この世とあの世が繋がる日――日本のハロウィンはただのお祭り騒ぎ。そんな日に花火を眺めて楽しむ鵺(ぬえ)がいた。少女の姿をしたそれは自らの伝承に則った仮装をして、しかし突然の来訪者に目を丸くする。黒い来訪者は刀を携え、鵺に殺意を向けていたのであった。

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ハロウィンの夜、幻想と人外刈りが出会ってしまって大変だ。

 日本の夜空に花火が打ち上がる。そうして赤に青にと彩られる空と雲と、人々の文明。沸き立つ人々の熱い熱狂に私は自然と頬がほころんでしまった。

 都市の人々が指一本くらいの大きさに見えるほどの高さのビル屋上、そこで私はくつろいでいた。きれいな床を選んで座り込み、柵に背を預け、身体に響く花火の音に心地よさを覚える。

 今日は10月31日。世間ではハロウィンという祭りをやる日だという。もっとも日本では宗教的な意味は殆どない。舶来した文化に便乗して騒ぐだけの日だ。

 だがこういうのは嫌いではない。羽目を外しすぎてしまう愚か者もいるが、大抵は節度を守って楽しんでいる。私もそのひとりだ。誰にも迷惑をかけず、そしてひっそりと歓声と花火を眺めている。

 そしてひとりの時間は終わってしまった。がちゃりと重い音がした。ここの扉はかなりの重さがある。女の細腕で押すにはすぐに出来ることではなかった。

 

 ビル屋上にやってきたのは若い男だった。まだ二十歳にもなっていないだろうその男は闇に溶けるような古めかしい外套に街の明かりによく映える白の手袋をしていた。

 少し昔の人間の仮装だと思った。左手に握る一振りの刀も良く出来ている。流れ者がコンセプトなのかもしれない。

「やあ。君も花火を?」

「いいや」

 不機嫌そうなのを隠すつもりもないらしい彼は私をじっと見ている。タヌキのイラストのジャケットや柿色のロングスカート、猿のお面を横につけているのが気に入らないのだろうか。そんな仮装では質が低いと?

「逃げないのか?」

 刀を抜きつつ彼はそんなことを言う。逃げるって、誰がどこからなんのために? 私にここにいてほしくないのか?

「逃げるか、死ぬか。どちらかだ」

「トリック・オア・トリートって言いたいなら意味が違うはずだね」

「俺はお前の正体を知っている。非力そうな少女に化けているなんてな」

「はあ?」

「とぼけても無駄さ。鵺……正体不明の異系。妖怪。こんなところでなにしている」

 もしかすると彼の目には私の影が人の形をしていないように見えるのかもしれない。

 実際、彼の言うとおり私は人間ではない。もっというなら鵺――古い日本のキメラだ。あなたの言うことは正しいと言外に示すように蛇の形をした尻尾を伸ばす。

「正体を見せたな」

「だからといって殺されるいわれはない」

「いや、異の血は滅びねばならない。正しいもののために……」

 構えは堂々、威圧を伴っている。だが彼の言葉とは裏腹に強い殺気は感じ取れない。厳しい訓練は積んできたが、実際にこうする場面はあまりないのだろう。

「逃げないのか?」

「逃げる必要がどこにある? 君は殺す気じゃないんだろうし、落ち着いてお話でもしてみればお互いに良いかもしれないよ」

 怯えるか歯向かうかくらいにしか考えていなかったのだろう。彼は呆気にとられた様子でこちらを見て、だが心底愉快そうに笑い出した。つられて口元が緩みそうだったが、こらえて落ち着いているのを強調するように話し出す。

「どうしたんだい」

「そんな返しをされたのは初めてだからな。殺しに来た者を恐れず、むしろ歓迎するとは考えてもいなかった」

「実際、殺しをすること自体が初めてなんでしょうが」

「そこまで見抜くのか」

「だてに長く生きているわけではないよ」

 目を丸くする青年。今度は私が笑う番だった。

「あはは。さあ、物騒なものをしまいな。お話をするのにそれは要らないよね」

「……あんたの言うとおりだ」

 滑らかな所作で納刀を済ませた彼は隙を見せずに座り込む。だがいつでも飛び出して斬りかかることのできる体勢だ。

「さあ話してみて」

「どこから話せばいいだろうか……こういうのは初めてだ、だから上手く喋られないだろう。お前の機嫌を取るとかいうつもりは全くないが」

「なんでも良いよ。君が私を殺そうとする理由を知れれば良いんだ」

「ああ……結論から言うとな、そうやって育てられたんだ。親代わりの師匠から」

「師匠って?」

「人じゃないものを斬っていた。奴らは、お前たちは、ろくなことをしないからな。人をさらい、人を喰らい、そうして暗がりの中で生きている。師匠から教わったことだ。お前もそうなんだろう」

 黙って首を横にふる。事実、私はそうしたことなんてない。こんなに文明の開いた、こんな時代に、あからさまに古典的に振る舞うなど出来ないし、出来たとしてもしない。

「まあそうなるよな」

「信じてもらおうだなんて思ってないわ。で、その師匠ってどんな人?」

「ふん……師匠は不思議な人だった。親の代わりに育ててくれたし戦い方も教えてくれた。それだけじゃない、とても不思議な感性をしていて、一緒に過ごせて楽しかった。それにめちゃくちゃ強かった。右腕もないのに、結局最後まで俺は組手で勝てなかった」

 語る彼の目は輝いている。彼の師匠とやらは魅力的な人間だったのだろう。だが時代に浮いているように思う。古風な、それこそ何百年も前の人間ならば馴染めていたに違いない。

「でも少し前に亡くなってしまった。それから俺は師匠が遺した試練を乗り越え、いまここにいる」

「ふうん。ところで君たちはどこに住んでたんだい? 今どきそんな……いや、里親とかは全然あるけど、戦いを教えるって、そんな家とかある? ただの空手とか柔道とかじゃなくて、人じゃないものを斬っていたって……」

 彼が答えたのは聞いたこともない土地だった。本当にど田舎なのか、私が知らないだけなのか、それとも笑ってしまうようなオチがついているのかもしれない。

「ねえ」

「あ?」

「その試練ってのはなにをやってたの?」

「長い旅をしていた。師匠と住んでいた山から降りて、結構歩いた。どれほど太陽が登り、沈んだかは覚えていない。最後の目的地につくまでに色んな場所へと向かった。誰もいない洞窟、森、鍾乳洞……師匠に託された地図で祈りを捧げて、ようやくここまで来た」

「つまりここが、この街が最後の目的地ってこと。それまでにそれ、その刀を使ったことは?」

「ない。お前が初めて出会った妖怪だ」

 そこで私は笑いをこらえきれなかった。妖怪、妖怪か。妖怪だと。笑わせてくれる。

「なにを笑ってやがる」

「いや、だってさ、おかしくってさ」

「なにがだ」

「私が妖怪なんだって? ははっは、マジで? すごいね、笑うなってのが無理だよ」

「お前が妖怪だと認めただろ!」

「いや? 私がいつ、自分は妖怪だって認めたかな。全く覚えがないんだけどな」

 思いっきりいたずらをするように笑う。これまでにないくらいに表情筋が張っている。彼も彼で「私は妖怪です」と言っていなかったのを理解したのだろう。苦虫を噛み潰すような顔をして、しかし絞り出すように「だがな」とこぼす。

「それだと説明がつかない。お前が妖怪じゃないならそれは、その蛇の尾はなんだ? お前の血の匂いはなんだ? 人間じゃない異の血だってことは明らかだ、しかしお前は妖怪でもない……どういうことなんだ?」

「いいかい? 君に師匠がなにを教えたのか知らないけど、妖怪なんてものは絶滅危惧、いいえ、とっくにこの世から消えていなくなっているのよ」

「バカな! じゃあお前はなんなんだ!」

「害のない寓話、伝承、幻想……昔みたいに誰かを傷つけるとか、そういう妖怪じゃない。そういうのはこの時代にはもういないんだ」

「俺の問いに答えろ!」

「だから言ったでしょ。私は害のない幻想なのよ。確かに過去には君や君の師匠が言う人を傷つけたりする妖怪はいた。でも今じゃそんな妖怪は絶滅した。進んだ文明が、時代が、私たちを絶滅させたの」

 怒りと焦りが見て取れる。きっと彼の心は堰を切ったように乱れているだろう。だが彼はそれを口にもしない。動きにも表さない。花火はそんなのを気にしないように打ち上がり、私たちを照らしている。

 大きく深呼吸して、しかしその所作はひどく時間が伸びたような錯覚を与えた。ゆっくり立ち上がった彼は私に近づいてくる。抜刀する雰囲気は全くない。

「なら」

「え?」

「なら、俺は、俺や師匠はどこから来たんだ?」

「分からない。知る由もない。でも考えることはできる」

「どういうことだ」

「今日がなんの日か知っている?」

 私の横に立った彼は静かに首を横に振った。本当に彼は普通の世間から隔離されたような場所で育ったのだろう。私はどう説明するか迷い、とりあえず口を開く。

「ハロウィンっていうの」

「はろ、ういん?」

「元々はこの国の行事ではないの。どこだったかの国の……悪霊を追い出したり秋の収穫を祝うお祭り。宗教的な催し物よ、確か」

「確かって、お前」

「私だってこの間教えてもらったばかりだし、あの子が正しく知ってるとも限らないし。で、教えてくれた子が言うには、この国でやっているハロウィンってのは商人がカネを儲けるために文化を引っ張ってきたってところらしいわ」

「だからこの街はどこもかしこもお祭り騒ぎというわけか。しかも、こんな夜中に。お前みたいな人ならざるものが他にもいるだろうに」

「だから危ない妖怪は絶滅したんだってば。で、ハロウィンの話の続きね。かぼちゃをくり抜いて提灯を作って飾ったり、子どもたちが『ごちそうをくれないと悪戯をするぞ』と言ってまわったりするのよ」

 私の話に彼は耳を傾けている。興味がないわけではないらしい。黙って聞いてくれるのであれば、私の口も軽く、なめらかになっていく。

「そもそも『ご馳走か、いたずらか』なんていうのはね、人々が仮装をするからよ。わかる? 例えば妖怪の格好をする、とかね。説明の意味わかる?」

「わかるが、そんなバカな。妖怪に扮するなどどうして危ないことをする?」

「仮装をしないと危ないからと聞いたわ。ハロウィンの日は悪霊を追い出すって言ったよね、この日になると悪霊と、あとご先祖様の霊も来るっていうの。あの世と繋がるのよ」

「それが理由ってことか」

「悪霊は人にとって都合の良くないことばかりする。例えば人さらいとか……だから悪霊を脅かしてしまおうと考えた。そのための仮装よ」

「街を見た限りじゃそんな風には見えないが。あれじゃお笑いだ。脅かすならもっと気合の入った仮装をすべきだ」

「この国じゃそういう宗教的な意味は殆どない。外国の文化に乗っかってお祭りしようねってだけだから。でも大本のハロウィンで仮装する理由は、悪霊から身を守るためってとこ。で、仮装した子供が『ご馳走かいたずらか』なんて言ってね。大人たちはあらかじめお菓子を用意して渡すって流れよ」

「お菓子? ご馳走がお菓子だって?」

 そういうものなのよ。言ったでしょ、商人が引っ張ってきた文化なのだって。言い切って見せたが彼の反応は良くない。

 

 

 

 彼が短く激しく首を横に振ったのはさほど時間がかからなかった。

「はぐらかそうったってそうはいかないぞ」

「え?」

「俺や師匠はどこから来たんだって話だよ。答えがハロウィンとかいう異国の祭りの話を聞かされて、全く答えになってないぞ」

「なってるよ。断言は出来ないけど考えることは出来ると言ったよ」

「どこがだ」

「言ったでしょ。この日はあの世と繋がるって。あの世だけじゃない。不思議な力を持つ『場』と繋がっている」

「場ってなんだ?」

「神秘体験ってやつを引き起こす領域のこと。私のような人じゃない異の血が存在できるのも場のおかげ……私も全部はよく分かってないけどね。でも人間の科学や常識や生活水準なんかは、かつて危険だった妖怪を絶滅させるほどに進歩した。夜道を歩くとなにがしという妖怪が現れて喰われちまうなんて脅しは通用しないし、そもそも古典的すぎる脅しを使う人はいない。オバケなんて実在しない……そう信じさせる程度には人類は進歩して、場も衰えていった」

「……そうなのか?」

「このハロウィンだって宗教的な意味を持ってやってるのって、発祥の国くらいなんじゃないの。伝統だなんだっていってさ。でも……進歩した人間にも説明がつけられない不思議な現象が起こることがある。『場』は私が思うに、なにかを信じてる人の力が生み出している……のかな」

「師匠も似たようなことを言っていた。妖怪を斬るのに大切なのは、自分が殺すのだ、殺せるのだと信じることなのだって」

「その師匠ってのもなんか怪しいな。もちろん君も。嘘ついているんじゃないかと疑ってるわけじゃない。ただね、思うんだ。『場』が君をここに連れてきたんじゃないかって。君の師匠は、君をここに送ろうとしたんじゃないかって。妖怪を倒すってこと、継がせたくないんじゃないかってね」

 彼は息をつまらせた。だが私に一歩詰め寄って険しい顔をする。

「そんなわけがあるか!」

「別の場所、別の時代、別の世界――実際そうなのかはよくわからない。でもこの時代じゃ妖怪を信じているのは君くらいのものだよ。それも絶滅した、人にとって危険なやつを信じてるってのはさ」

「師匠は俺に全部託してくれたんだぞ!」

「思うにそのお師匠さんが課した試練ってのが怪しいな。色んな所に行って祈りを捧げたんだって?」

「妖怪を斬るための力を授けてもらう試練だったんだ! それがどうだ、見たことのない石の塔が立ち並び、人々はお祭り騒ぎで、しかも今日はハロウィンだとか言いやがる」

「……お師匠さんは君に死んでほしくなかったんだと思うよ」

「なにっ」

「死んでほしくなかったんじゃないかって。なんとなくだけど分かるよ。私や私たちがまだ害のある妖怪だった頃、親は子供に『妖怪に食べられる』とか言って育てていた。それは事実だった。子供に殺されてほしくないから、心から真剣にそんなことが言えていたんだ」

「なんの話だ」

「文明が進んで私たちは忘れ去られようとしていた。あるいは害のない伝承として伝えられようとしていた。そのなかで私は希釈する同胞たちを見て消えてほしくないと願った。でも……私たちの脅威に晒されなくなった世の中を見て、これはとても良いことなのだと思った。そう思うように伝承として生まれ変わったのかもだけど」

「だから、なんの、話だ!」

「君とお師匠さんがいたところは害のある妖怪がいたんでしょ。お師匠さんは妖怪を殺していたんでしょ。でもそれは危険を伴う行為だった。危険に満ちた世界を生きるために知恵と技術を授けて、そしてお師匠さんは考えを変えたんでしょうよ」

「俺は師匠の跡を継ぐと誓ったんだぞ! あの時、師匠は、笑って逝っちまって、試練を頑張ってこいって……それがどうして、俺を戦いから遠ざけることを選んだなんて言えるんだ!」

「お師匠さんが君を愛していたから。戦い続けることが正しいことじゃないって伝えたかったから。無用な争いのない世界に君を導きたかった。愛する人を死なせたくなかった。人じゃない私でもわかる。人の君ならもっとわかるよね」

 私の言葉に彼は顔を上げる。私をきつくにらみ、だが端正な顔立ちは少しずつ赤くなっていた。それが怒りからくるものではないことくらいひと目でわかる。

「もし、あんたの言う通りだったとしたら」

「うん」

「俺は何をすべきなんだろう。ここには師匠が殺してきたような妖怪はいないという。だが俺にはそれが本当かどうかすらわからない。元の世界に戻るべきなのか? いや、あんたの言うことがあたっているのか、それを確かめるべきなんだろうな。あれこれ考えるのはその後だ」

「うん。その方がいい。私だって君に何が起きたのかさっぱり分かっちゃいないんだ。でも行動を起こすのも考えるのも、時間ならたくさんある――」

 私が言葉をつまらせたのは花火の音が原因じゃない。足元から聞こえる男の怒鳴り声だった。

 

 花火の音や祭りの喧騒に紛れてはいるが、確かに怒鳴り声は聞こえる。喜びの祭りにまったく似合わない。

「おいコラ、どこ見て歩いてたんだよ」

「女連れてるからっていい気になんなよ小僧」

 柵からやや身を乗り出して様子を見てみると、怪物に扮装した三人組が一組のカップルを路地裏に追い込もうとしている。

「――でも、いまは時間がない」

「なんだって?」

「君の修行の成果ってやつを見せてほしいな。あそこで人が絡まれている。あの二人を守ってやってほしい」

「なるほど、穏やかじゃなさそうだな」

 言うなり彼は抜刀して柵から飛び降り、ビルの壁に突きをいれる。深い傷跡を残して彼は刀にぶら下がる形で止まり、全身で刀を引っこ抜いて着地を決めた。

 私も飛び降りてビルの壁に手をかけ滑り落ちていく。人を殺めるとされた妖怪時代の力は欠片も残っていないが、こうした動きが出来ないわけじゃない。人間離れした動きでやってきた私たちを見てカップルも三人組もおったまげている。

「なんだァ!?」

「コイツらどこからッ」

「ビルの壁を滑り落ちて来やがったッ!!」

 左から包帯男、ゾンビ、狼男が叫んでいる。だが匂いでわかる。こんなのただの仮装をした人間だ。こちらに注意が向いているからカップルたちは逃げられるはずだが、この道は狭い。強引に通り抜けるのは難しいだろう。

 人気がないからこんなやりとりをしていても人目につかないのは幸いだった。知ってか知らずか、彼は刀を居合するように構えじっとしている。

「なんだァお前カッコつけてんのか」

「バカが漫画の読みすぎなんだよ」

 いいや。私が口をはさむ。

「伏せたほうがいいと思うけどね」

「あ?」

「私は忠告したよ」

 直後、彼は抜刀して両隣のビルの壁に連続して大きな傷がつく。ざんともだんとも聞こえる圧倒的破壊と死を抱える音の連続に三人組もカップルも悲鳴を上げて伏せている。

「冗談じゃねえぞ! なんだこりゃ!」

「刀で斬ったのが飛んできたってのかよオイ!」

「こりゃマジで漫画じゃねえか。いや、トリックだ、トリックに違いねえ。こんなのありえるかってんだ!」

 狼男が吠えてこちらに向かうが、彼が刀の刃と峰を入れ替えつつ一瞬で横に振るう。私がぎりぎり見えるくらいなのだから、狼男に扮した一般人に何が起きたのかを理解することは出来なかっただろう。

 血が噴くかわりに奇妙な叫び声を上げて狼男は横に飛び、ビルに叩きつけられてのびていた。ゾンビと包帯男がやっと理解したのだろう。悲鳴を上げてここから逃げ出そうと走り出す。だが私たちが邪魔して通れない。

「どけよッ!」

「嫌だね」

 私は包帯男の体をがっしり掴んでビルの壁に叩きつけつつ蛇の形をした尾を大きくさせて首筋に這わせる。

「んひっ」

「しゃああ―ッ!!」

 思い切り顔を近づけて威嚇するとそれだけで包帯男は気絶してしまった。大した度胸もないが人数を組めば人を脅そうと考えられるらしい。

 それが人間の強みだ。個が大したことなくても数が揃えば脅威になりえる。だが彼らは脅威の、力の使い方を間違えた。だからこうなる。

「てめえらそこどけやぁ!!」

 残ったゾンビがそこらに落ちていた鉄パイプを握りしめて向かってくるが、私の前に刀を持った黒外套の青年が割り込む。

「どけえ!!」

 返事のかわりに刀を三度振る。するとゾンビが持っていた鉄パイプがさっくり斬れ飛んでいく。早業と事態が飲み込めないゾンビは悲鳴を上げた。

「なんじゃこりゃあああッ!」

 そこで私が右の掌底を繰り出し、隣の彼も納刀しながら左の掌底を繰り出す。ゾンビに決まった私たちの攻撃はやつを悶絶させるに十分だった。

「うおおっ、こんなこと、あんの、かよ……」

「さあ。今のうちに逃げなさい」

 扮装した男たちを全員気絶させた。もう誰も邪魔にならない。

 カップルも恐怖しているのを隠しきれていないが、感謝の言葉を口々にして離れていく。そんな二人の背中に、刀を帯にさし直した彼が声をかける。

「おい」

「わっハイ!」

「今日見たものは忘れろ。これはちょっと怖い夢のようなものだ。刀を持った男も、蛇の尻尾をした女も、どちらもいなかった。無害な幻想だった。いいな?」

「わかっ、分かりました。早く行こうぜ」

 女の子の手をつないで男の子が足早にここから立ち去っていく。私たちもここに長居する理由はない。

「街へ出よう」

「そうした方がいいだろうな。なあ、あんた」

「はい?」

「俺は……妖怪の、異の血の匂いがしてここまで来て、だがあんたからするのが妙な匂いだったから、殺意を持ちきれなかった。結果的にはそれが良かったんだろうな」

 彼は先に街へと歩きだしていく。その後についていくが、彼の態度はこれまでで一番晴れやかであるように見えた。

「そういえば名乗っていなかったな」

「少しでも殺そうとしていた相手に名乗ろうなんて考えないでしょ、ふつう」

「だな。でもこれからはそうじゃない。俺の名前は――」

 ジンと名乗った。仁愛の仁だと。その名は師匠から頂いたものなのだと。とても嬉しそうに言うので、こちらもなんだか口が弾んでしまった。

「私はぬえでいい」

「まんまじゃないか。鵺だろ?」

「他に私を表す言葉があればそっちで名乗るさ」

「ふん。それもそうだ」

 機嫌を良くして仁が笑う。師匠が意味した仁愛を知るにはまだ若い彼は、しかしそれを知る素養があるように思う。

 これまで彼は人ではないものを斬るための教えを受け、私を殺そうとした。だが踏みとどまった、迷ってしまった。師匠の教えだけが全てではないと心のどこかで分かっていたのかもしれない。

 世の中や物事はあまり単純には出来ていないのだと気づいたのだろうか。気づいてなくても、時間が絶たないうちに分かるはずだ。私はそんな仁の行く末を見守り、手を差し伸べてみたいと思う。

 そのためには仁がこの世界で生きていけるように助言をしなければならない。無害な幻想として生まれ変わった私が出来ることは限られているが、何も出来ないわけじゃない。人に恐れられていた頃の記憶も、あったらいいなと思われている現代の感情も、きっと役に立つ。

 この世とあの世が繋がる夜に出会った、幻想と、人外狩りは、これから先うまくやっていけるだろう。私はそう信じている。信じられるだけの出来事だった。心からそう思う。

 

 


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