さぬ様に努めた。
同室で控えている同僚の執事――セバス・チャンにそんな姿を見せたくないというのも、表情を緩めない大きな理由ではあるが。
「ところで牧場と羊皮紙とあるが、どんな羊を仕入れたのだ?」
「そうですね…… 牧場自体はアベリオン丘陵にあるのですが、『王国両脚羊』とでも名付けましょうか」
しかし、自身の種族的な趣味に関わることでは別だ。
牧場を作るために拐ってきた『羊』を思い浮かべ、悪魔はニヤリと口元に笑みを浮かべた。
「羊皮紙の素材となる生き物を探していた頃、共喰いすら厭わぬ下等生物を発見いたしました」
「草食動物の羊ではなく、理性のない雑食の獣か……」
「おっしゃる通りです。弱った同族を苦しめながらも、自身は良心の呵責も感じぬ畜生ですので、研究材料には最適でした」
デミウルゴスは本心からそう答えた。本当にアレは良い実験動物だ。
管理は部下に任せている部分が多いが、視察した際には自分も存分に楽しんでいる。
背中の皮を剥ぐ際に飛び出る悲鳴は、剥がし方によって変化する。
それらが牧場内で絶妙に重なり合い、悪魔にとって非常に心地よい音楽となっていた。
「ふむ。乱獲や住処を汚すなど、生態系を破壊しないようにだけ気を付けてくれ。それから我々が関与している事は誰にも悟られないようにしろ」
「万事心得ております。こちらの存在がバレぬ様に、隠蔽工作にも万全を期しております。万が一の際は罪を被る黒幕の用意も既に準備してあります」
「お待ち下さい。デミウルゴス、それは……」
セバスの眼光が僅かに鋭くなり、口を挟んできた。
何かに気付いた様だが、デミウルゴスの知った事ではない。
自分達の法である主人が黙認しているのだ。それ以上に必要な許可など、ナザリックには存在しない。
「なんだいセバス」
「周囲に不必要な敵を作る可能性があるのではないかと、愚考いたしました」
「話を聞いていなかったのかい? 我々がやったという証拠は何も残していない。回収してきた羊をどう扱おうが、外敵を作るようなヘマはしていないさ」
「万が一を考え、もう少し穏便な方法を取ることも出来るのでは?」
デミウルゴスとセバスは相手を睨み、言葉を交わすたびに眉間のシワを深くした。
「それこそ十二分に配慮しているさ。私はわざわざ害獣を選んで駆除しているのだから、問題はないはずだよ。――君も好きだろう? 善良な人間のためになることはね」
「貴方のやり方はご自身の嗜好にいささか偏っていると、考えざるを得ませんね」
互いに丁寧な言葉づかいを崩さず、されどピンポイントで相手を煽っていく。
「実験方法に私の趣味が全く入っていないと言えば、嘘になるがね。まさか、君は害獣にすら慈悲が必要だと言いたいのかね? 善人ぶるのは勝手だが、将来君がナザリックに仇なす者にすら甘い事を言いそうで私は不安だね」
「そんな事は言っておりません。貴方の考えは極端すぎます。私は必要以上に苦しめる理由はないと――」
燻り始めた怒りで顔の血管がピクピクと浮かび上がり、両者とも段々とヒートアップしていった。
二人の物言いはかなり感情的で、もはや完全に子供の口喧嘩だ。
「くくくっ、ああそうだ。時にはぶつかり合う事も必要だよな」
その様子をモモンガはどこか懐かしい物を感じながら、微笑ましげに見ていた。
「――っ失礼しました。モモンガ様」
「申し訳ありません。お見苦しいところをお見せしました」
主人の笑い声で慌てて我に返った二人。
しかし、モモンガは何も怒ってなどいない。
むしろNPCが設定のみに縛られた物ではなく、仲間の意思が生きている存在だと実感できて喜んでいるくらいだ。
「フハハハハッ、構わないさ。本音で言い合える相手というのは貴重なものだぞ。たまには存分に言い合うといい」
揃って謝罪する二人の姿を見て、気にする事はないとモモンガは軽く手を振った。
デミウルゴスとセバスは己の浅慮を恥じ、主人の懐の大きさに敬服するばかりである。
「さて、私はそろそろ
「はっ。いってらっしゃいませ」
「いってらっしゃいませ、モモンガ様」
ナザリックでの確認を済ませ、部下に見送られながら執務室を後にしたモモンガ。
『はぁ…… 君の言い掛かりのせいで、時間を随分と無駄にしてしまったよ』
『私は事実を述べたまでですが』
『だいたい君のその――』
一般メイドが扉を完全に閉めた後、部屋の中から僅かに声が漏れ始める。
始めは小さな声だったが、段々と音量が増していき、内容も幼稚になっていく様子がモモンガの耳に伝わってきた。
「ふふっ、面白いものだ。設定にはそんな事書いてないはずなんだがな…… たっちさんとウルベルトさんが、きっとお前達の中に生きているのだな」
喧嘩する二人の姿が彼らと重なり、今も壁越しにその光景が目に浮かぶようである。
――でも、たまには俺が仲裁しないのも、アリですよね。お二人の喧嘩を止めるのは大変なんですから。
彼らの言い争いが廊下に聞こえる中、モモンガは再びほくそ笑むのだった。
◆
エ・ランテルの冒険者組合では、半ば名物になりつつある冒険者チームがいた。
メンバーは新人の
魔獣を頭数に入れたとしても、小規模のチームと言えるだろう。
週に一、二度くらいしか仕事をせず、チーム名すら存在しない。特別難しい依頼をこなしている訳でもない。
しかし、それでもそのチームは――下手な
「さぁ、今日も張り切って依頼を受けよう」
「お仕事やるぞー!!」
漆黒の全身鎧を身に纏い、威風堂々と腕を組んでいる大柄な戦士。
かけ声と共に拳を高く突き上げている、一般人にしか見えない小さな少女。
組合の中でも一際目立つ、楽しそうな雰囲気の二人組――モモンガとネムである。
モモンガ達は依頼書の文字が読めないので、いつものように仕事を受付で見繕ってもらっていた。
「今日もお元気そうで何よりです。最近の依頼ですと――」
最初は怪しんでいた職員も今では二人の人柄に触れ、丁寧に対応してくれるようになっている。
情勢に疎いモモンガ達にも分かるように色々な補足を入れてくれたりと、正直かなりお世話になっていた。
「トブの大森林での薬草採取の依頼がいくつかございます。ハムスケ様がおられるので、普段なら比較的容易かと思います。ただ今回は……」
「何かあったのですか?」
「時期や詳細は不明ですが、森林内で大爆発が起こったそうで…… ここだけの話、今はあまりオススメ出来ません」
「ハムスケは何も言ってなかったよね?」
「まぁハムスケだからな」
ネムは首を傾げているが、モモンガからすれば納得のいく話ではあった。
なにせハムスケは食べる事と、自身の同族を見つける事以外に興味が薄い。
さらに自身の縄張りを出た事がほとんどないらしく、森の中の事ですらあまり知らなかった。
森の賢王という大層な二つ名は、本当に誰が付けたのだろうか。人語を喋れるという点以外、ハムスケには賢い要素がまるでない。
「他には何かありますか?」
「エ・ランテルにある倉庫の護衛任務はいかがでしょうか。最近倉庫内の食料などが盗難被害にあったらしく、複数のチームを募集されています」
「……エ・ランテルの治安、大丈夫ですか?」
「ここに限らず、ですね。王都の方でも似たような事件が多発しているようなので…… 戦争用の備蓄がなくなって、上は非常に困っているようです」
受付嬢からは苦笑がこぼれた。
その後もいくつか仕事を紹介してもらうが、どれもピンとくるものはなかった。
モモンガとネムは少し悩んだが、時間をかけても新しい依頼が増える訳ではない。
「どうする、モモン?」
「そうだな。ネム、今日は好きなの選んでいいぞ――」
いっそネムに直感で決めてもらおうかと思った矢先、組合の二階から必死に懇願するような声が聞こえてきた。
そちらに視線をやれば、ここエ・ランテルの冒険者組合の組合長と、一人の老婆が部屋から出てきた様子がうかがえる。
「――頼む、この通りじゃ。もう一度、もう一度だけ孫を探してくれんか」
「バレアレさん。お気持ちは分かります。しかし、今はもう人手を割けないのです」
「見つけてくれたら報酬はいくらでも出す。だから――」
階段を降りながらも言葉は止まらず、老婆――リイジー・バレアレは組合長に縋り付くように頼み続けた。
「お孫さんはあの事件に関わっている可能性が高い。それに、言いにくいですが、もう行方が分からなくなってからの期間が……」
「最悪の事態はわしも覚悟しておるよ…… じゃが、せめて亡骸だけでも、遺品だけでも、弔わせてはくれんか」
白髪のアフロの様な髪型をした組合長――プルトン・アインザックは、リイジーの言葉になんと返すか悩んでいる様だった。
無下には出来ないが要求も呑めない。そんな気持ちが混ざった顔をしている。
「バレアレさんの依頼で既に一度、ミスリルのチームが捜索した後なんです。彼らですら何の成果もあげられなかった。彼らの実力不足ではなく、そもそも達成が困難な事は分かり切っている」
既に打てるだけの手は打ったと、これまでの経緯を丁寧に説明するアインザック。
おそらくだが、これもリイジーには何度も伝えた事なのだろう。
アインザックは一度言葉を切り、申し訳なそうに視線を落とした。
「――その上で、時間のかかる依頼を受ける事は、現在人手が足りていない組合としては許可を出せないのです。優秀な冒険者も無限にいるわけじゃない……」
リイジーに対してキッパリと、そして周りにも言い聞かせるように、少しだけ声を大きくして言い切った。
「貴方の顔を立てて、一度目は引き受けましたが、上位の冒険者にしか出来ない依頼も数多く溜まっているのです」
アインザックも組合長として中々のやり手な男なのだろう。
金に釣られてこっそりと依頼を受けないよう、周囲の冒険者達に釘を刺しているようだ。
最近は冒険者に死傷者が多いのか、それとも依頼の数が多いのか。詳細は分からないが、この組合では現在よほど人手が惜しいらしい。
「申し訳ない……」
「そうか、無理を言ってすまんかったの……」
老婆の声には諦めが入り、その背中は実際の身長よりも小さく見えた。
肩を落とし、弱々しく組合を後にしようとするリイジー。
――しかし、組合長の思惑を全く意に介さない存在が、今ここにいる。
「リイジーおばあちゃん!! 久しぶりだね。どうしたの? 困ってるならお話聞くよ?」
突然ネムに声をかけられ、リイジーは目を見開いた。
「ネムちゃんじゃないか。どうしてここに…… いや、その首のプレート……」
「うん、冒険者になったんだ」
顔見知りの幼い少女がいつの間にか冒険者になっていれば、そんな顔にもなるだろう。
他人の空似ではないと理解しているが、すぐには納得出来ないのか、リイジーは目をパチパチとさせている。
「どうやらネムの知り合いのようですね。はじめまして、私の名はモモン。ネムの冒険者仲間です」
モモンガは厄介ごとかもしれないと思いつつ、ネムをフォローするように会話に加わった。
――暗黙のルール? 空気を読め? そんなものは知らんな。
あえて気づかないフリをするのも、社会人として鈴木悟が身に付けたスキルの一つだ。
何かしら抜け穴があるのなら、グレーゾーンであれば大抵はみんな利用する。
組織にマイナスを与えない範囲でルールを無視するのは会社でもよくあることだと、モモンガは自身に言い訳を重ねた。
「どうやら何かお困りのご様子。よろしければお話を聞かせて下さい」
「モモンは凄いんだよ。本当にすっごく頼りになるよ、おばあちゃん」
後ろで組合長が額に手を当てているが、モモンガは見えていないフリをした。
ネムがアインザックの意図に気づいていたのか、それとも本当に何も分かっていないまま、知り合いのリイジーに声をかけたのかは謎である。
◆
行方不明になった薬師の少年、ンフィーレア・バレアレの捜索依頼。
ことの詳細を聞き終えた後、少年の祖母であるリイジー・バレアレからの指名依頼という形で、モモンガ達は依頼を受ける事になった。
「……モモン。お願い、ンフィー君を探すの、手伝ってくれない?」
「しょうがないな。今日は好きにしていいと先に言ったのは私だ。バレアレさん、ご指名頂ければ、我々が力になりましょう」
「お、おぬしらがかい?」
リイジーも最初は悩んでいた。
彼らは冒険者としては最下級の銅級で、経験や実力も怪しい。しかもリイジーにとって、ネムは知人であるエモットの娘だ。そして孫が懸想している少女の妹でもある。
人探しとはいえ、こんな危険な仕事――『ズーラーノーン』が関わっているかもしれない――を頼んでも良いのかと。
「私達は手が空いている銅級ですから、組合長のおっしゃられていた問題も大丈夫でしょう」
「じゃが、おぬしらに頼んだとて……」
そもそも孫のンフィーレアが見つからない事は、心の奥底では分かっている。
あの事件の日にどこかへ連れ去られた最愛の孫。年老いた自分に残っていた唯一の家族。
もう死んでいるのかもしれない。その後肉体はアンデッドになったのかもしれない。もう遺体すら残っていない可能性もある。
(情けない…… あれ程組合に探して欲しいと頼んでおったのに。いざ、本気で探してくれる者が出てきたら尻込みするとは…… わしも弱くなったの)
諦めきれない自分の自己満足の依頼――労力が無駄になる可能性が高い――を頼んでも良いのか。受け止めたくない現実が待っているだけなのではないか。
だが、ンフィーレアが今も生きていると、信じている事も事実だった。
「ンフィー君がいなくなったら…… おばあちゃん、任せて!! 絶対ンフィー君は見つけてくるから!!」
「不安はあるかもしれませんが、どうか任せて頂きたい。ネム、少し準備をしてくるから、先にハムスケの場所で待っててくれ。安心しろ、策はある」
「うん!! モモン、ありがとう!!」
どこか別ベクトルで焦った様子にも見えるが、孫の生存を信じて疑わない少女の強い熱意。
そのネムが全幅の信頼を寄せている事が分かる、並々ならぬ自信と気配を放つ漆黒の戦士。
「――頼む。孫を見つけておくれ」
「ああ。その願い、確かに引き受けた」
そしてこの場にはいないが、ネムの相棒であるハムスケ――元『森の賢王』の存在を知り、リイジーは一縷の望みをかけた。
かの伝説の大魔獣なら、何とかしてくれる知恵を持っているのではないかと。
「感謝するよ、二人とも……」
それにリイジーも純粋に嬉しかったのかもしれない。
死亡確認のために証拠を探すのではない。
本気でンフィーレアが生きていると信じて、孫を見つけ出そうとしてくれる彼らの事が――
「ちっ、なんであんな奴らが……」
――しかし、彼らが依頼を受けた事に、強い不満を持つ者もいた。
男は嫌悪の表情を隠そうともせず、冒険者組合を出たネムの背中を睨みつけている。
(組合長が断った依頼を横から奪い取りやがって。そもそも俺らが何の手掛かりも得られなかったのに、銅級風情がどうにか出来るわけねぇだろうが)
少女を追いかける一人の不審者の正体。
それはエ・ランテルには三組しか存在しない、この街では最高ランクのミスリル級冒険者チーム――『クラルグラ』。
そのリーダーを務める男、イグヴァルジである。
(あのババアめ。見つからないと分かった上で俺らが一度受けてやったんだ。それで満足しろってんだよ)
自分が失敗した依頼――本人は失敗だとカウントしていないが――を他人が受ける。
それも自分より遥かに格下の銅級が受ける事に、イグヴァルジはどうしようもなくイライラしていた。
(あいつらもムカつくぜ。ガキが目立つ魔獣を連れてるだけじゃねぇか。戦士も装備が良いだけの木偶の坊だ)
少女が魔獣に乗って移動する姿は、イグヴァルジも何度か実際に目にした事がある。
伝説の魔獣に騎乗する――それこそ物語で語り継がれるような、まさに英雄的な偉業だ。
(けっ、何が伝説の魔獣だ。どうせデカいだけのネズミに決まってる)
しかし、英雄になる事に昔から固執しているイグヴァルジは、自分以外が偉業を成し遂げる事を認めない。絶対に認めたくなかった。
自身がトップに立つため、将来有望そうな冒険者は様々な手を使って潰してきた。
もちろん自身を強くするために、正統派の鍛錬だって人一倍こなしてきた。
血反吐を吐く思いで地道に依頼を達成し、長い時間をかけ、やっとの思いでミスリルまでのし上がってきたのだ。
それだけの苦労をした自分よりも先に英雄になってしまいそうな、ぽっとでの存在が許せなかった。
(俺がアイツらの化けの皮を剥いでやる。ガキでもちっとは痛い目みてもらうぜ)
この場所は人通りの少ない裏道で、少々手荒な事をするにはおあつらえ向きだ。
鼻歌を歌いながら魔獣の待機場所に向かう少女を、イグヴァルジはバレないように慎重にストーキングする。
街中だから当たり前とも言えるが、ネムからはまるで警戒心というものが感じられない。
(ふんっ、呑気なもんだ。敵の接近にも気づけないなんて冒険者失格だぜ。こんなガキに出来るなら、俺があの魔獣を従えてやる!!)
フォレストストーカーという
森林での活動がより得意というだけで、街中でも問題なく培ってきた経験や能力は発揮できる。
向けられた敵意に何も気づいていないネム。
襲う機会を虎視眈々と狙うイグヴァルジ。
(……あんな奴ら絶対に認めねぇ。――俺は、俺が英雄になるんだ!!)
――そして辺りに人の目は完全になくなり、イグヴァルジを縛る最後の枷もなくなった。
ネムはまだハムスケの待機場所に辿り着いてはいない。イグヴァルジにとって最高のチャンスだ。
何も知らない少女の背後から、嫉妬に塗れた男の魔の手が迫り――
「――はい、ドーンッ!!」
「ぃぐゔぁっ!?」
――屋台が高速で突っ込んできた。
速度を緩める気がゼロの屋台に轢かれ、イグヴァルジは派手に吹っ飛んだ。
空中でくるくると見事なきりもみ回転を見せ、そのまま頭から不法投棄の山に突き刺さって動かなくなる。
イグヴァルジの全身はほとんどゴミに埋もれ、目を凝らせばかろうじて足先が見えるくらいだ。
ピクピクと痙攣しているので、ちゃんと生きてはいるのだろう。
「何の音?」
ここまで盛大な衝突音は、流石に少女の耳にも入る。
ネムが物音に気付いて後ろを振り向くと、そこにいたのは屋台のリヤカーを引いている男性が一人。
「――おぉ、これはこれは。このような場所で再び巡り合うとはなんという偶然。どうもこんにちは、お嬢さん」
「お店のお兄さん!!」
以前ネムがモモンガ達と買い物をした広場で出会った、装飾品を売る露店の店主だった。
ネムに向かって華麗にウィンクをキメており、相変わらず独特な服を爽やかに着こなしている。
「こんにちは。こんな所でどうしたんですか?」
「いえ、最近移動販売でも始めてみようかと思いまして。この辺りを回りながら、良い場所を探していたのですよ。夢中になり過ぎて、うっかり壁にぶつかってしまいましたが」
「そうなんですか。でもこの辺りは人通りが少ないですよ?」
ハムスケという大魔獣を待機させておくには、人がいない場所の方が周囲に迷惑がかからず都合がいい。
だが、人気のない所に店を構えるメリットはほとんど無いはずだ。
「こういう所にある方がカッコいいかと思いましたが…… ふむ、隠れ家スポット、秘密のお店、知る人ぞ知る――まぁ他を当たるとしましょう」
少なくともネムはそう思っていたが、店主はぶつぶつと呟きながら真剣に悩んでいた。
「ああ、そうです。ここで会ったのも何かの縁。こちら、サンプルを差し上げますので、良かったら使ってみてください」
店主がふと思い出したように荷物を漁り、ネムに差し出したのは筒状の物体。
ネムが片手で持つにはやや太いが、特に重たい物ではない。丸い底にはクラッカーの紐のような物が付いている。
「なんですか、これ?」
「こちらはヒモを引っ張るだけで使える、簡易式の打ち上げ花火という物です。空に向かって放てばあら不思議!! 夜空に美しい光の花を咲かせる、使い切りのマジックアイテムでございます!!」
大袈裟に腕を振り、全身を使ってアイテムの紹介をする店主。
ネムからすれば見ていて楽しい動きだ。
まぁ大多数の人間が抱く感想――動きがうるさいとは、まさにこの店主の様な状態を言うのだろうが。
「見たことないけど凄そう!! 本当に貰ってもいいんですか?」
「ええ、もちろん。宣伝でお配りしている物ですから。何かの記念日などに使うと、華やかで良いかもしれませんね。使ったら是非、感想を聞かせて下さい」
「ありがとうございます!!」
ネムが貰った花火を大切に仕舞っていると、店主は指をぴっと立てて、注意事項を告げた。
「それと、人に向けて使ってはいけませんよ? とっても危険ですから」
「はーい」
タダでアイテムを貰って得した気分のネム。
そのまま特別何か起こるわけでもなく、ハムスケの待機している場所に向かうのだった。
◆
おまけ〜あくまで教師〜
この場にいるのは少女と悪魔のみ。
非常に珍しいような、ナザリック内では意外とそうでもないような組み合わせ。
デミウルゴスの気まぐれ、ほんの戯れのようなひと時での出来事だ。
「ところでネム様、世界征服についてどう思われますか?」
これは特に意味のある問いではない。
モモンガに世界を捧げる事は確定事項であり、既に第一段階を実行する準備が整っていた。
――具体的には、リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、竜王国の三国の玉座を、即座に奪い取る事が可能である。
「世界征服?」
「ええ。この世界のありとあらゆる存在がモモンガ様を讃え、平伏する世界。モモンガ様が全ての頂点に君臨するという事です」
ただ、モモンガの友人がどう考えるのか、純粋に興味があったのだ。
つまりデミウルゴスのこの問いは、自身の好奇心の域を出ないはずのものであった。
「すごいカッコいい…… モモンガが王様になるんだよね!! すごく良いと思います!!」
少女の頭の中には、真っ赤なマントと黄金の冠を着けたモモンガの姿が浮かんでいた。
優しくて賢くて強い。そんな凄い友達が人々から声援を貰って、威厳ある姿で手を振り返す――
――あくまでネムの想像の中では、だが。
ネムはモモンガという特別な存在に慣れすぎていた。もし実際にアンデッドが王様になったら、ほぼ全ての人々は恐れ慄き、姿を目にすれば間違いなく悲鳴が上がるだろう。
「その通りです。ネム様もやはりそう思われますか。モモンガ様ほど上に立つことに相応しい方はおりませんからね」
「うん!! あ、でも……」
少女も自身と同じ事を想像した――細部も方向性もかなり異なるだろうが――と考えているデミウルゴスは、満足げに頷く。
だが、笑顔で賛同の意を示したはずのネムが何かに気づいたのか、僅かに表情が曇ったのを悪魔は見逃さなかった。
「どうしたのですか? 何でもおっしゃってください。私も貴方の出す意見に興味があります」
「えっと、モモンガが王様になったら、ちょっと寂しいかなって……」
「寂しい?」
デミウルゴスが先を促すと、ネムは申し訳なさそうに、声を落として控えめに口を開く。
「たぶん王様になったらお仕事大変ですよね? もしそうなったら忙しくなって、もう一緒にモモンガと冒険できないのかなって……」
普通は世界征服が可能かどうかで疑問に思うところなのだが、この考えが先に浮かぶあたり、ネムも相当モモンガによって感覚がマヒしている。
しかし、その言葉は悪魔にとって衝撃的だった。
「――なっ!?」
「でもでもっ、全然反対じゃないです」
デミウルゴスが驚いたのを見てぎこちなく笑い、慌てて付け加えるネム。
少女の伝えた思いは、デミウルゴスにある一つの真実を突き付ける。
――自らの失策だ。
(なんということだ…… モモンガ様により良い物を献上しようとするあまり、当初の目的を見失っていたとは)
これは悪魔が少女の悲しげな表情に絆された――なんて甘い話ではない。
如何にネムがモモンガの友人といえど、デミウルゴスのカルマ値はマイナス五百であり、そんな人間染みた感傷はない。
情に絆されるなど――相手がモモンガと創造主である場合を除いて――断じてあり得ない。
単純に自身の目指していた世界征服の方向性が、モモンガの望むものと違っていた事を自覚しただけだ。
(モモンガ様を激務から解放し、自由に望まれる時間を作る事にこそ意味があったはずだ!! そのためにナザリックの維持を任せて頂いたのだ!! だというのに、私はなんと愚かな…… モモンガ様は誰よりも慈悲深く責任感のあるお方。たとえ表向きにでも王となってしまえば、その執務に励んでしまわれる――そうか!? それを伝えるためにネム様はあえて、寂しいなどと――)
そしてデミウルゴスは全てを悟った。
「デミウルゴスさん?」
「いえ、なんでもありません。非常に貴重な意見、ありがとうございます。そうですね、やはりモモンガ様は、ナザリックだけの王であられる方が良いでしょう」
頭にハテナを浮かべるネムの思考を置き去りにしつつ、デミウルゴスは新たな世界征服のプランを考える。
これまで準備していたのは、デミウルゴスが『ヤルダバオト』として全ての国を支配下に置いた後、その王位を全てモモンガに献上するという方法だが、これは破棄である。
(――モモンガ様が直接支配される栄誉など、考えてみれば外の者には勿体ない代物だ。はっ!? ではモモンガ様のおっしゃられていた、ナザリックの名は出さずに世界を一つ一つ制覇する事の真意とは――なるほど、そういうことですか。表向きは平穏に変わらぬ日常があり、裏からの実質的支配と利益のみを得るという事ですね。確かにこれならばナザリックが背負うリスクは格段に――)
ある程度の方向性を見出したデミウルゴスは、一度思考を中断してネムに向き直る。
「是非ともお礼がしたいのですが、何か要望などはありますか?」
「お礼? 何のですか?」
「ネム様のおかげで、仕事が上手くいくアイディアが浮かびましたから」
デミウルゴスの述べた理由にイマイチ納得が出来なかったが、とりあえずネムは今欲しいものを考える。
そして、相手が賢そうなデミウルゴスだからこそ、一つの提案を思いついた。
「じゃあ、デミウルゴスさん。文字を教えてくれませんか? 私もモモンガも王国の文字が読めないから、私が出来るようになったら役立つと思うんです」
「モモンガ様が、文字を? ……なるほど。分かりました。周辺国家の基本的な読み書きはマスターしてありますから、王国語でしたら問題ありません」
デミウルゴスはモモンガに対して若干の深読みを発動させつつ、最短最高効率で文字を学ぶ手段を構築し始める。
デミウルゴスは陽光聖典で一通りの人体実験を済ませてあるため、現地の人間に悪影響のないアイテムの使い方なども頭に入っていた。その気になれば脳をいじることも――
――もちろんネムに勉強を教える際、過激な手段を取る気はこれっぽっちもないが。
「毎日とはいきませんが、私が時々暇を見つけて指導しましょう。なに、甘い物を食べながらやれば、ネム様ならすぐに覚えられますよ」
「勉強したら甘い物が食べられるの!?」
驚きの表情を見せるネムに、デミウルゴスは笑みを見せた。
もしセバスがここにいれば、何を企んでいるのかと悪魔と喧嘩になった事だろう。それくらい穏やかな――悪魔には似合わない――笑顔だ。
まぁ今回に限っては本当に裏はない。これはネムに対するデミウルゴスからの純粋なお礼なのだから。
ネムに教えられなければ、主人の意に反する事をしていたかもしれない。それを考えれば文字を教える程度、非常にお安い御用だ。
必要経費は自分が外の世界で確保した物で賄えばいいと、デミウルゴスは手早く必要な計算を終える。
「はい。糖分は脳を動かす際に必要ですから。さっそく料理長に作ってもらいましょう――
「やったー!! 勉強頑張ります!!」
一瞬だけ悪魔的な笑みが見えた気がするが些細なことである。
かくして、おそらく世界一お金のかかる授業計画が始動した――
――そして、成果は早くも表れる。
デミウルゴスの教え方が上手かったのか。
実はネムの地頭が良かったのか。
それとも他の要因が大きかったのか。
「デミウルゴスさんに教えてもらってる時だけ、すごく頭が冴えてる気がする…… これが糖分の効果ですか?」
「さぁ、どうでしょう? コンポートのお代わりはしますか?」
「欲しいです!!」
理由はさておき、ネムは驚異的な速度で読み書きを学習していったらしい。
「――俺も家庭教師欲しいなぁ。せめて、報告書が何書いてあるのかすぐに理解できる程度の頭は身に付けないと……」
ちなみに、同じ方法で勉強が出来ないモモンガは、裏で密かに嘆いていた。
誰かに習おうにも、モモンガは理想の支配者であるという、周囲の期待を裏切れない。
ネムと同じくらいとは言わずとも、もう少し彼らがフランクであればモモンガも踏ん切りがつくのかもしれない。
「でも、俺も今できることをやらなきゃな。――騒々しい。静かにせよ!! せよ、せよ? こっちの方が支配者らしいかな?」
――モモンガは今しばらく、一人で支配者らしい演技の練習に励むしかないのだった。
ハッピーエンド?のために、危ないフラグは尽くへし折っていくスタイル。
ネムがいつの間にか表の世界を救いました。
でも異世界の人達的に優しいのか優しくないのかは、判断しづらい展開になってきました。
裏ではえげつない事をかなりやってるはずですが、オマケだと不思議と優しく見えるデミウルゴス。
ネムが勉強時に食べているのはバフ効果のある料理なので、現地人基準でとんでもなく金をかけた授業ですね。知力が上がるのは一時的でも、その時勉強した記憶は永久的に残る――なんて便利な勉強法なんだ。
ちなみにインテリジェンスアップルの効果は名前からの想像です。