私が髪を伸ばすまで   作:瑞穂国

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ウォー×フッドの百合妄想という爆弾を抱え込んで早四年

ついに爆発したのでここに爆弾を置いておきますね☆


私が髪を伸ばすまで

 彼女の髪を梳かすのが、私の日課だった。

 朝、艦隊の誰よりも早く起きて、自分の身支度を済ませ、彼女の部屋を訪れる。いまだ微睡みの中にいる彼女を起こして、他愛のない会話とともに彼女の髪を梳かす。それが、私――ウォースパイトにとっては、掛け替えのない日常だった。

 彼女は、羨ましいぐらいに優美な金髪をしていた。生糸のような髪はしなやかで、手触りも櫛通りも心地よい。風を孕めば、天翔ける翼の如く。雨が滴れば、水面に遊ぶ湖の精(ヴィヴィアン)の様。そして陽の光を受ければ、輝きたゆたう海のように。誰もが見惚れるその金髪を、彼女は腰近くまで伸ばし、なびかせていた。

 その髪に触れる栄誉を、私は彼女から授かっていたのだ。

 彼女は、その名をフッドといった。イギリス戦艦――いいえ、イギリス軍艦の名を問えば、百人中百人が彼女の名前を上げる。勇壮にして優美。華麗にして果敢。最も美しい軍艦、工学美の頂点、海上宮殿の名を欲しいままにする、イギリス海軍随一の戦艦、その艦娘。それが彼女。

 その名に違わぬ――あるいはそうあろうとしたのか――と言うべきか、彼女という艦娘も、イギリス海軍随一の艦娘だった。見目麗しく情けあり。端麗な容姿と、柔らかな物腰、挫けぬ心情。淑女の心得、紳士の嗜み、騎士の誓い、全てを欠けることなく、違和感なく、内在させる。皮肉屋の国民が、彼女にだけは諸手を挙げて降参した。ありとあらゆる者が――民も、王室も、そして艦娘も、彼女を慕い、憧れ、称賛して止まなかった。

 そんな彼女の、唯一の――私以外の誰も知らない、弱点。それが朝だった。

「ウォースパイト。朝、私を起こしていただけないかしら」

 建造されて間もないころ、たまたま隣室だった私に、彼女がそう声を掛けて来たのが、始まりだった。以来、私は朝になると彼女の寝室を訪れるようになった。いつの間にやら、そこへ髪を梳かすことが加わった。

 本国艦隊旗艦である彼女の副官となっても、この日課が変わることはなかった。いいえむしろ、より大手を振って、彼女の寝室を訪れることができるようになった。

「フッド様の御髪(おぐし)は、本当にお美しいですね」

 それが私の口癖だと、彼女は笑って指摘した。櫛を入れる度、手で触れる度、私はそう呟くのだという。自覚なく発露していた本音を、私は赤面して認めるしかなかった。それほどまでに、彼女の髪は美しく、魅力的だった。

「ありがとう。貴女の髪も綺麗よ、ウォースパイト。伸ばしてみたら素敵なのに」

 彼女が触れる私の髪は、同じ金髪でも、彼女のものとは程遠かった。櫛通りが悪いから、少しでも手入れしやすいようにと、短くしている。肩口で揃った毛先は、それでもしなやかとは言い難い。華やかさとは縁遠い。何度も伸ばそうとして、でも結局、私は断念し続けていた。

「伸ばしたいのなら、一度試してみなさいな。ただ諦めるなんて、もったいないわ」

 そう言って毛先に触れる彼女の手がくすぐったかった。彼女は、「髪を伸ばしたら、その時は似合いのドレスを一着、プレゼントしましょう」と約束してくれた。

 

 ドレスに釣られたわけではないけれど。ある日思い立ち、私は今度こそ、髪を伸ばす決心をした。彼女には及ばなくとも、彼女と同じように、してみたかった。やはりどうしたって、彼女は私の憧れだった。

「髪、伸ばしているの?」

 真っ先に彼女が気づいてくれた時は、心臓が早鐘を打つほどに嬉しかった。相も変わらず、はっきりと口にするのはむず痒く、歯がゆく、照れくさくて、私は伸びかけの毛先をいじり、頷くのがやっとだった。そんな私の内心を知っているように、彼女は柔く微笑んだ。金の睫毛に太陽を宿し、笑っていた。

「約束通り、ドレスを見繕わなくては、ね」

 美しいウィンクを一つ決めて、彼女は泊地を出立した。その日は、彼女の出撃の日だった。

 高鳴る胸を押さえて、彼女たちを見送った。風に揺られる自分の髪が、無性にこそばゆかった。

 

 その日、彼女は帰ってこなかった。

 

 深海棲艦戦艦部隊と死闘を演じた彼女直属の艦隊は、多くの艦が傷つき帰投した。その中に彼女の艦影はなかった。欧州最大を誇った巨躯も、勇猛の象徴たる主砲も、尖塔の如くそびえる艦橋も――軍艦美の極致と称された彼女の艦は、待てど暮らせど、泊地には現れなかった。

「ごめん、なさい……っ!フッド様は……フッド、様は……っ」

 滝のように涙を流す煤汚れた顔が、私に全てを理解させた。

 彼女はもう、帰ってこない。人々が慕った戦艦は、艦娘が憧れた淑女は、イギリスが恋したあの人は――私の愛した彼女は、その身を海へ還したのだ。

 私は、いつも彼女がそうしていたように、目の前で泣きじゃくる少女の背をさすり、その嗚咽に寄り添い、「大丈夫よ。よく、頑張ったわね」と声を掛け続けた。

 不思議と涙は出てこなかった。こんな日を覚悟していた、わけではなかった。頭は悲愴と悔恨で埋め尽くされ、心臓は潰れるほどに痛かった。それでも、感情と痛みを吐き出す涙が、こぼれなかった。あるいは目の前の少女が、私の流すはずの涙をも、流しているのではと思った。

 彼女の死を、イギリス中が悼んだ。国王陛下は多くの国民に慕われた彼女へ哀悼の意を捧げ、一月(ひとつき)の間喪に服すと言われた。遺体すら残らなかった彼女の国葬は、多くの人に囲まれながらもどこか虚ろなものに、私には思えた。

 

 無情にも、深海棲艦との戦争は続いていた。彼女という屋台骨を失った海軍は、そして艦娘たちは、この先も戦うために、新しい旗艦を待ち望んでいた。誰かが彼女たちを率い、まとめ上げなければならなかった。

 喪服の私のもとに、新たな旗艦の辞令が届いた。彼女の代わりを務めろと、海軍は私にそう命じた。けれど、どうしても首を縦には振れなかった。彼女の代わりなどどこにもいない。まして私が、務められるものではない。だから、私は三度、その辞令を断った。提督がただ静かに辞令を破いてくれたことが、ありがたかった。

 国を挙げての喪が明ける頃、私のもとに仕立て屋の主人がやって来た。彼女が懇意にしていた店で、私も顔見知りだ。彼は丁寧に弔意を示し、それから預かり物があると口にした。私宛だというその預かり物に、心当たりはなかった。

 洋服を入れる箱に、差出人の名前はなかった。私は恐る恐る、箱を開いた。

 中には、いつも通りに美しく仕立てられた洋服。それから――一枚の、たった一枚の、メモ書きのような、紙。

「Dear my fair lady」

 彼女の字だと、一目でわかった。流れるような筆跡、美しくも確かな線。サインをする時、レポートを記す時、手紙を書く時、幾度となく目にしてきた字だった。間違えるはずが、なかった。

 夢遊病のような心地で、箱の中から洋服を取り出した。出てきたのは、一着のドレス。舞踏会で身に着けるような、飾った、絢爛なものではなかった。普段から着れるような、カジュアルでシック、動きやすさとデザインを両立したドレス。

――「髪を伸ばしたら、その時は似合いのドレスを一着、プレゼントしましょう」

 彼女の言葉が蘇った。それが、もう随分と前の記憶に感じられた。

「フッド様は、大変熱心に、選んでおられました」

 一言残して、主人は部屋を立ち去った。扉が閉まった瞬間、ぽつり、雨が手に落ちた。

 ぽつり。ぽたり。雫が滴った。熱いものが頬を伝うたび、雨脚が強くなった。寒いわけではないのに、いいえむしろ体が燃えるほどに熱いのに、震えが止まらなかった。

 ぼろぼろと何かが零れ落ちた。抱え続けたものが、崩れて溶けていった。無くしたくない、手放したくないと意地を張ったものが、手の内から消えていった。

 そうして、この手には、彼女に送られたドレスのみが、残った。

 ()()()にはもう、彼女はドレスを選んでいたのだ。

 たった四単語の、手紙にすらならない、彼女の言葉。彼女が残してくれた、私のための、ドレス。

――「大丈夫よ。よく、頑張ったわね」

 どこからか、彼女の声が聞こえた気がした。

 

 今日、私は戴冠の日を迎える。旗艦の任を拝命した私へ、国王陛下が王冠と王笏、宝珠を授けてくださる。それらは、旗艦の象徴となる、儀礼用の器物だ。

 彼女の選んだドレスに身を包み、マントを羽織って、国王陛下の前に跪く。伸ばしかけで、肩にかかる程度の私の髪に、そっと冠が乗せられた。右手には王笏、左手には宝珠。いずれも、元は彼女の持ち物だった。

 私は今、それを――祖国を、民を、艦娘を、勝利を、未来を、彼女より託されたのだ。

 国王陛下に促され、私は集まる群衆へ向き直る。老若男女。あらゆる国民が、あらゆる艦娘が、国中の目が、私へと注がれていた。

 ……ああ、彼女も、こんな心持ちだったのだろうか。

「我が名はウォースパイト。今この時より、誉れ高き大英帝国艦隊を、偉大なる祖国を、勝利へと導かん」

「大英帝国万歳!」「ウォースパイト様に栄光あれ!」その声とともに、割れんばかりの喝采が、ブリテン島に響いた。

 一陣の風が、髪を通り抜けていく。沸き立つ群衆の中に、ふと、彼女の微笑みを見た気がした。




言いたいことは山ほどありますが、ウォー×フッドの沼に足を突っ込んだのは、間違いなく鋼鉄少女のせいなので責任取ってほしい

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