元ホワイト鎮守府より、憎悪を込めて。   作:D535Rave

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地獄廻廊

 私の弓から放たれた矢は、正確に朝潮の顎を掠め去った。朝潮の小さい身体がぐらりと揺れ、海面へと倒れ込む。普段敵を沈める為に使っていた武装を、初めて仲間へと向けた事に強烈な苦痛を覚える。

 

 

「大丈夫よ」

 

 

 震えていた。朝潮へと投げかけた言葉も、応急修理を施す右手も。透き通るような白色だったはずの朝潮の肌は、血と煤によって塗りつぶされていた。自分に言い聞かせるように、何回も何回も大丈夫と繰り返す。頭痛と吐き気が止まらない。だが、自分に出来る事をやりきらねばならない。それは一航戦としての誇りでも、年長者としての矜恃でも無く、あの人に少しでも報いる為に……。

 

 

「加賀さん!」

 

 

 朝潮の止血をしていると、大潮が走りよってきた。

 

 

「外傷は?」

 

「ほぼありません! 航行可能です!」

 

 

 ここは敵地のど真ん中だ。中途半端な判断は許されない。ここで達成しなければならないのは朝潮、大潮の撤退と、提督の捜索。震えながら立ち尽くしている荒潮と、動揺している大潮に、翔鶴と瑞鶴が合流する。

 

 

「いい。全員よく聞いて。ここからは二手に分かれて行動するわ。私は朝潮を曳航、撤退。提督の捜索は翔鶴と瑞鶴が行うわ」

 

 

「加賀さん……私……提督さんに酷い事を……」

 

 

 瑞鶴の目から溢れる涙を、そっと拭ってやる。艦載機を移し替え、矢と燃料を補充させながら語りかける。

 

 

「艦隊皆の責任よ。貴方1人のせいじゃない。あの人なら絶対に生きているから。会って、鎮守府で一緒に謝罪しましょう。もちろん、それだけで終わりじゃないけど……」

 

 

 嘘と欺瞞に塗れた言葉だった。直接手を出しておいて、一言の謝罪で許されるなんてあっていいわけが無い。空虚な私の励ましは、凪ぎ続ける海面に吸い込まれていく。

 結局、その場で喋る者は一人もいなくなり、そのまま作戦行動へ移ることとなった。

 皆泣いていた。強く顔を歪ませ、手を握りしめていた。

 だが、私達のこの涙に、何の意味があるのだろうか? 提督にあんな虐待をし、宮下元帥に拘り続ける様な私達は、要するに兵器なのだ。本来心を持ってはいけない存在。それなのに人間であろうとしたから……。

 夕日が私達を照らす。黄金色に輝く、海上で最も美しい時間帯。それがいっそう、私の心を虚しくさせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 穏やかな波の上を、響ちゃんがぐんぐんと速度を上げて突き進む。提督の捜索に反抗する意思を見せつけるかのように、全く無線応答には応じず、双眼鏡を見る素振りも見せない。

 

 

「いいのよ。あんな奴のことなんて放っておいても」

 

 

 どうにかして響ちゃんに追いつこうとした私に、暁ちゃんが冷たく言い放つ。その文言の鋭さに衝撃が走る。いつも不器用ながらに妹の事を気遣っていた暁ちゃんにしては考えられないほどの、まるで諦めきった様な表情だった。

 

 

「こら、あんな奴とか言わないの」

 

 

 後ろから雷ちゃんがこつんと頭をはたく。小突かれた暁ちゃんはむくれた様子でさらに速度を上げる。

 はぁ。とため息をついて、雷ちゃんが私に語り掛けてくる。

 

 

「今回の喧嘩はだいぶ長引きそうね。姉妹喧嘩は私達にとっては珍しいものでもなかったけど、思い返したらこれまでの言い争いやいがみ合いは、どれも他愛のないものが原因だった気がするわ」

 

「響ちゃんも暁ちゃんも心配だけど、艦隊の皆の事も気になるのです……。司令官さんはあんなに頑張ってて、今回だって危険に身をおいてまで作戦を成功させたっていうのに……それでも……」

 

 

「きっと、宮下元帥の入院が長引いていて不安なのよ。元帥の手術が無事に終わって、提督も帰ってきたら、皆元通りになるわ」

 

 

 そう言って、雷ちゃんは辛そうな笑顔を私に向ける。彼女がときおり見せる、私達を心配させないようにする笑顔。いつも自分の事は二の次で、姉妹の事、司令官さんの事、艦隊の皆の事。

 それでも、私の不安は晴れなかった。自分の手の及ばない所で、何か重大な事が起きてしまっている予感。司令官さんが見つからないのが最悪な未来なのは間違いない筈なのに、さらに恐ろしい未来が待ち受けているような気が──

 

 瞬間、ふわり。と風が通り抜ける。見上げると、夕刻に迫る夏の空は、それでもなお深い青に染まっている。入道雲と陽炎。光を照らす地平線。いつも通りの光景。海上に視線を戻すと、先を進んでいた筈の暁ちゃんが立ちつくしている。

 

 

「響……! それは本当に、冗談じゃすまないわよ」

 

 

 暁ちゃんが睨みつけているのは、海に落ちている響ちゃんの()()帽子だった。響ちゃん本人は、凪ぎ、鏡のように静まりかえっている海面に、黒い稲妻をほとばしらせ、拳を握りしめて震えながら立っている。

 先ほどの突風で帽子を落としたのだろうか……? だけれど、響ちゃんは帽子を拾おうとせず、うつむいたまま動かない。

 いや、それを気にしている場合ではない。警戒すべきなのは『響ちゃんが改二実装を展開している』ということだ。艦娘の1つの結論点でもある、改二実装。通常での改装では得られる事のない圧倒的な能力の飛躍、もしくは上位互換的な艦種への改造。当然、実装される際に要求されるハードルも高く、特に大型艦は資材・練度両方を高い水準で満たしてないと改二実装に挑むことすら許されない。響ちゃんも、宮下元帥の指導の下、血の滲むような鍛錬を経て改二を自分のものにしている。

 人類が深海棲艦と戦う上で、切り札ともいえる存在。その改二実装を、響ちゃんは会敵していない状態、つまり私たちに向けて展開している。そうなると最早ただの姉妹喧嘩ではすまされない。戦闘状態にない改二実装というこの状態でも謹慎処分ものの大事なのに、さらにヒートアップしてしまうと……。

 

 

「響! あんたが司令官を嫌っているのは十分に理解したわ。この救出作戦に参加したくないということもね。でも、これ以上は私達もかばいきれないわ。越えちゃいけない線を、あなたは越えようとしている」

 

 

 雷ちゃんが冷静に、少しの怒りを込めて響ちゃんを諭す。少なからず失望もあった筈だ。少なくとも私は、響ちゃんがこのように感情に身を任せて姉妹を危険に曝すような真似はしないと思っていた……。いや、信じていた、という方が正しいのかもしれない。私達は二度目の人生を与えられてから、何年も苦楽を一緒にし、姉妹以上の絆を育んできた。響ちゃんは熾烈な戦闘の中でも、いつも冷静に動き、的確な指示を出していた。響ちゃんがいくら司令官さんの事が嫌いでも、決して一線を越えないという信頼が、どこかにあった気がしていたのだ。

 私も雷ちゃんに続いて、響ちゃんを落ち着かせるように説得しようと、口にするべき言葉を探して思案する。だがその思考は、響ちゃんの獣の様な叫び声でかき消される事となった。

 

 

「Ааарррггххххх!!!!!!!」

 

 

 耳をつんざく、艦船同士が衝突した時のような轟音だった。海面を白と黒の火花が駆け巡る異様な光景に驚愕する。以前似た状況に遭遇したことがある。改二実装は強大な力を手にすることが出来る反面、その発動と安定は精神面に依存するという弱点がある。焦って改二実装を手に入れようとしたり、怒りや悲しみに任せたりして、暴走してしまうということが昔はよくあったのだ。

 けれども、この様な大規模なものは聞いたことも見たこともない。それに加え、改二実装の訓練艦を務めていたこともある響ちゃんが、改二実装に振り回されるような事態は全く想定していなかった。

 

 

「周囲警戒!!!」

 

 

 真っ白になっていた頭の中に、暁ちゃんの絶叫が飛び込んでくる。はっ、と息を強く吸い込み、周りを見渡す。

 敵襲? なんらかの精神攻撃? とにかく、今の響ちゃんの様子は尋常では無い。この暴走に何か原因があるとしたら、それは深海棲艦によるものと考えるのが自然だ。

 震える手を落ち着かせながら、艤装を展開する。しかし、響ちゃんは、ふらりと頭を下げ、海を蹴って、私達の陣形を抜け出した。

 

 

「嫌だ……嘘だ嘘だ……だって……司令官……」

 

 

 速い! 一瞬気圧されたが、とにかく一人には出来ないから追いかける。一体響ちゃんに何が起こったんだろうか。黒雷を纏い、血走った目と汗まみれの顔は、酷い焦燥感を表していたが、それでも、なんとなくだが──以前の響ちゃんに戻っているように感じた。

 

 

「待ちなさい! 響!」

 

 

 オレンジ色の光が私達を刺す。先頭を行く雷ちゃんの足から舞う水しぶきが、夕日を跳ね返しキラキラと輝く。

 

 

「響! ちゃんと話をしなさいよ! どうしたってのよ……!」

 

 

 不気味に感じる程静まり返っている海を、私達だけが駆ける。暁ちゃんが作った波紋を、私が踏み潰す。

 嫌な予感がする。身体の内側からせり上がってくる不快感。首筋を伝う冷たい感触。いつかの海域で覚えた、身体中の細胞が発する危険信号。

 

 

「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!」

 

「嘘! ちょっと! あれ!」

 

 

 遠い水平線に、薄い煙が立ち上っているのを確認する。産毛が逆立ち、呼吸が浅くなる。

 

 

「レーダーにあんなの映ってなかったわよ!」

 

「無線連絡!!!」

 

「やっているのです! やってるけど、艦隊司令部と、大淀さんと繋がらない!!!」

 

 

 焦げ付いたエンジン、粉々になった窓ガラス、ひしゃげた船体。かろうじて船の機能をもっていたそれは、確実に見たことの無いものだった。それなのに、私は最悪の未来を確信してしまっている。

 私達を見捨てて、どこか遠い土地に行ってしまってても良かった。境遇を告発し、国外へ逃げてしまってても良かった。見つからなければ、痕跡一つ手に入らなければ、まだ希望はあったかもしれなかった。

 だって、この海で、こんな小船で、こんな武装で、無事で居られる筈なんて無い! いくら叢雲ちゃんの司令官が有能だからって、そんな情報受け入れる事なんて出来るわけが無い! 

 

 でも、私は、私達は、見つけてしまった。私達が追い詰めたから、結果を求めたから、絆を放棄したから、優しい司令官さんはそれに応えたんだ。

 

 響ちゃんが叫ぶ。先程の狂った様な轟音とは違う、絞り出すような嗚咽が、船の中央に入っている大きい破れ目から漏れ出した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 暴れる夕立を、比叡が必死に押さえ込む。黒い雷を纏わせながら、その小さな身体からは想像できないほどの力で抵抗し、苦しそうに呻く。美しかった筈の白い髪は自身の砲撃で埃まみれになっており、彼女の好戦的な性格と幼さ、両方を示していたはずの赤い目は、油と涙でぐちゃぐちゃになっている。

 

 横須賀鎮守府の演習場は惨事の跡を痛々しく残していた。大淀に異変がおこったのとほぼ同時刻、演習に参加していた殆どの艦娘が暴走。会敵無しでの改二実装や自分への砲撃など異常行動が見られた為、鎮守府近くの海域で待機していた萩澤提督有する日英混合艦隊がその鎮圧にあたった。

 

 

『鎮守府内の安全確保、完了デース……。神通や大井等の重傷者はドックで明石に見てもらってマース。今は取り敢えず動けそうな艦娘をかき集めて捜索隊を編成してもらってマスケド、指揮系統も艦隊充足率もメチャクチャで相当時間がかかりそうデース』

 

 

 金剛からの無線連絡を聞きながら現状を整理する。今回の横須賀鎮守府で起こった集団パニックでの負傷者は、3つの段階にトリアージされた。大井や神通、霞等の生命の危機に関わる程の重傷を負った艦娘、大淀や夕立等の異常行動・深刻な精神的障害の傾向が認められた艦娘、明石や鳳翔など、違和感は覚えているものの正常な思考を保てている艦娘。

 総括としては、工廠や兵站系施設は機能しているが、水雷戦隊、連合艦隊等の戦力部隊はほぼ壊滅と言っても良い状態である。特に、大淀、霞、白露といった艦隊司令部施設要員が全員戦闘不能状態になっている点は深刻であり、それによって現在も出撃中の艦隊と連絡が取れていない。

 

「とにかく艦隊司令部の再編成を優先して。大淀の代わりは長門。多少無理をさせてでも出撃中の全艦隊の状況を把握するように。それと彼の捜索は、私と影浦提督の艦隊が行う。今編成している横須賀の艦隊は周辺の安全確保と出撃中の艦隊の保護に充てて。その指揮は任せたわよ金剛!」

 

 

 ハイ、と珍しく疲弊した様子を全面に出して、金剛は通信を切った。大淀、鳳翔、長門……。ずっと日本を守り抜いてきた仲間達の、あんな姿を見せられたんだ。流石に金剛も堪えているらしい。

 だが、ここは踏ん張ってもらう。秘書艦を任せた艦娘として、彼女が倒れることは絶対に許されないのだ。もしここで選択を間違えたら、我々は多くの戦力を失う事となる。

 

 

「比叡、比叡!」

 

「ヒエッ! あっはい! なんでしょうか!」

 

 

 泣きじゃくる夕立の顔を、服の裾で拭いてやっている比叡を呼び止める。

 

 

「ここを任せる。ネルソンとウォースパイトに捜索部隊へ加わる様言っておいて。私は今からここを離れるから」

 

「は、はいっ。了解しました! あっ、あれ? どちらに行かれるんです?」

 

 

「これの原因を確かめに行く」

 

 

 普段表に出ない、影浦提督がここまで動いていた理由がわかった。かつて宮下元帥と同じ時期に提督の座に就き、軍の裏の部分を掌握していた得体の知れない人間……。

 

 

「あいつだ……。あいつ以外考えられない……」

 

 

 演習場から外門へ通じる廊下を歩く。そこで目にした横須賀鎮守府の様子は、私が来た時とは対象的なものだった。全員の顔が強張り、疲れ果て、憔悴しきっている。深海棲艦が現れたばかりの世界で、かつて、イギリスの軍港デヴォンポートで見た、襲撃から生き残ったわずかな軍人達の顔を思い出す。

 限りなく、地獄に近い場所だった。私は色々な戦場を乗り越えて今の立場にいるが、決してこの様な惨状は見慣れるものではない。耳から離れない砲撃の音に苦しむ兵士の声を聞く度に、帰ってこない大切な誰かを待ち続ける遺族の顔を見る度に、胸が締め付けられる気持ちになるのだ。

 

 これ以上の苦しみは考えられない、それ程の光景だった。だが、彼女達は知らしめられることとなる。長く長く伸びて、折れ曲がって繋がった廻廊の、ほんの一部分しか私達は歩ききっていない事に──。

 

 

『本部より緊急連絡です! 宮下元帥の様態が──!』

 

 

 車の中で聞いた霧島の伝令。現実を受け入れられない榛名の顔。久しく忘れていた絶望の感情が、落ちていく夕日と同じようにじわじわと私の心を蝕んでいった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それは、もはや船としての意味を成していなかった。ぐちゃぐちゃになった小舟の上に、おびただしい数の妖精さんが漂っている。妖精さんは船に近寄った私達の顔に貼り付く様に飛んできて、船の中央を指差す。

 暁ちゃんを先頭に窓ガラスを踏みつけながら進み、吹き飛んだ扉から船内に入る。

 

 

「ひっ……」

 

 

 雷ちゃんの小さな悲鳴。司令官を抱きかかえながら泣き叫ぶ響ちゃん。パニックになった妖精さん達と、探照灯や照明弾、電探等の艤装が滅茶苦茶に散らかった床の上で、彼は横たわっていた。

 出撃の日、私がアイロンがけした司令官さんの白い制服は、血と油と埃で汚れて見る影もなかった。固まって動けない。目の前のこの光景を受け入れられない。震えが止まらず、絞り出すような呼吸しかできない。

 

 

「雷! 電!」

 

 

 は、と目の前を向く。振り向いた暁ちゃんが、震えた唇を横一文字に噛みしめ、私達を睨む。

 

 

「雷はこの船のエンジンを確認して。この場で修理できそうになかったら曳航。司令官を横須賀まで引っ張るわ。電は司令官の容態確認、治療。私はそれを手伝いつつ、大淀さんと連絡が取れるかどうか試してみるわ。そして……響!」

 

 

 雷ちゃんが、わかったわ! と言って飛び出す。

 暁ちゃんは顔を伏せながら淡々と私達に指示を出す。そのあと、司令官にしがみついて叫び続ける響ちゃんの背中を掴んで引き離し、持ち上げるようにして立たせる。

 

 

「暁! 私の、私のせいで司令官が──」

 

 

 パン、と乾いた音が、穴だらけの船内に響いた。

 赤く腫れた頬を押さえながら、響ちゃんが驚いた表情で暁ちゃんを見つめる。

 暁ちゃんはそのまま、司令官の傍らに座り込み、首筋に手を添える。

 

 

「司令官はまだ……生きているわ」

 

 

 バッグから鎮痛剤を取り出しながら、暁ちゃんは呟く。

 

 

「でも……私達の選択で、ここからどうなるかが決まってくるの。この海域から脱出して、提督を無事に連れて帰って、それでようやく終わりなのよ……」

 

 

 私も司令官さんの傍に座り、出血を止めることを優先して処置を行う。

 暁ちゃんは唇をかみしめ、鼻をすすりながら、司令官さんの指が欠けた左手を消毒液がついたガーゼで押さえる。

 

 

「あんたが司令官にした事は絶対に忘れないわ……。でも、これが全部終わって、皆無事に帰ることが出来たら……一緒に謝ってあげるから……」

 

 

 暁ちゃんは人一倍責任感が強い。レディとしての嗜みを強調するのも、第六駆逐隊の姉としてまとめる立場にいなければならないことを強く自覚しているからだ。

 だけど、その責任感の強さゆえに、空回りしたり、周りが見えなくなってしまうことが度々あった。その暁ちゃんの危うさをフォローをしていたのが響ちゃんで、冷静な行動と的確な指示出しで、暁ちゃんのオーダーをしっかりまとめていた。

 だからこそ、響ちゃんの提督に対する態度は、暁ちゃんにとってとても不安なものだったと思う。日に日に激しくなっていく提督への悪態に比例して、暁ちゃんの自責の念も強くなっていった。

 

 

「だから……今は私の言う事聞きなさいよぉ……ばかぁ……」

 

 

 暁ちゃんの目から、涙がこぼれる。

 苦しんでいる提督を救えないというフラストレーションと、響ちゃんに対する違和感で、暁ちゃんはよく泣くようになった。特に響ちゃんと喧嘩した日は、私達に気づかれないように、鎮守府近くの神社の裏に行ったり、枕に顔を押し付けたりして、息を殺すようにひっそりと嗚咽した。

 ずっと、ずっと、暁ちゃんは苦しんでいた。宮下元帥に託された第六駆逐隊を、まとめあげなくちゃいけない。その重圧を暁ちゃんは一人で背負ってきた。

 

 

「暁……ごめん……」

 

 

 響ちゃんが涙を拭う。真っ赤な瞳の奥には、信頼と不屈の精神を表す、ブルーグレイの魂が感じられた。

 どうしたらいい、と響ちゃんが声を震わせながら問う。暁ちゃんも目をこすり、咳ばらいをしてそれに答える。

 

 

「響は周囲警戒を。何か見つけたら無線で連絡して。絶対に無理はしないでよ」

 

 

 暁ちゃんが立ちあがり、帽子を響ちゃんの頭に被せる。

 

 

「了解」

 

 

 響ちゃんの笑顔。本当に、本当に久しぶりに見た気がする。響ちゃんは帽子を深く被り直し、短く息を吐いた。

 

 

「響ちゃん。御武運を、なのです」

 

『響に怒っているのは暁だけじゃないわよ! 横須賀に戻ったら説教してあげるんだから! 無事に戻ってきなさいよ!』

 

 

 深く被り直した帽子の陰から、少しの笑みがこぼれた。深呼吸してから、響ちゃんがこちらを向いて言葉を放つ。

 

 

「Дар. 司令官は任せた」

 

 

 ◇

 

 

『やっぱりだめね! エンジン周りも酷く損傷しているわ。むしろ浸水していないのが不思議なくらいね。とりあえず曳航するけど、船体へのダメージを考えるとあまり飛ばせないかも』

 

 

 おそらく、雷ちゃんが錨を巻き付けたのだろう。船体がガタリ、と揺れる。

 割れた船室の窓からは、夕日がきつく差し込んでいた。日が落ちると、様々な意味で活動が制限される。

 はやる気持ちを落ち着かせながら、処置を続ける。鎮痛剤のクリップを外し、右足、左手に続けて打つ。司令官さんの衣服を切り、容態を確認する。

 

 

「うぅ……」

 

 

 本当にひどい。ひどすぎる。

 窓ガラスや木片による切り傷や、腹部の打撲、何か所かの骨折は、ここでの治療である程度収まるものではあった。だが、左手の薬指及び小指の欠損。そして致命傷と表現するべき、右膝から下の銃創。この二つの創傷は、今すぐに高度な医療を必要とするものであった。

 特に右足のは本当に……。骨がむき出しになり、突き刺さったガラスが光を反射する。消毒液をかけようとすると、傷口の表面が軽く焦げていることがわかった。

 傍に座っている、高速建造材担当の妖精さんが不安げにこちらを覗き込む。まさか、焼き付けたのだろうか? 

 えぐれた自分の肉に、焼けた鉄を押し付けられる痛みを想像する……。

 怒り、悲しみ、焦り、色んな感情がぐちゃぐちゃになり、頭の中をぐるぐると回る。

 吐きそうだ。

 どうしてこんなに司令官さんが苦しまなきゃいけないんだろう。私達は司令官さんを守る為に戦っているのではなかったのか? 司令官さんがこの様な状態になっているのは、電のがんばりが足りなかったからではないのか? 

 雷ちゃんがそうしていたように、出撃や遠征の間を利用して、私も提督さんに料理を作っていた。本で見たように奇麗には作れなかったけど、司令官さんはとても嬉しそうに食べてくれた。

 素の司令官さんは、意外と冗談も言ったり、笑顔を見せてくれたりもする。ひとしきり笑った後に、深く深呼吸をする様が、本当に素敵だった。

 

 血と埃でまみれた司令官さんの顔を、ガーゼでそっと拭う。

 この人は、幸せになるべきなんだ。こんな所で絶対に死ぬべきではない。

 

 ふと、司令官さんが右手に握っている物に気が付いた。

 魚雷? なぜ司令官が? 信管がむき出しになっているが、持ってみたことでこの魚雷が爆発しないことが分かった。

 中身が無いのだ。軽い。

 冷静になって周りを見てみると、狭い船内の床には艤装が散らばっている。船体についた傷も、空襲や砲撃を受けたような跡ではなく、中で誰かが暴れたようなものだ……。

 

 

「ここで何が起こったのです……」

 

 

 司令官さんの傷口を押さえながら、ぼそり、と呟く。

 

 

「駄目だわ。全然繋がらない……。この船の無線機も壊れちゃってるし、どうなってるのよ、もう」

 

 

 口を尖らせて不満を言いながら、暁ちゃんが近くによってくる。

 

 

「取り敢えず、救難信号は出したわ。近くを通った艦娘がいたら来てくれるはず。理想はヘリとかを呼んでもらえると嬉しいんだけど、制空権の都合上、結局ある程度は引っ張っていくことになりそうね」

 

 

 暁ちゃんが深く息を吐いて、私の隣に座る。すん、と鼻をならし、司令官さんの右足を見つめる。

 

 

「大丈夫なの……?」

 

「早い段階で止血処置は行われていて、内臓の損傷も無いのです。危険な状態ではあるけど、ちゃんとした治療を受ければ助かるはずなのです」

 

 

 暁ちゃんが無言で頷く。司令官さんの額に手を載せて、少しずつ言葉を放つ。

 

 

「私が何を聞いても……はぐらかすだけだった……。司令官が私達に何かを隠しているのはわかってた……」

「もしかしたら……私達にはどうしようも出来ない事だったのかもしれない。司令官も……私達の助けなんて必要ないって思ってたのかもしれない……」

「それでも……私は……司令官に生きて……幸せになって欲しかった……司令官はひどく不器用で……緊張しいで……後ろ向きで……優しかったから……」

 

 

 唇を強く噛んだ暁ちゃんが、血で黒く染まった司令官さんの服を握りしめる。

 

 

「うそ、つき」

 

 

 殆ど言葉になっていない呻き声だった。褐色に染まった司令官さんの服に、ボツポツと涙が落ちる。

 

 

「内地での安全なお仕事って言ってたじゃない。苦しかったら逃げちゃえば良かったじゃないのよ。こんなボロボロになって、私達が喜ぶとでも思ったの。司令官は1度も私に相談してくれなかった!」

 

 

 暁ちゃんの慟哭は止まらなかった。何度も、何度も司令官さんに問いかける。それでも司令官さんは起き上がらない。

 私はそれを、無力感に苛まれながら、ただただ眺めていることしか出来なかった。

 

 

『暁。会敵だ! 駆逐イ級に重巡フラグシップ。敵の本隊も控えてるかもしれない』

 

 

 響ちゃんの、冷静ではあるが緊張を孕んだ声。とうとう見つかってしまった。

 その報告と同時に、船のひび割れた窓が激しく揺れる。緑色の美しい翼が、夕日を鋭く跳ね返す。

 

 

『グッドニュースもあるわね! 南東から天山村田隊!』

 

 

 轟音をたてながら、この船を覆い隠すように無数の艦載機が、美しい編隊を組んで現れた。

 

 

『翔鶴さんと瑞鶴さんが来てくれたわ!』

 

 

 暁ちゃんが、唇を強く噛み締めたまま、ぐっと帽子を深くかぶり直した。司令官さんが、作戦の前にやるルーティーン。暁ちゃんは、いつからかそれを真似るようになった。

 私に軽く目線を送り、まばゆい光を放ちながら艤装をまとう。

 

 

「暁改二、出撃します。司令官を絶対に連れて帰るんだから!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ◇

 

 

 

 白い制服を身にまとった老人が、駆逐艦の子達に囲まれている。一人はその老人の腕に抱きつき、もう一人は折り紙で作った勲章の様なものを差し出している。

 皆が笑顔だった。秘書艦を務めていた鳳翔さんも、長門さんも、翔鶴姉も。普段無愛想な加賀さんですら、薄い唇の端を上げていた。

 まだ宮下元帥が大怪我を負う前の、横須賀鎮守府の日常。

 加賀さん達と切磋琢磨して、他の子を守ることが出来るようになって。ヒトとして二回目の人生を歩むことになって、次こそは守り通すと、この国と、艦隊の皆と、元帥さんと……、そう、誓ったんだ。

 

 

「楽シカッタ、幸セダッタ、記憶ノ欠片。モウ二度ト見ルコトハデキナイ、アノ光景……」

 

 

 私の隣で、見覚えのない子が呟いている。青白い肌に、赤い瞳。白い髪は天に向かって逆立っている。

 私とその女の子の周りには、青白い彼岸花が輝きながら咲いていた。私はただ、懐かしいあの光景を、呆けたように眺めていた。

 

 記憶の画面が切り替わる。体中を管で覆われた、ベッドに横たわる宮下元帥の姿。面会するたびにやせ細っていく身体が本当に痛々しかった。

 

 

「アナタガ、空ニ穴ヲ作ッテシマッタカラ、元帥サンハ襲撃ヲ受ケタ」

 

 

 白い髪の女の子が、笑いながら詰め寄ってくる。

 

 

「違う。私は、与えられた任務をちゃんとこなしていた。あの空襲は事故で、誰も悪くはなかった!」

 

 

「デモ、アナタハ罪悪感ヲ感ジテイタ。ダカラ自分ヲ責メテ、ソノ鬱憤ヲ彼ニブツケタンデショウ?」

 

 

 また画面が切り替わる。暗い執務室に、男が一人座っている。左手から血を流し、怯えた表情で私の事を見上げている。

 

 違う。違う違う。私はただ、提督さんの手を振り払おうとして、提督さんを傷つけるつもりなんてなくて。

 

 

「アナタハズゥットソウ……言イ訳バカリデ、自分ニ都合ノ良イコトヲ考エテバッカリデ……」

 

 

『瑞……ん……! ……っ……響……!』

 

 

 遠くの方で、爆音が聞こえた気がした。暗闇に包まれた空間が、振動し、崩壊していく。

 白い髪の女の子が、私の顔を両手で掴み、青白い唇をゆがませ、愉快そうに笑う。

 

 

「ナニガ皆ヲ守ルダ、アナタガ変ワラナイ限リ、誰モ救エナイ。暁モ、響モ、翔鶴姉モ、提督サンダッテ……」

 

 

『もう駄……全滅す……暁……』

 

 

 彼女の目が充血し、赤い涙を零す。紅梅色の水晶の向こう側に、怯えた顔の私が見えた。

 黒い背景がひび割れ、鋭い夕日が差し込んでくる。潮と、煙と、血の匂いが流れ込んでくる。

 黒とオレンジが混ざり合って、白い光になっていく。足元に咲いていた彼岸花の花びらが、上へと昇っていく。

 

 

 

 

「アナタノセイデ、ワタシノセイデ、皆ココデ沈ム」

 

 

 

 耳鳴りと共に、目の前で炎が上がった。私によりかかるようにして倒れた黒い物体が、翔鶴姉だと判るのに、少し時間がかかった。

 

 瑞鶴、逃げて。と言って、翔鶴姉は動かなくなった。世界の流れが、やけに遅くなっていくのを感じた。

 

 目の前に現れたレ級が、ケタケタと笑いながら翔鶴姉ごと私を蹴飛ばした。ぐるぐると回る視界の淵で、翔鶴姉の身体がバラバラになっていくのや、動かなくなった響と暁の姿が見えた。

 

 レ級が、倒れた私に覆いかぶさって、首を絞めてくる。頭に血液が集中して、焼けた鉄を押し付けられた様に熱かった。意識がなくなっていく。苦しさを通り越して、何も感じなくなっていく。それでも、私の頭の中にあるのは、提督さんのことだった。

 私がごめんなさいって言ったら、あの人はどんな顔をするのかな。翔鶴姉も駆逐艦の子達も守れなかったし、多分私も死ぬけれど、優しいあの人はそれでも許してくれそう。きっと、いつも見せていたあの苦しそうな顔をした後に、全てを受け入れてくれるんだ。

 だって、あの人は底抜けに優しいから。私の提督さんだから。瑞鶴がどんな姿になっても、どんな最期を迎えても、きっと大丈夫。

 

 ごめんなさい、提督さん。愛してる。

 

 

 サヨウナラ。

 

 

 レ級の首に向かって手を伸ばし、アルミ缶みたいにぐちゃぐちゃに握りつぶす。血の泡を吹きながら、苦しそうにもがき、それでもなお笑っているレ級を、力の限り蹴っ飛ばす。

 近くにいたリ級が、驚いた様子で私の方を振り向く。目をえぐり、膝で腹を蹴り上げる。上半身と下半身が別々の方向に飛んでいった。

 無表情で立ち尽くしているヲ級の艤装を、はまぐりを開く様に引き剥がす。甲高い叫び声が気に入らなかったので、持っていた杖を喉奥に無理矢理刺し込んだ。

 周りにいた深海棲艦共も、同じようにひねり、つぶし、壊していった。

 地平線の向こうが輝いている。とても晴れやかな気持ちだった。もう数分もすれば、夕日は完全に沈みきってしまうだろう。

 凪ぎ、静かな海の上で、独り立つ。唇についた血と油をなめとり、浅くため息をつく。

 

 

「瑞鶴ノ艦載機()達、皆死ンジャッタ……」

 

 

 再度溜息をつき、西の空を見る。本当に美しかった。黄金に輝く、空と海が交わる最高の情景。深海棲艦共が出すうめき声も、煙も、水に浮いた油が燃える臭いも、全く気にならないほどだった。

 

 

「提督サン、無事カナァ……」

 

 

 瞬間、轟音のあとに、水柱が上がる。何度も水面にたたきつけられ、炎で肌が焦げる。

 そりゃそうか。こんな敵地のど真ん中でちんたらしてたら、増援が来るのは当たり前だよね……。

 煙の向こう側には、おびただしい数のフラグシップ、鬼級の姿。壮観だった。

 笑みがこぼれる。もしこいつらを少しでも沈めていったら、提督さんは喜んでくれるかな。

 ズタズタになった手を持ち上げる。へし折れていた筈の弓は、おどろおどろしい生物へと変わっていく。

 私がどうなってもいいから、ただ、提督さんに報いたい。私の頭にあるのは、それだけだった。

 主砲を持ち上げ、敵に狙いを定める。だが、深海棲艦を炎に包みこんだのは私の砲撃ではなかった。

 

 

「戦艦武蔵、推参! 主砲、一斉射だ。薙ぎ払え!」

 

「Ark Royal攻撃隊、発艦! 逃がすな! Swordfish shoot!」

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