結月ゆかりは憧れの歌姫・IAの首を絞めてしまった。それだけのお話し。

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絶対にマネしないでください。


真綿で首を絞めるような

 IA(イア)。私が知る限り最高の歌姫だ。

 私もステージに立って歌うことがある。でも彼女のパフォーマンスは、結月ゆかりのそれとは違う。双方向の舞台ではない。観客は酔いしれ、惑わされ、彼女の思うがままとなる。

 そうなってしまう一因として、彼女の浮世離れした見た目や、常に冷静な表情もあるだろう。でも何よりもその声がそうさせる。

 単に美しいのとは違う。無数の調味料でバランスをとった奇跡の一皿のような、どのように作ったのか見当もつかないほど複雑な織物のような、宝物としか例えられない歌声だ。

「ぐぇ」

 その歌声を発する細くて白い首が、今、私の両手の中にある。

 締め上げている。

「あ゛あ、う゛」

 私が指を食い込ませるたびに、聞くに堪えない声が薄く開いたIAの口から漏れる。

 これがあの歌姫の出す声なのか?

「えうう゛、…………」

 私は我に返った。

「げほっ、げほ……」

 私が力を緩めると、IAはそのまま床に崩れ落ちた。咳き込んではいるが、大丈夫なはずだ。

 ……いや、何が大丈夫なものか。その白い喉に、はっきりと指の跡が残っている。これを自分がやったのだ。私が。結月ゆかりが。

 わなわなと震える手で頬を抑える。さっきまでこの手でIAの喉を締め上げていた。そう思うと冷たい快感が指先から背筋へと這いあがった。

 IAはいつものように、冷静な表情でただ私に問いかけた。

「……どうだった?」

 その問いに、私は――。

 

  *

 

 始まりは楽屋挨拶だった。

 何のことはない。彼女のステージにゲストとして招かれた私は、彼女のところを挨拶に訪れたのだ。

「結月ゆかりです。初めまして。今回はお招きありがとうございます」

「こんにちは。あなたとは一度一緒に歌ってみたいと思っていました」

 なんて、型通りの挨拶を終えて、立ち去ろうとしたときだった。

「痛っ……!」

 冷静なIAに似合わない声色が耳に飛び込んできて、思わず私は振り返った。見れば、IAが足首を抑えている。段差を踏み外してしまったらしい。

「大丈夫ですか!?」

「はい……。ちょっと、ひねったかも」

 その声色はやはり冷静だった。さっき一瞬漏れた、焦燥と驚きに満ちた声が嘘のようだ。

 その時は、私がすぐにマネージャーを呼んで事なきを得た。パフォーマンスの内容が一部変更になったものの、ステージも問題なく終えることができた。

 

  *

 

「……はあ」

「どうしたの、ゆかりちゃん。幸せが逃げちゃうよ」

 従妹の紲星(きずな)あかりちゃんが私のため息をとがめた。まあ、折角の休日に目の前でため息をつかれたら、そうも言いたくなるのは分かる。

 IAの声を有線で聞かない日はない。少し街に出かければすぐに耳に入る。今こうして、喫茶店で時間を潰している最中も。

 だから、そのたびに思い返してしまうのだ。

『痛っ……!』

 喉からCD音源、だなんて冗談を言われる彼女の口から漏れた、上ずった声。あれを聞いたことがある人はどのくらいいるのだろう。覚えている人は? そして、私のように、何度も思い返す人は?

「悩みがあるなら相談に乗ろうか? ゆかりちゃんも色々大変なんでしょ?」

「別に芸能活動に問題はないんだけど……」

 少し、オブラートに包んでみよう。

 コーヒーを一口喉に通し、考えを整理した。

「例えば、ある人が、普段と全然違う雰囲気になってて、それが妙に気になっちゃうというか――」

「え? 好きな人でもできたの? ダメだよー芸能人なのにー」

「……いや、なんでそうなるの」

 私が呆れながら聞くと、あかりちゃんは半笑いで答えた。

「いわゆるギャップ萌えってやつでしょ? 普段と違う姿にドキドキしちゃうんだよ」

「……わかるような、わからないような」

 ギャップというのは違和感がある。むしろもっと乱暴な、何だろう。うまい言葉が見つからない。

 それに、ドキドキというより、あれは――。

「あ、いた」

「え?」

 顔を上げると、テーブルの横にIAがいた。帽子とサングラスで顔を隠しているが、間違いない。この声を間違えるはずもない。

「え? IAさん?」

 あかりちゃんも驚いている。それもそうだろう。自分と言う芸能人に接し慣れているこの子ですら、別格に感じるであろう存在感がIAにはある。

「ここ、いい?」

「あ、はい」

 IAはごくごく自然に私の隣に座って来た。

「せっかく二人のところ悪いんだけど、たまたま見かけたから。ごめんなさい」

「い、いえ、別に……」

「この子は?」

「あ、従妹の――」

「紲星あかりです。こんにちは」

「IAです。こんにちは」

 どうしよう。そう思っていると、あかりちゃんが余計な気をきかせてきた。

「あ、ゆかりちゃん。ちょっと早いけど、私行くね」

「えっ、あっ」

「じゃあまたねー」

 あかりちゃんは自分のお代を置くと、さっさと店を出て行ってしまった。もともと彼女の乗る電車の時間を待っていたから、本来通りの展開と言えなくはないのだが――。

「――――」

「…………」

 四人掛けのテーブルで片側に座る二人。異様だ。それも一人はもう一人の顔を間近でじっと見ているし、見られているほうは冷や汗をダラダラとかいているのだから。

「ゆかりちゃん」

 透き通った声が右耳にダイレクトで飛び込んでくる。

「ひゃ、ひゃい」

「……って、呼んでいい? 歳、あまり変わらないでしょう?」

「あ、はい」

「敬語もいいよ。私のことも、IAって呼んで」

「う、うん。……IAちゃん」

「うん」

 IAは満足したらしい。一旦立ち上がると、私の正面に座り直した。

 そして再び頷く。

「うん」

 何の「うん」なのか分からないが、IAはとりあえず納得したらしい。

 ちょうど彼女のことを考えていたところに、この不意打ち。何とかペースを握ろうと、私はIAにメニューを見せることにした。

「えっと、IAちゃん、何か頼みますか?」

「いい」

 バッサリである。

「今日の目的は、ゆかりちゃんとちゃんと知り合いになること。あとは、連絡先を交換すれば、終わり」

 そう言って携帯電話を差し出してくる。

 私はペースを握るのを諦め、言われるがままに連絡先を交換した。

「うん」

 今度はどんな「うん」か分かった。彼女はそういう人らしい。

「じゃあ、また」

「あ、うん」

 そしてそのまま手を振って立ち去ってしまう。

 一部で彼女がなんと噂されているかを思い出した。

 宇宙人・IA。

 

  *

 

 IAからの誘いは早速やって来た。

『カラオケに行こう』

「お、おおう……?」

 翌朝、寝ぼけ眼でスマホを見たらこれである。一発で眠気が吹っ飛んだ。こんな贅沢をしていいのだろうか?

 いつもより2割増しでおしゃれに気を使い、早速集合場所に向かった。

「あ、IAちゃん。おはよう」

「おはよう。それじゃ行こう」

 本当に、前置きだとかそういうものは彼女にはないらしい。楽屋挨拶の時は型通りとはいえ礼儀作法が整っていたことから、単に使い分けているということなのだろうが……。

「一曲ずつ、好きな曲を唄おう。ただし自分の曲は禁止で。それで点数が高かった方が、相手に一曲リクエストできる。やる?」

「あ、うん」

 彼女レベルの歌手になると、こんな贅沢な遊びをするのだろうか。幸いと言うか、カラオケの採点は単純な歌の上手さだけでは決まらない。ほぼほぼシーソーゲームとなり、ちょうど私が四曲目のリクエストをするところで、IAが言った。

「いいの? これで?」

「え?」

 選んだ曲はIAのお気に召さなかったらしい。

 ちゃんと、IAに歌ってほしい曲を選んでいたつもりだった。透き通った彼女の声は、切なく訴える曲によく合うと思う。実際、我ながらぴったりなセレクトができたと内心得意になっていたくらいだ。

「これだと、普段の私の曲とあまり変わらないよ」

「あ、そ、そう?」

 じゃあ……と思ったとき、やはり脳裏をよぎったのは、あの時の声だった。

「それじゃあ……」

 危険な誘惑だった。でも、好奇心がそれに勝ってしまった。

「これ、どう?」

(くれない)か――いいよ」

「分かる?」

「大丈夫」

 そのあとも、私は調子に乗って彼女の喉を試した。単純にトーンの高い曲、緩急や調の変化が激しい曲、幅広い音域を使いこなす必要がある曲――。

 そのどれもを、IAは完璧に歌いこなした。録音機材を持ってくればよかった。

「……ええと、さっきから無茶なリクエストばっかりでごめんね?」

「いいよ。私も楽しい」

「そう? ならいいのだけれど……」

 お返しとでもいうように、IAもなかなか難しい曲をリクエストしてくる。そんな風にしていたら、あっという間に時間が経ち――。

「あー……喉、痛い」

「仕事、大丈夫? ゆかりちゃん」

「あ、うん。これくらいなら」

 一方のIAは涼やかな声のままだ。タフにもほどがある。

「よし、それじゃあ、お酒飲みに行こう」

「ああ、うん」

 なんだかもう慣れて来た。ずっとペースを握られっぱなしだが、ある意味憧れの人と時間を共にできるのだ。これ以上嬉しいことはない。

 

  *

 

 何事も無く日々が過ぎるごとに、IAとプライベートをともにする回数が増えるごとに、二つの思いが私の中で募っていった。

 IAともっと仲良くなりたい、と言うこと。そしてもう一つは――自分でも、忌まわしいと思うこと。

 そしてとうとう、その思いが叶う日がやって来た。

 情けないことに、酔ってタガが外れるという形で。

 

  *

 

「あ~IAちゃんの声好き~綺麗~大好き~」

「ありがとう。ゆかりちゃんの声も綺麗だよ」

 IAの家は当然のようにオートロックのマンションだった。間取りは一人暮らしにはやや広いという程度。彼女の活躍ぶりからすると少し小さめに感じるくらいだが、余計な贅沢は好まない方なのだろう。

 そんな彼女にも趣味がある。ちょっとしたカウンターバーのようなものが、一人暮らしにはやや広いリビングの片隅にあった。

 彼女のセレクトは的確だった。私の知らないお酒、知らない味、知らない楽しみ方に私はめまぐるしく翻弄された。

 そしてその日、とうとう私は羽目を外してしまうことになったのだ。

「はあ……顔がいい……肌綺麗……声も大好き……」

「――ゆかりちゃん、酔うとそんな風になるんだね」

 やや呆れていると分かる声色だった。冷静で、ほとんど感情を滲ませない彼女からすると、本当に珍しいことだった。その珍しさが私を得意にした。こんな風に感情を見せてくれるくらい、仲良くなれたのだと。

 勘違いをしていたのだ。

「ね、ゆかりちゃん」

「んー?」

「ゆかりちゃん、喉、見せて」

「え? どうぞー?」

 IAは私の喉にそっと指を這わせた。

「ふふ、くすぐったい」

「声、もっと出して。はきはき」

「あ、え、い、う、え、お、あ、お」

「……うん、やっぱり、良い声」

「私もやるー」

 私はIAの喉に手をかけた。

「歌ってー?」

「うん。適当なのでいいかな」

「うん」

「――Amazing grace! how sweet the sound. That saved a wretch like me! I once was lost but now I am found Was blind, but now I see.」

 IAが歌声を紡ぐたび、私の手に震えが伝わった。彼女の喉と言う極上の楽器が私の手の中で動いている。

 IAは、自分の喉に添えられた私の手を、更に上からそっと包んだ。もっと強く、とでも言うように。

 私はほんの少し力を強めた。肌になじむだけだった振動がより深く染み渡り、手先をくすぐった。

 癖になる感触だった。

「'Twas grace that taught my heart to fear. And grace my fears relieved; How precious did that grace appear, The hour I first believed.」

 声色が少し変わった。IAが添える手の力も強まった。そのたびに私の力も強まり、IAの細い喉を締め上げた。

「Through many dangers, toils and snares. I have alrea-dy……alrea……dy――」

 IAの顔が一瞬歪んだ。声がかすれ、今までに聞いたことのない音色が顔をのぞかせた。

 私が力を籠めれば籠めるほどIAの声は細くなった。顔が苦痛に歪み、見たことのない表情がいくつもいくつも現れた。今この瞬間だけで、IAと共有した時間すべてを合わせたのより、ずっと多くの変化を見せた。

 白い喉が跳ねるたび、生々しい感触が私の手指に伝わり、暗い喜びを生み出した。

 ああ、あの美しい歌姫を。この素晴らしい声を、冷静な表情を、自分の手で、私が、動かしている。誰も見たことがない光景を見ている。

 狂っている。

 

  *

 

 ――そこから先はもう言うまでもない。

 酔いと、油断と、好奇心と、快感と。

 そして何より私の狂気によって。

 私の指の形は、IAの喉にくっきりと残されたのだ。

 

  *

 

「……どうしよう」

 翌朝。目ざめは最悪だった。

『……どうだった?』

 IAのそんな問いに答えることもできずに、私は部屋を飛び出していた。上着も忘れて、薄着のままでIAのアパートを飛び出し、そこからどうやって家に帰ったのか覚えていない。おそらくは、そのままシャワーも浴びずにベッドに倒れこんで今に至る。

 しかし確かなことがある。

 この手が覚えている。

「……どうしよう。どうしようどうしようどうしよう――」

 訴えられたら一発アウトだ。いくら酔っていたからって、いくらじゃれていたからって、あんなことをどうしてしでかしてしまったのか。

 生きた心地がしない。とにかく、IAに連絡を取らなくては。

 何といえばいい? 謝って、いや、謝って済むのか? でも何もしないわけにはいかない――。

 どうにかメッセージを一つ送ったあと、私は部屋の隅で縮こまって震えることにした。幸い今日は仕事がない。その時を、ゆっくり待とう。

「どうして、あんなこと――」

 何より自分が恐ろしかった。

 

  *

 

 IAからの返信はお昼頃に届いた。

 スキャンダルは望まない――内容を要約すれば、それに尽きた。

 IAからの返信を見て、私はようやく少しだけ気を抜くことができた。

 実際に会ってきちんと話をしなければいけない。そう思って提案をすると、IAもすんなり受け入れてくれた。

 約束の時間ちょうどにチャイムが鳴った。

 夜は冷えるが、昼間に厚着をするには少し早い季節。IAはマフラーを巻いてやってきた。

「つまらないものですが」

「ありがとう」

 手土産と、それから私が忘れて帰った上着をもらって、お茶を出して、テーブルをはさんで座って。そこから先が進まなくなった。

 何といえばいいだろう。分からないが、とにかく謝ることにした。

「ごめんなさ――」

「どうだった?」

「…………」

「私の首を絞めるの、楽しかった?」

「……や」

「や?」

「やめよう、そんな、話」

「……どうして?」

「だって、だって、私、どうやってお詫びしたらいいか……」

「私、怒ってないよ」

 IAはマフラーをほどいて、首にくっきりと残った指の跡を見せて来た。白い肌に痛々しい内出血が見られる――見たくない。

「わかるもの。綺麗なものを壊したくなるの。私が小さいころね、妹、OИE(オネ)ちゃんっていうんだけどね、一緒に砂のお城を作ったんだ。トンネルを作って、とんがり屋根にして、細かい模様にこだわったの」

「……それで?」

「家に帰る前に、私、思いきり蹴り飛ばしてお城を壊したの。そしたらOИEちゃん泣いちゃった」

「それはそうでしょう。せっかく作ったのに――」

「せっかく作ったからだよ。綺麗で丁寧なものほど、ぐしゃぐしゃにしたときの落差が大きいの」

 危うい感性だ。でも、それは不気味なほどすとんと腑に落ちた。

 だからこそ私は言う。

「……変だよ、そんなの」

「変じゃないよ。ゆかりちゃんだって――」

「違う!」

 私は声を荒げた。

「わた、私は、そんなことしたくない! 人や、物を、傷めつけて喜んだりしない! その跡だって、とっても痛そうじゃない! 残って治らないかもしれないのに! そんな可哀想なことしたくない!」

「……ふうん」

 IAは私の手を掴むと、乱暴に引っ張った。細身の体からは想像もできないような力だった。

 私の手がIAの喉に無理やり添えられる。赤い跡がぴったりと隠れて、罪がつきつけられるようだった。

 でも指先は電流を感じている。

 ああ、また気が狂いそうだ。今は酔ってすらいない。だからぎりぎり、我慢して――我慢じゃない。こんなこと、しちゃいけない。そうだ。いけない事なんだ。

「しないの?」

「言ってるでしょう。こんなこと、したくない」

「嘘つき。いやらしい顔してるよ」

「んなっ……!!」

 私はIAの手を振りほどき、腕をひっこめた。

「帰って!」

「……分かった」

 IAは上着に袖を通し、マフラーを巻きなおした。

「……ごめんね、ゆかりちゃん。あの時、私も酔ってたの」

「……今は?」

「どっちかな? ……また、連絡するね」

「……出てって」

「うん。ごめんね」

 IAは部屋を出て行った。

「違う……違うよ」

 IAとの関係は滅茶苦茶になった。私とIAの危うさが一致してしまったばっかりに。

 それでも、私はあの細い喉を絞める感覚を知ってしまった。それがIAをどれだけ揺さぶるかを覚えてしまった。

「もう二度と、あんなこと……」

 私は冷たい水でバシャバシャと顔を洗った。

 目はくぼみ、頬は青ざめ、本当に酷い顔をしていた。

 

  *

 

 自分の部屋に帰り着き、マフラーを解いた。手を洗い、うがいをする。

 ――鏡に自分の顔が映っていた。

「やっぱり」

 最初の切っ掛けは些細なものだった。

 私が怪我をしたとき、ゆかりちゃんは見たことがない表情を浮かべていた。心配でもなく、無関心でもなく、何か、いけないものを見てしまったかのような、複雑な表情。

 それが気になった。いつも大人っぽくて、穏やかな彼女が、どんな感情でもってその表情を浮かべたのかが気になった。

 だから色々なことを試した。たくさん遊んで、一緒に歌って、お酒を飲んで、でも結局最初に試したのが正解だった。

 私が難しい曲を歌うとき、ゆかりちゃんは何かに期待するような顔をしていた。

 私は感情を表すのが苦手だ。その分、人の表情はよく見ているつもりだ。高音に差し掛かるたび、難しいテンポに変わるたび、ゆかりちゃんは耳をそばだてていた。

 その様子と、最初の出来事を合わせて考えれば、考えられることは一つだった。

 よくわかる。自分もそうだから。

 だから誘った。お酒に酔わせて、ふざけて首を絞めさせた。勿論苦しかった。眼がちかちかして、息がつまって、死んでしまうかと思った。

 でも、見たのだ。

 私が苦しむたび、ゆかりちゃんの表情もどんどん変わっていった。普段は穏やかな表情のその奥に、どんな葛藤が隠れているのかがわかった。

 いけないことだとわかっている。可哀想だと思っている。それでも。

 本当に、その気持ちがよくわかる。私だって――。

「酷いこと、しちゃったな」

 そう思う。だけど我慢できなかった。

 ゆかりちゃんだって綺麗なんだ。泣きそうな声で、その顔がぐしゃぐしゃに歪んだ時、私は背筋が震えるのを感じたのだ。

「酷い顔、してる」

 鏡に映るその顔は、自分でも見たことがないほどの笑みに満ちていた。

 



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