ーー午後7時50分頃 ピオネールスカヤ市街地
建物が相次いで建設中にも関わらず夜でも賑やかな『ピオネールスカヤ』、そんな街をグロムイコによる案内のもと一帯を観光するジョルイル外務大臣。
街並み、商店、公共施設、建物、道路、街灯などなど…あらゆる点で自国よりも優れている事にジョルイルはただ驚いていた。
「ジョルイル外務大臣殿、あれが…」
ジョルイルにはもはやグロムイコからの説明は一切聞こえなかった。彼にも一応七大列強国クラスの国力を持っている事に多少の自負心があった。しかし、ソビエト連邦はそれ以上の文明力を持っている事に感銘を受けていたのだ。
「ジョルイルさん!ジョルイルさん!…あの…」
「えっ!?…」
テューリに声をかけられてハッと我に帰るジョルイル。近くにいたグロムイコも彼の状態を心配して、テューリと同様心配そうに声をかける。
「ジョルイル殿、もしかして気分が優れないのでしょうか…?」
「あ、いえいえ!大丈夫ですよ!…ああすまないなテューリ…あれ、テューリ?」
声をかけてくれたテューリに感謝しようとしたが、そのテューリの顔色が悪い。テューリがジョルイルに声をかけたのは自分の体調が悪くなった事を報せるためだった。
「す、すみません…どこかお手洗いを…。」
「お手洗いすか?あっ、どうぞこちらへ。」
テューリは護衛についているソ連兵の案内のもと、たまたま近くにあった公衆トイレへと向かった。
「あの、トイレを流す仕組みについては大丈夫でしょうか?」
「はい、大丈夫です。」
「では…出入り口でお待ちしています…。」
バタン…
トイレの個室で一人きりになったテューリは、懐から黒い大きめの携帯電話のような物を取り出し、電話の相手に小声で話し掛ける。
「こちらレーラ…今の所順調だ。そっちはどうなんだ?」
《こちらメルック…ダメだな、一向に外にいるソビエトの兵士は減る気がしない…もう少し様子を見る。》
「ああ了解、下手するなよ。」
《心配するなって……ところで、お前よくそのデカブツを没収されなかったな。》
「ああ、子供の時から物隠しは得意中の得意だったからな。」
《流石だなレーラ、お前さんはリルヴァイン連合王国立諜報部の誇りだよ。》
「そりゃどうも…しかしこの国のトイレは半端ないぐらい汚いし臭いしキツいぜ…任務が終わったら一杯奢ってやろう。」
《そりゃいいな!それじゃあ頼むぜ。》
「あぁ…」
やり取りを終えたテューリは無線機を巧妙に隠し、個室を後にする。
だが彼はある点を見落としていた。それは、ソビエト連邦には最先端な諜報機関があり、いつでもスパイをとっ捕まえる準備は万端であったことを…。
ガチャ
「フゥ~…」
「おい貴様、よくも我々のセキュリティ網を掻い潜る事が出来たな…。」
「え?」
テューリは背後から聞こえた声の方向に振り返えると、声の発生源はそこにいた。
なんとそこには、官帽を被ったカーキ色のきっちりとした軍服姿の男達複数人がおり、官帽には赤星に鎌と金槌が描かれていた。
そう、彼らはソ連国家保安委員会、通称『KGB』の職員である。
「なっ!?お前らは何者だ!」
突然現れたKGB職員らに驚きを隠せないテューリ。目の前にきっちりとした軍服姿の男が何人もいれば尚更だ。すると、男一人が落ち着いた表情で一歩足を進ませる。
「貴様をスパイの現行犯で拘束する…。」
命の危機を感じたテューリは、咄嗟に裾に忍び込ませていた小型のトレンチナイフを取り出し、職員の喉元に突き出す。
しかし職員は上半身をすぐに下に動かして突き出してくるナイフから避けた後、右手で伸びきったままになっている状態の相手の首を左手で強く殴る。
「うぐっ!!」
首という急所を狙われたテューリは殴られた勢いで横に傾き、そのままトイレの壁へ激突する。
テューリは顔面をモロに壁にぶつけた衝撃で完全に気を失った。
「ふむ…ボディチェックを通過出来るほどの隠蔽技術と、急所への正確な攻撃は流石は異世界の列強、誉めてやろう。だがお前は『環境』に適応出来ていなかった…。」
「同志、今気絶しているこのスパイどう運びます?」
「車で運ぶ以外に周囲に察知されずに済むやり方はないだろ。今連絡をするからお前らはそいつの体に何か隠し持ってるブツはないか探れ。」
そう言うと他の職員はテューリの体全体を調査し始める。
「本部へ連絡、現在公衆トイレにてスパイを拘束、スパイは現在気絶している模様、至急搬送車両を要請したい。」
《了解。そちらに搬送車両を送る。》
それからしばらくすると、公衆トイレ近くに車のエンジン音が聞こえた。職員達はそれに気付き、テューリを担ぎながら公衆トイレを後にする。
出入り口には先程の兵士達がいたが、KGBの職員達が近くを通った瞬間
「外に異常はない、お疲れ様。」
「ご苦労だ。」
この兵士達も実はKGBの職員である。兵士達は黒いKGB専用の車輌が出ていった後に再びジョルイル達の所へと向かった。
「あれ、そういえばテューリはどこに行きましたか?」
「テューリさんはあまり体調がよろしくない為、先に基地へと帰りました。」
「そ、そうですか…まぁ彼なら大丈夫でしょう。」
ジョルイルは自分の部下の一人がソ連の諜報機関に捕らわれている事も一切知らずに、グロムイコの案内による観光を続けた。
ーー午後8時10分頃 ソビエト連邦異世界統治局 地下牢尋問室
「うぐ……うぅ…ん?」
顔と首の強い痛みによって気絶状態から目が覚めたテューリ。しかし彼が目を覚ました場所は、裸電球が一つぼんやりとしか光っていない薄暗い部屋だった。
「ん…?こ、ここは?…そうだ…俺は──」
「やっとお目覚めか列強の工作員よ…。」
「ッ!?」
テューリは聞き覚えのある声に向けて目を向ける。そこにはさっき遭遇した男達に似たような服装をした人間数十名がいた。
(そうだ!俺はコイツらに!!)
テューリは掴みかかろうとするが、全く動く事が出来ない。彼は自分の両手両足に手錠みたいなのでギッチリと固定されている事に今気づいた。
「まぁまぁそう怒るな列強のスパイよ…。ま、お前がここで怒鳴り散らしたって外には聞こえんから何をしようと構わないがな…っと、そんな事はどうでもよかったな、大事なのはここからだ。」
「な、何だ!?」
「これから貴様に対して我々からとても簡単な質問をしてやる。だが、その答えようによっては──」
「俺を殺すとでも言いたいのか…?やってやろうじゃねえかよ!」
「フッ…いくら貴様の生まれ育ちがご自慢の列強国だからって、我々に向かって調子に乗るのはいい加減にしてもらいたいね。囚われの身のくせしておいてよくもそんな大口が叩けるとは…むしろ見習いたいくらいだよその口の利き方をな。」
「んだとぉ…!」
テューリは感情のあまり固定されている手錠らしき物を外そうとするが、どうあがいても外れない。
「あ、それと貴様に言うべき事がある…。おい!奴をここに連れてけ!」
するとKGB職員の一人が一人の男を牢屋に連れていき、テューリの前にその男を投げた。
ドサッ!
「うわっ!もしかして…る、ルヴォア!?」
「こいつ…お前らが乗ってきた『ウィラ』とかいう名前だったか?…その機体に潜り込んで隠れてやがったぞ。」
雑な扱いをされながら運ばれたのはテューリと同じ、王国立諜報部員の一人のルヴォアと呼ばれる男だった。テューリと同じく両手に手錠をかけられた状態で連れてこられた彼は申し訳なさそうな表情をしていた。
「我々も最初は、まさかもう一人が潜入しているだなんて思いもしなかったよ…そういった点では、よくもまぁこんな大胆な方法で潜入しようと考えたお前らには見習いたいものだ。おっと、話が若干逸れてしまったな…だからちょっとした『約束事』をここでしようじゃないかと思うが…どうだ?」
「約束…な、何をだ…?」
「簡単だ。これから貴様らは我々の質問に答えてもらう。その質問て真っ先に真実を答えた奴にはある程度の命の保証はしてやる。だが嘘を吐いたり、答えなかったりなんかした場合には…お前ら二人共々あの世に逝ってもらうぞ…いいかね?死にたくなけりゃ今すぐにでも自白するのが身のためだぞ?」
「ひ、ヒィッ!」
ルヴォアは非常に怯えきった表情で情けない悲鳴をあげる。それもそのはず、ルヴォアは王国立諜報部に入部してからまだ一年も満たしておらず、おまけに最近結婚をしたばかりだ。死にたくないのは当然…だからこそ何としてでもこの状況を打破したい。
テューリはこの時点で、彼を見捨てて自分が助かろうという選択は捨てていたのだ。
「それじゃあ質問するぞ…貴様らの目的は一体何なんだ?」
いきなり核心を突き詰めるような質問にテューリはドキッとする。ルヴォアを見ると、もういつ真実をKGBに喋り倒しても可笑しくない状態だった。
するとルヴォアは目でテューリに対して目で合図を送る。意味は『偽り』『話せ』という合図だった。
ルヴォアはいつ死んでもいいよう覚悟をしていたが、テューリは仲間を見捨てる覚悟はなかった。
テューリは偽りの話を喋れば恐らく誤魔化せるだろうという自信はあった。何故なら尋問するための拷問道具がこの部屋には一切見当たらないため、殴るや蹴る程度の拷問では耐えれると思ったからだ。
「お、俺達はジョルイル外務大臣の護衛を任されたんだぞ!!…本当だ!!」
KGBの職員は少しウンウンと頷く。それにテューリは僅かな希望を抱く。しかし、それはすぐに打ち砕かれる。
「貴様……さては嘘をついたな?」
「え?」
「もういい…執行部隊!処刑の時間だ!今すぐに配置につけ!」
すると向こうから複数の軍靴の音が段々と大きく近づいていき、五人の兵士達が銃を構えたまま牢屋へと入室し配置についた。彼らの手にはAK-74やRPK軽機関銃が構えられている。
「なっ!?おいちょっとま…」
ダダダダダダダッ!!
テューリは誰かに何かを喋ろうとしたが、ソ連兵達はそんな事お構い無しに彼の処刑を始めた。牢屋内には数多くの銃声が鼓膜が破れるぐらいに響き渡り、壁や床では銃痕や血飛沫が生々しく飛び散っていた。
そしておよそ十秒後、テューリは至るところに血を垂れ流しながら力尽きて倒れ込む。彼の体は銃弾のせいでもはや原型を留めていない。その光景を見ていたルヴォアは恐怖の感情が一気にこみ上げてくる。さっきまでの覚悟など何処か遠くへと飛んでいってしまった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼︎」
「なんと哀れなことだ…真実だけを答えれば少しでも命の保証は出来たものを…。やはり異世界では先進的な列強でも…こんな腐ったプライドの塊の人間しかいないのか…残念だな。」
「う、うわぁ…ヒィ…!」
ルヴォアの顔は涙と鼻水でグシャグシャだった。そんなルヴォアの顔の状態をただジーッと見つめるKGBの職員達。その目は彼に向けての殺意を持っているとでも言えるような鋭い目をしていた。そこに感情や、罪悪感なんぞ全くない。ただ単に『殺せ』と命令をするだけで何の躊躇も無しに殺す。恐らく彼らは逆の立場になってもそのような鋭い目差しを向けるのだろう。
「さぁて…次は貴様が処刑される時間だ…。だがもう一度だけチャンスをくれてやろう…今さっき処刑した野郎も含めてお前らはどういう目的でここに来たんだ…?」
「うぅ…お、俺だぢは…うぐぅ……そ、そ、『ソビエトの軍事力を探れ』と…参謀長官の…ぐ、『クヴェナエル・スラージュ』様の…ご、ご命令です…本当ですよ!こ、殺さないでくれぇぇ…!」
ブレる事無くルヴォアの目から視線を外さない職員達の前にルヴォアは、その重圧から気が遠くなり、バタリと倒れて気を失った。
「ったく…こいつ全然根性がない奴だな…おいお前、そんな脆いメンタルじゃスパイどころか、軍人ですら向いてねぇわ。進むべき道を間違えちゃったんじゃないのか?」
「おい、終わったか?」
地下牢屋へと続く階段。そこからKGB支部の高官と思われる男が現れた。職員達はすぐに気付きとっさに敬礼をする。
「奴らから情報を聞き出せたかね?」
「はい!ちゃんと内容もメモしてあります。取り敢えず遺体は焼却し、生きているもう一人は独房に運びますか?」
「あぁそれで良い。にしてもお前…よくこんなに処刑部隊を牢屋に連れ出したな。」
「彼らですか?ええ、しっかりと任務を果たしてくれましたよ。」
「まぁ何がともあれ諸君、ご苦労だった。やり方はお前に任せると言ったからな。ちゃんと情報を聞き出せるのなら何をしようが私は手を出さん。」
ーー午後8時30分頃 ピオネールスカヤの外れにある小丘
月明かりも少なく暗い平原に一際目立つ『ピオネールスカヤ』。そんな街を外れた少し離れた場所にある小丘から眺めている紫色のフードを被った集団がいた。
「あれが…話で聞いた目標のソビエト連邦の街か…思っていたよりも随分発展しているな…。」
「クレスティ戦士長…全員準備は万端です…何時でも行けます。」
「そうか…分かった。では予定通り各自で行動を起こせ。何かあれば魔伝を使って連絡しろ。」
クレスティと呼ばれる若い男性は後ろにいる男女混合の15人の部下に命令を下す。
「いいか…我々の目的はただ一つ、『ソビエト連邦の軍事情報を一つでも盗み出す』事だ。もし敵にその事を悟られるようだったら、すぐに殺せ…。何としてでも我々はこの重要な任務をこなさなくてはならない…我らダークエルフ族の誇りをかけて。」
衣服の袖の上部分には紋章があり、盾を模した金色の線の中には、縦に黒と赤の二色の国旗が描かれている。その真ん中には、猛禽類が飛ぶ瞬間が描かれている目立つ金色の鳥があった。
彼らはエルナヴィア共和国に雇われたダークエルフ族の陰密部隊なのであり、その中でもクレスティ戦士長率いる部隊は選りすぐりのエリート達が集まっている特別な部隊だった。
「よし……いくぞ!作戦開始!」
ダークエルフ族達は身を屈めながら、平原をかなりのスピードで駆け抜けピオネールスカヤへと向けて走り出した。
彼らの胸中には、『予言』でもなく、『予感』てもないが確かな自信が溢れていた。彼らがやってきた中で一度も任務が失敗した例は今までない。
彼らは今現在平原を分散しながら駆け抜けている。だが、その行動は運悪くもピオネールスカヤの外れの哨戒任務を任されていたヘリコプターのMi-24が捉えていた。
『司令!こちら哨戒中のトゥマーン1!市街地外れの平原地帯に複数の未確認人物が素早く移動している!方向はピオネールスカヤに向けて!至急応答願う!』
「こちら司令了解、ピオネールスカヤにいる全部隊を戦闘体制に移行させる。引き続きその未確認人物を離れた場所で観察しろ。攻撃は地上部隊に任せるが、もしそれでも対応しきれないのなら機関銃で殺して構わん、だがロケットはなるべく使うな。」
今回の任務において、ダークエルフ族には1つだけ誤算があった。
それは、『ソビエト連邦は今までの相手とは全然違う』という点である。