私が髪を伸ばすまで   作:瑞穂国

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ウォースパイトの髪がまだ短かった頃――

彼女と親しい女性提督と、英国が愛した艦娘との短いお話。

※オリジナル艦娘のフッド様が登場します。


彼女が髪を伸ばしたなら

 巡洋戦艦フッドの撃沈は、大英帝国に深い悲しみをもたらした。

 深海棲艦の戦艦部隊と会敵したフッドと彼女隷下の艦隊は、死闘の末にこれを撃滅したものの深く傷ついた。最後まで戦場に留まって殿を務めたフッドは、多くの艦の無事を見届けた後、その身を海に還したという。

 多くの者が――国民も、軍人も、艦娘も、王室も、誰も彼もが慕う艦娘だった。イギリスという国そのものが、フッドという船に、その艦娘に、恋をしていたと言ってもいい。それ故に、彼女を失ったという悲壮感は深く、大きく、決して簡単に癒えるものではなかった。国を挙げての葬儀には多くの者が列席し、首を垂れ、その死を悼んでいた。

 かくいう私もフッドの死を悼んだ一人だった。

 女性士官というのが珍しかったのか、フッドにはよく目をかけられていた。彼女主催のお茶会へ誘われたことも一度や二度ではない。顔を合わせれば微笑み、他愛もない会話に付き合ってくれる彼女を、勝手ながら、友人とも、そして優しい姉とも思い、慕っていた。それ故に、親しい者がこの世を去ったという事実は筆舌に尽くし難い痛みで、まさしく身を切り裂かれるような思いであった。太陽も羨む美しい金髪をなびかせ、暖かで包み込むような微笑みをもう二度と目にすることはないのかと思うと、涙が零れて仕方がなかった。

 しかしながら。フッドの死を悼む以上に気掛かりなこともまた、同時に私にはあったのだ。

 国中が悲しみに暮れ、涙を流す中にあっても、決して泣かない人がいた。誰よりもフッドを慕い、愛した人――誰よりもフッドに慕われ、愛された人。そんな彼女が悲しくないわけはなく、しかしフッドが沈んだあの日から、ただの一滴も涙を見せない友人のことが、私はとにかく気掛かりでならなかった。

 彼女は、名前をウォースパイトといった。本国艦隊旗艦であったフッドの副官を務める戦艦娘で、公私ともにフッドを支えていた艦娘であった。フッドにも劣らない金糸の髪を、細い肩のすぐ上で揺らす艦娘だった。

 私とウォースパイトの付き合いはそれなりに長かった。何がきっかけだったかは、今となってはよく覚えていないが、とにかく何かと話が合って、よくお茶をした。私をフッドに紹介したのも彼女だった。

 ウォースパイトがフッドを――その逆もまた然りで――慕っていたことは、端から見ていても明らかだった。それが、いわゆる恋慕というものなのか、あるいは単に憧憬なのかはわからなかったが、二人はそれは仲の睦まじい様子だった。

 だからこそ、フッドが沈んだという報告を受けた時、私が真っ先に駆けつけたのは、その友人の元であった。麗しの艦隊旗艦を誰よりも強く慕っていた、ウォースパイトの元であった。

 ウォースパイトは、それはそれはとても気丈に振舞っていた。いいえ――気丈に振舞っているのだと、私はそう思いたかった。深く傷つき、命からがら戻ってきたフッド直属の艦娘たちを労い、見舞い、慰め、励まし、毎日のように世話を焼いていた。「大丈夫よ。よく、頑張ったわね」と、どこかで聞いたような言葉をかけ続けていた。その瞳に涙は欠片すらも浮かんでいなかった。

 ただ、ぱたりと、私へのお茶会の誘いだけが無くなった。暇を見つけては毎日のように声をかけてきた彼女が、自室に閉じこもって一切私に顔を合わせてくれなくなった。扉をノックしても、決して返事をしてくれなくなった。胸騒ぎは日に日に大きくなっていった。

 ようやく彼女と面と向かって会えたのは、本国艦隊提督に付き添って彼女の部屋を訪れた時だった。国王陛下が宣言された、フッドの喪に服す一か月も、まもなく明けようという頃だった。

 深海棲艦との戦争が無情にも続く中、フッドという大きな屋台骨を失った海軍は、艦娘たちの心の支えとなる次なる旗艦を待ち望んでいた。その大任を任せる艦として、ウォースパイトに白羽の矢が立ったのだ。

 その辞令を伝えるために、本国艦隊提督と私は彼女の部屋を訪れた。提督が私を付き添いに選んだのは、親しい私がいればウォースパイトも気が楽になると思ってのことだろう。

 どんな理由であれ、久しぶりに友人の顔を窺えた私は、ただただ安堵の息を吐くばかりだった。ウォースパイトは、肩口で揃えていた髪がやや伸びている以外、これといって変わった様子もなかった。それがただ、無性に嬉しかった。

 しかし、肝心の本国艦隊旗艦の方は、断られてしまった。「フッド様の替わりなど、私には到底務まりません」の一点張りだった。エメラルドのように美しかった彼女の瞳はずっと伏したままで、最後まで私を捉えてくれることはなく、私の淹れた紅茶の液面を、言いようのない冷淡さで見つめていた。

 同じことをさらに二度繰り返した。ウォースパイトは決して首を縦に振ることはなく、その度に提督は、辞令の紙を破り捨てた。彼も無理強いはしたくないのだと、私は思った。

 ウォースパイトの髪は、少しずつ伸びていった。

 

 

 

 四度目の辞令がウォースパイトに届けられるより前に、私は東洋艦隊への転属を命じられた。階級昇進とセットで、本格的な艦隊指揮権を与えられるものであった。しかし、喜びは微塵もなかった。少しでもウォースパイトの近くにいたかった。離れたくはなかったし、離れてはいけないような気すらしていた。嫌な予感を毎夜夢に見た。

 そんな折、珍しく――そう思ってしまうほど久方ぶりに、ウォースパイトからお茶会の誘いがあった。気乗りせず、遅々として進まない転属支度を一も二もなく切り上げて、私は彼女の部屋を訪ねた。

 エメラルドの瞳を見たのは、本当に久しぶりのことだった。

 いつものようにお茶をした。他愛もない会話を始める前に、少しばかり近況報告をした。この日のために温めたとっておきのジョークに、ウォースパイトは笑ってくれた。

 もう、取り繕ったような気丈さは、感じられなかった。必死に封じ込めた何かを、取りこぼすまいとしていたものを、全て流しきったように。強く美しい私の友人、ウォースパイトが、そこにはいるのだと思えた。

 

「本国艦隊旗艦のお話を、受けようと思うの」

 

 二杯目の紅茶を注ぎながら、ウォースパイトは何気ない風に言った。並々ならぬ決意があったはずなのに、その言葉はとても軽やかな調べで、そよ風のような涼やかさとともに私に全てを納得させた。

 何があったのかを、改めて尋ねることはしなかった。ウォースパイトは、ようやく、フッドの死と向き合ったのだ。

 

「ウォースパイトなら、きっと立派な旗艦になるよ。私が保証する」

 

 私がそう言うと、彼女は「ありがとう」と微笑んだ。きらりと光った瞳が、ほんの一瞬、ここではない遥か遠くを見つめた。

 いつの間にやら、彼女の頬を涙が伝っていた。

 

「ごめんなさい。あなたに会えば、きっと、泣いてしまうと思ったの」

 

 扉を開かなかった理由を、ウォースパイトはそう告白した。きっと彼女は、心のどこかで泣くことを拒んでいた。泣いてしまえば、大切な人の永遠の不在を、否応なく認めてしまうから。

 

「……うん。うん。わかってるよ。でも、私はウォースパイトに、泣いてほしかった」

 

 膨らみ続ける悲しみに蓋をすれば、いつか自らの身が弾けてしまう。抱えきれないものを涙に溶かして流さなければ、それはいつか溢れて心を壊してしまう。友人にそうはなってほしくなかった。

 

「……ええ、そうよね。私、泣いてよかったのよね」

 

 ウォースパイトはぽろぽろと雫を零し続けた。けれど同時に、とても穏やかに、柔らかに、微笑んでいた。肩に触れる髪を揺らして、泣きながら、笑っていた。

 その日以来、私が本国を出立するまでの一週間、私たちは毎日お茶会を開いた。他愛もない、取るに足らない、いつも通りの会話に笑い合った。

 フッドの話も、たくさんたくさん、した。私たちの自慢の、素敵な友人フッドの話を、たくさんたくさん。

 紅茶だけが映す私たちのささやかな日常に、フッドの微笑みも混じっていたような気がした。

 

 

 

 新たな本国艦隊旗艦の就任を報せる記事が、二日遅れの新聞の一面を飾っていた。「ウォースパイト様、戴冠の儀」と大きく踊る題字、就任を祝福する記事、大歓声を送る民衆の写真。それらに囲まれるウォースパイトは、艦隊旗艦の証である三種の器物――王冠、王笏、宝珠を国王陛下より授かり、儀礼用のマントをはためかせて、凛とした表情で立っていた。

 

「我が名はウォースパイト。今この時より、誉れ高き大英帝国艦隊を、偉大なる祖国を、勝利へと導かん」

 

 彼女の言葉にブリテン中が喝采を上げたと、興奮気味な記事が語っている。隅から隅まで第一面を読んだ私は、ようやく新聞を開いて中身に目を通す。

 とはいっても、その日の新聞は内容の大半が新旗艦に関することばかりで、紙をめくってもめくってもウォースパイトの写真が載っていた。嬉しいような、むず痒いような、不可思議な感覚を抱きながら苦笑して、私は紙面をめくっていった。

 ふと、一つの記事が――記事の横に貼られた写真が、目に留まった。

「ウォースパイト様の新しいドレス」と見出しが打たれた通り、写真に写る彼女は、私がよく見慣れたドレスとは違うものを着て、執務にあたっていた。

 豪華な装飾などはない。凝った刺繍も見受けられない。胸元に咲いた薔薇だけがアクセントで、非常に落ち着いた、シックなデザインのドレス。しかし不思議と目を引いた。ウォースパイトの雰囲気にはとてもよく似合っていて、彼女の温和な性格を物語っているようだった。

 私には――世界中で私にだけは、そのドレスに見覚えがあった。

 フッドが沈む一週間ほど前のことだ。その日は珍しく、ウォースパイト抜きで、私とフッドだけでお茶会をしていた。その日フッドは、彼女の贔屓にしていた仕立て屋の主人を呼んでいた。主人の持ち出した写真を、フッドは食い入るように、それは熱心に見つめていた。

 

――「ウォースパイトがね、最近、髪を伸ばしているようなの」

 

 フッドはそう言って笑っていた。髪を短くしていたウォースパイトに、彼女は日頃から「伸ばしたらいいのに」と言っていた。

 

――「髪を伸ばしたら、ドレスを贈る約束をしているのよ」

 

 ウォースパイトにはまだ内緒、ね。片目を瞑り、唇に人差し指を押し当てて、彼女は私に秘密の共有を頼んだ。フッドは一つのドレスのデザインを気に入ったらしく、それから細かに主人へ注文をつけていた。オーダーメイドのドレスは、仕上がりまで一か月ほど――丁度、私が転属の辞令を受け取った頃までかかるという話だった。

 ……あの日見たドレスを、写真の中のウォースパイトが着ている。

 

『――新しいドレスについて、ウォースパイト新旗艦は大切な人からの贈り物であるとお答えになったが、それ以上は微笑みにてはぐらかされてしまった。ドレスを送った「大切な人」が一体何者か気になるところではあるが、筆者にはこれ以上大英帝国海軍の秘密へ切り込む度胸はないので、真相は読者諸君のご想像に委ねたい』

 

 真新しいドレスに身を包み微笑むウォースパイトの写真の横で、記事はそう締めくくられていた。ゴシップ好きを煽るような文面に、今日ばかりは強く心を揺さぶられている。

 

「そっか……そうだったんですね、フッド」

 

 流しきったと思っていた涙が、ひとしずく、紙面に零れ落ちた。カメラマンへ微笑を向けるウォースパイトの、頬の上に涙が落ちる。

 フッドがウォースパイトを救ったのだ。フッドの残したドレスが、ウォースパイトに涙を流す覚悟を与えたのだ。

 

「ありがとう……大丈夫だよ、私たちは」

 

 滲んだ視界に、優しく微笑むフッドの姿を見た気がした。

 新聞を畳んだ私は、自室を出て海を目指す。東洋艦隊の本拠地、シンガポールの潮風を、胸一杯に吸い込む。それから、海軍に入って以来ずっと、短く切り揃えていた髪の毛先に触れた。

 ……どうだろう。私も、髪を伸ばしてみようか。




諸事情により取り下げさせていただいた合同誌原稿のネット掲載許可が出たので、公開いたしました。
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