卒業を控えたみさきとクレアの会話。みさきが双六を振り返ってみた所感と暁に向けたかった気持ちの蓋。クレアがみさきをどう思っていたかの考察。

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胸に抱いた陽炎

「みさきってさ」

 不意に、チャスの盤面を見て唸っていたはずのクレアさんが話を振ってきた。始まりたての盤面は、まだお互いのポーンが一つずつしか動いていない。

「どうしたのー?」

「どうしてボードゲームをやりたいってなったの?」

「また突然だね」

 始まったばかりの盤面は、まだそこまで動きはない。ポーンの動かし方的に、クレアさんはとにかくさっさとクイーンを前線に出したいという動きが見え見えなことだけはすぐにわかる。

「相手と色々話していられるから、かな」

 その盤面を眺めて、どのように動かすべきか考えながら、私は質問への返答を口にする。

「昔から激しい運動は出来なかったし、そもそも外に出られないことも多かったから、必然的にこういう非電源ゲームを覚えるようになったというのはあるね。だから、トランプだとかボードゲームだとかは、昔からの私のコミュニケーションツールでもあったんだよね」

「ふーん。それで今でもそれらが趣味なんだ」

「まぁ、京ちゃんとか暁くんとか大誠くんとかが、時折外に連れ出してくれて、それのお陰で少しは体力も付いていたかなとは思うんだけどね。それがなかったら、多分私はもっと体が弱っていたから。三人にはほんと感謝してるんだ。いつも、体が一番弱かった私に合わせてくれていたから」

 それ自体は嘘偽りはない。本当は、各々に対して思うところは色々あったし今もあるけど、それとこれとはまた別だ。少なくとも私から嫌っているということはない。

 そういう意味では、クレアさんは、その三人以外では珍しく同じように話が出来る相手だ。私が前のめりに親交を深めたいと思うような相手は、多そうで中々珍しい。

 折角だし、どうせなら、この人にも楽しく、それでいて沼に沈んでもらうかのように。とりあえずはこれだろうか。

「ここで唐突にボードゲーム同好会の七不思議ターイム!」

「いや何その突然思いついたみたいなの」

「隣の部屋は占い同好会なわけだけどー」

「いや話してどうぞとか何も言ってないから、別にいいけど」

 こういうのは勢いが大事だ。何人たりとも口を挟ませるわけにはいかない。

「部屋の入り口は雰囲気を出すために扉の窓に暗幕が閉められるようになっているんですねー。だけど最近、お客さんと思しき人が来てないのに暗幕が閉まっていることがあるんですよねー」

「ふんふん、それで?」

「その時の共通点は、京ちゃんが必ず訪問していることなんですよねー。そして出てくるときは何故か暁くんといつも一緒なんですよねー」

「――どういうことなのか完璧に理解したんだけど」

「静かーに息を潜めていると壁越しに色々と聞こえてきまーす」

「やめて! いい! わかった! 友人二人の生々しい話までは今は望んでない! というかさっきも閉まってたけどつまりそういうことなの!?」

「今日は真面目に相談者がいらしてるらしいから、暗幕は閉まってるけど暁くんが真面目にやってるんじゃないかな」

「まぁそれなら……」

「ところで、この部屋と間取りは一緒だけど、それって、人一人なんとか通ることは可能ではあるけど、それでも窓は殆ど開かないから、だから換気をどうしてるんだろうとは正直思うよね」

「相談者の人それ異臭がするとか思ってないかな……大丈夫かな……」

「ちなみに京ちゃんの方から誘う事の方が多いっぽいでーす」

「だからもういいから!」

 結局クレアさんの方から打ち切られてしまった。ここからが面白いのに。

 一旦静寂が訪れる。案の定、クイーンを前線に持ってきたクレアさんは、その爆発的な機動力で盤面を荒らそうと画策している。

 私はビショップを前線へと繰り出す。先に出していたナイトとの合わせ技で、クイーンを頓死させる計画だ。このままの手筈だとどこかで致命的な落手をしてくれるはずと踏む。

 ひとまず、みんな進路が決まったからこそ、部室で誰にも邪魔されることなくのんびりとしていられる。暁くんが占いを出来ることだってそう。私が、クレアさんとこうしてチェスを指していられることだってそう。

 冬場の部室は、じっとしているには凍えそうで、それでいて体を動かすような活動じゃないから、自宅から電気ストーブを持参して部屋を暖めている。電源の使用が認められているのは、これまでの私の具合を勘案して学校側から許可も得ているし問題ない。本当はもうそういうことに苦しむこともないのだけれど。

 少し前は進路を云々なんて言っている余裕もなかった。みんなもそうだろう。だけど何より、私は明日すら見えなかった。

 こうしてみると、数ヶ月前のことが嘘みたいだ。確かに色々あったけれど、私としては、あれだけ苦しめられた病気がきれいさっぱりなくなったことに、未だに実感が湧かない。

 暁くんも京ちゃんもクレアさんも、あの時期に倒れるという、受験生としては中々致命的にもなり得る状況を乗り越え、無事みんなして進学が決定したのを一番喜んだのは、実際問題私な気がする。一人残らず進路が決まり、宙ぶらりんになる人がいなかった。みんな結果がついてきたのは、勝手に背負っていた肩の荷が下りた心地がある。縁ちゃんは元から来年だから、縁ちゃんさえどうにかなればパーフェクトだ。

 ここで、意識を盤面に向けさせないようにしたいのと併せて、私は今日彼女に来てもらった理由を単刀直入に尋ねてみる。

「ところでさ。クレアさん、最近何だか不満なことがあったようにみえるんだけど」

「あ、やっぱりみさきにはわかっちゃった?」

「見た感じ、私は関係なくて、それでいて誰かには吐き出したいような、そんな感じに見えたから」

「ほんとその通りなんだよねー。みさきならそれこそ話すには適任かー」

 やれやれと口にしながら顔を上げたクレアさんは、その時のことを思い出したのか、実に不満げな表情をしていた。

「うーんとね、これは大学の合格発表の時の話なんだけどさ」

「そうだよね、時期的にはそんなもんだったよね。大学受かれば嬉しいものだと思うんだけど、何があったのかなーって」

 そう口にすると、クレアさんが思わずといったように立ち上がる。

「だってさー、暁ったらひどいんだよ?」

 あぁ、やっぱり暁くん絡みか。そして内容もそれとなく想起が付く。

「結果的に暁と私は同じ大学の同じ学部学科に受かったわけだけど、暁ったらまずは京楓の所に行ってるの。京楓も学科は違えど大学は一緒のところ受かったからさ、私が暁のとこ追い付いたらもう二人して抱き合って喜んでて。私としては、まずは四年間一緒にまた宜しくと暁には言いたかったわけなのに、結局二人をジト目で見る事しか出来なかったからね? しかもそこから二人きりの世界に入ろうとしちゃうしさ」

「――なんとなくだけど想像は付いたかな」

 うん、実にあの二人らしい。二人とも、スイッチが入ってしまえば周りなんて見えなくなる。昔からそうだった。良くも悪くも、今も変わらない。

「『合縁』でさ、色々わかっちゃってたじゃん。だから、暁はみんなの気持ち知っててさ。まぁそりゃみんながみんなだけど。で、それで京楓を選んだっていうのは、それはもう仕方ないことだと思うよ、そこは恨みっこなし。で、その時からそこから変わることもあるけどさ、紛い也にも私も暁のこと好きだったっていうの、暁も知ってるんだからさ、ちょっと考えて欲しかったなーって」

 そう語るクレアさんの表情は、水に流そうとするそれでありつつ、暁くんに対する未練がアリアリだった。

 別に口にしてくれていいのに。ここにいる者同士、気持ちは同じだって知っているんだから。

「別にさー、大学行っても折角暁や京楓と一緒の所行けるなら仲良くしたいとは思うんだけどさー、毎日見せつけられることになるとするならどうなのかなーとか、どうしても思っちゃうよねー」

「あはは……まぁあの二人は時間を埋めるようにしてというとこもあるからねぇ……」

「あれ、何か問題あったっけ?」

「いやないよ。だけど、傍から見ててもほぼ両片想い状態で、お互いに気付いちゃえば、もっと早くからそうであったならばと、その分凝縮した時間を過ごすだろうからねぇ。そこは、ずっとあの二人を見てた私なりの意見」

 私は暁くんと一緒に暮らしてきたわけではないから、正直何もわからない。だけど、ずっと見える範囲で二人を見ていれば、そうなるだろうということがわかるということは、はっきり言って自明の理だ。

「だってさ、私が京ちゃんから相談受けた時も――」

 

 

「で、どうしたの、私に相談って」

「――鬼無水は、その、暁に対してどう思ってるんだ?」

「また単刀直入だねぇ。もしかして京ちゃん、遂に暁くんと付き合いたいってなった?」

「えっと、その……うん……」

「おー。正直やっとだねって感じだよー。明確な切っ掛けは……やっぱり双六かな?」

「暁は……家族としての好きと、友達としての好きと、他にも言語化出来ないいっぱいの好きがあって……だけど、それらとも別の、とにかく暁じゃないと駄目っていう好きが、いつの間にかあって……」

「おーおーおー。京ちゃんが乙女してるー」

「わ、悪いってことはないでしょ!?」

「いーや? 悪くないし、京ちゃんがそうだってのはよく知ってるから。私より少女漫画チックなもの読んでたもんねー? でもそれは暁くんもかー」

「そりゃぁ二人で同じ漫画を読んでたようなもんだからね」

「まーそうだねぇ。まずこれは私見なんだけど、恐らく暁くんも京ちゃんのことが好きだよ。女の子として」

「そう……であってくれるよな……?」

「うん、そこは自信持っていいと思うよ」

「そ、そうか、じゃぁ失敗ってことはないよな? それならいいんだ」

「で、最初の質問ねー。そうだねぇ、私は暁くんに対して並々ならぬものがないと言えば嘘になるけど、でもそれは伝えないことにするって決めているんだ。誰かさんと誰かさんが、お互いのことしか見てないから、無意識に」

「それは、だったら……えと、相談しておいてこういうのもだけど、鬼無水はそれでいいのか?」

「よくはないかな。でも、暁くんがどう思っているかというようなこと、ぱっと見でわかっちゃってるから。少なくとも、私が出る幕はないなということだけ」

「――ごめん」

「謝らなくていいよ。こういう状況なら、選ぶのは暁くんだからね。恨みっこなし」

「そう……言ってくれると、少しは気が楽になるかな」

「えっと、それでどうやってそういう状況にすればいいかって?」

「うん」

「だったらさ、暁くんに言わせちゃえっ」

「それでいいのか?」

「だって、京ちゃん、結構緊張に弱いでしょ。試合とかはいいけど、なんていうのかな、臆病で、嫌われたくないって思ってて」

「結構ズバズバと切り込んでくるな……」

「で、それが駄目ってことはないし、仮に失敗しても嫌われることはないと思うけど、京ちゃんの性格考えれば、あがっちゃってうまくいかないより、言わせちゃった方が早いだろうなぁって」

「そんな簡単に出来るかな……」

「まぁそうだねぇ、これだけは前々から京ちゃんに対して思ってることだったんだけど」

「うん」

「世界は、京ちゃんが考えてるほど難しくないし、また悲観的なものでもないと思うんだ」

「そう……かな」

「ま、とにかくさ、自信持って行きなって。大丈夫、失敗はないって私が保証するから!」

 

 

「――とまぁ、ニブチンなお二人がやっと気付いたんだなーって」

「みさきでそれなら、そりゃぁポッと出の私も出る幕ないねぇ……」

「まぁ正直そうかな……っと、はいクイーン取ったっと」

「えっ待ってほんとに!? あっちゃー、そこにナイトいたかー、仕方ない、ここはルークで――」

 公園で倒れていたという暁くんを京ちゃんが介抱して、以来家族として誰よりも近くでお互いを見続けた二人の間に入ろうなんて、それこそ烏滸がましい。だからこそ、何も言わないでおくのは、暁くんのことを考えれば正しいのだ。

 だけど、私は、それでも東雲暁くんのことが好きだった。京ちゃんみたいに、私も彼のことが好きだった。双六で、何回か付き合うことが出来て、それで満足なんて出来るわけがない。だから、暁くんが何も京ちゃんに対して想ってなかったならば、誰を差し置いてでも私と付き合ってくれるように持っていきたかった。暁くんが特段誰を好きというのでなければ、私だけを見ているようにさせたかった。

 だけど、京ちゃんのそれは私の好きとは比較にならないもので。そして暁くんも、京ちゃんのことが、京ちゃんが暁くんに向けるそれと同じぐらいの好きであることがわかってしまっていて。だから、私は想いを告げることなく、この気持ちに蓋をした。相談のすぐ後、二人手を繋いで帰っているところに出くわした際の気持ちから目を逸らして。

「あー、私も彼氏欲しーなー」

「クレアさんなら問題なく出来ると思うけどねぇ」

「いやいや、暁以上の物件は中々出ないですよ姐さん。首藤くんもほぼ相手いるようなもんだし」

「黎くんは?」

「黎?」

 今の流れで彼の名前が挙がるのが余程意外だったのか、クレアさんが思わずといった表情で首をもたげる。そんなに意外だったかな。この流れだったらこのタイミングで名前があがると私は思ったんだけど。

「まぁ、黎はまだその辺りよくわからないところも多いかなー。そもそも黎はそういう感情を当人がまだ持ち合わせてなさそうだし」

「あー、確かにそれはあるねー。寧ろ黎くんも暁くん狙ってるような感も、双六じゃあったからねぇ。流石にこっちでそういうことはないだろうけど」

「というより、黎はそれこそみさきとかいいんじゃないの。黎の話にずっと付き合えそうなの、私の知る限り正直みさきくらいだよ」

「私? うーん、確かに悪い相手ではないと思うよ。ただまだそういう域にはならないからねぇ。まぁ今後の付き合い次第という意味では否定はしないでおこうかな。クレアさんもそうでしょ?」

「それを言われちゃうとそうなんだよねぇ。で、他にクラスメートがと言われても、それはまた別問題だし」

 関係があると言っても、付き合いが薄いと、どうしてもそういう段階にまで至ることは少ない。そして、別に誰かに憧憬を抱くようなこともなくて、そこが何となく通じたのか、二人して同時に溜息をもらす。

「ま、黎はそもそも黎自身が恋愛感情を持つくらいにまで他人に興味持たないと駄目かー。育てがいはあるかもねー」

「となると、黎くんは必然的にお相手作るなら私達の誰か、になるんじゃないかな? 他の人にまで中々そういう関心は向けられないだろうし」

「でもお相手というかご執心になりそうな相手って、それこそ暁なんじゃ……」

「いやそれはない……と思う……よ?」

 双六の中で、黎くんは、どうしてだか暁くんに非常にご執心だった。だから、まさか今後黎くんが京ちゃんの恋敵になる……という事はないとは思うのだけど、完全には否定できないのがどうにも怪しさを際立たせる。

 まぁそれは置いておいたとしても、確かに、一切合切現状誰かに興味がないからこそ、自分好みに染めたいとか考えるならば、黎くんみたいな人はやりがいがあるというのも事実だ。私もクレアさんもその域にはまだ至ってないけど、ともすれば今後そういう未来も出てくるのかもわからない。

 再びの沈黙が訪れる。盤上はもう終盤だ。クレアさんはルークとビショップを使って、クイーンを失った盤面を打開させようと藻掻いている。私はこのまま押し通すために、主にナイトを使って場を掻き回す。クイーンはキングの隣に変わらず控えさせている。私もビショップは二つとも討たれてしまったので頓死しないよう気を付けなければならない。

 盤の外では、散らされたポーンや他の大駒が無造作に散らばっていた。この図は、いつか私が双六で永沈させられた時に見た地獄の様子だ。

 みんなの協力がなければ、私はあそこに沈んでいた。みんなも沈んでいただろう。沈んだら孤独だったのかな。みんなもいるという意識はあったのだろうか。みんながいても、いつかは考えることを放棄してしまっていたのかもしれない。

 きっと、賽の河原がなければ、私は生き永らえることが出来なかっただろう。盤として、あの世界に招かれて、そして酸いも甘いも知った。特に暁くんとの蜜月は、心でも、体でも、未だに忘れることが出来ない。

 ふと、賽の河原で見た風景を思い出す。クナドさんがああやって第三の道を示してくれたからこそ、今私はここにいる。

「クレアさんは、どうしてそんなに私を助けたかったの?」

 だから、不意に口をついて、そんな疑問が出るのは必然だったのかもしれない。

「別にクレアさんは嫌われ者で、だけど私だけは対等に話すとか、そういうわけじゃなかった。クレアさんだってクラスの中心にいるような存在で、私とはこの部室とかでも話すことはあったけど、自分を文字通り犠牲にしてまで、私を意地でも救おうとしてくれたなんて……私、クレアさんにそこまでのことしたかなって」

 これだけは、尋ねようと思っていても、これまで口に出来なかった。クナドさんが語ったこと以上のことを、私は聞けていなかった。

「――みさき相手が、一番対等でいられたから、かな」

 そしてその理由を、クレアさんはあっけらかんと口にする。

「クラスメートとか話してても、誰が嫌い誰が気に喰わないとか、本人のいない場所で向けられる悪意が嫌だった。だから人の心が読めればいいと思っていた――というのは合縁でみさきも知ってるよね。そして、あの段階では、私に、相手の心を読まずとも、素の自分を出すことが許された人がみさきだけだったから」

「でも、クレアさんから見た『クレアさんと対等な私』は、クレアさんがいなくなっちゃったら、どこに行っちゃうの?」

「みさきはさ、京楓がいて、暁がいて、大誠くんがいて。ただでさえ幼馴染に囲まれてて、みんなは間違いなくみさきを対等に見ていた。その上でクラスのみんなから好かれていた。だったら私自身を人身御供にしてでも、みさきが生きるべきだと思ったから。そんなところかな」

「うん、わかった。じゃぁ、その上で、クレアさんにこれだけは言わせてね」

 そして私は、精一杯の感情を込めて。

「馬鹿言わないでよ」

 そう、一言で突き放す。

「私の人生は私の人生。クレアさんの人生もクレアさんの人生。確かに命を賭してでも救いたくなる人はいると思う。でも、それは自分の人生を文字通り犠牲にしてまでするべきことじゃない。結果的にみんなであの双六から生きて帰った。だけどそれはただの結果論であって、クレアさんがしようとしたことは、申し訳ないけど私には嬉しくないかな。私とクレアさんだけが残って、どちらかしか帰れないってなってたら、間違いなく私はクレアさんが帰るように言ったよ、クレアさんはクレアさんの人生を生きてって」

「――みさきならそう言うと思った」

 そして、それを聞いたクレアさんは、予想していたのだろう、実に飄々としたもので。

「思い出してさ、あーこれは絶対みさき怒るだろうなーでもその通りだよなーって思ったよね。なまじやり方とかまで判明してたから性質悪かったし」

「それを実行しちゃうクレアさんもクレアさんだけどさぁ……」

「それだけ、みさきがいないとつまらなかったってことだよね、毎日が」

 私は、そこまで誰かの日々を明確に彩れる程、何かを出来ていただろうか。正直、そこまで言われる程のつもりがなかっただけに、少しだけ狼狽える。だけど、それはクレアさんの理由に足りえなくて、私は厳しい顔を崩せない。

「結局、私は寂しい人だったんだよね。寂しいってあれだよ、物理的なことじゃなくて、精神的に。日本にまで来て、気付けば心を真の意味で開ける人がいなかった。ずっとみさき達が羨ましかったな。幼馴染同士であれだけ信頼出来るのは、余程仲が良くないと出来ないことだからね。私も、その輪の中には入れればって、ずっと感じてた。だからだろうね、私より、みさきこそが真に生きるべきだって思っちゃったのは」

 ここまでのクレアさんの言に、一切の嘘偽りはないのだろう。だからこそ、私はその判断を許せない。

 確かに私は、みんなを意図せずして遺してしまう寸前まで行っていた。だけどそれは、実質的な不治の病に侵されていたからであって、限界まで生きなければと私はいつも思っていて。

 なのにクレアさんは、何もしなければ平穏無事な日々を、自らかなぐり捨てようとした。それはとどのつまり自殺に等しい。幾ら誰かを救いたかったとしても、そうやって救われる私は、はっきり言って嬉しくないのだ。

 これは、きっと生涯許すことはないだろう。クレアさんがいなくて、あの双六を抜けられることはなかったとしても。きっと大誠くんも同じことを言うはずだ。

「ちゃんと反省してる?」

「してまーす」

「本当かなぁ……はい、これでチェックメイト」

「えっ嘘!? 私もう全く出来ない!?」

 そのためのさっきからの布陣だ。クレアさんがそれに気付いてももう遅い。そもそもクイーンを私が取った時点で勝手に崩れてくれるものだと思ってはいたけど。

「あっちゃー、これが将棋で、ビショップここに置ければまた形勢逆転出来たのかもしれないのになー」

 そのためのチェスだ。討ち取られた駒は死に、復活することは許されない。将棋みたいに元の陣地へ侵攻することを条件に、寝返るなら復活を許されるわけではないのだ。

「うーんとね、その場合は、私がナイトをこう動かせば――」

「あれっ、本当だ、これどう転んでも私チェックメイトされてたじゃん」

「クイーンにばっかり頼るから……」

「ほら、大駒ってどうしても頼りたくなっちゃうじゃん」

「細かいのを使いこなしてこそ腕前も上達するのっ」

 確かに将棋よりチェスの方が大味で、駒の動かし方がどれも激しいけど。それでも、ポーンとかまでしっかり使いこなさないと、勝てるものも勝てないのに。

 そんなことを考えていると、不意に部室の扉が開く音がした。

「――やっぱりいたんだ」

「あれ、縁ちゃん? いらっしゃい」

 その主は、間違いなく初めてこの部屋を訪れた少女だった。

「えーっと、何か三人で出来るゲームでもする? 丁度チェスが終わった所だし、ダイヤモンドクロスとか」

「そういうんじゃないから。誰でもいいからちょっと愚痴りたかっただけ」

「はぁ」

 思わずきょとんとする。扉に寄りかかりながら、縁ちゃんはぼんやりと視線を漂わせている。

「はぁ……あいつの強引さはどうにかならないのかな……」

「あいつって、暁のこと?」

「そーそー。私が占い研究会入って継いでくれないかって、何かにつけて言って来てさ」

「あー、今日暗幕閉めてやってたのって暁くんに相談に来てたんじゃなくて、縁ちゃんとの相談だったんだー」

「なーんで京楓にもその話が行ってんのかなー。あいつらのバカップルっぷりはどうにかならないのかなー」

「あー、そもそもそれ京ちゃんが発案だかららしいよ」

「げー、なーにあいつに吹き込んでくれちゃってんの、お陰でこっちはいい迷惑だよ」

 そう口にする縁ちゃんの表情は、心底嫌そうにするというようなものではなくて、少しばかりの雪解けを感じる。当人らは頑なに認めないだろうけど。

「ちなみに、どうするつもりなの?」

「研究会自体は全然興味ない。でも、入ることにはなると思う」

「へー、奇特というとなんだけど、また珍しいね」

「――一人きりで落ち着けるスペースが手に入るから」

 成程。確かにそれは、縁ちゃんにとってはかなりの好条件だろう。縁ちゃんにとって必要な場所は、安心して一人きりになれる場所で。そこで心を休ませて、大誠くんだとか、心を許せる人は入れてあげて欲しい。きっとあの広さは、それをするのに丁度いいだろうから。

「でも安心したよ」

「――何?」

「暁くんと縁ちゃん、二人きりでもちゃんと話せてるんだねーって」

「別に、仲良くしてるわけじゃないから」

「でも時折二人でいる姿を見るっていう報告があがってるけど?」

「あれはあいつが京楓を迎えに来た時に、京楓が席を勝手に外してるだけだから」

 素直じゃないなぁ、と思った。似た者同士だよね、とも。

「疲れたから帰る」

「座ってかなくていいの?」

「別にいい。みさきがいると色々押し付けられそうだから」

「別に取って食いやしないよー」

「今でもみさきは恨んでるんだけどな……」

 そういえばそうだった。まぁ、それも別に殺したい程、ということはないはずだ。

「あ、そうそう、一つだけ質問させて」

「何?」

「お隣だけど、部屋の中、臭くなかった?」

「どういうこと? 特に異臭とかはしなかったけど?」

「そっか、ならいいんだ」

「いやどういうことか説明してよ」

「ううん、知っらなーい」

「けち」

 それだけ言い残して縁ちゃんが去ると、部室はまた二人きりの空間になる。

「おっと。私もそろそろお店の時間だ。よーし稼げる内に稼ぐぞー」

 と思ったが、結局そのままお開きになりそうだ。クレアさんがいないなら、私も無理にここにいる必要もあるまい。

「そういえばさ、うちの店に琥珀ちゃんが通うようになったって話、みさきにはしたっけ」

「いや特には聞いてないなぁ。へぇ、琥珀ちゃん早速常連さんなんだねぇ」

「いやお客じゃなくて店員として」

「ええっ!?」

「いやさーこれが丁度いいのよ。まぁぶっちゃけ、琥珀ちゃんって猫だったから色々と経歴が対外的に不明瞭でしょ? とりあえずは野々宮琥珀ってことになってるけどさ、学がどうかとかはわからないし、ひとまず私たちと同い年ということにして、ずっとうちで働いてました! ってことにするのが琥珀ちゃんにとっても一番いいってことになったのよね。で実際、琥珀ちゃんは動きが俊敏だから、うちの店手伝ってくれるのはすごくありがたくて、正直琥珀ちゃん一人いるだけでお客さん増えても問題ないレベル。正直琥珀ちゃん効果様々だね、だから看板とかもわかりやすくしてもっとお客さん増やそうかってことになってる。実際琥珀ちゃん目当てのお客さんも来るようになってきててさ」

「成程ねぇ。琥珀ちゃんは文字通り招き猫だったと」

「いやほんとそれだよね。琥珀ちゃん様々」

 きびきびと動いて、物静かな小さい美少女が着物を着てカフェの店員をやっている……確かにそれは人気出るだろう。琥珀ちゃん目当てで通うお客さんが現れるのも頷ける。

「ところでさ。みさきも、余裕があったらうちでバイトしなよってパパが」

「ええっ、どうしたの急に?」

「なんかお客として来てたみさきのこと気に入っちゃったみたいでさ。琥珀ちゃんもいるし、やりたい時にやればいいって」

「確かにありがたいお誘いだけど……」

 大学で何をやりたいかは決まっている。恐らくそれを踏まえた上で、バイトをする時間は問題なく捻出できるだろう。だけど、友達付き合いだとかどうなるかわからないし、それまでは準備だとかもしたいし、色々落ち着くまでは予定は空けておきたいのは正直なところだった。

「まぁ、やるにしても早くて大学入ってからかなぁ。別に返事は急ぎじゃないよね?」

「おっけー。別に急を要する話でもないし、気が向いたらで大丈夫だよ。他でバイトするならうちでどうっていうお誘いというか秋波かけただけだから」

「わかった。じゃぁいい返事出来るようにはしておくね」

 クレアさんがいて、琥珀ちゃんがいて、最低日数もない、気ままに働ける職場。確かに、まだ体が万全と言えない私にとっては、それくらいが丁度いいのかもしれない。

「ちなみに、パパは、ケーキ出したい思惑あるらしくて、ケーキの腕を見込んでる節もあるみたい」

「じゃぁやる! すぐには無理だけど!」

「りょーかい、それじゃ期待してるね」

 思わぬ形で大学入ってからのバイトが決まってしまった。でも、折角働くなら、やりたいことをやりたいように。何より、そんな少し先の未来のことを、期待をもって考えられることが、今はとても嬉しかった。

 

 学校から出ると、風が吹きつけていた。だけどその風は少しだけ暖かかくて、春が近いのを感じる。

 もしかしたら、もう感じることが出来ないかもしれないと思っていた暖かさ。それを健康面で憂うことなく感じられることが、ささやかな、だけど途轍もない幸せだと身に染みる。

 そう、生きていられるだけで全てが美しいんだって。あの双六の世界を経験した後なら、本当にそう思えるから。

 

 

 その帰り道、暁くんと京ちゃんが手を繋いでいるのを見かける。暁くんも京ちゃんも、私や大誠くんでも見たことない笑顔を浮かべていた。

「幼馴染で家族で恋人なら、あんな安心しきった表情が出来るんだね……」

 それを私は、そっと後ろから見守るだけにした。あの二人の間には、きっと誰も入れることが出来ない。

 少しだけ胸の奥がチクリと痛む。きっとこれは、暫くは消えることがないのだろう。

 だから私は、それを暖かさのせいにした。それくらいなら、きっと許されるだろうから。


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