彼女は楓月と左眼を繋げる   作:畑渚

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彼女は楓月と左眼を繋げる

 肌寒い朝、冷え切った空気を目覚ましの音が切り裂く。

 

「……、んん」

 

 D《 ディー》が身じろぐと、柔らかいものに触れる。

 

「あれ、もうそんな時間?」

 

「まだ寝ててもいいよ」

 

 柔らかいものの正体——ピントを合わせるように瞬きを繰り返す少女に、Dは優しく微笑む。頭を撫でられている少女は気持ち良さそうに目を細めた。

 

「よし、それじゃあ朝ごはんを作ってくるよ」

 

「じゃあ私は水やりに行ってくるね」

 

 いつも通りの朝。閑静な住宅街で、TAC-50は庭の植物に水をやる。その自然を慈しむ様子は、さながらファンタジー世界のエルフのようだった。

 

「早く育ってくださいね」

 

 実り始めた苗に水をやる。水が土に染み込んでいく様子を見ながら、TAC-50は空を見上げた。今日は雲ひとつすらない晴天が広がっていた。

 

 

=*=*=*=*=

 

 

 水やりを終えて戻ってきたTAC-50を出迎えたのは、ホットケーキの焼ける香ばしい匂いだった。食卓へと向かえば、見計らったかのようにできたての朝食が並ぶ。

 

「今日も遅くなりそう?」

 

「ああ。時間のかかる実験を予定しているから」

 

 男はそういいながら、メープルシロップをホットケーキにかける。そして蓋のあいたまま、メープルシロップをTAC-50に渡した。

 

「わかった。じゃあ今日も先に寝ておくね」

 

 ここ数日はずっとそうだった。寝ずにも済むTAC-50だが、やはり長くそして安定した稼働には睡眠が必要だ。そんな彼女を待たせることを嫌い、男は先に寝ておくようにTAC-50に言うのだった。拒否するわけにもいかず、TAC-50はそれに従って毎晩一人で床についていた。

 

 瓶を傾けて、残りのメープルシロップをすべてかけた。

 

「もうストックがないよ」

 

「ああ、でも僕が帰るころには店はもう……」

 

「わかった。私が買って帰るよ」

 

「うん、ありがとう」

 

 食べ終わった二人は、食器を片付ける。洗い物を始めた男から台拭きをうけとり、TAC-50は食卓を綺麗に整える。

 

「ねえD」

 

「どうしたんだい?」

 

 洗面所で身支度を始めたDに、TAC-50は話しかける。一旦手を止めたあと、そこまで重要じゃないと判断して再び手を動かし始めた。

 

「お仕事、楽しい?」

 

「あたりまえだよ。じゃないと遅くまで熱中したりしないさ」

 

「ふーん、そうだよね」

 

 少し考える素振りを見せながらも、TAC-50は身支度を始める。その普段とは違った様子を横目に、男は歯ブラシを手にとった。

 

 

=*=*=*=*=

 

 

「それじゃあ、いってらっしゃい」

 

 車の扉を開き何かをいいかけたTAC-50は、その言葉を飲み込んで薄く笑顔を浮かべた。

 

「うん、いってきます」

 

 TAC-50が駅に入っていくのを確認してから、男はグローブボックスから煙草をとりだした。箱を片手に少し離れたショッピングモールに停まると、中の喫煙室へと迷いなく入っていく。

 

 煙草の箱を開くと、中から出てきた棒状の何かを取り出す。それはまるで煙草のようだったが、その中から出てきたものは針だった。

 

「……いつまでたっても慣れないな」

 

 Dはボヤキながら、その針を自分の腕に刺した。血が滲み、白い棒が赤く染まる。

 

「もっとやりようがあるだろうに」

 

 針を引き抜き、棒を喫煙室の奥に空いている小さな穴に射し込む。

 

『ID認証……クリア、遺伝子情報を確認……クリア、室内人数一人、おかえりなさいませ、D《ディートヘルム》様』

 

 上に付けられたスピーカーから音声が流れると、喫煙室のブラインドがすべて閉じる。そして机が2つに割れ、地下への階段が現れる。刺した部分をハンカチで拭くと、Dは階段を下っていった。

 

 階段を降りていったDを隠すように、机は元にもどり、ブラインドは開く。Dがいた痕跡は、そこにはもうなかった。

 

 

=*=*=*=*=

 

 

「ただいま~」

 

 寝ているであろうTAC-50に気を使って、Dは静かに扉を開ける。案の定電気も付いておらず、物音もしない。

 

 靴を脱ごうとして、Dは動きが止まる。玄関にあるはずのものがなかったからだ。

 

「……、TAC?」

 

 その声に答えるものは、いなかった。けれどもう日付は超えている。スマートフォンを見ても遅くなるとの連絡すら来ていない。明らかにいつもとは違っていた。

 

「帰ってるのか?」

 

 Dは腰の後ろにつけたホルスターから、拳銃を抜く。手前の部屋からゆっくりとクリアリングをして、安全を確認する。どうやら本当に、ただ帰っていないだけのようだった。

 

 最後の部屋でホルスターに拳銃をしまった瞬間、玄関の扉を開く音がした。慌てて振り返りつつ拳銃を向けると、そこには驚いた表情を浮かべるTAC-50はいた。髪は少し乱れ、服も変にシワになっている。

 

「ど、どうしたの?その銃は?」

 

「……いや、なんでもないよ」

 

 Dは近くの戸棚に銃を置き、ホルスターも外す。

 

「いや、それより遅かったじゃないか」

 

「ごめん、すこし仕事が長引いちゃって」

 

 それが嘘だとすぐにわかった。それだけの長い時間をTAC-50と一緒に過ごしてきた。だからこそ、衝撃だった。

 

「ご飯は食べた?」

 

「いいや、まだだよ」

 

 二人とも笑顔だった。笑顔ではあっても、その裏に隠された何かの存在を感じ取っていた。

 

「残念だけど冷蔵庫には何もない。そこらのコンビニで晩ごはんを買おう」

 

「わかった」

 

 TAC-50の口数はいつもよりも極端に少なかった。Dはどこからともなく香る酒と香水の匂いに、顔をしかめそうになる。嫌でも、彼女が女性のいるような店でお酒を飲んできたことがわかってしまう。

 

「ねえD」

 

「ん、どうした?」

 

「どうして聞かないの?」

 

「何を?」

 

 コンビニに入ると、TAC-50は突然Dに問いかけた。しかしDの視線は目の前の小さな弁当の棚を眺めるだけだった。

 

「私が今日、遅くなったこと」

 

「別に、上司に無理やり連れていかれただとかそんなだろ」

 

「まあ、たしかに指揮官に無理やりつれていかれたんだけど……」

 

「その指揮官というのがどんなやからなのかは知らないけどさ」

 

 その間も、DがTAC-50の方を向くことはなかった。

 

「僕は君のことは信じてるから」

 

「D……」

 

 TAC-50は言葉を飲み込んで、うつむいた。そんなことしか、今の彼女にはできなかった。

 

「どうするんだい?」

 

「えっ何が?」

 

「晩ごはんだよ」

 

 TAC-50が顔を上げれば、呆れた顔でDがこっちを向いていた。彼の持つかごには、もう彼の分の弁当と飲み物が入っていた。

 

「じゃあ、これ……」

 

 近くにあったパンを2つほどかごにいれる。Dはそれだけかという顔をしながらも、レジに持っていった。

 

 ありあとあしたーと気の抜けた声を背中に、二人は店の外へと出た。随分と冷え込む夜で、明日には雪すら降ってそうだった。

 

 帰っても、食卓を囲んでも、そしてベッドに寝転がっても、二人は無言だった。

 

 

=*=*=*=*=

 

 

「それじゃあ、いってらっしゃい」

 

「うん、いってきます」

 

 朝食も無言だった二人だが、これだけはいつもどおりだった。

 車が去るのを見届けてから、TAC-50は楓月を起動させる。といっても、いつものドローン形式のものではない。起動したカメラがTAC-50の左目に移したのは、ハンドルの映る映像だった。

 

 映像ではすぐにエンジンを切り、見慣れたショッピングセンターに入っていく姿が見えていた。片手には、吸っているはずのないタバコの箱を持っている。

 

 喫煙室に入り、何やらゴソゴソと数分が過ぎ去る。そして、この楓月がつけられた者以外が居なくなって少し経つと、機械の音声が聞こえる。

 

『ID認証……クリア、遺伝子情報を確認……クリア、室内人数一人、おかえりなさいませ、D《ディートヘルム》様』

 

 隠された階段が、TAC-50の左目に映る。

 

 TAC-50は歩き始める。目的のショッピングセンターに向かって。

 

 

=*=*=*=*=

 

 

「やぁやぁD君、おはよう」

 

「おはようございます、部長」

 

 Dはうんざりとした顔を浮かべながら、挨拶を返した。

 

「なんだいそのうざったいって感じの顔は」

 

「見えている通りですよ。うざったいと思ってる顔です」

 

「ひど~~い」

 

 部長はデスクに座るDの右肩に顎を乗せる。部長のピアスがDの首筋にあたり、少しだけ身じろいだ。

 

「で、ここに件のデータがあるんだけどね」

 

「……、ください」

 

「しょうがないにゃあ……なんてね。はいこれ」

 

 そういって部長はUSBをDに投げ渡した。危うく落としかけたそれを、Dはパソコンに突き刺す。データを読みこみ終わると、真っ黒なウィンドウがいくつもついては消えを繰り返す。

 

 そして最終的に、一つの画面が映像を映し出した。それはどこかのカメラの映像のようだった。

 そこに映るのは、鏡に映るDだった。ネクタイピンをつけ、身だしなみを整えているところである。

 

「あれ?これって寝起きのD君だよね?ぷぷぷ、かわいいー」

 

 からかったつもりが、Dの反応がない。いままで何度もからかってきた部長だが、いつもうざがったり逆に照れたりと反応は返してくれていた。

 

 そんなDが、画面を凝視したまま固まってしまっていた。

 

「ど、どうしたの?」

 

「これ、何の映像だと思いますか?」

 

「ん?よくわかんないけどプライベートカメラ?この位置なら……ネクタイピンに仕込んでるのかな?」

 

 部長はネクタイピンを抜き取って覗き込む。

 

「ああ、やっぱりここに小型カメラだ。あとこの通信系統は……ダミーリンクシステム?」

 

 Dは早送りをする。どうやら今日の分のデータのようだった。

 

「それで、結局それは何の映像データなんだい?一応君にはこの世で最も最強なハッキングツールを渡したつもりだったんだけれど」

 

「これですよ」

 

 Dは画面の上の方を指差した。そこには”log-TAC50-lefteye-MapleMoon”と書いてある。

 

「TAC-50って確か君の」

 

「ええ、うちの家内ですよ」

 

 Dの左手には、シンプルな指輪がきらめいていた。

 

「それで、その彼女の左目?のログでどうして君が映るんだい?」

 

「わからない……」

 

 男はマウスを操作して、ファイルを入れ替える。今度はrighteyeという方をクリックする。

 

 映像は今朝から始まった。

 いつものようにDのがおき、朝食を作っている。その姿を横目に、視点の主は庭へと出ていった。日課の水やりを終え、Dを向かい側に食卓を囲み、いつもどおり車から降りた。そして車を見送る。

 Dは知る由もないが、ここまではなんら変わりのない日常だった。

 

 しかし、今日だけは違った。視界の主——TAC-50は車の向かった方向へと歩き始めた。見慣れたショッピングセンターに入り、吸いもしないのに喫煙室へと入っていく。

 

 そしてどこからともなく煙草型の注射器を取り出すと、もう片方の手で小さな瓶を取り出す。注射針を瓶の中へと入れれば、赤い液体が滴った。

 

『ID認証……クリア、遺伝子情報を確認……クリア、室内人数一人、おかえりなさいませ、D《ディートヘルム》様』

 

 セキュリティは正常に作動した。想定されていなかったエラーに対処しきれるわけがない。

 

「ど、どういうことだ……」

 

 Dは映像を早送りする。隠し階段を下りたTAC-50は、まっすぐとDの座るデスクへと向かっていた。まるで何度も通ったかのように、その足には迷いがなかった。

 

 映像はデスクの手前で止まった。いや、止まったのは映像ではない。TAC-50の歩行だ。

 

 その映像には、パソコンを食い入るように見るDとその肩から画面を覗き込む部長の姿が映っていた。

 

「……、や、やあ」

 

 部長は瞬時の間に部屋の隅へと逃げた。Dのは冷や汗をかきながら後ろへと振り返る。

 

 部屋の入り口に、笑顔のTAC-50が立っていた。

 

「職場に来るなんて初めてじゃないか」

 

「ええ、だって職場、教えてくれなかったじゃないですか」

 

「ど、どうしたんだい突然押しかけてきて」

 

「心当たりがないんですか?」

 

 TAC-50がDに敬語を使うときは、決まって本気で怒っているときだった。

 Dはごくりとツバを飲み込んで、首を横に振った。

 

「最近夫の帰りが遅い、しかも女性の香水の匂いもする、それに私が遅くなっても気にしない」

 

「気にしないなんてそんなこと——」

 

「今はこれだけ聞かせてください」

 

 TAC-50は左目をぎょろりと動かす。

 

「そこの女狐と私、どちらのほうが好きなんですか?」

 

「……、は?」

 

「だから、私とあの人と——」

 

「ちょっとまってくれ、もしかして女狐って部長のことか?」

 

「他に誰がいるんですか!」

 

 声を荒げたTAC-50に声を掛けたのは、部長だった。

 

「待って、えーっとTAC-50ちゃんでいいのかしら」

 

 部長は髪を耳にかける。左耳にのみあるピアスが、きらりと光を反射した。

 

「私、男の人に興味はないわ。距離感が近すぎたみたいなのは謝るけど」

 

「えっ……えっ?」

 

「そうだぞ。部長は俺をからかってるだけだよ。それに香水の匂いなら君だって昨日」

 

「あれは指揮官の香水です」

 

「……えっ?」

 

「うちの指揮官は人形にベタベタするから香水の匂いが付いちゃっただけ」

 

「……えっ?でも女性のするような匂いだったような」

 

「うちの指揮官、女性だよ?」

 

「えっ……えっ?」

 

 しばらく静寂が三人の間に流れる。そのうち、部長が一人で笑い始めた。

 

「じゃあ何、あんた達お互いからする香水の匂いで浮気を疑ったわけ?ははは!お腹いたい!傑作だよ!」

 

「「笑い事じゃないんですよ!」」

 

「ははは!二人が仲良し夫婦なのは私が認めるよ!末永く爆発しろぉい!」

 

「部長はそろそろお相手みつけないとですね」

 

「ぐへっD君は痛いところを……」

 

 まるで切腹したかのような苦しい声をあげる。

 

「ぷっ、くふふ……」

 

 TAC-50も部長のオーバーリアクションがツボに入ったのか、笑い始めた。

 

「良し、D君はもう今日は帰ってよし!」

 

「えっ、でも仕事は」

 

「今日の仕事は君の妻であるTAC-50ちゃんにたらふく好物を食べさせてあげることだよ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 二人は、帰りがけに店により、ホットケーキの材料とメープルシロップをたくさん買って帰った。そして、その日は久しぶりに二人揃って台所に立って、メープルシロップたっぷりのホットケーキを焼きまくった。

 

 その夜、ベッドに入ったDは唐突にTAC-50に問いかけた。

 

「そういえばTAC-50、昨日の香水は解決したけど、お酒の匂いは?」

 

「それは……Dが浮気してるかもと思うと呑まないとやってられなくて……」

 

「そ、それはすまなかったね」

 

「そのあと指揮官に家の前まで送ってもらったんです。そのときに匂いが強く残ったのかと」

 

「なるほどね」

 

 それだけ会話すると、TAC-50は寝息を立て始めた。Dも今日は疲れたと目を瞑る。

 

 何かまだ謎が一つあった気がしたが、思い出す前に眠りについてしまった。

 



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