財布が寂しくなったというよりは、元の状態に戻っただけなのだが、それでも少し落ち込む。
どうせ女物は滅多に着ないんだから、別に一着でもよかったのではないだろうか。しかしもはや後の祭り。
「次はどうしましょうか!」
「え、ああ、そうですわね……」
なんだかもう終わった気になっていたが、遥とのデートは未だ継続中だ。
でも、そもそもデートって何すりゃいいんだろう。どうせこいつと一緒じゃ予定なんか役に立たないと思い、ほとんどノープランのまま来てみたが……今日の遥は思ったより大人しい。休日だからだろうか。狂犬を散歩させるつもりで意気込んでいたら、元気有り余る普通のワンちゃんだったというか。まあどちらにせよ犬なんだが。
「ふむ……」
顎に手を当てて考える。が、いい案は出てこない。そろそろ昼食にすべきかとは思うが、女子が行くような飯屋に関する知識なんて皆無だ。というか「飯屋」っていう言い方がもう男臭い。
思えば、それ以前の問題として、俺には知り合いと遊んだ経験自体がほとんど無い。中学までは友達もいたが、
「あのあの、お姉さまの方で希望が無いなら、わたし、一緒に行きたいところあるんですけど……」
「そうですか? なら、遥に任せます」
「その、お、怒らないでくださいね? 悪気があって、提案するわけじゃないんです……」
「はあ。どこに行くのかは分かりませんが、別に怒ったりはしませんわよ」
「ごめんなさい……死にます……」
「もう対処法がわからないのですけど、この子」
カッターナイフを自分の首筋に当てだす遥を、腕力で無理矢理取り押さえる。大人しいは大人しいが、これはこれで面倒。今日はヤンデレというよりメンヘラ寄りになっているらしい。
なんとか持ち直した遥に連れられ、デパートを出る。
でも、もしやたら格式高い店なんかに連れて行かれたらどうしよう。わからんぞ、作法とか。
前にクレープ食べに行った時のカフェも結構お洒落な店だったが、もしあそこ以上だったら俺では対応出来ない。演技でそれっぽくは出来るけど、あくまでそれっぽいだけだし。
正直マ○クや○イゼとかにしてくれると嬉しい。でも、遥は俺に妙な幻想を抱いているし、そういう店には絶対連れてってくれないんだろうな……。
「ここです」
視線の先に見えるMの看板。普通にマッ○だった。
「……え、ここですか?」
「や、やっぱり駄目でしたよね、死にます……」
「いえ、嫌というわけではなくて、どうしてここなのか気になって」
「その、お姉さまは箱入りの令嬢でしょう?」
「違いますけど」
「こういう店には来たことがないでしょうから、その、もしハンバーガーとかを食べたら、どういう反応をされるのか、気になってしまって……」
ナチュラルに否定の言葉を無視されたが、もしや遥のやつ……。
「あの、あの、駄目ですよね。お姉さまがこんなの食べちゃ……」
「……あー」
ここまでの会話でなんとなく察する。
もしや遥のやつ――「今まで品の良い健康的な料理しか食べさせてもらえていなかった箱入りのお嬢様が、初めて出来た庶民の友達とファストフードチェーン店に行ってジャンクフードを食べ、『わたくし、こんな美味しい物初めて食べました!』などと今まで味わったことのない新鮮な味わいに感嘆の声を漏らす」みたいな――フィクションでたまによくある、現実にはそうはならんであろうシチュエーションを……実際にやってみたい、のか……?
俺は遥の表情を観察する。が、元より感情を顔に出しまくる彼女のことだ。俺の想像通りのことを考えているのが、一目見てわかってしまった。
「……え、えぇ……」
……な、難易度が、高い……。
目を瞑り、額に人差し指を当て、考え込む。傍から見た今の俺は、きっととんでもなく複雑な表情になっているだろう。
「うーん……」
どうする? 普通に断ってもいいが、メンヘラ寄りになっている今日の遥を落ち込ませるのはマズい気がする。というかそもそも、俺は遥を危険視しているだけで、嫌っているわけではないのだ。今も、「遥のくせに割と可愛らしいこと考えるんだなあ」と少しほっこりさえした。まあそれはそれとして危険ではあるからさっさとブタ箱にぶち込まれてほしいのだが。
「…………っ」
おどおどとこちらを伺う遥。恐縮してはいるが、瞳の中には抑えきれないキラキラが混じっている。うーわ、断りづら。どうしようこれ。
……仕方ない、やってみるか。服選んでくれたし、そもそも今日の外出は美咲に勝たせてくれたお礼的な部分もあるし。
「……へぇ、わたくし、マ〇ドナルドなんて初めて来ましたわね! 前々から興味があったのですけど、家の者が食べさせてくれなくて……行ってみましょう、遥!」
「は、はい! やったっ、えへへへへ……!」
普通に喜ぶヤンデレ。不覚にも少し可愛いと思ってしまった。でも今になって好感度上げても流石に無理だからな。初対面の時ならともかく、本性出した後じゃもうフラグバッキバキに折れてるからなお前。
「わあ、随分と混んでいますのね。どうやって注文するのでしょう?」
「そこのカウンターで注文するんですよ! 並びましょうっ、お姉さま!」
すごいウキウキしてる。確かに俺だって友達に世間知らずのお嬢様がいたらこういうことやりたくなるかもしれないけども。
遥のオススメに従ってチキンフィレオを注文し、トレイを持って席につく。
手にソースがつかないよう恐る恐る包装を開ける……感じの演技をしつつ、ついに実食。いや、実際にはついにも何もないのだが。
「…………」
無駄にゆっくりした動きで、あ、と口を開く。そして、耳元で髪をかき上げながら、そぉっとバーガーを口に運ぶ。
焦らす意図があるわけではない。ただ、求められる演技の繊細さに緊張しているだけだ。しかしモタモタしている内に、いつの間にか遥だけでなく周囲からも視線が集い始めてきた。やめろやめろ。見せもんじゃねえんだぞ。
そうやって幾秒か粘った結果、なんとか脳内で台本を作り終える。決意するようにチキンフィレオを口にする。
「……。ん……っ!?」
二度咀嚼して、驚いたように口元を抑える。まあ別に驚いてないけど。普通にチキンフィレオだけど。
遥のドキドキとした視線を浴びながら、再度もぐもぐ。そして、感嘆といった雰囲気のため息を漏らし、呟く。
「……すごい、美味しい……! わたくし、こんなの初めて食べました! こんなに美味しいものが世の中にあったのですね!」
「! あは、やったっ……! はい、はいっ! 美味しいですよね、マク〇ナルド!」
喜色を満面に浮かべる遥。ここまで喜ばれると俺の方もちょっとは嬉しい。俺はにこにこと笑顔を浮かべながら、チキンフィレオを美味しそうに頬張っていく。
「ふふっ、本当に美味しい……♪ ありがとうございます、はる――」
そこで、くすり、と微笑むような声が聞こえた。反射的にそちらを見る。紙園の生徒と思しき、高校生のグループ数名。
「あっ……」
そしてその中でもひと際目立つ、ポニーテールの小柄な少女。
カジュアルかつ秋らしい装いをした、私服姿の美咲が、微笑ましげに、こちらを、見て――
「ご、ごめんね赤坂さん。別に馬鹿にしたわけじゃ――」
「みゃぁーーーーー!?!?!?!?」
すごい声が出た。俺は机に手を着いて立ち上がり、慌てて美咲に向かって叫ぶ。
「ちちちちち、違いますから! これはその、ええっとあの、アレなんですから! か、かかか、勘違いしないでくださいま――って、ああっ!?」
二の舞! 前回の二の舞! またツンデレになった! そんなつもりじゃないのに!
「とにかくちが、違うんですから! 別にそんなに美味しいなんて思ってな――」
「実は美味しくなかった、ですか、お姉さま……?」
「いえ、だから、お、美味しかったですけど! なんですかこの挟み撃ち!」
俺はバーガーとドリンクポテトを小脇に抱え、美咲に対して指をさす。
「いいから、これはそういうんじゃないのですからね! 後で覚えてなさい! いえ、忘れなさいもう!」
「口封じ、いたしましょうか?」
「しなくていいですから! 行きますわよ、遥!」
かき上げるように髪を梳き、遥の手を取る。意図せずテイクアウトする形になりながら、俺は逃げるように店を飛び出すのだった。