仮題:百合ゲーム世界の住人になった話 作:ぎょみそ
私には過去の記憶がある。前世なんてあやふやなものじゃない、幾度となく繰り返された歴史の記憶。
ヘッドボードに置いてあるその日起きた出来事を簡潔にまとめただけの日記を手に取った。表紙に韮沢
毎朝欠かさずそれを読み返して、安堵する。
──ああ、私はまだ
作り物の世界。私ではない、あの娘の為に作られた世界。
そう、あの娘は……私の妹は、
創造神に愛された、ただ一人の主人公。その事実に気付いたのは何周目のことだったか。一番初めの私がプレイしていた作品の主人公のデフォルトネームが一致していると気付いたのはいつだったか。
今ではもう、妬ましいという感情すら無くなってしまった。
コンコン、とノックが聞こえる。時計を見れば短針が7を指していて、尋ね人が誰なのかすぐに理解出来た。
「起きているわ」
ドア越しでも聞こえる程度の声量で告げると、ゆっくりと開く音がした。
恐る恐るといった様子で顔を見せたのは、私の実妹にしてただ一人の家族である
両親が亡くなったのは私が中学校に入学した頃だ。何度運命を変えようと藻掻いても変わることの無い事実。例えば列車の脱線事故で。例えば居眠り運転をしていたトラックに突っ込まれて。例えば不注意による火災で。
事前に回避しても、良くて数日ズレるだけで絶対に二人は命を落としてしまう。何度目かの遺体を目にした時、私の心はすっかり折れてしまった。
人とは違う私を愛してくれた両親。大好きだったはずなのに、今世ではほとんど口を聞かないまま別れてしまった。
ありのままを伝えてみようと思ったこともある。気狂いだと思われてもいい、伝えることで変わる未来があるかもしれないと。
そんなことを世界は許しちゃくれなかったが。
言葉にしようと口を開けば声が出なくなった。
文字にしようとペンを取れば手が動かなくなった。
メッセージアプリで、手話で、イラストで。思いつく限りに手段を講じても……いや、講じることは出来なかった。
両親の死と同じだ。この世界は私の意志を許さない。
だから、諦めた。今日にしがみついて、明日が来ることをただ待っているだけに成り下がった。叶依がゲームをクリアすれば、私は解放されるのだろうか。もしかしたらずっとこのまま繰り返すだけかもしれない。
失うことに慣れたと言えば聞こえはいいが、結局私は逃げてるだけなのだ。目を逸らしたい現実から。そして、この妹からも。
「お姉ちゃん……」
震える声で、叶依が私を呼ぶ。か細く、可憐で、思わず護ってあげたくなるような声。ずっと好きだった。私が護るんだと思っていたはずの声。それも幻想だったけど。
「……おいで」
出来るだけ感情を感じさせないように叶依を呼ぶ。おずおずと近付いてきた叶依は、未だベッドに腰掛けたままの私の横にちょこんと腰を下ろした。
目を伏せて、こちらを見ようとすることは無い。私だってそうだ。少なくとも今世では、この娘と明確に目を合わせたことなんてなかった。
私と叶依の日課。今は二人だけの秘め事。
愛用のミニナイフで人差し指の先を切る。サックリと切れた皮からは真っ赤な血が膨らみ滴りそうだ。
「ほら、口を開けて」
「うん……」
漸くこちらを見た叶依の口に指を突っ込む。先程まで鈍く感じていた痛みはすぐに無くなり、擽ったいような焦れったいような、言い様のない感覚に襲われた。
鋭く伸びた牙で傷付けないよう、叶依は細心の注意を払って私の指を甘噛みし血を啜る。
「ふぅ……ぁ…っ」
どちらからともなく、そんな声が漏れた。彼女──
被捕食者が不快感を得ないよう、麻酔のようにじわじわと快楽を刻む。悠久にも劣らない長い寿命を持つ彼女達は性欲というものが極めて薄いと言う。
その代わり、吸血行為に快楽を見出すようになった。
先祖返り。私達の一族は、吸血鬼の貴族の末裔らしい。何代かに一人、彼女のようにその
だからこその主人公。彼女が彼女たる所以。
両親を亡くし、失意のどん底に居た叶依はある日異変に気付いた。何を食べても味がしない。胃が拒否する中無理やり食べ物を掻き込んでも、腹が満たされない。
終ぞ耐えられなくなって、会話が途絶えて長らく経っていた
姉である私は、念の為と両親から先祖返りの話を聞かされていたし、それ以前に
こくこくと喉を鳴らしながら私の血を啜る叶依を見る。鉄臭い液体を舐めて、どうしてそんな恍惚とした表情でいられるのか。
……なんて、冷静ぶっている私ももう、限界なんだけど。
「もう、いいでしょ」
「ぁ……うん」
口腔から指を引き抜くと名残惜しそうに銀の糸が伝う。行為自体には慣れていても、この感覚はいつまでも慣れそうにない。
大体私と叶依は仲が悪いのだ。
……正確に言えば、私が一方的に避けているだけなんだけど、それでも。
なのにどうして、彼女は私を頼るのか。学校に行けば、優しい友人や先輩がいるじゃないか。その人達に秘密を明かして助けて貰えばいいのに。
そうすれば、私も解放されるはずなんだ。叶依がいつまで経っても
「……いつまでいるつもりなの。出て行ってくれないと、着替えられないんだけど」
「ご、ごめんなさい!」
だから嫌われるように、冷たい言葉を吐き捨てる。リミットはあと一年。私が高校を卒業する来年の三月まで。
勿論、それより先にリセットされることもあるけれど。神様はセーブ&ロードが得意みたいだから。セーブポイントはその時によって疎らで、早ければ小学四年生、遅い時は高校入学から始まる。
そこに理由があるのかさえ私には分からない。神のみぞ知る、というやつだ。
でも神様は知らないのね。このゲームに姉ルートは存在しないのよ。
※
「はぁ……」
窓際の最後列。少し外に目をやれば桜が咲き誇る校庭が覗ける一番人気のその席で、少女は突っ伏して溜息をついていた。
「叶依ちゃん、またお姉さんと喧嘩したの?」
それを慣れた様子で見守る少女が一人。叶依の同級生であり、幼稚園時代からの腐れ縁。つまりは幼馴染の入江
癖のない黒髪を腰まで伸ばし、前髪は二本のピンで留めている。昨年までは眼鏡を着用していたが、高校入学に合わせてコンタクトレンズを購入したのだとか。
叶依とは十年来の付き合いだ。勿論静夢とも顔見知りである。仲は……決して良好とは言えないが。
そもそも、静夢に仲の良い友人は片手で数える程しか居ないのだ。
「千友梨ちゃん……ううん、喧嘩はしてないの」
「そう、なの」
一方的に嫌われているだけの現状を、喧嘩と呼称する勇気は叶依にはなかった。大体を察した千友梨は困ったように目を伏せる。
二人の関係がどうして壊れてしまったのかを知らない千友梨には、掛けられる言葉が無い。幼い頃の二人は、誰から見ても仲の良い姉妹だった。
それが変わったのは、二人の両親が事故死してからだろうか。確かに大きな事件ではあったが、何の罪もない叶依がここまで嫌われた理由が千友梨には理解できなかった。
「私に出来ることがあったら言ってね。私はいつでも、叶依ちゃんの味方だから」
それだけ言って席へ戻る千友梨を見送り、叶依は窓の外を見た。校庭にはジャージ姿で気だるげに歩く静夢の姿があった。