薄汚れた榛摺の上から、鮮やかな煉瓦色をかぶせていく。手を上下に動かして、白兎はその色の変化を楽しんでいるように見えた。
白兎の横には塗料の入ったバケツ。先ほどから動かしている手には塗料用の刷毛が握られている。
かく言う俺も、全くと言っていいほど同じ状況なのだが。
まさかこの歳にしてこんなところで、床の塗りかえすることになるとはなあ。春雨戦艦内の甲板を「こんなところ」なんて言うのは失礼か?
「白兎はこういう仕事が向いてるのかもな」
「え? そうですかね」
「ああ。楽しそうだし、綺麗に塗れてる」
「ありがとうございます!」
はにかんだ笑顔を見せる白兎。ここだけ見りゃ普通の女の子なんだがな。根っからの夜兎族だし団長が絡んでくると、なかなかに癖が強くなる。
さて、そんな団長はというと……絶賛さぼり中だ。
刷毛を持っているが、かれこれ一時間は微動だにしていない。うん、始まって三十分もしないうちにああなったね。予想はしてたさ。
「団長、いい加減働いてくださいよ!」
「えー、飽きた」
「早すぎ!」
ほぼ俺と白兎が塗ってるからな。団長なんてどこ塗ったんだ? なんなら塗ってるとこすら見てないぞ、団長よ。
俺たちは白い作業着を着てやっている。白兎と俺は塗料が付着して汚れているが、団長の作業着は真っ白なままだ。これが全てを物語ってるよなあ。
「ていうかなんで俺たちがこんなことしなきゃいけないの?」
「万事屋だからでしょ……。なんかよくわかんない人が、あのポスター見て依頼してくれたんですよ」
「誰だよ、ポスターになんでも解決しますとか書いたやつ」
「あんたが書けって言ったんでしょーが!」
それまで地道に塗っていた白兎だったが、団長に嫌気がさしたのか顔をばっとあげて大きな声を出した。
気持ちはわかるぞ、白兎。ただ今は落ちついてくれ。お前さんたちが騒ぐとよくない方向に進んじまう気がするんだよ。今はとにかくこの仕事を終わらせないと。
「思ったんだけどこの色がさあ、創作意欲を掻きたてないんだよ」
「ついに色にまで文句言いはじめましたよ、この人。あと創作意欲ってなんですか」
「この色、地味じゃない?」
「しかたないですよ、依頼人の指示なんですから。それに綺麗じゃないですか。ね、阿伏兎さん」
まあ、たしかに華やかでいいんじゃないか。俺たち春雨には不釣合いな気がするけどな。
団長も地味とか言っているが、本当は俺みたいにそう思ってるんじゃないのか?
ちらりと団長を見てみる。なんと団長はおとなしく塗料を塗りはじめていた。白兎の気持ちが届いたのかもしれない。
思ったのもつかの間。団長が持っているバケツに入っているのは真っ赤な塗料だった。
「──ってオイィ! なにしてんだ!」
「なに? 殺しちゃうぞ」
「急に殺しちゃうな! って団長、どっからそんな塗料持ってきやがった!」
「あそこからだけど」
そうやって団長が指さした先には、小さな倉庫があった。俺たちが持っている塗料もあの倉庫から引っぱりだしてきたものだ。
他の色が置いてあるなんて知らなかったぞ……。
「ぎゃあああ! 団長! なにしてくれてんですか!」
時すでに遅かったらしい。煉瓦色の上から赤い塗料が塗られている。
そりゃ叫びたくもなるよな。団長は反省した様子もなく、口笛吹いていやがるし。
「なんですかこれ! 真っ赤な甲板とか不吉すぎるでしょ!」
「春雨にぴったりだよ?」
「春雨が殺伐としているからこそ! 甲板くらいは穏やかにしたいんです!」
「これだから夢見がちガールは」
けっ、と団長は吐きすてる。唾ではなく赤い塗料を。
「むきー!」と白兎の怒りが頂点に到達した。我を忘れて団長に掴みかかる。それはもうものすごい勢いで。その姿からはさっきまでのかわいさは微塵も感じられない。
「おいおい、落ちつけ! 仮にも仕事中だぞ」
「団長が、団長がぁぁ……!」
「団長も真面目にやれよ。万事屋はあんたが言いだしたことだろ」
あの団長に注意したところで、聞いてくれるわけがないよな。期待はしていないさ。
いや、でもな、団長? いきなり体に塗料塗りたくるのはさすがにおじさん理解できねえわ。
「団長なにやってんですか……全身真っ赤じゃないですか」
「かっこいいだろう」
「馬鹿なんですか? ──きゃあ!?」
ちょっとした遊び心か、はたまたただの嫌がらせなのか。団長は白兎に向かって真っ赤な塗料をぶちまけた。白兎は頭から塗料をかぶってしまい、見るも無残な姿となった。
「あ、似合うね。キャラデザそっちのほうがいいんじゃない?」
「な、な……なにしとんじゃコラァ!!」
あれは女の子が出してはいけない声だ……。
塗料まみれの二人が掴みあいになる。お互い一歩も譲らない状態だ。
あーあ、団長のせいで床がほぼ赤色になっちまった。どうすんだ、これ。